matasaburo3の散歩日記 さん プロフィール

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matasaburo3の散歩日記さん: matasaburo3の散歩日記
ハンドル名matasaburo3の散歩日記 さん
ブログタイトルmatasaburo3の散歩日記
ブログURLhttps://blog.goo.ne.jp/blackcoffee-ma48
サイト紹介文日本各地を旅して、四季を撮ります。 又、世界各地を旅した印象記やらあれこれ。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供53回 / 365日(平均1.0回/週) - 参加 2015/04/09 18:08

matasaburo3の散歩日記 さんのブログ記事

  • 旧東海道品川宿の面影と「しながわ翁」
  •  北品川 7月中旬の暑い日、北品川を散策しました。品川宿は旧東海道第1番目の宿場町として賑わいをみせました。目黒川を挟んだ南北の品川宿と歩行(かち)新宿の3宿で構成されました。JR品川駅で降りて、ゴジラが陸地に第一歩を印した八ツ山陸橋を渡ると、京急北品川駅です。そこから徒歩5分で、蕎麦の名店「しながわ翁」に着きます。一茶庵の流れを汲む、高橋邦弘氏の下で修業を積んだご主人が、関東では2店目に「翁」を [続きを読む]
  • 八戸から山形へその4−立石寺(2)
  •   (句碑) 立石寺の続きです。松尾芭蕉が山寺の地を訪れたのは1689年(元禄2年)7月13日(新暦)、紀行文と句を詠んだのは当時麓にあった宿坊といわれています。芭蕉が白河関を超えて奥州に入り、多賀城を訪ねたのは6月24日。翌日松島ではその美しい風景に感動するあまり句を詠めず、曽良が詠んだ句「松島や鶴に身をかれほととぎす」が収載されています。石巻を経て、6月29日平泉に入ります。平泉は、おくのほそ [続きを読む]
  • 八戸から山形へその3−立石寺(1)
  •   (阿弥洞みだほら) 阿弥洞は、阿弥陀如来が座禅を組んでいる姿に見えるそうですが、如何ですか。 山形 仙台に一泊して、3日目は山形へ向かいました。仙山線に乗り、約1時間で山寺駅に着きました。立石寺は天台宗の寺院で、通称山寺。創建は860年(貞観2年)、円仁(慈覚大師)が開山したと伝えられますが、諸説あり、恐らく天台座主の高位にあった円仁の意を受けて、9世紀半ば頃から寺観が整えられたようです。  (根 [続きを読む]
  • 八戸から山形へその2−多賀城
  •  盛岡に1泊して、2日目は仙台へ向かいました。 多賀城 仙台からJR東北本線で国府多賀城駅まで。徒歩5分のあやめ園では「多賀城跡あやめまつり」が開催中でした。あやめ・花菖蒲など800種、300万本が咲き乱れています。6月24日(旧暦5月8日)、松尾芭蕉は「おくのほそ道」の旅で、「壺碑(つぼのいしぶみ)」を目指し、仙台を立つ際に「あやめ草足に結ばん草鞋の緒」の一句を詠んでいます。  (多賀城碑)多賀 [続きを読む]
  • 八戸から山形へその1−根城
  •   (南部師行像) 6月下旬、東北を旅しました。梅雨の時季ですが、幸い雨には降られませんでした。 八戸 1日目は東北新幹線で八戸まで。駅前でバスに乗り、約15分で根城(博物館前)下車。根城は1334年(建武元年)、南部師行によって、北奥羽の支配拠点として築城されたと伝えられます。  (根城の広場入口)南部氏は、甲斐国(現在の山梨県南部町・身延町)に拠点を置いた有力な鎌倉御家人であり、南北朝の時代に [続きを読む]
  • 「奥の細道」出立の地と千寿竹やぶ
  •  千住 6月中旬の梅雨の晴れ間の日、京成線千住大橋駅で下車しました。1689年(元禄2年)、松尾芭蕉は舟に乗って深川を出発し、千住大橋付近で下りて、矢立初めの句を詠みました。「おくのほそ道」の冒頭です。「月日は百代の過客にして、行き交う年もまた旅人なり。・・・・・・千住という所にて船をあがれば、前途三千里のおもひ胸にふさがりて、幻の巷に離別の泪をそそぐ。・・」「行く春や鳥啼魚の目は泪」(もう春は過 [続きを読む]
  • 旧新橋停車場〜浜離宮
  • 新橋 超高層ビルが並ぶ汐留ビル群の一角に旧新橋停車場があります。1872年(明治5年)10月14日、日本最初の鉄道路線として、新橋ー横浜間が開通しました。蒸気機関を利用する鉄道が初めて実用化されたのは、1825年イギリスです。以後欧米各国は鉄道建設に邁進します。日本でも明治維新の翌年1869年、政府は新橋ー横浜間の鉄道建設を決め、技術・資金援助する国としてイギリスを選定しました。京阪神地区では、 [続きを読む]
  • 鎌倉のアジサイ寺
  •   (成就院) 鎌倉 5月末、鎌倉を訪ねました。アジサイが咲き始めていました。江ノ電極楽寺駅で下車。こじんまりした駅舎ですが、関東の駅100選に選ばれています。  (極楽寺)極楽寺は真言律宗の寺院。北条重時(2代執権義時の3男)が、当時地獄谷と呼ばれていた現在地に、念仏系の寺院を移したのが始まりだそうです。茅葺きの山門にアジサイがよく映えています。  (成就院弘法大師像)成就院は極楽寺坂切通の途中 [続きを読む]
  • 岡山の旅その2−旧閑谷学校
  •  備前 JR山陽本線吉永駅で下車。マイクロバスで約15分、旧閑谷学校を訪ねました。閑谷学校は1670年(寛文10年)、岡山藩主池田光政によって創建された、現存する世界最古の庶民教育学校です。藩校「岡山学校」に続き、地方の指導者を養成するため、武士のみならず庶民の子弟も教育し、広く他藩の子弟も学ぶことが出来ました。「近世日本の教育遺産群」として、弘道館(水戸)、足利学校(足利)、咸宜園(日田)などと [続きを読む]
  • 岡山の旅その1−備中松山城
  •   (石垣群) 5月中旬、岡山を旅しました。現存12天守巡りは、姫路城・松江城・彦根城・松本城・松山城(伊予)・丸岡城・弘前城・犬山城に続いて備中松山城です。 高梁 備中高梁駅から、ふいご峠(8合目)まで乗合タクシーに乗り、そこから約20分歩きました。備中松山城は、4つの峰からなる臥牛山の小松山の山頂(標高430m)に築かれた城で、天守の現存する山城として随一の高さを誇ります。  (三の平櫓東土塀 [続きを読む]
  • 玉川上水緑道(小金井)を歩く
  •   (歌川広重「小金井橋夕照」) 小金井 5月中旬玉川上水緑道を歩きました。JR武蔵小金井駅で下車、小金井街道を20分程歩くと、小金井橋に出ました。小金井橋は、1653年(承応2年)玉川上水が開かれた時に架けられたそうです。小金井橋が桜の名所になると、歌川広重らが錦絵や挿絵に描きました。  (石橋、明治30年代)木橋から石橋に架け替えられ、明治時代以降も名勝の中心として多くの写真や絵画にその面影を [続きを読む]
  • 横浜開港プロムナードー馬車道〜横浜三塔
  • (馬車道のロゴ) 横浜 現在も高島町という地名に、その名を残している高島嘉右衛門という実業家が、明治5年横浜瓦斯会社を起こし、銀座より2年早く日本最初のガス灯を横浜に灯しました。  (ガス灯)夜の灯火が実現した通りを、居留地の異人を乗せた幌付き馬車が走ったので、馬車道と呼ばれました。馬車道には開港後、江戸の豪商などが店を出しました。  (旧横浜正金銀行本店)横浜正金銀行は、1880年(明治13年 [続きを読む]
  • 横浜開港プロムナードー山手〜山下公園
  •   (アメリカ山公園) 横浜 4月下旬、港町横浜を散策しました。みなとみらい線「元町・中華街駅」で降り、元町方面出口には、アメリカ山公園があります。1867年(慶応3年)7月、山手地区200区画の競売がおこなわれ、外国人居留地として開放されました。(横浜の居留地は、山下居留地と山手居留地がありました。)  (外国人墓地)山手97番地はアメリカ公使館用地として予定されていましたが、当時の公使は山手2 [続きを読む]
  • 犬山城で国宝5天守制覇
  •  現存12天守巡りは、姫路城・松江城・彦根城・松本城・松山城(伊予)・丸岡城・弘前城に続いて犬山城です。これで国宝5天守(姫路城・松江城・彦根城・松本城・犬山城)の登頂を達成しました。 犬山 桜が少し咲き始めた3月半ば(かなり時間が過ぎてしまいましたが)、犬山城を訪ねました。名鉄犬山公園駅で降りて、木曽川遊歩道を歩いていくと、徐々に犬山城天守が見えてきました。1537年(天文6年)、織田信康(信長 [続きを読む]
  • 天空の城、竹田城跡へ
  •   (竹田駅) 朝来 4月上旬、竹田城跡(兵庫県朝来市)を訪ねました。三宮から「特急はまかぜ」に乗り、100分で竹田駅に到着しました。竹田駅は明治39年開業。駅舎はその当時のもの。竹田が但馬牛の市場として栄えたころは、牛専用のヤードがあったそうです。登山道はいくつかありますが、最短の駅裏登山道を選びました。0.9キロ、約40分とありました。竹田城は、伝承では1431年頃、山名宗全が対立する赤松氏へ [続きを読む]
  • 身延山久遠寺のしだれ桜
  •   (三門) 身延 4月初め、身延山久遠寺を訪ねました。甲府から身延線に乗り、1時間20分程。身延駅で下車、バスで身延山まで。久遠寺は日蓮宗総本山。1274年(文永11年)、甲斐国の波木井郷の地頭南部実長が、佐渡での流刑を終えて鎌倉に戻った日蓮を招きました。日蓮は身延山をインドの霊鷲山に見立て、信仰の山として位置づけました。  (菩提梯)空・無相・無願の三つの門をへて、覚りに至ることから、本堂にい [続きを読む]
  • 武田氏最期の城、新府城
  •  新府 3月末のよく晴れた日、新府城跡(山梨県韮崎市)を訪ねました。JR中央本線新府駅(無人駅)で下車、10分程歩くと新府城跡の石標がありました。赤い鳥居の先の長い階段を上ると、本丸跡地に藤武稲荷神社が建立されています。新府城は、甲府盆地西部の七里岩台地上に立地する平山城。石垣は使われていません。七里岩突端部の南北7〜8キロ、東西2キロという周辺の自然地形全体が軍事的意味をもつ大規模な城です。武田 [続きを読む]
  • 家康誕生の城、岡崎城
  •  岡崎 3月中旬、岡崎城を訪ねました。名鉄東岡崎駅から歩いて15分です。15世紀中頃(室町時代)、三河国守護代西郷氏が、龍頭山の砦として築城したのがはじまりです。1531年に松平清康(家康の祖父)が城主となり、1542年に城内で徳川家康が誕生しました。  (産湯の井戸)家康は6歳で織田信秀(信長の父)、8歳で今川義元の人質となり、少年期を他国で過ごします。1560年の桶狭間の合戦で、今川義元が戦死 [続きを読む]
  • 弘道館と水戸城址
  •  水戸 弘道館は、徳川斉昭が1841年(天保12年)に創建しました。建学の精神は「神儒一致」「忠孝一致」「文武一致」「学問事業一致」「治教一致」の5項目として示されています。藩士に文武両道の修練をつませようと武芸一般はもとより、医学・薬学・天文学・蘭学など幅広い学問をとりいれた、総合大学というべきもので、藩校としては国内最大規模のものでした。  (正庁・至善堂)最後の将軍、徳川慶喜(斉昭の七男)も [続きを読む]
  • 水戸偕楽園の梅
  •  水戸 3月上旬、梅の香漂う水戸を訪ねました。梅まつり期間中とあって、臨時駅の「偕楽園」駅に停車しました。偕楽園は後楽園(岡山)、兼六園(金沢)と並ぶ日本三名園の一つです。1842年(天保13年)、第9代藩主徳川斉昭が創設しました。偕楽園の名称は「孟子」の「古の人は民と偕(とも)に楽しむ、故に能く楽しむなり」という一節からとったものです。当初から毎月「三」と「八」が付く日には領民にも開放されていた [続きを読む]
  • 福山・尾道の旅ー浄土寺
  •   (阿弥陀堂) 尾道 尾道は戦災を受けず、古い街の面影がよく残っています。尾道駅からバスに乗り、「浄土寺下」で降り、JRのガードをくぐると浄土寺です。浄土寺は真言宗泉涌寺派の大本山で、山陽路屈指の名刹です。寺伝では、616年聖徳太子の創建とされています。宝物館には南無仏太子像など3体の木造聖徳太子立像があり、鎌倉〜南北朝時代の作とのことです。弘法大師、足利尊氏、観音信仰、尾道海運をになった豪商な [続きを読む]
  • 福山・尾道の旅ー福山城
  •  2月下旬、早春の福山・尾道を旅しました。 福山 福山駅に夕方到着しました。間近に福山城が見えます。福山城は、1619年に備後10万石の大名として入封した水野勝成(徳川家康の従兄弟)が、1622年に築いた城です。毛利氏など西日本の有力外様大名に対する抑えとして、又西国街道と瀬戸内海の要衝を護る城として、幕府に期待されました。  (伏見櫓)近世城郭円熟期の代表的遺構で、大規模な新規築城では最後の例と [続きを読む]
  • 松田町のロウバイと河津桜
  •  松田町 2月中旬の冬とは思えないポカポカ陽気の日、松田町を訪ねました。小田急線新松田駅から、バスで30分余り終点「寄(やどりき)」で下車しました。無料送迎車で「寄ロウバイ園」へ。寄ロウバイ園は11年前に、標高380メートルの荒廃農地を整備し、寄中学校卒業生が250本のロウバイを記念植樹したのが始まりです。今では2万本、1万3千平方メートルと日本最大級のロウバイ園となりました。ロウバイの花は、蝋細 [続きを読む]
  • 「シルクロード文明館」と「一會庵」
  •  会津旅の続きです。鶴ヶ城の見学を終えて、バス停まで歩く途中、鶴ヶ城の内堀のほとりのカフェに入りました。冷えた身体(この日の最高気温はマイナス4度)がやっと少し温まりました。レンガ造りの建物は、老舗菓子処「会津葵」が営む、シルクロードがテーマの異文化空間。2階展示スペースにはシルクロード関係の美術品・工芸品が集められ、1階は茶房ですが軽食メニューも豊富です。パスタランチで遅めの昼食。美味しい珈琲に [続きを読む]
  • 雪の鶴ヶ城
  •  東北旅2日目は仙台から会津若松へ向かいました。 会津若松 駅に着き周遊バスを待ちますが、雪の為大幅に遅れてます。やっと来た「あかべぇ」に乗り、「鶴ヶ城入口」で下車。若松城は地元では鶴ヶ城と呼ばれています。14世紀、蘆名直盛が築城した東黒川館が始まりとされています。蘆名氏は、関東の名族三浦氏からの分流で、室町期に会津守護として現れ、戦国期には伊達氏と並び称されるほどの勢力を誇りました。しかし158 [続きを読む]