大叔父・大田節三の慕情 さん プロフィール

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大叔父・大田節三の慕情さん: 大叔父・大田節三の慕情
ハンドル名大叔父・大田節三の慕情 さん
ブログタイトル大叔父・大田節三の慕情
ブログURLhttps://blog.goo.ne.jp/toyo0181
サイト紹介文シアトルからロスアジェルスそして・・・胸の中に仕舞っていたものは・・
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供249回 / 365日(平均4.8回/週) - 参加 2015/12/12 21:23

大叔父・大田節三の慕情 さんのブログ記事

  • 半分、眠ってます!
  • 写真、部屋の中で撮っているときは、いい。外に出て、どこを撮ろうかと歩いた5分くらい、カメラのボディーが、卵を焼いたフライパンのよう、アッチチ!群馬、前橋から伊勢崎、38度を超え、前橋、金剛寺ではカブトムシが熱中症で治療を受ける前に道路で、ダウン!実際そうかは、わからないけど、ひっくり返っているのを見ていると、みんな熱中症ではないかと、葉っぱに乗せて供養。そんな今日。早めに寝ることにします。 [続きを読む]
  • あつい。
  • 暑いというより熱い。予報、東京より高温になる群馬を訪れていて、待ち合せの箕郷町の神主さん、一仕事を終えて戻って来ました。車、境内に入れるなり、バック、前進、またバック、自宅の玄関前まで、そのスピード、穏やかではない。車から荷物をだし終えて、ゆっくりお話を・・・・。その顔つき、もう熱中症状、足元フラフラだった。私は疑問が解けて、すっきり。けれど、人には言えない。どこまで続くのこの暑さ。心配していた [続きを読む]
  • 疳の虫、木鼻の龍鼻にひっくり返る、文治郎
  • 江戸で公儀彫物師、徳川家御用務めた高松又八郎邦教の愛弟子だった、異才石原吟八郎が亡くなったのは1767年。日光東照宮の修復を手掛ける又八郎の仕出として、又八に可愛がられ、息子吟八、星野政八、小倉弥八、大塚三次郎、石原常八郎、前原藤次郎、高瀬万之助、文治郎らに技を伝え、妻沼聖天堂で病に臥せってから、鑿をふるうことは無かった吟八郎。日光東照宮から関東特有の彫りは、上州花輪集団の彫師に代々、引き継がれ参拝者 [続きを読む]
  • 藤岡「秋葉神社」・剣客と戦う文治郎
  • 1780年、50歳文治郎は11月14日、箕輪村の「不動寺」の欄間を彫り上げると、息子、仙次郎と松次郎とともに、一旦は上田沢に戻り、そこで2人に給金を渡し、文治郎はすぐ、藤岡の「秋葉神社」に向かう。「秋葉神社」の大工、斎藤新蔵が手掛けてから30余年が経っている。幾度の中断を経て、完成がまもなく、文治郎が弟子の中で最も腕を買った、福田源治郎が最後の仕上げに、鑿をふるっている。文治郎には「秋葉神社」に特別な思い入 [続きを読む]
  • 熱田神社、50里文治郎鑿を背負って
  • 信濃,長野県も雨が降り、美和ダムも高遠ダムも放水していて、観ていると、今回の災害がフラッシュバックする。伊那長谷村の百数十戸の氏子が3最高の宮作りたいと300両の大金を集めた。33歳文治郎は、10年前、妻沼の聖天宮で仕事をした、宮大工棟梁、林兵庫守正清の門人、武州の池上善八郎のたっての願いで、黒保根村から50里200キロ離れた、信濃国伊那に金井村の善蔵と出向いた。文治郎の師匠石原吟八郎は、このころ、病気で伏す [続きを読む]
  • 早く 探して。
  • 泥を握って投げ合ったガキの頃の遊び、投げる前につぶれて、頭からかぶった泥傘を持たず雨宿りして、入れと言われて彼女の傘で、ドキドキした日。そんなもんじゃないんだ、ね、雨と泥土で、生活を一変させて、国の半分だよ、変わったのは、八王子だってテレビを抱えるほどの地震があって、天変地異、来るなら来いと、開き直りなど、報道を見ていたら、とても言えない。犠牲になる一瞬、思えば切ないね、悔しいね!生きたいと、 [続きを読む]
  • はまなす。
  • シラサギカヤツリ、教えてもらった名前。あのシラサギカヤツリ、どうなったでしょう?雨、まだ続くと・・・、家にいても、外に出ればなおさら、心配尽きないでしょう。被害はないか、買い物は出来るか、食べているか・・。2018.7.3 箱根 [続きを読む]
  • 文治郎のデビューは、極彩色で。
  • 関口文治郎が、妻沼の歓喜院に師匠石原吟八郎と、10里の道を急いだのは1750(推定)19歳の時。すでに、吟八郎の兄弟分、吉田茂八の弟子、のち江戸で名を残した、後藤茂右衛門や小沢五右衛門は、境内の掘っ立て小屋で、汗を流し、鑿を打ち込んでいた。1670年妻沼大火で失った聖天堂の再建は、1735年から妻沼の宮大工、名工林兵庫正清が一世を懸けていた仕事である。吟八郎が鑿を入れ、文治郎は仕出に精を出していたのだが、徐々に [続きを読む]
  • 宿稲荷・明治は間もなくそこに・・。
  •  文治郎が亡くなって、江戸後期、文治郎の兄弟分、石原常八郎の弟子たちは、自由闊達な想像力を、鑿の刃先に渾身の力を加えている。材質も、ぜいたくに厚い板に彫り込んだ重厚感に、一点一点に早まる鼓動を抑えきれない。『一見の価値あり」と教えてもらい、現地着けば、ちょっとがっかりして引き上げた、高崎市柏木沢「不動寺」の近く。石原常八稚一家の彫り物が、あるとは知らず、榛名神社で始まり、榛名神社で終わる、今回 [続きを読む]
  • 文治郎ンちの、猫?
  • 渋川市から「からっ風」街道、スピードを抑えてしまう、榛名山の風景に、風が心地よかった。彫し関口文治郎、関東の「左甚五郎」と言われる男、中国24史を題材にし、彫の鋭さ、柔らかさを自在にする技に、上州、武州、信濃の宮大工の棟梁はこぞって、文治郎を名指し、最後の作、榛名神社の海老紅陵まで人気は変わらなかった。24史は魅力のある彫刻とは思えないけど、花輪町の彫刻軍団をまとめ、後世に彫刻で名を遺し [続きを読む]
  • 伊達男・文治郎、榛名山麓で煙管ばっかし!
  • 榛名山の麓、箕郷の西明屋の氏子から神社の改装を依頼されたのは、1783年黒保根、上田沢で正月を過ごしたばかり。関口文治郎は次男松治郎を連れて、西明屋の八幡宮に出向き仕事の打ち合わせをしている。浅間山に噴火の煙がたち、噴火の焼砂が降り始めたのが7月7日。箕郷村は農作物が全滅し、荒れ地になってしまった。翌1784年は八幡宮の建立を中断し、浅間山の噴火が収まり、落ち着きを取り戻した、氏子たちは、八幡宮の建立に、 [続きを読む]
  • 山が燃える、文治郎、男盛り
  • 1979年黒保根、下田沢にささら舞いが伝わり、小さい太鼓から山間の医光寺の境内響いていたころ、その年10月、南の島桜島が大噴火し、島民の大半が焼け死んでいる。関口文治郎がその話を聞いたのは、1980年11月、桐生下田沢から10里離れた、箕郷村で、不動寺の境内の仮小屋で空っ風、寒さをしのぎながら、欄間に3つの24史彫っていた時。関東、文治郎の噂は、左甚五郎の生まれ変わりと、一際高い評判。箕郷柏木沢の農民は、4丁離 [続きを読む]
  • 人間、文治郎・桐生天満宮(序)
  • 群馬県黒保根,医光寺に中国24史を彫った関口文治郎は、3年前、1752年寝食を共にし師匠石原吟八郎が、病で亡くなり、あとを受け次いで、彫り上げた、武州(埼玉県)妻沼の聖天堂・本殿・幣殿。その出来は、多くの宮大工棟梁たちの眼に留っていた。それから25年経ち、文治郎47歳、このあたり、人間臭さがにプンプン、ここで気になり始めた。彫り物集団の頭になり、息子、仙次郎、松次郎は文治郎の弟子になって彫師の道。宮城村の「 [続きを読む]
  • 関口文治郎の彫刻(序)
  • 群馬県桐生市黒保根下田沢の医光寺に、中国24史の彫刻が、本堂の欄間飾られている。師匠、石原吟八郎之が亡くなって独り立ちした、関口文治郎の作。昭和37年3月25日「商工会たより」に、役場職員松島晃史が、欄間裏面に「宝暦6年、彫刻関口文治郎」と記録されていたのを発表したて判ったもの。む(宝暦6年=1753年)幼少から彫刻の才能に一目置かれた、文治郎。22歳の時に彫り終えた、透かし彫りに両面彩色。 [続きを読む]
  • オンマ谷、ちいさい「まゆみ」の花
  • 霧の榛名湖、歌唱「静かな湖畔」の、カッコウ、カッコウの唄が聞こえるユウスゲの道。1年、回った季節を待ったのは「まゆみ」の花咲く6月でした。群生地を教えて頂いて、機を逃してしまった昨年。今年は4月からそわそわしていた。観た!これで『まゆみ』の1年の節目を観ることができました。感謝です「山の師匠・おたか」さん。「御宿・カワセミ」の小説から知った「まゆみ」昨年から、ミーハーよろしく「追っかけ」だった。今年 [続きを読む]
  • 三峰神社 御影石から龍が出た!
  • 今日、部屋を閉め切っても寒く、オイル交換に出かけるときは、冬支度の格好だった八王子です。参拝する神社が煌びやかだと、いつものこと、手を合わせずに済ましてしまうことがあります。三峰神社も軽く頭を下げただけ。しかも、帽子をかぶったまま。これでは、秩父パワースポット三峰神社といえども、私へのパワーのご利益は、外されることでしょう。それでも、鳥居、三門を抜けるときはときは、必ず帽子をとってお辞儀をする。 [続きを読む]
  • 秩父三峰神社 手水舎
  • 三つ鳥居 あるいは 三輪(みわ)鳥居 ?小規模な2つの鳥居を組み合わせたもの午後5時に参拝して、1時間ばかりの見学。群馬県黒保根の彫師、関口文治郎が渾身を込めた彫刻。文治郎はこの後、榛名神社の彫を終えると生涯を閉じる。その生涯をたどりながら・・・。16紋菊 ??八棟木灯台 ??安政4年(1857年)建立した、高さ6メートル。・・・案内看板から手水舎 ??嘉永6年(1853年) 案内看板から手水屋に施 [続きを読む]
  • 秩父・三峰神社
  • 6月9日、秩父の町を抜けて三峰山裏参道に着いた午後1時。前回、中央道「勝沼」から西沢渓谷、大菩薩峠の麓、雲龍寺を訪れた道、国道140号ですが、今回は、その140号 ?彩甲斐街道を? 逆回りです。向かうのは山梨県勝沼インターまで。これで奥多摩の外周を一回りすることになります。いつもの通り寄り道ばかり、三峰山、荒川沿いに神庭(かにわ) 洞窟は、縄文時代の史跡があって、目的地の一つでした。登竜橋の入り口にある三峯 [続きを読む]
  • 好きです、菖蒲!
  • ようやくたどり着いた、昭和記念公園のラストシーン。菖蒲の花の投稿。ここでへまをした。菖蒲、訪れた5日には、ややしおれていたのに、投稿は今日。とはいえ、入園料シルバー210円、駐車場820円、払った、たくさんの見物客に、めかして、もてなしていたのに、知らんぷりは出来ない。やはり、投稿。来年、6月5日より息を切らして早くいけば、菖蒲、どの花もどの花も、手をふり、微笑むに違いない。菖蒲には日傘が似合 [続きを読む]
  • ワルナスビ・悪茄子
  • 東京立川市と昭島市にまたがる、昭和記念公園は、もともと、旧日本陸軍が飛行場にしていて、戦争が終わると、アメリカ占領軍が接収し、飛行場にしていた跡地であります。拡張工事で地元が反対し、流血事件などあり、地元民の戦いが、米軍の飛行場を1メートル冴え拡幅させないで、土地を返還させた、歴史がある。飛行場にあった建物の解体は、4〜5年くらい前まで・・。2016年の大ヒット映画「シン・ゴジラ」、日本政府の臨時指 [続きを読む]
  • 青・矢車菊
  • 最近、目が不自由になり、朝には頭痛の毎日、仕事はパソコンが今では不可欠になっていて、いつもこめかみを擦って、自然治癒とばかり。少し休養が大切と医師に言われたけど、山に登るのも、滝を観に行くのも、花を観に行くのも、休養じゃないのかと、思っていたのに、おおざっぱ。昭和記念公園の花です。?? 眼精疲労に効く花というけど、  花を観たら、煎じる気にはなりません。ヤグルマギクは、キク科・ヤグルマギク属に1 [続きを読む]
  • 賄いの前にうなだれ、チョウトンボに見習う。
  • 梅雨の雨籠り、風呂上りに、バーボンのロック。街頭の灯りに千条の糸、あの蝶は、トンボは、と・・。そんな抒情をひっくり返す、今日の天気はカンカン照り。姉さんかぶりの手ぬぐいを膝で払って、ドドンパ娘。かぶり、訳を聞けば一日家にいると、埃が舞っていると・・・。ヤッコに、湯?きのトマト、シジミの加薬飯の賄いの前に、返す言葉なく、聞こえないように、チッ!羽化して、午後。飛べ、跳べ、とべ〜!チョウト [続きを読む]
  • 美容柳(ビヨウヤナギ)
  • 葉隠れの小鳥も、肩寄せる雨、一鳴き、ハートまで作って嬉々として喜ぶ蛙。梅雨の都会、車のしぶきでは、あまりに風情がなさすぎる。梅雨籠り、避けられないのなら、樹々に葉にけむる、風景を眺めながら過ごしたいものです。昨日、昭島市・昭和記念公園で、半日。? 井の頭公園の水中・・・館?? ビヨウヤナギ写真 2018.6.5 昭和記念公園 [続きを読む]
  • 三ッ釜の滝、龍もびっくり
  • 私の小さい時の遊びは、堰堤や滝の水遊び。冷たい山の水に、震えては、近所の畑から無断で持ってきた、芋を焼いて食べたものでした。昨年、冬、氷柱になった滝を撮りに行った奥多摩の三ッ釜の滝。大岳山の中腹を流れる沢、夏の景色をと、出かけました。3日の日曜日。道中アメリカキャンプ場では、家族でバーベキューの人たちで一杯。三ッ窯の滝には、数人機材をもって、三脚の操作に無心なカメラマン。そんなカメラマンの心情を腐 [続きを読む]