sibaccio さん プロフィール

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sibaccioさん: Sibaccio Notes
ハンドル名sibaccio さん
ブログタイトルSibaccio Notes
ブログURLhttp://sibaccio.blogspot.com/
サイト紹介文フランス文学(プルースト・シムノン)/フランス音楽(サン=サーンス)
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供54回 / 365日(平均1.0回/週) - 参加 2015/11/01 10:16

sibaccio さんのブログ記事

  • フランソワーズ・エリチエ『男性優位はいまだ普遍的である』
  • フランソワーズ・エリチエ Françoise Héritier, 1933-2017 はフランスの人類学者。『男性的なもの/女性的なもの』の著者であり、最近になってようやく日本でも翻訳が紹介された(2016年に第2巻、2017年に第1巻)。Françoise Héritier, ? Masculin/féminin, vol. I, La pensée de la différence ?, 1996 〔フランソワーズ・エリチエ『男性的なもの/女性的なもの Ⅰ 差異の思考』井上たか子、石田久仁子監訳・神田浩一、横 [続きを読む]
  • ビルマサイチョウは夫婦で子育てをする
  • ビルマサイチョウはタイやミャンマーあたりの熱帯雨林に棲息する鳥。彼らは夫婦で子育てをする。交尾のあと、メスは木のうろ(空洞)にこもる。うろの入り口は、くちばしが入るくらいの隙間だけを残して、草土などで塞いでしまう。オスが、メスとこれから産まれるヒナのために餌を運ぶ。でも、それだけでない。 ヘルパーと呼ばれる若いオスたちも、これを手伝う。旦那と若衆三羽ほどの、育児支援チームが組織されるわけだ。この習 [続きを読む]
  • ワーグナー:舞台神聖祝祭劇『パルジファル』
  • 【あらすじ】イスラム世界に隣接する中世のスペイン。モンサルヴァート城では、十字架の上でキリストの脇腹を刺した聖槍と、彼の血を受けた聖杯が、ティトゥレル率いる聖杯騎士団によって守られていた。異教徒クリングゾルは騎士団への加入を拒否され、その報復として魔法の花園によって騎士団に罠を仕掛ける。ティトゥレルの息子のアムフォルタス王はクリングゾル討伐の際、謎の美女に誘惑されたあげく聖槍を奪われ、その槍で脇腹 [続きを読む]
  • 平出隆『猫の客』
  • 無駄のない詩的な文章はとても美しかった。ただ、物語には今ひとつ馴染めなかったというか、腑に落ちないところがあった。語り手自身も述べているが、物語中最大の事件が起こったときの語り手夫婦の言動に、隣家の人々への配慮が足りない気がした。もし、この作品を作り上げた理由の一つに、彼らへの贖罪の気分があったのだとしたら、隣人の気持ちに寄り添っているようには思えなかった。妻の悲嘆が計り知れないものであったことは [続きを読む]
  • 泉鏡花 『高野聖』
  • 凄絶だったのはやはり、旅僧が山路で遭遇した、あの光景。凡そ人間が滅びるのは、地球の薄皮が破れて空から火が降るのでもなければ、大海が押被さるのでもない、飛騨国の樹林が蛭になるのが最初で、しまいには皆血と泥の中に筋の黒い虫が泳ぐ、それが代がわりの世界であろうと、ぼんやり。(pp.29-30)こう悟ったのは、聖が語っている今なのか。はたまた、まさに蛭地獄に見舞われ、脳裡に最期の予感が「ぼんやり」と閃いたその瞬間だ [続きを読む]
  • クリムトからマーラーへ
  • 10年以上も前ですが、銀座で『クリムト』を観ました。ラウル・ルイス Raúl Ruiz, 1941-2011 の映画を観るのは、プルーストの小説にもとづいた『見出された時』以来でしたが、映像のテイストは同じように感じました。機械仕掛けのような背景装置、輪郭のはっきりしたオブジェの数々、目くるめく展開による幻想的な雰囲気...、そんな映像美の追求がうかがえました。アンチCG、アンチハリウッドの監督だと思います。さて、映画には出 [続きを読む]
  • モリエール『人間ぎらい』
  • 「人間不信、あるいは気難しい恋人」若い人ほど、世間に期待しすぎるところがある。あれをしてくれない、これをしてくれない。要求は子どもより一丁前で、権利であれ待遇であれ、当然与えられるべきものが与えられないことの方が、異常事態だと感じている。世の中に対して正義や誠実さを求め、その期待が裏切られ続けると、「気難しい恋人」アルセストのような青年になるのかもしれない(彼が決定的に人間ぎらいになるのは、至極個 [続きを読む]
  • 戸部松実『『エミール』談論』
  • 著者は一貫してルソー研究に携わってきた人。2001年に出版した『不平等論』の翻訳では、本文よりも分厚く詳細な註解と付録を添えて、読者がルソーの思想をより正確に理解できるように仕立てています。今回の著書は、ルソーが渾身の限りを尽くして執筆した教育論『エミール』について、師弟がテクストを丹念に読み解してゆく過程を叙述した、いわば「講義録」のようなものです。対話形式を用いているのは、十年以上続いた読書会によ [続きを読む]
  • 犬の伊勢参宮
  • 犬の伊勢参宮 いぬのいせさんぐう 〔譚海 巻八〕 寛政二年の秋、安房国ある荘屋の許に飼ひたる犬、伊勢参宮したきよし、主人の夢に見えけるとて、その犬を参宮にいだし立てける。村送りに人をつけてやりけるに、この犬恙なく(つつがなく)参宮して帰りける。勢州にも見たる人の物語りせしは、他の犬と違ひて、呼びてものを喰はすれば、やがて人家の板敷のうへにのぼり、最早いねといへば、そのまま飛びおりて行きける。はじめ主 [続きを読む]
  • 2017年に読んだ小説など
  • ピエール・ショデルロ・ド・ラクロ『危険な関係』竹村猛訳(角川文庫)マルセル・プルースト『失われた時を求めて 10』第五篇「囚われの女 I」吉川一義訳(岩波文庫)マルセル・プルースト『失われた時を求めて 11』第五篇「囚われの女 II」吉川一義訳(岩波文庫)ジョルジュ・シムノン『かわいい悪魔』中村真一郎訳(集英社)ジョルジュ・シムノン『港のマリー』飯島耕一訳(集英社)ジョルジュ・シムノン『新しい人生』粟津則雄 [続きを読む]
  • サン=サーンス最後の演奏会
  • 75年前に私は初めて公で演奏しました。そして今日はその最後の機会でした。(サン=サーンス)ディエップ Dieppe は英仏海峡を臨むノルマンディーの港町。19世紀にはリゾート地として大いに賑わい、大きなカジノも建てられた。サン=サーンスの父 Jacques Joseph Victor Saint-Saëns, 1798-1835 はこの地の出身である。1888年に母親 Françoise Clémence Collin, 1809-1888 が亡くなったのをきっかけに、サン=サーンスは財産の [続きを読む]
  • サン=サーンスによる演奏の録音
  • 私がベッドに寝そべったままでいると、アルベルチーヌは部屋の隅にある本棚の両側の支柱のあいだに置かれたピアノラの前へ行って座る。アルベルチーヌが選んでくれるのは、まるっきり初めての曲が、私に一度か二度しか聴かせてくれたことのない曲だった。(プルースト『囚われの女』吉川一義訳)19世紀末以降、穴を開けて記録した巻紙(ロール・ペーパー)を楽譜にして、空気の吸引力でハンマーを作動させることで鍵盤を動かす自動 [続きを読む]
  • 店裏の部屋
  • 妻や、子供や、財産、そしてできることなら、なんといっても健康を持つことが必要である。しかし、われわれの幸福がそれに左右されるほど縛られるようではいけない。まったくわれわれだけの、まったく自由な店裏の部屋を自分に取っておいて、そこにわれわれの真の自由と、主要な隠れ家と、孤独を築くようにしなければならない。そのなかでわれわれはつねに自分自身と話し合い、外とのどんな付き合いや会話もそこに入り込んで来ない [続きを読む]
  • 保苅瑞穂『モンテーニュ よく生き、よく死ぬために』
  • プルーストの『失われた時を求めて』では、パスカルやラ・ロシュフーコー、ラ・ブリュイエールなどの代表的なモラリストの名をところどころで見つけられるものの、モンテーニュの名は一切出てきません。しかし、小説のなかで人間の多面性や重層性を鋭い筆致で描いているように、その卓越した人間観察ぶりをみる限り、プルーストがモンテーニュの『エッセー』を読んでいなかったとはとても考えられません。本書の著者はプルースト研 [続きを読む]
  • サン=サーンスのさよならリサイタル
  • 老音楽家サン、サアンが最後の名残の指揮をした大音楽会も先夜御座いました。島崎藤村『平和の巴里』1913年11月6日、パリのガヴォー・ホール Salle Gaveau でサン=サーンスのさよならリサイタル recital d’adieu が開かれた。傷痍軍人のための慈善コンサートとして催されたこの機会をもって、サン=サーンスは公の活動から引退すると宣言したのである。【リサイタルの演目】Marche religieuse オルガンのための宗教的行進曲 op. [続きを読む]
  • サン=サーンスのアメリカ演奏旅行 (5)
  • この演奏旅行で三回に渡ってニューヨーク交響楽団との共演を果たしたサン=サーンスは、1906年11月27日、またしてもカーネギーホールの舞台に登場した。今度はオーケストラとの共演ではなく、サン=サーンスの独奏によるピアノ・リサイタルが開かれたのである。【演奏会の曲目】J-S. Bach : Concerto nach Italienischem Gusto, BWV 971J.S.バッハ:イタリア協奏曲J-P. Rameau’s Piecesラモーの小品いくつかBeethoven : Piano Son [続きを読む]
  • サン=サーンスのアメリカ演奏旅行 (4)
  • サン=サーンスのアメリカツアーは、当初ボストンから始まる予定であったが、訪米途上に見舞われた病気によって延期となっていた。万全とはいえないもののどうにか健康を取り戻したサン=サーンスは、すでにアメリカ各地を周っていた。1906年11月26日、カール・ムック Karl Muck (1859-1940) の指揮によるボストン交響楽団との共演で、ようやくボストン・デビューを果たすことができた。【演奏会の曲目】Prologue de ? Les Barbar [続きを読む]
  • シムノン『子犬を連れた男』
  • ぼくは悲しくもないし、郷愁もない。ぼくがあるがままに物事を見る、カメラの冷酷なレンズのように。それに、僕は情け容赦なく、仮借なく自分自身を見つめる。 (p.21)主人公のフェリックス・アラールはパリ3区のアルクビュジエ通り3番地のアパルトマンに、プードル犬のビブと暮らしている。仕事場である書店も、アルクビュジィエ通り東側の突き当たり、ボーマルシェ大通り沿いに構えている。こんなふうに、シムノンの小説では、実 [続きを読む]
  • 天文学者サン=サーンス
  • 星の世界をさぐることは、サン=サーンスにとって、単なる知的関心以上のものとなるのである。眼を宇宙に向けることで、彼は人間、芸術、世界、神の存在などについて思索を展開していくきっかけさえつかむのだ。海老澤敏「文筆家としてのサン=サーンス」サン=サーンスはたいへんな天文マニアであった。彼は音楽だけでなく、詩や哲学、考古学、自然科学と幅広い分野でその多才ぶりを発揮した人物であるが、なかでも天文学には最も [続きを読む]
  • サン=サーンスのアメリカ演奏旅行 (3)
  • 1906年11月、サン=サーンスはアメリカ各地を巡る演奏旅行を続けていた。ツアーの幕を開けたニューヨークに舞い戻ってきたサン=サーンスは、11月15日、再びカーネギーホールの舞台に登った。【演奏会の曲目】Ballet music from ? Henry VIII ?歌劇『ヘンリー8世』よりバレエ音楽2e Concerto pour piano, op.22ピアノ協奏曲第2番ト短調 … ピアノ:サン=サーンスCaprice sur des airs de ballet d’Alcesteグルックの歌劇『アル [続きを読む]
  • サン=サーンスのアメリカ演奏旅行 (2)
  • ニューヨークでツアー第一弾の演奏会を開催し、サン=サーンスはアメリカの聴衆に熱狂的に迎えられた。訪米途上で死線をさまようほどの病苦に見舞われ、まだ病み上がりの状態であったものの、サン=サーンスはシカゴにも足を運んだ。ニューヨーク公演5日後の1906年11月8日、サン=サーンスはフレデリック・ストック Frederick Stock, 1872-1942 率いるシカゴ交響楽団(セオドア・トマス管弦楽団)と共演した。演奏会は楽団の拠点「 [続きを読む]
  • サンペ『マルスラン・カイユー』
  • サンペ Jean-Jacques Sempé, 1932 は『プチ・ニコラ Petit Nicolas 』の挿絵を描いた人。物語を書いたルネ・ゴシニー René Goscinny, 1926-1977 の方は、バンド・デシネの超ロングセラー『アステリクス Astérix le Gaulois 』のシナリオ作家として知られている。イラストレーションにくわえて、サンペ自身が文章を付けた作品も数多く、そのほとんどは今、フランスで最も有名な文庫シリーズ Folio から出版されている。『マルス [続きを読む]
  • サン=サーンスのアメリカ演奏旅行 (1)
  • 1906年10月20日、サン=サーンスはアメリカ合衆国に向けて演奏旅行に出発した。サンパウロやリオ・デ・ジャネイロなど南米にはすでに二度ほど演奏旅行に出かけていたものの、北米への旅は今回が初めてであった。風邪の重い症状がみられたにもかかわらずパリを出たサン=サーンスは、ル・アーブルから北大西洋を渡る客船「プロヴァンス号」に乗り込んだものの、船上で症状はさらに悪化、インフルエンザと扁桃炎を併発した上にジフテ [続きを読む]
  • コンセルヴァトワールのサン=サーンス
  • コンセルヴァトワール(パリ音楽院) Conservatoire de Paris は、音楽家を養成する教育機関だけでなく、毎シーズンに演奏会を企画開催する演奏協会 Société des Concerts も擁していた。演奏協会のオーケストラは、現在のパリ管弦楽団 Orchestre de Paris の前身にあたる。1904年4月17日の日曜日、コンセルヴァトワール演奏協会は77年目のシーズン第19回の演奏会を開いた。タファネルの後1901年より首席に就いたマルティ George [続きを読む]