spica さん プロフィール

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spicaさん: ある乳がん患者の記録 [スピカの乳がんリアルライフ]
ハンドル名spica さん
ブログタイトルある乳がん患者の記録 [スピカの乳がんリアルライフ]
ブログURLhttp://blog.livedoor.jp/spica2015/
サイト紹介文発見→全摘→抗がん剤→分子標的薬→乳房再建→ホルモン療法…乳がん患者のリアルライフをつづります。
自由文spica、51歳、専業主婦。50代夫、10代後半息子2人。2015年3月、左乳がん(1.4cm)発見。 6月、左乳房全摘+エキスパンダー挿入。リンパ節廓清なし。 7月、病理結果:左乳頭腺管癌(浸潤癌部1.5cm×1.0cm×1.0cm、非浸潤部全体の広がり4.0cm×2.8cm×1.2cm)、T1cN0M0、Stage I、ER70%、PgR70%、HER2(3+)、Ki-67(30%)、Nuclear Grade 2。7月よりEC療法→ドセタキセル+ハーセプチン→ハーセプチン単独→ホルモン治療5年の予定で治療中。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供113回 / 365日(平均2.2回/週) - 参加 2015/10/27 14:39

spica さんのブログ記事

  • マレーシアへ。
  • 父の葬儀を済ませた翌週、夫とマレーシアのクアラルンプールへ向かった。 まとわりつくような蒸し暑さだ。高速道路沿いにパームヤシの畑らしい木々が延々と続く(バスの窓越しに撮ったので色調が青い)。旅の目的は、クアラルンプール郊外のセパンサーキットで開催されるF1 マレーシアグランプリの観戦だ。マレーシアでのF1開催は今年が最後で、ちょうど春からクアラルンプールで働き始めた夫の友人が、遊びにおいでと誘ってく [続きを読む]
  • 父の最後の言葉。
  • わたしが父に最後に会ったのはちょうど亡くなる1ヶ月前のことだった。ときおりベッドサイドモニターの音がするだけのしんとした個室で、数日父に付き添った。父はうとうとすることが多くなっていて疲れやすかったり、すぐ痰が絡んだりするのでもう話すことが面倒になったようだったが、頭はしっかりしていて、わたしが昔の父の面白かったエピソードを話すと目でかすかに笑うのであった。帰る日の午後、ふと思いついて「いい機会だ [続きを読む]
  • 父への最後の贈りもの。
  • 父の葬儀に、長男は都合で参列することができなかった。次男は先週、たまたま友人と父の住む街に旅行で来ていたので帰りの飛行機までのわずかな時間だったが自宅に安置された父と対面した。彼は先日、初めての海外旅行でイタリアにひとり旅をしてきたばかりだった。次男は友人との旅の最終日に時間を作っておじいちゃんのお見舞いに行きイタリア土産を渡そうと思っていた。しかし事前に父の体調を後妻さんに聞くとあまり元気がない [続きを読む]
  • 父が亡くなった。
  • 先週末、父が亡くなった。年に1,2回肺炎にかかっていて、夏にまたそれで入院し、今回も数日で退院だと本人も周りも思っていたのになかなか回復しなかった。先月様子を見に帰った時に、ずいぶん痩せて弱々しくなっていたので父もいよいよ老いたからいずれそういう時も来るのだなとすこし考えもしたが、年越しには一時帰宅できるような長期のリハビリプランも作られてきていたしこんなに早くその日が来るとは誰も思っていなかった。 [続きを読む]
  • ケモブレインに負けない。
  • 化学療法を始めてから、記憶力・集中力が明らかに衰えたと感じるようになった。50代なので普通に老化も起きていると思うがいわゆるケモブレインにもなったのかもしれない。することや買い物のリストなどが頭にいつも確実に残っている自信がなくなった。映画を観た後にストーリーを細かく覚えているのが難しくなった。会話に集中する力が衰え、聞いた話を詳細に覚えていられない。記憶したいことを覚えられないというのはとてももど [続きを読む]
  • ルイボスティーの間違い。その2
  • (「その1」の続き)試験管の中での実験である薬が効果を示したとしても、生きた動物で実験をしてみると治療効果がなかったり、動物実験で効果が認められてもヒトで試験的に使ってみると、全然ダメだった…というのはよくあることだ(むしろ、うまくいかない方が普通だ)。煮出したルイボスティーでは、熱でタンパク質の分子の形が変わっている(=変性)ので、「活性酸素を除去する酵素」は飲む前に既に壊れていると思う。では、水 [続きを読む]
  • ルイボスティーの間違い。その1
  • がんのことを書いているからか、バナーに時々健康食品の広告が現れる。ルイボスティーもそのひとつだ。効能としてよく書かれているのが「ルイボスティーに含まれるSOD様酵素で全身の活性酸素を除去するので、がん予防やアンチエイジング効果がある」というもの。でもこれは間違っている。酵素はタンパク質でできている。タンパク質の分子にはそれぞれ決まった形があって、形が変わってしまうと、もとの働きが失われる。タンパク質 [続きを読む]
  • 闘病ブログは消費される。
  • わたしよりも早くに、がんになり現在も闘病中のともだちがいる。彼は専門職の仕事を続けながら定期的に経過観察に通っている。ともだちは数年間、病気の経過をブログに書いていてけっこうアクセスが多かったらしく、やがて書籍化の話が持ち込まれた。同じ病気の人の役に立てるなら、と彼は出版を前向きに考え、先方と何回か打ち合わせをしたそうだ。「でもね」 と、ある時ランチを食べながらともだちはわたしに言った。「その話は [続きを読む]
  • 乳頭・乳輪再建の流れが決まる。
  • 7月下旬、4月末に修正した乳房の3ヶ月目の経過観察に行った。下がっていた乳房の余分な組織を切り取り、乳房下溝(乳房の下のライン)を健側と揃えてもらったのだが経過は順調で、左右の乳房下のラインは同じ位置のままだ。B医師はとても満足そうだった。術側の縫い止めたラインは健側に比べてまだくっきりとしているが、3週間目の診察で不安を訴えた時からは少し浅くなってきているようだ。今回は今後の乳頭・乳輪再建について大 [続きを読む]
  • 命日にひとり。
  • 55歳で膵臓がんでなくなったわたしの母はとにかくお茶の好きな人だった。水やジュースはほとんど飲まず、一日に何杯もポットのお湯でいれた煎茶を飲む。母がなくなった後、父が再婚のため実家を処分するというので整理に行った時に母が毎日使っていた湯のみを持ち帰ったが使うことができずにしまっている。湯のみの主がいなくなって、もう23年が経つ。 母は緑茶のほかに、紅茶も好きで新宿高野の茶葉を気に入って、デパ [続きを読む]
  • ハワイの光と影。
  • ハワイの陽光はほんとうにまぶしい。この春に行ったメルボルン(現地は秋の始まり)でも、サーキットでは紫外線がビシバシ降り注いでいたが常夏の島が真夏に向かう7月初めのハワイはあたり一面まぶしい光で満たされていた。サングラスをかけ、照り返しがきつくて白っぽく見えるほどの歩道を行く。巨大なスーパーマーケットに入るとスタジアムかと思うほどの空間だ。安さを売りにしているからか、広すぎるからかディスプレイは [続きを読む]
  • はじめて南の島に行く。
  • 6月末、術後2年の検査結果を二人で聞きに行った翌日だったか、夫が突然「7月中なら続けて休みが取れるから来週どこか旅行に行こう」と言い出し、あれよあれよという間にハワイ行きが決まった。わたしは南の島に行ったことがなくあわてて強力日焼け止めを買った。7月上旬のワイキキビーチ。あたりまえのようにヤシの木が生えている。太陽が肌に痛い。海が見たことのない青さだ。これが南の島かー。 ワイキキビーチは思ってい [続きを読む]
  • 失われた記憶。
  • わたしは2004年から2005年、39歳から40歳の 2年間の記憶がほとんどない。 2004年の夏、結婚記念日にウイルス性脳炎で倒れ 自発呼吸も脳波も失い深い昏睡に陥った。 2ヶ月後にようやく意識が戻ったら、 自分と夫の名前しか覚えておらず、 足し算も歩行もできず、 幼児のようになってしまっていた。 そのまま年が変わるまで7ヶ月入院した。 毎日身体と [続きを読む]
  • 思い出を一緒に。
  • 術後2年の検査結果を聞いた翌週、結婚記念日の夕食に出かけた。夫の友人が行きつけで、夫も何度か行っているホテルのレストラン。なくなったS先生もよく来られていたそうだ。友人が贈ってくださったお花がテーブルに置かれた。 ソムリエさんにシャンパンやワインを選んでもらってプリフィクスの食事を楽しんだ。若い頃のように、魚と肉の両方食べるのはもうお腹が苦しいので、わたしはメインは魚だけ。舌平目の [続きを読む]
  • ためらい。
  • 術後2年の検査結果に異常はなく、ほっとして夫と帰ってきた。家を出て暮らしている長男と次男にLINEで報告する。二人とも喜んでいた。ともだちに連絡するかどうかためらった。彼女は先日、転移がんの切除手術を受けたばかり。術後の化学療法を今回も断っている。半年違いでがんの手術を受けた二人。偶然、がん患者同士になったから他の人とはたぶん話せないようなディープなこともずいぶん語り合ってきた。もし今回の検査で、わた [続きを読む]
  • 2年目の検査結果を聞く。
  • 6月下旬、術後2年の検査結果を聞きに、乳腺外科を訪れた。夫と一緒に来るのは久しぶりだ。前の週に受けた検査は・健側のマンモグラフィ・両側のエコー・胸部レントゲン・血液検査だった。診察室でA医師は、マンモの画像を示した。乳房のところどころに数mmくらいの明るく白く丸い点が散らばっている。「これは石灰化ですが、良性です。」「嚢胞はありますが、問題ありません」マンモ、エコー、胸部レントゲン、血液検査、どれにも [続きを読む]
  • ひそかな不安。術後2年の検査が近づく。
  • ともだちに転移がんが見つかり、その手術を終え、彼女は勧められた術後化学療法を断った。それからほどなくして、S先生が世を去られた。そして、わたし自身の術後2年の検査が近づいてきていた。彼女のことと、S先生のことで今回の検査を受けるのがひそかに不安になった。わたしより半年ほど早く手術を受けたともだちは(術後化学療法をせず)2年後に転移が見つかった。そしてわたしも2年が経とうとしている。去年の術後1年の検査の [続きを読む]
  • 人々の残酷。
  • S先生は顔が広く、SNSでも友達がたくさんいた。ご活動を応援する人も多くて拠点を訪れた人々との写真やご自分の日常の様子を先生はよくアップされていた。夫とわたしがお目にかかってしばらく経った頃から、先生の投稿が急に、目に見えて減った。体調がすぐれない日が増えてきたのだろう。わたしたちと会った時も、「その日の体調と相談って感じだから、予定を組むのがなかなか難しくなってきたんですよ」とおっしゃっていた。それ [続きを読む]
  • 救われた言葉。
  • S先生が旅立たれたのを知ってわたしは沈み込んだ。いのちは平等なのかもしれない。しかし、ずっとひとを救い続け、ご自分が病を得てからもなお最後まで病めるひとたちのために活動された先生が世を去られ、わたしのような者が(とりあえず)生き延びているのが申し訳ないような心地がして日常を楽しむことに罪悪感のようなものも感じていた。そんな時、夫の友人で先生とも親しかった女性がわたしにメッセージをくれた。「spicaさん [続きを読む]
  • 先生の旅立ち。
  • ともだちの転移と前後してわたしの命の恩人とも言えるS先生が旅立たれた。S先生は外科の医師で、夫の知人だ。がんの手術を多く手掛けていらしたがご自分にがんが見つかり、緊急入院して検査を受けたが既に転移してしまっていた。検診でわたしの乳がんが見つかった時、夫がS先生に相談すると、先生はわたしの主治医となる乳腺外科のA医師を紹介してくださった。後で知ったのだが、先生は、まさにご自分が入院されたその日に夫とやり [続きを読む]
  • 白い花。
  • 先日、乳がんで闘病されていた有名人が世を去られたので連日いろいろなニュースフィードに必ずと言っていいほどその方の記事が載っている。幼いお子さんたちを残し、若くして旅立たれたということで世間の耳目をたいへん集めている。わたしの義姉は、まさにその方と同じように幼いこども二人を残して乳がんで世を去った。事情があり、義姉は病院での治療を受けずにいた。病状が進んでから、義兄(わたしの夫の兄)の実家に家族で身 [続きを読む]
  • ともだちの選択。化学療法を受けるか、断るか。
  • ともだちが、転移がんの手術後の化学療法を受けるかどうか、医師に返事をする日が迫ってきた。前回の記事で、わたしが彼女と話をして、自分の時の副作用や費用など何かの参考になるかもしれない情報を渡してからは連絡を取っていなかった。「結局ギリギリまで考えなくて、直前にぱっと決めちゃうかもね」彼女はそう言っていた。迷ってはいても、次の通院で返事をするまでの2週間の間、ずっとそのことを考えるのでは気がめいるのだ [続きを読む]
  • 化学療法をどうするか。ともだちの迷い。
  • 「転移がんと考えられる」という病理結果が出たので、ともだちは今回の手術を行った科から婦人科に戻って、今後について聞くことになった。日を改めて婦人科で診察を受けた彼女から連絡があった。やはり化学療法を勧められたそうだ。ただし彼女の原発がんでは、今回のような転移をするケースは珍しくその病院でも症例数が少ないので、転移後の化学療法の効果のデータがほとんど取れていないらしい。もちろん学会レベルの治療ガイド [続きを読む]
  • ともだちの病理結果を聞く。
  • わたしの修正手術の後しばらくすると、ともだちの手術の病理結果が出た。この記事でも書いたように、ともだちは以前、婦人科のがんの手術を受けたがその時の術後化学療法を断った。経過観察のみを続けて2年後、別の臓器にがんが見つかり今回の手術となったのだ。今回のがんが、その臓器に新たに生じた原発がんであれば、その科で引き続き治療をすることになる。もし前回に由来するがん細胞であれば、その科での治療は手術だけで終 [続きを読む]
  • 修正手術は失敗だったのか?
  • 再建乳房の修正手術によって、左胸のバージスライン(乳房下の輪郭線)が健側に比べてくっきり深くなってしまった。ラインの位置やカーブの形は、ちゃんと左右対称なのだが深さが違うので、鏡で見ると違和感がある。執刀は、主治医B医師の指導の下で若手のY医師が行った。これは失敗じゃないだろうか…?不安を抱えて10日ほどが過ぎた。修正手術後3週間目に、形成外科でB医師の診察を受けた。胸の写真を撮ってもらった後、思い切っ [続きを読む]