黒弓 さん プロフィール

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黒弓さん: しょんないブログ
ハンドル名黒弓 さん
ブログタイトルしょんないブログ
ブログURLhttps://ameblo.jp/mystery-tour2004/
サイト紹介文宇和島の風景と時々備忘録
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供69回 / 365日(平均1.3回/週) - 参加 2015/06/02 23:10

黒弓 さんのブログ記事

  • 【悲報】樋口虎若邸
  • 奇しくも昨日の記事に載せた動画の冒頭が最後に収めた姿となった…大正15年に建てられたものだった…先月の頭に撮った写真が最後の1枚…モダンなレンガ塀も破壊され病院の駐車場になるか…文化レベルが低いにも程がある… [続きを読む]
  • 一億総活躍社会って…
  • 冒頭、兵衛坂を下り左折した先に電動シニアカートが見える… この日、たまたま新聞少年を買って出たのかもしれないし、そうあって欲しいが…自分が歩くのも一所懸命な老人が新聞を配達していた…この国の夢想家達が云う一億総活躍社会ってのはこういう事なのか…?きっと偉い人達には現実は見えないのだろうし、自分の親が茶碗一杯の飯の為、動かない体引き摺って新聞少年やっていたらなんて想像もできないのだろう…爽やかな少し [続きを読む]
  • 昨日見た夢
  • 先月28日に16才で亡くなったブーの夢を見た…もう居ないことも分かっていて亡くなる直前のやせ衰えた横たわるブーだった…名前を呼ぶと呼んだ数だけあの声で答えてくれて…撫で摩ると温かくて…耳を宛がうとあのグルグルが聞こえた…生きている間、本当のブーの存在感に気付いて無かったなぁ…私の指先にはお前の骨格の大きさや形がしっかり記憶されているのに… [続きを読む]
  • この野郎!
  • miとかいうのが勝手に庭に現れて水やりするので暫く水周りしていたら突然、出禁にされていた…気分が悪いので自分の裏庭に移動、出禁返ししといた…w出禁にされた場合、裏庭からだと報復措置が取れるのだ…フフフ [続きを読む]
  • 今までありがとう…
  • 画像を縮小しないといけなかったり、任意のサイズに調整しても度重なる改悪でその都度再調整が必要なアメブロには疲れました。 身売りの後、ニュースなどにトンスル贔屓のものが散見され5年以上放置していたLivedoorでしたが、掲載できる画像が大きいという事もありコチラでブログを書こうと思い先月より始めてみました。しょんないブログもし気が向いて覗いて頂ければ喜びまふ。。。 最終スコア 今までありがとうございました。m [続きを読む]
  • 愛媛県水産試験場
  • 大正六年八月、製産場跡(旧港町)から樺崎に新築移転された時のもの…松並木の部分は宇和島中学のボートレース観覧席に使用されたという… 南豫通運住吉倉庫の裏辺り… 昭和元年頃の住吉山麓海岸でんすけ鼻での宇和島中学生徒とボート…上の写真の更に奥、徳洲会病院の裏辺り… 徳洲会病院が建つ前は、この奥に清崎造船所が在り、そこへ続く道が伸びていた…この出っ張りはでんすけ鼻の一部だったりして… [続きを読む]
  • 見返り橋
  • 須賀川の付け替えで大浦から吉田町へ通じる見返り坂を切り通しにした河口に架けられたのが鉄筋コンクリート製、長さ46.8m 幅員5mだった見返り橋… 今の見返り橋は二代目…小学校三年の時、理科の担任だった三好先生がこの辺りに住まわれていて授業中、話しが脱線した際、近所にある見返り橋の名前の由来について語られた…そう、宇和島の都市伝説のアレである…数年前、伝説のイケメンブロガーまーきみ。さんの記事を拝見するまで [続きを読む]
  • 祝森の古い橋
  • 柿ノ木川を国道56号線が通る草木橋の一つ上の橋… 渡ってみよう… 渡ったところ… 低い欄干に鉄パイプが懐かしい造り… 下流側も一枚… 橋を挟んだ両側に階段が設えてある… 下流側… 銘板も架設年の表記もない… 上流側のみ階段部分に鎖が掛けられていた… [続きを読む]
  • 和霊神社と御幸橋
  • 大正時代の和霊神社回廊、左端は隋神門… 現在のもの… 昭和七年、須賀川付け替え後の御幸橋… 現在の姿… 御幸橋には焼夷弾の直撃跡が残っていたり… 明治中期の和霊神社、一枚目の写真同様、隋神門や川と御幸橋が向き合っていない… 須賀川の付け替えは御幸橋より上流百二十間の所から行われているからで、写真下部、見切れているが和霊橋辺りからと言う事になる…よって手前の森安橋から架設年が昭和七年となるのだろう…と妄想 [続きを読む]
  • 和霊大橋
  • 現在は国道56号線が通る和霊大橋は鉄道橋だったという大正五年頃の写真… 今の和霊大橋… 国道56号線松山方面、元々の駅はこの辺りに在ったものが現在地に移転したのだとか… 正面奥の道が嘗ての鉄路という… [続きを読む]
  • 道連橋
  • 大正時代の道連橋と泳ぐ子供たち… 水量の多いこと… 須賀川ダムができた事もあるだろうが、昔の川は何処も水量が多かった… どおりで見守り地蔵が祀られている訳だ… [続きを読む]
  • 神田川河口
  • 明治三十年代、下流の松崎新田辺りの風景というから国道56号線が通る、明倫橋の辺りだろう…煙突は昭和の時代には工場が在ったようだから関係が有るかもしれない…背後の山は山際の裏山か…手前にはしっかりした雁木が拵えてある… 今はマンションの影に隠れて同じ位置で確かめる事が出来ないがこんな感じか…右端の石垣が似ているので一瞬、当時のものかとも思ったが… 写真右端にある様に古そうな石積みの真ん中にコンクリート打 [続きを読む]
  • 巽橋とその他諸々…
  • 津島大橋を渡って… 巽橋を渡って… 親柱… 道路拡幅工事は終えている…大潮の晴れた日の午前中に、この方向と河原に下りて下から撮ってみたいがもう無理だろうなぁ… 古風な建物も… 限界のようだ… コレも見納めか… ココも無くなっている… コレが建っていたが…その他にも危険!の札が目に付いた… [続きを読む]
  • 来村川 其ノ弐
  • 左奥の林は天赦園、って事は立派な石垣は今も土中に眠っているかも…それにしても背後の禿げは伐採というより山体崩壊のようだ…中央手前の低い山は上部の陣ヶ森農道辺りは全て耕作地で裾の崖の部分だけ樹林帯となっている… 土地の記憶は山の形のみ、目の前まで土地が迫っている… [続きを読む]
  • 来村川 其ノ一
  • 慶長十五年(一六九〇)頃、富田信高が写真右側に流れていた川を尾串の森を切って今の流れに付け替えたという…明治四十年代の写真… 同じ位置からでは木が邪魔でこうなる… 東斜面の一本を伐採すれば明るく開けるものを…私が子供の頃は道の左側はかなり低く田んぼが広がっていた… [続きを読む]
  • 南新地
  • 大正二年、元結掛お大師前に芸妓置屋二軒が初めて開業した…その頃、農漁村は養蚕景気に湧いていた為、大正九年には一気に十数件も建てられ、芸者衆が六十人に達したという… 右端が馬目木大師、奥の突き当りが神田川… 神田川(じんでんがわ)を背に… 今は豊田が買い漁り空き地で転がっているが、四十年近く前は一目でそれと分かる建物が建っていたのが看板の辺り… 今も残るはこの建物くらいか…嘗ては見事な造りであったろう中庭 [続きを読む]
  • 愛宕公園
  • 頂上の愛宕公園には天狗さんのお止まり木という杉古木が植わっていた…山腹にはジグザグの道が見える明治時代の写真… このような道が上まで続く… アングルなのか望遠による圧縮効果なのか麓の町並みが近くに見える大正十二年頃… 今は展望台になっている、この部分とは限らないが、この辺りだろう… 展望台からの眺望、大正十二年頃の写真に城山が見えないのでそのようなものを… [続きを読む]
  • 船大工町
  • 石油ランプ灯が取り付けられた凱旋門…右端は玉置竹二郎本店… 御上がり場(樺崎)からココを通って兵隊さんは凱旋を果たしたのか… 大正十五年頃の写真、正面奥はキリン館、この時期すでに鈴蘭灯があったとは… ココを流れていた須賀川には新大橋が架かっていた… [続きを読む]
  • 榎橋
  • 昭和初期の須賀川に架かる榎橋、橋の向こうは北陽花街でこの橋は芸者橋と呼ばれていた… 昭和七年、須賀川の付け替えで今は国道56号線… 国道56号線、嘗ての須賀川を渡れば、このような花街が広がっていた… [続きを読む]
  • 龍光院
  • 現在は龍雲閣と呼ばれる建物が建っていて、この角度からになるが… 大正時代の龍光院、石段に二人の芸者さんが立っている… 醍醐塔は最初、石段の左側に建立されていたようだ… 今は石段の右側に移設されている醍醐塔… 明治八年乙亥九月十五日 建立、今から百四十二年も前か… [続きを読む]
  • 龍華山と龍吟の松
  • 本堂と庫裡の間口三十七間と立派なものであったが昭和二十年七月の空襲で焼失した…総檜造りの山門は明治二十七年に造られた…この年は支那討伐が行われた年で俗に言う日清戦争ですな…当時は明治二十七、八年の戦役、日露戦争は明治三七、八年の戦役と呼ばれていた支那、トンスルはもう一度、徹底的に叩いて潰さなければ百年経っても千年経っても有る事無い事みそクソ一緒に日本を貶め続けるだろう…日本が真の安寧を手にする為に [続きを読む]