植ちゃんの「金沢・いしかわに恋をしました!」 さん プロフィール

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植ちゃんの「金沢・いしかわに恋をしました!」さん: 植ちゃんの「金沢・いしかわに恋をしました!」
ハンドル名植ちゃんの「金沢・いしかわに恋をしました!」 さん
ブログタイトル植ちゃんの「金沢・いしかわに恋をしました!」
ブログURLhttps://blog.goo.ne.jp/kanazawa-uechan
サイト紹介文金沢に永住して金沢・石川が好きになりました!その魅力を紹介します。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供291回 / 365日(平均5.6回/週) - 参加 2015/02/04 05:00

植ちゃんの「金沢・いしかわに恋をしました!」 さんのブログ記事

  • 金沢城公園 石垣巡り‐11
  • 金沢の観光スポットレポート その949(No.1358)◇金沢城公園 石垣巡り‐11<城外周ルート>13)大手堀の石垣堀際にある粗割り石を積み上げた石垣は、金沢城初期の石垣です。このころ、尾坂から河北坂を経由して本丸に居至る大手筋の要所が固められてました。上段の石垣は小阪門台の石垣で、寛政11年(1799)の地震で崩れ、翌年改修された。・創建:慶長(1596〜1615)頃・現状:上段は寛政期(1789〜1800)改修時、下段 [続きを読む]
  • 金沢城公園 石垣巡り‐10
  • 金沢の観光スポットレポート その948(No.1357)◇金沢城公園 石垣巡り‐10<城外周ルート>10)蓮池堀(百?堀)縁の石垣蓮池堀(はすいけぼり、百間堀)縁の石垣は、豊富な刻印に特徴があります。刻印は石切場で刻まれた合印(あいじるし)と考えられ、金沢城では200種類以上が見つかっています。一箇所の石垣に数種類の刻印が混在するのが通例ですが、ここでは地区ごとにまとまりがあり、数メートル間隔で刻印の種類に [続きを読む]
  • 金沢城公園 石垣巡り‐9
  • 金沢の観光スポットレポート その947(No.1356)◇金沢城公園 石垣巡り‐9<城外周ルート>7)本丸南面の高石垣(辰巳櫓下〜申酉櫓下)自然面を残す粗割り石を積み上げた初期の「粗化工石積み」石垣です。 明治時代に上部の一部が取り壊されて現状の姿になりましたが、もとの高さは約12間(約22m)以上ある城内随一の高石垣あった。三代藩主利常の頃(1610年頃)、築城の名手篠原一孝の指揮によるものと伝わる。・創建:慶長年 [続きを読む]
  • 金沢城公園 石垣巡り‐8
  • 金沢の観光スポットレポート その946(No.1355)◇金沢城公園 石垣巡り‐8<城外周ルート>4)玉泉院丸南西の石垣玉泉院丸の南西に張りだしたこの石垣は、大きくはらみ出して不安定な状態のため、平成18、19年に解体・積み直しによる保存修理を行った。・創建:元和〜寛永(1615〜1644)頃・現状:平成18〜19年保存修理■写真は玉泉院丸南西の石垣5)いもり堀の石垣いもり堀の北西部に位置する個の石垣は、石の正面を部分 [続きを読む]
  • 金沢城公園 石垣巡り‐7
  • 金沢の観光スポットレポート その945(No.1354)◇金沢城公園 石垣巡り‐7<城外周ルート>1)数寄屋敷西方の堀縁石垣いもり堀の北側にあたるこの場所は、水堀から四間半(約8m)、延長67間(約120m)の石垣が築かれいる。石の正面を部分的に均して刻印を施す石加工に特徴があり、はみだし認められることから、平成15年に変位を観測する装置を設置し、石垣の定点観測続けている。・創建 元和〜官営(1615〜1644 [続きを読む]
  • 金沢城公園 石垣巡り‐6
  • 金沢の観光スポットレポート その944(No.1352)◇金沢城公園 石垣巡り‐6<城内外連絡ルート>3)いもり坂と薪の新丸いもり坂は、明治以後作られた通路で、江戸時代にはなかったもので。このあたりは玉泉院丸に面した斜面の一角で、庭園向きの石垣として整備されたところ。三十間長屋と同じく「切石積み」の一種で、野趣に富んだ意匠を狙った「金場取り残し積み」等が見られる。・創建:寛永(1624〜1644)頃・改修:寛文 [続きを読む]
  • 金沢城公園 石垣巡り‐5
  • 金沢の観光スポットレポート その943(No.1352)◇金沢城公園 石垣巡り‐52011年に石垣巡りを掲載したが、まいどさん勉強会や金沢城・兼六園研究会入会をきっかけとして、再度掘り下げてアップします。<城内外連絡ルート>1)玉泉院丸庭園に面した石垣郡玉泉院丸に面した斜面一帯は、趣向を凝らした「切石積み」(色紙短冊積み)」の石垣が見られます。石垣の高さや向き、石の積み方から細部の加工に至るまで、表情豊 [続きを読む]
  • 金沢城公園 石垣巡り‐4
  • 金沢の観光スポットレポート その942(No.1351)◇金沢城公園 石垣巡り‐42011年に石垣巡りを掲載したが、まいどさん勉強会や金沢城・兼六園研究会入会をきっかけとして、再度掘り下げてアップします。<城内ルート>約1.5Km7)戌亥(いぬい)櫓石垣 この石垣は「粗化工石積み」の積み方をしていますが、石の隙間に平らな石をはめ込み「切石積み」のように見せる技法が用いられている。長い年月の間に石が抜け落ちて [続きを読む]
  • 金沢城公園 石垣巡り‐3
  • 金沢の観光スポットレポート その941(No.1350)◇金沢城公園 石垣巡り‐32011年に石垣巡りを掲載したが、まいどさん勉強会や金沢城・兼六園研究会入会をきっかけとして、再度掘り下げてアップします。<城内ルート>約1.5Km4)二の丸北面石垣 この付近の石垣は、形や大きさをそろえた割石が積まれている。「粗化工石積み」の中でも、最も完成されたものといわれており、加賀藩の石垣技術者、後藤彦三郎は「城内でも [続きを読む]
  • 金沢城公園 石垣巡り‐2
  • 金沢の観光スポットレポート その940(No.1349)◇金沢城公園 石垣巡り‐22011年に石垣巡りを掲載したが、まいどさん勉強会や金沢城・兼六園研究会入会をきっかけとして、再度掘り下げてアップします。■写真は石川門<城内ルート>約1.5Km1)石川門石垣 右側が「切石積み」左側が「粗化工石積み」の技法となっています。同じ場所で違う積み方をした珍しい例で、明和2年(1765)の改修時のものと考えられます。・創 [続きを読む]
  • 金沢城公園 石垣巡り‐1
  • 金沢の観光スポットレポート その940(No.1349)◇金沢城公園 石垣巡り‐12011年に石垣巡りを掲載したが、まいどさん勉強会や金沢城・兼六園研究会入会をきっかけとして、再度掘り下げてアップします。■写真は金沢城石垣巡り地図(金沢城公園HPより)〇金沢城概要金沢城の歴史加賀一向一揆で支配権を握った本願寺が、天文15年(1546)に金沢御堂(尾山御坊)を建てた地に、天正8年(1580)、佐久間盛政が築城を開 [続きを読む]
  • 白山越前禅定道・平泉寺を訪ねて!
  • 金沢の観光スポットレポート その939(No.1348)◇白山越前禅定道・平泉寺を訪ねて!7月29日(日)石川県ウオーキング協会の「越前禅定道・白山平泉寺を訪ねて」えちぜん鉄道勝山駅発着に参加した。■写真はえちぜん鉄道勝山駅〇白山三禅定道白山への登山道の始まりは修行者などが登るために作られた道で、この道は「禅定道」と呼ばれました。「禅定道」は加賀、越前、美濃の三方向から整えられ、それぞれ「加賀禅定場」は [続きを読む]
  • 金沢の夏‐8 黒門緑地、浅田屋、森八近江町店
  • 金沢の観光スポットレポート その937(No.1346)◇金沢の夏‐8 黒門緑地、浅田屋、森八近江町店〇黒門緑地この黒門前緑地は文字通り金沢城の北西の黒門(今はその跡のみ)の前にある緑地で、大手堀の西側にあたります。また,この地は豪姫(加賀藩祖・前田利家の四女)の住居跡でもある。■写真は黒門緑地 ここは平成7年(1955)まで金沢地方検察庁検事正官舎の敷地であった。平成13年(2001)官舎の一部と,その土塀を廻 [続きを読む]
  • 金沢の夏‐9 大友楼、板屋本店、他市内
  • 金沢の観光スポットレポート その938(No.1347)◇金沢の夏‐9 大友楼、板屋本店、他市内〇大友楼創業天保元年(1830年)年老舗料亭。加賀藩の御膳所として勤め、その儀式料理や郷土料理を今に伝える。食材から器にいたる全てを地元の食材や伝統工芸品にて盛り、金沢がいっぱいつまったコース料理を得意としている。住所:金沢市尾山町2-27■写真は大友楼□ホームページhttp://www.ootomorou.co.jp/%e6%96%99%e4%ba%ad%e5%a4 [続きを読む]
  • 金沢の夏‐7 尾崎神社
  • 金沢の観光スポットレポート その936(No.1345)◇金沢の夏‐7 尾崎神社□尾崎神社の概況寛永17年(1640)、加賀藩四代藩主前田光高公が東照権現勧請を幕府に願い出て許可を得て金沢城内北の丸に造営を始めた。その間、ご神霊を上野寛永寺から勧請し同寛永20年(1643)9月に東照権現社が落成し鎮座祭が執行された。朱塗りの社殿には徳川家康の紋が散りばめられ、金沢城の江戸、北陸の日光と呼ばれ崇められた。■写真は [続きを読む]
  • 金沢の夏‐6 兼六園②
  • 金沢の観光スポットレポート その935(No.1344)◇金沢の夏‐6 兼六園②○兼六園の概要兼六園は江戸時代の代表的な大名庭園として、加賀歴代藩主により、長い歳月をかけて形づくられてきました。金沢市の中心部に位置し、四季折々の美しさを楽しめる庭園として、多くの県民や世界各国の観光客に親しまれている。2015年度の兼六園入場者数17年度279.9万人(前年比96%%)であった。■写真は鶺鴒島■写真は龍石■写 [続きを読む]
  • 金沢の夏‐6 兼六園①
  • 金沢の観光スポットレポート その935(No.1344)◇金沢の夏‐6 兼六園①○兼六園の概要兼六園は江戸時代の代表的な大名庭園として、加賀歴代藩主により、長い歳月をかけて形づくられてきました。金沢市の中心部に位置し、四季折々の美しさを楽しめる庭園として、多くの県民や世界各国の観光客に親しまれている。2015年度の兼六園入場者数17年度279.9万人(前年比96%%)であった。■写真はことじ灯篭■写真は霞が [続きを読む]
  • 金沢の夏‐5 長町武家屋敷跡②
  • 金沢の観光スポットレポート その935(No.1344)◇金沢の夏‐5 長町武家屋敷跡②○長町の由来長町は前田八家の1つ長氏の屋敷があったことから名付けられました。現在の長町武家屋敷一体は長氏、村井氏をはじめ上級武士から中級、下級武士などが住んでいました。現在では、当時の武家屋敷は殆ど残っていませんがその中で中級武士だった野村家邸は当時の武士の邸宅の様子を伺うことができます。■写真は長町武家屋敷跡■写真 [続きを読む]
  • 金沢の夏‐5 長町武家屋敷跡①
  • 金沢の観光スポットレポート その935(No.1344)◇金沢の夏‐5 長町武家屋敷跡①○長町の由来長町は前田八家の1つ長氏の屋敷があったことから名付けられました。現在の長町武家屋敷一体は長氏、村井氏をはじめ上級武士から中級、下級武士などが住んでいました。現在では、当時の武家屋敷は殆ど残っていませんがその中で中級武士だった野村家邸は当時の武士の邸宅の様子を伺うことができます。■写真は鞍月用水■写真は鞍月 [続きを読む]
  • 金沢の夏‐4 尾山神社、大和、「若冲と光瑤」
  • 金沢の観光スポットレポート その934(No.1343)◇金沢の夏‐4 尾山神社、大和、「若冲と光瑤」○尾山神社 夏越(なごし)の大祓「大祓式」は古来よりとても大事な神事とされており、奈良時代から現在に至るまで綿連と続けられております。新年には瑞々しく張りのあった「気」がだんだん枯れていくことを「気枯(きが)れ」つまり穢(けが)れと古代の人は考えていました。現在は、年に2回(6月末の夏越の大祓式、12月 [続きを読む]
  • 宗桂会館を訪ねる。-2
  • 金沢の観光スポットレポート その933(No.1342)◇宗桂会館を訪ねる。-2〇加賀象嵌とは加賀象嵌は16世紀末、加賀を支配した前田家が京都方面から技術を導入してこの地で発展してきた、武家に必須の装剣金具や馬具の鐙などに代表される、華麗で洗練された意匠感覚をもつ装飾性豊かな金工です。象嵌とは金属素地をたがねで掘り下げ、そこに別の金属を嵌めて打ち込むことで文様表現を行う技法で、鍔などの装剣具を専らとする白銀 [続きを読む]
  • 宗桂会館を訪ねる。-1
  • 金沢の観光スポットレポート その932(No.1341)◇宗桂会館を訪ねる。-16月24日(日)石川県ウオーキング協会の「アジサイ寺と宗桂会館を訪ねて」をJR森本駅発着にて参加者した。■写真は宗桂会館外観日機装株式会社は、創業者 音桂二郎により、加賀象嵌の振興発展をもって地域産業の基盤強化と伝統文化の向上に寄与することを目的として、公益財団法人宗桂会を金沢の地に平成5年に創立しました。財団発足以来、加賀象嵌 [続きを読む]
  • 一乗山 本興寺(ほんこうじ)-2(完)
  • 金沢の観光スポットレポート その931(No.1340)◇一乗山 本興寺(ほんこうじ)-2(完)6月24日(日)石川県ウオーキング協会の「アジサイ寺と宗桂会館を訪ねて」をJR森本駅発着にて参加者した。本興寺には多くのアジサイが植えられていますが、このアジサイは本興寺の檀家の人が一人で25年前から植えているそうで2013年時点では約10種類2700株になっている。住職:中谷聰秀(第50世)住所:金沢市薬師町 [続きを読む]
  • 一乗山 本興寺(ほんこうじ)-1
  • 金沢の観光スポットレポート その930(No.1339)◇一乗山 本興寺(ほんこうじ)-16月24日(日)石川県ウオーキング協会の「アジサイ寺と宗桂会館を訪ねて」をJR森本駅発着にて参加者した。〇本興寺概要本興寺は、石川県金沢市薬師町ロにある日蓮宗の寺院。山号は一乗山。旧本山は京都立本寺、潮師法縁。北陸における日蓮宗の古刹の一つ。金沢市指定文化財の木造日蓮聖人坐像附胎内舎利塔を安置する。南北朝時代に日像門 [続きを読む]
  • 珠姫の寺 天徳院‐2
  • 金沢の観光スポットレポート その929(No.1338)◇珠姫の寺 天徳院‐2〇珠姫さま略伝珠姫さまは、加賀藩三代藩主前田利常公の正室で、慶長4年(1599)三月江戸幕府第二代将軍徳川秀忠公の次女として生まれ、名前は珠子、幼名を子々姫といった。同年、前田家では藩祖利家が亡くなり、二代藩主利長公が加賀の国へ戻り藩政を治めていた。その間には、前田が徳川を討つという噂が流れ、将軍家康公は大変驚き軍勢を集めて前田を [続きを読む]