青松光晴 さん プロフィール

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青松光晴さん: 日本古代史つれづれブログ
ハンドル名青松光晴 さん
ブログタイトル日本古代史つれづれブログ
ブログURLhttps://aomatsu123.blog.fc2.com/
サイト紹介文邪馬台国を中心とした日本古代史の謎を、神話・史書・遺跡・各地伝承などから、解き明かします。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供61回 / 365日(平均1.2回/週) - 参加 2015/02/22 10:20

青松光晴 さんのブログ記事

  • 北部九州の宗像神と関連神を祭る神社データは語る(11)〜宗像神の起源
  • ところで、宗像神の起源はどこにあるのでしょうか?。矢田氏はここで、その要因を自然災害に求めてます。”縄文時代早期の南九州にはかなり高度な文化が発達し、丘陵上などで狩猟採取生活を営んでいた。この生活環境を一変させたのは、約7300年前に起こった九州島南端と屋久島との間の海上で起こった鬼界カルデラの噴火である (図17)。その火山灰は風に運ばれて遠く韓国南部や東北地方南部にまで達した。この噴火の時期に九州で [続きを読む]
  • 北部九州の宗像神と関連神を祭る神社データは語る(8)〜宗像神の信仰域
  • 本年もブログを読んでいただきありがとうございます。2018年の最終回です。今回は、北部九州で宗像神が信仰されている地域を、詳細にみていきます。<図再掲>”宗像神信仰の強い地域は北部九州東部の東宗像ベルトと西部の西宗像ベルトとに分かれている。前者については、前報で見たように弥生文化の東方への伝播に宗像海人族が果たした 役割を示すものと考えられる。オカミ神などとの分布の重なりも、渡来系の人々の拡散と結びつ [続きを読む]
  • 新著キャンペーンについて
  • いつもブログを読んでいただきありがとうございます。8月27日に、シリーズ第四弾「イネ・土器・銅鐸の東伝が語る真実〜図とデータで解き明かす 日本古代史の謎4〜」を出版しました。その電子書籍版を今月出版しましたが、このたび日頃の感謝の気持ちを込めて、無料キャンペーンを実施します。12月28日から1月1日までです。どうぞこの機会をお見逃しなく、ご購読ください。感想などいただけるとうれしいです。内容はイネ [続きを読む]
  • 北部九州の宗像神と関連神を祭る神社データは語る(7)〜ムナカタルート2
  • 次にムナカタルート2についてです。あらためてルート図を載せます。”一方対馬南部の宗像神を祭る2神社は、いずれも良港に面していて、壱岐西岸郷ノ浦の渡良三島に 近い。これが壱岐を経由するムナカタルート2の中心航路であったと思われる。ここからは、必要により上記石田郡南部や小呂島、三所神社のある宮浦などを経由してムナカタへ向かったと思われる。一方 松浦半島の12社の田島神社や図5の「西宗像ベルト」地帯は、伊万 [続きを読む]
  • 北部九州の宗像神と関連神を祭る神社データは語る(6)〜ムナカタルート1
  • 前回、北部九州の対馬・壱岐から本土側までー「海北道中」と「西海」−の、宗像神系神社をみてきました。宗像海人族は、交易を担っていたと考えられるので、ここから朝鮮半島からの交易ルートが浮かび上がってきます。今回は、そのルートをみていきましょう。 ルートとしては、・対馬から沖ノ島を経由して本土に向かう「ムナカタルート1」・対馬から壱岐を経由して本土に向かう「ムナカタルート2」が想定されてます。”沖の島を [続きを読む]
  • 北部九州の宗像神と関連神を祭る神社データは語る(5)〜航海神としての宗像神
  • 次に、航海神としての宗像神の分布を見ていきます。図13は、島嶼部を含む北部九州沿岸のおもな宗像系神社です。”『書紀』の「海北道中」に対応して、対馬北部東岸に宗像神を祭る神社が多い。宗像を名乗る神社は 大増の宗像神社だけであるが、この宗像神はより南の佐賀(さか)から勧請されたと言い伝えている。佐賀の和多都美(わたつみ)神社は、旧名を佐賀宗形宮と言ったという。佐賀には有名な縄文貝塚があり、宗像海人族との [続きを読む]
  • 北部九州の宗像神と関連神を祭る神社データは語る(3)〜玉依姫を祭る神社分布
  • 前回お話した各神間の関係を、具体的にみていきましょう。図9をご覧ください。神武天皇の母である玉依姫を祭る神社の北部九州での分布を、宗像神と重ねて示したものです。図中、オレンジ色・黄色が玉依姫を祭る神社の割合が高い旧郡、紺色・青色が、宗像神を祭る神社の割合が高い旧郡です。この図を見ると、両神の分布域は殆ど重ならず、はっきりした対立関係を示しているのがわかります。興味深いのは対馬で、”宗像神は上県 [続きを読む]
  • 北部九州の宗像神と関連神を祭る神社データは語る(2)〜他の神々との棲み分け
  • 前回は、九州北部における宗像神の分布がきわめて偏っている、という話でした。ではなぜそれほどまでに偏っているのか、矢田氏は推測します。それは「他の神との棲み分け」があったのではないか?、と。図6は、北部九州4県で祭られる代表的な祭神と、それらを全国平均に対する集中度で示したものです。横軸が北部九州で祭られる代表的祭神で、全部で20挙げてます。縦軸は全国に対する集中度で、1が平均、上にいくほどその地域に [続きを読む]
  • 宗像神を祭る神社データは語る(11)〜宗像神が祭られた時期
  • ここまで、矢田氏論文のデータを基に、宗像神についてみてきました。矢田氏は、膨大なデータを駆使して、見事な分析をしてます。古代史において、ここまで統計データを用いて解析をするのは、なかなかないのではないでしょうか?。なにか理系の臭いを感じますね。ここまで論者である矢田氏について紹介してませんでした。矢田氏は、元静岡理工科大学 理工学部 機械工学科教授で、金属工学が専門のようです。神社関連の研究は、趣味 [続きを読む]
  • 宗像神を祭る神社データは語る(10)〜中国山地の宗像神
  • 広島県は、宗像神を祭る神社が最も多いのですが、その分布をみてみましょう。図7を見てください。上段の数字は各郡の全神社数に対する宗像神を祭る神社の比率、下段の数字は純宗像系神社(宗像神社を含む)の数です。宗像神は、安芸の厳島神社のある海岸地帯ばかりでなく、内陸部にも多く、特に現在三次(みよし)市の一部となっている旧三谿(みたに)郡で、最も高い集中を示してます。ではなぜこのような山奥に、宗像神が祭られ [続きを読む]
  • 宗像神を祭る神社データは語る(9)〜印旛沼周辺の宗像神社群
  • 次に千葉県です。引き続き矢田氏論文からです。長くなりますが、たいへん興味深くかつまた参考になるので、引用させていただきます。3.印旛沼周辺の宗像神社群”千葉県の13社の宗像神社は、すべて旧印旛沼の北岸に沿って丘陵上に分布する。印旛沼は、現在ではいくつかの小さい湖沼に分かれているが、かつては利根川に繋がる長大な河跡湖であった。図6に郷土史家の小倉博氏による分布略図を示した。この図に示すように、この宗像 [続きを読む]
  • 宗像神を祭る神社データ(8)〜栃木県の田心信仰
  • 次は、栃木県です。2.栃木県の田心信仰”栃木県でタゴリを祭る66社はすべて神名を田心と表記し、「古事記」風の表記は全くない。これはこの信仰が、古くかつ強固であることを示唆する。タゴリのみを祭る神社61社のうち社名がもっとも多いのは滝尾(瀧尾)神社(タキオまたはタキノオ)の14社(うち1社は日光滝尾神社)で、うち20社は田心のみを祭り、他神がない。1社はイチキシマを配祠し、3社は他に大己貴(オオナムチ)命と味 [続きを読む]
  • 宗像神を祭る神社の全国分布(7)〜津軽のムナカタ神社
  • さて宗像神信仰は、古代から広く分布していたことが、データからも確認できました。今回は、現代においても顕著に分布している地域をみていきましょう。それを知ることにより、伝播の姿がみえてくるかもしれません。論文で挙げられている地域と信仰は、1.津軽のムナカタ神社2.栃木の田心信仰3.千葉印旛沼周辺の宗像神社群4.中国山地の宗像神です。以下、概要をまとめます。1.津軽のムナカタ神社「平成データ」によると、 [続きを読む]
  • 宗像神を祭る神社の(6)〜古代における宗像神の位置と現在の比較
  • 前回、現在の神社を、信仰されている系統別に整理しました。1位が八幡信仰、2位が伊勢信仰、3位が天神信仰でした。そして多くの神社において、さまざまな神様が習合されていることも、お話しました。では、古代においては、どのような神様が信仰されていたのでしょうか。今回はそれをみていきます。表7は、延喜式神名帳から、社名が同一であるか、同一と判断される社の数を集計したものです。1位が鴨、2位が兵主、3位が [続きを読む]
  • 宗像神を祭る神社データは語る(5)〜現代で最も多い神社の神様は?
  • ここまで宗像神をみてきましたが、ここで一度、全国の神社に目を向けましょう。ここで皆さんに質問です。「日本全体で、最も信仰されている神様は何でしょうか?」すぐに思いつくのは、天照大神でしょうか。あるいは天神さまやお稲荷さん?実は信仰されている神様で最も多いのは、神社の系統でいうと八幡信仰で7817社もあります。次が、伊勢信仰の神社で、4425社です。三位が、天神信仰で、3953社、以下、稲荷信仰、熊野信仰と続き [続きを読む]
  • 宗像神を祭る神社のデータは語る(4)〜弁天信仰との関係
  • 日本各地に、「弁天さま」と呼ばれるものがあります。安芸の厳島も、日本三大弁天(弁財天)として、知られてます。ちなみに日本三大弁天とは、厳島神社のほか、宝厳寺・竹生島神社(滋賀県 竹生島)と江島神社 (神奈川県 江の島)です。<江島神社> (Wikiediaより)”弁財天とは、もとはインドの川の神サラスヴァティーである。それが仏教に取り込まれ、中国経由で日本に入ってきたのは奈良時代とされる。平安時代に日本の女神 [続きを読む]
  • 宗像神を祭る神社のデータは語る(3)〜厳島神社との関係とは?
  • 前回までで、宗像神信仰は、イチキシマ・タゴリ・タギツの三女神の信仰が分かれており、イチキシマ信仰は突出して多いこと、三女神セットの信仰は西日本に偏っているというデータを紹介しました。これらのデータから、もともとはイチキシマ・タゴリ・タギツ信仰があり、後代になり宗像三女神に変わっていったのではないか、という仮説が立てられるという話をしました。さて今回は、三女神のなかでも突出して多いイチキシマ信仰につ [続きを読む]
  • 宗像神を祭る神社データは語る(2)〜三女神の分布の違い
  • さて全国の宗像神を祭る神社は3532社ありますが、そのすべてが元来の宗像神であったわけではない、といいます。地名にもある八王子を祭る八王子信仰社は、のちに宗像神にすり替えられたと考えられます。ここからは、八王子信仰社607社を除いた2925社について解析してます。”宗像神が最も多く祭られているのは、広島県の240社で、以下山口・愛媛・三重・福岡の順となる。福岡県を信仰の出発点と仮定すると、宗像信仰は周防灘から瀬 [続きを読む]
  • 宗像神を祭る神社データが語ること(1)〜宗像三女神とは?
  • さて前回まで、纏向遺跡は邪馬台国なのか?、というテーマでお話してきました。結論は、纏向遺跡は邪馬台国の要件を満たしておらず、むしろ九州北部の福岡平野にあったとされる奴国(通説)が、ほぼ条件を満たしているという話でした。当時倭国の中枢は九州北部の邪馬台国にあったわけです。それが時代を経て、畿内に中枢が移っていった、ということになります。このブログのテーマでもある、「西→東」への移動の一つです。こうし [続きを読む]
  • 纏向遺跡は邪馬台国か(18)〜まとめ、纏向遺跡と神話の関係とは?
  • さてここまで17回にわたり、纏向遺跡についてみてきました。ここでまとめをします。■纏向遺跡は3世紀始め頃に出現し、3世紀半ばには消滅するという、わずか100年余の期間に存続した遺跡である。■周辺の弥生時代遺跡と同様の特徴をもつことなどから、異文化の人々がやってきて征服して造られたものではない。■造った人々は、周辺に住んでいた人々だったと推定される。ただし、吉備や九州北部の影響を受けており、出自として [続きを読む]
  • 新著の紹介〜シリーズ第4弾の出版です!
  • いつもブログを読んでいただき、ありがとうございます。8月27日に、シリーズ第4弾「図とデータで解き明かす日本古代史の謎4 イネ・土器・銅鐸の東伝が語る真実」を出版いたしました。これまで、日本人がいつどこからやってきて倭国を形成し、やがて日本国となるまでを、神話、史書、考古学、その他科学的データを用いて、一つの壮大なストーリーとして描いてきました。今回はそれをさらに究明しました。テーマとして、イネ・ [続きを読む]