ヤコブの夜桜 さん プロフィール

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ヤコブの夜桜さん: カトリック清流
ハンドル名ヤコブの夜桜 さん
ブログタイトルカトリック清流
ブログURLhttp://blog.livedoor.jp/catholicseiryu/
サイト紹介文2015年洗礼を受けました。キリスト教(カトリック)を軸に広く宗教・思想・社会に思いを巡らせます。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供14回 / 365日(平均0.3回/週) - 参加 2015/04/19 16:36

ヤコブの夜桜 さんのブログ記事

  • [沢田和夫] 聖書で祈る:ご聖体の祝日
  • 沢田和夫神父の『聖書で祈る』より、「ご聖体の祝日」。この文をもって一連の紹介のおわりとしたい。ーーーーーーーヨハネ聖福音書を静かに読むこととしましょう。ヨハネ第6章はご聖体の秘跡についてのところです。イエズスさまはまず、  「永遠の生命へと至らせる食べ物のために働きなさい」(27)とおっしゃいます。食べるためにだけ毎日働くのではたりないのです。それでは、神のわざに加わるような働き方をするには、どう [続きを読む]
  • [沢田和夫] 聖書で祈る:聖三位一体の秘義
  • 沢田和夫神父の『聖書で祈る』より、「聖三位一体の秘儀」。ーーーーーーーきょうも、静かに聖書を読みましょう。第一福音書(マタイ)の第28章(18−20)です。ご復活ののち、最後のご出現の時のこと。キリストはでしたちにこうおっしゃいました。  「天においても、地においても、いっさいの権能が、わたしにさずけられました。そこで、みなは出かけて行って、父と子と聖霊の名によって洗礼をさずけ、すべての国民の中か [続きを読む]
  • [沢田和夫] 聖書で祈る:聖霊のご降臨
  • 沢田和夫神父の『聖書で祈る』より、「聖霊のご降臨」。ーーーーーーー聖霊降臨の大祝日にあたって、教会はヨハネによる聖福音第14章(23−31)を読みます。それは、最後の晩さんのあとのイエズスさまのおことばです。  そのとき、イエズスさまは、こうおっしゃいました。「わたしをほんとうにだいじに思う人は、わたしのことばを守ります。主イエズスの教えを忠実に守るということ、特に、その愛のおきてを忠実に守るとい [続きを読む]
  • [沢田和夫] 聖書で祈る:ご昇天の秘義
  • 沢田和夫神父の『聖書で祈る』より、「ご昇天の秘義」。ーーーーーーーマルコによる聖福音第16章(14−20)を読みましょう。  十一人が食卓についていたとき、イエズスさまはかれらにご自分をあらわし、かれらの不信仰、キリストが復活なさったのを見た人たちを信用しない、かたくなな心をおとがめになりました。イエズスさまは、ご自分についてのほんとうのことを「あらわして」くださいます。わたしどもの心の中に。それ [続きを読む]
  • [沢田和夫] 聖書で祈る:御父の愛
  • 沢田和夫神父の『聖書で祈る』より、「御父の愛」。ーーーーーーーヨハネによる聖福音第16章(23−30)を静かに読みましょう。最後の晩さんのあとのことでした。イエズスさまは、でしたちにこうおっしゃいました。  「これはほんとうにほんとうのこと、あなたがたが御父にお願いすることは、わたしの名で、くださいます。」これは、どういうことでしょうか。イエズスさまはでしたちに、御父への祈りを教えていらっしゃるの [続きを読む]
  • [沢田和夫] 聖書で祈る:真理の霊
  • 沢田和夫神父の『聖書で祈る』より、「真理の霊」。ーーーーーーー最後の晩さんのあとのことでした。イエズスさまは、でしたちに、こうおっしゃいました。  「わたしをおつかわしくださったかたのところに、いま、わたしは行きます。『どこに行くのですか』と聞く人は、みんなのうちにひとりもいません・・・。」どこに行くのですかとおたずねして、イエズスさま、あなたが御父のもとに行くとおっしゃることのすばらしさを教えて [続きを読む]
  • [沢田和夫] 聖書で祈る:だれもうばえない喜び
  • 沢田和夫神父の『聖書で祈る』より、「だれもうばえない喜び」。ーーーーーーーイエズスさまは、でしたちにこうおっしゃいました。  「少しすると、もうわたしを見なくなる。だがまた少しすると、わたしを見るようになる。」こうおっしゃったのは最後の晩さんのあとのことでした。  でしたちのなかのある人は、  「どういうことなのだろうか。『少しすると、もうわたしを見なくなる。だが、また少しすると、わたしを見るよう [続きを読む]
  • [沢田和夫] 聖書で祈る:よき牧者のたとえ
  • 沢田和夫神父の『聖書で祈る』より、「よき牧者のたとえ」。ーーーーーーーヨハネ第10章(11−16)を、ゆっくりと味わいたいと思います。深い意味があるにちがいありません。  あるとき、イエズスさまはファリザイ人たちに、おっしゃいました。「わたしはよい牧者です。よい牧者は羊のためにいのちをささげる。牧者ではなく羊が自分のものでない、賃金をもらって働く羊飼いは、おおかみが来るのを見ると、羊をすてて逃げて [続きを読む]
  • [沢田和夫] 聖書で祈る:復活の力
  • 沢田和夫神父の『聖書で祈る』より、「復活の力」。ーーーーーーーヨハネによる聖福音書第20章(19−31)を読みましょう。  一週のはじめの日の夜のことでした。でしたちは、ユダヤ人のかしらたちを恐れて、家の戸を全部しめていました。十字架のはりつけから三日めのこと。  そこにイエズスがおいでになってでしたちのまん中に立って、こうおっしゃいました。  「みなさんに、平和。」  こうおっしゃって、手と脇ば [続きを読む]
  • [沢田和夫] 聖書で祈る:復活の喜び
  • 沢田和夫神父の『聖書で祈る』より、「復活の喜び」。ーーーーーーーきょうは復活祭です。キリストは復活して生きておいでになる。静かに聖書をよみましょう。  キリストさまが十字架のはりつけになってから、二日めの土曜日の夕方のことでした。  安息の日がすぎて、マグダラ村のマリア、ヤコボの母マリアとサロメとは、イエズスの遺体にぬってさしあげようと思って香料を買いました。  そして一週のはじめの日、朝早く、日 [続きを読む]
  • [沢田和夫] 聖書で祈る
  • 少々古い本であるが、沢田和夫神父が著(しる)された『聖書で祈る』という本がある。この本をゆっくりと、ここで紹介しながら、読んでいきたい。ーーーーーーー人は「神の口から出るあらゆることばによって生きる」(マタイ4−4)ゆっくりと聖書を読めば、そこから祈りがわいてくる。主のおことばに教えられ、はげまされて、主とともに天の御父に祈りつつ、このいろいろと苦しいことの多い現代の生活を生きぬいてゆきたい。主の [続きを読む]
  • 洗礼と水路
  • 3月になり、気候も暖かさを取り戻しつつあるようだ。今年の復活祭(イースター)は4月1日。そして洗礼式の執り行われる復活徹夜祭は3月31日。その日、洗礼志願者は、洗礼・堅信・聖体の3つの秘跡(サクラメント)に、教会を通して、与(あずか)ることになる。イエスが使徒達に伝えたは、今年もまた新しい水路を見出し、未知なる未来へ流れて行く。Domine, Quo Vadis? (ドミネ、クォ ワディス?)主よ、どこに行かれるのですか? [続きを読む]
  • いのちの尊厳に仕える
  • 日頃常に、という訳ではないが、教皇フランシスコのtwitterを見ることがある。短文のため読みやすく、負荷もかからないのが、忙しい身には助かっている。@教皇フランシスコ 2018年2月11日「病者の皆さんは、その弱さにおいてつねに愛され、その犯すことのできない尊厳において尊重されるべきです 」「May the sick always be shown love in their fragility and respected in their inviolable dignity.」https://mobile.twitter. [続きを読む]
  • 光陰矢の如く
  • 久しぶりの投稿となる。過去記事を見ると2017年5月となっているから、大分(だいぶ)間が空いてしまったようだ。生活の方は、相も変わらず慌ただしかったが、信仰生活に関する限り、特段大きな変化はなかったように思う。受洗当時には意識された「クリスチャン」「キリスト者」「カトリック信徒」といったような自己規定も自然と抜け落ちてきたようだ。人は大人になると、幸福はお金で買えるかのような錯覚が渦巻く社会に、巻 [続きを読む]
  • [デュモリン] 普遍的な兄弟愛
  • デュモリン神父の『全き人間』より、普遍的な兄弟愛について。全人類がひとつである、という認識は、およそ人間が抱くことのできる自覚のなかでも、最高に価値あるものの一つに数えられるであろう。そしてそれはまた、金融、軍事、宗教など多くの領域で危機がグローバル化している現代世界においては、今後ますます欠くことのできない常識・良識・賢慮でもある。 ------------普遍的な兄弟愛哲学も宗教も普遍的な兄弟愛の基礎を提 [続きを読む]
  • [デュモリン] 友情とは何か(2)
  • 引き続き、デュモリン神父の『全き人間』から、友情とは何かについて。----------実生活における場それにもかかわらず、友情はあいかわらず真の人間的価値のひとつであって、むろんこれをないがしろにするわけにはゆかない。しかし、どのようにして友情に向かいあったらよいだろう。自分の生活のなかでどういう場を友情に与えるべきだろうか。一度このことについて熟考してみるのは、今日でも、いや今だからこそ必要なのではないだ [続きを読む]
  • [デュモリン] 友情とは何か(1)
  • デュモリン神父の『全き人間』より、友情とは何かについて。少年時代は大勢で共に遊び、青年時代は気心の知れた少数と共に語り、そして大人になるにつれて、人は独りで立つことを余儀なくされてゆく。身体的に共に過ごす時間は少なくなり、そのつながりも益々(ますます)精神的なものに変わってゆく。------------ 友情とは何か友情の賛歌は東洋西洋いずれの古典にも見られる。古代ギリシアではソクラテスとプラトンが、細やかな [続きを読む]
  • [デュモリン] 現代文学における連帯感
  • デュモリン神父の『全き人間』より、現代文学の連帯感について。現代といっても、ここで参照している新訂版文庫の、初版第一刷は1970年。国内では、三島由紀夫の市ヶ谷での割腹自殺(享年45歳)が、社会的に注目された年である。また遠藤周作の『沈黙』が世に出たのは1966年(当時、遠藤43歳)。その後間もなく、カトリック教会界隈で、賛否両論、様々な反響があったのは周知の通り。文学が、社会への影響力を持っていた時代であっ [続きを読む]
  • [デュモリン] 祈りかた
  • デュモリン神父著『全き人間』より、祈りかたについて。------------祈りかた祈りは人間のもっとも自由な行為であり、心の奥底からわきだして神のもとへ通うのである。したがって祈りにきまった形式などあるわけがなく、それが本当の祈りであればそれでよいのである。自分にあう祈りはたやすくみつけることができる。しかし、ときにはどのように祈ったらよいのかと迷うこともあろう。イエスの弟子たちはこどもの頃からシナゴグ(集 [続きを読む]
  • [デュモリン] 祈りの本質
  • デュモリン神父の『全き人間』より、祈りの本質について。------------祈りの本質祈ることは人間に欠くことのできない本質的なことがらであって、祈りなくしてはだれも全き人間となることができないほどである。というのは、祈りは創造主と被造物との関係をあらわす特別な人間的表現であり、宇宙をつかさどる神の永遠の愛にたいする人間の応答だからである。天と地、日と月と星、山や川や泉も、木々や野の花も、森の小鹿、林のかっ [続きを読む]
  • [デュモリン] 知性教育(2)
  • デュモリン神父の『全き人間』より知性教育について、前回の続き。----------真の知性教育まことの知性教育というものは、このような戯画をつくりあげるためのものではない。また学校で課される一定の分量をひと通り修得すれば、それでよいというものでもない。各人の知識はその種類や程度からいって、それぞれ大いに異なっていてよいのである。自然科学者、文学者、経済・法律学者などの知識の範囲が相当違っているのは当然であろ [続きを読む]
  • [デュモリン] 知性教育(1)
  • 引き続き、デュモリン神父の『全き人間』から、知性教育に関する部分を転載する。----------知識の戯画まことの教養人というよりは、知識の戯画(カリカチュア)とでも呼びたいようなひとびとが大勢いる。しかし、このようなひとびとからも、学ぶことがないわけではない。「専門家」ーーー人生のほんの一小部分にすぎない自分の専門だけに打ちこんで、他をかえりみようともしないひとびとがいる。自分の専門に全力を集中するという [続きを読む]
  • [デュモリン] 全き人間
  • ハインリッヒ・デュモリン神父(1905-1995)は、長く上智大学・東洋宗教研究所などで教便をとられたイエズス会士である。そのデュモリン神父の書かれた小冊子に「全(まった)き人間」というものがある。翻訳者は上智大学名誉教授・ドイツ文学者の戸川敬一氏。初版は1948年。戦後間もない時期に世に出された本である。後(のち)の新訂版にあたって、著者は次のように語っている。「この小冊子が戦後間もなく初めて世に出た時、戦 [続きを読む]
  • [教皇フランシスコ] 復活の聖なる徹夜祭
  • 2017年は、緊迫する国際政治情勢の中、復活祭(イースター)を迎える事となった。神の子の受難と、そして復活への信仰。世界に広がる教会共同体のひとりとして、ローマ法王(教皇)の言葉に一致してゆきたい。(以下、バチカンの復活徹夜祭における、教皇フランシスコの説教の転載になります。)「復活した主の鼓動を、皆に伝えに行こう」教皇、復活徹夜祭でカトリック教会の典礼暦は、4月16日(日)、「主の復活」の大祝日を迎え [続きを読む]
  • 聖堂日記
  • 2017年3月21日火曜日 雨仕事を終えた帰路、午後6時40分、道を撃つ雨音に包まれながら、教会の敷地へと足を向ける。辺りは暗く、ひと気もない広い敷地に、その聖堂は佇(たたず)んでいる。大きな尖塔が特徴的な聖堂は、薄暗い闇のなか、ぼんやりとライトアップされ、内部の照明はステンドグラスに暖かさを醸し出している。聖堂の扉は一段高いところにあり、短い階段を登り、傘を畳んで、幅のある扉をくぐる。予想通り、他の訪問者 [続きを読む]