切り絵 浮世絵 さん プロフィール

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切り絵 浮世絵さん: 切り絵
ハンドル名切り絵 浮世絵 さん
ブログタイトル切り絵
ブログURLhttps://blog.goo.ne.jp/krsw888757
サイト紹介文浮世絵を切り絵に
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供40回 / 365日(平均0.8回/週) - 参加 2015/08/20 07:52

切り絵 浮世絵 さんのブログ記事

  • 六十余州名所図会 周防 岩国錦帯橋
  • 「周防 岩国錦帯橋」  周防(すおう)は山口県の東南部にあたり、防州(ぼうしゅう)とも呼ばれていた。岩国市を流れる錦川にかかるアーチが美しい錦帯橋(きんたいきょう)は1673年岩国藩主吉川広嘉によって創建された木造の橋で、1950年の台風で流されるまで実に270年以上も耐え抜いた頑強な橋である。その後も昔ながらの木組みの工法で再建され現在もその美しい姿を我々に見せてくれている。 [続きを読む]
  • 広重 名所江戸百景 亀戸天神
  • 「亀戸天神」亀戸天神は江戸郊外の観光地で、境内の大小二つの太鼓橋と、池の周囲の藤棚が名物である。学問の神様として親しまれ、九州太宰府天満宮から神像を勧請し社殿も模して、庶民からの信仰が厚かった。境内は多くの絵師によって描かれている。 [続きを読む]
  • 名所江戸百景 せき口上水端はせを庵椿やま
  • 「せき口上水端はせを庵椿やま」目白台近くを蛇行する、江戸最古の.上水・神田上水を描く。江戸では人工の上水の設置にも力が入れられ、神田上水をはじめ、承応三年(1654)に玉川上水、万治二年(1659)に亀有上水、万治三年(1660)に青山上水、寛文四年(1664)に三田上水、さらに元禄九年(1696)に千川上水の整備を進めた。関口の名称に関しては、奥州道中の関所が置かれていたことに起因するという説と [続きを読む]
  • 広重 名所江戸百景 目黒元不二
  • 「目黒元不二」目黒元不二は文化9年(1812)に築かれた富士塚で、のちに新富士ができたためこの名がある。高さは四丈(約12m)ほどだった。江戸時代後期には、富士信仰の高まりとともに多くの人々が富士登山を行なつたが、現地に赴けない人々は、このような富士塚に詣でた。元不二は明治11年(1878)に石嗣や鳥居が撤去されたが、その石嗣と富士講の碑石が上目黒氷川神社の境内に移された。天高く伸びる一本の樹は、村尾嘉陵(176 [続きを読む]
  • 六十余州名所図会 三河 鳳来寺山巌
  • 「三河 鳳来寺山巌」鳳来寺は愛知県東部の新城市にある鳳来山の山頂近くにある真言宗五智教団の寺院で大宝2年(702年)利修を開山し薬師信仰と山岳修験道の霊山として古くから信仰を集めた。徳川家康の両親が天下人となる男子を祈願して家康を授かったと伝わった事から幕府の庇護を受けていた。 参道の石段の数が1425段あり、徳川家光によって建てられた仁王門は国の重要文化財となっている。画面中央下の赤い楼門が仁王門、階段 [続きを読む]
  • 広重 名所江戸百景 廓中東雲
  • 「廓中東雲」東雲は(しののめ)と読み、夜明けの意。早く帰宅の必要ある客たちが、明七ツ (午前四時) で、あわてて帰路につく。手拭いで顔を隠しながら早朝の吉原大門を出て行く客を見送る遊女たち。幕府はそれまで江戸市中に散在していた私娼を、郊外の葭町に集めて営業させることとした。吉原は「葭」の字がその名の由来となっている。 [続きを読む]
  • 広重 名所江戸百景 下谷広小路
  • 「下谷広小路」上野寛永寺に向かう下谷広小路の景で、現在の台東区上野三丁目にあたる。現在も百貨店として知られる松坂屋は、名古屋の呉服商伊藤屋が始まりで、明和5年(1768)に上野の呉服商松坂屋を買収して営業した。店の前には商号入りの風呂敷包みを担いだ店の者の姿も見える。道の中央には稽古事の一行と思われる人々が揃いの傘をさして歩いている。後ろに櫃を担ぐ男衆がいることから、近くの寛永寺にそろって花見に行くと [続きを読む]
  • 広重 六十余州名所図 加賀 金沢八勝之内 蓮湖之漁火
  • 「加賀 金沢八勝之内 蓮湖之漁火」加賀国は現在の石川県南部で、加賀百万石といわれ江戸時代に権勢を誇った、加賀藩は加賀国だけでなく能登、越中の三国のほとんどを領地としていた。蓮湖は金沢駅の北方に位置する河北潟のこと。潟が砂丘によって日本海と隔てられることによって出来上がった湖。名産の蓮根は五代加賀藩主が、美濃から蓮の苗を持ち帰り移植したところ、大変良質な蓮根が採れ、現在では「加賀れんこん」として知られ [続きを読む]
  • 本朝名所 三州鳳来寺行者越
  • 「三州鳳来寺行者越」煙巌山(標高695m)鳳来寺は現在の南設楽郡にある名刹で本尊は薬師如来。長い間の地殻変動や浸食作用によって比較的固い部分だけが残り、現在のような塊状火山・鐘状火山のような山容が作られた。又仏法僧の生息地としても知られている。大宝三年(703年)に山城国出身の利修仙人が入山したことに始まるといわれ、石段は1,425段あり行者のメッカ-としても知られている。峨々たる岩山を参詣の人々が登って行く [続きを読む]
  • 広重 名所江戸百景小梅堤
  • 「小梅堤」現在の墨田区押上にあたる、隅田川東岸の本所小梅村の堤を描く。橋のたもとには戯れる村の子どもたちの姿が描かれ、いかにものどかな雰囲気である。江戸の中心からはいくぶん離れた農村部で、その風情が隠居の場としても好まれたようだ。手前の橋は八反目橋。奥に架かるのは庚申橋、さらに向こうに七本松橋が見え、秋葉権現へと続いていく。 [続きを読む]
  • 広重 六十余州名所図会 肥後 五ヶの庄
  • 「肥後 五ヶの庄」肥後国(熊本県)は九州中央にあって、三方を山がおおい、菊池・阿蘇・益城・球磨の四大河は、その山嶺から生じて、西に流れ一方の海に注ぐ。その阿蘇・益城・球磨の上流は火山や盆地を形成して、別天地の感をもたせ、奇怪と峻険の地として名高い。五かの庄は、球磨川の上流の地の山谷深き九州第一の僻境といわれる所である。椎原・久連子・樅木・葉木・仁田尾の五村からなり、北は矢部、南は五木江代、東は椎葉 [続きを読む]
  • 広重 六十余州名所図会 武蔵 隅田川 雪の朝
  • 「武蔵 隅田川 雪の朝」画面中央を流れる隅田川に左手前からほぼ直角に合流しているのが「山谷堀」音無川の三ノ輪あたりから隅田川の今戸をつなぐように掘られた掘割で、水害対策とともに、灌漑の補助もかねていた。こういった堀は江戸にはたくさんあったが、堀といえば「山谷堀」を指すほど著名で、船宿や茶店が堀の両岸に並んだという。この山谷堀沿いをすすむと「新吉原」の遊郭へとつづく。この堀は現在上をふさがれた暗渠と [続きを読む]
  • 広重 六十余州名所図会 上野 榛名山 雪中
  • 「上野 榛名山 雪中」    群馬県高崎市榛名湖町ここ数日一気に冬の寒さが本番となってきた。このあたり昔、毛野(けぬ)とよばれる国であったのが分割して上毛野と下毛野となり、その後国名から「毛」が抜け、上野、下野となったのだが、音には「こうずけ」「しもつけ」と「け」が残っている。榛名山は山岳信仰の対象とされた山で、山頂にはカルデラ湖と榛名富士があり、妙義山、赤城山とあわせて上毛三山と呼ばれている。近 [続きを読む]
  • 富嶽三十六景 上総ノ海路
  • 「上総ノ海路」二艘の五大力船が、江戸湾を房総方面に向けて航行している図である。五大力船は、おもに米穀を積んで江戸と上総を結んだ船で二百俵、三百俵、五百俵積み船があったといわれ、明治の末年頃まで運搬船として活躍した。二艘の五大力船がほとんどを占め、湾曲した三浦方面の陸地と、遠景に小さく富士を描いているのみであるが、それがかえって茫々とした海上の雰囲気を伝えている。「ジグソーパズル」は此処を [続きを読む]
  • 北斎 富嶽三十六景 尾州不二見原
  • 「尾州不二見原」職人が大きな桶の製作に一心に取り組んでいる。その桶を通して、遠方に小さく富士が見える。大きな円と小さな三角形とが組み合わされた、大胆、奇抜な構図で、見る者をその円の中に引きずり込む。その北斎の力量に驚く。「桶屋の富士」とも呼ばれていて江戸時代愛知からも不二が見えた様だ。「ジグソーパズル」は此処を [続きを読む]
  • 歌川国芳  忠臣蔵十一段目夜討之図
  • 「忠臣蔵十一段目夜討之図」「仮名手本忠臣蔵」十一段目の討ち入りの場面を描いている。国芳は積極的に西洋絵画の表現技法を風景画の中に取り入れており、オランダで刊行された『東西海陸紀行』にある銅版画の挿絵を下敷きにして描かれたものといわれている。北斎・広重という風景画の二大巨頭がいる中、国芳は独自性をいかに出すか工夫していることが解る。吉良邸に潜入する緊迫に中、犬を手なずける浪士の姿は、微笑ましく感じら [続きを読む]
  • 広重 名所江戸百景 広尾ふる川
  • 「広尾ふる川」古川は上流では渋谷川、下流は赤羽川・新堀川・金杉川と名を変え江戸湾に注ぐ。広尾の原は現在の東京都港区南麻布あたりで、江戸の南西に位置するのどかな丘陵地帯も、今はビルの立ち並ぶにぎやかな都心の一画となっている。南が白金、北が麻布の高台、中央に架かる橋は四之橋である。この橋は常陸国土浦藩主土屋家の下屋敷近くにあることから、「相模殿橋」とも称された。このあたりには葦簀張りの簡易な茶屋が点在 [続きを読む]
  • 広重 名所江戸百景 芝うらの風景
  • 「芝うらの風景」芝浦は江戸湾の西に位置する江戸城台所への菜肴献上などの国役を務める町で、画面の右側には将軍家の別荘である浜御殿(浜離宮庭園)がある。左奥に見えるのは台場、江戸湾に浮かぶ大小の船がのどかな雰囲気を醸し出している。左方に立っているのは、水路標識の澪標である。 [続きを読む]
  • 広重 名所江戸百景 高田姿見のはし俤の橋砂利場
  • 「高田姿見のはし俤の橋砂利場」現在の「面影橋」が広重の絵でも弓なりの太鼓橋で立派だったことがうかがえる。橋を渡って少し北へ行くと、小さな小川に架かった橋に至る。その橋を渡って左側に氷川神社があり、その向かい、木に囲まれて別当寺である大鏡山南蔵院という寺が建っていた。その昔この 寺の前に「鏡が池」という池があったので、この寺の山号になったという。北側一帯は昔、砂利がとれたので「砂利場村」と称した。 [続きを読む]
  • 広重 六十余州名所図会 筑前筥崎海中の道
  • 「筑前筥崎海中の道」玄界灘に突き出した砂嘴は、荒波を受け止め、穏やかな博多湾を作った。この砂嘴が海の中道で、画面を区切った上が博多湾、下の玄界灘とは海面の様子が描き分けられている。砂嘴は長さ12km、幅は広いところで2kmもあり、現在は鉄道が敷かれ、住宅や観光施設も多い。画面右下には鳥居と燈籠が見え砂曙の先にある志賀島の志賀海神社への入り口を示している。昭和7年(1932)に志賀島橋が架けられると橋脚部に砂が [続きを読む]
  • 広重 名所江戸百景 びくにはし雪中
  • 「びくにはし雪中」びくにばしは、現在の京橋の下を流れる京橋川に掛かっていた。手前左側に「山くじら」と書かれた看板が、雪景色の中に置かれているが「山くじら」とは、猪の肉のことで別の名は牡丹肉と云った。他に鹿肉(紅葉肉)、馬肉(桜肉)も食べられていた。向かいには「○やき十三里」の看板があるが、栗(九里)より(四里)美味い薩摩芋を丸焼きにして売っていたので「十三里」と洒落た店名が付けられていた。 [続きを読む]
  • 広重 名所江戸百景 墨田河橋場のかわら竃
  • 「墨田河橋場のかわら竃」橋場の渡しは隅田川で最も古く、現在の白鬚橋付近にあった。浅草側には瓦や瀬戸物を作る今戸焼の竃が多く並んでいた。たち上がる煙はその窯から出たもので火事が多かった江戸では、瓦が延焼を防ぐため、重要な仕事でもあった。火を使うため水辺での竃が許可され、土を舟で運んでいたという。 [続きを読む]
  • 広重 六十余州名所図会 摂津 住よし 出見のはま
  • 「摂津 住よし 出見のはま」摂津国は、大阪府北部と兵庫県南東部を含めた地域をいう。東は河内、南は大和川をもって和泉に接し、北は山城丹波、西は播磨に至る地点である。住吉は畿内有数の古社といわれる住吉大社のあるところで、このあたりは東に低い山なみがあり、西は海に面して松原があり、古典的な美しい風景の地であっただけに、昔は風流人が多く遊びにきた地である。ここに住吉の献火高灯籠があって、鎌倉末期漁民が奉納 [続きを読む]
  • 名所江戸百景 王子滝の川
  • 「王子滝の川」石神井川下流の滝野川の秋景を俯瞰的に描く。滝野川の東には飛鳥山、西には王子権現があり、四季を通じて行楽や参けい詣の人が多く訪れた。崖の上にある真義真言宗滝河山松橋院金剛寺は通称「紅葉寺」といい、紅葉の名所としてよく知られていた。下方にある洞窟は岩屋弁天で、右方には水量豊かな弁天の滝が見える。滝浴みをする男性や、休み小屋で休息をとる人物など、暮らしぶりが見える。 [続きを読む]
  • 広重 名所江戸百景 よし原日本堤
  • 「よし原日本堤」日本堤は浅草聖天町から下谷三之輪まで続く長大な堤防で、約1,500メートルに及ぶ。荒川の氾濫から江戸の市民生活を守る重要な役割を果たしたが、明暦3年(一六五七)に日本橋にあった吉原が浅草に移転すると、その通い道としても大いに栄えた。百軒にのぼる茶屋が軒を連ね、「吉原堤」とも呼ばれるようになる。当時の川柳にも、「日本を出るとアリンス国へ出る」日本堤を出るとすぐに吉原遊廓に着く、との意。アリ [続きを読む]