老いて楽しく さん プロフィール

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老いて楽しくさん: 老いて楽しく
ハンドル名老いて楽しく さん
ブログタイトル老いて楽しく
ブログURLhttps://blog.goo.ne.jp/k31929
サイト紹介文その時々の出来事
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供83回 / 365日(平均1.6回/週) - 参加 2015/08/12 08:19

老いて楽しく さんのブログ記事

  • 戦争後日談ー2
  • 疎開先烏山市に母校の記念樹があった小生縁故疎開したため、集団疎開は経験していない、依って集団疎開の厳しさ 苦しさ 辛さは判らない。烏山市のお寺、旅館 民家に分散して集団生活をしていたようだ、食糧事情 衛生面 親元を離れた寂しさ、いろいろな面でつらい過酷な生活を強いられたのかもしれない。各寺院他に分散宿泊していたが、疎開本部は当地のお寺「慈願寺」だった、この本部から疎開児童へ各種管理 情報が発せられ [続きを読む]
  • 戦争後日談ー1
  • 52年目の卒業式 3年8か月に及ぶ戦争も終わり、昭和19年9月から20年3月まで田舎の学校へ転校して、卒業証書も貰った、祖母の怪我で20年2月と3月は東京へ帰り、実質5ヶ月しか通っていない田舎の学校の卒業証書は重みもなく、母校本郷区富士前国民学校の証書が欲しかった。 明治20年代に開校した本郷区でも由緒ある小学校、大正5年に改築された母校、左奥の出っ張りが階段と裁縫室だった、その階段の踊り場に、全身を映す大きな [続きを読む]
  • 安っぽい駅名
  • 新駅名発表昨日 山手線新駅名が発表されてびっくりした、何とも安っぽく品のない駅名。田町―品川間に新駅ができるので駅名を募集した、「高輪」「芝浦」「芝浜」などが上位に選ばれたが、「高輪」が圧倒的に多かった、中には「高輪ゲートウエイ」という投票もあったが130位 たったの36票 安っぽい駅名、昔からの来歴でゲートウエイをつけた様だが、山手線駅名にカタカナは全く似合わない。周辺地域に点在する歴史的 寺院 史 [続きを読む]
  • 戦争を語るー10
  • 長い戦争が終わった昭和20年8月15日正午に放送された「昭和天皇の玉音版」現在はNHK放送博物館に、永久保存のため厳重に保護され、展示されている。     昭和20年8月15日終戦の日は山梨へ疎開中だった、朝6時か7時のニュースで「今日正午天皇陛下のお言葉がある」と放送されて居たようだ、朝ご飯を食べている時に父親が話していた。 終戦の日は朝から強い太陽がぎらぎら、甲府盆地の擂鉢の底のような地形は暑くなった、 [続きを読む]
  • 朝鮮通信使
  • 川越パレード去る11月11日(日)に朝鮮通信使のパレードが、川越の蓮馨寺から蔵の町を通り、札の辻迄行進した。朝鮮通信使が川越の街を通ったの?史実はどうあれ、硬いこと言わずにパレードを楽しんだ。時代は遡り室町時代には、信書の交換など朝鮮と通信が交わされた、秀吉の朝鮮侵攻で中断したが、江戸時代には復活した。その時代によって規模も違っただろうが、朝鮮通信使一行は500人ほどの行列に、国内の武士200人ほどが警護 [続きを読む]
  • 戦争を語るー9
  • 昭和20年3月10日の大空襲 空襲が激しくなった時に疎開先から本郷区の両親の元へ帰った、本土空襲は頻度を増していた、1万mの安全空域をB29が編隊を組んで主として焼夷弾だが爆弾も投下した。 当時東京は「東部軍管区」だった、南方洋上にB29編隊を確認すると、「東部軍管区情報、南方洋上に敵数目標有り」とラジオ放送と共に警戒警報のサイレンが鳴った、相模湾近くになると「東部軍管区情報、敵数編隊相模湾上空に侵入」の放 [続きを読む]
  • 戦争を語るー8
  • 学業より勤労奉仕が多くなった 学童疎開で疎開者が地元の級友に手痛い洗礼を受けたが、級友とも仲良くなり交流が出来楽しく過ごせたが、教室で勉強の機会は少なかった。 ガソリン不足で軍用車 飛行機燃料が逼迫、松の根っこ(松根油)を堀り精製して燃料にした、(だが燃料としては余り役に立たなかっようだ)土手の補強に植えられた樹齢数十年を経た大木の松の根っこ堀り、小学生の力では大変な労力、それでも頑張って掘った [続きを読む]
  • 季節はずれの花と季節の植物
  • 植物の生命力 我が家の狭い庭の一角に毎年時期が来ると朝顔が群生する、それは昨年咲いた花が種を落とし芽を出す、そこへ家内が棚を作り朝顔を這わせ、7〜8月になると毎朝100以上の花を咲かせる、夏の朝顔は9時頃になると日差しが強くなり萎んでしまう。 その朝顔の種が少し離れた所に飛び、10月末に芽を出し、11月半ば過ぎの晩秋に毎朝10個以上の花を咲かせる、晩秋の朝顔は日差しが弱いので夕方まで咲いている、季節外れの朝 [続きを読む]
  • 戦争を語るー7
  • 空襲激しく 学童疎開 手痛い歓迎 物量に勝る米海軍と各地の海戦で、帝国連合艦隊も多くの空母をはじめ各艦船の損害激しく、威容を誇った帝国連合艦隊もその戦力を急速に失った。 連合艦隊司令長官山本 五十六が飛行機で移動の暗号を米軍に解読され、待ち受けた米戦闘機に撃墜され、連合艦隊の大きな柱を失った。 アッツ島をはじめラバウル航空基地撤退、南方諸島の玉砕相次ぎ、硫黄島は死闘のあと玉砕 マリアナ諸島 サイパ [続きを読む]
  • ボジョレーヌーボー
  • ボジョレーヌーボー解禁 行きつけのスーパーへ愛用の缶酎ハイを買いにいった、酒売り場の前に今日解禁の、ボジョレイヌーボーが、大きなスペースに陳列されている、600円台から4,000円台まで広い値幅。 小生ワインはあまり関心がなく、香りも味もわからない、好奇心で値が高ければ旨いかと単純な感じで、少々高いものを買ってきた、酒は友とみんなで酌み交わし、会話が弾んで楽しく旨い酒になる、でもその機会がない、折角買っ [続きを読む]
  • 戦争を語るー6
  • スパルタ教育 大東亜戦争が始まると小学校教育も大きく変わった、スパルタ教育である、担任の教師の性格にも大きく関係するが、厳しい指導をする教師もいた。 教育勅語 青少年学徒に賜りたる勅語 宣戦の詔勅 5ヶ条の御誓文 軍人に賜りたる詔勅 歴代天皇125代の天皇名の暗記、この全てを暗記させられた、教室で突然指名され暗記の教育勅語とか、青少年に賜りたる勅語を全部を言わされる、最後まで言えなければ教壇から [続きを読む]
  • 戦争を語るー5
  • 屑鉄を拾い海軍省へ献金に 戦況も厳しくなる中、軍事費もひっ迫してきた、政府も軍事臨時国債を発行したり、資金集めに大童。 4年生の後半昭和18年頃と記憶するが、担任の先生から放課後屑鉄を拾い集める様にと指示があった、街中に転がっている屑鉄を手当たり次第拾い集め、家に溜まると学校へ持って行き、校庭の片隅に集めた、クラス全員で集めた、どのくらいの期間だったか記憶が薄れたが可成りの量が溜まり、業者に引き取 [続きを読む]
  • 戦争を語るー4
  • 物量 戦備費に大きな違いが、 物資 経済力に優れた米国は、ハワイの艦船被害も克服、昭和18年後半になると、制海圏 制空圏を手中に収め、大反撃を開始南方諸島で激戦が行われ、日本軍の玉砕が相次いだ、南方方面も戦況不利で退却を余儀なくされ、食料不足による栄養失調 疫病 マラリア等で、米英軍の追撃より、そちらで戦死者が増えたと聞く、全く悲惨な状況だったようだ。  アリューシャン列島のアッツ島、山崎大佐以下 [続きを読む]
  • 戦争を語るー3
  • 戦時国債発行 米軍機からビラ散布 大東亜戦争も1年数か月は日本軍も勢いがあったが、戦線の拡大に伴い補給線が細り、弾薬 食料が最前線へ回らなくなってきた、食料が不足してくると気力も戦意も萎えてしまう、昔からの譬え 腹が減っては戦(いくさ)が出来ぬ 当然の事だ。 その間アメリカは経済力 物資力を駆使して空母 艦船 航空機に注力して、日本のゼロ戦 隼より性能のいい航空機を量産した。 昭和18年に入ると拡大し [続きを読む]
  • 戦争を語るー3
  • 戦時国債発行 米軍機からビラ散布 大東亜戦争も1年数か月は日本軍も勢いがあったが、戦線の拡大に伴い補給線が細り、弾薬 食料が最前線へ回らなくなってきた、食料が不足してくると気力も戦意も萎えてしまう、昔からの譬え 腹が減っては戦(いくさ)が出来ぬ 当然の事だ。 その間アメリカは経済力 物資力を駆使して空母 艦船 航空機に注力して、日本のゼロ戦 隼より性能のいい航空機を量産した。 昭和18年に入ると拡大し [続きを読む]
  • 戦争を語るー3
  • 戦時国債発行 米軍機からビラ散布 大東亜戦争も1年数か月は日本軍も勢いがあったが、戦線の拡大に伴い補給線が細り、弾薬 食料が最前線へ回らなくなってきた、食料が不足してくると気力も戦意も萎えてしまう、昔からの譬え 腹が減っては戦(いくさ)が出来ぬ 当然の事だ。 その間アメリカは経済力 物資力を駆使して空母 艦船 航空機に注力して、日本のゼロ戦 隼より性能のいい航空機を量産した。 昭和18年に入ると拡大し [続きを読む]
  • 戦争を語るー2
  • 開戦1年半は戦勝ムード 大東亜戦争勃発以前から支那事変が戦線を拡大して、満州にはソ連に備えて、日本最強の関東軍を配備(この時は日ソ不可侵条約)が結ばれていたが、ソ連の侵攻に備えて居た、不可侵条約が有っても信頼できない何かが有ったのだろう。  今は国名中国だが当時の国名は支那だった、北支 中支にも戦線を拡大していた、当時支那は蒋介石総統が中国国民党を支配し、重慶に本部を置いていた、日本の爆撃機が重 [続きを読む]
  • 戦争を語るー1
  • 大東亜戦争開戦 小生よりずっと年の若い友人から、戦争について知っている事を教えて欲しいと言われた、だが自分では終戦の時はまだ国民学校6年生を卒業したばかり、現地で敵と向かい合って鉄砲を打ち合ったという経験はない、只開戦から終戦そして戦後の事は、記憶にあるから書けると伝え、自分の体験した事をメールで送ると伝えたところ、戦争を知りたい人のグループが有り、ブログに投稿してくれれば皆一緒に読めるので、ブ [続きを読む]
  • 羽毛布団交換詐欺
  • 訳の分からない人の訪問 昨日1時頃玄関チャイムが鳴った、小生が対応する、よれよれジャケットを着て余り風采の上がらないセールスマンらしき人物。 布団の再生の事で来たと言う、我が家は近くの顔見知りで信用できる布団屋さんで打ち直し、側の取り換えを数年ごとに遣っているからいいですと断った、そしたら綿の問題ではなく、羽毛布団の事だという、羽毛布団は普通綿を扱う布団屋さんではできないと言う、だがその布団屋さ [続きを読む]
  • 誠意ある会社
  • 修理ではなく新品と交換 我が家も二人とも年をとった、家内が炊事 洗濯 掃除こまめに遣りいつも室内は清潔に保たれ感謝している、掃除に就いては特に奇麗好きというのか、少しの塵にもうるさい、時には煩わしさを感じる時もあるが。  何日かに一ぺん家内が遣る風呂掃除も腰をかがめたり延ばしたり、大変になってきたのを感じていた、何とかしなければと考えていた、2か月に1度風呂の大掃除 蓋 マット 床の垢落とし  [続きを読む]
  • 迂闊に頼めない
  • 遺言書で家計破産小生僅かばかりの財産でも、争いの起きぬよう法的に有効な遺言書を書いて置かねばとの考えが有り、資産相続の本など買って来て読んだ、遺言書も自分の思った通り書いて置けば良いというものではない、それには法的に叶ったものでないと、家庭裁判所で認可が出ない、認可が出ない遺言書は反故同然何の意味もない、遺族紛争の元だ。ある銀行から遺言書作成しないかと話が有った、法的に有効な遺言書作成だが、費用 [続きを読む]
  • よく歩けた
  • 凡人は高度な芸術を理解できなかった8月は膝を痛めて連日の医者通い、歩く事も侭ならなかったが8月末には痛みも取れて普通に歩けるようになり、通院も終わった。9月半ばに葡萄狩りと蕎麦打ち 餅搗きなど楽しむ会が有った、膝痛が治ったばかり、歩く距離も数キロ一万歩以上歩くのはまだ自信が無かったうえ、ぶり返しが怖かったので参加を止めた。10月初旬、「根津美術館」「岡本太郎記念館」「NHKスタジオパーク」を訪れる会が有 [続きを読む]
  • 蕎麦打ち
  • 門前の小僧 習わぬ蕎麦打ち小生子供のころから母親がうどん 蕎麦を打っているのを脇で見ていた、18歳頃だったか僕にも打たせてくれと言って見た、母親が遣ってみるかと、脇でアドバイスしてくれた、中々上手だと褒めてくれた、褒められると嬉しくなる、母親も年を取ってきたので、そんな時間に家にいる時は、母親に代わってうどん打ちを遣った。平成3年頃か、所沢の隣町三芳町に「蕎麦打ち道場」が有り、会社の同僚が蕎麦打ちに [続きを読む]
  • 快挙2つ
  • 溜飲が下がる40年前に西鉄ライオンズが、本拠地を九州から所沢に移し、西武ライオンズとして所沢に定着した、小生も仙台赴任から前年に所沢へ帰ってきて家を建て、地元のチームなので初めから西武ライオンズを応援していた。過去には広岡監督時代 森監督時代など西武黄金時時代が有った、今年は辻監督のもと10年ぶりにリーグ優勝した、クライマックス戦を勝ち抜き、広島に勝って日本一を勝ち取って欲しい、因みに西武ライオンズ [続きを読む]
  • 楽しかった飲み会
  • ある親睦会先日あるサークル活動が有り、その会が3時半に終わったあと、近くの焼き鳥店で一杯飲まないかと友に誘われた、友との交流を大切にし、酒好きの小生断る理由がない。近くにある焼き鳥店へ4時に集まった、男ばかり3人かと思ったら、女性が一人入り、誘った友も粋な事を遣ると思った、男3人より女性が混じった方が話も弾むし楽しい。男というのは世間話も人との交流なども大雑把な話しか知らないが、女性はその点繊細な神 [続きを読む]