青松光晴 さん プロフィール

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青松光晴さん: 日本古代史つれづれブログ
ハンドル名青松光晴 さん
ブログタイトル日本古代史つれづれブログ
ブログURLhttp://aomatsu123.blog.fc2.com/
サイト紹介文邪馬台国を中心とした日本古代史の謎を、神話・史書・遺跡・各地伝承などから、解き明かします。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供60回 / 365日(平均1.2回/週) - 参加 2015/02/22 10:20

青松光晴 さんのブログ記事

  • 古墳は語る(2) 〜 古代墳墓を分類整理すると・・・
  • 前回、縄文時代から、弥生時代、古墳時代までの、お墓について概略お話ししました。さまざまな名前が出てきて、頭の中がこんがらがりそうですね。ここで整理します。気付いた方もおられると思いますが、それぞれのお墓は全く別のものということではなく、分類の切り口が異なるだけです。たとえば、墳丘の有る無しとか、棺の有る無しとか、です。もう少しわかりやすい整理がないものかと調べてみましたが、体系的にわかりやすく整理 [続きを読む]
  • 古墳は語る(1)〜まずは古代墳墓の基礎知識から
  • ここまで、銅鐸、土器、という古代人の遺した文明の利器をみてきました。全国的な分布などを見ると、細かい点は置いておいて、大きな流れとして「西→東」という動きは確認できたと思います。次に、古墳をみてみます。何と言っても古代というと、あの大仙陵古墳などの、巨大な前方後円墳を思い出します。そしてそれが畿内に多くあることから、4世紀頃には大和朝廷が全国支配したという論拠になっているわけです。また邪馬台国畿内 [続きを読む]
  • 土器が語ること(11) 〜 中国遼河文明と縄文土器との関係
  • 土器について様々な視点からみてきましたが、今回が最終回です。中国の古代文明というと黄河文明、長江文明などが思い浮かびますが、その文明に影響を及ぼしたと考えられる文明があります。「遼河文明」です。”中国東北の遼河流域で起こった中国の古代文明の一つ。紀元前6200年ごろから存在したと考えられている。1908年に考古学者の鳥居龍蔵が遼河文明の一つである紅山文化を発見したことから始まる。大規模な竪穴式住居が出土し [続きを読む]
  • 土器は語る(10) 〜 「遠賀川式土器」と神武天皇
  • 今回は、話題を「神話」に絡めてお話しいたします。弥生式土器の代表的なものとして、「遠賀川式土器」の話をしました。「遠賀川式土器」とは、弥生時代初期に、福岡県の遠賀川流域付近で作られ始め、やがて西日本に伝わり、さらには東北地方へも、製作技術が伝播しました。伝播ルートとしては、陸地は当然として、海上ルートによるものもあったことが推定されています。<遠賀川式土器の伝播> (秦野市HP「平成20年度桜土 [続きを読む]
  • 土器は語る(9) 〜 庄内式土器は畿内が最古か?
  • 一通り、土器についてみてきました。ここから、いくつか突っ込んだ検証をしていきます。まず、「土器編年」についてです。あらためて、「土器編年表」をみてみましょう(柳田康雄氏による)。 「土器編年」とは、簡単に言えば、”土器が出土した地層や、土器の持つ特徴(文様や形)を基にして、土器の古さを時代順に並べていく”やり方です。日本の土器は、長らくこの方法により、その古さが定められてきました。その精緻さは、世 [続きを読む]
  • 土器が語ること(8) 〜 亀ヶ岡式土器が及ぼした影響
  • 前回、突帯文土器の分布範囲が、福井から愛知県にかけてという話をしました。そしてその範囲の東は、亀ヶ岡式土器の分布エリアでした。今回は、その亀ヶ岡式土器について、みていきます。亀ヶ岡式土器とは、前にも触れましたが、”亀ヶ岡式土器(かめがおかしきどき)は、亀ヶ岡遺跡(青森県つがる市)の土器を基準とする東北地方の縄文時代晩期の土器の総称。亀ヶ岡式文化(かめがおかしきぶんか)は、今から約3000年ほど前に始ま [続きを読む]
  • 土器が語ること(6) 〜 突帯文土器と遠賀川式土器
  • 前回までで、土器の型式、実年代、どこから伝わったのか、などについて、概略をまとめました。今回から、そうした基礎知識を基にして、いくつかの興味深いテーマについて、掘り下げていきます。今回は、突帯文(とつたいもん)土器・遠賀川(おんががわ)式土器についてです。突帯文土器については、すでにお話ししましたが、おさらいをしますと、。”直口縁をもつ煮沸用土器の口縁部や胴部に突帯を貼り付けて めぐらせる文様を主 [続きを読む]
  • 土器が語ること(5) 〜弥生土器はどこから伝わったか?
  • 前回、縄文晩期から弥生時代、古墳時代までの土器の実年代について、お話しました。さらに、特に弥生時代の開始時期について、”水田稲作が開始された紀元前10世紀頃”として、土器もそれに合わせた較正年代も紹介しました。ところで、その弥生時代から作られ始めた「弥生土器」は、どこから伝わってきたのでしょうか?弥生土器の最大の特徴を、”「覆焼き」で作られた土器”とすれば、それと同じあるいはそれの進化形の「窯焼き [続きを読む]
  • 土器が語ること(4) 〜 土器の実年代
  • ここまで、縄文土器から始まり、弥生土器、そして古墳時代の須恵器までみてきました。これらを、時代の流れとともに表にまとめたものが「土器編年表」です。「土器編年」とは、わかりやすく言うと、土器が出土した地層、土器の紋様、器形などにより、土器を細かく分類して、古いものから新しいものまで並べたもの、です。土器を時代順に並べただけですから、簡単なように見えますが、実はここに、大きな落とし穴が潜んでいます。た [続きを読む]
  • 土器が語ること(3) 〜 縄文土器から弥生土器、土師器、須恵器への変遷
  • 前回、縄文土器と弥生土器の決定的な違いが、製作方法であることをお話ししました。具体的には、縄文土器が、地面上、掘った穴から、直接焼く「野焼き」であるのに対し、縄文土器は、草や土で覆って焼く「覆い焼き」であるということです。さて、縄文土器から弥生土器は、そのように変遷を遂げていくわけですが、もう少し詳しく見ていきましょう。縄文末期の土器として、「突帯文(とつたいもん)土器」があります。”直口縁をもつ [続きを読む]
  • 土器が語ること(2) 〜 縄文土器と弥生土器は何が違う?
  • 前回、一口に縄文土器、弥生土器と言っても、外見だけからは、その違いは一般人にはよくわからない、という話をしました。では、縄文土器と弥生土器は、具体的にどのように違うのでしょうか?。ここで整理します。■形縄文土器は、口が広くて底が深い形(深鉢形(ふかばちがた))が多いといわれますが、壺型や注口型(上写真)、浅鉢、香炉形、高杯、、皿形など様々な形があります。弥生土器は、壷・甕(かめ)・鉢、皿を台の上に [続きを読む]
  • 土器が語ること (1) 〜 縄文土器の素晴らしさ
  • 前回まで、銅鐸の分布などから、古代日本列島における権力移動をみてきました。そこからわかることは、明らかに、”「西→東」への移動があった”、ということです。そしてその結果は、史書や遺跡、科学的データとも一致しています。では次に、土器についてみていきましょう。土器の発明は、私たちの祖先の生活に画期的な変化をもたらしました。それまでの大型動物などを捕獲して食糧とするスタイルから、植物採集による食糧自給が [続きを読む]
  • 銅鐸にみる「西→東」への権力移動 (10) 〜 銅鐸を使用していたのは誰か?
  • 前回までで、”銅鐸は、異文化をもった人々の侵入者によって破壊され、消滅した。”というところまでお話ししました。今回は、いよいよ銅鐸最大の謎に迫ります。それは、「銅鐸を使用していたのはだれか?」そして「異文化をもった侵入者とはだれか?」です。従来の説では、”銅鐸は稲魂信仰祭祀の象徴であり、初期大和政権の首長が、地方の豪族に対して同盟の証として与えた。首長の権威が高まるにつれ、首長霊信仰に代わり、三角 [続きを読む]
  • 銅鐸にみる「西→東」への権力移動 (8) 〜 銅鐸「埋納」の謎
  • では、あらためて「埋納」について、考えてみましょう。まず、状況の整理です。”埋納状況については村を外れた丘陵の麓、あるいは頂上の少し下からの出土が大部分であり、深さ数十センチメートルの比較的浅い穴を掘って横たえたものが多い(逆さまに埋められたものも二例ある)。頂上からの出土がないことは銅鐸の用途や信仰的位置を考える上で重要と考えられる。土器や石器と違い、住居跡からの出土はほとんどなく、また銅剣や銅 [続きを読む]
  • 銅鐸にみる「西→東」への移動 (6) 〜 九州出土銅鐸が与えたインパクト
  • ここまで、銅鐸の概略についてみてきました。”銅鐸は中国起源で、直接あるいは朝鮮半島経由で、紀元前4世紀頃、日本列島に伝わり、独自に発達しました。伝播ルートとしては、山陰地方(島根)、北陸地方(福井)、瀬戸内海(淡路島)などから畿内に伝わり、東海地方へと、広がっていった”との仮説を立ててます。ところで、今まで九州のことには触れてきませんでしたが、九州との関係については、どうなのでしょうか?。ひと昔前 [続きを読む]
  • 銅鐸にみる「西→東」への権力移動 (4) 〜 銅鐸分布からわかること②
  • 前回の続きです。5.突線鈕式(とっせんちゅうしき)銅鐸の密度分布(下図11〜15)”全体の分布域は、前段階からわずかに東へ移行する程度でほとんど変わらないが、密度分布に大きな変動がある。すなわち、畿内地域と、これまで明確な集中を見せなかった三河・遠江地域において、密度分布の高まりを形成する(図11)。(1)突線鈕式(1・2式)畿内地域から近江地域を中心に密度分布の高まりが形成される(図12)。これは [続きを読む]
  • 銅鐸にみる「西→東」への権力移動 (3) 〜 銅鐸の分布からわかること
  • 前回は、銅鐸の形式についてお話ししました。今回は、それらの銅鐸が、日本全土でどのように分布しているのかをみていきます。銅鐸の分布というと、昔歴史の授業で習った、「銅鐸圏」、「銅矛圏」の話を思い出します。銅鐸、銅矛の分布には地域的に大きな偏りがあり、畿内を中心とする「銅鐸圏」と、九州北部を中心とする「銅矛圏」に分けられる、というものです。その後、「銅矛圏」内とされてきた島根県の荒神谷遺跡と加茂岩倉遺 [続きを読む]
  • 銅鐸にみる「西→東」への権力移動 (2) 〜 銅鐸を分類すると・・・
  • 銅鐸と言っても、大きいものから小さいものまで、また「聞く銅鐸」や「見る銅鐸」など、さまざまな種類があります。今回は、銅鐸の型式とそれが時代とともにどのように変遷したかについて、みていきましょう。以下、「弥生銅鐸のGIS解析ー密度分布と埋納地からの可視領域ー」(吉田広、増田浩太、山口欧志)および「銅鐸分布考」(WEB版)を参照します。区分の手法としては、銅鐸の釣り手である半環状部(鈕、ちゅう)が、釣り [続きを読む]
  • 銅鐸にみる「西→東」への権力移動 (1) 〜 そもそも銅鐸とは?
  • このブログでは、古事記や日本書紀など神話の世界は、単に昔の人が勝手に作った話ではなく、何らかの史実を象徴的に描いたものである、という話をしてきました。そして、中国史書や朝鮮史書なども併せて読み解けば、日本の国の成り立ちの全体像が見えてくる、ともお話ししました。その全体のストーリーとは、”もともと日本列島には、縄文人が住んでいた。弥生時代に、中国動乱に伴い、中国・朝鮮半島から、多くの人々が日本列島に [続きを読む]
  • 銅鐸にみる「西→東」への権力移動 (7) 〜 従来説では説明できない「埋納」「破壊」「消滅」の謎
  • ここまで、銅鐸を出土地分布からみてきました。ここから、いよいよ銅鐸の謎に迫ります。銅鐸に関しては、埋納の謎、破壊の謎、消滅の謎など、多くのことがわかっていません。それをみていきましょう。銅鐸は、紀元前4世紀頃、中国、朝鮮半島日本にもたらされ、次第に大型化しますが、3世紀頃、突然と姿を消します。ではなぜ、あれだけ発展し、芸術的に見ても美しいものが、突然無くなったのでしょうか?。銅鐸の埋納、消滅につい [続きを読む]