白州ふるさと文庫 山口素堂資料室 さん プロフィール

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白州ふるさと文庫 山口素堂資料室さん: 三枝雲岱と周辺の人々
ハンドル名白州ふるさと文庫 山口素堂資料室 さん
ブログタイトル三枝雲岱と周辺の人々
ブログURLhttps://blogs.yahoo.co.jp/saegusauntai
サイト紹介文山梨県古代・中世・近世・現代の歴史文学旧跡を紹介しています。
自由文郷土の資料(有形・無形)急速に消失しています。先人たちの足跡を顕彰することは現代人の使命と思います。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供617回 / 365日(平均11.8回/週) - 参加 2015/08/13 13:54

白州ふるさと文庫 山口素堂資料室 さんのブログ記事

  • 元禄五年(1692)著。 素堂翁 五十歳。
  • 元禄五年(1692)著。 素堂翁 五十歳。『三日月日記』 我友芭蕉の翁、月にふけりて、いつとはわかぬものから、ことに秋を待わたりて、求めなし。 あるときは敦賀の津にありて、越の海にさまよひ、其さきの秋は、石山の高根にしはし庵をむすひて、琵琶湖の月を詠し、二とせ三とせをへたてて、此郷の秋と共にあふならし。 文月のはしめは、蚊のふせきも静ならす、玉祭頃はこれにかゝつらひ、在明のころ下絃のころも、雨のさ [続きを読む]
  • 素堂、芭蕉にさきがけ「不易流行」を唱える
  • 素堂、芭蕉にさきがけ「不易流行」を唱える 素堂…… 十一月、其角の『続虚栗』に序文を与える。発句五、入集。  風月の吟たえずして、しかもゝとの趣向にあらず。 たれかいふ、風とるべく影をひろふべくば、道に入るべしと。 此詞いたり過て、心わきがたし。ある人来りて、今やうの狂句をかたり 出しに、風雲の物のかたちあるがごとく、水月の又のかげをなすに似  たり。あるは上代めきてやすく、すなほなるもあれと、た [続きを読む]
  • 素堂の俳諧論
  • 素堂の俳諧論 素堂(信章)がいつ頃から俳諧を始めたかは明確な資料を持たないが、寛文七年(1667)二十六才の時に貞門俳諧師、伊勢の春陽軒加友の俳諧撰集『伊勢踊』が初出である。 発句は本文に掲載してあるが、注目されるのは、前書の少ない『伊勢踊』の信章の句には、加友が「予が江戸より帰国の刻馬のはなむけとてかくなん」と認めている。これは素堂の職業上の地位か俳壇に置けるものかは分からないが、それなりの地位 [続きを読む]
  • ◇天和1年 辛酉 1681 素堂40才
  • ◇天和1年 辛酉 1681 素堂40才俳壇…一月、信徳ら『七百五十韻』に呼応して、七月、芭蕉ら『俳諧次韻』刊。十一月、来山『八百五十韻』刊。以後来山、大阪俳壇で確固たる地位を築く。 ▽素堂附句、三月、『ほのぼの立』高政編。芭蕉入集句と素堂の附句について。枯枝に烏のとまりたけり秋のくれ  はせを鍬かたげ行霧の遠里   素堂▼新編『芭蕉一代集』昭和六年刊。勝峯晋風氏著より(P431)『 [続きを読む]
  • 素堂消息 杉山杉風書簡 岸本八郎兵衛宛て
  • 杉山杉風書簡 岸本八郎兵衛宛て『芭蕉と門人』山?喜好氏著 昭和22年刊 弘文社岸本八郎兵衛様    鯉屋市兵衛(杉山杉風)      貴報昨日貴札悉拝見候。如仰、先日はゆるゆると得貴意大慶奉存候。然らば短冊五冊被遣候。桃青ニも書かせ申候。乍去頃日持病気之由承候間、少々遅々可仕候へども、其段は御待可被下候。機嫌見合書セ可申候。其角儀ハ嵐雪斗存候。残リハ常々出会不申候。擧白儀ハ宗匠ニてハ無御座候。私共 [続きを読む]
  • 宝永4年富士山噴火資料
  • 宝永4年富士山噴火資料「隆砂記」富東一禿著 正徳六年(1716)読み下し、永原慶二氏著「富士山宝永大爆発」第一章 六二0年ぶりの大爆発(P34・35)これ時に宝永四丁亥の年冬十一月二十三日昼辰の刻、大地俄かに動揺して、須臾(シユユ・しばらく)あって黒雲西方より出でて一天を蓋(オオ)う、雲中に声有り百千万の雷鳴の如し、巳の刻ばかりしきりに石砂を雨(フラ)す。大は蹴鞠の如し、地に落ちて破れ裂けて火烙を出す、 [続きを読む]
  • 奥の細道 素堂松島の詩を贈る
  • 奥の細道 松島 素堂松島の歌 日すでに午に近し。船を借りて、松島に渡る。その間二里余り、雄島の磯に着く。 そもそも、ことふりにたれど、松島は扶桑第一の好風にして、およそ洞庭・西湖を恥ぢず。東南より海を入れて、江の中三里、浙江の潮を湛ふ。島々の数を尽くして、欹(そばだ)つものは天を指さし、伏すものは波に葡匐(はらば)ふ。あるは二重に重なり、三重に畳みて、左に分かれ右に連なる。負へるあり抱けるあり。児 [続きを読む]
  • 芭蕉「はりぬき--」素堂脇 七つ成子文月の歌
  • ○下里知足伝来書留 市中より東叡山の麓に家を移せし頃。秋 市中より上野不忍の他のほとりに移り隠棲する。☆桃青両吟発句脇二組 三吟三物一組。 ・鮭の時宿は豆腐の両夜哉       素堂   茶に煙草にも蘭の移り香       芭蕉  ・塔高し梢の秋の嵐より        素堂   そぞろ寒けき池の見わたし      夷宅   一羽二羽鳥はあれども声もなし    芭蕉   張抜の猫も知る也今朝の秋   [続きを読む]
  • 誤伝素堂の背景 『葛飾正統系図』
  • 『葛飾正統系図』甲府市史 資料編 第4巻 近世3俳文芸『葛飾正統系図』嘉永三年(1850) 〔書誌〕 山梨県立図書館蔵甲州文庫。馬場錦江自筆稿本。 正統とは素堂から錦江に至る九代の其日庵主のことであるが、各世主に属する主要俳人も記されている。本文末尾にある錦江の条に、嘉永庚戌の秋此系譜を作る」とあるので成稿の時を知り得る。素堂の伝記については、松平定能  の編集の『甲斐国志』(文化十年成)によるところが [続きを読む]
  • 誤伝 山口素堂の生誕地とされる 北巨摩郡白州町上教来石山口
  • 誤伝 山口素堂の生誕地とされる 北巨摩郡白州町上教来石山口 ☆ 現在の、山梨県北巨摩郡白州町上教来石(カキキョウライシ)宇山口(当時の上教来石村宇山口)☆ 素堂の出身地については、『甲斐国志』を始め、山梨県の著作物や辞典等には、教来石村または上教来石村宇山口とあり、その多くは『甲斐国志』からの引用が目立つ。『甲斐国志』以前の書物には素掌翁の記載は見えない。 素堂から連綿と続く葛飾派の溝口素丸(初代素丸は長谷 [続きを読む]
  • ☆素堂と兵庫・播磨
  • ☆素堂と兵庫・播磨〇 神戸市兵庫区辺り、平の清盛が治承四年京都より都を移したが、半年で元の京都に戻った。《素堂》   福原にて菜畠の爰が左近のさくらかよ○ 播磨 兵庫県西部の旧国名《素堂》    播磨めぐわせし頃唱句   牛行花緩々    尚 牡丹花をになひて  遅き日やしかまのかち路牛で行○飾磨 (しかま)姫路市飾磨区古来瀬戸内の要港、藍布の産地であった。○書写寺 姫路市の北方に市の西側を流れる [続きを読む]
  • ☆素堂と玉津島
  • ☆素堂と玉津島○ 和歌山市南方の海岸一帯の名勝地「和歌の浦」に在る玉津島神社、背後   の妹背山と東に名草山が在り、祭神は稚日女命・神功皇后・衣通姫、衣通姫は和歌の神として尊崇されている。《素堂》   玉津島 〔紀南玉津島にて〕  霧雨に衣通姫の素顔見む [続きを読む]
  • ☆素堂と高野山
  • ☆素堂と高野山○ 和歌山県伊都郡高野町。弘法大師空海が開いた真言宗総本山金剛峰寺が   ある。老杉古檜に包まれ、標高千米の信仰の対象地。《素堂》    高野山にて  しんしんたる山はいろはのはじめ哉 [続きを読む]
  • ☆素堂と吉野山・西行庵・吉野川
  • ☆素堂と吉野山・西行庵・吉野川○吉野山 奈良県吉野郡吉野町を中心にした一帯を称し、吉野川に臨み山谷の美で知られ、桜の名所で歌枕にもなっている。また修験道の道場でもあり、吉野朝四代(南北朝期)の遺跡も在る。   大和めぐらせし頃よしの山に人 〔元禄三年〕  をちにミしきのふの雲をけふわけて花になれゆくみよしのゝやま   大和めぐりせし頃よしの山にて  是つらよよし野の花に三日寝て○西行庵 吉野山の金 [続きを読む]
  • ☆素堂と吉野山・西行庵・吉野川
  • ☆素堂と吉野山・西行庵・吉野川○吉野山 奈良県吉野郡吉野町を中心にした一帯を称し、吉野川に臨み山谷の美で知られ、桜の名所で歌枕にもなっている。また修験道の道場でもあり、吉野朝四代(南北朝期)の遺跡も在る。   大和めぐらせし頃よしの山に人 〔元禄三年〕  をちにミしきのふの雲をけふわけて花になれゆくみよしのゝやま   大和めぐりせし頃よしの山にて  是つらよよし野の花に三日寝て○西行庵 吉野山の金 [続きを読む]
  • ☆素堂と京都《宮津・天橋立》
  • ☆素堂と京都《宮津・天橋立》〇 京都府宮津市、元丹後の国与謝郡。宮津湾頭の城下町。天の橋立が在る。素堂が云う宮津の主人は特定できない。    宮津のやどりにて浦島が鰹は鰤いまだ    宮津主人水上氏へ  記得杜翁句  天柱再渡時  四海洋海水  孤月掛松枝  清話眼相対  吟行影亦随  人間汗水会  旅泊是生涯 ○天橋立 宮津市の与謝半島から宮津湾に突き出した砂州で、白砂青松の日本三景の一つ。素堂 [続きを読む]
  • 素堂と京都《丹波》
  • 素堂と京都《丹波》○京都府南部から兵庫県北東部に広がる旧国名、京都からは丹波口が道の出発点て往時は島原遊廓の入口が道に面していた。この道を西に向かうと京都と丹波の境の老の坂峠である。所謂「丹波越え」と云う語が残っているが、此処では省く。   丹波にて (既望十六夜集・宝永六年刊行)  我むかし一重の壁をきりぎりす [続きを読む]