大阪東教会礼拝説教ブログ さん プロフィール

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大阪東教会礼拝説教ブログさん: 大阪東教会礼拝説教ブログ
ハンドル名大阪東教会礼拝説教ブログ さん
ブログタイトル大阪東教会礼拝説教ブログ
ブログURLhttp://blog.goo.ne.jp/higashi312
サイト紹介文〜日本基督教団大阪東教会の説教を掲載しています〜
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供47回 / 365日(平均0.9回/週) - 参加 2015/03/17 12:55

大阪東教会礼拝説教ブログ さんのブログ記事

  • ローマの信徒への手紙12章1〜8節
  • 2017年11月19日 大阪東教会主日礼拝説教 「主にあるひとつの体」吉浦玲子<聖なるいけにえ> これまでパウロは信仰によって義とされるという信仰義認について、そしてまた救いに関する神の大いなるご計画について語って来ました。11章までがパウロによる信仰の理論的な説明であったと言えます。それに対して12章からは、神に救われた人間の新しい生き方について書かれています。実践編ともいえます。聖書の信仰はただ頭 [続きを読む]
  • ヨハネによる福音書 17章1〜5節
  • 2017年11月12日 大阪東教会主日礼拝説教(逝去者記念礼拝)             「永遠の命を生きる」 吉浦玲子<時が来ました> 「父よ、時が来ました。」 と、主イエスは祈り始められました。決定的な<時>が来たのです。これは神が定めたれた<時>です。人間の都合によって、どうにかできるような<時>ではありません。神の御子である主イエスであっても、ご自分の<時>をご自分で定められたわけではなく、父なる [続きを読む]
  • ローマの信徒への手紙 11章25〜36節
  • 2017年11月5日 主日礼拝説教 「すべては神から」 説教 吉浦玲子 私たちは祈りがきかれないとき、願いが叶わない時、それが神のご計画なのだ、あるいはまだそれが成就するにふさわしい神の時ではないのだと考えます。そう考えることはけっして間違いではないと思います。ただ、私たちが祈りをあきらめるための方便になっていないかということには注意をしないといけません。どうせ神様は祈ってもこのことは叶えてくださらない [続きを読む]
  • ローマの信徒への手紙 11章11〜24節
  • 2017年10月29日 大阪東教会主日礼拝説教 「万人をすくわれる神」 吉浦玲子<接ぎ木された私たち> 今日の聖書箇所でパウロは異邦人のキリスト者に対して、思いきった言葉を語っています。あなたたちは、もともと聖なる根をもっていなかった野生のオリーブである、その野生のオリーブであるあなたがたは、聖なる根を持ったオリーブが折り取られた後に、接ぎ木をされたのだと言っています。折り取られたオリーブの枝ははイスラエ [続きを読む]
  • ローマの信徒への手紙 11章1〜10節
  • 2017年10月22日 主日礼拝説教 「恵みによる選び」 吉浦玲子<残りの者> 今日お読みいただいた新約聖書箇所の標題は「イスラエルの残りの者」となっています。「残りの者」という言葉はローマ書9章27節でもイザヤ書からの引用として語られています。本来、神から選ばれていた特別な民が神から退けられ、もともとは選ばれていなかった残りの者が選ばれるということです。それはこのローマの信徒への手紙でいえば、異邦人であ [続きを読む]
  • ローマの信徒への手紙 10章14〜21節
  • 2017年10月15日 主日礼拝説教 「手を差し伸べられる神」 吉浦玲子<私たちは聞かされてきた> 数年前、あるお子さんとお母さんが教会の前をたまたま通られました。当時そのお子さんが通っていた幼稚園がキリスト教系の幼稚園で、お子さんが、通りすがりに教会の建物を見て「あ、ここはチャペルだ!中を見てみたい」と叫びました。そして親子で教会の中に入って来られました。そのことがきっかけで、そのご家族は今、教会学校に [続きを読む]
  • ローマの信徒への手紙 10章5〜13節
  • 2017年10月8日 主日礼拝説教「御言葉はあなたの近くに」 吉浦玲子<手足をバタバタさせて願う> 洗礼を受けた頃、牧師に「お祈りはどういう風にしたらよいのですか?」とお聞きしたことがあります。すると、「子供がデパートの床に転がって、あれ買ってー!!と手足をばたばたさせて駄々をこねるように、何でも自由に祈ったら良いんですよ。参考になるのは旧約聖書の中の詩編ですね。詩編には神への感謝から助けを求める祈りか [続きを読む]
  • ローマの信徒への手紙 9章30〜10章4節
  • 2017年10月1日 主日礼拝説教「失望に終わらない」 吉浦玲子<つまずく人> キリストは私たち一人一人の救いのために来られた。私たちはそのことを繰り返し、聞いてきました。救い主キリスト、十字架にかかられたキリスト、その十字架において人間の罪を贖われたキリスト、しかし、今日の聖書箇所ではそのほかならぬキリストご自身が人間にとって<つまずきの石>なのだと記されています。 主イエスご自身がこの地上を歩まれた [続きを読む]
  • ローマの信徒への手紙 9章19〜29節
  • 2017年9月24日主日礼拝説教 「あなたはわたしの民」 吉浦玲子<神への口答え>ローマの信徒への手紙の9章から神の主権ということが語られています。今日お読みいただいた聖書箇所の直前には「神は御自分が憐れみたいと思う者を憐れみ、かたくなにしたいと思う者をかたくなにされる」とあります。神がその主権の内に、ある者を憐れみ、ある者を頑なにされるのなら、神ご自身がかたくなにされた人間をかたくなだからといって神か [続きを読む]
  • ローマの信徒への手紙 9章1〜18節
  • 2017年9月17日 主日礼拝説教「あなたを選ばれる神」 吉浦玲子<パウロの悲しみ> ある女性の修道院のシスター、のちにカトリックで聖人とされた人ですが、その人が神について思い巡らして語りました。「神様は、わたしをとても愛してくださっていて、もう私のこと以外には興味がおありでないみたいです」。とても大胆な言葉だと思います。神様が自分のこと以外に興味がないように感じられるほど、自分が愛されている、顧みられ [続きを読む]
  • ローマの信徒への手紙 8章31〜39節
  • 2017年9月10日 主日礼拝説教 「神から引き離す者はない」吉浦玲子<神はわたしたちの味方である!> 「神はわたしたちの味方である」そうパウロは声高く宣言をしています。「もし神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか」<もし>と、「もし」と仮定したような言葉になっていますが、パウロがここでいっているのは「神はわたしたちの味方であるのだから、だれも私たちに敵対できない」ということ [続きを読む]
  • ローマの信徒への手紙 8章18〜30節
  • 2017年9月3日 主日礼拝 「希望と栄光」 説教 吉浦玲子<被造物の呻き> 今日の聖書箇所の前半では、被造物という言葉が出て来ます。この箇所の被造物を人間と捉える解釈もあるのですが、ここでは聖書でいう一般的な被造物、つまり神に造られたもの全体ということで考えてよいでしょう。もちろん人間も神に造られた被造物のなかに数えられます。しかし、人間以外の動物や自然、さらには宇宙のすべても被造物です。今日の聖書箇 [続きを読む]
  • ローマの信徒への手紙 8章1〜17節
  • 2017年8月27日 主日礼拝説教 「神の相続人」吉浦玲子<霊に従う生き方> 私たちは生きていくうえでさまざまな義務を負います。家族や社会やその他もろもろのものに対して、義務を負い、責任を果たして生きていきます。幼い子供であれば、通常は親や家族が身の回りのことを世話してくれて、生きていくための必要を満たしてくれます。養ってもらえます。だから子供は楽かというとそうでもないようです。全くの赤ん坊でもないかぎ [続きを読む]
  • ローマの信徒への手紙 7章7〜25節
  • 2017年8月20日主日礼拝説教 「わたしの内に住む罪」吉浦玲子<罪に売り渡された人間> 「ジギル博士とハイド氏」という小説があります。ご存知の方も多いかと思います。子供の頃読んだ記憶があるのですが、内容を細かくは記憶していなかったので、ネットなどで調べて思い出してみました。この小説は普段は善良なジギル博士が薬物によってハイド氏という悪の権化のような人物に変化するという内容でした。善良なジギル博士と極悪 [続きを読む]
  • イザヤ書11章1〜10節
  • 2017年8月6日 主日礼拝(平和主日)説教 「平和を実現する人」 吉浦玲子<この世の「平和」> イザヤ書の11章1節に出て来ますエッサイはダビデ王の父親です。クリスマスのころに歌われる讃美歌にもその名前は出て来ます。エッサイの株からひとつの芽が萌えいでて、さらにその根からひとつの若枝が育った、その若枝こそがイエス・キリストなのだとイザヤは語ります。もちろん旧約聖書の時代ですから、「イエス」という名前は直 [続きを読む]
  • ローマの信徒への手紙 7章1〜6節
  • 2017年7月30日 主日礼拝 「かならず実をむすぶ生活」 説教 吉浦玲子<花より実> 永遠の命へ向かう歩みは実が実る生活、聖なる生活の実が実る生活なのだと、6章の終わりでパウロは語りました。そのことを再度、パウロは律法との関係を確認しながら語っているのが今日の聖書箇所です。 ところで、教会の中庭に教会学校のお子さんたちが種をまいた朝顔が育っています。2週間くらい前までは毎日20輪以上、にぎやかに花 [続きを読む]
  • ローマの信徒への手紙 6章15〜23節
  • 2017年7月23日 主日礼拝説教 「本当の自由」 吉浦玲子牧師<永遠の命> 今年の5月3日、阿倍野のカトリックの教会で行われたある超教派の集いで、私は奨励を依頼されました。実は突然の依頼でした。本来は二か月くらい前に依頼があるのが、10日くらい前に依頼が入りました。というのは、5月3日は、本来、カトリックの神父が奨励をなさる予定だったのです。しかし、その神父は、4月16日、復活祭の朝、急性心不全で突然逝去をさ [続きを読む]
  • ローマの信徒への手紙 6章1〜14節
  • 2017年7月16日 主日礼拝説教 「新しい命に生きる」 吉浦玲子牧師<罪に対する屁理屈> ローマの信徒への手紙6章最初で「では、どういうことになるのか。恵みが増すようにと、罪の中にとどまるべきだろうか」とパウロは問いかけます。これは5章の終わりでパウロが語ったことを受けています。つまり、人間はその罪による死から、一人の人イエス・キリストによって、恵みへと、永遠の命へと移されました。死から永遠の命へ [続きを読む]
  • ローマの信徒への手紙 5章12〜21節
  • 2017年7月9日 主日礼拝説教 「新しいアダム」 吉浦玲子牧師 ローマの信徒への手紙の5章を先週から読んでいます。4章まででパウロは罪、律法、信仰というものを説明していました。ユダヤ人と異邦人、どちらも共に神による救いに入れられるのだと語っていました。人間は信仰によって義とされる、行いではなく信仰によって正しい者とされる、そう語っていました。5章からは信仰によって正しい者とされた私たちはどのように [続きを読む]
  • ローマの信徒への手紙 5章1〜11節
  • 2017年7月2日 主日礼拝説教 「神との和解」 吉浦玲子牧師<神との平和> 私の母教会では聖餐式のある礼拝では、礼拝の中で、「平和の挨拶」というのを行っていました。礼拝の中で、お隣とか周囲に座っている人と「主の平和」と言いながら挨拶を交わすのです。「平和の挨拶」は、教会によって、具体的なやり方はいろいろで、握手をしたりお辞儀をしたり実際の挨拶の仕方はさまざまです。実際のところ「平和の挨拶」は慣れ [続きを読む]
  • ローマの信徒への手紙 4章1〜25節
  • 2017年6月25日 主日礼拝説教 「神の約束のたしかさ」 吉浦玲子牧師<信仰の父>創世記の15章で神はアブラハムにおっしゃいます。「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。」そして言われた。「あなたの子孫はこのようになる」アブラハム、このときはまだアブラムという名前でしたが、その信仰は揺らいでいました。彼は75歳で故郷を旅立ち、あなたの子孫を祝福するという神の約束を信じて歩んできま [続きを読む]
  • ローマの信徒への手紙 3章21〜31節
  • 2017年6月18日 主日礼拝説教 「信じることの喜び」 吉浦玲子牧師<ところが今や>「ところが今や」とパウロは切り出しています。 ところが今や、すべてが変わったというのです。キリストの十字架と復活の出来事は世界史的に見れば、イスラエルという辺境の地で、ごく小さな宗教グループのリーダーが30歳そこそこで、権力者の陰謀によって死刑にされたという取るに足らない出来事でした。当時、世界を支配していた大ロ [続きを読む]
  • ローマの信徒への手紙 3章9〜20節
  • 2017年6月11日 主日礼拝説教 「あなたは正しいですか?」 吉浦玲子牧師<正しい者は一人もいない> 今日の聖書箇所の見出しは「正しい者は一人もいない」です。<正しい者は一人もいない>これはずいぶんと厳しい言葉ととられるかもしれません。パウロはこのローマの信徒への手紙のなかで、これまでお読みしたところでは、神から自分たちは特別に選ばれていると考えているユダヤ人であれ、そのユダヤ人から異邦人とさげ [続きを読む]
  • 使徒言行録 2章1〜13節
  • 2017年6月4日 ペンテコステ礼拝 説教「みことばがあなたの近くに」 吉浦玲子牧師<神の出来事としての教会の誕生> 御子イエス・キリストの御降誕を祝うクリスマス、復活を祝うイースターとならび、キリスト教の三大祝祭のひとつであるペンテコステを迎えました。 ペンテコステは聖霊の降臨を祝います。その聖霊の降臨のときの様子が今日お読みした聖書箇所に記されています。聖霊に降臨の10日前、主イエス・キリスト [続きを読む]
  • ローマの信徒への手紙 3章1〜8節
  • 2017年5月28日 主日礼拝説教 「神は真実な方」 吉浦玲子牧師 リュティという神学者は今日読まれましたローマの信徒への手紙3章1節からを「天国への門」であると言ったそうです。今日読まれた箇所は、日本語としては難解なところはなく、なんとなく理解できても、背景がわからないとスッと入って来ない所かと思います。ただ、どうもパウロは厳しいことを言っているらしいと、まず感じます。神の誠実とか人間の不誠実、 [続きを読む]