matasaburo3の散歩日記 さん プロフィール

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matasaburo3の散歩日記さん: matasaburo3の散歩日記
ハンドル名matasaburo3の散歩日記 さん
ブログタイトルmatasaburo3の散歩日記
ブログURLhttp://blog.goo.ne.jp/blackcoffee-ma48
サイト紹介文日本各地を旅して、四季を撮ります。 又、世界各地を旅した印象記やらあれこれ。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供53回 / 365日(平均1.0回/週) - 参加 2015/04/09 18:08

matasaburo3の散歩日記 さんのブログ記事

  • 旧藤沢宿を歩くその1−白旗神社
  •  藤沢 東海道の江戸・日本橋から数えて6番目の宿場であった藤沢宿。藤沢本町周辺の旧東海道沿いが藤沢宿でした。江戸から京まで東海道を旅するのに、江戸時代には約14日間ほどの日数を要したそうです。日に約40キロを歩く強行軍でした。大名たちが泊まる本陣や脇本陣をはじめ、一般の旅人が利用する旅籠が遊行橋付近に45軒あったそうです。徳川家康・秀忠・家光の3代が利用した将軍宿泊施設として藤沢御殿が、1596年 [続きを読む]
  • 新潟から青森へその2−弘前城
  •  (二の丸南門) 現存12天守巡りは、姫路城・松江城・彦根城・松本城・松山城(伊予)・丸岡城に続いて弘前城です。 弘前  新潟から弘前へ向かいました。雨はあがり、気持ち良い秋の空が広がっています。弘前城は弘前藩4万7千石の居城として廃藩に至るまでの260年間、津軽地方の政治経済の中心地でした。創建当初の総面積は38万5千平方メートル。司馬遼太郎は「街道をゆくー北のまほろば」で「日本7名城の一つ」と [続きを読む]
  • 新潟から青森へその1−新発田城
  •  9月上旬、新潟(新発田)・青森(弘前)を旅しました。 新発田 新潟駅から白新線に乗り新発田駅で下車。駅前で昼食をとりますが、雨は止みそうにありません。タクシーで新発田城まで行きました。表門前で下車すると、堀部安兵衛の像が雨に濡れて立っています。 (辰巳櫓)辰巳櫓の管理責任者であった安兵衛の父中山弥次衛門は、櫓の失火の責任を負い浪人となり、安兵衛は18歳で江戸に出ます。赤穂藩主浅野内匠頭と新発田藩 [続きを読む]
  • 初秋の小石川後楽園
  •  後楽 彼岸入りしてからのよく晴れた日、小石川後楽園へ行きました。JR飯田橋駅から歩いて10分。水戸徳川家の江戸上屋敷内の庭園でした。 (徳川頼房)1629年(寛永6年)初代藩主徳川頼房(家康の11男)が築いた庭園を、二代藩主光圀(頼房の3男)が改修、「後楽園」と命名して完成させました。この地は小石川台地の先端にあり、神田上水の分流を引き入れ築庭されました。 (大泉水)後楽園の名は、中国の「岳陽楼 [続きを読む]
  • 駿府城
  •  静岡 9月初め、静岡を訪ねました。室町時代以来、駿河国は今川氏の領国でした。今川氏全盛期の義元の時代、1549年徳川家康(幼名 松平竹千代)は人質として19歳までの12年間、駿府で生活しています。 (東御門)臨済寺の住職太原雪斎などから、種々の教えを受け、人間形成の上で重要な時期を駿府で過ごしました。1560年今川義元が桶狭間で織田信長に討たれると、今川氏は衰退し1568年、武田氏により駿府を追 [続きを読む]
  • 大谷寺と平和観音
  •  宇都宮その2 大谷資料館から10分ほど歩くと大谷寺があります。大谷寺は天台宗の寺院ですが、日本屈指の洞窟寺院として知られています。創建・開基は不明ですが、810年空海が千手観音を刻んで寺を開いたとの伝承が残っています。本尊は岩壁に彫られた約4.5メートルの千手観音で、「大谷観音」の名で知られています。本尊の千手観音はじめ、脇堂の釈迦三尊・薬師三尊・阿弥陀三尊の合計10躰の石仏は、西の臼杵磨崖仏( [続きを読む]
  • 大谷「地下神殿」へ
  •  宇都宮その1 8月下旬、宇都宮を訪ねました。宇都宮駅からバスで30〜40分で大谷資料館に着きました。宇都宮大谷地区は「石の里」として、近年観光客が増えています。大谷資料館の地下の採掘場跡は広さ2万平方メートル、深さは平均30メートル(最深部60メートル)という巨大空間です。野球場が一つ、すっぽりと入ってしまう大きさです。戦時中は地下倉庫や軍事工場としても使われました。坑内の平均気温は10度前後と [続きを読む]
  • 甲府城跡(舞鶴城公園)
  •  甲府 甲府駅南口から徒歩約5分に舞鶴城公園はあります。現在舞鶴城公園として親しまれている甲府城跡。約6ヘクタールが都市公園となっていますが、かつては20ヘクタールほどの広大な城郭でした。1582年(天正10年)、甲斐の国は武田氏の滅亡後、織田信長の領国となりましたが、同年の本能寺の変の後は徳川家康の支配をうけました。1590年(天正18年)、豊臣秀吉が北条氏を倒し日本統一を成し遂げると、東海・甲 [続きを読む]
  • 武田氏館跡(武田神社)
  •  甲府 8月中旬、甲府を訪ねました。甲府駅を降り、武田通りをまっすぐ歩くこと約30分で武田神社に着きました。武田神社は武田信玄を祭神として、躑躅ヶ崎館跡に鎮座しています。躑躅ヶ崎館は、1519年武田信虎(信玄の父)が石和館より移り、1581年勝頼が新府に移るまで62年の間、甲斐武田氏の本拠、甲斐の政庁として天下にその名を轟かせました。境内は樹木が杜を作り、豊かな緑に包まれています。周囲の堀・土塁等 [続きを読む]
  • 大山の夏ー光の回廊
  •  伊勢原 伊勢原駅から「大山ケーブル」行きバスで30分。大山参道沿いには、「絵とうろう」や「牛乳パックとうろう」が設置され、幻想的な光の回廊が出現していました。「絵とうろうまつり」が8月11日から15日まで開かれていました。期間中、大山ケーブルカーは夜8時30分まで延長運転されました。江戸時代、大山登山は夏山開きの22日間(7月27日〜8月17日)のみ許されました。夜の街道では常夜灯が大山詣りの人 [続きを読む]
  • 「大井更科」にてダッタン蕎麦を食す
  •  大井 東京でダッタン蕎麦を味わえる店を探しました。大井町駅から徒歩2分、光学通りにある「大井更科」。サラリーマン街のランチタイムが一段落した平日の昼下がりに訪ねました。三代目の店主は、厳選した蕎麦粉を挽き打ちたてを供する手打ち蕎麦屋で、日本酒や焼酎にも並々ならぬこだわりを持っているそうです。ダッタン蕎麦を石臼で挽くと、普通の蕎麦の実よりも固く、扱いにくいため、専門の業者に委託していますが、あくま [続きを読む]
  • 箕輪城跡(高崎)
  •  高崎 箕輪城は高崎市箕郷町にあった平山城です。高崎駅からバスに乗り30分。バスの本数は極端に少ないです。箕郷本町で下車し、城下町本町上町を歩きました。途中、諏訪神社があります。30分程歩くと、こんもりと突き出た丘に箕輪城跡がありました。城地は東西約500メートル、南北約1100メートル、面積約47ヘクタールにおよぶ広大なものでした。搦手口から入り、大堀切を横切り、二の丸、本丸、御前曲輪と進みまし [続きを読む]
  • 座間のひまわり畑
  •  座間 神奈川県座間市のひまわり畑は、休耕地の荒廃対策として、20年前にひまわりを植えたのが始まりとか。相武台前駅で下車して、バスに乗り約10分。栗原地区のひまわり畑には約10万本のひまわりが咲き集っています。7月26日まで「ひまわりまつり」が行なわれていました。8月中旬になると座間地区約45万本のひまわりが、広大なエリアで見頃を迎えます。座間会場の「ひまわりまつり」は、8月10日から15日までで [続きを読む]
  • 北海道花紀行その3−富良野・ファーム富田
  •  (アイスランドポピー) 富良野 富良野・美瑛ノロッコ号に乗車しました。「ラベンダー畑」駅にはシーズン中だけ臨時停車します。駅から歩いて7分でファーム富田に到着です。富良野でラベンダー栽培が始められたのは昭和23年。富田忠雄氏によってです。 (サルビアスプレンデンス)しかし昭和40年代、ラベンダーオイルの輸入自由化により、ラベンダー畑は次々と閉園、富良野のラベンダー畑はファーム富田のみとなってしま [続きを読む]
  • 北海道花紀行その2−美瑛・四季彩の丘など
  •  (アルパカ) 旭川に一泊して、翌朝美瑛に向かいました。美瑛もこれで4度目になりました。最初は初秋(9月)、翌年残雪(3月)新緑(5月)の季節に訪ねました。季節毎に表情が変わっていきます。 美瑛 JR美瑛駅で降りて、国道237号をひたすら歩くこと20分余り、ぜるぶの丘に着きました。約5万平方メートルの広々とした花畑です。これから秋にかけて色とりどりの花々が咲いていきます。「ぜるぶ」は「風かおる丘で [続きを読む]
  • 北海道花紀行その1−札幌・大通公園
  •  6月下旬、初夏の北海道を旅しました。暑くもなく、寒くもなくちょうどよい気候です。最初は札幌の大通公園を散歩しました。 札幌 大通公園は、1871年(明治4年)官庁街と住宅・商業街の間の防火帯として造られました。西1丁目から12丁目まで、全長約1.5キロ。巾100m。「フラワーフェスタ2017」が開かれ美しさを競う花壇コンクールが人々の目を楽しませてくれます。大通花壇は、明治9年ごろ開拓使が輸入し [続きを読む]
  • ヨーロッパとアジアの架け橋、イスタンブールその2
  •  イスタンブールその2 イスタンブールは、ローマ・ビザンツ帝国・オスマン帝国の都がおかれ、ざっと1700年もの歴史があります。西暦330年、ローマ帝国のコンスタンティヌス大帝は都をローマからビザンティオンに移し、ここを新ローマと名づけ、帝国の東半分の首都としました。360年にはアヤソフィアのもととなる教会が完成。その後数度消失するも、6世紀にビザンツ様式の大聖堂となり、ギリシア正教の大本山としてあ [続きを読む]
  • ヨーロッパとアジアの架け橋、イスタンブールその1
  •  6月になると、海外旅の思い出がいくつか蘇ります。1976年6月(41年前)、私達は羽田からアンカレッジ経由でロンドンまで飛びました。初めての海外旅行です。ロンドンの街は緑がとても豊かで、遠くから来た旅人に深いやすらぎを与えてくれました。パリはうって変わり、あわただしくファッショナブルで、光に満ちた、よそゆきの街といった印象でした。1989年(28年前)といえば、天安門事件やベルリンの壁崩壊といっ [続きを読む]
  • 花菖蒲とダッタン蕎麦
  •  表参道 表参道駅から表参道ヒルズに歩くと、すぐ手前に新潟館ネスパスがあります。6月上旬、イベントでダッタン手打ちそば祭りを開催していました。新発田市にある「山岳手打ちそば一寿」のダッタンそばを食べました。新潟県生まれのダッタンそば「北陸4号」は、ポリフェノール「ルチン」の量が、通常のそばの約100倍とのこと。喉ごしと歯ざわりが良く、新感覚の蕎麦です。昼食後は明治神宮までゆっくり歩きました。明治神 [続きを読む]
  • 佐賀の旅ー名護屋城
  •  佐賀に一泊して、翌朝唐津へ向かいました。「唐の津」と書いて唐津。古代「唐(から)」とは朝鮮や中国の呼び名で、唐へ渡る津(港)というのが地名の由来だそうです。 唐津 唐津駅からバスに乗りましたが、呼子で乗り換え、1h程して波戸岬行きのバスが来ました。名護屋城は肥前国松浦郡名護屋にあった城です。豊臣秀吉が文禄・慶長の役の際に、国内拠点として築いた城です。わずか5ヶ月で築城され、当時の大坂城に次ぐ規模 [続きを読む]
  • 佐賀の旅ー佐賀城その2
  •  佐賀城は江戸時代初頭に完成し、外様大名鍋島氏の居城でした。もともとは、中世以来龍造寺氏が居城としていた村中城を改修・拡張したものです。1584年(天正12年)龍造寺隆信が島津・有馬連合軍に敗れ戦死すると、家臣の鍋島直茂が実権を握ります。江戸幕府から佐賀藩主として認められると、本丸の改修、天守閣の建造に着手しました。しかし城は幾度も火災に見舞われ、1874年(明治7年)の佐賀の乱で、建造物の大半が [続きを読む]
  • 佐賀の旅ー佐賀城その1
  •  5月中旬、新緑の佐賀を旅しました。 佐賀 JR佐賀駅から佐賀城公園めざして大通りを歩いていくと、佐嘉神社があります。神社に接して「弘道館記念碑」が立っています。1781年(元明元年)藩校「弘道館」が設立されました。熊本藩の「時習館」をモデルとし、「改革の担い手となる人材の育成」に努めました。後に水戸・但馬と並んで天下三弘道館の一つといわれました。1830年(天保元年)、第10代藩主鍋島直正は弘道 [続きを読む]
  • ツツジ咲く鎌倉へー高徳院と安養院
  •  5月上旬、ツツジ咲く鎌倉の寺を訪ねました。 鎌倉 長谷にある高徳院の本尊は、「鎌倉大仏」の名で親しまれている、国宝阿弥陀如来坐像です。1252年(建長4年)から10年前後の歳月をかけて造立されたとみられていますが、詳細は不明です。大仏は、元来は大仏殿のなかに安置されていましたが、14世紀に大風で倒壊し、以後仏殿が再建された形跡は認められないとのことです。高徳院は初期は真言宗で、のち臨済宗に属しま [続きを読む]
  • 京都の春ー仁和寺と龍安寺
  •  奈良・吉野山から京都へ向かいました。一泊して、仁和寺の御室桜を見に行きました。(撮影は4月19日) 京都 嵐電御室仁和寺駅で降りると、すぐ目の前が仁和寺でした。前々日の雨で、桜はかなり散っていました。仁和寺は真言宗御室派総本山。宇多天皇が888年(仁和4年)創立しました。明治時代に至るまで、門跡寺院(皇室とゆかりの深い寺)の筆頭として仏教各宗を統括していました。応仁の乱(1467−1477年)で [続きを読む]
  • 奈良の春その2−吉野山
  •  奈良の春旅、2日目は吉野山へ向かいました。 吉野 吉野山は、飛鳥時代に役行者(えんのぎょうじゃ)が開いたとされる修験道の霊場であり、桜が神木とされていました。藤原道長、頼道らの権力者が桜の苗を寄進するなど、古くから桜の名所として知られていました。桜の種類はほとんどが白山桜で、約3万本といわれています。 (金峯山寺 蔵王堂)ロープウェイ吉野山駅から徒歩15分で金峯山寺(きんぷせんじ)の本堂(蔵王堂 [続きを読む]