くま(福岡産) さん プロフィール

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くま(福岡産)さん: 福岡博多の昔の話
ハンドル名くま(福岡産) さん
ブログタイトル福岡博多の昔の話
ブログURLhttp://fukuhakusekijou.blog.fc2.com/
サイト紹介文福岡,博多の昔のことについて,思い付くままに。福岡市章の由来から,福岡・博多の市名論争,午砲など。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供19回 / 365日(平均0.4回/週) - 参加 2015/08/04 22:45

くま(福岡産) さんのブログ記事

  • 第3回九州沖縄八県連合共進会(熊本県 明治17(1884)年)その2
  • 第3回九州沖縄八県連合共進会  第3回 熊本県 明治17(1884)年 第3回は,第1回長崎県(明治15年),第2回鹿児島県(明治16年)に続き,1年後の明治17年に開催され,11月1日〜11月28日の40日間,熊本新町一丁目の熊本物産陳列場で開催されました。 今回は褒賞授與式以降を中心に記載しています。(1) 褒賞授與式(M17.11.25)  ■授與式  授與式は11月25日に忘吾會舍,即ち共進会場域内に北方東西行5間,南北行12間,南方東西 [続きを読む]
  • 第3回九州沖縄八県連合共進会(熊本県 明治17(1884)年)
  • 第3回九州沖縄八県連合共進会  第3回 熊本県 明治17(1884)年 第3回は,第1回長崎県(明治15年),第2回鹿児島県(明治16年)に続き,1年後の明治17年に開催され,11月1日〜11月28日の40日間,熊本新町一丁目の熊本物産陳列場で開催されました。 「九州沖縄聯合綿麻苧砂糖紙生絲織物共進會」として,綿,麻苧,砂糖,紙,生糸,織物の六種を対象としての開催でした。今回は褒賞授與式の前辺りまで記載しています。次回に褒賞授 [続きを読む]
  • 第2回九州沖縄八県連合共進会(鹿児島県 明治16(1883)年)その5
  • 第2回九州沖縄八県連合共進会  第2回 鹿児島県 明治16(1883)年 今回は「?岡縣勸業月報 第35回」(明治17年4月編輯)から?岡縣勸業課員 堤莊藏氏による鹿兒嶋共進會景況などを掲載します。 現代的な言葉に直す上で表現をいじったところもありますので,ご容赦ください。残念ながらインターネット上で閲覧はできませんので,原表記に当たりたい方は,申し訳ありませんが福岡県立図書館に開架で置かれていますのでよろしく [続きを読む]
  • 第2回九州沖縄八県連合共進会(鹿児島県 明治16(1883)年)その4
  • 第2回九州沖縄八県連合共進会  第2回 鹿児島県 明治16(1883)年 今回は「?岡縣勸業月報 第32回」(明治17年1月編輯)から記事を紹介します。これは,?岡縣から審査官,出品人総代として出席した方々の報告書になります。?岡縣課員からの報告は同月報の第35回に掲載されていますが,第32回,第35回のどちらもボリュームがあるので,それぞれ別に紹介させていただきます。 現代的な言葉に直す上で表現をいじったところもあ [続きを読む]
  • 第2回九州沖縄八県連合共進会(鹿児島県 明治16(1883)年)その3
  • 第2回九州沖縄八県連合共進会  第2回 鹿児島県 明治16(1883)年 なかなか情報が無いと書いておきながら,次々と発見してしまい,まとまりがなくなってしまい,申し訳ありません。 会場である鹿児島興業館,褒賞金について情報提供します。 また,前回の記事は主に大分県による記事でしたが,今回は福岡県による復命書についても記載します。 (1) 鹿児島興業館の建築  会場である鹿児島市城山町1丁目の鹿児島興業館は, [続きを読む]
  • 第2回九州沖縄八県連合共進会(鹿児島県 明治16(1883)年)その2
  • 第2回九州沖縄八県連合共進会  第2回 鹿児島県 明治16(1885)年 第2回について,前回は官報を基にした情報提供を行いましたが,若干の補足ということで同じく国立公文書館デジタルアーカイブからの資料と国立公文書館デジタルアーカイブからの情報を追加したいと思います。 (1) 大分県職員復命書(大分縣勸業課著「勸業報告,第18回」M17.5出版) 大分県四等屬(出張時は五等屬)菊村 ?氏と七等屬清原道彦氏による復命書が [続きを読む]
  • 第3回九州沖縄八県連合共進会(熊本県 明治17(1884)年)
  • 第3回九州沖縄八県連合共進会  第3回 熊本県 明治17(1884)年 第3回は,第1回長崎県(明治15年),第2回鹿児島県(明治16年)に続き,1年後の明治17年に開催され,11月1日〜11月28日の40日間,熊本新町一丁目の熊本物産陳列場で開催されました。 「九州沖縄聯合綿麻苧砂糖紙生絲織物共進會」として,綿,麻苧,砂糖,紙,生糸,織物の六種を対象としての開催でした。今回は褒賞授與式の前辺りまで記載しています。次回に褒賞授 [続きを読む]
  • 第2回九州沖縄八県連合共進会(鹿児島県 明治16(1883)年)
  • 第2回九州沖縄八県連合共進会  第2回 鹿児島県 明治16(1883)年 第2回は,第1回が長崎県で開催された翌年の明治16年10月20日〜11月28日の40日間,鹿児島興業館で開催されました。  前回は佐賀県が長崎県に編入され,宮崎県も鹿児島県に編入されていましたので,「八県」ではなく,6県での開催となっていますが,今回は8県での開催となっています。  「九州各縣及沖縄縣聯合共進會」として,煙草,砂糖,麻苧,繭,生糸,織 [続きを読む]
  • 第1回九州沖縄八県連合共進会(長崎県 明治15(1882)年)
  • 第1回九州沖縄八県連合共進会 (1) 第1回 長崎県 明治15(1882)年 記念すべき第1回は,明治15年10月1日〜30日の30日間,長崎公園内で開催されました。 このときは,佐賀の乱の影響で佐賀県が長崎県に編入されていますし,宮崎県も鹿児島県に編入されていますので,「八県」ではなく,6県での開催となっています。 「九州地方縣々聯合砂糖外四種共進會」として,砂糖,生絲,繭,茶,櫨蠟の五種を対象としての開催でした。 [続きを読む]
  • 九州沖縄八県連合共進会
  • 九州沖縄八県連合共進会一覧  ※平成29年9月17日各回開催日程を追加・修正しました。  福岡に於いては2度の開催で,まちづくりが大きく進んだと言われる九州沖縄八県連合共進会ですが,明治15年の第1回が長崎県で開催されたのを始めに,大正10年の第14回が大分県で開催されるまで,当初は毎年,次に隔年となり,最後は大幅に延期となってしまいました。  以前,個人の方が,九州沖縄八県連合共進会の開催一覧をWEBで掲載さ [続きを読む]
  • 続々 石城,お台場,そしてドン
  • 午砲の絵はないか 午砲については,現物が福岡市立博物館に展示してあること,財団法人西日本文化協会発行「西日本文化 第4号」の表紙に祝部至善さんの記憶による絵が載っていること,海図や市街図に午砲場(ただし設置当初の荒津山のものはない)などの記載があることなどは分かっていますが,他に何か載っている物がないかと探しています。(1) 荒津山 まずは福岡師範學校の絵葉書にあった絵地図。荒津山南側の福岡 谷町 [続きを読む]
  • 福岡海獣展覧会
  • ●福岡に海獣現る 福岡には,ラドン,キングギドラ,ガメラなどの怪獣がやってきていますが,もちろん今回の話は怪獣ではなく海獣。 毎度おなじみの福岡日日新聞からです。 明治17年4月25日福岡日日新聞【広告】 かいじう 海  獣(一名トゞ)展覽廣告 此頃?岡日々新聞雜報ニ掲ゲタル如ク今 月十三日相ノ島近傍ニテ漁夫ノ獲物トナリ タル海獣[一名トゞ](長ケ一丈量目七百斤 餘)ヲ買取リ直チニ解キ放チテ數日間晒ヲ  [続きを読む]
  • 福岡市の都市計画の始まり(その4)
  • ●福岡都市計画用途地域の決定 前回と前々回は,昭和6(1928)年の都市計画道路(都市計画街路)の決定についてでした。 今回は,同時期に決定された用途地域についてです。 用途地域は市街地建築物法(大正8年法律第37号)で定められました。第一條 主務大臣ハ本法ヲ適用スル區域内ニ住居地域、商業地域又ハ工業地域ヲ指定スルコトヲ得第二條 建築物ニシテ住居ノ安寧ヲ害スル虞アル用途ニ供スルモノハ住居地域内ニ之ヲ建築スルコ [続きを読む]
  • 福岡市の都市計画の始まり(その3)
  • ●福岡都市計画街路の決定 その2 前回,昭和6(1928)年の都市計画道路(都市計画街路)の決定について手持ちの地図を御覧いただきました。 このとき国立公文書館のデジタルアーカイブへのリンクを張っていたのですが,ちょっと分かりにくかったかと反省しています。 さて,この都市計画道路決定の文書なんですが,「理由書」が添付されています。 その一部分を少し引用させていただきます。「将来ノ福岡市ハ博多港ヲ中心トスル [続きを読む]
  • 福岡市の都市計画の始まり(その2)
  • ●福岡都市計画街路の決定 手持ちの地図の紹介と併せて,福岡市の都市計画の始まりの話を少しだけさせていただきます。 「福岡市は、大正 12 年に旧都市計画法の適用を受け、同 14 年に最初の都市計画区域の決定を行った。続いて昭和 6 年に用途地域と都市計画道路の決定を行ったが、このことが本市における近代的な都市計画のはじまりといえる。」(平成28年度福岡市住宅都市局事業概要,P.19) ということで、前回は,大正14年 [続きを読む]
  • 福岡市の都市計画の始まり(その1)
  • ●福岡都市計画区域の決定 手持ちの地図の紹介と併せて,福岡市の都市計画の始まりの話を少しだけさせていただきます。 「福岡市は、大正 12 年に旧都市計画法の適用を受け、同 14 年に最初の都市計画区域の決定を行った。続いて昭和 6 年に用途地域と都市計画道路の決定を行ったが、このことが本市における近代的な都市計画のはじまりといえる。」(平成28年度福岡市住宅都市局事業概要,P.19)とあるように,福岡市の都市計画は [続きを読む]
  • 松竹屋橋(現:三光橋)
  • ●松竹屋橋(現:三光橋) 以前,福岡の橋の中で,西中島橋について書いたことがありました。 今回は,明治10年の筑紫新聞の記事に松竹屋橋(現:三光橋)について興味深いものがありましたので,ご紹介します。 現在,三光橋は国体道路と薬院新川が交差する地点で,交差点の名称でも知られています。 薬院新川は明治13年の三原恕平編集「福岡区地誌」によると「新川」と呼ばれており,深い所は3尺(約90cm),浅い所は5寸( [続きを読む]
  • 西南学院創立100周年
  • ●2016年は西南学院創立100周年 中高大いずれも在学・卒業とも他の学校でしたが,ひょんなことから西南学院関係の写真を入手しましたので,お祝いとしてUPしたいと思います。 ■大正10年3月中学部第1回卒業 CK.ドージャー院長が写っています。左上は昨年2015年に撮影した同じ場所の写真。 ■大正11年3月 CK.ドージャー氏とともに来日し,西南学院の創立に関わり,後にC.K.ドージャー氏が日曜日問題で院長を辞任した後第3代院 [続きを読む]
  • ドンの前の時鐘 再説(6)
  • ●福岡の時号鐘,水鏡神社へ移管の確認 ドンの前の時鐘 再説(5)では,時鐘が水鏡神社に移管されていること,そのことを調べるため水鏡天満宮に尋ねてみると記していました。 平成28年10月23日に水鏡天満宮へ参拝し,社務所で尋ねたものの,戦災で書類,金属類は全く残っておらず,何も分からないとの一言でした。残念です。●福岡の時号鐘とりあえずのまとめ ということで,現在判明しているものを時系列で整理してみます。 [続きを読む]
  • ドンの前の時鐘 再説(5)
  • ●明治17年に時号鐘は廃止じゃないの? ドンの前の時鐘 再説(4)では,時鐘の廃止について,福岡市誌の記述から下記のように記していました。 「福岡区で建てた鐘楼を福岡県に返戻し,明治13年12月8日に試し撞きし,始まった時号鐘は、福岡市誌によると明治17年に廃止されたとされています。 残念ながら,調べたものの,この廃止の経緯は全く分かりませんでした。」 そして,明治17年2月の福岡区役所新築移転や明治17年8月2 [続きを読む]
  • 明治 福岡事始め(暴風警報信号柱)
  •  福岡博多では時報のドン(号砲)も当初私費で設置されましたが,暴風警報を報せる信号柱も私費で建設されています。 明治18年8月10日のことです。 日経の記事によると全国で暴風警報が初めて発せられたのが,明治16年5月26日,天気予報が初めて発せられたのが明治17年6月17日とされており,信号柱の最初は年月日が記載されていないものの東京・品川とされています。(倉嶋厚気象庁予報課・防災気象官「海の気象学史(3)」(日 [続きを読む]
  • 明治 福岡事始め(貸し自転車)
  •  日本の貸し自転車の始まりとしては明治10(1877)年横浜元町の石川孫右衛門が知られています。前年に東京の下谷区で三輪自転車の貸し自転車屋があったとするWEBサイトもあります。 それから遅れること10年。明治20年の福岡日日新聞に「自轉車乗塲」の記事を発見しました。 場所は博多中島町濱新地。創業者は,博多中島屋町の熊谷清次郎と松永專次郎の両氏です。会社名は「萬進?」。 明治20年9月2日付の福岡日日新聞記事によ [続きを読む]
  • 明治 福岡事始め(パン屋)
  •  福岡の最古のパン屋としては,「三好屋」(明治30 年創業、平成18年休業)が知られています。 それを遡ること10年。明治20年の福岡日日新聞に「食用麺麭の製造」の記事を発見しました。 製造者は,博多上金屋町の半田甚三郎(職工:村田亦次郎)氏です。 明治20年8月25日付の福岡日日新聞記事によると「近來食物改良の説起りて食用パンの需要は追々に盛なる時なるも當區内には菓子パンの外未だ完全なる食用パンの製造家無く縣 [続きを読む]
  • 続 石城,お台場,そしてドン
  • 號砲手について三たび 石城,お台場,そしてドン(8),同(9)において,號砲手について検証し,当初の石城,お台場,そしてドン(1)の記事を以下のように修正しました。初代(M21〜?)→明治21年(月日不詳)から明治30年2月下旬(號砲手死亡)(?)まで黒田藩砲術家末永巴明治36年3月2日から少なくとも大正5年9月12日(九州日報掲載日)まで→明治36年3月2日から少なくとも大正8年10月31日(市制実施30年記念祝賀会開催 [続きを読む]
  • ドンの後のモーターサイレン
  • ドン(午砲)はなぜなくなった? 明治21年以降,昭和6年に市役所楼上のモーターサイレンに取って代わられるまで,ドンは福博の町に時を報せていました。 さて,なぜ廃止され,モーターサイレンに変えられたのでしょうか? それを説明するものとして,昭和6年3月23日に開催された福岡市継続市会の会議録があります。 昭和6年度予算の市長の提案理由説明に続く,石橋市会議員からの質問と市当局の答弁が残されています。1  [続きを読む]