西野 そら さん プロフィール

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西野 そらさん: 西野そらの日々のこと
ハンドル名西野 そら さん
ブログタイトル西野そらの日々のこと
ブログURLhttp://sosososora.hatenablog.com/
サイト紹介文なんとはない日々の事事で感じたこと、考えたことを書き綴っています。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供54回 / 365日(平均1.0回/週) - 参加 2015/11/05 14:09

西野 そら さんのブログ記事

  • 少年
  •  テレビ画面の左上にある天気表示。その朝、東京の天気は午前午後ともに傘と曇のマークが表示されていた。天気予報を信じないわけではないが、窓を開けて空のぐあいを見る。外気に当たって温度を感じる。たとえば20℃と数字で表示されても、季節によって20℃の感じかたはちがう。天気予報を手がかりに、自分で感じ、見込んで、着るもの履く靴、持ち物を決める。 予報通り低く垂れ込めた灰色の空からは傘なしでは歩きたくない程度 [続きを読む]
  • 着ること
  •   「着ていく服がない」 出かける段になると決まってこう言い放ち、父の機嫌を損ねた。中学から高校時代の思春期のはなしである。 「着ていく服がない」この言い草は行き先に関わらず。たとえば都心の百貨店に行くときであっても、少しはなれたスーパーマーケットまでのおつかいであっても、ということ。 家族と同じタイミングで支度をはじめる時点では、わたしとて浮かれている。なにを着よう。着ては脱ぎ、脱いでは着る。繰 [続きを読む]
  • たどりつく。〜ものは言いよう その2 〜
  •  少し前にものの言い方、伝え方のことを書いた。(8月22日「ものは言いよう」) じつを言えば、書いたそばから、こういうことを書こうとしていたんじゃないな、わたしは。そんな思いがないわけではなかった。しばらく頭のすみで書きたかった核心を思い出そうとしたのだけれど、たどりつけないままだった。  9月のある日、図書館でのこと。「評論、エッセイ、随筆」の書架の前にわたしは立っている。 ちょうどわたしの目の [続きを読む]
  • だれかと、一緒に。
  •  ひとりでいることが苦手ということもない。むしろ群れているよりは気楽。 しかし、目的をもたない出歩き(これは散歩というのだろうか、旅と呼んでいいかもしれない)は、ひとりだと寂しい。 子どもが幼かったころは目的地を決めずに出歩くことが少なくなかった。 道端の草花。石ころ。蟻の行列。よそのお宅の生垣の葉っぱ。街路樹。風の音。空の高さや青さ。変幻自在の雲。鳥の鳴き声。ヘリコプターや飛行機の爆音。 風が吹 [続きを読む]
  • 原稿は楽譜
  • 「おすすめの絵本は?」こう訊かれたら、まず浮かぶのは『まさかりどんが さあ たいへん』(かこさとし/小峰書店)である。 かこさとしといえば、だるまちゃんシリーズ、『カラスのパンやさん』『どろぼうがっこう』と数々の絵本があるし、どの絵本もなんども読み返してはきたが、だれかに教えたくなるのは、やっぱり、まさかりどん。  はじまりは、まさかりどん(まさかり)が木をたおしたこと。まさかこのはじまりがあんな [続きを読む]
  • 基本のキホン
  •  ああ、ひどいったら、ありゃしない。 なにがひどいって、このところのわたしである。  週に数日、外での仕事をはじめた今年の4月から、家の仕事の大切さに気がついていないわけではなかった。いや、気がつくというよりも、むしろ大切さを思い知らされたていた、というのに。  家の仕事を大きくわければ、料理。洗い物。洗濯。掃除。本当はこれ以外にも暮らしの彩りに花を生けたり、壊れもの破れものの修繕をしたり。料理 [続きを読む]
  • 心に居座る岩
  •  母と電話をしていたときだ。「お父さんもお母さんも動物が苦手だったからね……。」 母が反省めいた言葉を口にした。  わたしのブログ、7月11日の「不条理」を読んで、娘に動物苦手意識を抱かせたのは自分たち親の影響と考えたのらしい。 7月11日のブログには捨てられていた猫のこと、そこから生き物へのわたしの考えを書いた。母はわたしの生き物への慈愛が薄いと感じたらしい。いいとか悪いというのではなしに、幼い頃に犬 [続きを読む]
  • ナツシグレ
  •  ミーンミーン、ジージー、ジリジリジリリリ……。 朝からその音の波は、あたりを響もしていた。無意識に聞き取っていたその音の波が、ある瞬間に蝉のこえであったことに気がつく。常よりはげしく聞こえてくる蝉の声。 そうか、これが蝉時雨だな。        これより数日前のことだ。 日差しの強い、夏らしい日だった。わたしは仲間5人と連れ立ち西新宿方面から新宿駅に向かっていた。「向こうの街路樹からの木漏れ日 [続きを読む]
  • ものは言いよう
  •  さして狭くもない歩道でのことだ。すれ違いざまにぶつかりそうになって、あわてて肩を後ろにひいた。 ほぼ同時に、「ちっ、どこ見て歩いてんだよ」 と、吐き捨てるように言う、七十代ぐらいのおじいさん。「ごめんなさい」 と、わたし。 前方からおじいさんが歩いてくるのは見えていた。近所に住んでいるのであろう。綿シャツにズボンのいでたちは特別な印象もない。おじいさんとわたしが互いの進路の邪魔になるほどに接近し [続きを読む]
  • どうにもト・マ・ラ・ナ・イ
  •  気がつけば、8月も半ば。 肌を刺すような強い日差しの日もあったけれど、年々蒸し暑くなってきている。日陰に入ったとて、纏わりつくような湿気からは逃れられず、逃れる方法はクーラーをつけるしかない。が、クーラーをつければつけたで体が重くなる。  自然の暑さにも人口の涼しさにも対応しづらくなっている。いったいどうすりゃいいんだか。 この蒸し暑さでなにより厄介なのは、少し動くだけ滝のごとく流れる汗である。 [続きを読む]
  • 土産のはなし
  •  旅行の土産を買ったり、もらったりする時期だからだろうか。「3年生の夏休み明け、マナからお土産もらったじゃない。あれには驚いたよね」 と、次女。どうやら小学三年生当時の思いがけない土産のことを思い出したようである。 思いがけない土産のはなしのまえに、わたしのへそ曲がりのはなしをひとつ。 土産は差し上げる立場でももらう立場でも気をつかう。 とはいっても、儀礼的な多数にむけた箱菓子土産なんぞは、集団 [続きを読む]
  • 蝉と雨と浴衣
  •  目覚まし時計のアラーム音をとめたところで、蝉が鳴いた。 「ミーンミーン」だったか「ジィ〜」だったか失念してしまったが、ことし初めての蝉のこえ。 ああ、夏がきた。 されど。夏がきたと思った朝は、まだ梅雨は明けていなかった。梅雨は明けていないけれど、雨が少なく空梅雨をおもわせる暑さが続くさなかであった。 というのに。空梅雨の梅雨明けが通達されるや、雨が降ったり雲が低く垂れ込める日が続いたり。わたしが [続きを読む]
  • 「注意」
  •  食卓にノートパソコンを置いて、これを書いている。書きものは食卓。これが常である。                                      いまの食卓はこんなふうだ。ノートパソコンの左側には、書きはじめる前に食べたおせんべいの袋と数冊の本が積んである。右側には家で炭酸水をつくるための専用ボトルが置いてあり、少々雑然としている。 この雑然とした食卓でノートパソコンに向かい、ブログの [続きを読む]
  • ミライ
  •  小学生のわたしにとって未来といえば21世紀を意味していた。当時、大人は折にふれこう言った。「君たちが21世紀を担っていくんだよ」 へえ、わたしたちが担うんだ、21世紀とやらを。こんな具合にわたしには21世紀も未来もちっともピンとこなかった。 たとえば小学4年生のわたしであったら、26年後にくる21世紀は、はるか彼方。社会がどう変化しているのか想像もできなかったし、もっといえば自分が大人になっている姿さえ思い [続きを読む]
  • 不条理
  •  バイト先でのはなしだ。 「ミャーミャー」 窓の外から、か細い鳴き声が聞こえてくる。 仔猫が捨てられていた。 猫好きのひとの見立てでは生後2、3ヶ月。炎天下にもかかわらず日陰に行かず、水の入った容器を置いても飲もうともしないのだとか。  放っておいても大丈夫か。捕まえたほうがいいのか。せめて日陰に移してやりたいけれど、猫のいる場所が狭くてそう簡単に捕まえられないのらしい。 太陽は真上にある。 「この [続きを読む]
  • 撤回
  •  もう飲まない。 年中、こんなことを誓っている気がする。いや、誓うほど切実ではないにしても、毎日は飲まないと幾度となくみずからに言い聞かせてはきた。 昨年あたりから、ワインを4、5杯飲んだ日の翌日がきつい。目覚めた途端、「くたびれた」 となる。 数日前もそうだった。 起きたそばから、朝ごはんはシリアルですませちゃおうか。今日はお弁当買ってくれないかしら。洗濯物入れをまえに、毎日毎日どうしてこうも汚れ [続きを読む]
  • 顔も知らないけれど。
  •  「その方とは、喧嘩をしたから今ではご挨拶もしませんのよ」 こう言ったのは、同じマンションのHさん。八七歳のご近所さんである。 絵が好きだというHさんは白髪のショートへア。八十代の女性にしては背が高く大柄であるが、ここ数年で少しばかり背中が丸くなった。物腰が柔らかく「山梨の美術館は素敵でしたよ」時折、美術館の情報まで教えてくれる上品なお人。 わたしは Hさんの言う「その方」を知らないが「へぇ〜」とか「 [続きを読む]
  • そろそろ、忘れてくれやしないかな。
  •  妹家族が引っ越す。この度の引っ越しは、リフォームのために半年間過ごした仮住まい(うちの近所)から、ピカピカに仕上がった自分たちの家へ戻るため。 引っ越し前日、家の近くで妹と出くわした。「もう、ぐったり。まだダンボール詰が終わってないの」 疲れているように見えなくはないが、思い通りに生まれ変わった家でやっと落ち着いた暮らしに戻れる嬉しさは隠せない。されど終わらぬ荷造り。浮き立つ思いはわかる。「引っ [続きを読む]
  • 常態、脱皮。
  •  アルバイトの日。 家を出る時間は午前9時10分。それまでにすませたい家の事ごとを、手を動かしながら算段してゆく。まず洗濯機を回してから、長女の朝ごはんをつくる。長女が食べはじめたところで、次女の弁当、夫と次女とわたしの分の朝ごはんをつくり、食べる。朝ごはんの片づけを始めるまえに2回目の洗濯開始。その後1回目の洗濯物を干す。朝ごはんを片づけて、2回目の洗濯物を干す。部屋を片付ける。最後に身支度にとり [続きを読む]
  • 親しいともだちがいない!
  •  気になる植物というものは、そうとう移ろう。 いつかの年はハナミズキばかりが目に止まり、いつかの年はシャクナゲに吸い寄せられた。紫陽花の年もあれば、彼岸花が気になって仕方がなかった年もある。 そして今年はどうやら、ドクダミ。 5月になると、そこいら中に群生しているドクダミの、あの花の白さがスッと目の端に滑り込んでくるのだ。 しかし、この小さな白い花は近寄りがたい香りを放つ。その香りは防壁のようでも [続きを読む]
  • プチメール
  •  「疲れるので、帰って来るまでには機嫌を直してください」 気まずいまま夫を送り出した日、わたしはこんなメールを夫に送る。  喧嘩に被る笠はなしとはよく言ったもので、その日も朝の穏やかな雰囲気が一変した のは、玄関までのたった数歩でのことだった。「今日は会食があるから(遅くなるということ)」 出がけの報告に、なにか言たくなった。「会食って便利な言葉だよね」 わたしとしては笑いにつなげる、いわばツッコ [続きを読む]
  • 本当のこと
  •  13年前の話である。   娘が一緒に登校していたNちゃんのお母さんから電話があった。「Nの口調がきつくて友だちと喧嘩になったり、泣かせたりするらしいの」 担任から連絡がはいったとかで、普段の子どもの様態を知りたいということだった。 当時娘たちは小学四年生。いまなら、子どもは変わってゆくから、しばらく様子をみててもいいんじゃない。これぐらいのことは言える。 しかし初めての子どもであったから、時期をみ [続きを読む]
  • 自分の食い扶持ぐらい……
  •  図書館でアルバイトをはじめてから、ひと月が過ぎた。 働きに出るのは実に26年ぶりである。 話はちょうど1年前に遡る。 40代で起業した友人と会った折。穏やかというよりは生き生きとしている友人の仕事の話を聞いているうちに、起業をした理由を訊きたくなった。「子どもと夕飯を食べたいから」 これが一番の理由。それまで大企業で働いていた友人は帰宅時間が遅く、ふたりの小学生の子どもたちや夫との夕食もままならな [続きを読む]
  • 小野さんに会いたい
  •  「ああ、小野さんに会いたい」 洗い物をしながら、ひとりごちる。「そういえば、姿勢よくなったよね」 思いがけず、後ろから夫の声。 小野さんは、昨年末から通いはじめたスポーツ整体院の整体師。はじまりは足の痛みの相談であったが、通いはじめて半年になるいまは、身体全体のメンテナンスが目的で通っている。  考えてみると呼吸、歩き方、立ち方を教わったことなどない。 歩き方なんぞはハイハイをしていた赤ん坊が、 [続きを読む]
  • すいません、すいません。
  •  「すまない」のくだけたかたちの「すいません」は、感謝の意、謝る意があり、誰かへ呼びかけるのにも使えるという重宝なことばだ。 かく言うわたしも、いろいろな場面で安易に「すいません」を連発してしまう。しかしあるときから、この重宝な言葉がしっくり来なくなってきた。 感謝の意で使うなら単刀直入に「ありがとう」、謝るのなら「ごめんなさい」がよかろうと思うようになったのだ。 とはいっても散々使ってきた言葉だ [続きを読む]