古事記・日本書紀・万葉集を読む さん プロフィール

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古事記・日本書紀・万葉集を読むさん: 古事記・日本書紀・万葉集を読む
ハンドル名古事記・日本書紀・万葉集を読む さん
ブログタイトル古事記・日本書紀・万葉集を読む
ブログURLhttps://blog.goo.ne.jp/katodesuryoheidesu
サイト紹介文コピペで学位は自己責任で。 「上代語ニュース」にまとめも。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供83回 / 365日(平均1.6回/週) - 参加 2015/12/13 00:06

古事記・日本書紀・万葉集を読む さんのブログ記事

  • 記紀の諺「さばあま」について 其の三
  • (承前)(注)(注1)サバメクはサワグ(騒)と同義の語であるかと解されている。その可能性はまったくない。上代語に、「騒ぐ」はサワクと清音で、sawaku と sabameku との間には音に開きがある。ワ音とバ(ハ)音との峻別がないのなら、アハ系統のアハ(粟)、アハシ(淡)と、アワ(泡・沫)とが異なる音で異なる言葉、異なる意味を持つことはなくなる。上代に、阿波(あは)の国は泡(あわ)の国で泡沫国だと揶揄された例はな [続きを読む]
  • 記紀の諺「さばあま」について 其の二
  • (承前) 鯖読みという言葉は、語用論的に首を傾げたくなる言い方である。ヤマトコトバの「よむ」と性格が大きく異なっている。古典基礎語辞典に、「一つずつ順次数えあげていくのが原義。古くは、一定の時間的間隔をもって起こる事象に多く用いた。一つ一つ漏らさずに確認・認知する意。」(1304頁、この項、筒井ゆみ子)とある。一対一対応をしていなければ「よむ(読・詠・数)」ことにならないはずなのに、そうなっていないケ [続きを読む]
  • 記紀の諺「さばあま」について 其の一
  •  処処(ところどころ)の海人(あま)、訕?(さばめ)きて命(みこと)に従はず。訕?、此には佐麼売玖(さばめく)と云ふ。則ち阿曇連(あづみのむらじ)の祖(おや)大浜宿禰を遣して、其の訕?(さばめき)を平(たひら)ぐ。因りて海人の宰(みこともち)とす。故、俗人(ときのひと)の諺に曰く、「佐麼阿摩(さばあま)」といふは、其れ是の縁(ことのもと)なり。(応神紀三年十一月条) 以上が紀に記された「さばあま」 [続きを読む]
  • 阿曇連とは誰か 其の二
  • (承前) 養蚕のために葉を取るとき、桑はその年に徒長した枝ごと切り取ることが行われた。高くなりすぎると取りにくくなるから切り戻して作られていた。ツミ(柘)とおそらくは同音の罪(つみ、ミは甲類)を犯したら、野放しにはされずに一列に並ばされて謹慎処分として丸坊主にさせられたというに相当である。桑の葉を畦道で摘んでいる。ア(畦・畔)+ツミ(摘、ミは甲類)と受け取れる。つまり、どのように考えても、アヅミと [続きを読む]
  • 阿曇連とは誰か 其の一
  •  アヅミ(ミは甲類)という姓名、地名には、記紀に、阿曇という用字が使われている。他の用字は見られない。「曇」字をヅミと訓むのは、上古音に由来するドム→ヅム→ヅミの音転とされている。記紀には阿曇氏にまつわる逸話が散見される。万葉集では「安曇」字になっている。 其の底筒男命(そこつつのをのみこと)・中筒男命(なかつつのをのみこと)・表筒男命(うはつつのをのみこと)、是れ即ち住吉大神(すみのえのおほかみ [続きを読む]
  • 稲荷神社と稲荷寿司
  • 伏見稲荷大社のキツネ像稲荷神社に、どうしてキツネがいるのでしょうか?稲荷神社は、お米の神さまのための神社です。イナリに漢字で「稲荷」と書きあてたからです。「稲」はお米のこと、「荷」は荷袋のことです。米は「コメ」で、米粒を荷袋に「コメル」、何の不思議もありません。そうか、なるほど、イナリは「稲荷」のことだから、コメをコメるんだ、と悟りました。コメコメ → コムコム → コンコンそれってキツネの鳴き声じゃ [続きを読む]
  • 水天宮の犬の置物
  • 水天宮の犬の置物(トリップアドバイザー提供)水天宮の張り子の犬の置物は、安産のお守りとして親しまれている。頭に籠をかぶっている。なぜだろうか?人に聞いてみました。A氏の説:竹冠に犬と書くと「笑」という字に見えるでしょう。B氏の説:籠には魔除けの力があると信じられてきたからです。私にはどちらの説も隔靴掻痒で、納得が行きませんでした。そこで、もう一人、聞いてみることにしました。ただ、このご老人は狷介な方 [続きを読む]
  • 「埴輪」命名譚 其の三
  • (承前)(注)(注1)むりやり殉死させられる風習があったかについて必ず引かれる文献に、垂仁紀以外に3つある。魏志倭人伝の「卑弥呼以て死す。大きに冢を作る。径百余歩、徇葬する者、奴婢百余人。」、崇神記の「次に、倭日子命(やまとひこのみこと)。此の王(みこ)の時に、始めて陵(はか)に人垣(ひとがき)を立てき。」、孝徳紀大化二年三月のいわゆる薄葬令記事の、「凡そ人死亡(し)ぬる時に、若しは自(おのれ)を経 [続きを読む]
  • 「埴輪」命名譚 其の二
  • (承前) 日本書紀に、地名や人名、物名などの縁起を示すために取られる「号二○○一曰(謂)二△△一」の形のうち、○○にコノ、ソノといった指示詞が入るケースは全部で47例ある。そのうちのほとんど、43例は指示詞が「其」である。 故号二彼地一曰二竹屋一。(神代紀第九段一書第三) 因改号二其津一曰二盾津一。(神武前紀戊午年四月) 時人因号二其地一曰二母木邑一。(〃) 時人因号二其処一曰二雄水門一。(〃) 因号 [続きを読む]
  • 「埴輪」命名譚 其の一
  •  垂仁紀に、それまでの殉死の風習を嫌い、埴輪を置くようになったとの言い伝えが載る。 倭彦命(やまとひこのみこと)を身狭(むさ)の桃花鳥坂(つきさか)に葬(はふ)りまつる。是に、近習者(ちかくつかへまつりしひと)を集(つど)へて、悉(ことごとく)に生けながらにして陵(みさざき)の域(めぐり)に埋(うづ)み立つ。日を数(へ)て死なずして、昼に夜に泣(いさ)ち吟(のどよ)ふ。遂に死(まか)りて爛(く)ち [続きを読む]
  • 大森 海苔のふるさと館 ご案内
  • 海苔と書いて「のり」と読みます。不思議です。宮下章『海苔』(法政大学出版会(ものと人間の文化史111)、2003年)があるから見てみます。わかりません。大田区に、大森 海苔のふるさと館があります。海苔のイロハを悟りに行ってみました。ちょうど「絵画の中の海苔づくり」展(〜10月14日)をやっていました。チラシの表に、大日本物産図会 武蔵国浅草海苔製図(三代歌川広重、明治10年(1877))が掲げられています。(大田区 [続きを読む]
  • 「事の 語り言も 此をば」考 其の二
  • (承前)(注)(注1)「事の語り事も 此をば」の「此(こ)」について、いま歌われた歌の歌詞のことではないとする説もある。青木2015.に、「是[(此)]の指示内容を一首一首の歌詞に限定すべきではな」く、「〈問答〉として展開する「語り言」を指示する語としての「是をば」のあり方を認めてよいのではないか」(174頁)とする考え方も提案されている。「事の語り言」=「是[(此)]」とするという説に基づいている。それ [続きを読む]
  • 「事の 語り言も 此をば」考 其の一
  •  記の歌謡に、コトノカタゴトモコヲバ(事の 語り言も 此をば)という慣用表現がある。記2〜4、記100〜102歌謡である。「神語」、「天語歌」と記されている。記2・3歌謡に、イシタフヤアマハセヅカヒ(いしたふや 海人/天馳使)という語が冠する場合も見られる。 八千矛(やちほこ)の 神の命(みこと)は 八島国 妻枕(ま)きかねて 遠遠(とほとほ)し 高志(こし)の国に 賢(さか)し女(め)を 有りと聞かして  [続きを読む]
  • 万葉集1357番歌「足乳根乃母之其業桑尚願者衣尓着常云物乎」について
  •  万1357番歌は、難訓というほどではないがよくわかっていない。 足乳根乃母之其業桑尚願者衣尓着常云物乎 先行研究として、いくつか訓読文と現代語訳を提示する。 たらちねの 母(はは)がその業(な)る 桑(くは)すらに 願(ねが)へば衣(きぬ)に 着(き)るといふものを 母が生業(なりわい)として育てている桑の木でさえ、ひたすらお願いすれば着物として着られるというのに。(伊藤1996.) たらちねの 母(は [続きを読む]
  • 魏志倭人伝「鵲」記録の新発見
  •  筆者は魏志倭人伝について、新しい発見をした。 魏志倭人伝に、「其の地には牛・馬・虎・豹・羊・鵲無し。」とある。牛・馬・虎・豹・羊といった四足獣をあげる理由は、農耕への利用を含めた牧畜や、狩猟による毛皮や獣肉獲得の観点から意識にのぼるから指摘されて当然であろう。しかし、なぜ、鳥類のカササギに着目して叙述しているのか不思議である。かささぎ(堀田雅敦編・禽譜・林禽、寛政〜天保年間写、18〜19世紀、東京国 [続きを読む]
  • 捕鳥部万と犬の物語 其の二
  • (承前) だから、話を展開させるのに、ここにわざわざ「符」といった小道具を仕立てている。そしてまた、命令として、「斬二之八段一、散二-梟八国二」としている。「八」は八百万(やほよろづ)というように数の多いことを表そうとしているに違いない。処罰する相手の名は「万」である。「万」をずたずたに斬って串に刺して曝せと言っている。そしてまた、死に際に弓を「三(みきだ)」に截断していた。それと同じことをして、 [続きを読む]
  • 捕鳥部万と犬の物語 其の一
  •  物部守屋と蘇我馬子が物部守屋を滅ぼした時の記事は崇峻天皇前紀にある。その際、物部守屋一族が殺されたのち、郎党は散り散りに逃げまぎれて命を保ったが、難波の邸宅を守っていた資人(つかひと)捕鳥部万(ととりべのよろづ)ばかりは、馬に乗って逃げて山に隠れたのに、追手が迫ってきたので抵抗し、結局自刃したとする記述が載っている。故事として、捕鳥部万の勇猛さや、その飼犬の忠犬ぶりを伝える語り物としては行われて [続きを読む]
  • 日本民家園の曲屋と馬について
  • 曲屋の馬と馬槽(旧工藤家住宅、江戸時代中期、寄棟造、茅葺、日本民家園展示物) 「工藤家住宅の旧所在地は岩手県紫波郡紫波町である。この工藤家の形式でもある「南部の曲屋」は、盛岡を中心とする旧南部藩領という、比較的限られた地域内に分布する特異な民家形式である。L字型の平面を持ち、突出した土間の先端にウマヤを置くが、こうした内厩の形式は北国の民家のものである。特に春の短い東北地方北部では、農耕のためには [続きを読む]
  • 小高吉三郎『日本の遊戯』羽田書店、昭和18年
  • の「記録から見た遊戲年表」に、●すごろく(隻六)(日本書紀、持統天皇三年(皇紀1350年))●ゐご(圍碁)(大宝律令、文武天皇大宝元年(皇紀1360年))とあるのが、我が国において古い記録のようです。 なお、そこには、ボードゲーム以外も含めた遊戯一般の最も古い記録に、●きのぼり(木登り)(日本書紀・神代)とあります。以上、「教え」ました。 [続きを読む]
  • 仁徳記、黒日売説話について 其の二
  • (承前) 記56歌謡では、現在の校本と異なるところが真福寺本に見える。 ……志多用波閇都々……(兼永本)(注12)……志多用波―門都々……(真福寺本)(国会図書館デジタルコレクションhttp://dl.ndl.go.jp/view/jpegOutput?itemId=info%3Andljp%2Fpid%2F1184140&contentNo=5&outputScale=1(5/38)) これは、「したよ鳩(はと)伝(つ)つ」と訓める。呼びかけている歌だから声が通らなければならない。ハトクサならぬハ [続きを読む]
  • 仁徳記、黒日売説話について 其の一
  •  仁徳記には、皇后の嫉妬に国に還った黒日売の説話が載る。はじめに現状で一般的な訓みの一例を示す。 其の大后(おほきさき)石之日売命(いはのひめのみこと)、甚(いと)多く嫉妬(うはなりねた)みたまひき。故、天皇の使へる妾(みめ)は、宮の中(なか)を臨むこと得ず。言(こと)立つれば、足もあがかに嫉妬しき。爾くして、天皇、吉備の海部直(あまべのあたひ)の女(むすめ)、名は黒日売(くろひめ)、其の容姿(か [続きを読む]
  • 日本書紀における「銀」字単独使用の意味について
  •  日本書紀において、「銀」と記されている記事の多くは、「金銀」とともにあげられている。その数は20例に及ぶ。貴金属の意味で、鍍金や象嵌ほか工芸品に残されている。本邦において記録として鉱石の「銀」がはじめて産出したのは、天武紀三年三月のことである。 三月の庚戌の朔丙辰に、対馬国司守(つしまのくにのみこともちのかみ)忍海造大国言さく、「銀(しろかね)始めて当国(このくに)に出でたり。即ち貢上(たてまつ) [続きを読む]
  • かやぶき屋根のひみつ
  • 「かやぶき屋根のひみつ」岐阜市立明郷小学校4年丹羽彩柚子さん(平成25年度岐阜市児童生徒科学作品展4年生金賞受賞http://www.gifu-gif.ed.jp/science/kagaku_sakuhin/H25/PDF/11.pdf) [続きを読む]
  • 仲哀記の「是以知坐腹中国也」について
  •  仲哀記の「是以知坐腹中国也」という一文は定訓を得ていない。 帯中日子天皇坐穴門之豊浦宮及筑紫訶志比宮治天下也此天皇娶大江王之女大中津比売命生御子香坂王忍熊王二柱又娶息長帯比売命是大后生御子品夜和気命次大鞆和気命亦名品陀和気命二柱此太子之御名所以負大鞆和気命者初所生時如鞆宍生御腕故著其御名是以知坐腹中国也此之御世定淡道之屯家也 「是以知坐腹中国也」という文について、新校古事記に、諸説の整理と問題点 [続きを読む]