樋口山城守与六 さん プロフィール

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樋口山城守与六さん: 古城巡り 写真館
ハンドル名樋口山城守与六 さん
ブログタイトル古城巡り 写真館
ブログURLhttp://yamashiro2015.blog.fc2.com/
サイト紹介文関東を中心に全国の、城館や史跡をデジタルアルバムのデジブックにて現在の城を紹介して行きます。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供395回 / 365日(平均7.6回/週) - 参加 2015/08/12 19:14

樋口山城守与六 さんのブログ記事

  • 平家落人の里  栃木県日光市湯西川
  • 平家落人の里 湯西川平家の落人により集落が築かれたといわれ、平家落人の伝説が残る湯西川温泉。平家落人の生活様式を後世に残すため、村内の茅葺き屋根の民家を移築し再現した民族村です。平家が源平の戦に敗れてからちょうど800年目の昭和60年に建てられました。6月に行われる平家大祭の見どころは、鎧兜の武者や雅びやかな姫が湯殿山神社から平家の里までの約2kmの道のりを練り歩く平家絵巻行列。「蝶 紋」 蝶は、同種で [続きを読む]
  • 笹尾塁(笹尾砦) 山梨県北杜市
  • 笹尾塁(笹尾砦)?イメ−ジ図になります信濃(長野県)との国境に近い、釜無川の左岸の七里岩の断崖上(標高759m、比高110m)に築かれていた山城(やまじろ)である。西側は七里岩の断崖絶壁、東側は深い溺れ谷の城沢にはさまれた要害で、塁(砦)と呼ばれるものの、6つの曲輪(くるわ)を持つ東西80m、南北260mの本格的な城塞だった(ただし、現存する城跡は武田氏滅亡後に、北条氏が整備したものとも考えられている)。甲斐の武田氏 [続きを読む]
  • 深草館 山梨県北杜市
  • 深草館?イメ−ジ図になります。八ヶ岳南麓のほぼ中央に位置する。東を東衣川、西を西衣川によって開析された舌状台地の西南端にある。標高は760mである。南東には南新居集落が接し、東・西衣川の水利をいかした用水路が集落内を巡る。東衣川東の微高地には、北から西方にかけて土塁をもつ方形区画がある。「甲斐国志」は「深草城虚ト云処アリ、相伝テ城主下総守其次ハ主税助、宮内左衛門ナリト云」(一一二「堀内下総守」の項) [続きを読む]
  • 谷戸城 山梨県北杜市
  • 谷戸城?イメ−ジ図になります(現地説明板を参考に作成)平安時代後期には、常陸国那珂郡武田郷から源義清・清光親子が甲斐国市河荘(現在の市川三郷町)へ流罪される。逸見清光(冠者)の子孫は逸見荘へ土着した後、甲斐国各地で勢力を拡大し、甲斐源氏の祖となった。谷戸城は清光の居城と伝わり、江戸時代に成立した『甲斐国志』によれば、清光は正治元年(1199年)に当地において死去したという。平安時代後期には治承・寿永の [続きを読む]
  • 獅子吼城 山梨県北杜市
  • 獅子吼城?イメ−ジ図になります城は同市江草の根古屋神社の背後の山(地元では城山と呼ばれている)にあった。甲信国境近くに位置していたため国境監視とともに、当時から佐久甲州街道(現在の国道141号線)の裏街道として知られていた若神子から長野県佐久市に至る道が通っていたことから、この街道を押さえる城としても機能した。築城は鎌倉時代末期に遡り、信田氏が居城としていたともいわれるが、築城時期、築城者および築城 [続きを読む]
  • 中山砦 山梨県北杜市
  • ?イメ−ジ図になります(現地説明板を参考にしました)釜無川の右岸に東西に横たわる標高八八七メートルの独立した山で、眺望は極めてよく、この山頂部に中山砦がある。 中世の煙火台を兼ねた山城で北を尾白川、南を大武川が流れる。かつて武川衆として活躍した武士団が拠点としたところである。牧原・三吹・山高・柳沢・横手・台ケ原・白須などの集落が、周囲の山裾や河岸段丘上に点在している。 頂上部の城郭は現在下三吹区有 [続きを読む]
  • 若神子城 山梨県北杜市
  • 『甲斐国志』では、城主を甲斐源氏の祖にあたる新羅三郎義光とし、義光からその子孫である源義清・清光に伝えられたとしている[。戦国時代には武田氏の信濃侵攻における甲信国境として重要視され、佐久・諏訪口方面からの狼煙の中継点、陣立ての場所として利用されたという。武田氏の滅亡後、武田遺領をめぐる天正10年(1582年)6月の天正壬午の乱では、信濃国から相模国の北条氏直が甲斐へ侵攻し、若神子城に本陣を起き周辺の城砦 [続きを読む]
  • 実相寺館 山梨県北杜市
  • 神代桜で有名な実相寺が在る、ここは東下がりの緩やかな傾斜地で北側には大武川の河岸段丘崖、南には黒沢川が流れ東西に細長い台地で武川衆山高氏の本拠地である。山高氏は武川氏の祖、一条源八時信の子信方を祖としている。実相寺の南側の神代桜側に土塁が残り、本堂の裏手がにも土塁が残る。実相寺 山門実相寺 本堂実相寺館 土塁山高神代桜は武川町の実相寺境内にそびえる、福島県の三春滝桜・ 岐阜県の淡墨桜と並ぶ 日本三大 [続きを読む]
  • 一条氏屋敷 山梨県北杜市
  • 武田五郎信光の末男六郎信長が忠頼の跡を継いで一条六郎信長を称し、その子孫の一条源八時信の子孫が武川筋の各村に分封したのが武川衆とされる。戦国時代には武川衆は武田氏の一勢力として活躍した。現在この屋敷には、一条氏が居住しその土蔵には武田菱の紋がついている。屋敷の東辺には巨石を積んだ堀が残ります。 [続きを読む]
  • 横手氏屋敷 山梨県北杜市
  • 中山の西側麓が横手集落で、その中央部に横手氏屋敷が残る大武河の扇状地で甲斐駒ヶ岳の裾野となり、古い信州往還は山高、柳沢、横手、竹宇、鳥原、と通じていた為に横手は大武川の渡河として交通の要所である。現在残る横手氏屋敷は、旧信州往還に面し、南向きで往還との間には石垣で囲った幅3m位の堀が残り、標柱も有ります。現在屋敷跡の家は廃屋となっています(2018.6)横手氏屋敷 標柱横手氏屋敷 堀 [続きを読む]
  • 柳沢氏屋敷 山梨県北杜市
  • 柳沢周辺には「中原」の地名は存在していないが、「甲斐国志」には柳沢氏屋敷が「中原という処(ところ)にあり」と記されている。柳沢北側を流れている釜無川の支流大武川の段丘上に柳沢集落があり、その一角に「弥太郎屋敷」と呼ばれた柳沢氏屋敷の存在が伝わる。弥太郎とは武田信虎に仕えた柳沢弥太郎貞興のことと伝えられ、柳沢吉保にも弥太郎の通称がある。周辺は度重なる洪水の為、遺構と伺える物は残っていないが柳沢氏発祥 [続きを読む]
  • 曲淵氏屋敷 山梨県北杜市
  • 小深沢川が釜無川に合流する地点にある花水地区の高台にある若宮八幡神社境内付近にあったとされ、道路脇に標柱が立てられている。若宮八幡は曲淵氏の屋敷神とされる。武田三代に仕えた曲淵庄左衛門は、弘治3年の信濃平倉城攻めでは城主飯森春盛を討ち取る戦功を立てている。 曲淵氏は、その後徳川家康に仕え旗本となっている。屋敷跡の小深沢川を挟んだ高台の清泰寺が曲淵氏の菩提寺となり本堂の左手には曲淵氏の場所が有ります [続きを読む]
  • 馬場美濃守屋敷 山梨県北杜市
  • 馬場美濃守信春の屋敷は、現在は白州保育園・西部こども園の敷地となっている場所にあったとされ、園内の一角に標柱が立てられていた。 現在は遺構となるものは確認できません。、築城年代は定かでないが武田一族馬場氏によって築かれた。 馬場氏は、武田信虎の時代に馬場虎貞の代で断絶するが、天文15年に教来石信春が名跡を継ぎ馬場信春となった。 信春は、武田信虎・信玄・勝頼の三代に仕え、天正3年の長篠の合戦で討死し [続きを読む]
  • 教来石氏屋敷 山梨県北杜市
  • 教来石氏の屋敷跡は流川の左岸の下教来石に伝承されています下教来石の教来石氏屋敷跡は、小学校、下木戸と屋敷裏との間、現在の国道20号線付近に在ったのではないかと推定。土地の人は教来石民部の生まれた所といっている(白州町史より)国道の東側旧街道に面して馬場氏の屋敷が現存、「馬場美濃守の屋敷は、その裏手に在ったと伝承がある」屋敷跡はこの村の中心であり、流川の渡河点にもなり交通上の要所と言える。屋敷跡とされ [続きを読む]
  • 信玄旗掛の松 山梨県北杜市
  • 信玄公旗掛松は、高さ約15メートル、木の周り約7メートルにおよぶ巨木であり、別名「信玄公旗挙松」、「信玄公旗立松」、「甲斐の一本松」などとも呼ばれた老松であった。ただ、武田信玄の時代よりも後世のものであることが、後述する裁判過程で国側の鑑定により明らかにされた。しかしながら、見晴らしの良い丘の上に立つこの一本松は、古来から名の知れた名木であることに変わりはなく、甲斐源氏の祖である逸見清光(源清光)が [続きを読む]
  • 常盤城(旭城) 福島県田村市
  • 常盤城(旭城)?現地鳥瞰図を参考にしたイメ−ジ図になります。旧常葉町の中心部の東にある大志多山(標高536.4m、比高90m)を城域としていた規模の大きな城郭である。本郭のほか二の郭・三の郭・四の郭のほか、東の出丸、北の出丸の5つの砦(曲輪で構成されていた。鎌倉時代後期の1274年(文永11)、熊谷直実の子孫の熊谷直則が築いた居館がその起源とされ、以後およそ300年間にわたって、この地域一帯を支配した熊谷氏、常盤氏 [続きを読む]
  • 大越城(鳴神城) 福島県田村市
  • 大越城(鳴神城)大越城 鳥瞰図 現地説明板より大越城は田村氏の重臣で、坂上田村麻呂の末裔と伝わる大越顕光の居城です。顕光が下大越城に替わる居城として築き、田村氏が領内に築いた「田村四十八館」の中でも最大規模とされます。顕光は当主・田村清顕の死去後に家中が分裂した際に相馬方についたため、1588年(天正16年)に伊達政宗の命を受けた伊達成実の攻撃を受け、これを撃退しています。1590年(天正18年)の豊臣秀吉に [続きを読む]
  • 木舟城(狸森城) 福島県須賀川市
  • 木舟城(狸森城)?イメ−ジ図になります木舟城は、二階堂氏の家臣であった矢部氏の居城である。 暦応2年(1339)9月付けの文書に「当地は藤原英房の所領地であったが、二階堂時藤の家人矢部又次郎が、結城親朝から土地を預かったと称して横領して、英房に渡さなかった」として英房が訴えたとするものが残っている。南北朝期のどさくさにまぎれて、二階堂氏や矢部氏らがこの近辺の土地を横領して行ったのだろう。 『矢部氏系図 [続きを読む]
  • 三春城2018改 福島県三春町
  • 三春城2018改戦国時代の三春城は、山頂部分の本丸に城主居舘を置き、それを中心に郭を配置した典型的な山城であったと思われる。しかし、前述のとおり、江戸時代初期の松下長綱による改修により、本丸西の山麓部分(現在児童公園)に二の丸、東側の山麓に三の丸が設けられ、それらの周囲の丘陵の中腹地(現在お城坂といわれる登り口付近)には重臣の屋敷が配置された。さらに秋田氏時代になると、藩主の居舘を山頂の本丸から山麓に [続きを読む]
  • 船引城 福島県田村市
  • 引船城 館山公園入口船引城は相馬顕胤の娘であり田村氏当主・田村清顕の正室となった於北が幽閉された城として知られています。1586年(天正14年)に清顕が嫡子を残さぬまま死去すると、家中は於北を中心とする相馬派と、清顕の娘で伊達政宗の正室となった愛姫を中心とする伊達派に分裂しました。当時の城主、田村清康は相馬派の一角でしたが、1588年(天正16年)の「郡山合戦」を制した政宗は清康を追放し、於北を三春城から船引 [続きを読む]