樋口山城守与六 さん プロフィール

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樋口山城守与六さん: 古城巡り 写真館
ハンドル名樋口山城守与六 さん
ブログタイトル古城巡り 写真館
ブログURLhttp://yamashiro2015.blog.fc2.com/
サイト紹介文関東を中心に全国の、城館や史跡をデジタルアルバムのデジブックにて現在の城を紹介して行きます。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供409回 / 365日(平均7.8回/週) - 参加 2015/08/12 19:14

樋口山城守与六 さんのブログ記事

  • 大谷吉継の供養塔 埼玉県東松山市
  • 野本氏館跡になる無量寿寺山門の左手側に供養塔が有ります大谷吉隆(吉継)は 天正18年(1590)に豊臣秀吉が小田原の北条氏攻略の一環として 武州松山城攻めをしたとき「無量寺」に程近い「八幡神社」に布陣したとされています(すっかり忘れ、行っていません( ゚Д゚))南無阿弥陀仏と大きな石碑が建っています!!大谷吉隆(吉継)の姓は平で 従五位下に叙せられ形部少輔と称し 大谷平次郎盛冶の子である豊(秀吉)太閤 [続きを読む]
  • 野本氏館 埼玉県東松山市
  • 野本元員を初代とする野本氏一族の館跡です。野本氏は系図から平安時代の公卿藤原基経(ふじわらの・もとつね、836〜891・堀川大臣)の家の警護をしていた片田基親の子息基員が武蔵国野本に移り住んで野本左衛門と名のったのが、野本氏の始まりと言われています。基員は、源頼朝の信頼が厚かった武士で、鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』にも登場する人物です。館は現在、無量寿寺の境内地館跡の標柱山門脇の説明板館は現在、無量 [続きを読む]
  • 高坂館 埼玉県東松山市
  • 高坂館高坂刑部の屋敷跡と伝える。「喜連川判鑑」に高坂氏は応安元年(1368)におこった平一揆で河越氏とともに足利氏満に背き負けるとある。しかし、高坂氏については不明な点が多い。,喜連川判鑑」に高坂氏は応安元年(1368)におこった平一揆で河越氏とともに足利氏満に背き負けるとある。,台地端部にあるいわゆる崖縁城。台地コーナー部に屏風折に作られた土塁と空堀で構えた単郭式の城郭構成を示す。高済寺に一部の土塁と空堀 [続きを読む]
  • 南会津の冬2018
  • 会津高原高畑スキ−場20180219冬型が抜けた翌日、最高のコンデション!!花木の宿20180219山奥の宿ではあるが、格安で落ち着きのある宿。 会津の地酒開当男山 夢の香 会津産米「夢の香」を100%使用して醸造した純会津産 [続きを読む]
  • 福原要害城 栃木県大田原市
  • 福原要害城築城時期は明らかではないが、那須与一宗隆の五兄、福原五郎之隆が那須氏の家督を相続し、以後代々那須氏の居城となった。南北朝期には那須資家は足利尊氏に従い、暦応三(延元元:1340)年には南朝の北畠顕家に属する相馬胤平によって「名須城」が攻められている。応永二十一(1414)年頃、那須資氏の跡を継いだ那須資之と、その弟で沢村氏を嗣いだ沢村五郎資重が不和となり、那須氏は上那須家・下那須家に分裂した。上 [続きを読む]
  • 白旗城 栃木県大田原市
  • 白旗城応永年間に大関増清が築いた山城で黒羽城と関係の深い城です。大関家は、那須家に属した武将集団、那須七騎の旗頭で、近世大名として安定する前の室町期まで、この城を拠点としていました。白旗城の名は源頼義が阿部頼時を討伐に出かける際、この山頂に白幡をひるがえし、軍をそろえたことにはじまり、源義経も奥州の藤原秀衡のもとから、鎌倉の兄頼朝の旗上げに、はせ参じる時に、祖先の例にならってこの山に立ち寄ったとい [続きを読む]
  • 高館城 栃木県大田原市
  • 高館城文治元年(1185年)源平屋島の合戦で「南無八幡大菩薩、別してわが国の神明日光の権現、宇都宮、那須温泉大明神願はくはあの扇の真中射させてたばせ給へ」(平家物語)と念じて、見事扇の的を射落とした青年武士・那須与一宗隆の居城跡といわれています。(川田城跡ともいわれている。川田居館の出城ともいう。)この城は、あまり戦国期の緊張した時期の改修が感じられない???城址遠景郭2から見た主郭方面主郭から見た川 [続きを読む]
  • 那須与一菩提寺 玄性寺 栃木県大田原市
  • 那須与一の墓所は、京都、神戸、大田原にあります。その中でも那須家の菩提寺がある大田原が本墓となっています。近くには、那須与一が乗馬練習をしたという汗馬山もあります、この墓は大田原市重要文化財に指定されています。那須氏菩提寺 那須与一墓所 玄性寺天正18年(1590年)に5歳で那須家を継ぎ、後に那須藩主となった那須資景が建立しました。本寺に那須与一が眠っています。那須氏墓所那須氏墓所那須与一の墓(3番目が与 [続きを読む]
  • 青木要害 栃木県大田原市
  • 那須与一の墓所は、京都、神戸、大田原にあります。その中でも那須家の菩提寺がある大田原が本墓となっています。近くには、那須与一が乗馬練習をしたという汗馬山もあります、この墓は大田原市重要文化財に指定されています。那須氏菩提寺 那須与一墓所 玄性寺天正18年(1590年)に5歳で那須家を継ぎ、後に那須藩主となった那須資景が建立しました。本寺に那須与一が眠っています。那須氏墓所那須氏墓所那須与一の墓(3番目が与 [続きを読む]
  • 門井館 埼玉県加須市
  • 那須与一の墓所は、京都、神戸、大田原にあります。その中でも那須家の菩提寺がある大田原が本墓となっています。近くには、那須与一が乗馬練習をしたという汗馬山もあります、この墓は大田原市重要文化財に指定されています。那須氏菩提寺 那須与一墓所 玄性寺天正18年(1590年)に5歳で那須家を継ぎ、後に那須藩主となった那須資景が建立しました。本寺に那須与一が眠っています。那須氏墓所那須氏墓所那須与一の墓(3番目が与 [続きを読む]
  • 金丸氏要害 栃木県大田原市 2018.1
  • 那須与一の墓所は、京都、神戸、大田原にあります。その中でも那須家の菩提寺がある大田原が本墓となっています。近くには、那須与一が乗馬練習をしたという汗馬山もあります、この墓は大田原市重要文化財に指定されています。那須氏菩提寺 那須与一墓所 玄性寺天正18年(1590年)に5歳で那須家を継ぎ、後に那須藩主となった那須資景が建立しました。本寺に那須与一が眠っています。那須氏墓所那須氏墓所那須与一の墓(3番目が与 [続きを読む]
  • 川口氏館 埼玉県加須市
  • 「吾妻鏡」の暦仁元年(1238年)2月17日の項に将軍藤原頼経の上洛にともない供奉した武藏武士の一人として先陣192騎の16列目に河口八郎太郎の名が記されています。「加須市史」ではこの人物が当時における河口の在地領主であったと推定しています。また、同所の西蓮寺は河口氏が創建したとも伝わっている川口氏館跡周辺 西蓮寺大きい地図・ルート検索  ( powered by ゼンリン地図 いつもNAVI ) [続きを読む]
  • 設楽氏陣屋 埼玉県加須市
  • 徳川氏の関東入部に従い、家臣団の知行割によって旗本設楽甚三郎貞清が、加須村、礼羽村、馬内村の三ヶ村1200石の知行が与えられ幕末まで継承支配していく貞清は馬内村に香積寺を開基し初代清貞以降十二代貞寛に至らる十二基の墓塔が有る、又礼羽村に金蓮寺を開基し四代貞成は馬内村に三宮寺を開基した。又、礼羽村金連寺の近くにも伝陣屋跡がある。「加須市史通史 より」設楽氏陣屋跡 陣屋通り設楽氏陣屋 金連寺北側近くの伝承 [続きを読む]
  • 礼羽氏館 埼玉県加須市
  • 礼羽氏について『加須市史』は、「『吾妻鏡』建保元年(1213)5月2日の条、和田義盛が挙兵し幕府を襲撃した。義盛三男義秀の乱入を防ごうとした数人の武士が義秀に討たれた。その武士の中に礼羽蓮乗の名がみえる。礼羽の番場・早道場の耕作名は礼羽氏に関係する遺跡であろうといわれている。」と記している。礼羽氏館跡の堀舘跡の北側の道路に在る標柱大きい地図・ルート検索  ( powered by ゼンリン地図 いつもNAVI ) [続きを読む]
  • 久下塚氏館 埼玉県加須市
  • 児玉党の氏族の中でも久下塚氏は謎が多い氏族であり、伝承にも差異があり、混乱が見られる。児玉党の本宗家となった本庄氏が居館を築く(13世紀)以前から児玉郡の北堀村の字久下塚(現在の埼玉県本庄市北堀)に土着していた一族とされる。まず、諸々ある『武蔵七党系図』の一つには、「庄太郎家長の子、本庄二郎左衛門家次の弟、久下塚庄二郎弘定、その子、若泉太郎左衛門弘能、その子、木西左近四郎経季なり」とある。家次の弟は [続きを読む]
  • 高柳氏館 埼玉県加須市
  • 大河戸氏から分れた一族で、高柳郷(上高柳・加須市下高柳)に住んでいたといわれますが、その館跡がどこにあったのかはわかっていません。鎌倉時代はじめの建久6年(1195)に、奈良で東大寺の修理完成祝いが行われたとき、高柳行元が源頼朝に従っています。高柳氏館跡 推定 [続きを読む]