こまいぬ@御朱印研究家 さん プロフィール

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こまいぬ@御朱印研究家さん: 古今御朱印覚え書
ハンドル名こまいぬ@御朱印研究家 さん
ブログタイトル古今御朱印覚え書
ブログURLhttps://blog.goshuin.net/
サイト紹介文神社仏閣巡りでいただいた現代の御朱印、貴重な江戸時代の納経帳や戦前の御朱印、御朱印の歴史の考察など
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供10回 / 365日(平均0.2回/週) - 参加 2015/06/28 21:49

こまいぬ@御朱印研究家 さんのブログ記事

  • 明治4年の官国幣社一覧
  • 明治15年(1882)伊弉諾神社(伊弉諾神宮)と海神社の御朱印神社の社号標や由緒書などに見られる「官幣大社」「県社」「村社」など、一般に旧社格と称される近代社格制度による社格は、明治4年(1871)5月14日の太政官布告「官社以下定額・神 官職制等規則」によって基本が定められました。この布告では、神社の格を大きく官社(官幣社・国幣社、官国幣社とも呼ばれる)と諸社(府・藩・県社、郷社)に分け(村社は同年7月4日の『郷 [続きを読む]
  • 松山八社八幡(由緒と御朱印)
  • 経ヶ森(太山寺)より松山城を望む春秋の彼岸に一番近い戊の日を「社日」といいます。もともと古代中国の土地神を祀る祭日でした(中国では「社」は土地神を意味する)。我が国でも古くから農作業の節目とされ、社日講の祭が行われたり、社日参りと称して地域の神社を巡拝する風習がありました。特に愛媛県の松山地方では「八社参り」と称し、松山城下周辺の8社の八幡宮を巡拝する習慣がありました。この8社の八幡宮を「松山八社八 [続きを読む]
  • 自玉手祭来酒解神社
  • 自玉手祭来酒解神社(たまでよりまつりきたるさかとけじんじゃ)正式名称:自玉手祭来酒解神社通称:酒解神社旧称:天王社(天神八王子社・山崎天王社・山崎八王子社・牛頭天王社・八王子天王社等)御祭神:大山祇神(酒解神)/相殿:素盞嗚尊創建年代:不詳例祭:9月15日社格等:式内社・旧郷社鎮座地:京都府乙訓郡大山崎町大山崎天王山46番地[Mapion | googlemap]JR京都線「山崎駅」もしくは阪急京都線「大山崎駅」から徒歩4 [続きを読む]
  • 自玉手祭来酒解神社
  • 自玉手祭来酒解神社(たまでよりまつりきたるさかどけじんじゃ)正式名称:自玉手祭来酒解神社通称:酒解神社旧称:天王社(天神八王子社・山崎天王社・山崎八王子社・牛頭天王社・八王子天王社等)御祭神:大山祇神(酒解神)/相殿:素盞嗚尊創建年代:不詳例祭:9月15日社格等:式内社・旧郷社鎮座地:京都府乙訓郡大山崎町大山崎天王山46番地[Mapion | googlemap]JR京都線「山崎駅」もしくは阪急京都線「大山崎駅」から徒歩4 [続きを読む]
  • 西国16番 清水寺〈文政8年〉
  • 文政8年『神社仏閣順拝帳』西国16番 音羽山 清水寺山城国 洛東 清水門前六波羅蜜寺を参拝した太郎助は、そのまま続けて清水寺に参拝しています。六波羅蜜寺から清水寺の仁王門までは徒歩10分あまりの距離です。「清水の舞台」や「音羽の滝」で名高い清水寺は、平安遷都以前に遡る歴史を有し、古くから観音霊場として広く信仰を集めてきました。現在でも京都を代表する観光地の一つであり、世界文化遺産にも登録されています。寺伝 [続きを読む]
  • 「江戸七氷川」考
  • 赤坂氷川神社『江戸名所図会』(国会図書館デジタルコレクション)「江戸七氷川」は江戸に鎮座していた七所の氷川神社です。筆頭とされる赤坂氷川神社をはじめ、七氷川に数えられる神社の紹介でよく使われています。そのため、東京の神社に関心のある人ならば大抵その名は知っていると思うのですが、その正確な内容についてはよくわかってないのではないでしょうか。以前は赤坂氷川神社の公式サイトに七氷川に関する記述があり、そ [続きを読む]
  • 隅田川七福神 開祀二百年(平成30年)
  • 平成30年、隅田川七福神が開祀二百年を迎えるということで、約10年ぶり2度目の巡拝をしました。三が日の混雑を避けて4日の午後に参拝。それなりに巡拝の人は多かったものの、ほとんど待ち時間もなく参拝することができました。隅田川七福神の歴史隅田川七福神は、向島百花園に集った大田南畝(蜀山人)や谷文晁、酒井抱一といった江戸の文人墨客たちが、主人の佐原鞠塢〔さはら きくう〕愛蔵の福禄寿に目をつけ、向島近辺で七福神 [続きを読む]
  • 熊野神社(伊予新宮)
  • 熊野神社 正式名称:熊野神社 旧称:熊野宮、熊野十二社宮、四国第一大霊験所熊野大権現宮 御祭神:  第一殿(結之社):熊野夫須美大神(伊弉冉尊)、事解男尊  第二殿(速玉社):熊野速玉大神(速玉男尊)  第三殿(証誠殿):家津美御子大神(素盞嗚尊)  第四殿(若宮・若一王子):天照坐大神、国常立尊  第五殿(禅師宮):天忍穂耳尊  第六殿(聖宮):瓊々杵尊  第七殿(児宮):彦火々出見尊  第八殿(子守宮) [続きを読む]
  • 謹賀新年 平成卅年戊戌歳
  • 明けましておめでとうございます。旧年中はご愛読ありがとうございました。昨年はサイトのリニューアルに注力していたことと、リアルでいろいろあったことから、特に年の後半、ブログの更新がほとんどできませんでした。今年もしばらくは今のような状態が続く予定ですが、サイトとの違いを出して「覚え書き」の名の通り気軽な感じで更新できればと考えています。サイトのリニューアルについては、内容や体裁を見直しながらの作業の [続きを読む]
  • 東京の酉の市と御朱印
  • 浅草鷲神社の酉の市11月の酉の日には、都内各所の大鳥神社・鷲神社で「酉の市」が行われます。11月最初の酉の日を一の酉、二番目の酉の日を二の酉と呼び、三番目の酉の日がある年は三の酉まで行われます。11月の酉の日には、都内各所の大鳥神社・鷲神社で「酉の市」が行われます。11月最初の酉の日を一の酉、二番目の酉の日を二の酉と呼び、三番目の酉の日がある年は三の酉まで行われます。来る年の開運招福・商売繁盛を願い、福を [続きを読む]
  • 四国別格13番 仙龍寺
  • 愛媛県四国中央市新宮町馬立1200 [Mapion | googlemap]金光山 遍照院 仙龍寺(せんりゅうじ)四国65番奥之院・四国別格13番・四国総奥之院御本尊:弘法大師創建年代:弘仁6年開基:法道仙人宗派等:真言宗大覚寺派公式サイト:http://www.okunoin-senryuji.com/御詠歌:極楽は 他にはあらぬ この寺に 御法の声を きくぞうれしき【略縁起】仙龍寺は、四国霊場第65番三角寺の奥之院で、現在では四国別格霊場の第13番・四国三十六不動 [続きを読む]
  • 高山神社(津)
  • 三重県津市丸之内27-16 [Mapion | googlemap]高山神社(こうざんじんじゃ) 正式名称:高山神社 御祭神:藤堂高虎霊 創建年代:明治10年(1877) 例祭:10月5日 社格等:旧県社高山神社は、初代津藩主・藤堂高虎を祀る神社です。社号は藤堂高虎の法号「寒松院殿道賢高山権大僧都(あるいは高山道堅寒松院)」から二字を取ったもので、「こうざんじんじゃ」と読みます。高山神社の御由緒藤堂高虎は弘治2年(1556)近江国犬上郡藤堂 [続きを読む]
  • 御朱印に御利益はあるのでしょうか?
  • 「御朱印を集めていて、何か御利益があるのか?」と聞かれることがあります。実際に御朱印を集めている人から聞かれたことはありません。むしろ、御朱印は知っているが自分ではいただいたことがなく、宗教とは距離を置きたいが興味はあるといったスタンスの人には気になる事柄のようです。もちろん聞くほうは軽い気持ちで聞いているのでしょうが、私は長く新宗教の世界に関わっていて「御利益」というのは常に重大関心事だったもの [続きを読む]
  • 「納経」に関する常識を疑ってみる
  • 御朱印の起源が「納経帳」であることはよく知られていることです。「御朱印はもともと写経を奉納した証しだった」というのも、納経帳を起源とすることによります。ところが、この「納経」という言葉自体に、いろいろ検討を要する問題があるのです。一部には、本来御朱印は納経の証しなのだから、お寺で御朱印をいただく際には納経=写経の奉納をしなければならないと主張する人がいますし、写経を奉納しなければ御朱印を授与しない [続きを読む]
  • 金峯神社(長岡)
  • 新潟県長岡市西蔵王2-6-19 [Mapion|googlemap]金峯神社(きんぷじんじゃ) 正式名称:金峯神社 旧称:蔵王権現 通称:蔵王さま 御祭神:金山彦命 /相殿(又倉神社):大地主命・須勢理比売命・沼奈川比売命 創建年代:和銅2年(709) 例祭:7月15日 社格等:旧県社 http://www.kinpu.jp/【御由緒】 金峯神社は、江戸時代までは蔵王権現・蔵王堂と称する神仏習合の霊場でした。今でも近隣の人からは「蔵王さま」と呼ばれています [続きを読む]
  • 西国17番 六波羅蜜寺〈文政8年〉
  • 文政8年『神社仏閣順拝帳』 西国17番 補陀洛山 六波羅蜜寺 山城国 洛東 轆轤町(京都市東山区轆轤町)太郎助は西国18番頂法寺(六角堂)、19番行願寺(革堂)を参拝した後、鴨川を渡って西国17番六波羅蜜寺に参拝しています。六波羅蜜寺を開創した空也上人の出自は不詳ですが、醍醐天皇の皇子あるいは仁明天皇の皇子・常康親王の子とも伝えられます。尾張国分寺で剃髪、空也の沙弥名を名乗ります。諸国を巡って道を開き、橋を架け [続きを読む]
  • 西国19番 行願寺(革堂)〈文政8年〉
  • 文政8年『神社仏閣順拝帳』 西国19番 霊麀山 行願寺(革堂) 山城国 上京 行願寺門前町(京都市中京区行願寺門前町)西国18番頂法寺に参拝した太郎助は続いて19番の行願寺に参拝しています。行願寺は革堂(こうどう)あるいは一条革堂の名で知られ、六角堂と呼ばれる頂法寺が下京の町堂であったのに対し、行願寺は上京の町堂とされ、有事の際には町衆の集会所となりました。行願寺は、寛弘元年(1004)行円上人が一条小川の一条北 [続きを読む]
  • 西国18番 頂法寺(六角堂)〈文政8年〉
  • 文政8年『神社仏閣順拝帳』 西国18番 紫雲山 頂法寺(六角堂) 山城国 下京 堂之前町 (京都市中京区堂之前町)善峯寺に参拝した太郎助は京の町に入り、まず西国18番頂法寺に参拝しています。頂法寺は六角堂の名で親しまれ、また華道の池坊の発祥の地としても有名です。寺伝によれば、敏達天皇の御代、淡路島に黄金の如意輪観音像が漂着しました。これは聖徳太子が前世、唐土で修行していたときに信仰していた像で、太子はこれを [続きを読む]
  • 西国20番 善峯寺〈文政8年〉
  • 文政8年『神社仏閣順拝帳』 西国20番 西山 善峯寺 山城国乙訓郡小塩村(京都市西京区大原野小塩町)総持寺を参拝した太郎助は再び山城国に入り、西国20番善峯寺に参拝しています。摂津と山城の境、釈迦岳の山腹に多くの堂塔が立ち並び、境内の広さは約3万坪、高低差は約100mと言います。善峯寺は長元2年(1029)恵心僧都源信の弟子・源算上人によって開創されました。寺伝によれば、西山に入った源算上人に老翁の姿をした阿智坂明 [続きを読む]
  • 西国22番 総持寺〈文政8年〉
  • 文政8年『神社仏閣順拝帳』 西国22番 補陀洛山 総持寺 摂津国島下郡総持寺村(大阪府茨木市総持寺)西国23番勝尾寺を参拝した太郎助は京都のほうへ向きを変え、22番総持寺を参拝しています。総持寺の御本尊は亀の背に乗った観音様として有名です。総持寺は中納言藤原山蔭卿によって創建されたと伝えられます。藤原山蔭は吉田山に春日大社四座の神を勧請して吉田神社を創建したり、四条流包丁式を確立したことでも知られています。 [続きを読む]
  • 六椹八幡宮
  • 山形県山形市鉄砲町1-3-5 [Mapion|googlemap]六椹八幡宮(むつくぬぎはちまんぐう) 正式名称:六椹八幡宮 御祭神: 誉田別尊 息長帯姫命 比咩大神 創建年代: 天平年間(729〜49) 例祭:9月14日・15日 社格等:旧県社 http://nttbj.itp.ne.jp/0236235647/index.html(iタウンページ) http://www.u-6kunugi.com/(六椹八幡宮氏子青年会)【御由緒】 古来、山形城下南部の総鎮守とされ、北部の鳥海月山両所宮とともに厚い崇敬を [続きを読む]
  • 納経請取状から御朱印へ〔四天王寺〕
  • これまで何度も書いてきたように、御朱印の起源は六十六部廻国聖の納経請取状です。これは江戸時代の納経帳や六十六部の研究から明らかなのですが、残念なことにこれまで納経請取状の実物を見る機会がありませんでした。ところが先日、国立東京博物館で行われている「春日大社 千年の至宝」を見に行ったついでに平成館一階を覗いたところ、納経請取状(展示では納経請取書)の実物を見ることができました。日本の考古の特別展「経 [続きを読む]
  • 西国23番 勝尾寺〈文政8年〉
  • 文政8年『神社仏閣順拝帳』 西国23番 応頂山 勝尾寺 摂津国島下郡粟生村(大阪府箕面市粟生間谷)西国21番穴太寺を参拝した太郎助は、22番総持寺ではなく23番勝尾寺に向かっています。24番中山寺以西の寺は既に参拝し終えているため、勝尾寺から総持寺、善峯寺を巡り、京都に入るルートを採ったようです。寺伝によれば、神亀4年(727)この地に善仲・善算という双子の兄弟が草庵を結び、金字大般若経写経の大願を立てて修行をして [続きを読む]
  • 大垣八幡神社
  • 岐阜県大垣市西外側町1-1 [Mapion|googlemap]大垣八幡神社(おおがきはちまんじんじゃ) 正式名称:八幡神社 御祭神: 応神天皇 神功皇后 比咩大神 /合祀:大山咋神 創建年代: 建武元年(1334) 例祭:5月13日・14日 社格等:旧県社 http://ogaki80003.or.jp/【御由緒】 かつて大垣市中心部は大井庄という東大寺の荘園でした。天平勝宝8年(756)聖武天皇によって施入されたと伝えられます。大垣八幡神社は元弘・建武の頃(1331 [続きを読む]
  • 御朱印の起源再考−−なぜ納経の証明が必要だったのか?
  • 御朱印は日本独自の文化で、世界的に見ても御朱印に類するものはないようです。そして、御朱印の起源は六十六部廻国聖(六十六部)の納経請取状にあります。江戸時代に納経帳の形を取るようになり、それが西国や四国の巡礼者にも広がったのが現代の御朱印につながっています。享保12年(1727)東大寺 六十六部の納経帳今でも御朱印の起源について「諸説ある」というような記述を見かけます。しかし六十六部の納経請取状から江戸時 [続きを読む]