大阪東教会礼拝説教ブログ さん プロフィール

  •  
大阪東教会礼拝説教ブログさん: 大阪東教会礼拝説教ブログ
ハンドル名大阪東教会礼拝説教ブログ さん
ブログタイトル大阪東教会礼拝説教ブログ
ブログURLhttps://blog.goo.ne.jp/higashi312
サイト紹介文〜日本基督教団大阪東教会の説教を掲載しています〜
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供53回 / 365日(平均1.0回/週) - 参加 2015/03/17 12:55

大阪東教会礼拝説教ブログ さんのブログ記事

  • ヨハネによる福音書1章35〜51節
  • 2018年5月6日 大阪東教会主日礼拝説教 「救い主と出合う」吉浦玲子 <キリストとの出会い> ある女性が洗礼をお受けになってキリスト者となられた、その方が最初に教会に行かれたそのきっかけのお話を聞いたときとても驚きました。その方は、当時、小学生だった娘さんと休みの日に二人で買い物に行って、とても荷物が重くなってしまいました。帰り道、とても疲れてしまったそうです。ふうふう言いながら歩いていたら、娘さんが [続きを読む]
  • ヨハネによる福音書1章19〜34節
  • 2018年4月29日 大阪東教会主日礼拝説教 ヨハネによる福音書1章19〜34節 「神の小羊」吉浦玲子<声であるヨハネ> 洗礼者ヨハネは救い主イエス・キリストの証言者、証し人として活動しました。多くの人々が彼のもとにきました。そしてヨハネから悔い改めの洗礼を受けました。今日の聖書箇所に書かれております<水の洗礼>が悔い改めの洗礼でした。 やがて救い主が来られる、そしてそれは同時に神の裁きの時が来るということで [続きを読む]
  • ヨハネによる福音書 1章14〜18節
  • 2018年4月22日 大阪東教会主日礼拝説教 「神を指し示す」吉浦玲子<宿られた神> 「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた」 言、すなわちイエス・キリストは、肉体をもって、この現実の世界に、生活をなさいました。宿られた、という言葉は、ホテルみたいなところで短期間宿泊して滞在する旅行者であったということではありません。<私たちの間>に、つまり私たちと共に生活をされたということです。天地創造の昔 [続きを読む]
  • ヨハネによる福音書1章6〜13節
  • 2018年4月15日 主日礼拝説教「神の子となる資格」吉浦玲子<呼びかける声> 「神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。」 ヨハネによる福音書に最初に出てくる人名は、イエスでもなく、マリアでもなく、ヨハネです。ちなみにこの福音書は「ヨハネによる福音書」ですが、この福音書に冠されている名前のヨハネとこの6節に出てくるヨハネは関係ありません。「ヨハネの福音書」という時の<ヨハネ>は主イ [続きを読む]
  • ヨハネによる福音書1章1〜5節
  • 2018年4月8日大阪東教会主日礼拝説教 「光あれ」吉浦玲子<言とは> 私たちの世界に、そしてわたしたちの人生に、光がたしかに来ました、ヨハネによる福音書はそう伝えます。すでに光は来たのです。この地上の物理的な光に太陽という源があるように、私たちの世界に、そして私たちの人生に来た光にも源があります。その光はイエス・キリストという源です。その光の源なる神、神であるキリストをヨハネによる福音書は語って [続きを読む]
  • マルコによる福音書16章1〜8節
  • 2018年4月1日 大阪東教会主日礼拝説教 「復活」吉浦玲子<劇的ではない復活の記事> キリストは復活されました。死から命へと新しい時代を開かれました。人間をつないでいた死から人間は解放されました。キリストが死に勝利をされたからです。 ところで、キリストの降誕を祝うクリスマス、復活を祝う復活祭、そして聖霊の降臨を祝うペンテコステが教会の三大祝祭です。この中でも最大のものが復活祭です。何となくクリス [続きを読む]
  • マルコによる福音書14章32〜42節
  • 2018年3月25日大阪東教会主日礼拝説教 「飲むべき杯」吉浦玲子<罪は信仰によらねば分からない> 人間の罪ということを思います時、それは信仰によらなければけっして理解をすることはできないものです。もちろん人間は、犯罪を犯すことはいけないことだと分かっています。さらに、法律を犯すような犯罪ではなくても、人を傷つけたり、迷惑をかけたり、ずるいことをしたりすることは良くないことだと分かっています。そし [続きを読む]
  • マルコによる福音書10章35〜45節
  • 2018年3月18日 大阪東教会主日礼拝説教「身代金となられる主イエス」吉浦玲子<切実な願い> 私たちにはいろいろな願いがあります。それは健康を与えられたいとか、人間関係を修復したいといった人間としてごく自然な願いもあれば、ちょっと人には言えないようなひそかな願いもあります。自分では意識していないけれど、無意識に願っていることもあります。 ヤコブとヨセフ、これは先週お話ししましたイエス様のお姿が変 [続きを読む]
  • マルコによる福音書9章2~10節
  • 2018年3月11日 大阪東教会主日礼拝説教 「死を越えられる方」 吉浦玲子<私たちに示される十字架への道> 今日の聖書箇所は、マルコによる福音書8章のイエス様の死と復活の予告の場面に続くものです。さらにその予告の前にはイエス様が、ご自身がメシア、救い主であることをペトロに語られています。マルコによる福音書は、このあたりから、主イエスのご受難の道のりの記述へと進みはじめます。その受難物語の入り口部分で記 [続きを読む]
  • ローマの信徒への手紙16章1〜27節
  • 2018年3月4日 大阪東教会主日礼拝説教 「主にある家族として」 吉浦玲子<名前を呼ぶこと> 今日は月初めで、礼拝ののちの報告−正確には報告までが礼拝になりますが−その報告の中で、今月、受洗と誕生の記念日を迎えられた方の名前を読み上げさせていただきます。また昨年の11月に行われた逝去者記念礼拝でも、逝去者のお名前が長老から読み上げられました。皆さまにとって、なつかしいお名前もあれば、まったく存じ上げられ [続きを読む]
  • ローマの信徒への手紙15章22〜33節
  • 2018年2月25日 大阪東教会主日礼拝説教 「信仰者は旅をする」吉浦玲子<現実と希望> パウロはローマ訪問の希望を今日の聖書箇所で語っています。パウロの宣教のあり方は、先週お読みした箇所にあるように「他人の築いた土台の上に建てたりしない」ものでした。つまり、自分で土台から建てていくことがパウロの宣教の使命だとっています。コリントの信徒への手紙で、「私は植え、アポロが水を注いだ」とあります。最初にコリン [続きを読む]
  • ローマの信徒への手紙15章14〜21節
  •  2018年2月18日 大阪東教会主日礼拝説教 「わたしたちの使命」吉浦玲子<おわりにさしかかった手紙> 今日の聖書箇所は、新共同訳聖書には「パウロの使命」と表題がついています。「使命」という言葉は良く聞く言葉です。<与えられた役目>とか<使者としての役割>などの意味です。役目・役割と言ってもそれは重要な内容であるニュアンスがあります。そしてまたそれは外から与えられるニュアンスがあります。自分勝手にこれ [続きを読む]
  • ローマの信徒への手紙15章1〜13節
  • 2018年2月11日 大阪東教会主日礼拝説教 「共に喜ぶ」吉浦玲子<同じ思い、同じ心は可能か> 今日の聖書箇所6節でパウロは「忍耐と慰めの源である神が、あなたがたに、キリスト・イエスに倣って互いに同じ思いを抱かせ、心を合わせ声をそろえて、わたしたちの主イエス・キリストの神であり、父である方をたたえさせてくださいますように。」と語っています。<互いに同じ思いを抱かせ、心を合わせ声をそろえて>神の前にある共同 [続きを読む]
  • ローマの信徒への手紙14章13〜23節
  • 2018年2月4日 大阪東教会主日礼拝説教 「確信に基づく」吉浦玲子(当日、長老による代読)<不自由な人への愛の配慮> 何回かお話ししたことですが、クリスチャン以外の方から、時々「クリスチャンって偉いですねー」と言われることがあります。まだ会社に勤めていた頃、贅沢だったのですが、どうしても奉仕の関係で教会に行くのにタクシーで行かなくてはならなくなって、行ったことがあります。もちろん普段は電車で行っていた [続きを読む]
  • ローマの信徒への手紙14章1〜12節
  • 2018年1月28日 主日礼拝説教 「主のために生きる」吉浦玲子<なんでもありではない> 社会において「多様性」という言葉が良く使われます。性別や国籍やバックグランドやさまざまな思想信条の異なる多様な人を受け入れていくことが必要だと言われます。会社員時代も「多様性」という言葉は良く使われました。さまざまな違う立場の人を受けいれ、共に力を合わせていく時、企業も成長していくということが建前としては語ら [続きを読む]
  • ローマの信徒への手紙13章11〜14節
  • 2018年1月21日 大阪東教会主日礼拝説教 「キリストを身にまとう」吉浦玲子<救いは近い> ついこの間、アドベントだとかクリスマスだとか言っていたような気がします。しかし、もう一月も後半となりました。暦では昨日が大寒、最も寒い季節を迎えています。しかし、もう少したてば春の気配がしてくるでしょう。さらに、やがて気配だけでなく本当の春がやってきます。日本は季節の移り変わりがはっきりしている、四季が明 [続きを読む]
  • ローマの信徒への手紙13章1〜10節
  • 大阪東教会 2018年1月14日 主日礼拝説教 「愛の義務」 吉浦玲子<権力とキリスト者> 私たちの本国は天にあります。私たちの本籍は御国にあります、そう私たちキリスト者は信じているのです。キリストを信じて歩むとき、この地上では寄留者、旅人となります。私たちの心の半分はすでにキリストが父なる神の右に座しておられる天と結ばれており、私たちは、この地上を歩むときどこかよそ者のような気持ちになります。  [続きを読む]
  • ルカによる福音書3章21〜22節
  • 2018年1月7日 主日礼拝説教 「あなたはわたしの愛する子」吉浦玲子<ヨハネの洗礼> 昨日1/6は、公に現れる日と書いて、公現日でありました。教派によっては顕現日という言い方もします。英語でエピファニーといいます。ローマ・カトリックやプロテスタントと言った西方教会では、異邦人へ救い主が現れた日として、占星術の博士たちの来訪の日をエピファニーとして祝っています。それに対してロシア正教会と言った東方教会では [続きを読む]
  • 出エジプト記20章1〜17節
  • 2017年12月31日 主日礼拝説教 「あなたの神」吉浦玲子 今日、お読みいただきました出エジプトの20章には、「十戒」が記されています。十戒は<主の祈り>、<使徒信条>と合わせて、三要文と言われます。教会が長く大事にしてきた重要な三つの文書ということです。数年前、何回か礼拝説教の奉仕に伺っていたある教会では、この<十戒>を毎週礼拝の中で唱えていました。今日の教会で、<十戒>を礼拝の中で唱える教会は [続きを読む]
  • ルカによる福音書2章8〜20節
  • 2017年12月24日 大阪東教会主日礼拝説教 「メシアの誕生」吉浦玲子<日本とクリスマス> 数年前のイブ礼拝のおり、俳句で初めてクリスマスという言葉を使ったのは正岡子規であることをお話ししたことがありました。クリスマスという言葉が初めて俳句に登場したのは、明治28年、1895年であると言われます。その翌年、明治29年の俳句に「八人の子どもかしましクリスマス」というものが残っています。1882年の大阪東教会の [続きを読む]
  • ルカによる福音書 2章1〜7節
  • 2017年12月17日 大阪東教会主日礼拝説教「神が備えられた道」 吉浦玲子<暗い道> 博多での大学生時代、いろいろアルバイトをしましたが、そのなかに家庭教師のアルバイトもありました。ある時期、九州電力の社宅に住んでおられた家庭の中学生の女の子に勉強を教えに行っていました。女の子が高校受験を控えた時期でした。通っていた九州電力の社宅は、当時住んでいたアパートから博多湾沿いの道を30分ほど自転車で行っ [続きを読む]
  • ルカによる福音書1章26〜38節
  • 2017年12月10日 大阪東教会主日礼拝説教 「受胎告知」 吉浦玲子<喜びなさい>  「おめでとう、恵まれた方」 少女は突然やってきた天使ガブリエルに言われました。「おめでとう、恵まれた方」。なにがおめでたいのか、何が恵みなのか?突然そう言われても、少女には皆目分からなかったことでしょう。ここで「おめでとう」と訳されている言葉は「喜ぶ」という意味のある言葉です。そして命令形になっています。「恵まれた方」 [続きを読む]
  • マタイによる福音書1章18〜25節
  • 2017年12月3日 主日礼拝説教 「共におられる神」 吉浦玲子<神に共にいてほしいですか?> 神が共におられる、共にいてくださる神、その言葉を聞く時、私たちはまず、安らぎを感じるのではないでしょうか?神が一緒にいてくださる、それほど心強いことはありません。何があっても大丈夫だと感じます。 しかし、一方で、私たちの日々を、よくよく考えます時、いつもいつも神が共におられるとしたら、少し面倒な気分にもならな [続きを読む]
  • ローマの信徒への手紙12章9〜21節
  • 2017年11月26日 大阪東教会主日礼拝説教 「燃える炭火を積む」 吉浦玲子<偽りのない愛は無理> 「愛には偽りがあってはなりません。」とても美しい言葉です。しかし、この言葉を聞くと不思議な気もします。「愛には偽りがあってはなりません」というけれど、逆に偽りのある愛というのがあるのでしょうか?「愛に偽りがあってはなりません」とは「愛に偽善があってはならない」ともいえる言葉です。そもそも、偽善、取り繕った [続きを読む]
  • ローマの信徒への手紙12章1〜8節
  • 2017年11月19日 大阪東教会主日礼拝説教 「主にあるひとつの体」吉浦玲子<聖なるいけにえ> これまでパウロは信仰によって義とされるという信仰義認について、そしてまた救いに関する神の大いなるご計画について語って来ました。11章までがパウロによる信仰の理論的な説明であったと言えます。それに対して12章からは、神に救われた人間の新しい生き方について書かれています。実践編ともいえます。聖書の信仰はただ頭 [続きを読む]