日々是好舌 さん プロフィール

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日々是好舌さん: 日々是好舌
ハンドル名日々是好舌 さん
ブログタイトル日々是好舌
ブログURLhttps://blog.goo.ne.jp/aoyanagi_1947
サイト紹介文青柳新太郎のブログです。 人生を大いに楽しむために言いたい放題、書きたい放題!! 読者のコメント
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供40回 / 365日(平均0.8回/週) - 参加 2015/04/21 07:22

日々是好舌 さんのブログ記事

  • 長月の俳句色紙を書きました
  • ◆糟糠の妻に請はれて胡麻を擂る(よみ)そうこうのつまにこはれてごまをする貧乏暮しを共に耐えてきた妻に頼まれて胡麻を擂っている。ホウレン草やセリやインゲン豆の胡麻和えは好物である。季語は「胡麻」で秋。◆鯤と云ふ大魚を見たり鱗雲(よみ)コンといふたいぎょをみたりうろこぐも北冥に魚あり、其の名を鯤(コン)と為す。鯤の大いさ其の幾千里なるかを知らず。化して鳥と為るや、其の名を鵬(ホウ)と為す。これは 『荘 [続きを読む]
  • 8月の俳句色紙に書きました
  • ◆天城嶺が雲とまぐはふ脂照り(よみ)あまぎねがくもとまぐはふあぶらでり天城山の頂が雲に突き刺さっている。まぐわい(目合)は①目を見つめて愛情を通わせること。めくばせ。 ②男女の情交。季語は「脂照り」で夏。◆お薦めの叩きに鯵を見繕ふ(よみ)おすすめのたたきにあじをみつくろふ生姜・ねぎ・大葉を薬味にした「鯵のたたき」は酒肴にもご飯の総菜にも最適です。季語は「鯵」で夏。◆勝鬨も吐息も夏の甲子園(よみ)か [続きを読む]
  • 七月の俳句の色紙書きました
  • 【7月の俳句】◆天金の鈍き聖書を曝しけり(よみ)てんきんのにぶきせいしょをさらしけり天金とは本の天小口に金箔、またはイミテーションゴールドを貼り付けること。現代ではあまり見ることが出来ないが聖書や全集、手帳などでみられることがある。季語は「曝書」で夏。◆へぼ胡瓜細る家計に歪みあり (よみ)へぼきゅうりほそるかけいにひずみありへぼ胡瓜は胴の生育が悪い胡瓜で苦いことが多い。収入よりも支出がの多い下流老 [続きを読む]
  • 菊川の菜飯田楽食べました
  • 江戸時代、金谷宿と日坂宿の間の菊川は、小夜の中山という難所をひかえて急な坂が続くため中世には宿場として栄えましたが、江戸時代には「間の宿(あいのしゅく)」とされ、旅人の宿泊は固く禁じられていました。大井川の川留めがあっても、金谷宿の許可がなければ泊めることができず、本格的な料理を出すこともできませんでした。そんなことから生まれた軽食が、菊川の菜飯・田楽です。 菊川名物の菜飯・田楽とは、菜を混ぜた飯へ [続きを読む]
  • 蕨野に聖一国師眠ります
  • 静岡県静岡市葵区蕨野にある「蕨野の吊り橋」です。相渕橋の上流約800mにあります。相渕の吊り橋を過ぎて、蕨野集落に入ると県道が右へ曲がるカーブのところに「聖一国師の墓碑」の看板が左路側に見えます。静岡茶の始祖・聖一国師円爾の墓所がある医王山回春院の入り口から県道梅ヶ島温泉昭和線を挟んだ反対側です。県道のカーブにあって道路よりも低いところにあるので見えにくくなっています。ここもまたとても長い吊り橋です。 [続きを読む]
  • 牛妻は水のきれいな楽園だ
  • うしづま水辺の楽校は、安倍川の伏流水を引き込み、子どもの水遊び場として整備された施設です。国土交通省が管轄している国有地で、地元の世話人会が許可を得て管理・運営しています。世話人会は、地元の牛妻地区の有志で結成されたボランティアで、①自分たちのいきがいとして ②将来を担っていく子供たちの活動支援 ③静岡市の中山間地域「オクシズ」の活性化を目標に、一年中活動しています。イカダ・すべり台・遊歩道・イス [続きを読む]
  • 水無月の五句を五色に書き記す
  • 【六月の俳句】たまゆらの月下美人の花惜しむ (よみ)たまゆらのげっかびじんのはなおしむたまゆら(玉響)は、勾玉同士が触れ合ってたてる微かな音のこと。転じて、「ほんのしばらくの間」「一瞬」(瞬間)、あるいは「かすか」を意味する。月下美人はメキシコ原産のサボテン科植物で大輪の花を咲かすが一夜で凋む。季語は「月下美人」で夏。    緑陰の車座に湧く英智あり (よみ)りょくいんのくるまざにわくえいちあり木 [続きを読む]
  • 牛妻は悲恋の昔語りです
  • 昔々、今からおよそ450年くらい前のことですが、竜爪山の南側の山奥に「道白平」というところがありました。ここは、人がめったに来られない深い山奥で、ここでは大勢のお坊さんが日夜、仏様の教えを学ぶ修行を積んでいました。ここには修行のために一宇の庵と七つの洞(ほこら)が作られていました。庵では道白和尚が仏の道の修行にひたすら励み、修行のかたわら野の草花を愛し毎日お酒を飲みながら暮らしていました。 道白和 [続きを読む]
  • 十重二十重 花に囲まれ ばらの丘
  • 「島田市ばらの丘公園」は、切りバラ栽培が盛んな島田市野田1652−1に平成4年に開園しました。 大井川のほとり、島田市郊外の丘を利用して作られたバラ園です。 春と秋の開花期に来園者を出迎えてくれるのは、世界各地から集めた約360品種・8,700株の色とりどりのバラです。 大温室を中心に丘の斜面や平坦部にバラが植えられ、毎年春と秋には「島田ばらの丘フェスティバル」も開催されます。 近くには島田市中央公園もあり [続きを読む]
  • 弾除けの 霊験灼然(れいげんいやちこ) 守り神
  •  穂積神社の「垢離取り場」です。 龍爪山穂積神社は駿河の国、静岡県静岡市に位置し、龍爪山に鎮座まします。龍爪山は文殊岳・薬師岳からなり、その昔約千三百年前空海(後の弘法大師)が真言密教を布教の折、当山を訪れたと言い伝えられています。 当山は古くから山岳信仰の場であり江戸時代までは、神仏習合の龍爪権現様として信仰されておりましたが、明治政府の神佛分離令により神道の穂積神社に改宗させられ小松宮彰親王殿 [続きを読む]
  • 凧揚げは遠州人の気風です
  •  横須賀凧の歴史は古く、戦国時代、武田方と徳川方による高天神合戦の際に、敵の陣地の測量や通信手段などに利用されたのが、その始まりといわれています。 いっぽう横須賀凧が祝凧として多彩になったのは江戸時代になってからです。元禄年間(1688〜1703年)、時の城主西尾隠岐守忠尚公の加増を祝って、家臣たちが凧を揚げたことに由来すると伝えられています。そして正徳年間(1711〜1715年)には、広く城下町の庶民の間でも凧 [続きを読む]
  • 役に立つ犬の悉平太郎です
  •  平安時代中期に遠江国の国府が置かれ、江戸時代には東海道28番目の宿場町として賑わった静岡県磐田市見付。その宿場町を小高い丘の上から見守るかのように鎮座しているのが「矢奈比賣神社」です。  御祭神は矢奈比賣命(やなひめのみこと)・菅原道真公(すがわらみちざねこう)・霊犬悉平太郎(れいけんしっぺいたろう)です。 矢奈比賣神社の社務所からぐるっと裏手に回り境内を出てると、そこはつつじ公園。この公園の一画 [続きを読む]
  • 由緒ある萬年さんのサツキです
  • 萬年家のサツキ。樹高2.5メートル、直径9メートル、周囲29メートルの大きなサツキです。樹齢は不明だが300年以上経つ相当な老木です。樹勢は旺盛で毎年5月から6月はじめ頃にかけて濃い桃色の花を咲かせます。【寛永年間とは、江戸前期、後水尾天皇・明正天皇・後光明天皇の時の年号です。西暦でいうと1624年2月30日〜1644年12月16日です。今年は西暦2018年ですから寛永年間最後の1644年から数えても樹齢は374年という [続きを読む]
  • 厄無しの長い木橋を渡りけり
  • 2006年撮影。 蓬莱橋は、明治12年(1879年)牧之原開墾者たちの共同出資により、農業用の橋として誕生しました。やがて、初倉地区と島田を結ぶ住民の生活路となり、現在では歩行者と自転車だけが通行できる賃取り橋として観光名所になっています。 全長897.4m、幅2.4mのこの橋は、「世界一長い木造歩道橋」として英国ギネス社の認定を受けました。全長897.4mをヤクナシと読んで縁起の良い橋ということであります。 [続きを読む]
  • 長旅に 小野小町も 草臥れた
  • 「小野小町の姿見の橋」です。 場所は藤枝市岡部町、合併前の志太郡岡部町内谷です。 絶世の美女と世にうたわれた小野小町は、父を良貞といって出羽守であった。その一女として生まれた小町は幼い頃からすぐれた才能に恵まれ、その上に容貌がすぐれ、人々の話題にのぼり大評判であった。 小町は成長するのにつれて歌道の修行に励みその作品も立派なものが数多く、歌人の紀貫之からも幾度か賞められていた。 晩年になったある時、京 [続きを読む]
  • 菊石が伝ふ悲恋の物語り
  • 静岡県島田市(旧榛原郡金谷町)佐夜鹿(さよしか)にある菊石は、直径約1mの菊の花のようにヒビ割れた石です。亀の甲羅のようにも見えるので、亀石とも呼ばれます。石灰岩に鉄を含む水がしみ込んで、科学変化によってヒビ割れたものだそうです。 この菊石には、南北朝時代に盗賊討伐のため京都から菊川の里へやって来た一条三位 上杉憲藤(うえすぎのりふじ)と、長者の娘 白菊姫との伝説があります。菊石の隣りは喜多向延命地蔵堂、そ [続きを読む]
  • 石が泣く 小夜の中山 青しぐれ
  • 「小夜の中山峠」 小夜の中山峠は、旧東海道の金谷宿と日坂宿の間にあり、急峻な坂のつづく難所である。古来、歌枕としても有名であり、古今和歌集の紀友則「東路(あづまぢ)のさやの中山なかなかに何しか人を思ひそめけむ」や新古今和歌集の西行法師「年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけり小夜の中山」で広く人口に膾炙しています。「夜泣き石伝説」 曲亭馬琴の『石言遺響』(文化2年)(1805年)によれば、その昔、お石 [続きを読む]
  • 砂ずりの 塩焼きで喰ふ 初鰹
  • 砂ずりの塩焼きで喰ふ初鰹(よみ)すなずりのしおやきでくふはつがつを砂ずりは鶏の砂嚢ではなくて鰹のハラモです。居酒屋メユーです。鬼ごろし鰹は土佐に叩くべし(よみ)おにごろしかつをはとさにたたくべし鬼ごろしとして愛された「忠正」蔵元の吉屋酒造は廃業しましたが銘柄は別の蔵元に引き継がれています。鰹の土佐造りには諸説ありますが藁の直火で焼霜にして冷水で冷やしてから刻むのを「たたき」というそうです。秘めやか [続きを読む]
  • 白兎奴は 小判の色を 好みます
  •  『後拾遺和歌集』という勅撰和歌集に中務卿兼明親王の歌として「ななへやへはなはさけども山ぶきのみのひとつだになきぞあやしき」というのが載っているそうです。 若き日の太田道灌が蓑を借りるべくある小屋に入ったところ、若い女が何も言わず山吹の花一枝を差し出したので、道灌は怒って帰宅しました。後に山吹には「七重八重花は咲けども山吹のみのひとつだになきぞ悲しき」の意が託されていたのだと教えられ無学を恥じたという [続きを読む]
  • 白兎句の言い訳めいた自解です
  • 花伝書を閲す浅間祭かな(よみ)かでんしょをけみすせんげんまつりかな風姿花伝(花伝書)を書いたとされる世阿弥元清の父・観阿弥清次は元中元年5月19日(1384年6月8日)駿河静岡浅間神社社頭で演能したのち駿府で死去した。「閲す」は「えっす」あるいは「けみす」と読み文書・書物などに、目を通すといった意味です。人を待つ片とき愉し夕ざくら(よみ)ひとをまつかたときたのしゆふざくら【日本伝統俳句協会・山本素竹先生の [続きを読む]
  • 饅頭を伝えた聖一国師です
  • 今回は狐石の隣りにある聖一国師の碑です。 静岡茶の祖・聖一国師(1202〜1280年)は、足久保と釜石峠をへだてた旧・安倍郡大川村栃沢の生まれです。聖一国師という名は、死後、花園天皇から贈られた称号で、生前は円爾(えんに)といいました。  幼いころから利発であった聖一国師は、5歳で久能寺に入門、その後、各地で修行を積み、嘉禎元年(1235)に宋へ渡りました。中華人民共和国浙江省杭州市余杭区径山鎮の径山にある径山 [続きを読む]
  • 諺に茶は人化かす狐草
  •  今回ご紹介するのは静岡市葵区足久保奥組奥長島にある「狐石」です。 静岡茶発祥の地の足久保には、「狐石(きつねいし)」と呼ばれる日本で一番大きいと思われる松尾芭蕉翁の句碑があります。大きな自然石の表面に、天明8年(1788)に駿府の茶商・山形屋庄八(初代竹茗)によって刻まれたと伝わる碑文があり、松尾芭蕉の「駿河路や はなたちばなも 茶のにほひ」の句とともに自らの製茶技術復活の業績が記されています。   [続きを読む]
  • 梅毒は始末の悪い病気です
  • 今回は静岡市葵区足久保口組神明原にある浄土宗の遍照山新光明寺の瘡守稲荷です。瘡といえば瘡蓋であるが、これは傷などを覆う血や膿が乾いたもの。「疱瘡(ホウソウ)」は天然痘、「赤瘡(あかがさ)」は麻疹(はしか)の古名、「銭瘡(ぜにがさ)」は田虫の古名です。しかし一般に「瘡・かさ」といえば黴毒、瘡毒(そうどく)とも呼ばれた梅毒(ばいどく)の俗称です。梅毒はスピロヘータの一種である梅毒トレポネーマによって発生する [続きを読む]
  • 正体を見た人はなし池の主
  • 静岡市葵区足久保口組にある諸川池(舟渡池)は、自然環境に恵まれ準絶滅危惧種に指定されている珍しいトンボのフタスジサナエなどの生息が市内で唯一確認されております。 この池には、高山の池の主が鯨ケ池に逃れる際にしばらく体を休めた場所だという伝説があります。 私が入学した小学校は美和村立第二小学校・・・現在の静岡市立安倍口小学校です。高山の池の主や鯨ケ池の伝説には幾通りかありますが、ここでは生まれ故郷の「 [続きを読む]
  • 疣取りの石の窪みを拝みけり
  • 『疣取り窪石』 日本各地に「いぼとり地蔵」「いぼとり観音」「いぼ神様」「いぼ石」など疣(いぼ)にまつわる信仰をあつめている神仏や自然石がたくさんあります。 イボ(疣)とは皮膚から盛り上がっている小さなできもの一般をさす俗語で専門的には疣贅(ゆうぜい)と呼ばれます。イボの多くはウイルス性で、一度、感染・発症すると周囲に広がり、治りにくくなるため、早期の治療が大事です。 静岡市葵区内には大原釜戸と足久 [続きを読む]