サラダ坊主 さん プロフィール

  •  
サラダ坊主さん: サラダ坊主日記
ハンドル名サラダ坊主 さん
ブログタイトルサラダ坊主日記
ブログURLhttp://saladboze.hatenablog.com/
サイト紹介文千葉県千葉市花見川区の片隅に暮らす坊主頭のサラダ屋の生活と意見。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供190回 / 365日(平均3.6回/週) - 参加 2015/11/16 01:42

サラダ坊主 さんのブログ記事

  • ハラスメント、即ち「関係性の事故」に就いて
  •  先般、財務省の福田淳一事務次官が、テレビ朝日の女性記者からセクシャル・ハラスメントの廉で告発され、メディアや国会は大騒ぎになっている。私は事態の審らかな経緯を理解していないが、告発された当人は自分の言動がセクハラに該当するとは認めず、寧ろ今回の件を報道した発信源である新潮社に対して、名誉毀損の訴えを起こすと息巻いているらしい。テレビ画面の向こうで、マスコミに囲まれながら釈明する福田氏の発言は不得 [続きを読む]
  • 己の善性を誇張する勿れ
  •  自分では如何に厳しく冷静に現実を見凝めている積りであっても、人間の主観には必ず生得的な偏倚と後天的な歪曲の二つが絡み付いているものである。純然たるリアリズムというのは理論的に想定された不可能な観念に過ぎず、実際の生身の人間は決して「純然たる現実」を直視する公正な能力を持たない。誰しも物事を自分の立場や事情に応じて任意に改変する習慣を持ち合わせているもので、その御都合主義の色眼鏡の言い訳には、世界 [続きを読む]
  • 三島由紀夫「禁色」に関する覚書 5
  •  目下、三島由紀夫の「沈める滝」(新潮文庫)を読んでいる最中なのだが、不図思い立って再び「禁色」(同上)に就いて考えたことを備忘録として書き遺しておく。⑤同性愛の形而上学的性質と「享楽」 私は同性愛というものの実態に就いて具体的な知見を持たないし、男性に対して性的な感情を懐いた経験もないので、「禁色」の世界に織り込まれている男色の精密な描写に就いても深く理解していると自信を持って言い切ることは出来 [続きを読む]
  • Cahier(「沈める滝」・作家主義・mysticism)
  • *三島由紀夫の「潮騒」を読み終えて感想文を書いたので、今日から同じ作者の「沈める滝」(新潮文庫)を繙き始めた。未だ冒頭の数ページしか読んでいないので、具体的な感想など書きようもないが、主役の城所昇の人物像には「禁色」の南悠一と「青の時代」の川崎誠を混ぜ合わせたようなニュアンスが付き纏っている。 様々な作家の様々な作品を、その時々の個人的な興味や関心に応じて、或いは全くの偶発的な邂逅に委ねて、手当た [続きを読む]
  • 清浄なる異性愛の幻想曲 三島由紀夫「潮騒」
  •  三島由紀夫の「潮騒」(新潮文庫)を読了したので、感想を書き留めておく。 新潮社文学賞と称する栄典の第一回を授与された「潮騒」という小説が、三島由紀夫の文学的経歴においては極めて異色の風合いを備えた作品であることは、多くの論者によって指摘されているし、市井の読者の間でも周知の事実であろうかと思う。実際、夥しい観念と愛慾の輻輳する大作「禁色」を書き上げた三島が、都会の風俗から隔絶した離島を舞台に、清 [続きを読む]
  • 幸福に堪えられない人間
  •  人は誰しも幸福であることを願うものだが、幸福には厄介な側面が備わっている。それは「何事も起こらない平穏に順応する」という論理的構造を含んでいるが、その幸福な平穏は必ずしも人を満足させない。退屈は人を殺しかねない。古伝に「小人閑居して不善を為す」という言い回しがある通り、平穏無事の幸福に充足する為には精神的な修養が不可欠である。目先の刺激に振り回されて、安穏な日常を溝へ抛り込むような愚行は、世間に [続きを読む]
  • 「共同性」への普遍的な欲望
  •  人間は誰しも、自分と他者とを隔てている根源的な境界を打破し、超越したいという欲望に精神を搦め捕られている。この普遍的な欲望を簡潔に「共同性への欲望」と名付けてみたい。自分という孤立した個体の枠組みから離れて、絶対的な境界線を踏み越えたいという、この普遍的な欲望には、容易に抵抗することの出来ない甘美な魅惑が深々と突き刺さり、滲み出ている。 「共同性」という言葉は随分と大雑把なラベリングに聞こえるか [続きを読む]
  • 三島由紀夫「禁色」に関する覚書 4
  •  引き続き、三島由紀夫の「禁色」(新潮文庫)に就いて書く。④或る芸術家のサディズム的な欲望(「精神」と「感性」の二元論的構図) この作品の前半を占める物語の主要な枠組みは、老齢の作家である檜俊輔の迂遠な復讐譚である。彼は過去に数多の「愚行」を積み重ねてきた人物であり、老境を迎えた現在も若い女に懸想して、無惨な失敗に終わっている。彼は今まで幾度も女性に裏切られながら、しかも女性に対する恋着の感情を捨 [続きを読む]
  • 三島由紀夫「禁色」に関する覚書 3
  •  引き続き、三島由紀夫の「禁色」(新潮文庫)に就いて書く。③「妻」の視点とストイシズム 物語の後半で、養子縁組した愛人を悠一に寝取られた男が、逆恨みの余りに悠一の同性愛を告発する手紙を、南家に送り付ける場面が登場する。悠一は自分が異性愛者であることを立証する為に敢えて鏑木夫人を利用するが、その策略は妻である康子に対して思わぬマイナスの影響を与えてしまう。 ……しかるにすでに康子は自若としていて、生 [続きを読む]
  • 三島由紀夫「禁色」に関する覚書 2
  •  引き続き、三島由紀夫の「禁色」に就いての感想文を認めておく。②「鏡の契約」とナルシシズムの虜囚 「禁色」において、檜俊輔が企てた女たちへの陰湿且つ残酷な復讐は、南悠一の「絶世の美青年でありながら、女性を愛する能力を持たない」という人間的な特性を利用することで成し遂げられる。だが、この場合の「愛する」という言葉の定義に関しては慎重な見極めが必要である。作者は明らかに「愛する」という言葉に「精神的な [続きを読む]
  • 三島由紀夫「禁色」に関する覚書 1
  •  昨年末から営々と読み続けていた三島由紀夫の「禁色」(新潮文庫)を昨夜、漸く読了したので、感想の断片を書き留めておく。 優れた小説は、単純明快な一つの物語の筋によっては構成されず、単一の包括的な原理によって一義的に支配されることもない。そこには必ず複数の異質な原理が共存して劇しく隠微に衝突し合っているものであり、そうでなければ「小説」という文学的様式が読者の心に或る「世界」の実在の感覚を与えること [続きを読む]
  • Cahier(新年度・会者定離・nostalgia)
  • *明日から、新年度が本格的なスタートを切る。何処の会社でも家庭でも組織でも、卒業の別れ、異動や転職の別れ、移住の別れを一通り嘆いたり悲しんだりして、新しい生活への心構えを整えた後の、愈々の門出の場面が数多く演じられるのだろう。私の勤め先は五月一日が期初の区切りなので、社内的には新年度ではないが、新入社員の配属は四月であり、明日は盛大な入社式が執り行われる段取りになっている。 退職を願い出ていた部下 [続きを読む]
  • ストイシズムの閉鎖的な快楽
  •  人間は絶えず、あらゆる種類の欲望に取り巻かれて、危うく不安定に揺らぎながら生きている。欲望は人間の主体的な理性に先立って、人間の深層から殆ど如何なる脈絡も持たずに迫り上がってくる、自律的な衝動である。その欲望が発する要求の総てに唯々諾々と従うことは、少なくとも社会的な動物としての人間には許されない。殆ど無作為に起動し、暴れ回る欲望の命令に抵抗することは、人間的な理性の尊厳に関わる崇高な使命である [続きを読む]
  • 「人間」は「人間」を所有出来ない
  •  かつて世界と人間は超越的な「神」によって支配されていた。或いは「神」の名の下に、人間によって支配され、所有されていた。だが、時代が進むに連れて、人間が人間を所有物の如く扱うことの倫理的な問題が自覚されるようになり、倫理的な要請が高まり、フランス革命、奴隷解放宣言や公民権運動、アパルトヘイトの撤廃といった重要な歴史的事件が勃発し、私たちの世界は少しずつ「人間が人間を支配し、所有するのは罪悪である」 [続きを読む]
  • 「私」を解体する力としての「恋愛」
  •  恋愛というのは必ずしも自発的な意志によって制御されるものではなく、往々にして突然、意識の枠組みを揺さ振るような形で、知らぬ間に押し寄せる感情の形態である。無論、それが所謂「恋人」同士の関係性として立ち上がる為には、理性と意志の力に多くを負わねばならないが、理性によって制御されるようになった後も、その根本に不可解な感情の濁流が渦巻くことには変わりがない。それは人間の感情の動きであるから、確かに「私 [続きを読む]
  • 「慈悲」と「恋情」の境界線
  • 愛することは、或る人間をバラバラに解体することへの根源的な抵抗として定義されるべき営為である。愛することは、相手を腑分けすることの対極に位置する。対象の総てを丸ごと包摂し、その総ての要素を善悪や好悪に関わりなく受容することが愛の本質であり、その崇高な価値である。だから、愛情には個別的な由来など存在し得ない。明確な理由に基づいて、その結果として「貴方を愛する」という具合に手順を踏むのは正統な愛 [続きを読む]
  • 一切皆苦(坂口安吾をめぐって)
  •  生きることは常に苦痛に汚染されている。生きるという営為自体が、本来は起こり得なかった超自然的な奇蹟を無理に持続するような作業なのだから、そこに不自然な苦しみが生じるのは自明の帰結である。 宇宙の探査が発達しても、一向に地球外の生命体との出逢いという見果てぬ夢は叶えられていない。生命の誕生は極めて絶妙な諸条件の均衡の中で偶発的に実現された、驚嘆すべき奇蹟であり、原初の生命が進化して、ヒトという種族 [続きを読む]
  • 共犯的幻想としての「恋愛」
  •  恋するとき、人は盲目になると、よく言われる。確かに恋愛が幻想である以上、そして私たちの認識や理性に奇怪な覆いを被せる心理的な魔術である以上、傍目には恋する当事者たちの言動が、有り触れた現実に対する理性的な判断を欠いているように見えることは避け難い。恋することは、現実の具体的な変革ではなく、飽く迄も現実に関する解釈の変革である。恋に落ちると、世界が輝いて見えると人は嘯く。無論、それは凡庸な錯覚に過 [続きを読む]
  • 恋愛の無倫理性
  •  恋愛という極めて主観的な営為には、倫理という規範的な理念が存在しない。恋愛を道徳的な御題目によって縛ったり制限したりすることには意味がない。それは恋愛を殺戮する為に下される鉄鎚のようなものであり、恋愛の根源的な反社会性に対する掣肘である。言い換えれば、恋愛は無倫理的であることによって社会を脅やかす危険な害毒となり得るのである。それを様々な制度や道徳を通じて制御しようとするのは、社会的な公序良俗を [続きを読む]
  • 「愛情」に就いて
  •  最も原始的な愛情の形態を、動物的な交接への欲望だとするならば、最も純化され高められた愛情の形態は、神々しい「無償の愛」或いは「無私の愛」である。無論、如何なる見返りも求めない愛情という崇高な理念が、宗教的な幻想の産物に過ぎないことは、経験的には確かな事実である。だが、それが如何なる場所にも存在し得ないと断定する為の充分な根拠を、少なくとも私個人は有していない。 無償の愛情は、分かり易く言い換えれ [続きを読む]
  • 「愛」と「理解」の相剋をめぐって
  •  人を正しく愛する為には(愛情に正しさという倫理的規範を求めるのならば、という仮定的な条件下において)、相手の考えや心情を精密に理解する為の努力を怠ってはならない、という尤もらしい命題が頻々と唱えられている。それは一見すると、疑いようのないくらい、輝ける正論だ。だが、それが人を愛するという作業の現場から眺められたときに、とても図々しい正論のように映じることも、一つの経験的な事実である。 人を愛する [続きを読む]
  • サラダ坊主風土記 「花見川」
  •  先日の休みに、用事があって妻と娘と共に区役所へ行った。天気が良かったので、少し風は冷たいが、自転車で行った。京成とJRの線路を渡る地下道を潜り、税務署の近くのステーキハウスで遅めの昼食を取ってから、平坦な道を走って、花見川を越えた。 用事自体は直ぐに済んだので、少し遠回りして帰ろうということになった。区役所の傍を流れる花見川に沿って、サイクリングの為に整備された道路が続いている。私たちは大した目 [続きを読む]
  • Cahier(禁忌・罪悪・実存)
  • *この世界には、数え切れぬほど多くの「禁忌」が存在し、人間の心理と生活を縦横に縛っている。昨年の暮れから読んでいる三島由紀夫の「禁色」には、女を愛することの出来ない美青年の苦悩が描かれているが、例えば「同性愛」というものに対する社会的な禁圧の歴史と重みは、過去に無数の人間の魂を縊り殺してきただろうと思われる。 自分の内面と社会的な禁圧との対立、こうした問題は性愛に限らず、地上のあらゆる事物に浸透し [続きを読む]
  • Cahier(蹉跌・苦悩・里程標)
  • *昨夜、仕事の後、退職を希望する部下の社員と酒を交えて話をした。強く慰留しようという意思を持って、その場に臨んだ訳ではない。ただ、自分の経験を踏まえて、幾つかアドヴァイスを試みた。 その女の子は、典型的に仕事が出来ないタイプである。第一に自分に自信がなく、自分の考えや意見をはっきり主張することが出来ず、そもそも自分自身の内面と対話する力が薄弱である。自分自身と向き合い、自分自身の真率な感情を汲み上 [続きを読む]
  • Cahier(「神」という、或る垂直な関係性)
  • *夏目漱石は百余年前の昔、「草枕」の冒頭に「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」という著名な文句を書きつけた。一世紀が経っても、地上の事情は変わらない。大半の問題は人と人との狭間で起こり、複雑に絡み合う心理の文様が、大抵の問題を一層荷厄介なものに仕立て上げる。それが浮世の忌まわしい摂理である。 喜びと悲しみは表裏一体である。愛憎相半ばするのが巷 [続きを読む]