切り絵 浮世絵 さん プロフィール

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切り絵 浮世絵さん: 切り絵
ハンドル名切り絵 浮世絵 さん
ブログタイトル切り絵
ブログURLhttps://blog.goo.ne.jp/krsw888757
サイト紹介文浮世絵を切り絵に
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供41回 / 365日(平均0.8回/週) - 参加 2015/08/20 07:52

切り絵 浮世絵 さんのブログ記事

  • 広重 富士三十六景 甲斐大月の原
  • 「甲斐大月の原」広重が北斎の「冨嶽三十六景」に対抗して描いたと言われる「冨士三十六景」のうち、甲州街道大月から桂賀沿いに富士吉田に向かった辺り、大月ヶ原の眺めを描いた一枚。低い視点から秋草越しに富士を望む構図が、草むらに座り込んで景色を眺めているような印象を与えます。ススキ、桔梗、女郎花、野菊など、秋の草花をふんだんに描いた情景は、秋の詩情に満ちている。 [続きを読む]
  • 広重 名所江戸百景 京橋竹かし
  • 「京橋竹かし」四季の景を叙情的に京橋にかかる秋月を描写している。京橋は、慶長8年(1603)創架の日本橋と同じころに架けられた由緒ある橋で、この橋にも擬宝珠が見える。東岸には竹問屋が多くあったことから、竹河岸と称された。正月飾り・七夕飾り・竹垣・竹細工など、現在で考えられないほどの需要が江戸にはあった。月に照らされた竹がしの風情を、幾何学模様的に表現されている。 [続きを読む]
  • 広重 六十余州名所図会 備後 阿武門観音堂
  • 「阿武門観音堂」ポニョの街のモデルとなった鞆の浦に橋を新設する事業について裁判所が許可しなかった。その鞆の浦から海岸沿いに4?5キロ西に行ったところにある阿伏兎(あぶと)岬に今もこの図と同様の威容を残すのが阿武門観音堂である。備後の国は現在の広島県東部、観音堂は福山市沼隈町に位置している。観音堂の歴史は古く (西暦992)年航海の安全を祈願して十一面観音像を本尊として花山法皇が創建。その後源平合戦で被害を [続きを読む]
  • 広重 名所江戸百景 みつまたわかれ渕
  • 「みつまたわかれ渕」隅田川の下流から右岸の芭蕉記念館展望公園から箱崎川の永久橋で、その左は箱崎にあった田安家屋敷、右側の朱塗り門は堀田備中守 あるいは安藤長門守屋敷であろう。「わかれの淵」とは隅田川と箱崎川の分れ流れるところから呼ばれた。隅田川には、米 俵、酒樽、木綿を積んだ荷船が描かれ、猪牙船や釣船も遠くに見えている。今では想像もできないが、江戸時代の隅田川は洲が多い川だった。特に新大橋と永代橋の [続きを読む]
  • 名所江戸百景 浅草川首尾の松御厩河岸
  • 「浅草川首尾の松御厩河岸」隅田川の船遊びは四季折々で様々な趣向がこらされており、納涼船は夏の風物詩であった。「首尾の松」は倉庫街蔵前の一画にあり、船で吉原へ向う遊客がこの松を見て今宵の首尾を語り合ったのが由来だ。時代劇では障子をはめ込んだ小部屋付きの舟を屋形船と称していて、暑気払いの舟遊びに使われた。のちに屋形船が幕府により規制され、代わり に登場したのが二人差し向かいで、一杯やるくらいのスペース [続きを読む]
  • 広重 六十余州名所図会 佐渡 金やま
  • 「佐渡 金やま」時代劇などで佐渡に流された罪人が働かされているという印象の強い「佐渡金山」。江戸時代が始まったばかりの1601年に金脈が発見され、日本最大の金山として周辺の町も大変栄えた。平成の最近まで採掘が続けられていた。佐渡金山の副産物ともいえる掘り出した土は酸化鉄を含んだ赤土で、江戸後期にはその土を陶土にした焼き物「無名異焼」が始まり、佐渡を焼き物でも有名にした。遠景に見える山は、佐渡最大の「金 [続きを読む]
  • 広重 六十余州名所図解 長門 下の関
  • 「長門 下の関」本州の最西端にある下関は、関門海峡を挟んで九州に繋がる。古くから海上交通の要として機能し、輸送船の寄港地として「西の浪華」と呼ばれるほど繁栄していた。停泊中の輸送船とそれを珍しそうに近づく猪牙船が描かれている。中央上の小島は、宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘をしたことで有名な巌流島である。 [続きを読む]
  • 広重 六十余州名所図会 尾張 津嶋 天王祭り
  • 「尾張 津嶋 天王祭り」日本三大川祭りのひとつとされている「津島天王祭り」は、愛知県津島市に500年以上も伝えられてきた歴史あるお祭りでる。数ヶ月にも渡る行事、儀式のクライマックスが「宵祭」で、暑さ厳しいこの時期、毎年7月の第4週に行われる。提灯を山形に飾り立て点灯した「だんじり船」が天王川を渡る美しさは、織田信長や、豊臣秀吉らにも愛された。提灯を提げる竹の長さは一丈(約3m)もあり、ろうそくの火が [続きを読む]
  • 広重 名所江戸百景 南品川鮫洲海岸
  • 6nsulk「南品川鮫洲海岸」ゆったりと広がる江戸湾が画面の三分の二をも占めている。鮫洲は品川宿のはずれから南の大井村にかけての海岸で、はるかに筑波山を望む。このあたりでは海苔の養殖が盛んであった。海上に点在するのはそのための海苔粗朶で、ここに付着した海苔を収穫した。江戸といえば「浅草海苔」が有名だが、その産地は鮫洲あたりがメッカで、浅草で販売したため「浅草海苔」と呼ばれている。 [続きを読む]
  • 六十余州名所会解 薩摩 坊ノ浦 雙剣石
  • 「薩摩坊ノ浦 雙剣石」にょっきりと天にのびた奇岩は、現在も鹿児島県の西南端に位置する南さつま市坊津町にその威厳ある姿を残している。坊津は古くから海上交通が盛んなところで、奈良時代の753年唐の僧侶・鑑真がたどり着いたのは坊津町の秋目という所である。上下半分に割るように描かれた水平線が双剣石の威厳を際だたせている。水平線の左端に橋のように見えるのは「坊岬秋月洞」と書かれているが、秋月洞というのは現在の地 [続きを読む]
  • 名所江戸百景 糀町一丁目山王祭ねり込
  • 「糀町一丁目山王祭ねり込」画面手前に大きく配されているのは、大伝馬町の山車である。伝説上の雄鶏である諌鼓鶏を模したもので、太鼓の上に羽を広げた鶏が飾られている。桜田堀を挟んだ対岸には、山王権現の使いである猿を模した南伝馬町の山車が見える。それぞれ花笠をかぶった氏子がついて桜田堀沿いに練り歩いた。ここ麹町は、江戸城に背面し半蔵門外堀通りから四谷御門・赤坂御門にまたがる場所で、江戸城入城を許可された山 [続きを読む]
  • 広重 名所江戸百景 日本橋通一丁目略図
  • 「日本橋通一丁目略図」通町の一丁目の角にあったのが寛文2年(1662)に近江商人大村彦太郎によって創業された呉服商白木屋である。もとは小間物・雑貨などを扱う店であったが、のちに呉服商の老舗として名を馳せた。前の往来で目立つのは、中央に描かれた長柄の傘をさした住吉踊の一行である。住吉踊は大坂住吉大社の田植え踊りに始まるもので、この時代には大道芸として親しまれていた。後ろに続く三味線を持つ女太夫を含め、み [続きを読む]
  • 広重 六十余州名所図会 伊豆 修禅寺 湯治場
  • 「伊豆 修禅寺 湯治場」現在でも人気のある伊豆修禅寺。多くの温泉地がある伊豆半島でも最も歴史のある温泉である。修禅寺という地名はその名の通り修禅寺というお寺に因んでいる。平安時代に弘法大師が開いたお寺が修禅寺。そして弘法大師が独鈷を用いて岩を砕くと、そこからお湯が湧き出したのが始まりとされている。今でも「独鈷(とっこ)の湯」という温泉が町の中心を流れる桂川の東屋にあるが現在は入浴する事はできない。 [続きを読む]
  • 広重 名所江戸百景 王子不動之瀧
  • 「王子不動之瀧」垂直に力強く落ちる滝水の描写が、王子不動の滝の豊かな水量を巧みに表現している。不動の滝は東京都北区滝野川と王子本町の境を流れる石神井川から落ちる七つの滝のひとつで、川から出たという石の不動明王を祀ったことからこう称される。滝の高さは一丈(約三メートル)あまり、豊かな水量を誇り滝壷に敷かれた九尺(約2.7メートル)四方の切り石から跳ねる水で霧が立ち込めたようだったというが、現在は洪水を [続きを読む]
  • 六十余州名所図会 周防 岩国錦帯橋
  • 「周防 岩国錦帯橋」  周防(すおう)は山口県の東南部にあたり、防州(ぼうしゅう)とも呼ばれていた。岩国市を流れる錦川にかかるアーチが美しい錦帯橋(きんたいきょう)は1673年岩国藩主吉川広嘉によって創建された木造の橋で、1950年の台風で流されるまで実に270年以上も耐え抜いた頑強な橋である。その後も昔ながらの木組みの工法で再建され現在もその美しい姿を我々に見せてくれている。 [続きを読む]
  • 広重 名所江戸百景 亀戸天神
  • 「亀戸天神」亀戸天神は江戸郊外の観光地で、境内の大小二つの太鼓橋と、池の周囲の藤棚が名物である。学問の神様として親しまれ、九州太宰府天満宮から神像を勧請し社殿も模して、庶民からの信仰が厚かった。境内は多くの絵師によって描かれている。 [続きを読む]
  • 名所江戸百景 せき口上水端はせを庵椿やま
  • 「せき口上水端はせを庵椿やま」目白台近くを蛇行する、江戸最古の.上水・神田上水を描く。江戸では人工の上水の設置にも力が入れられ、神田上水をはじめ、承応三年(1654)に玉川上水、万治二年(1659)に亀有上水、万治三年(1660)に青山上水、寛文四年(1664)に三田上水、さらに元禄九年(1696)に千川上水の整備を進めた。関口の名称に関しては、奥州道中の関所が置かれていたことに起因するという説と [続きを読む]
  • 広重 名所江戸百景 目黒元不二
  • 「目黒元不二」目黒元不二は文化9年(1812)に築かれた富士塚で、のちに新富士ができたためこの名がある。高さは四丈(約12m)ほどだった。江戸時代後期には、富士信仰の高まりとともに多くの人々が富士登山を行なつたが、現地に赴けない人々は、このような富士塚に詣でた。元不二は明治11年(1878)に石嗣や鳥居が撤去されたが、その石嗣と富士講の碑石が上目黒氷川神社の境内に移された。天高く伸びる一本の樹は、村尾嘉陵(176 [続きを読む]
  • 六十余州名所図会 三河 鳳来寺山巌
  • 「三河 鳳来寺山巌」鳳来寺は愛知県東部の新城市にある鳳来山の山頂近くにある真言宗五智教団の寺院で大宝2年(702年)利修を開山し薬師信仰と山岳修験道の霊山として古くから信仰を集めた。徳川家康の両親が天下人となる男子を祈願して家康を授かったと伝わった事から幕府の庇護を受けていた。 参道の石段の数が1425段あり、徳川家光によって建てられた仁王門は国の重要文化財となっている。画面中央下の赤い楼門が仁王門、階段 [続きを読む]
  • 広重 名所江戸百景 廓中東雲
  • 「廓中東雲」東雲は(しののめ)と読み、夜明けの意。早く帰宅の必要ある客たちが、明七ツ (午前四時) で、あわてて帰路につく。手拭いで顔を隠しながら早朝の吉原大門を出て行く客を見送る遊女たち。幕府はそれまで江戸市中に散在していた私娼を、郊外の葭町に集めて営業させることとした。吉原は「葭」の字がその名の由来となっている。 [続きを読む]
  • 広重 名所江戸百景 下谷広小路
  • 「下谷広小路」上野寛永寺に向かう下谷広小路の景で、現在の台東区上野三丁目にあたる。現在も百貨店として知られる松坂屋は、名古屋の呉服商伊藤屋が始まりで、明和5年(1768)に上野の呉服商松坂屋を買収して営業した。店の前には商号入りの風呂敷包みを担いだ店の者の姿も見える。道の中央には稽古事の一行と思われる人々が揃いの傘をさして歩いている。後ろに櫃を担ぐ男衆がいることから、近くの寛永寺にそろって花見に行くと [続きを読む]
  • 広重 六十余州名所図 加賀 金沢八勝之内 蓮湖之漁火
  • 「加賀 金沢八勝之内 蓮湖之漁火」加賀国は現在の石川県南部で、加賀百万石といわれ江戸時代に権勢を誇った、加賀藩は加賀国だけでなく能登、越中の三国のほとんどを領地としていた。蓮湖は金沢駅の北方に位置する河北潟のこと。潟が砂丘によって日本海と隔てられることによって出来上がった湖。名産の蓮根は五代加賀藩主が、美濃から蓮の苗を持ち帰り移植したところ、大変良質な蓮根が採れ、現在では「加賀れんこん」として知られ [続きを読む]
  • 本朝名所 三州鳳来寺行者越
  • 「三州鳳来寺行者越」煙巌山(標高695m)鳳来寺は現在の南設楽郡にある名刹で本尊は薬師如来。長い間の地殻変動や浸食作用によって比較的固い部分だけが残り、現在のような塊状火山・鐘状火山のような山容が作られた。又仏法僧の生息地としても知られている。大宝三年(703年)に山城国出身の利修仙人が入山したことに始まるといわれ、石段は1,425段あり行者のメッカ-としても知られている。峨々たる岩山を参詣の人々が登って行く [続きを読む]