切り絵 浮世絵 さん プロフィール

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切り絵 浮世絵さん: 切り絵
ハンドル名切り絵 浮世絵 さん
ブログタイトル切り絵
ブログURLhttp://blog.goo.ne.jp/krsw888757
サイト紹介文浮世絵を切り絵に
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供38回 / 365日(平均0.7回/週) - 参加 2015/08/20 07:52

切り絵 浮世絵 さんのブログ記事

  • 広重 名所江戸百景 高田姿見のはし俤の橋砂利場
  • 「高田姿見のはし俤の橋砂利場」現在の「面影橋」が広重の絵でも弓なりの太鼓橋で立派だったことがうかがえる。橋を渡って少し北へ行くと、小さな小川に架かった橋に至る。その橋を渡って左側に氷川神社があり、その向かい、木に囲まれて別当寺である大鏡山南蔵院という寺が建っていた。その昔この 寺の前に「鏡が池」という池があったので、この寺の山号になったという。北側一帯は昔、砂利がとれたので「砂利場村」と称した。 [続きを読む]
  • 広重 六十余州名所図会 筑前筥崎海中の道
  • 「筑前筥崎海中の道」玄界灘に突き出した砂嘴は、荒波を受け止め、穏やかな博多湾を作った。この砂嘴が海の中道で、画面を区切った上が博多湾、下の玄界灘とは海面の様子が描き分けられている。砂嘴は長さ12km、幅は広いところで2kmもあり、現在は鉄道が敷かれ、住宅や観光施設も多い。画面右下には鳥居と燈籠が見え砂曙の先にある志賀島の志賀海神社への入り口を示している。昭和7年(1932)に志賀島橋が架けられると橋脚部に砂が [続きを読む]
  • 広重 名所江戸百景 びくにはし雪中
  • 「びくにはし雪中」びくにばしは、現在の京橋の下を流れる京橋川に掛かっていた。手前左側に「山くじら」と書かれた看板が、雪景色の中に置かれているが「山くじら」とは、猪の肉のことで別の名は牡丹肉と云った。他に鹿肉(紅葉肉)、馬肉(桜肉)も食べられていた。向かいには「○やき十三里」の看板があるが、栗(九里)より(四里)美味い薩摩芋を丸焼きにして売っていたので「十三里」と洒落た店名が付けられていた。 [続きを読む]
  • 広重 名所江戸百景 墨田河橋場のかわら竃
  • 「墨田河橋場のかわら竃」橋場の渡しは隅田川で最も古く、現在の白鬚橋付近にあった。浅草側には瓦や瀬戸物を作る今戸焼の竃が多く並んでいた。たち上がる煙はその窯から出たもので火事が多かった江戸では、瓦が延焼を防ぐため、重要な仕事でもあった。火を使うため水辺での竃が許可され、土を舟で運んでいたという。 [続きを読む]
  • 広重 六十余州名所図会 摂津 住よし 出見のはま
  • 「摂津 住よし 出見のはま」摂津国は、大阪府北部と兵庫県南東部を含めた地域をいう。東は河内、南は大和川をもって和泉に接し、北は山城丹波、西は播磨に至る地点である。住吉は畿内有数の古社といわれる住吉大社のあるところで、このあたりは東に低い山なみがあり、西は海に面して松原があり、古典的な美しい風景の地であっただけに、昔は風流人が多く遊びにきた地である。ここに住吉の献火高灯籠があって、鎌倉末期漁民が奉納 [続きを読む]
  • 名所江戸百景 王子滝の川
  • 「王子滝の川」石神井川下流の滝野川の秋景を俯瞰的に描く。滝野川の東には飛鳥山、西には王子権現があり、四季を通じて行楽や参けい詣の人が多く訪れた。崖の上にある真義真言宗滝河山松橋院金剛寺は通称「紅葉寺」といい、紅葉の名所としてよく知られていた。下方にある洞窟は岩屋弁天で、右方には水量豊かな弁天の滝が見える。滝浴みをする男性や、休み小屋で休息をとる人物など、暮らしぶりが見える。 [続きを読む]
  • 広重 名所江戸百景 よし原日本堤
  • 「よし原日本堤」日本堤は浅草聖天町から下谷三之輪まで続く長大な堤防で、約1,500メートルに及ぶ。荒川の氾濫から江戸の市民生活を守る重要な役割を果たしたが、明暦3年(一六五七)に日本橋にあった吉原が浅草に移転すると、その通い道としても大いに栄えた。百軒にのぼる茶屋が軒を連ね、「吉原堤」とも呼ばれるようになる。当時の川柳にも、「日本を出るとアリンス国へ出る」日本堤を出るとすぐに吉原遊廓に着く、との意。アリ [続きを読む]
  • 広重 六十余州名所図会 近江琵琶湖石山寺
  • 「近江琵琶湖石山寺」近江の国は現在の滋賀県である。滋賀の象徴とも言える琵琶湖は楽器の琵琶をさかさまにしたような形からその名がついた。遠くに見える比良山脈、近江八景に数えられる「石山の秋月」にならった月に雁と静けさも感じさせる。画面中央を横切るように描かれているのは瀬田の唐橋、または長橋と呼ばれる東海道の道である。そこの夕映えはこれまた「瀬田の夕照」として近江八景のひとつに数えられている。 [続きを読む]
  • 広重 名所江戸百景 月の岬
  • 「月の岬」 軒に8月15日(旧暦)の満月がかかり、部屋の状況から月見の宴は一段落したよ うである。終わった宴を描くことで流れた二十六夜待ちの宴のことを「あとの祭り」として示唆している。室内にはたばこ盆、行灯、杯洗、刺身が盛られた皿、三味線、三味線箱などと芸妓の後ろ姿、廊下には徳利、箸など細かく描かれている。左手障子に映っている女は髪に挿されている5本の簪から遊女と見ることができる。当時の遊女は3本・5本 [続きを読む]
  • 広重 六十余洲名所図会 淡路五色濱
  • 「淡路五色濱」  淡路国は現在の兵庫県の一部で淡路島と沼島(ぬしまは淡路島の南、船で10分)にあたる。淡路島西側の鳴門に近い砂浜には、メノウ、コハク、ルリ等の五色の小石が観察されることから、五色浜と呼ばれる。瀬戸内海の東部に位置し、明石海峡大橋で本州と、大鳴門橋で四国とつながっている。淡路は明石とともに鯛の名産地としても昔から有名で、図で描かれているのは鯛の振り網漁であろう。赤い衣と緑の衣を着た漁師 [続きを読む]
  • 歌川広重 東海道五拾三次 神奈川 台之景
  • 「神奈川 台之景」 江戸から七里の「台之景」は神奈川台と呼ばれる海沿いの丘のことを云う。眺望の良いところで右の坂道には宿屋が並び、江戸からの旅人は此処で最初の宿をとった。茶屋の女たちが「おやすみなさいやアせ」と声をかけて、旅人のお客さんを引っ張っている様子が描かれている。左側には船着場として栄えた港が描かれている。水平線上につきでているのは野毛山、その先の半島は本牧岬であろう。 [続きを読む]
  • 北斎 冨嶽三十六景 神奈川沖波裏
  • 「神奈川沖波裏」北斎の作品の中では最も有名であり、世界で知られる最も有名な日本美術作品の一つである。巨大な波が飛沫をあげながら、今まさにくだけ落ちようとしている。小舟は、襲いかかる波濤にじっと堪えて航行を水流にまかせているかに見える。北斎はあたかも、同じような舟に乗ってこの場面を描写しているかのように視線を低くとり、波も富士も見上げているのである。肉眼で波がこの様に見える事は無いが1/4,000以上の高 [続きを読む]
  • 広重 名所江戸百景 利根川ばらばらまつ
  • 「利根川ばらばらまつ」かつては江戸川を利根川、あるいは新利根川と呼んでいた。この川の名物は鯉が知られ、画面右側に大きく広がる投網も、鯉を獲ろうとしているのであろう。投網がパッと広がった一瞬を捉え、細かい網目越しに風景を透かし見せる構図が良い。題名の「ばらばら松」というのは、遠景に松の木がまばらに生えている様子を表わすとされ、場所の特定はされていない。 [続きを読む]
  • 広重 富士三十六景 東都両ごく
  • 「東都両ごく」隅田川が武蔵国と下総国の境界だったことから名づけられた両国橋は、1659年に架けられた、隅田川下流域で最初の橋である。いつの頃からか橋詰の広小路は仮設の見世物小屋や茶店がひしめき合う江戸随一の盛り場として発展し、人々は橋下を流れる隅田川で舟遊びを楽しんだ。屋根舟から見上げる芸者は、奥に座る男性らの川遊びの接待役でしょう。着物の裾をたくし上げて船着き場に立つ女性も舟に乗り込むところの様です [続きを読む]
  • 広重 名所江戸百景 鉄砲洲稲荷橋湊神社
  • 「鉄砲洲稲荷橋湊神社」画面にそそり立つ柱は、鉄砲洲に浮かぶ船の帆柱である。その名の由来が、幕府の鉄砲方が大砲を試射したからとも、洲が鉄砲の形に似ていたからとも伝わる、鉄砲洲は江戸湊の外港で、上方からの物資を江戸市中へと運ぶ水運の要所であった。越前堀には、酒樽を載せた荷足船や屋根船などさまざまな船が浮かんでいる。中央に架かる稲荷橋の左方に見えるのが、鉄砲洲稲荷とも称される湊稲荷である。 [続きを読む]
  • 広重 名所江戸百景 鴻之台とね川風景
  • 「鴻之台とね川風景」江戸の中心部からはやや遠方にあたる鴻之台(千葉県市川市国府台) 鴻の台は下総台地の西端で、断崖を南下する川は利根川の分流にあたる現在の江戸川(新利根川)である。北方の物資を江戸に運ぶ重要な水路として機能しており、画中にも多くの高瀬舟が浮かんでいる。かつては下総国の国府が置かれていたため「国府台」とも書いたが、江戸時代には利根川にコウノトリが多く棲みついたことから「鴻台」と称する [続きを読む]
  • 広重 名所江戸百景 川口のわたし善光寺
  • 「川口のわたし善光寺」名所江戸百景のなかでも最北にあたる、現在の埼玉県川口市を流れる荒川の渡しを描く。江戸市中を流れる隅田川は、鐘ヶ淵より上流は荒川と呼ばれた。荒川の水源は秩父にあり、川面には秩父から江戸に輸送する木材を筏に仕立てたものが多く浮かんでいる。対岸の屋根の赤い建物は、建久6年(1195年)に信濃の定額山善光寺を勧請した川口の平等山阿弥陀院善光寺で、開帳は約17年に一度で、江戸近郊ということ [続きを読む]
  • 広重 六十余州名所図会 伯耆大野大山遠望
  • 「伯耆大野大山遠望」田植えは、5月に行われ、当時は一斉に行われたようである。雨の中の作業を描いているので、蓑や着茣蓙を着、菅笠をかぶっている。雨模様の天気でありながら、人々の表情が明るいこともあって「恵みの雨」といった風情をかもし出している。人物描写にたけた広重は、手前の畔に置かれた苗までも詳細に描き、遠くの天秤棒で苗を運んでいる人の様子も丁寧に描いている。大山は、主峰の弥山が標1711mで、中国地方の [続きを読む]
  • 広重 名所江戸百景 中川口
  • 「中川口」中川・小名木川・新川の三つの流れを俯瞰的に描いた一図。左から右に流れるのは中川、交差する川の手前が小名木川、奥が新川で、行徳産の塩や日本海側・奥州方面の産物が江戸に持ち込まれる重要な水路であった。手前に浮かぶ二俄の舟は、江戸と行徳を結ぶ役割を果たした舟である、三つの川が合流する重要なポイントでもあり、運搬用の筏も多く浮かんでいる。画面左下には川船改の中川番所が設けられ、通過する船を監視し [続きを読む]
  • 広重 名所江戸百景 四つ木通用水引ふね
  • 「四つ木通用水引ふね」蛇行して流れる引舟川の様子を大胆な構図で描いた一図。引舟川は江戸の北東、現在の葛飾区周辺の田んぼの中を流れており、万治2年(1659)に完成した亀有上水がこの堀割の始まりとなった。当初は深川一帯に飲料水を供給することを目的としたが、のちに干拓用水や農民たちが物資を運ぶ水路として活用されるようになった。曳船が三艘描かれる。遠方の川沿いには船着き場の屋根が見える。遠方の山は日光連山で [続きを読む]
  • 広重 名所江戸百景 水道橋駿河台
  • 「水道橋駿河台」画面を覆い尽くすかのように大きく大胆に描かれた一匹の鯉のぼり。広重ならではの抜群の構図力が光る作品である。この図は本郷台地の方から見た駿河台で、端午の節句の日の風景を描いたものだ。7歳以下の男児がいる家では、盛大にこの日をお祝いしていた。画面奥には富士がくっきりと姿を見せ、爽やかな五月晴れの一日であることがわかる。 [続きを読む]
  • 広重 六十余州名所図会 上総 矢さしか浦
  • 「上総 矢さしか浦 通名九十九里」上総国は安房の北、下総の南にあたり、房総牛島の北部で、現在は千葉県に入っている。夷隅郡の東北端太東崎より下総海上郡飯岡に至る砂浜を九十九里浜という。海岸は遠浅で、汀線は湾曲して弓のようで、極めて単調な円弧を描いている。約五十六キロにわたる太平洋岸は鰯の地引網で栄えた。元和年(一六一五〜二四)に紀州賀田浦の漁夫大甫七重郎がこの地に来て、地引網を使用したという。大漁を得 [続きを読む]
  • 広重 富士三十六景 相州三浦之海上
  • 「相州三浦之海上」 三浦半島の先端付近(現在の神奈川県三浦市)から富士山を望む図で、手前の張り出した岩場は城ケ島の様だ。相模湾の海面が広がり、画面中ほどの二艘の船には人の姿がごく小さく見えるが、表情やしぐさはうかがうことが出来ない。海の向こうには江の島、富士山の右手には大山が見える。富士山の裾野にたなびく雲は赤く染まり、漁船が港に帰る夕刻であることを表している。江の島が富士山の真下にあるが、実際に [続きを読む]
  • 広重 名所江戸百景 目黒新富士
  • 「目黒新富士」目黒の新富士は、旗本近藤重蔵が文政2年(1819)に邸内につくった富士塚の名称で、すでに七年前にあたる文化9年(1812)につくられていた目黒の富士塚と区別して、こう称された。近藤重蔵は、千島列島や蝦夷地など北方の探検者として著名で、この富士塚も彼の発意でつくられたものと伝わる。富士塚とは富士講の人々が信仰の対象として築いたもので、最盛期の天保年間(1830〜1844)には江戸市中に「八〇八」といわれ [続きを読む]
  • 広重 六十余州名所図会 土佐 海上松魚釣
  • 「海上松魚釣」土佐国は、四国の南偏の地にあって、南は海に開き、東西には岬が突出して彎月状の地形をなしている。此処の名産は鰹である。鰹は四、五月頃陽に向かって東南の海に集まるため、相模、土佐、紀州で獲れ、特に土佐はそれを名産として昧厚く、鰹節の上品ともなり、また生食も美味である。漁捕の網は稀で釣か多く、一年中沖に出るが、三月初めより中旬までに獲れた鰹は初鰹として食すとある。図中の桶は、餌になる鰯の生 [続きを読む]