一日一日大切に生きること さん プロフィール

  •  
一日一日大切に生きることさん: 一日一日大切に生きること
ハンドル名一日一日大切に生きること さん
ブログタイトル一日一日大切に生きること
ブログURLhttp://blog.goo.ne.jp/fiji-island-nadi
サイト紹介文毎日を楽しく生きるために、人間について、この世の中の諸問題について一生懸命に考えてみたいと思います。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供15回 / 365日(平均0.3回/週) - 参加 2015/06/25 08:18

一日一日大切に生きること さんのブログ記事

  • 再論・南太平洋島嶼国「フィジー」について考える(15)
  •     再論・南太平洋島嶼国「フィジー」について考える(15)           第2章 フィジーに移住した日本人(3)   (2)日本人フィジー移民と日本吉佐移民合名会社―再論・日本吉佐移民合名会社を考えるー 3)移民事業に対する佐久間貞一のこだわり 豊原又男の『佐久間貞一小傳』(秀英舎庭契会)によると、「吉佐移民会社」の移民事業は、前述のように当初は、仏領ニューカレドニア島などへ出稼ぎ労働移民を [続きを読む]
  • 再論・南太平洋島嶼国「フィジー」について考える(14)
  •   再論・南太平洋島嶼国「フィジー」について考える(14)         第2章 フィジーに移住した日本人(3)   (2)日本人フィジー移民と日本吉佐移民合名会社―再論・日本吉佐移民合名会社を考えるー  以下では重複は避けられないのだが、フィジーやクイーンズランド等への日本人移民の搬送を最初に手がけたとされている会社組織の移民会社、「日本吉佐移民合名会社」を設立したことで知られている「日本郵船」副社長 [続きを読む]
  • 再論・南太平洋島嶼国「フィジー」について考える(13)
  • 再論・南太平洋島嶼国「フィジー」について考える(13)       第2章 フィジーに移住した日本人(3) >   (1)日本人移民、英領フィジーへ渡る 4)日本人移民、英領フィジーへ渡る 話が前後するが、「吉佐移民会社」の初めての移民周旋事業は、前述のように1892(明治25)年1月に始まった。移民の送出先は、南太平洋メラネシアの海域内に位置する仏領ニューカレドニア島ニッケルの町Thio(チヨ)である。ここ [続きを読む]
  • 再論・南太平洋島嶼国「フィジー」について考える(12)
  • 再論・南太平洋島嶼国「フィジー」について考える(12)       第2章 フィジーに移住した日本人(3)   (1)日本人移民、英領フィジーへ渡る  3)フィジーより先にクイーンズランドに多くの日本人労働者が移住  南太平洋のメラネシアに所属するフィジー諸島のサトウキビのプランテーションで働くため、日本人移民が吉佐移民会社の周旋で移住することになったのは、1894(明治27)年だったことは既述の通りであ [続きを読む]
  • 再論・南太平洋島嶼国「フィジー」について考える(11)  
  • 再論・南太平洋島嶼国「フィジー」について考える(11)       第2章 フィジーに移住した日本人(3)   (1)日本人移民、英領フィジーへ渡る 2)移民会社の草分け:短命に終わった「吉佐移民会社」 因みに、「広島海外渡航会社」、「森岡商会」、「熊本移民会社」、「東京移民会社」、そして「日本移民会社」が当時の大手であり、これらはハワイへの移民の送り出しに関わった「五大移民会社」と呼ばれた。その他にも [続きを読む]
  • 再論・南太平洋島嶼国「フィジー」について考える(9)
  • 再論・南太平洋島嶼国「フィジー」について考える(9)     第2章 フィジーに移住した日本人(2)    2)フィジーに日本人移民を送った日本最初の移民会社    「吉佐移民会社」の誕生  ところで、「官約移民制度」1)は、日本とハワイ王国の移民条約(1885年1月締結)に則り、日本政府が募った最初の移民希望者は28,000人に達したが、その中から「体格がよく頑丈そうな者が選ばれた。そして同月第一回目の移民946名が [続きを読む]
  • 再論・南太平洋島嶼国「フィジー」について考える(8)
  • 再論・南太平洋島嶼国「フィジー」について考える(8)    第2章 フィジーに移住した日本人(2)      1)フィジーへの日本人移民のきっかけ   日本からフィジー諸島に移民したのは、主として広島県からだった。同県から海外への移住は明治から昭和にかけてハワイをはじめ北米、南米の国々、さらに本稿で取り上げようとしているフィジーを含むオセアニアからアジアの諸国と多くの諸国に労働移民を送り出していた。 [続きを読む]
  • 再論・南太平洋島嶼国「フィジー」について考える(7)
  • 再論・南太平洋島嶼国「フィジー」について考える(7)   第2章 フィジーに移住した日本人(1)   はじめに  日本人の移民の多くは、ハワイを含む米国本土、カナダ、そしてブラジルをはじめ中南米のような、言って見ればメジャーな受け入れ国への移住が中心であったが、本稿における考察対象である南太平洋島嶼国の一つ、旧英領時代のフィジー諸島のようなこれまで余り知られていなかった、否、忘れられてしまっている [続きを読む]
  • 再論・南太平洋島嶼国「フィジー」について考える(6)
  • 再論・南太平洋島嶼国「フィジー」について考える(6)   第1章 フィジーのプロフィール(6)―最終回−  本章(第1章 フィジーのプロフィール)を終えるにあたり、上述した内容と一部に若干の重複は避けられないが、(6)の最終回では(1)−(5)までの全体をまとめる意味で、敢えて欲張った内容で叙述してみたいと思う。  フィジーにいつ頃から人が住むようになったか、そして彼らがどこから移住してきたのか必 [続きを読む]
  • 再論・南太平洋島嶼国「フィジー」について考える(5):中本博皓
  • 再論・南太平洋島嶼国「フィジー」について考える(5)  第1章 フィジーのプロフィール  ≪フィジーの歩み:イギリス植民地時代≫ 以上述べてきた内容と、若干の重複するが、フィジーの歩みについて「イギリス植民地時代」に触れておきたい。ヨーロッパ人がフィジー諸島に移住するようになったのは周辺の島嶼諸国に比べて遅かった。その理由は、フィジー人が凶暴だと、探検家の中で噂されていたのでタスマン(Abel Janszoon [続きを読む]
  • 再論・南太平洋島嶼国「フィジー」について考えるー(4):中本博皓
  • 再論・南太平洋島嶼国「フィジー」について考える(4)  第1章 フィジーのプロフィール(4) ≪フィジーの歩みーラピタ人とラビタ土器≫  いろいろな説があるが、フィジー諸島に島民が住むようになったのは、およそ8000年も昔のことだといわれている。その人びとは、メラネシア系のパプア人だった。 また、第一島のヴィチ・レヴ(島)で発掘された最古の土器は紀元前13世紀初期のものだと推測されている。しかし、次のよう [続きを読む]
  • 再論・南太平洋島嶼国「フィジー」について考える(2)
  • 再論・南太平洋島嶼国「フィジー」について考える(2): 中本博皓  第1章 フィジーのプロフィール(2) ≪補筆・フィジー第3の島『タヴァウニ島』について≫  タヴェウニ島(Taveuni Island)については、前回、少しばかり触れたので若干重複することになるが、敢えて述べておこう。  タベウニ島は、フィジーの第2の島Vanua Levuグループの一つで,島の面積は435?2で、フィジーでは3番目に広い面積をもつ島である。   [続きを読む]
  • 再論・南太平洋島嶼国「フィジー」について考える(1)
  •    再論・南太平洋島嶼国「フィジー」について考える(1): 中本博皓  第1章 フィジーのプロフィール(1)  フィジーの正式な呼び方は、The Republic of Fiji Islands である。日本語ではフィジー諸島共和国と表記されている。首都は、かつて(1874-1882年)まではオバラウ島の最大の都市レヴカ(Levuka)にあった。レヴカは港町として栄えたフィジーの貿易の拠点だった。いまは、フィジー最大の島ヴィチレヴ島のSuva [続きを読む]
  • 一日一日を大切に生きるー島嶼国「トゥヴァル」についてー(24):中本博皓
  • 島嶼国「トゥヴァル」について(24) 2)何が一番大切なのか   ?)「土」こそ宝 トゥヴァルの人々にとって大切なのは、作物を育む「土」であろう。島嶼は珊瑚の環礁上に形成されているから、もともと土に恵まれていない。しかも近年は、地球の温暖化が進み海面上昇の影響もあって、高潮等による度重なる洪水の被害が増し、農耕地の表土が洗い流されることが多い。しかも地下からも海水が浸透し、農作物への影響が年々深刻に [続きを読む]
  • 一日一日を大切に生きるー島嶼国「トゥヴァル」についてー (19):中本博皓
  • 島嶼国「トゥヴァル」について(19)(2)日本の援助  ?)日本の援助額 これまでトゥヴァルに対する日本のODAの実績を振り返って見ると、オーストラリアやニュージーランドとともに大きな貢献を成してきた。援助の内容、中身を精査すると、トゥヴァルが海洋資源(水産資源及び鉱物資源)の開発に努力していること等を踏まえ、水産分野を中心に無償資金協力および技術協力を行ってきた。 最近の資金協力のうち2000年度についてみ [続きを読む]
  • 一日一日を大切に生きるー島嶼国「トゥヴァル」についてー (18):中本博皓
  • 島嶼国「トゥヴァル」について(18)4. 経済援助の問題(1) 英国の「予算援助」解消の理由 1)独立国の立場  トゥヴァルは、1978年の独立以後、英国女王を元首とした立憲君主国家となった。そのため英国の経済的な援助に依存してスタートした。たとえば、現在もそうであるが、歳入と歳出のバランスを計るために、英国をはじめオーストラリア等諸外国からの援助が続けられている。 周知のように、1978年から1987年の10年間は、 [続きを読む]