アートプラス京めぐり さん プロフィール

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アートプラス京めぐりさん: アートプラス京めぐり
ハンドル名アートプラス京めぐり さん
ブログタイトルアートプラス京めぐり
ブログURLhttp://blog.goo.ne.jp/korede193
サイト紹介文京都の探索中、記事数4000、まち歩き・寺院神社・石碑道標・陵墓・看板・蔵・人物・平安京
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供999回 / 365日(平均19.2回/週) - 参加 2015/02/19 19:16

アートプラス京めぐり さんのブログ記事

  • 石碑伏0135 稲荷新道碑
  •  稲荷神社(現伏見稲荷大社)への参詣道は,明治中期まで本町通(伏見街道)経由しかなく,参詣の便をはかるために,竹田街道勧進橋から稲荷神社裏門までの新しい参詣道が明治28(1895)年に開かれた。稲荷新道と呼ばれたこの参詣道は,大阪の実業家土井柾三の寄附により幅三尺の細道を二間に拡幅してつくられている。 この碑は建立時には琵琶湖疏水稲荷橋西北詰にあり,竹田街道の新道起点には土井柾三により「稲荷さんけい道」と [続きを読む]
  • 道標伏0132  北向不動尊  踏切内にあった
  • ここは 近鉄・京都地下鉄 の 竹田駅 より 南へ1つ目の踏切施主京都市 綾小路  田中 伊助同  先斗町  ◎藤 清次郎皇国 守護鳥羽天皇 勅願所 北向不動尊関連記事 ? 寺院伏0402  北向山不動尊道標 前回の記事 ?  地蔵尊南039 矢取地蔵尊  道標南0131  五七五しみじみと あいつが居ない クラス会 /島津ことわざ木乃伊取りが木乃伊になる [続きを読む]
  • 寺院伏0402  北向山不動尊
  • 天台宗の単立寺院で、一般に北向不動の名で親しまれている。大治5年(1130)鳥羽上皇の勅願により鳥羽離宮内に創建され、興教大師を開山としたのが当寺の起こりである。本堂に大師が自ら仏師康助に刻ませた不動明王(重要文化財)を王城鎮護のため北向に安置した。そのため、上皇から北向山不動院の名を賜ったといわれる。久寿2年(1155)、播磨国(兵庫県)大国の庄を寺領として、藤原忠実が中興に当たった。その後、応仁の乱の兵火など [続きを読む]
  • 寺院南0401 浄禅寺 浄土宗
  • 恋塚浄禅寺恵光山と号する浄土宗西山禅林寺派の寺院である。寺伝によれば、寿永元年(1182)の文覚上人の開基で、境内に袈裟御前の首塚(恋塚)といわれる五輪石塔があることから、恋塚の名で知られている。平安末期の北面の武士・遠藤盛遠は、渡辺左衛門尉渡の妻・袈裟御前に恋し、渡と縁を切ることを迫ったところ、袈裟御前は夫を殺してくれと森遠にもちかけ、操を守るため自分が夫の身代わりとなって盛遠に殺されてしまうという悲 [続きを読む]
  • 寺院南0400 行住院 浄土宗  愛宕燈籠051
  • 京都市南区上鳥羽八王神町1旧大坂街道に面した上鳥羽八王神町にある。天正年間(1573〜92)、行蓮社存誉信西がひらいた浄土宗の寺で、城向山と号する。はじめ普眼庵と号したが、寛永年間(1624〜44)知恩院宮良純親王から行住院の額を賜った。本堂の脇壇に安置する阿弥陀立像(室町時代)は創建以来の古仏で、寄木造、漆箔、玉眼入り、右足を前へ出し、足先を少し上げて歩み出そうとする様子をあらわしている。門前左の薬師堂に安置す [続きを読む]
  • 寺院南0399 誓祐寺  石碑南0134 苅萱道心旧跡
  • 「苅萱堂(かやんどう)」という。上鳥羽鍋ケ淵町にある浄土宗の寺。建暦年間(1211〜13)の創建と伝わる。石童丸の父苅萱道心は高野山へのぼる前、しばしこの地に足をとどめていたという伝説より、「かやんどう」という。今も本堂には苅萱阿の念持仏と伝わる阿弥陀如来像を安置し、脇壇には石童丸を思わせる高さ18センチばかりの半肉彫の地蔵小石仏(室町時代)がある。苅萓道心旧跡本尊阿弥陀如来苅萓作萓堂 誓祐寺苅萓道心( [続きを読む]
  • 石碑南0133  羅城門跡 道長はここの礎石を持ち帰った 
  • 平安京のメインストリートである朱雀大路の南端に設けられた、都の表玄関にあたる大門で、この門を境に内外を分けた。弘仁7年(816)に大風により倒壊し、その後に再建されたが、天元3年(980)の暴風雨で再び倒壊した後は再建されることがなかった。11世紀前半に藤原道長が法成寺造営のため、門の礎石を持ち帰った記述が『小右記』にあり、この頃には門の礎石や基壇のみの姿となっていたと思われる。付近の発掘調査では、羅城門に [続きを読む]