a.makoto さん プロフィール

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a.makotoさん: edo→tokyo
ハンドル名a.makoto さん
ブログタイトルedo→tokyo
ブログURLhttps://edokara.tokyo
サイト紹介文江戸時代の歴史をまとめたサイト。東京都の史跡と記事を地図上で掲載。東京の地名の由来の紹介も。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供13回 / 365日(平均0.2回/週) - 参加 2015/09/09 23:07

a.makoto さんのブログ記事

  • 湊の地名の由来-江戸湊と江戸の発展
  • 湊の地名の由来東京都中央区に湊、という地名があります。地名の由来はまさに江戸時代、全国から江戸への物資を積んだ船が多く集まり、大変な賑わいを見せたことにあります。湊は「水辺にあつまる」状態を意味します。海辺、水路に船が集まり、人と物が集まる場所を湊と呼び、今日の港のように特定の船着き場や場所を指す言葉ではありません。そのため、現在の湊あたりが特定した荷上場所があったわけではなく、江戸市中に張り巡ら [続きを読む]
  • 江戸の礎を築いた伊奈家-利根川東遷と内川廻し
  • 伊奈忠次と伊奈忠治の墓所、勝願寺(しょうがんじ)中山道の宿場の一つである鴻巣宿。この宿場に勝願寺というお寺があります。浄土宗関東十八檀林の内の1つで天正年間(1573年〜1591年)に惣誉清巌(そうよせいがん)により中興されます。ちなみに檀林とは僧侶の養成機関の事です。惣誉清巌の弟子の円誉不残は家康とのかかわりもあり、勝願寺は幕府の厚い保護を受け栄えます。その勝願寺の境内に伊奈忠次、伊奈忠治の2名の墓所がありま [続きを読む]
  • 徳川家の繁栄と衰退を見つめた城-二条城の歴史
  • 二条城の歴史京都府中京区に二条城があります。国宝となっている二の丸御殿で知られている二条城ですが、江戸時代、家康の京都上洛の際の居館として造営されたものです。家康以前の二条城現在の位置にある二条城は家康が築いた城ですが、それ以前も二条城は別の場所に存在していました。織田信長が永禄12年(1569年)に将軍足利義昭のために築城したものでした。家康の天下統一により、この二条城は破却されることとなります。家康造 [続きを読む]
  • 江戸発展の原点-羽村取水堰
  • 羽村取水堰と玉川上水東京都羽村市を流れる多摩川に羽村取水堰があります。投げ渡し堰と呼ばれる可動堰と固定堰の2つを組み合わせた堰で、投げ渡し堰の部分を見ると、支柱の間に丸太を渡して、水をせき止めていることがわかります。投げ渡し堰は増水の際、堰が決壊することを防ぐために役立ちます。増水時はこの丸太を外し、水を逃がすことで、堰の決壊を防ぎます。羽村取水堰の水門から先は玉川上水です。玉川上水は江戸に水を引 [続きを読む]
  • 信濃町の地名の由来-一行院と永井尚政
  • 信濃町の地名の由来と一行院信濃町駅のすぐそばに一行院というお寺があります。一行院の起こりは慶長年間(1596年〜1614年)の末頃とされていますが、詳しくは分かっていません。この地に下屋敷があった永井直勝が、自身の部下で僧侶になった来誉故念のために、下屋敷の一部、二千二十五坪の土地を与えて庵を建立したのがその起こりと言われています(鈴木成元著 永井直勝)。慶長5年(1605年)四月、永井直勝の嫡男である尚政は従五位下 [続きを読む]
  • 吉原遊女の無縁寺-浄閑寺と吉原遊女
  • 三ノ輪浄閑寺と永井荷風荒川区三ノ輪に浄閑寺というお寺があります。正しくは「栄法山清光院浄閑寺」と言い、浄土宗のお寺です。開基は所説ありますが、明暦元年(1655年)とされています。浄閑寺は小説家の永井荷風が愛した寺として知られています。荷風の作品「里の今昔」には浄閑寺を初めて訪れた時のことが記されています。明治31年、出入りしていた劇場の役者たちから、浄閑寺にある、新比翼塚(品川の遊女盛紫と内務省属の警部 [続きを読む]
  • 小網町の地名の由来-江戸の漁と小網町
  • 小網町の地名の由来中央区に日本橋小網町(こあみちょう)という地名があります。現地案内板では地名の由来を以下のように紹介しています。網を引いて将軍の観覧に供した漁師たちが、御肴御用を命ぜられ、白魚献上の特権を得ました。この漁師たちが、一丁目の町角に網を一張干しておく風習から生じた町名と思われます。町名の由来としてはっきりしたことは分かっていません。当地にあった、小網稲荷からその名を取ったという説もあ [続きを読む]
  • 時の鐘と伝馬町牢屋敷-十思公園
  • 十思公園の名前の由来地下鉄小伝馬町駅を出て、一本路地を入ったところに、十思(じっし)公園という公園があります。現地案内板によると、十思(じっし)公園の名前は明治末年から平成2年までこの地にあった、十思小学校が由来となっているようです。十思(じっし)は、中国、司馬光による歴史書「資治通鑑(しじつがん)」に記載の「十思之疏」(天子がわきまえるべき十か条の戒め)から取られています。小学校跡地は校舎跡を利用した十思 [続きを読む]
  • 忠臣蔵の舞台-赤坂氷川神社
  • 赤坂氷川神社と関東に広がる氷川神社港区赤坂に氷川神社があります。素戔嗚尊(すさのおのみこと)、奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)、大己貴命(おおなむぢのみこと)の三神を祭神とし、天暦5年(951年)に現在の赤坂4丁目付近の一ツ木ヶ原(人次ヶ原)に祀られました(現地案内板による)。関東の氷川神社の総本社は埼玉県大宮にある氷川神社です。神社本庁のデータでは「氷川」の名の付く神社は全国で261社あります。そのうち162社が [続きを読む]
  • 江戸時代の堀にかかる橋-竜閑橋
  • 残された竜閑橋竜閑橋という交差点が、千代田区、中央区の境にあります。竜閑橋はかつてここを流れていた、竜閑川にかかる橋でした。現在、竜閑川は埋め立てられ、竜閑橋もその役目を終えましたが、交差点近くの広場に一部が保存されています。保存されているものは大正15年(1926年)3月にかけ替えられてた鉄筋コンクリートのトラス橋で、鉄筋コンクリートの橋としては日本最初のものです(現地案内板による)。竜閑川の起こり竜閑川 [続きを読む]
  • 紅葉狩りの名所-品川宿海晏寺
  • サメの腹から出た観音を本尊とする海晏寺品川区南品川に海晏寺という曹洞宗のお寺があります。山号を補陀落山といいます。開基は北条時頼。建長3年(1251年)の事です。本尊は鮫洲観音といい、以下のように伝わります。当寺門前の海中より大なる鮫、漁夫の網にかゝりてあかりしか、その腹中より正観世音出現し玉(たま)ふ(田澤拓也著 江戸の名所、原著は江戸名所花暦)このことを鎌倉幕府に届けたところ、北条時頼がその観音の木像 [続きを読む]
  • 江戸時代の芝居町-木挽町と江戸歌舞伎
  • 江戸時代の芝居町、木挽町中央区に歌舞伎座があります。明治22年(1889年)にこけら落としが行われて以来、関東大震災での罹災、戦災など時代とともに立て直され、現在の歌舞伎座は5代目。今では歌舞伎の殿堂として広く人々に知られています。江戸時代も現在の歌舞伎座とほぼ同じ位置に森田座という芝居小屋がありました。森田座は万治3年(1660年)、森田太郎兵衛が木挽町に櫓をあげたことに始まります。木挽町はそのほかにも山村小兵 [続きを読む]
  • 実測地図の父-伊能忠敬が眠る源空寺
  • 日本地図の父母墓所、源空寺台東区上野に源空寺というお寺があります。このお寺には、日本で始めて実測地図を作成したことで知られる、伊能忠敬の墓所があります。伊能忠敬の墓石の隣には、寛政の改暦を行った高橋至時の墓所もあります。幕府の天文方であった高橋至時に師事した関係から、二人の墓所が並んでいます。伊能忠敬に天文学を支持した高橋至時、そして、その教えをもとに実測地図を作成した伊能忠敬。二人の功績をたたえ [続きを読む]
  • 麹町の地名の由来-麹と江戸の食
  • 麹町の地名の由来千代田区に麹町という地名があります。現在は半蔵門から四ツ谷駅(四谷見附跡)まで、麹町1丁目から6丁目までが地名として残っていますが、かつては半蔵門から四谷見附までが麹町1丁目から10丁目、四谷見附より外に13丁目までが存在していました。麹町の地名の起源は古く中世にさかのぼります。府中に国府がおかれていたころ、国府方(こふかた)氏がこの道筋に居を構えていました。国府方(こふかた)は文字通り [続きを読む]
  • 半蔵門の名前の由来-服部半蔵と伊賀同心
  • 四谷に眠る服部半蔵と半蔵門の名前の由来四谷駅から少し歩いた、新宿区若葉に西念寺というお寺があります。このお寺に、様々な作品で知られる服部半蔵(2代目服部半蔵正成)の墓があります。地下鉄の路線名でもその名が知られる半蔵門ですが、この服部半蔵率いる伊賀同心組が警護を行ったことがその名の由来とされています。半蔵門は江戸城における搦手門(有事の際の逃亡のための門)とされています。半蔵門から城を脱出し、甲府 [続きを読む]
  • 時代を越えて受け継がれる名城-江戸城
  • 東京の中心に残る江戸城東京の中心地、千代田区に位置する皇居。広大な敷地の一部は公園として開放されており、都会のオアシスとなっています。現在の皇居は中世からこの地にあった江戸城跡に位置します。中世の江戸城江戸城が現在の地に作られたのは長禄元年(1457年)の事です。太田道灌により前年の康正二年より築城が開始され、翌長禄元年に完成します(小学館 日本名城集成 江戸城)。道灌がこの地に縄張をした理由は、この場 [続きを読む]
  • 江戸時代の塩の道-小名木川
  • 江戸時代の運河、小名木川江東区、隅田川と荒川の間をほぼ一直線に横切る川があります。小名木川です。この小名木川は家康により作られた人工の運河です。家康が江戸に入城した直後の1590年からの工事により、小名木川は作られます。政保年間(1640年頃)に作成された「政保国絵図」には「ウナギサヤホリ」としてえがかれています。元禄6年(1693年)に刊行された「江戸図正方鑑」では「ウナキサハホリ」とかかれており、享保元年(1716 [続きを読む]
  • 江東、深川都市化の跡-竪川
  • 堅川河川敷公園に残る護岸江東区大島に堅川河川敷公園という公園があります。河川敷公園、と言ってもまっすぐに伸びた高速の高架があるだけですが、わずかに昔の護岸が残された箇所があり、河川が存在していたことをうかがい知ることができます。堅川は万治2年(1659年)に本所奉行の徳山五兵衛重政と山崎四郎左衛門重政が幕府の名を受け開通されました。竪川の名前の由来ですが、江戸城から見てタテ、つまり放射状に伸びた運河であ [続きを読む]
  • 江戸時代の花見-桜の名所の墨堤
  • 江戸時代の花見と桜の名所隅田川沿い、墨田区立隅田公園。春になると、1000本の桜が咲き誇る、花見の名所です。娯楽の少なかった江戸時代、花見は庶民でも楽しめる娯楽でした。桜に限らず、梅の名所の亀戸(江戸時代の梅の名所−亀戸梅屋舗)、百人町のツツジ(百人町の地名の由来-御家人の暮らし)など、様々な花を眺め春を楽しみました。そんな中でもやはり今と同じく、桜の花見は大変な人気だったようです。現在も花見の名所として [続きを読む]
  • 江戸時代の天文観測所-浅草天文台
  • 浅草天文台跡と暦台東区浅草橋に天文台跡の案内板があります。案内板によると、天明2年(1782年)牛込藁店(新宿区袋町)から移転、新築されたとあります。天文台の規模は周囲約93.6m、高さ約9.3mの築山の上に、約5.5m四方の天文台が築かれているというものでした(現地案内板より)。天文台には子午線を観測するための象限儀、また、指針の回転により天体の位置と緯度、経度を測る簡天儀が備え付けられていました(学研 ピクトリアル [続きを読む]
  • 白金の清正公様-白金鶴林寺と加藤清正
  • 白金の清正公様(せいしょこさん)、鶴林寺港区白金台、桜田通りに清正公前(せいしょうこうまえ)、という交差点があります。この交差点名は近くにある鶴林寺に由来します。鶴林寺は、山号を最正山、日蓮宗のお寺です。鶴林寺の起こりについて、「十方庵遊歴雑記」に以下のような記述があります。清正むかし朝鮮国王の皇子両人を擒にして帰陣せり。一人を臨海君と号し、今一人を順和君と申けり。清正この二太子を日本へ連来りしが、後 [続きを読む]
  • 最後のサムライ-山岡鉄舟と全生庵
  • 山岡鉄舟の墓所、全生庵谷中に全生庵という臨済宗のお寺があります。明治13年(1860年)山岡鉄舟が、明治維新で国のために命を落とした殉難者のために建てた寺で、自身の墓所もそこにあります。そのため、境内には山岡鉄舟の墓のほかに、国事殉難志士墓もあります。山岡鉄舟の健脚を作った幼少時代山岡鉄舟は天保7年(1836年)、6月10日に本所に生まれます。本名は小野鉄太郎高歩(たかあき)、鉄舟は号です。父は小野朝右衛門という600 [続きを読む]
  • 近藤勇の墓所-板橋駅前供養塔
  • 板橋駅前の近藤勇供養塔北区滝野川、板橋駅東口を出てすぐの場所に近藤勇の供養塔があります。近藤勇の墓地は各所に存在しているのですが、ここ板橋駅前の供養塔には胴体が埋葬されていると伝えられています。近藤勇は板橋宿手前、平尾一里塚付近で処刑されます。板橋宿の刑場にて処刑とされていますが、実質は街道脇の馬捨て場であったようです(松平定知著 幕末維新を「本当に」動かした10人)。この馬捨て場のあった場所を示すも [続きを読む]
  • 有楽町の地名の由来-織田有楽斎と茶
  • 有楽町の地名の由来有楽町、という地名の由来には所説ありますが、説の1つとして、織田信長の弟、織田長益の号「有楽斎」にあるというものがあります。慶長年間(1596年〜1615年)に織田有楽斎の屋敷があり、その後寛永年間(1624年〜1644年)には空き地となっていたところを人々が「有楽の原、有楽原」と呼んでいたことに由来します(竹内誠編 東京の地名由来辞典)。明治五年、有楽町という地名が誕生しました。有楽町の歴史有楽町の地 [続きを読む]
  • 「おくのほそ道」への出発点-芭蕉庵跡と千住大橋(2)
  • 「おくのほそ道」への出発点-芭蕉庵跡と千住大橋(1)をみる芭蕉庵からの旅立ち、おくのほそ道月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかげ馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして、旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。おくのほそ道の序文です。月日は永遠に流れを止めない旅人のようであるのと同じように、万物は同じ状態にとどまることなく、常に変化をし続ける。おくのほそ道全編に貫かれる無常 [続きを読む]