ひろゆき さん プロフィール

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ひろゆきさん: 流れる時代を見る
ハンドル名ひろゆき さん
ブログタイトル流れる時代を見る
ブログURLhttp://thetimes.seesaa.net/
サイト紹介文現代と言う時代の流れで、宗教はどのような解釈をされるのか?
自由文宗教の多くは、作られた時代の道しるべでした。
では、現代であれば、どのような解釈がなされるか?

自らの人生と共に仏教の教えを考えています。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供33回 / 365日(平均0.6回/週) - 参加 2015/10/16 10:25

ひろゆき さんのブログ記事

  • 法相宗(ほうそうしゅう)
  • 法相宗大乗仏教の1つで「成唯識論(じょうゆいしきろん)」を中心として万物唯識を説くものです。「大唐西域記」を著した唐の玄奘(げんじょう)を始祖とし、日本には白鳳(はくほう)時代の653年、唐に留学して直接玄奘に教えを受けた道昭によって伝えられました。万物全ての存在は識だけである(唯識)と説き、認識を通してのみ一切の存在はあるのだとします。つまり、全てのものは自分の心から生まれるものであり、自分の心を [続きを読む]
  • 華厳宗(けごんしゅう)
  • 華厳宗大乗仏教の経典(華厳経)を根本経典として成立した宗派です。時間と空間を超越した仏が説かれています。(1の中に他の一切を包含すると同事に、その1は他の一切の中に入る)いわゆる「無尽縁起(むじんえんぎ)」といわれるもので、この世のすべてのものは無限に関係し合って存在しているとします。そして華厳宗の教えが仏教のあらゆる教えを包括する最高のものとしています。華厳宗は中国唐代の高僧、杜順(とじゅん)に [続きを読む]
  • 南都六宗(なんとろくしゅう/なんとりくしゅう)
  • 南都六宗とは、奈良時代に平城京を中心として栄えた日本仏教の宗派の総称。・三論宗(さんろんしゅう)華厳宗や真言宗に対して影響を与える・成実宗(じょうじつしゅう) ・法相宗(ほっそうしゅう)・倶舎宗(くしゃしゅう)・華厳宗(けごんしゅう)・律宗(りっしゅう)これらを南都六宗といいます。六宗派は奈良時代に中国から伝来し栄えました。奈良時代の寺院は、現在の寺院と違い特定の宗派に属することはせず、一つの寺院 [続きを読む]
  • 深謀遠慮(しんぼうえんりょ)短慮軽装(たんりょけいそう)
  • 深謀遠慮深く考えを巡らし遠い将来のことまで考え、また考え深いはかりごと「深」「遠」「謀」「慮」の四文字がさまざまな結び方をして生まれた言葉です。「深」 考えが深いこと「遠」 遠い将来のことまで考えること「謀」 はかりごと「慮」 考え短慮軽率考えが浅はかで行動が軽はずみなこと私の過去は、短慮軽率な生き方でした。儲かる話があればすぐに乗っていました。例えば、不動産仲介業者に「この土地を買って宅地造成す [続きを読む]
  • 深謀遠慮(しんぼうえんりょ)短慮軽装(たんりょけいそう)
  • 私の過去は、短慮軽率な生き方でした。儲かる話があればすぐに乗っていました。例えば、不動産仲介業者に「この土地を買って宅地造成すれば、すぐに売れる」と、言われれば、その気になり土地を買い造成結果、まったく売れないこともしばしばありました。銀行が、「株を買ってくれれば融資するよ、 上場すれば倍ぐらいになるよ」と、言えば億近い株を3回に分けて購入。結果、1年後には銀行が破たん。政治家との関係も多い、(自 [続きを読む]
  • 目はかすみ、耳に蝉鳴き、歯(葉)はおちて霜を頂く老いの暮れかな
  • 私が20歳前後の頃に勤めていた会社の上司が定年を迎えるころ「目はかすみ、耳に蝉鳴き、歯(葉)は落ちて、霜を頂く老いの暮れかな」このような言葉を良く語っていました。それを聞いた当時の自分は、まだ若かったため縁のない話として聞いていました。現在74歳となり、その言葉が自分にピッタリとあうようになってきました。目はかすみ目の調子が悪いだけでなく、2〜3日寝てないような感じがいつもしています。眼科に行って目薬は [続きを読む]
  • 雨ニモマケズ
  • 普段から詩を好んでいる訳ではない私ですが、好きな詩があります。日本人であれば、どこかで耳にしたことはあるでしょう。雨ニモマケズ風ニモマケズ雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ丈夫ナカラダヲモチ慾ハナク決シテ瞋ラズイツモシヅカニワラッテヰル一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベアラユルコトヲジブンヲカンジョウニ入レズニヨクミキキシワカリソシテワスレズ野原ノ松ノ林ノ?ノ小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ東ニ病気ノコドモアレ [続きを読む]
  • 平家物語
  • 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり。娑羅雙樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。驕れる人も久しからず、唯春の夜の夢の如し。猛き者もつひには滅びぬ、偏に風の前の塵に同じ。平家物語の冒頭として有名な言葉です。この後もまだ続きますが、私が学びたいと思うことはこの中にあります。私が好きな名作集の一つです。全文覚えてはいるのですが、聞いてくれる人がいないのが残念です。祇園精舎祇樹給孤独園精舎(ぎじゅぎっこどく [続きを読む]
  • 温良恭倹譲
  • 私の知り合いに農学で博士号を取得した人がいます。農業に詳しくない私ですが、研究の数々や活動には日頃から感服します。・無臭ニンニクを開発・中国固有の植物である文冠果を使った至徳湶という健康食品の開発・貝化石を利用したカルシウム肥料の開発また、白鳥の保護活動や、海岸の美観活動だけでなく、モンゴルへ赴き研究活動を行い多くの政治家とも付き合いを行ってらっしゃいました。85歳となられた現在も、今日は広島、明日 [続きを読む]
  • 現世中心主義が仏教をダメにした②
  • 新興宗教には大きな弱点がありました。仏教系の新興宗教は在家仏教徒の集団であり、聖職者つまり僧侶が存在しなかったのです。そのため、信者の家に死者が出ても、葬式を出す事ができません。信者達は捨ててきたはずの故郷の宗派に従い葬式を上げることになったのです。そのときだけは既成仏教の力を借りなければいけなかったのです。それは葬儀を契機に信者たちが元の宗教へ戻ってしまう事を意味していました。しかし新興宗教の中 [続きを読む]
  • 現世中心主義が仏教をダメにした①
  • 江戸時代には思想的な立場から仏教批判が行われました。幕末から明治維新にかけ、神道や国学の側からの廃仏論が盛んとなったのです。そのため地域によっては、廃仏毀釈の嵐が吹き荒れ、多くの寺院や仏像が破壊されました。近代社会を形成する上で、仏教は時代遅れの宗教として排斥されようとしていたのです。明治の知識人や僧侶の中には仏教の改革を志すものもいました。しかし、さほど社会的な影響力をもたなかったのです。そして [続きを読む]
  • 花まつり【灌仏会(かんぶつえ) 仏生会】
  • 旧暦の4月8日は、お釈迦さまの誕生日を祝う華やかな行事が花まつりです。灌仏会・仏生会ともいいます。お釈迦さまが生まれたのは紀元前6世紀です。生まれた地は北インド父はカピラ城を都とするカピラ国の国王スッドーダナ(浄飯王)母は王妃の摩耶夫人お釈迦さまの誕生にあたっては、二匹の竜が天空から甘い雨を注いで祝福し、同時に生まれたばかりのお釈迦さまを灌頂(かんじょう)【頭に水を注ぐ】をしたのです。「花まつり」の [続きを読む]
  • 江戸時代の仏教の堕落
  • 寺請制度の元で、各寺院は檀家の構成員の状態について記録(宗旨人別帳)します。寺は、宗旨人別帳を各藩に対して定期的に提出する義務を負うようになったのです。住民の管理のために檀家の家族の生没・婚姻・離婚さらには旅行や移住・奉公人の出入りなど寺院は民衆を統制する役割を果たすようになったのです。そして、寺院は死者に対する葬式や供養を受け持つことになります。いわゆる「葬式仏教」として民家の間に定着したのです [続きを読む]
  • 仏教の歴史は堕落の軌跡
  • 日本に渡来した仏教は、最初から権力との強い結びつきを持っていました。海を越え、中国から仏教の教えを移入することが出来たのは、天皇・豪族・貴族などの権力者です。日本に仏教を広めるにあたって、最初に活躍した聖徳太子は用明天皇の皇子でした。僧侶の活動は国家の保護と統制のもとに置かれていたのです。出家するにも国の認可を必要とし、一般人が勝手に出家をすることは禁じられていました。東大寺の大仏建立(752年)は [続きを読む]
  • 仏教を理解できない日本人
  • 私達が関心を寄せる心の拠り所とする仏教のイメージと現実のなかで出会う仏教の間には、大きな距離があります。その距離はなかなか埋めがたいものです。しかも、習俗としての強制力を持つため、仏教式の葬儀から逃れることはできません。自主的に求めるものではないため、仏教に対しより複雑な気持ちを持つことになります。私達は仏教を求めていながら、仏教の世界に触れる機会はありません。仏教に心の安らぎを求めようとしても、 [続きを読む]
  • 現代日本の仏教
  • 現在の日本社会において、仏教の関心は決して低いものではありません。仏教関連の書籍は数多く刊行され、購入者もいます。仏典を読む講座の人気は高く、受講者の関心は持続し、同じ講座に通い続ける人も珍しくありません。各地の有名な寺院を訪れる人達も、観光目的と言うだけでなく、そこに安置された仏像を通し仏教の世界に触れたいと言う思いを抱いている人もいます。禅寺を訪れて座禅を組む人、写経に励む人もいます。退職後に [続きを読む]
  • 除夜の鐘の意味
  • 一年で最後の夜を「除夜」といいます。除夜は1年を除くと言う意味です。その語源は、人々が夜を守って暮れゆくこの一年を惜しむところから、この夜を送る意味と言う説があります。この夜は年が改まるまで眠らない習慣があり、早く眠ると歳をとるとも言われています。年越しソバを食べるのは、ソバのように細く長く生きられるようにとの願いを込めたものです。東北地方では社寺にお籠もりすれば翌年の災厄をよけられると言って参籠 [続きを読む]
  • お寺の節分
  • 節分の節は、季節が変わると言う意味を持ちます。もともとは立春・立夏・立秋・立冬など二十四節気に移るときの節目を全て節分と言っていたのです。いつの頃からか立春に移る前日のことを、節分と言うようになったのです。現在は、だいたい二月三日が節分です。節分はその昔、百鬼夜行(鬼や妖怪が群れ歩いている)の時と考えられていたのです。そこで新しい季節を迎えるにあたり、鬼の類を追い払う必要性があったのです。鬼を追い [続きを読む]
  • 法事を営むときの常識
  • 年回忌の法事は、故人の死亡した同月同日【祥月命日(しょうつきめいにち)】に行うのが最善であることは言うまでもありません。しかし、その日がウィークデーだと参列者の都合上、変更せざるを得ない場合もあります。その時は、命日前の土曜日や日曜日が良いでしょう。後にずらすのは、故人に対する心の表し方です。後にすることで「粗略する」と感じられ、良くないとされているからです。施主は故人との血縁が最も深かった立場の [続きを読む]
  • 仏との縁を結ぶ(結縁)のための「法事」
  • 初七日を初めとして、一周忌や三回忌など一連のある一定の周期を持った仏教行事を、「法事」と呼んでいます。近親の者を偲(しの)んで供養するといっても、毎日というのは実際問題としては不可能なことです。それならば時にふれ折にふれて供養のための催しをした方が良い。そんな風に考えられるようになったのでしょう。また法事つまり追善供養(回向)の追善とは追薦(ついせん)追福ともいいます。死者が浄土へ無事往生し幸せに [続きを読む]
  • 戒名(法名)は死者の名前?
  • 「戒名」とは一言で説明するなら「僧名」のことです。出家して坊主になったときに頂く僧名です。或いは仏の弟子としての名前をいいます。ですから本来、戒名は死後ではなく生前に与えられるものなのです。仏教の厳しい戒律を受けた仏弟子に授けられるものです。なぜ死後に戒名をつけるようになったのか?在家つまり僧侶ではない一般人の場合は「没後作僧(ぼつごさぞう)」といい、死後に戒律を授け仏弟子にしようとするためです。 [続きを読む]
  • 香典・お布施 葬儀にまつわる金銭の持つ意味
  • 香典の「香」は文字通り、お香を意味します。また香典の「典」は、元々は奠と言う字であり「すすめる」と言った意味を持つ言葉です。つまり香典の本来の形は、お香を供える事または香を焚きその薫(かおり)を供える事でした。それが死者の霊前に金銭や供物を供える事に変化したのです。時代が下がるにつれて、この香典の内容は現金とすることが増えてきました。現金が多くなったことの一つには香典が喪家に対する相互扶助の意味も [続きを読む]
  • 死への旅立ちを見送る 通夜の由来
  • 遺体は北枕遺体を寝かせる際には、頭を北向きになるようにします。これを北枕といいます。これはお釈迦さまが亡くなられた際の姿勢に由来があります。いろんな経典に釈尊が入滅するときの様子が書かれています。涅槃経から語る北枕「そのときお釈迦さまは右脇を下にして横たわり、頭を北方向、足は南を指すようにされた。顔は西に向かい背は東を後ろにしていた」このことを頭北面西右脇臥(ずほくめんさいうきょうが)と言います。 [続きを読む]
  • 葬儀の流儀と仏教の関わり
  • お釈迦さまが生きていた頃の僧侶は、自分の両親か同じ仲間である僧の死にのみ葬送していました。もともと仏教の僧侶と葬儀は直接的な関係はなかったのです。ではなぜ、仏式葬儀が広く普及したのでしょう?それは仏教が死と言うものに対し「死」が穢れに満ち、悪霊が跳梁(ちょうりょう)する原因ではなく、浄土への旅立ちだと言う見解を打ち出したからです。死者は浄土で救済されると言う考えかたは、遺された者にとっては心が救わ [続きを読む]
  • 古代から変化してきた葬儀の流儀
  • 現在判っている最も古い日本の葬儀の形式は、三世紀ごろの「魏志倭人伝」に記されています。・死者が出ると近親者は10日余り喪に服して肉食をせず喪主は号泣する。・その他の者は柩(ひつぎ)の周辺で酒を飲み歌い踊る。・埋葬して身を清める。このように書かれています。日本で行われていた葬式は、元来土葬や風葬であったことが調査の結果わかっています。縄文時代死者は身体から死霊が抜けださないように手足を曲げ、縛ってから [続きを読む]