スズキGF250は、GSX250E(1980年1月~1986年4月)やGS250FW(1983年3月~1984年6月)に変わって、1985年3月にデビュー。ヤマハFZ250 Phazer(1985年4月~1986年7月)の強力な追撃を受ける形と成った。GS250FWの2バルブDOHCを改良。2バレル・ツインキャブレターでコントルール性の高い。
こんにちは。ともやんです。1955年(昭和30年)7月10日に、日本レース界の創設期ともいわれる第3回富士登山レースが開催されました。富士宮市の浅間神社から富士2合目まで、24.2kmを各車1分おきにスタートしてタイムを競うレースでした。こ
こんにちは。ともやんです。ヤマハYA-1は、DKW(ドイツの歴史的メーカー)のRT125を参考に、本家を超えるべくスペックを与えられたモデルです。当時の125クラスでは唯一の4段ミッションを搭載して1954年秋に発売され、翌55年2月に市販
スズキGF250 1985 カウルレス 黒塗装の4into1のマフラーがカッコイイ!
スズキGF250は、GSX250E(1980年1月~1986年4月)やGS250FW(1983年3月~1984年6月)に変わって、1985年3月にデビュー。ヤマハFZ250 Phazer(1985年4月~1986年7月)の強力な追撃を受ける形と成った。GS250FWの2バルブDOHCを改良。2バレル・ツインキャブレターでコントルール性の高い。
A号は、1946年に本田宗一郎により創立されたホンダによる最初の原動機付自転車です。 当初は陸軍の払い下げエンジンを使用していましたが、その在庫がなくなって以降は、 自社生産のエンジンが搭載されました。画像は、フレームなどが刷新された後期型もモデルです。
ヤマハTZR250 1985 ニューコンセプトのレーサーレプリカ
こんにちは。ともやんです。TZR250は、全くのニューコンセプトモデルとしたデビューしたマシンです。スズキRG250Γが、火種となったクォーターレプリカに対抗し、カワサキのKR250R(1984年4月)、ホンダNS250R(1984年4月)
ヤマハTZR250 1985 ニューコンセプトのレーサーレプリカ
こんにちは。ともやんです。TZR250は、全くのニューコンセプトモデルとしたデビューしたマシンです。スズキRG250Γが、火種となったクォーターレプリカに対抗し、カワサキのKR250R(1984年4月)、ホンダNS250R(1984年4月)
ホンダCBX750ボルドール 1985 レーサーレプリカとは別路線に
1984年には"ホライゾン"を発表したCBX系に、 85年には"ボルドール"が新しくランナップされました。 3ピース構造のフルカウルを持つツアラーとして、ベンチレーターや キー付きのポケット等を備え、軽快性と利便性を兼ね備えたモデルとして打ち出しています。
ホンダCBX750ボルドール 1985 レーサーレプリカとは別路線に
1984年には"ホライゾン"を発表したCBX系に、 85年には"ボルドール"が新しくランナップされました。 3ピース構造のフルカウルを持つツアラーとして、ベンチレーターや キー付きのポケット等を備え、軽快性と利便性を兼ね備えたモデルとして打ち出しています。
カワサキCS250 1985 スタンダードモデルに徹した実益マシン
カワサキCS250は、虚飾を排し、スタンダードモデルに徹した、実益の高いモデルに仕上がっていました。パワーユニットは、2軸バランサーを用いた水冷DOHC4バルブです。ベースはKL250R(1984年)に搭載されていた単気筒エンジンです。カワサキ自体が、このパワーユニットに関して、あまり積極的でなかったようで。。。
カワサキCS250 1985 スタンダードモデルに徹した実益マシン
カワサキCS250は、虚飾を排し、スタンダードモデルに徹した、実益の高いモデルに仕上がっていました。パワーユニットは、2軸バランサーを用いた水冷DOHC4バルブです。ベースはKL250R(1984年)に搭載されていた単気筒エンジンです。カワサキ自体が、このパワーユニットに関して、あまり積極的でなかったようで。。。
スズキRG125Γ 1985 目立たないけど優れたモデルを出し続ける底力
スズキというメーカーは、目立たないけど底力を感じさせるメーカーです。だから僕は好きで、いままでハスラーTS250やRG250Γを乗ってきました。そのスズキは125ccクラスにおいても、非常に優れたマシンを生み出してきました。でもいまひとつユーザーの心をつかみきっていないのがスズキファンの僕としては残念です。
スズキRG125Γ 1985 目立たないけど優れたモデルを出し続ける底力
スズキというメーカーは、目立たないけど底力を感じさせるメーカーです。だから僕は好きで、いままでハスラーTS250やRG250Γを乗ってきました。そのスズキは125ccクラスにおいても、非常に優れたマシンを生み出してきました。でもいまひとつユーザーの心をつかみきっていないのがスズキファンの僕としては残念です。
ヤマハRZ125 1985 発売以来 プロダクションレースで大活躍
ヤマハRZ125は、1982年5月に発売以来、プロダクションレースでも大活躍するモデルでした。デビュー翌年の1984年には、 サーモスタット付きのRZ125Sに名称を改められ、ミニカウルを装備するなどスタイル面でもイメージをアップさせました。'85年は、車体各部に大幅な改良が実施され、性能の強化と商品力の向上が図られました。
ヤマハRZ125 1985 発売以来 プロダクションレースで大活躍
ヤマハRZ125は、1982年5月に発売以来、プロダクションレースでも大活躍するモデルでした。デビュー翌年の1984年には、 サーモスタット付きのRZ125Sに名称を改められ、ミニカウルを装備するなどスタイル面でもイメージをアップさせました。'85年は、車体各部に大幅な改良が実施され、性能の強化と商品力の向上が図られました。
ホンダBG400TT 1985 初の400ccシングル 多様化する80年代
ホンダは、1985年、400ccクラスで初めて、シングル・スポーツモデルを発表しました。これは'83年12月にGB250clubmanの人気に煽られてでした。XR500R(1983年)のパワーユニットをロードモデル用にセッティングを変更し、1984年に輸出モデルとして発表。XBR500を基本としてクラシカルなイメージに。
ホンダBG400TT 1985 初の400ccシングル 多様化する80年代
ホンダは、1985年、400ccクラスで初めて、シングル・スポーツモデルを発表しました。これは'83年12月にGB250clubmanの人気に煽られてでした。XR500R(1983年)のパワーユニットをロードモデル用にセッティングを変更し、1984年に輸出モデルとして発表。XBR500を基本としてクラシカルなイメージに。
20世紀の初頭、日本で初めて国産バイクが誕生しました。 それから今年で110年の年月が流れました。大げさではなく、振り返ってみますと星の数ほどのオートバイが生み出され、そして消えていきました。 まるで生物の進化を観るようなドラマチックな歴史です。
こんにちは、ともやんです。1955年(昭和30年)に、白バイ用として国産車最高の性能を誇ったバイクをご案内します。メグロ セニア T1 1955年 ㈱目黒製作所全長2,280 全幅820 全高1,100 軸距1,450(各mm)車重228k
ヤマハ YDS3 1964年2ストのヤマハの進化系 時代を変えたマシン
こんにちは、ともやんです。1964年1月13日、ボブ・ディランの3枚目のアルバム「時代は変わる」が発売されました。明らかに時代は変わろうとしていました。まだ幼い僕にも実感としてありました。時代は変る(紙ジャケット仕様)このアルバムが発売され
ロータリーディスクバルブを採用し、他社とは一線を期したエンジンは、性能上でもさることながら、実際の操縦性においてもライバル車を凌ぐものでした。 3200rpm辺りから立ち上がるトルクは、4000rpmを境にレッド・ゾーンの始まる8250rpmを過ぎても、なお加速感を伴ってマシンを前進させました。
ホンダ スポーツカブC110 ボーイズレーサーは少年の夢と憧れ
そんな僕も昨年60才になり、定年を迎えました。でもそのまま働き続けています。そして今年デビューして60年を迎えるオートバイがあります。そう、ホンダのスーパーカブです。1958年のデビューです。そしてアメリカには、59年にデビューして60年近く歌い続けているシンガーソングライターがいる。そうボブ・ディラン。長く続けることは偉大です、
ヤマハ TD1 ヤマハ初の市販レーサー シンプルなのに高性能
ヤマハ初の市販レーサー。リードバルブさえもたないシンプルな2サイクル・エンジンですが、これ程の構成のを発揮したことで誰もが驚きました。YDS2のエンジンがベースとなり、鋼管ダブルクレードルに搭載したマシンでした。
スズキ スーパースポーツ M40 1963年 オリンピック前の激動時代
スズキ スーパースポーツ M40 1963年空冷2サイクル・単気筒排気量:49ccボア・ストローク41mm×37.5mm最大出力:5ps/9,000rpm最大トルク:0.41kg-m/8,000rpm全長1705 全幅660 全高860(各
カワサキ650W1 ライバルは英国車から誕生して50年を超えて
1965年頃の日本は、50ccから250ccクラスの高回転・高出力のスーパースポーツモデルが華々しい時代でした。ところが大排気量のオートバイらしいオートバイがほとんど輸入車で国産ではわずかなモデルしか存在しませんでした。国内モデルでは、せいぜい、ライラック・マグナムか、カワサキ500メグロ・スタミナK2、そして新参入のホンダCB450くらいでした。
スズキの技術力の高さを世界に認識させたモデルです。スポーツモデルとしては、他のメーカーの後塵を拝していましたが、だからこそ、全てにおいて、世界最高をめざして開発されました。世界最高の水準を得るため立てられたコンセプトは不可能との思えるもので、失敗の連続でした。しかし
ホンダ CR72 1962年 日本の自動車産業飛躍のプロローグ年
1962年(昭和37年)と言えば、鈴鹿サーキット開業の年です。この年の記念すべき第一回鈴鹿全日本ロードレース大会のノービス250クラスにホンダCR72が2台エントリーしました。ヤマハTD1の乗る三橋実、片山義美らに善戦しましたが、加藤爽平、粕谷勇の乗るCR72は、TD1の上位独占を阻止するのがやっとだたそうです。ちなみにケース結果1位三橋実(ヤマハ)2位片山義美(ヤマハ)3位加藤爽平(ホンダ)4位粕谷勇(ホンダ)でした。
ヤマハ YDS1 60年代 本格派スーパースポーツと時代の背景
ヤマハのYDS1は、2スト派ライダー達のハートを熱くしたマシンです。4000rpm以下では、全く役に立たないシビアでシャープなエンジン、ハイギアードでクロスレシオのミッション、そして加速中の独特の吸気音。また、ミッションのタッチは、ストロークが長い硬めのもので、決して使いやすいものではなく、しっかりした操作技術が必要でした。
ホンダ CR93 市販レーサー 鈴鹿オープニングレースに出走
「子供の時からの夢は、自分で造ったクルマで、世界チャンピオンになることだった。」と語った本田宗一郎が、鈴鹿サーキットの生みの親でした。本田は、ドライバーとして1936年(昭和11年)6月に1周1.2kmの多摩川スピードウェイで開かれた第1回自動車競走大会に自ら改造した「浜松号」で出場したほどのレース大好き人間だったのです。
ホンダ CR110が、発売された1962年(昭和37年)は、慶應大学国文学の池田弥三郎先生が、「女子大生亡国論」などという今から考えると暴論を真剣に唱えた年です。なんでも、私立大学の文学部では、女子大生が半分以上占めるようになり、花嫁学校と化しているという論旨を婦人公論紙上に載せたのです。今の時代から見ると暴言以外の何物でもないですが、1914年生まれの池田氏には、女性の台頭が日本をダメにすると本当に思ったんでしょう。
1954年4月27日、日本でオードリー・ヘップバーン主演の映画「ローマの休日」が公開されました。 当時新人女優のオードリーは、既にこの映画で主演女優賞を獲得。その情報はもちろん日本にも知れ渡っていて、映画が公開されるとたちまち“オードリー旋風”が巻き起こりました。この映画の影響か、ソフトクリームが大流行しました。
ホンダCBX250RS 1983 根強い単気筒ファンに応えたマシン
CB250RS/RS-Z(1980~1981年)の人気を超えたVT250Fの登場で、単気筒の支持や人気も消えかかったようにも思えました。しかし、単気筒はモーターサイクルの基本です。ヤマハからもSRX250が発売されました。根強い単気...
ホンダCBX250RS 1983 根強い単気筒ファンに応えたマシン
CB250RS/RS-Z(1980~1981年)の人気を超えたVT250Fの登場で、単気筒の支持や人気も消えかかったようにも思えました。しかし、単気筒はモーターサイクルの基本です。ヤマハからもSRX250が発売されました。...
ヤマハSRX250 1984 シンプルで最軽量にDOHCシングルの強力パワー
ヤマハSRX250は、XT250のパワーユニットをベースに仕上げられ、発売当初は、クラス最軽量のロードスポーツモデルでした。ライバル車、ホンダのCBX250RS(1983年5月)、CBX250S(1985年2月)、カワサキ250CS(198
ヤマハSRX250 1984 シンプルで最軽量にDOHCシングルの強力パワー
ヤマハSRX250は、XT250のパワーユニットをベースに仕上げられ、発売当初は、クラス最軽量のロードスポーツモデルでした。ライバル車、ホンダのCBX250RS(1983年5月)、CBX250S(1985年2月)、カワサキ250CS(198
ヤマハXZ550 1983 輸出モデルを国内でも余裕のツーリングマシン
XZ400(1982年)のベースモデルとして輸出向けに生産されていましたが、国内でも販売されたマシンです。XZ400Dと同じくフルカウルを装備してツーリング志向の強いモデルでした。(adsbygoogle =...
ヤマハXZ550 1983 輸出モデルを国内でも余裕のツーリングマシン
XZ400(1982年)のベースモデルとして輸出向けに生産されていましたが、国内でも販売されたマシンです。XZ400Dと同じくフルカウルを装備してツーリング志向の強いモデルでした。(ads...
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