樋口山城守与六 さん プロフィール

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樋口山城守与六さん: 古城巡り 写真館
ハンドル名樋口山城守与六 さん
ブログタイトル古城巡り 写真館
ブログURLhttp://yamashiro2015.blog.fc2.com/
サイト紹介文関東を中心に全国の、城館や史跡をデジタルアルバムのデジブックにて現在の城を紹介して行きます。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供428回 / 365日(平均8.2回/週) - 参加 2015/08/12 19:14

樋口山城守与六 さんのブログ記事

  • 法善護国寺 山梨県南アルプス市
  • 法善護国寺 二天門『甲斐国社記・寺記』『甲斐国志』に拠れば、806年(大同元年)に逸見(北杜市白州町)に創建された永善寺が前身であるといわれという。その後、山寺村(南アルプス市)、寺部村(同)へ移転され、822年(弘仁13年)に空海が創建したという。 『甲斐国志』に拠れば平安時代後期には甲斐源氏の一族が甲府盆地各地へ土着し、法善寺は建久年間に加賀美遠光が巨麻郡加賀美郷に再興し、武田八幡宮(韮崎市神山地区) [続きを読む]
  • 武田信重館 山梨県笛吹市
  • 六角山成就院 武田信重館跡関東管領上杉氏憲(出家後禅秀)と関東公方足利持氏との争いに加担、上杉禅秀に味方した甲斐守護武田信満は、幕府軍に攻められ応永二十四年(1417)天目山にて自害します。信満死後甲斐国内は甲斐源氏である逸見氏一族が関東公方の後押しもあり実権を握りますが、それをヨシとしない幕府は高野山に逃れていた信満の弟信元を甲斐守護に任命します。そのため甲斐国内は争乱で不安定な土地となります(その [続きを読む]
  • 武田信成館 山梨県笛吹市
  • 武田信玄の八代前の甲斐武田氏当主(信成-信春-信満-信重-信守-信昌-信縄-信虎-信玄)、武田刑部太夫安芸守信成の館跡現清道院です。甲斐国志では武田信守館跡とも伝えます。応永五年(1398)三月十八日、武田信成が信濃遠征の最中、居城である赤甲城は敵に攻められ落城。夫人は館内の井戸に身を投げたと伝わります。信成の子信春は応永十七年(1410)、母の菩提寺として屋敷跡に清道院を建立したと伝わります。なお信成は応永元年 [続きを読む]
  • 勝山城 山梨県甲府市
  • ?イメ−ジ図になります♪(/・ω・)/ ♪勝山城 遠景 城址は 半分は果樹園でほぼ藪!!笛吹川左岸の丘(勝山)の上に築かれていた城。『甲斐国志』によれば、油川(笛吹市、旧石和町)を拠点としていた武田氏一族の油川氏の居城である。城主の油川信恵(彦八郎)は甲斐国守護武田信縄の弟で、その後信縄から家督を相続した嫡男の信虎(信恵にとっては甥に当たる)と対立し、1508年(永正5)に坊が峰(笛吹市)で信虎と戦い敗死し [続きを読む]
  • 下曽根屋敷 山梨県甲府市
  • 下曽根氏に関しては武田信重の子で、武田信守、奴白基経らの弟にあたる下曽根賢信が文献上の初見である。その後、下曽根氏は武田氏の親族衆として活躍し、天正10年(1582)以降は徳川氏に仕えている。實際寺の境内が屋敷跡となる、現在は南側と東西に土塁が残る。本堂裏手から延びる東側の土塁、南東隅に五輪塔が3基あります南面の土塁、堀は大夫埋められている様に思えます南西側の堀、竹に埋もれています西側の土塁で、水 [続きを読む]
  • 加賀美氏館 山梨県南アルプス市
  • 法善護国寺 山門法善寺の創建は大同元年(806)に開かれたのが始まりと伝えられています。当初は山寺村にありましたが、弘仁13年(822)、弘法大師が寺部村に移して再興しています。その後、一時衰退しましたが加賀美遠光が武田八幡宮の別当として再興、さらに承元2年(1208)、加賀美遠経が現在地である居館跡に移し承久3年(1221)覚応(紀州高野山)を招き中興開山しています。甲斐源氏の後裔である武田家か [続きを読む]
  • 金丸氏館 山梨県南アルプス市
  • 長盛院 本堂 近年新しくなったようです?現在の長盛院の地に館を築いた金丸氏は代々武田家に仕える家柄であり、金丸虎義の次男である土屋昌続は、信玄病没後は家督を継いだ勝頼を支え武田二十四将に数えられる。『甲陽軍艦』によれば永禄4年(1561)の川中島の戦いでは、上杉軍の奇襲を受け動揺する武田軍の中で、昌続だけが動じずに本陣の信玄を守り続けたという。その功績から甲斐の名門「土屋」の名跡を継ぐことを信玄から許 [続きを読む]
  • 景徳院 山梨県甲州市
  • 景徳院は2度の大火で焼失したが、唯一、創建当時から残っている門。 景徳院の創建は天正16年(1588)、徳川家康が武田勝頼(躑躅ヶ崎館の城主)の菩提を弔う為、家臣である小幡勧兵衛景憲に命じて寺院を建立したのが始まりと伝えられています。武田勝頼は天正10年(1583)、織田信長の甲斐侵攻により新府城から天目山を目指しましたが小山田信茂の謀反により田野で自害、景徳院はその地に開かれた為、当初は田野寺と [続きを読む]
  • 松源寺 亀之丞ゆかりの里 長野県高森町
  • 松源寺(山号:雲竜山 臨済宗妙心寺派)本尊:釈迦牟尼仏松源寺が創立されたのは、永正8年〜10年頃(1511〜1513)とされ、開基は松岡城主民甫正哲松岡貞正、開山は貞正の実弟、文叔瑞郁禅師である。(開山は僧籍が必要)最初の寺は、牛牧村の寺山に建てられた。天正10年(1582)織田軍の兵火により堂塔が焼失した。現在地(松岡城跡5の曲輪内)に移転再建された年代は1600年代と考えられるが確かではない。松岡城廃絶後に、朝日受 [続きを読む]
  • 松岡城 長野県高森町
  • 松源寺(山号:雲竜山 臨済宗妙心寺派)本尊:釈迦牟尼仏松源寺が創立されたのは、永正8年〜10年頃(1511〜1513)とされ、開基は松岡城主民甫正哲松岡貞正、開山は貞正の実弟、文叔瑞郁禅師である。(開山は僧籍が必要)最初の寺は、牛牧村の寺山に建てられた。天正10年(1582)織田軍の兵火により堂塔が焼失した。現在地(松岡城跡5の曲輪内)に移転再建された年代は1600年代と考えられるが確かではない。松岡城廃絶後に、朝日受 [続きを読む]
  • 鈴岡城 長野県飯田市
  • 松源寺(山号:雲竜山 臨済宗妙心寺派)本尊:釈迦牟尼仏松源寺が創立されたのは、永正8年〜10年頃(1511〜1513)とされ、開基は松岡城主民甫正哲松岡貞正、開山は貞正の実弟、文叔瑞郁禅師である。(開山は僧籍が必要)最初の寺は、牛牧村の寺山に建てられた。天正10年(1582)織田軍の兵火により堂塔が焼失した。現在地(松岡城跡5の曲輪内)に移転再建された年代は1600年代と考えられるが確かではない。松岡城廃絶後に、朝日受 [続きを読む]
  • 南本城 長野県高森町
  • 松源寺(山号:雲竜山 臨済宗妙心寺派)本尊:釈迦牟尼仏松源寺が創立されたのは、永正8年〜10年頃(1511〜1513)とされ、開基は松岡城主民甫正哲松岡貞正、開山は貞正の実弟、文叔瑞郁禅師である。(開山は僧籍が必要)最初の寺は、牛牧村の寺山に建てられた。天正10年(1582)織田軍の兵火により堂塔が焼失した。現在地(松岡城跡5の曲輪内)に移転再建された年代は1600年代と考えられるが確かではない。松岡城廃絶後に、朝日受 [続きを読む]
  • 松尾城 長野県飯田市
  • 松源寺(山号:雲竜山 臨済宗妙心寺派)本尊:釈迦牟尼仏松源寺が創立されたのは、永正8年〜10年頃(1511〜1513)とされ、開基は松岡城主民甫正哲松岡貞正、開山は貞正の実弟、文叔瑞郁禅師である。(開山は僧籍が必要)最初の寺は、牛牧村の寺山に建てられた。天正10年(1582)織田軍の兵火により堂塔が焼失した。現在地(松岡城跡5の曲輪内)に移転再建された年代は1600年代と考えられるが確かではない。松岡城廃絶後に、朝日受 [続きを読む]
  • 鈴岡城 長野県飯田市
  • 鈴岡城?イメ−ジ図になります(-ω-)/室町時代中期、小笠原氏の流れをくむ鈴岡小笠原氏が居城としていた城である。北の毛賀沢川、南の伊賀良川にはさまれた標高約490mの河岸段丘上につくられた城で、複数の空堀に囲まれた本丸に二の丸と出丸のほか2つの外郭、西方の高地に遠見原要害を有する城郭である。その城域は東西300m、南北600mという大きな規模を持つ。信濃守護の小笠原氏は、14世紀、府中(現在の松本市)に拠点を置く府中 [続きを読む]
  • 松尾城 長野県飯田市
  • 松尾城小笠原氏は鎌倉時代に阿波国守護であったが、小笠原貞宗の代に建武の親政により信濃国守護となった。貞宗は伊那郡伊賀良荘の地頭で松尾出身と伝わり、松尾城は国府である筑摩郡井川館と並んで小笠原氏の重要拠点であったという。 応永7年(1400年)の大塔合戦で失った信濃守護を取り戻し、小笠原氏を再興した小笠原政康が嘉吉2年(1442年)に死去すると、政康の兄の子小笠原持長が家督相続を主張して内乱を起こし、文安3年( [続きを読む]
  • 松岡城 長野県高森町
  • 松岡城?イメ−ジ図です、現地説明板を参考にしました。築城年代は定かではないが松岡氏によって築かれたと云われる。 松岡氏は平安時代の前九年の役で敗れた安倍貞任の次男仙千代が、乳母に連れられて市田郷の牛牧村へ逃れ、その後郷民に推されて地頭となり、松岡平六郎貞則と名乗り松岡古城に住んだのが始まりと云われる。鎌倉時代の動向は定かではないが、「吾妻鏡」によって弓始の射手を勤めたことがわかっている。応永7年(140 [続きを読む]
  • 南本城 長野県高森町
  • 南本城?イメ−ジ図になります♪(/・ω・)/ ♪城址入り口の説明板(馬出側)尾根状になった段丘の先端に築かれた高さ約90mの山城で、南北370m、東西340mの範囲に遺構が分布します。主郭1は西側に大規模な土塁を盛り、周辺に小さな郭を何段も重ねています。主郭から延びる尾根は堀で断っており、特に台地とつながる北側の尾根には、複雑な遺構が残されています。これだけ立派な山城であるにもかかわらず、古文書に記されておらず、 [続きを読む]
  • 松岡古城 長野県高森町
  • 松岡城跡の北西300メートル、松岡氏が最初に居を構えたと騙されている場所が松岡古城跡である。地元で「夫婦杉」と呼ばれている大木の根元付近には、松源寺開基松岡貞正の奥方の供養塔と称せられる「雲龍院殿泰室瑞安大師永正十六年己卯天十一月十五日」と刻まれた石塔が一基建てられている。また、周辺にはコウジ、横大道、クネ添、堀など城下町に関連する地名が残り、また一部には空堀 も現存している。確実な資料等は見当たらな [続きを読む]
  • 大蓮院殿の墓(小松姫) 正覚寺 群馬県沼田市
  • 正覚寺本堂大蓮院殿は、真田昌幸の長子 真田初代沼田城主 真田信之(信幸から改名)の正室で徳川家の重臣本多忠勝の娘にあたり小松姫と呼ばれていました。家康は小松姫を養女として天正17年(1589年)に信之に嫁がせました。 信之は小田原征伐の松井田城攻めの戦功で、沼田領が真田家の所領となると、翌天正18年(1590年)7月に沼田城主となり、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いにおいて徳川方に従い東軍につきました。 関ヶ原の戦 [続きを読む]
  • 沼田八郎景義の墓 群馬県沼田市
  • 沼田大明神の左手に墓があります父・沼田顕泰に寵愛され、隠居の地である天神城に同行した。永禄12年(1569年)、顕泰による異母兄・朝憲の殺害に端を発する沼田氏の内紛に敗れ、父・顕泰と共に家臣に追放されたと伝わる(「加沢記」)。しかし、考証によって沼田氏の内紛は永禄4年(1561年)以前のことで、沼田へ進出してきた後北条氏への対応を巡り、旧主・上杉憲政を支持する顕泰と、北条氏へ帰属しようとする朝憲らの対立だっ [続きを読む]