サイの尾・猿田彦 さん プロフィール

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サイの尾・猿田彦さん: 真実の古代史
ハンドル名サイの尾・猿田彦 さん
ブログタイトル真実の古代史
ブログURLhttp://ysaino11.blog.so-net.ne.jp/
サイト紹介文千三百年の間、藤原氏に消されてきた伯耆国(鳥取県中西部)の真実の歴史が今よみがえる。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供11回 / 365日(平均0.2回/週) - 参加 2015/08/02 09:06

サイの尾・猿田彦 さんのブログ記事

  • 第一節 鳥取県倉吉市大宮(橿原宮)には奈良から帰ってきた神武天皇がいた
  •  第一節 鳥取県倉吉市大宮(橿原宮)には奈良から帰ってきた神武天皇がいた。1  岡山県久米郡美咲町百々大宮には第十一代垂仁天皇がいたと比定したのであるが、周りにある弓削や久米という地名はヤマト王朝に直結する部民がいた集落につけられた地名である。久米にしろ弓削にしろ大宮からはかなり離れたところにある。ところが、倉吉の大宮は弓削なり久米の地名は近くにある。ということは、ここにいた王は第十一代よりも初 [続きを読む]
  • 第五節 鳥取県神社誌に見る倭の大乱に関係すると思われる祭神
  •  鳥取県神社誌に見る倭国大乱に関係すると思われる祭神1 天穂日命 天穂日を祀る神社は八頭郡の神社が8社あるが、国譲りの交渉に派遣されるまでにいた所であると推定する。素戔嗚と稲田姫の御殿(大江神社)を守るためであった。大国主は八頭町大江郷で生まれている。天穂日は伊那佐山(北栄町国坂の茶臼山)の隣の三輪山(北栄町下神)にいた天忍穂耳の依頼もあり、すでに葦原中津国に多くいる準王一族(出雲神族)の本拠地を [続きを読む]
  • 第三節 伊勢神宮参拝
  •  神はいないしいたこともないテーマパークであるとわかっていても、話のついでに行ってみたいのが人情である。1  伊勢神宮は敷地が広くて神社も立派である。さすがに藤原氏である。なにもなかったところにテーマパークを造っている。宮司だけは沢山いて、遷宮のときには国民から金を巻き上げて、それで撮影は禁止です、とは何事であろう。戦前の不敬罪の精神が思い起こされた。何もいないのに何を保護するというのだろうか。建 [続きを読む]
  • 今までのまとめ
  •  今までのまとめ 結論だけを書きますので、理由はそれぞれのカテゴリをご覧ください。1 伊邪那岐・伊邪那美は葦原中津国(鳥取県北栄町)を造るため蒜山高原(瀛州)より倉吉市の新宮神社に降臨していた。伊邪那美は病気で打吹山周辺に収容された。三貴神(天照大御神・素戔嗚・月読命)は葦原中津国に到着した。伊邪那岐は三貴神を葦原中津国で出迎え「〜は〜を治めよ」といった。素戔嗚以外は蒜山高原(瀛州)に上がった。高 [続きを読む]
  • 倭国大乱の原因
  • 1 天照大御神は二番目に天穂日を遣わしたが、すぐに大国主(鳥取県北栄町茶臼山)に媚び付いて、三年もの間、状況を復奏しなかった。一番目に降りた天忍穂耳はその後、葦原中津国(鳥取県北栄町大島周辺)の様子が分かる三輪山(鳥取県北栄町下神)に本拠地を構えていた。天忍穂耳は天穂日に西に行って準王一族の動静を監視するように指示した。天穂日は能義平野(安来市)を本拠地にして熊野大社にいた準王一族と交流を始めた。 [続きを読む]
  • 鵜草葺不合は彦火火出見のあだ名であった
  • 1 古事記・日本書紀は「鵜草葺不合は彦火火出見命の子である」とする。  先代旧事本紀の天孫本紀には「天孫天津彦々火瓊々杵尊の孫、磐余彦尊が天下を馭ようとして東征した」とある。「瓊々杵尊の孫、磐余彦尊」とある。鵜草葺不合(産屋を建てるのが間に合わなかった)とは正式な名前だろうか。2 ウィキペディアより ウガヤフキアエズ王朝は、「ウエツフミ」「竹内文献」「神伝上代天皇紀」などの古史古伝に記載されている [続きを読む]
  • 聖徳太子(蘇我入鹿天皇)の皇居は鳥取県北栄町由良宿にあった 2
  •  弥生時代から住んでいた住民は海面が下がるにつれて下に降り、現在の由良宿を造ったと思われる。1 旧大栄町(現北栄町)の遺跡2 高江神社遺跡発掘調査報告書より まとめ 「弥生時代後期から古墳時代前期後半の竪穴住居跡17棟、掘立柱建物4棟を検出した」とある。3 私見 神社横の駐車場からも複数の弥生住居跡が検出されていたが、その調査報告書は見当たらない。高江神社遺跡は神社の前を通る道路の建設中に発掘され [続きを読む]
  • 「倭人」が新羅を攻撃したとする「三国史記」と伝承は改ざんされている
  •  「倭人」が新羅を攻撃したとする「三国史記」と伝承は改ざんされている。1 原古事記(712年)には新羅は倭国と兄弟国であり、百済は倭国にとって敵国であったと書かれていた。藤原氏は百済は良い国であり新羅は悪い国であったことにするため、原古事記に書かれていた新羅と百済を入れ替えて記紀を改ざんしたから倭国と新羅との関係も悪かったことにしなければならなかった。倭国と新羅は神武天皇が即位した時から兄弟国であ [続きを読む]
  • 元興寺縁起にある「等由良(豊浦)」の「由良」とはどこのことか
  •  元興寺縁起にある「等由良(豊浦)」の「由良」とはどこのことか。1 由良の地名で有名なのは、和歌山県日高郡、京都府宮津市、兵庫県洲本市である。(1) 和歌山県日高郡の由良 その幻想的な風景は万葉集に読まれており、歌碑も設置されている。妹がため玉を拾ふと紀伊の国の 湯羅(ゆら)の岬にこの日暮しつ朝開き漕ぎ出て我は湯羅(ゆら)の崎 釣する海人を見て帰り来む湯羅(ゆら)の崎潮干にけらし白神の 磯の浦廻を [続きを読む]
  • ニニギ命、神武天皇、蘇我馬子天皇の皇居と産屋の比定地
  •  ニニギ命、神武天皇、蘇我馬子天皇の皇居と産屋の比定地1 鳥取県北栄町下種集落 大宮神社(ニニギ命)2 鳥取県北栄町由良宿 高江神社(木花佐久耶比売)  1〜2の間は4.1km3 鳥取県倉吉市大宮集落(神武天皇)4 鳥取県倉吉市耳集落(媛蹈鞴五十鈴媛命)  3〜4の間は3.7km5 鳥取県北栄町島集落(蘇我馬子天皇)6 鳥取県倉吉市馬場町(物部鎌足姫大刀自)  5〜6の間は3.7km7 鳥取県倉吉 [続きを読む]
  • シキ(磯城・師木・志幾・斯鬼)とは鳥取県湯梨浜町東郷池周辺と思われる
  •  シキ(師木・磯城・志幾・斯鬼)とは鳥取県湯梨浜町東郷池周辺と思われる。1 古事記における第2代天皇、第3代天皇、第5代天皇(欠史8代であり、藤原氏もそれほど改ざんはしていないと思われる)第2代 綏靖天皇 神沼河耳天皇 皇居は葛城高岡宮。第3代 安寧天皇 師木津彦玉手看天皇 皇居は片塩浮孔宮。第5代 孝昭天皇  御真津日子訶恵志泥天皇 皇居は葛城掖上宮。2 第2代天皇が葛城山(鳥取県北栄町)に高岡 [続きを読む]
  • 台与は豊鋤入姫命であり、景行天皇の妹であった
  •  台与は豊鋤入姫命であり、景行天皇の妹であった。1 魏志倭人伝によると「卑弥呼の後継者として立てた男王を不服として国が内乱状態となり、千余人が誅殺し合った。改めて卑彌呼の宗女である壹與を13歳の女王として立てた結果、倭国は遂に安定した」とある。 日本書紀・垂仁天皇には「天照大神は崇神天皇皇女の豊鋤入姫命から離され、垂仁天皇皇女の倭姫命に託された。その後、倭姫命は大神を奉斎しながら諸地方を遍歴し、伊勢 [続きを読む]
  • 出雲国(島根県東部)の首長は誰であったか
  •  出雲国(島根県東部)の首長は誰であったか。1 出雲王国王家の子孫という富當雄氏にインタビューした内容(吉田大洋著「謎の出雲帝国」より) 島根県東部には古代出雲王朝があり、その王朝の王はクナトの神であった。久那戸(クナト)大神は伊弉諾・伊弉冉の長男で出雲王朝の始祖である。クナトの大神は富家の遠神祖、真の大国主である。クナトの大神は五十七代にわたって存在した。出雲大社の東宇伽山の麓、出雲井神社は久那 [続きを読む]
  • 藤原鎌足は「翹岐」であり、中大兄皇子は「豊璋」である
  •  藤原鎌足は「翹岐」であり、中大兄皇子は「豊璋」である1 藤原鎌足=「豊璋」説、中大兄皇子=「翹岐」説について(1) 藤原鎌足=豊璋説は多い。関祐二氏はその根拠として、大織冠を賜ったのが、鎌足と豊璋だけであるからとする。「豊璋」は中大兄皇子である、とする方は少ない。中大兄皇子は豊璋に大織冠を授けているが自分で自分に褒美を授けるのはおかしいことや、中大兄皇子は日本書紀の第38代天智天皇であり、恐れ多 [続きを読む]
  • 飛鳥寺(法興寺)は新羅の皇龍寺をモデルにして建立された
  •  飛鳥寺(法興寺)は新羅の皇龍寺をモデルにして建立された。1 飛鳥寺(法興寺)「寺社建築と文化財の探訪<TIAS>」より 伽藍配置 一塔三金堂 南北293m、東西は北辺216m、南辺260mの台形 飛鳥寺の伽藍配置は、一塔三金堂をもつ「飛鳥寺式伽藍配置」とよばれ、その起源は清岩里廃寺(高句麗)や王興寺(百済)や皇龍寺(新羅)に求められる。 ※ 飛鳥寺の伽藍配置は独特なもので、ほかに例がない。通説は、「一塔三 [続きを読む]