超老 さん プロフィール

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超老さん: 生老病死−老いと死を考える−
ハンドル名超老 さん
ブログタイトル生老病死−老いと死を考える−
ブログURLhttp://cs2593.blog.fc2.com/
サイト紹介文人生もすでに終盤、今一度、生と死を見つめ直し、さらに、死後について考えてみたいと思います。
自由文生老病死は、人が人生において避けることのできない 四つの大きな苦悩を表しますが、人生も終盤にさしかかり、肉体は衰え、老いはますます深まってゆき、死というものを否応なく意識せざるを得ない状況のなかで、今一度、生と死を見つめ直してみたいと思います。そして、残された時間を死後の世界に行くための貴重な準備期間として捉え、真剣にその準備に備えることができればと思います。

参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供61回 / 365日(平均1.2回/週) - 参加 2015/08/04 13:36

超老 さんのブログ記事

  • 悪人正機−親鸞からの手紙 2−
  • にほんブログ村前回は、「親鸞からの手紙」の中から、特に「善鸞事件」、つまり、息子である善鸞の義絶に関わる手紙について紹介してきましたが、そのことの発端を探ってゆくと、それは、親鸞が唱えた、「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや(善人ですら極楽浄土に行くことができる、まして悪人は、極楽浄土へ行くのは当然ではないか)」という「悪人正機説」のもつ逆説的な表現とそれに対する誤解、曲解から始ま [続きを読む]
  • 善鸞義絶−親鸞からの手紙 1−
  • にほんブログ村 吉本隆明氏は、『最後の親鸞』の中で、「親鸞自身の著述よりも、親鸞が 弟子に告げた言葉に一種の思い入れみたいにこめられた思想から、最後の親鸞が見つかるはずなのだ。すると、やはりだれもがよいとみなす『歎異鈔』や『末燈鈔』(親鸞の手紙を編さんしたもの)などを入念にたどるほかはない。」と記しています。『歎異鈔』については、以前に紹介しましたので、今回は、阿満利麿氏の『親鸞からの手紙』を取 [続きを読む]
  • 「スピリチュアリズムの到達点と限界」(下)
  • にほんブログ村 今回は、心霊研究と決別し、大衆化へと向かったスピリチュアリズムは、どういう変化を遂げていったかを、シルバー・バーチとホワイト・イーグルに焦点を当てて見てゆきたいと思います。どちらも、アメリカ先住民の名を名乗り、1920年頃から1960〜80年頃に活動しており、お互いを同志のように考えていて、基本的に主張も一致するところが多いとされます。ホワイト・イーグルの方は、どちらかというと [続きを読む]
  • 「スピリチュアリズムの到達点と限界」(上)
  • にほんブログ村以前に、スピリチュアリズムは、第一次世界大戦をピークに黄金期を迎え、 その後、退潮期に入っていったと記しましたが、完全に衰退してしまったわけではありません。しかし、大きく変化して行ったこと確かなようです。もはや、貴族や上流階級や一握りの学者研究家のものではなくなって行ったのです。心霊治療の流行や、戦争の犠牲者の家族が霊媒を通じて戦(病)死した肉親や友人とコンタクトをとる、いうこ [続きを読む]
  • 『死後まで続く幸福のために』
  • にほんブログ村 (水波一郎 著 アマゾン 発売) 本書の<はじめに>において、水波一郎氏は、次のように述べておられます。<霊魂の実在や死後の世界を信じている人たちは、大抵、「悪い霊魂に憑かれた」という話をを聞いたことがあると思われる。しかし、「憑かれた」というような人はごく少数で、多くの人は自分には関係のない他人事だと思っておられる節がある。確かに「憑かれた」という人は、そう多くはないかもしれ [続きを読む]
  • 「心霊研究から超心理学へ」
  • にほんブログ村 前回、紹介した書『神霊主義』は、<心霊科学からスピリチュアリズムへ>という副題がついていましたが、今回、取り上げた『近代スピリチュアリズムの歴史』は、<心霊研究から超心理学へ>という副題がついています。ここから、本書の著者、三浦清宏氏は、心霊研究、あるいは心霊科学の発展形態は、スピリチュアリズムよりも、超心理学であるというふうに見ているように思われます。この違いには、どういう [続きを読む]
  • 「神霊主義−心霊科学からスピリチュアリズムへ−」
  • にほんブログ村 浅野和三郎氏が、心霊科学研究会を設立したのは、大正12年(1923 年)ですが、その頃、欧米のスピリチュアリズムはというと、そのころには、すでに80年ほどの歴史があり、第一次世界大戦をピークに黄金期を迎えていたようで、その後、衰退期に入っていったようです。(衰退期ではなく、新たな段階への移行期だとする見方もあります。)浅野和三郎氏は、本書の序で次のように述べています。「この神霊 [続きを読む]
  • 宗教と霊魂学
  • にほんブログ村 (水波一郎 著 アマゾン 発売) これまで、三回にわたってウィリアム・ジェイムズの『宗教的経験の諸相』 を取り上げ、彼の宗教に対する見解を紹介してきました。ジェイムズによれば、宗教とは、次のような信念を含んでいると言います。1.目に見える世界は、より霊的な宇宙の部分であって、この宇宙から世界はその主要な意義を得る。2.このより高い宇宙との合一あるいは調和的関係が私たちの真の目 [続きを読む]
  • 神秘体験・神秘主義−「宗教的経験の諸相」3−
  • にほんブログ村 (ウィリアム・ジェイムズ)ウィリアム・ジェイムズは、宗教的生活というものは、見えない秩序が 存在しているという信仰、および、私たちの最高善はこの秩序に私たちが調和し順応することにあるという信仰から成り立つといえるとし、そして、個人的な宗教経験というものは、意識の神秘的状態にその根をもっていると考えられると述べています。前回、紹介した回心、とりわけ、瞬間的な回心というものは、一つの [続きを読む]
  • 回心−「宗教的経験と諸相」2−
  • にほんブログ村 「回心」というと、パウロの回心、すなわち、それまでユダヤ教徒として キリスト教徒を迫害していたパウロが、ダマスコ(ダマスカス)への途上において、「サウロ、サウロ(パウロのユダヤ名)、なぜ、わたしを迫害するのか」と、天からの光とともにイエス・キリストの声を聞いたその後、目が見えなくなった。アナニアというキリスト教徒が神のお告げによってサウロのために祈るとサウロの目から鱗のようなものが [続きを読む]
  • 「宗教的経験の諸相」
  • にほんブログ村 本書の著者、ウイリアム・ジェイムズというと、「プラグマティズム」の 代表的な思想家とされますが、「プラグマティズム」が実用主義、道具主義、実際主義などと翻訳されているために、一見、宗教に否定的な書物ではないかという先入観を抱くかもしれません。しかし、「プラグマティズム」とは、経験不可能な事柄の真理を考えることはできないという経験論を継承し、概念や認識をそれがもたらす客観的な結果に [続きを読む]
  • 「神伝の法」と信仰
  • にほんブログ村 少し前に、水波一郎氏の『神伝禊法』の紹介をしましたが、そこでは、神伝の法(神伝禊法)とは、「神霊のご意思を受け、高貴な霊魂方が降ろされた神秘なる秘術」だとされ、それはまずは、死後の世界に上の世界に入るためのパスポートという面があり、次には、霊的生命体としての進歩を促進するという面があると述べられていました。そして、さらに、二つの大きな霊的力、つまり、過去世の意識に変化をも [続きを読む]
  • オオナムチ(大国主)の原像−出雲神話3−
  • にほんブログ村 先に紹介したスサノオは、出雲固有の神ではなく、他から渡来した神で あるのに対し、オオナムチ(大国主)は、それこそ生粋の出雲の神とされます。オオオナムチ崇拝の中心は杵築(きず)の出雲神社であり、これを祀ったのが、アメノホヒを祖先とする出雲国造家(いずもくにのみやつこ)であるということです。『出雲国風土記』では、この神は一般に「天(あめ)の下作らしし大神」という称号を冠せられて、偉大 [続きを読む]
  • 『出雲国風土記』とスサノオ−出雲神話2−
  • にほんブログ村 以前、記紀の「出雲神話」に依拠して、スサノオの変貌の意味を紹介したことがありますが、今回は、『出雲国風土記』の「出雲神話」に重点をおいて、スサノオを眺めてみたいと思います。さて、『出雲国風土記』におけるスサノオは、記紀に描かれているそれよりはるかに素朴で平和的であったとされます。「風土記」によると、スサノオは、出雲国内を巡行するのですが、それは出雲平野周辺の山間部に限られ、出雲 [続きを読む]
  • 出雲神話の謎−「出雲神話」1−
  • にほんブログ村 出雲神話は、日本神話の中でも、特に謎とされているところが多いと言われています。ひとくちに出雲神話といっても、それは二通りのものがあります。一つは、『古事記』、『日本書記』、いわゆる記紀の神代の巻に出てくる、出雲を舞台とする物語であり、もう一つは、『出雲国風土記』に記されている、出雲の国の風土伝承です。しかしながら、両者とも同じ名の神々や地名が出てくるものの、あまりにも大きな [続きを読む]
  • 「新時代の霊的トレーニング」
  • にほんブログ村10月末に水波霊魂学を提唱する水波一郎師の著書『神伝禊法』の 第三版が発刊されました。一部修正があり、また、文字が大きくなって読みやすくなりましたし、表紙に「新時代の霊的トレーニング」という副題が追加されています。改訂版の初版が発刊されたあとに、一度、紹介をしておりますので、今回は、なぜ、神伝禊法が、「新時代の霊的トレーニング」なのかにポイントを絞って紹介してみたいと思います。 [続きを読む]
  • (続)異端・異説批判−歎異抄と現代5−
  • にほんブログ村 引き続き、『歎異抄』の第十四条以降の異端・異説批判を紹介しておき たいと思います。(第十四条)「ただ一声の念仏であっても、八十億劫(こう)という永いあいだ迷いの世界に苦しみ続けるほどの重い罪が消えるという、念仏の滅罪の異義について。」「このことについて、『観無量寿経』の中に、十悪や五逆などの重大な罪を犯し、しかも日頃念仏をとなえることもなく、臨終のときにはじめて善知識(念仏の教え [続きを読む]
  • 異端・異説批判−歎異抄と現代4−
  • にほんブログ村 『歎異抄』の第十一条から第十八条までは、親鸞の教えに対する八つの 異端異説への批判が述べられていますが、今回は、それらを紹介しておきたいと思います。(第十一条)「無学な人々が一生懸命に念仏していますと、おまえは阿弥陀さまの誓願の不思議を信じて念仏をしているのか、名号の不思議を信じて念仏をしているのかと、びっくりするようなことをいって、二つの不思議がどういうものであるかをはっきり説 [続きを読む]
  • 「悪人正機説」−歎異抄と現代3−
  • にほんブログ村「善人ですら極楽浄土へ行くことができる、まして悪人は、極楽浄土へ 行くのは当然ではないか、私はそう思いますが、世間の人は常にその反対をいいます。悪人ですら極楽へ行くことができる、まして善人は、極楽へ行くのは当然でないかと。」「世間の人のいうほうが一応理屈が通っているように見えますが、この説は、本願他力の教えの趣旨に反しています。と申しますのは、みずから善を励み、自分のつくった善に [続きを読む]
  • 「絶対他力」と主体的・能動的決定−歎異抄と現代2−
  • にほんブログ村 「私が念仏以外に何か別の極楽往生の方法を知っていて、またその方法が説かれている秘密の経典を知っていながら、わざとそれを隠しているので、その奥にあるものを知りたいとおっしゃってここまで訪ねてこられたとすれば、大変な間違いであります。」「私は、ただ念仏すれば、阿弥陀さまにたすけられて必ず極楽往生ができるという、あの法然聖人がおっしゃいましたお言葉を、ばか正直に信じている以外に、別 [続きを読む]
  • 「親鸞一人がため」の「弥陀の本願」−歎異抄と現代−
  • にほんブログ村 『歎異抄』の第一条に、「弥陀(阿弥陀仏)の本願」について、次の ように述べられています。(梅原猛氏の現代語訳による)「阿弥陀さまの不可思議きわまる願い(弥陀の誓願)にたすけられてきっと極楽往生することができると信じて、念仏したいという気がわれらの心にめばえ始めるとき、そのときすぐに、かの阿弥陀仏は、この罪深いわれわれを、あの輝かしき無限の光のなかにおさめとり、しっかりとわれわれを [続きを読む]
  • 他界への旅・再生の大釜・聖杯探求−ケルト神話の世界5−
  • にほんブログ村 ケルト神話とギリシャ・ローマ、すなわち地中海民族の神話との決定的な相違は神々が一体どこに住んでおられるのかということにあったようです。ギリシャ・ローマの神々は人間社会と似た非常に組織化された小さな社会を形成しているが、人間界からは遠く隔たったオリンポス山など、容易に近づきがたい山々の頂上に住んでおられ、神々が山を下りるのは例外的な場合に限られ、決まった仕事以外には人間と関係を持 [続きを読む]
  • ケルトの創世神話−「ケルト神話の世界」4−
  • にほんブログ村 ケルトの伝承の中には、旧約聖書やシュメールの神話に見られるような本来の意味での創世記、すなわち体系的な世界創造の物語は存在しないとされます。井村君江氏は、『ケルトの神話』の中で、「ケルト民族には、ほかの民族が持っているような天地創造神話はありません。しかし、これはなかったということではなく、あったかもしれないのですが、残っていないという意味なのです。口承としてドゥルイド僧たちが、 [続きを読む]
  • 神々の系譜 <ダグザからルーグへ>−「ケルト神話の世界」3−
  • にほんブログ村 前回述べたように、理想化された女性像は、ケルト人の心の中に生き続けていたため、厳格な父権制のシステムが彼らの社会に確立されることはなかったのです。よって、偉大なる女神は、ケルトの伝統の中に重要な位置を保持し続けたのですが、母権制の終焉とともに彼女は最高位を明け渡し、威厳に満ちた父なる神、多様な姿をとって現れる一人の偉大な神が神話の頂点に君臨することになります。では、その最高神 [続きを読む]
  • 巨石文明と古き神々−「ケルト神話の世界」2−
  • にほんブログ村 イングランドのストーン・ヘンジやフランス、ブルターニュ半島のカルナックの列石群などのヨーロッパの巨石遺跡は、かつてはケルト人、とりわけドルイドの宗教施設だという見方もあったようですが、現在では否定されています。ケルト人がヨーロッパを支配する以前に、すでにさまざまな民族がヨーロッパ中に広がっていたようです。では、それらを築いた先住民とはどういう人たちだったのでしょうか?石斧と木 [続きを読む]