大阪東教会礼拝説教ブログ さん プロフィール

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大阪東教会礼拝説教ブログさん: 大阪東教会礼拝説教ブログ
ハンドル名大阪東教会礼拝説教ブログ さん
ブログタイトル大阪東教会礼拝説教ブログ
ブログURLhttp://blog.goo.ne.jp/higashi312
サイト紹介文〜日本基督教団大阪東教会の説教を掲載しています〜
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供49回 / 365日(平均0.9回/週) - 参加 2015/03/17 12:55

大阪東教会礼拝説教ブログ さんのブログ記事

  • ローマの信徒への手紙14章1〜12節
  • 2018年1月28日 主日礼拝説教 「主のために生きる」吉浦玲子<なんでもありではない> 社会において「多様性」という言葉が良く使われます。性別や国籍やバックグランドやさまざまな思想信条の異なる多様な人を受け入れていくことが必要だと言われます。会社員時代も「多様性」という言葉は良く使われました。さまざまな違う立場の人を受けいれ、共に力を合わせていく時、企業も成長していくということが建前としては語ら [続きを読む]
  • ローマの信徒への手紙13章11〜14節
  • 2018年1月21日 大阪東教会主日礼拝説教 「キリストを身にまとう」吉浦玲子<救いは近い> ついこの間、アドベントだとかクリスマスだとか言っていたような気がします。しかし、もう一月も後半となりました。暦では昨日が大寒、最も寒い季節を迎えています。しかし、もう少したてば春の気配がしてくるでしょう。さらに、やがて気配だけでなく本当の春がやってきます。日本は季節の移り変わりがはっきりしている、四季が明 [続きを読む]
  • ローマの信徒への手紙13章1〜10節
  • 大阪東教会 2018年1月14日 主日礼拝説教 「愛の義務」 吉浦玲子<権力とキリスト者> 私たちの本国は天にあります。私たちの本籍は御国にあります、そう私たちキリスト者は信じているのです。キリストを信じて歩むとき、この地上では寄留者、旅人となります。私たちの心の半分はすでにキリストが父なる神の右に座しておられる天と結ばれており、私たちは、この地上を歩むときどこかよそ者のような気持ちになります。  [続きを読む]
  • ルカによる福音書3章21〜22節
  • 2018年1月7日 主日礼拝説教 「あなたはわたしの愛する子」吉浦玲子<ヨハネの洗礼> 昨日1/6は、公に現れる日と書いて、公現日でありました。教派によっては顕現日という言い方もします。英語でエピファニーといいます。ローマ・カトリックやプロテスタントと言った西方教会では、異邦人へ救い主が現れた日として、占星術の博士たちの来訪の日をエピファニーとして祝っています。それに対してロシア正教会と言った東方教会では [続きを読む]
  • 出エジプト記20章1〜17節
  • 2017年12月31日 主日礼拝説教 「あなたの神」吉浦玲子 今日、お読みいただきました出エジプトの20章には、「十戒」が記されています。十戒は<主の祈り>、<使徒信条>と合わせて、三要文と言われます。教会が長く大事にしてきた重要な三つの文書ということです。数年前、何回か礼拝説教の奉仕に伺っていたある教会では、この<十戒>を毎週礼拝の中で唱えていました。今日の教会で、<十戒>を礼拝の中で唱える教会は [続きを読む]
  • ルカによる福音書2章8〜20節
  • 2017年12月24日 大阪東教会主日礼拝説教 「メシアの誕生」吉浦玲子<日本とクリスマス> 数年前のイブ礼拝のおり、俳句で初めてクリスマスという言葉を使ったのは正岡子規であることをお話ししたことがありました。クリスマスという言葉が初めて俳句に登場したのは、明治28年、1895年であると言われます。その翌年、明治29年の俳句に「八人の子どもかしましクリスマス」というものが残っています。1882年の大阪東教会の [続きを読む]
  • ルカによる福音書 2章1〜7節
  • 2017年12月17日 大阪東教会主日礼拝説教「神が備えられた道」 吉浦玲子<暗い道> 博多での大学生時代、いろいろアルバイトをしましたが、そのなかに家庭教師のアルバイトもありました。ある時期、九州電力の社宅に住んでおられた家庭の中学生の女の子に勉強を教えに行っていました。女の子が高校受験を控えた時期でした。通っていた九州電力の社宅は、当時住んでいたアパートから博多湾沿いの道を30分ほど自転車で行っ [続きを読む]
  • ルカによる福音書1章26〜38節
  • 2017年12月10日 大阪東教会主日礼拝説教 「受胎告知」 吉浦玲子<喜びなさい>  「おめでとう、恵まれた方」 少女は突然やってきた天使ガブリエルに言われました。「おめでとう、恵まれた方」。なにがおめでたいのか、何が恵みなのか?突然そう言われても、少女には皆目分からなかったことでしょう。ここで「おめでとう」と訳されている言葉は「喜ぶ」という意味のある言葉です。そして命令形になっています。「恵まれた方」 [続きを読む]
  • マタイによる福音書1章18〜25節
  • 2017年12月3日 主日礼拝説教 「共におられる神」 吉浦玲子<神に共にいてほしいですか?> 神が共におられる、共にいてくださる神、その言葉を聞く時、私たちはまず、安らぎを感じるのではないでしょうか?神が一緒にいてくださる、それほど心強いことはありません。何があっても大丈夫だと感じます。 しかし、一方で、私たちの日々を、よくよく考えます時、いつもいつも神が共におられるとしたら、少し面倒な気分にもならな [続きを読む]
  • ローマの信徒への手紙12章9〜21節
  • 2017年11月26日 大阪東教会主日礼拝説教 「燃える炭火を積む」 吉浦玲子<偽りのない愛は無理> 「愛には偽りがあってはなりません。」とても美しい言葉です。しかし、この言葉を聞くと不思議な気もします。「愛には偽りがあってはなりません」というけれど、逆に偽りのある愛というのがあるのでしょうか?「愛に偽りがあってはなりません」とは「愛に偽善があってはならない」ともいえる言葉です。そもそも、偽善、取り繕った [続きを読む]
  • ローマの信徒への手紙12章1〜8節
  • 2017年11月19日 大阪東教会主日礼拝説教 「主にあるひとつの体」吉浦玲子<聖なるいけにえ> これまでパウロは信仰によって義とされるという信仰義認について、そしてまた救いに関する神の大いなるご計画について語って来ました。11章までがパウロによる信仰の理論的な説明であったと言えます。それに対して12章からは、神に救われた人間の新しい生き方について書かれています。実践編ともいえます。聖書の信仰はただ頭 [続きを読む]
  • ヨハネによる福音書 17章1〜5節
  • 2017年11月12日 大阪東教会主日礼拝説教(逝去者記念礼拝)             「永遠の命を生きる」 吉浦玲子<時が来ました> 「父よ、時が来ました。」 と、主イエスは祈り始められました。決定的な<時>が来たのです。これは神が定めたれた<時>です。人間の都合によって、どうにかできるような<時>ではありません。神の御子である主イエスであっても、ご自分の<時>をご自分で定められたわけではなく、父なる [続きを読む]
  • ローマの信徒への手紙 11章25〜36節
  • 2017年11月5日 主日礼拝説教 「すべては神から」 説教 吉浦玲子 私たちは祈りがきかれないとき、願いが叶わない時、それが神のご計画なのだ、あるいはまだそれが成就するにふさわしい神の時ではないのだと考えます。そう考えることはけっして間違いではないと思います。ただ、私たちが祈りをあきらめるための方便になっていないかということには注意をしないといけません。どうせ神様は祈ってもこのことは叶えてくださらない [続きを読む]
  • ローマの信徒への手紙 11章11〜24節
  • 2017年10月29日 大阪東教会主日礼拝説教 「万人をすくわれる神」 吉浦玲子<接ぎ木された私たち> 今日の聖書箇所でパウロは異邦人のキリスト者に対して、思いきった言葉を語っています。あなたたちは、もともと聖なる根をもっていなかった野生のオリーブである、その野生のオリーブであるあなたがたは、聖なる根を持ったオリーブが折り取られた後に、接ぎ木をされたのだと言っています。折り取られたオリーブの枝ははイスラエ [続きを読む]
  • ローマの信徒への手紙 11章1〜10節
  • 2017年10月22日 主日礼拝説教 「恵みによる選び」 吉浦玲子<残りの者> 今日お読みいただいた新約聖書箇所の標題は「イスラエルの残りの者」となっています。「残りの者」という言葉はローマ書9章27節でもイザヤ書からの引用として語られています。本来、神から選ばれていた特別な民が神から退けられ、もともとは選ばれていなかった残りの者が選ばれるということです。それはこのローマの信徒への手紙でいえば、異邦人であ [続きを読む]
  • ローマの信徒への手紙 10章14〜21節
  • 2017年10月15日 主日礼拝説教 「手を差し伸べられる神」 吉浦玲子<私たちは聞かされてきた> 数年前、あるお子さんとお母さんが教会の前をたまたま通られました。当時そのお子さんが通っていた幼稚園がキリスト教系の幼稚園で、お子さんが、通りすがりに教会の建物を見て「あ、ここはチャペルだ!中を見てみたい」と叫びました。そして親子で教会の中に入って来られました。そのことがきっかけで、そのご家族は今、教会学校に [続きを読む]
  • ローマの信徒への手紙 10章5〜13節
  • 2017年10月8日 主日礼拝説教「御言葉はあなたの近くに」 吉浦玲子<手足をバタバタさせて願う> 洗礼を受けた頃、牧師に「お祈りはどういう風にしたらよいのですか?」とお聞きしたことがあります。すると、「子供がデパートの床に転がって、あれ買ってー!!と手足をばたばたさせて駄々をこねるように、何でも自由に祈ったら良いんですよ。参考になるのは旧約聖書の中の詩編ですね。詩編には神への感謝から助けを求める祈りか [続きを読む]
  • ローマの信徒への手紙 9章30〜10章4節
  • 2017年10月1日 主日礼拝説教「失望に終わらない」 吉浦玲子<つまずく人> キリストは私たち一人一人の救いのために来られた。私たちはそのことを繰り返し、聞いてきました。救い主キリスト、十字架にかかられたキリスト、その十字架において人間の罪を贖われたキリスト、しかし、今日の聖書箇所ではそのほかならぬキリストご自身が人間にとって<つまずきの石>なのだと記されています。 主イエスご自身がこの地上を歩まれた [続きを読む]
  • ローマの信徒への手紙 9章19〜29節
  • 2017年9月24日主日礼拝説教 「あなたはわたしの民」 吉浦玲子<神への口答え>ローマの信徒への手紙の9章から神の主権ということが語られています。今日お読みいただいた聖書箇所の直前には「神は御自分が憐れみたいと思う者を憐れみ、かたくなにしたいと思う者をかたくなにされる」とあります。神がその主権の内に、ある者を憐れみ、ある者を頑なにされるのなら、神ご自身がかたくなにされた人間をかたくなだからといって神か [続きを読む]
  • ローマの信徒への手紙 9章1〜18節
  • 2017年9月17日 主日礼拝説教「あなたを選ばれる神」 吉浦玲子<パウロの悲しみ> ある女性の修道院のシスター、のちにカトリックで聖人とされた人ですが、その人が神について思い巡らして語りました。「神様は、わたしをとても愛してくださっていて、もう私のこと以外には興味がおありでないみたいです」。とても大胆な言葉だと思います。神様が自分のこと以外に興味がないように感じられるほど、自分が愛されている、顧みられ [続きを読む]
  • ローマの信徒への手紙 8章31〜39節
  • 2017年9月10日 主日礼拝説教 「神から引き離す者はない」吉浦玲子<神はわたしたちの味方である!> 「神はわたしたちの味方である」そうパウロは声高く宣言をしています。「もし神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか」<もし>と、「もし」と仮定したような言葉になっていますが、パウロがここでいっているのは「神はわたしたちの味方であるのだから、だれも私たちに敵対できない」ということ [続きを読む]
  • ローマの信徒への手紙 8章18〜30節
  • 2017年9月3日 主日礼拝 「希望と栄光」 説教 吉浦玲子<被造物の呻き> 今日の聖書箇所の前半では、被造物という言葉が出て来ます。この箇所の被造物を人間と捉える解釈もあるのですが、ここでは聖書でいう一般的な被造物、つまり神に造られたもの全体ということで考えてよいでしょう。もちろん人間も神に造られた被造物のなかに数えられます。しかし、人間以外の動物や自然、さらには宇宙のすべても被造物です。今日の聖書箇 [続きを読む]
  • ローマの信徒への手紙 8章1〜17節
  • 2017年8月27日 主日礼拝説教 「神の相続人」吉浦玲子<霊に従う生き方> 私たちは生きていくうえでさまざまな義務を負います。家族や社会やその他もろもろのものに対して、義務を負い、責任を果たして生きていきます。幼い子供であれば、通常は親や家族が身の回りのことを世話してくれて、生きていくための必要を満たしてくれます。養ってもらえます。だから子供は楽かというとそうでもないようです。全くの赤ん坊でもないかぎ [続きを読む]
  • ローマの信徒への手紙 7章7〜25節
  • 2017年8月20日主日礼拝説教 「わたしの内に住む罪」吉浦玲子<罪に売り渡された人間> 「ジギル博士とハイド氏」という小説があります。ご存知の方も多いかと思います。子供の頃読んだ記憶があるのですが、内容を細かくは記憶していなかったので、ネットなどで調べて思い出してみました。この小説は普段は善良なジギル博士が薬物によってハイド氏という悪の権化のような人物に変化するという内容でした。善良なジギル博士と極悪 [続きを読む]
  • イザヤ書11章1〜10節
  • 2017年8月6日 主日礼拝(平和主日)説教 「平和を実現する人」 吉浦玲子<この世の「平和」> イザヤ書の11章1節に出て来ますエッサイはダビデ王の父親です。クリスマスのころに歌われる讃美歌にもその名前は出て来ます。エッサイの株からひとつの芽が萌えいでて、さらにその根からひとつの若枝が育った、その若枝こそがイエス・キリストなのだとイザヤは語ります。もちろん旧約聖書の時代ですから、「イエス」という名前は直 [続きを読む]