坊さん さん プロフィール

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坊さんさん: 山田の歴史
ハンドル名坊さん さん
ブログタイトル山田の歴史
ブログURLhttps://blogs.yahoo.co.jp/kbsfy596
サイト紹介文古くから伝わる郷土山田。山田の歴史、山田の人物史、郷土の偉人など、
自由文一部の知識人しか知られていない山田町の歴史について、大勢の目にふれられ、1人でも多くの人々に理解と関心をもっていただき、とくに、若い人を通じて後世に伝えていただきたいものであります。
また、疑問の点もたくさんあるかと思いますので、さらに理解を深めていただくために「山田町史」にご覧になり、そして後世への橋渡しの一助になっていただければ幸いと存じます。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供0回 / 365日(平均0.0回/週) - 参加 2015/12/12 19:08

坊さん さんのブログ記事

  • 過去の記事 …
  • 56 山下りん やまだの歴史人物誌(1〜56)
  • * お詫び これを最後に、しばらくの間休ませていただきす。 56 やまだの歴史人物誌(1〜56)      56 イコン画に打ち込んだ 山下りん  山田町のハリストス正教山田福音正協会に、山下りんのイコン(聖画像)が飾られている。 りんは、安政3年(1856年)生まれで、笠間藩(現在の茨城県)氏族の娘である。 明治5年16歳の時、りんは「りんを農家の嫁に出そう」という家族の話を立ち聞き、大 [続きを読む]
  • 56 山下りん やまだの歴史人物誌(1〜56)
  • * お詫び これを最後に、しばらくの間休ませていただきす。 56 やまだの歴史人物誌(1〜56)      56 イコン画に打ち込んだ 山下りん  山田町のハリストス正教山田福音正協会に、山下りんのイコン(聖画像)が飾られている。 りんは、安政3年(1856年)生まれで、笠間藩(現在の茨城県)氏族の娘である。 明治5年16歳の時、りんは「りんを農家の嫁に出そう」という家族の話を立ち聞き、大 [続きを読む]
  • 55 藤沢桓夫 やまだの歴史人物誌(1〜56)
  • 55 やまだの歴史人物誌(1〜56)55 山田漁港を舞台に 小説を書いた藤沢桓夫( たけお) 藤沢桓夫(たけお)は明治37年、大阪市に生まれた。作家石濱恒夫は叔父にあたる。旧制大阪高校卒業後、東京帝国大学に入学。在学中の大正14年、同人雑誌「辻馬車」に「首」を発表し、新感覚派の作家としてデビュー、川端康成らに文才を認められた。その後、プロレタリア文学に転向、武田麟太郎・高見順らと「大学左派」を創 [続きを読む]
  • 55 藤沢桓夫 やまだの歴史人物誌(1〜56)
  • 55 やまだの歴史人物誌(1〜56)55 山田漁港を舞台に 小説を書いた藤沢桓夫( たけお)  藤沢桓夫(たけお)は明治37年、大阪市に生まれた。作家石濱恒夫は叔父にあたる。旧制大阪高校卒業後、東京帝国大学に入学。在学中の大正14年、同人雑誌「辻馬車」に「首」を発表し、新感覚派の作家としてデビュー、川端康成らに文才を認められた。その後、プロレタリア文学に転向、武田麟太郎・高見順らと「大学左派」を創 [続きを読む]
  • 53 西塔幸子 やまだの歴史人物誌(1〜56)
  • 53 やまだの歴史人物誌(1〜56)     薄幸の歌人 西塔 ( さいとう )幸子 ( こうこ )   幸子(カウ)は、明治33年6月30日紫波郡不動村(現矢巾町)に生まれた。大正8年3月岩手師範学校女子部を卒業し、久慈尋常高等小学校訓導として赴任、翌9年12月花巻町の西塔庄太郎と結婚、10年に中野尋常高等小学校へ転任し、長女房子を出産した。同年12月磯鶏尋常高等小学校へ転任し、翌年9月には房子を病気で [続きを読む]
  • 53 西塔幸子 やまだの歴史人物誌(1〜56)
  • 53 やまだの歴史人物誌(1〜56)     薄幸の歌人 西塔 ( さいとう )幸子 ( こうこ )  幸子(カウ)は、明治33年6月30日紫波郡不動村(現矢巾町)に生まれた。大正8年3月岩手師範学校女子部を卒業し、久慈尋常高等小学校訓導として赴任、翌9年12月花巻町の西塔庄太郎と結婚、10年に中野尋常高等小学校へ転任し、長女房子を出産した。同年12月磯鶏尋常高等小学校へ転任し、翌年9月には房子を病気で [続きを読む]
  • 52 大久保喜重治 やまだの歴史人物誌(1〜56)
  • 52 やまだの歴史人物誌(1〜56)  山田町・大沢村・豊間根村の首長を務めた大久保喜重治 喜重治(きじゅうじ)は明治13年飯岡村に生まれた。24歳の時、日露戦争に従軍、帰国して早稲田大学、外語大学で学び、東京で商社に就職することを試みたが、失敗し帰郷した。明治39年26才の若さで山田町助役に抜擢され就任、29年の三陸大津波で被害を受けた町の復興、財政の立て直しに尽 [続きを読む]
  • 52 大久保喜重治 やまだの歴史人物誌(1〜56)
  • 52 やまだの歴史人物誌(1〜56)       山田町・大沢村・豊間根村の首長を務めた大久保喜重治 喜重治(きじゅうじ)は明治13年飯岡村に生まれた。24歳の時、日露戦争に従軍、帰国して早稲田大学、外語大学で学び、東京で商社に就職することを試みたが、失敗し帰郷した。明治39年26才の若さで山田町助役に抜擢され就任、29年の三陸大津波で被害を受けた町の復興、財政の立て直しに尽 [続きを読む]
  • 51 下山清と白土キク やまだの歴史人物誌(1〜56)
  • 51 やまだの歴史人物誌(1〜56)       放浪の歌人 下山清と白土キク   下山清は、明治35年(1902)年11月北海道北見市国枝幸郡枝港で生まれた。生後3日で産婆の過失により失明するが、その後視力はやや回復した。同41年母ミエに連れられて郷里沼宮内に帰り、沼宮内小学校に入学。大正2(1913)年尋常科4年の時、脳膜炎を病み、聴力と片方の視力を完全に失い退学した。追い討ちを掛ける [続きを読む]
  • 51 下山清と白土キク やまだの歴史人物誌(1〜56)
  • 51 やまだの歴史人物誌(1〜56)       放浪の歌人 下山清と白土キク   下山清は、明治35年(1902)年11月北海道北見市国枝幸郡枝港で生まれた。生後3日で産婆の過失により失明するが、その後視力はやや回復した。同41年母ミエに連れられて郷里沼宮内に帰り、沼宮内小学校に入学。大正2(1913)年尋常科4年の時、脳膜炎を病み、聴力と片方の視力を完全に失い退学した。追い討ちを掛ける [続きを読む]
  • 50 山田線の開通に 尽力した人々 やまだの歴史人物誌(1〜56)
  • 50 やまだの歴史人物誌(1〜56)     50 山田線の開通に 尽力した人々 明治23年11月、東北線上野〜盛岡間が開業、早速( さっそく)宮古町の政財界が動いた。地方の開発と文化の向上を図るため、盛岡〜宮古間の鉄道敷設運動を始めた。県議篠民三はじめ菊地理七、菊地長七、小成周蔵らである。明治25年松方内閣のとき、盛岡出身の代議士伊東圭介の働きにより、「鉄道敷設法」が可決、「盛岡より宮古も [続きを読む]
  • 49 千代川幸八  やまだの歴史人物誌(1〜56)
  • 49 やまだの歴史人物誌(1〜56)      49 大沢村の復興・発展に尽力した 千代川幸八 幸八は寛永6年(1853)大沢村に生まれ、若くして家業の農業を継いだ。明治16年大沢村住民会が組織され、幸八は30歳で委員、36歳で村議会議員、後住民会会長に選任され、地域経済の振興に取り組んだ。明治29年6月15日(陰暦5月5日)午後8時55分三陸沿岸(明治三陸大津波)に大津波が襲来、村長藤原 [続きを読む]
  • 49 千代川幸八  やまだの歴史人物誌(1〜56)
  • 49 やまだの歴史人物誌(1〜56)      49 大沢村の復興・発展に尽力した 千代川幸八 幸八は寛永6年(1853)大沢村に生まれ、若くして家業の農業を継いだ。明治16年大沢村住民会が組織され、幸八は30歳で委員、36歳で村議会議員、後住民会会長に選任され、地域経済の振興に取り組んだ。明治29年6月15日(陰暦5月5日)午後8時55分三陸沿岸(明治三陸大津波)に大津波が襲来、村長藤原 [続きを読む]
  • 48 木村利男(軍冶) やまだの歴史人物誌(1〜56)
  • 48 やまだの歴史人物誌(1〜56)   48 村政・群政・県政に尽力した 木村利男(軍冶)  軍冶(利男)は明治元年9月、豊間根村木戸口に生まれた。明治16年に16歳で盛岡に出て、津軽石村出身の漢学者山崎鯢山(けいざん)の集義塾において漢学を修めた。帰郷後の明治19年ごろ、桐ケ窪信五郎(29歳、東閉伊郡飯岡村外四ケ村戸長役書役で自由民権運動家、後明治22年大沢村長、31年山田町助役、32 [続きを読む]
  • 48 木村利男(軍冶) やまだの歴史人物誌(1〜56)
  • 48 やまだの歴史人物誌(1〜56)   48 村政・群政・県政に尽力した 木村利男(軍冶)  軍冶(利男)は明治元年9月、豊間根村木戸口に生まれた。明治16年に16歳で盛岡に出て、津軽石村出身の漢学者山崎鯢山(けいざん)の集義塾において漢学を修めた。帰郷後の明治19年ごろ、桐ケ窪信五郎(29歳、東閉伊郡飯岡村外四ケ村戸長役書役で自由民権運動家、後明治22年大沢村長、31年山田町助役、32 [続きを読む]
  • 47 横山久太郎 やまだの歴史人物誌(1〜56)
  • 47 やまだの歴史人物誌(1〜56)    47 三陸汽船(株)の創設と横山久太郎 岩手県沿岸に東京湾汽船(株)の汽船が就航していたが、経営の主体が県外の所管で制約もあり、不便であった。明治三十九年、気仙銀行建築のため同銀行重役および株主などが高田町に集合した際、三陸汽船のことが提議され賛成を得た。早速、銀行重役、株主が郡内外の有力者をはじめ石巻、塩釜および仙台の実業家、仙台市長、岩手県知 [続きを読む]
  • 47 横山久太郎 やまだの歴史人物誌(1〜56)
  • 47 やまだの歴史人物誌(1〜56)    47 三陸汽船(株)の創設と横山久太郎 岩手県沿岸に東京湾汽船(株)の汽船が就航していたが、経営の主体が県外の所管で制約もあり、不便であった。明治三十九年、気仙銀行建築のため同銀行重役および株主などが高田町に集合した際、三陸汽船のことが提議され賛成を得た。早速、銀行重役、株主が郡内外の有力者をはじめ石巻、塩釜および仙台の実業家、仙台市長、岩手県知 [続きを読む]
  • 46 福士喜伝治 やまだの歴史人物誌(1〜56)
  • 46 やまだの歴史人物誌(1〜56)    46 下北半島大謀網漁場開拓者 福士喜伝治 喜伝治は、屋号伝蔵屋、福士重七の長男として安政三年(一八五六)、大沢村に生まれた。若者になった喜伝治は漁師になり、沿岸において漁労に励んだ。やがて、喜伝治は先輩漁師たちと一緒に大謀網の先進地、千葉や小田原の大謀網の水夫として働き、ここで多くの知識や技術を身に付けて大沢に帰ってきた。その後、彼は漁船を所有 [続きを読む]
  • 45 安倍長俊 やまだの歴史人物誌(1〜56)
  • 45 やまだの歴史人物誌(1〜56)   45 山田の教育先駆者 安倍長俊 長俊は、天保八(一八三七)年、漢方医の父鑑貞(のりさだ)の子として江戸で生まれた。 七歳の時、父と共に郷里山田に帰った。向学心が強く、山田の和井内貞光について漢学を学び、十五歳の頃に盛岡に出、南部藩校作人館教授青木逸民について医術を修め、武蔵の人貫洞益斎、八戸の人高保玉江について書道を修めた。二十二歳の頃、仙台の人千葉吟教 [続きを読む]
  • 44 寺子屋 やまだの歴史人物誌(1〜56)
  • 44 やまだの歴史人物誌(1〜56)44 江戸期・明治維新期  地域の教育に貢献した人々 寺子屋(学習塾)は、江戸時代、庶民のための初等教育機関として、武士、僧侶、医者、神職などが師となり、手習い、読み方、そろばんなどを教えた。荒川村では佐藤武八郎、豊間根村では宝珠院の住職や法印(修験者)の芳賀氏、大沢村では南陽寺の住職、法印の上澤氏などが教育にあたった。山田村では、大久保塾が寛政六年(一七九 [続きを読む]
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