うりまじろ さん プロフィール

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うりまじろさん: まじろ帖
ハンドル名うりまじろ さん
ブログタイトルまじろ帖
ブログURLhttp://urimajiro-o.hatenablog.com/
サイト紹介文日々のこと。おいしいもの。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供6回 / 365日(平均0.1回/週) - 参加 2015/03/21 07:47

うりまじろ さんのブログ記事

  • エンゾ
  • エンゾが見つめているものがわからなくて、ときどき私は途方に暮れる。振り返ったり天井を見たり山椒を探したりする。 [続きを読む]
  • 松本へ
  • 今年もユークと松本へ来た。写真を撮って、散歩して、一年ぶりの懐かしい大好きなお店に行く。去年とは何もかもが違うけれど、私は元気です。 [続きを読む]
  • カレー
  • じいちゃんのお見舞いに行くときによく寄っていたカレー屋さんに行く。目玉焼きとパクチーを交互にご飯をたっぷりもぐもぐ食べる。食べてももうじいちゃんには会えないけれど、ぺろりと完食してごちそうさまでしたを言う。私は、今日も生きている。 [続きを読む]
  • じいちゃんは
  • じいちゃんが、昨日の夕方に旅立った。この一年近く、子供の頃と同じくらいしょっちゅうたくさんじいちゃんのそばにいた。ラッキーなことに私は仕事を減らし、時間だけはたくさんあった。じいちゃんは車いすにも座れなくなって、声も出なくなって眠っていることも多かったけど、でもじいちゃんはいつだって新しかった。私が持っていったバムとケロの絵本を気に入って、音読すると興味深そうに目で絵を追っていた。ママが持ってきた [続きを読む]
  • モモに
  • 松本に電車で行くのはそういえば初めてのことだ。 八王子からあずさ7号に乗る。 今回の旅のお供本は、ミヒャエル・エンデのモモ。 時間泥棒ときいても子供の頃はぴんと来なかったけれど、今はモモが近くにいてくれたらいいのに、と思う。 モモになりたかった頃はもう終わってしまったのか、と改めて開いた本を、読みながら少し驚く。 [続きを読む]
  • 「楽しければ笑う」と私は言い放った。言ったそばから後悔したけれど、でももう言ってしまったし、どちらにしろそれは本当のことだから仕方なかった。「その目付き」と、子供の頃からママもパパも言った。時々うんざりしたように。わからないのは、私に流れているのは自分達の血だというのに、見たこともない生き物を見るような顔をして私を見ていたことだった。押し黙ったまま、私は何時間も口をきかず、立ち上がることもしなかっ [続きを読む]
  • 手放して
  • ありふれた景色を見て、喉の奥がぎゅっとなる。建ち並ぶ古いアパルトマン。カーテンのない窓から見える高い天井。楽しそうな話し声。音楽。カチャカチャと鳴るお皿やグラス。この街へ来るようになってからもう何年かが経ち、物珍しさはなくなった。いっそここに住んでしまったら楽だろうか。今もっているもの全部を一度手放して。怒っているふうに見せなければ、私の心の中のとうに諦めて静まってしまった感情を見透かされるのでは [続きを読む]
  • 瞬間だけ
  • たとえば恋をして、これがもう全部最後だと思ってもどんなにそうであって欲しいと願っても、その続きが必ずあるということが昔はひどく怖かったけれど、今はそれらは救いのように思える。叶わないから足りないと思うのは間違いだ。見たものすべてを私は深く信じる。ここでは瞬間だけが真実だ。それ以外はすべて失われた曖昧なただの甘いものみたいだ。飲んでも飲んでも酔わないような、見失わずにいられる灯りや暮れない夜の儚さや [続きを読む]
  • 習慣
  • なだらかな緑の丘がどこまでも広がり、陶器みたいな色をした牛が転々と草を食む。切り取ったように四角く菜の花が鮮やかに揺れていた。雲が低く広く立ち込めて、雨が降ったり青空を覗かせたりせわしないのも良かった。TGVに乗ってパリまで移動する三時間、外を眺めたりうとうとしたり、持ってきた本を読んだりする。あっという間だ。どこへ行こうとしても。結婚して、じわじわと自分がどこにいるのかがわからなくなった。わからな [続きを読む]
  • パレードの終わり
  • マルセイユに食事をしに出かけ、バスで戻ってくるとエクスアンプロヴァンスの街ではちょうどカーニバルのパレードが始まったところだった。子どもたちがハロウィンのように仮装をし、ピエロがカラフルな紙吹雪の詰まったパックを売り歩く。ミラボー通りの人混みの中で、陽気な音楽と大きな操り人形(カメレオンや鳥、進撃の巨人みたいな大きな人間)がいくつもゆっくりと目の前を通りすぎて行った。肩車をされて高いところから紙吹雪 [続きを読む]
  • 朽ちて
  • 村は小高い丘を囲むようにして作られていて、家々を眺めながら坂道をのぼっていくとほとんどの村の頂上には古い教会があるのだった。それらのほとんどはもう使われなくなっていて、朽ちていく建物の周りを草や花が覆い、のんびりとした猫がいる。今も昔も、あまり変わっていないんだろう。見おろすと、新しく建てられたのであろう、それでも100年は経っていそうなどっしりとした教会と赤茶色の屋根が続いている。いい風が吹いて、 [続きを読む]
  • 今年は寒い、と一年ぶりに会ったオリーブさんが言った。街の真ん中のマルシェで、オリーブの木で作ったフォークやスプーンやチーズ入れ、ボウルなどを売っている人なので、私はオリーブさんと勝手に呼んでいる。名前は知らない。2年前に初めて話してバターナイフを一本買い、去年はスプーン2本を買った。今年はコーヒーを片手に自分の店をほったらかして近くをふらふらしていたらしいオリーブさんが戻ってきて、私たちを見るとご [続きを読む]
  • あの子達
  • 今年もフランスへ行く季節がきた。今年は猫たちが家に来たので、置いていくのが心配で、長い旅行に行くのは気が引けるけれど、彼女たちは私のママにとてもなついているので、案外大丈夫なのだろう。私以外の誰も彼もが「あの子達は大丈夫よ。いってらっしゃい」と言う。生まれ育った場所以外を好きでそこへ行くことを「帰ってきた」と表現するのがあまり好きじゃないけれど、エクスアンプロヴァンスのあの光があふれる泉の街のこ [続きを読む]
  • 雨の日のタクシーが苦手だけれど、でも好きなもののうちのひとつだとも思う。窓につく細かな水滴を見るのが楽しいから。つぷつぷつぷ、と音を立ててまるで炭酸の中にいるみたいだ。 [続きを読む]
  • 季節には
  • 「いいよ」って許したり許されたり、子供の頃はすごく簡単なことだったのに、歳を重ねるごとにそれがどんどん出来なくなっていって、頭が固くなってしまったのかな。体が重くなってしまったのかな。いい空を見てぼんやりとする。つまらなくなるね、ってそんな簡単な言葉さえも飲み込んで。「春がくれば」といつも思うけれど、そうすれば生まれ変わったみたいになれるんじゃないかとほとんど信じたりもするのだけれど、膿んだ気持ち [続きを読む]
  • 近いような
  • 暖かくて静かなところというのは、気持ちがいい。それが本を読むために用意された場所だというのだからなおさら素敵だ。店内の誰も喋らず、でも誰かのための飲み物や食べ物の支度をする音が常に小さく聞こえていて、たっぷりと注がれたコーヒーからは良い香りがしている。一緒にいても寂しいのなら、正直なところもうどうしたらいいのか私にはわからないのだった。つまらない喧嘩も顔を真っ青にして思い詰めたように声を震わせて [続きを読む]
  • すごく大事なことをすっぽりと忘れてしまったような気がする。だから手当たり次第に本を読もうとするのかもしれないと思った。ヒントが何か残っていないか、手探りで近くを遠くをあてもなく、ただひたすらに覗くのだ。 [続きを読む]
  • 来月ちょっとだけ京都に行くことにした。遠くへ遠くへ行こうとするのが私にとって良いことなのか悪いことなのかだんだんわからなくなってきた。いつもこう。逃げてばかり、と思ってしまう。思いついてそのまますぐにここを離れられてしまうような今の暮らしも本当はあまり良くないのだろう。BOOK AND BEDに泊まるので、いつもの旅行のための本はそう何冊もいらなさそう。 [続きを読む]
  • 全部ということ
  • 中古のカメラをひとつ買った。ちゃんと写るのかはわからないけれど、可愛かったので。外を歩きながらぱしゃりぱしゃりととりあえず何にでもシャッターを切る。ハーフサイズカメラなので27枚撮りのフィルムは倍の54枚撮れることになるらしい。よくわからないけど。見たものすべてを記憶に残しておこうなんて欲張りかな。ふとした時に思い出して喉の奥が詰まるような感覚になる。でも全部望もうとなんて、私は本当にしていたかな。 [続きを読む]