philo1985 さん プロフィール

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philo1985さん: イデアの昼と夜
ハンドル名philo1985 さん
ブログタイトルイデアの昼と夜
ブログURLhttp://philo1985.hatenablog.com/
サイト紹介文東京大学で哲学を学びつつ、ブログを書いています。よろしくお願いします。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供185回 / 365日(平均3.5回/週) - 参加 2015/05/22 09:59

philo1985 さんのブログ記事

  • 歴史が私たちに語ること
  •  それにしても、苦しんでいる見知らぬ他者を助けたほうがよい理由とは何だろうか。その根拠はさまざまに考えられますが、まずは次の点を挙げることができるかと思います。 「その他者は、私たちのことが原因で苦しんでいるかもしれない。」  たとえば、精神の病は、少なくとも部分的には、その人のいる環境や社会のあり方が大きく関係している場合が少なくありません。この場合、病んでいる人たちの問題は社会全体の問 [続きを読む]
  • 渇望の二択と倫理の二択
  •  ここでは、二択の状況を二組提示することで議論を整理してみることにします。 渇望をめぐる二択:   1.わたしは、他者を求める。   2.わたしは、他者を求めない。 この二択のうちのどちらを選ぶかは、それぞれの主体の自由に任されています。たとえば、筆者自身は(自分自身も含めて、人間性には絶望しつつも)1のスタンスを取りますが、「もう人間はたくさんだ」ということで2を選択する道も、当然ありうる [続きを読む]
  • スピノザ主義を問いなおす
  •  今回の探求で検討したいのは、次のような言明に他なりません。  コナトゥスの自己表明:   わたしは、わたしに生まれてよかった。        この家族に生まれてよかった。        この国に生まれてよかった。  まず最初に確認しておきたいのは、こうした言明のうちにはもちろん、健全な感覚も含まれているということです。けれども、この言明が自己性への閉鎖の回路を作り出すときには、それは倫理上の問 [続きを読む]
  • 想像力は必要か
  •  考察をはじめるにあたって、まずは次の点を確認しておくことにします。  「苦しんでいる他者は、現実に存在する。」  わたしもあなたも知らないところで、苦しんでいる人がいるのではないか。このように言った時には、当然、次のような返答もありうるものと思われます。  「確かに、そうかもしれない。けれども、頭の中でそんな抽象的なことばかり考えていてもしょうがないのではないか。」  理屈ばかり並べていて [続きを読む]
  • 見知らぬ隣人
  •  ところで、他者をめぐる問題には、わたしとあなたという二者関係を越え出ずにはいない側面があるといえるのではないか。  「世界には、わたしの知らないところで苦しんでいる人々が無数に存在する。」  わたしとあなたということであれば、対話することが、互いの苦しみからの出口を見出す糸口になりえます。しかし、わたし(第一人称)でもあなた(第二人称)でもない、第三人称の他者たちについてはどうだろうか。 [続きを読む]
  • 隔たりと思いこみ
  •  そろそろ、無意味からの出口としての他者という当初の主題に立ち返ることにします。  「わたしはある意味で、あなたには永遠に到達することができない。」  他者であるあなたは、わたしの意識を超えています。したがって、わたしには、わたしの意識に映るあなたを越えて、あなたそのものに到達することはできません。  この不可能性は原理的なものであるため、たとえどれほど長く関係を続けてゆくとしても、この不可 [続きを読む]
  • 耳をすますことについて
  •  「哲学の務めのひとつは、人間に立ち止まることを教えることにあるのではないか。」  存在するという語についていえば、この語のうちにはらまれている底知れない深みのうちに分け入ってゆくためには、日常のあわただしい流れから身を引き離してみる必要があるのではないか。 たとえば、耳をすましてみると、雨が地面を打つ音が聞こえてくる。その音を包みこむ静けさのさらに奥のほうからは、かすかに虫の鳴く声が…… [続きを読む]
  • 存在という語は
  •  「哲学者の生とは、ある面から見れば、存在という語への態度の変化のプロセスであるといえるのではないか。」  人生のうちで死と別れの経験をくり返すうちに、哲学者の心の中では、ある問いかけが重ねられてゆくことになります。  かつて「ある」と思っていたものが、今は「ない」。そうであるならば、今「ある」と思っているものも、当然いつかはもはや「ない」ものに変わってしまうことだろう。  そうであるならば [続きを読む]
  • 永遠と選択の問題
  •  話題が愛の関係に及んだので、この機会に次の点について考えておくことにします。  「私たちの生は、別れの連続にほかならない。」  わたしと彼とは、一体どこですれ違ってしまったのだろう。互いに友でありつづけることなど当たり前だと思っていたのに、気がついてみると、別の道を歩んだまま、声をかけ合うことすらしなくなっていた。  また、わたしと彼女とのあいだに結ばれたあの約束は、一体どこに行ってしまっ [続きを読む]
  • エウリュディケーは、最初から……。
  •  傷と痛みについて考えつづけていると、ひとは次のようなイデーに捉えられずにはいないのではないかと思われます。  「わたしの生は、根源的に、わたし自身の自由になるものではない。」  わたしの生の方向を決定づけることが大きいのは、喜びよりもはるかに痛みのほうなのではないか。実際、他者たちからその人自身のライフストーリーを聞くとき、私たちは、傷というものがいかに人間をその根底から変えるものであるかと [続きを読む]
  • わたしを開くものは
  •  無意味からの出口としてのあなたの存在を知るとき、わたしは、それまで気づくことのなかった事実にあらためて気づくことになります。  「世界には、わたしの他にも苦しんでいる人々が無数にいる。」  おそらく、人間は、自分自身が何らかの形で苦しんだことがなければ、他者の苦しみにも開かれることはないのではないでしょうか。そして、これはもう、ある程度は仕方のないことであると言わざるをえないのではないか。 [続きを読む]
  • 他者の発見
  •  「無意味からの出口は、わたしの意識を超える他者である、あなたのうちにあるのではないか。」 わたしが死にたいというほど苦しんでいる時、救いの唯一の可能性は、その痛みをあなたに投げかけることにうちにあるのではないだろうか。  あなたは、わたしの意識にとっての超越を意味します。だからこそ、わたしにはあなたが何を言うのかを予測することが決してできない。あなたの言葉は、わたしには知りえない、未知の [続きを読む]
  • 他者の発見
  •  「無意味からの出口は、わたしの意識を超える他者である、あなたのうちにあるのではないか。」 わたしが死にたいというほど苦しんでいる時、救いの唯一の可能性は、その痛みをあなたに投げかけることにうちにあるのではないだろうか。  あなたは、わたしの意識にとっての超越を意味します。だからこそ、わたしにはあなたが何を言うのかを予測することが決してできない。あなたの言葉は、わたしには知りえない、未知の [続きを読む]
  • 問いのうちにとどまること
  •  「もしも存在することそれ自体が悪でしかありえないとしたら、それならば、わたしはなぜ生まれてきたのか。」  生きることのみじめさをめぐる問いかけは、どこかの時点で必ずこの地点にたどりつくことになるのではないか。  「人間にとって最もよいのは、生まれてこないことである。」この言葉の意味するところは重い。人間は果たして、この言葉の耐えがたさのうちにとどまりつづけることができるのだろうか。  「な [続きを読む]
  • 生きながらにして死んでいる
  •  外傷とその否認をめぐる考察から言えそうなのは、つまるところ、人間にとって最も重要な問いとは、次のような疑問なのではないかということです。  「存在するべきか、否か? To be or not to be?」 わたしは、生まれてくるべきではなかったのではないか。このつぶやきは、その深刻さが極まった時には、事実そのものの否認にまでいたります。  いや、わたしは生まれてきたりなどしなかった。死ねば無になるのだから [続きを読む]
  • スクリーンは否認のために……。
  •  1.唯一的な主体としてのわたしへの、わたし自身の存在の贈与あるいは外傷。(現実的なモメント)  2.コギト、すなわち思考する主体としてのわたしの思考。(想像的なモメント)  もう少し詳しく、この二つのモメントの関係について考えてみることにします。  1は、「わたしがこの人間として生まれたということ」あるいは「わたしが今、この人間であること」を与える贈与あるいは外傷です。そのかぎりで、この外傷は単 [続きを読む]
  • フィクションの危険性
  •  1.唯一的な主体としてのわたしへの、わたし自身の存在の贈与あるいは外傷。(現実的なモメント)  2.コギト、すなわち思考する主体としてのわたしの思考。(想像的なモメント)  2は、1にもとづくことにおいてのみ可能になります。そして、2は1のモメントに追いつくことが決してできません。逆を言えば、2は1に対してつねにすでに遅れているという宿命を背負っているといえる(コギトをめぐる隔時性)。  すでに論じ [続きを読む]
  • 外傷と事後性
  •  「存在するという運命は、それを望むにせよ望まないにせよ、唯一的な主体であるわたしに課せられている。」  わたしが、この世にこの人間として生まれてきたこと。そして、わたしが今ここにこの人間として、存在していること。  このことは、わたしの自由にはなりません。運命に対するこの受動性は、自由意志によるどんな選択にも先立つような受動性であるといえます。  眠りから目を覚ましたわたしは、わたしがまた [続きを読む]
  • わたしがこの世に生まれ落ちたとき
  •  「人間の自由は、おのれ自身にたいして贈られる運命を受け取ることのうちにこそあるといえるのではないか。」  人生を自己実現という観点のみから見ると、わたしの生は、わたしがわたし自身の望むことを現実化してゆくことに尽きるようにもみえます。けれども、この見方は一面的なものにすぎないのではないか。 わたしは、わたしが生まれてくる時代も場所も選ぶことができません。そもそも、よく言われるように、わたし [続きを読む]
  • 世界の贈与
  •  「世界は唯一的な主体であるわたしに対して、ただ一つ贈与される。」  わたしと同じように、わたしが生きることになるわたしの世界もまた、唯一的であるという特徴を持っています。  わたしは、誕生のときに与えられたわたしの特異性に応じて、わたし自身の世界を長い時間をかけて受け取ります。この世界は無数の「これ性 haecceitas」に満たされているとともに、唯一的かつ多様な諸々のリズムによって秩序づけられてい [続きを読む]
  • 窓を眺める子供は
  •  もう一度、ニヒリズムのほうに話を戻すことにします。  「ニヒリズムの根底には、わたしにとって他者が存在しなくなっているという事情があるのではないか。」  この世界には意味がないと、わたしは感じている。しかしそれは、実はわたしがわたし自身の観点からしか世界を眺めていないからなのではないか。  最近、筆者はアルバイト先までゆくのにバスを利用することがあります。先月、その途中の車内で、前の座席に2 [続きを読む]
  • Appendix:別の深刻な問題
  •  「ニヒリズムの問題は深刻ではあるが、最も深刻であるとは限らない。」  前回すでに論じたように、おそらくニヒリズムの問題は、社会-経済的な条件が整った、物のあふれる「豊かな世界」において本格的に発生します。その意味では、この問題は「特権的に恵まれた人たち」が抱える問題であるといえる。  そうなると、哲学者としては、この世にはまったく別の問題があるという事実に注目せざるをえなくなってきます。いわ [続きを読む]
  • 物があふれているからこそ……。
  •  「ニヒリズムが蔓延しているということは、人間が他者と取り結ぶ関係が変化しつつあることの兆候でもあるのではないか。」  今日の人間は確かに、他者たちとともに生きてゆくことに倦み疲れています。けれども、このことは逆に、他者への渇望がかつてよりも深まりつつあることを示してもいるのではないか。  一般的にいって、昔の人びとには、ニヒリストになるほどの経済的余裕はありませんでした。情報化した高度消費社 [続きを読む]
  • ニヒリズムは派生的である
  •  「望むにせよ望まないにせよ、わたしには、あなたとの関係を求めるのをやめることができない。」  関係の具体的な状況はさまざまであるとはいえ、これが人間の生を根底から条件づける渇望であるように思われます。  わたしは確かに、あなたと呼べるような他者、愛においてであれ友情においてであれ、絶対的に隔たりながらも呼びかけつづけずにはいられないような他者を、まるで求めていないかのようにして生きることもで [続きを読む]
  • 渇望、それでもなお
  •  「本当の意味での他者たちとの関係は、関係の不可能性に直面するところからはじまるのではないか。」  お互いに、自分が見たい面だけを相手のうちに認めつづけていること。そして、他者がわたしとは違う仕方で考えているということに、私が耐えることができないということ。  けれども、ただ単に違いに目をつぶるというだけでは、その場合にもあなたとの距離は離れてゆく。互いに大人らしくふるまおうと自分自身に言い聞 [続きを読む]