古事記・日本書紀・万葉集を読む さん プロフィール

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古事記・日本書紀・万葉集を読むさん: 古事記・日本書紀・万葉集を読む
ハンドル名古事記・日本書紀・万葉集を読む さん
ブログタイトル古事記・日本書紀・万葉集を読む
ブログURLhttp://blog.goo.ne.jp/katodesuryoheidesu
サイト紹介文コピペで学位は自己責任で。 「上代語ニュース」にまとめも。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供117回 / 365日(平均2.2回/週) - 参加 2015/12/13 00:06

古事記・日本書紀・万葉集を読む さんのブログ記事

  • 天寿国繍張の銘文を内部から読む 其の六
  • (承前)(注18)原文に、「我大王與母王如レ期従遊」とあり、どのようなところかはさておいてもあの世へ行っている。そして、「我大王応生二於天寿国之中一」と言い、「彼国之形眼所叵レ看」と言っている。そして、「欲レ観二大王住生之状一」と言っている。「住生」を「往生」と通用すると捉える説もあるが、「往生之状」とは、阿弥陀如来に導かれる場面が連想される。彼女の訴えは、「我大王與母王」がすでに辿りついて生活して [続きを読む]
  • 天寿国繍帳の銘文を内部から読む 其の五
  • (承前)(注1)鎌倉時代に、中宮寺の尼僧、信如が、同寺の復興にあたって、寺の本願と伝えられる穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)の忌日を知りたくなった。夢のお告げに繍帳の銘文に記されていると教えられ、法隆寺綱封蔵の泥棒騒ぎのおかげで調査ができ明らかとなった。繍帳はすでに劣化が始まっていたが、当時の専門家が銘文を解読した。それが、上宮聖徳法王帝説に記され、他に、宮内庁書陵部蔵の中宮寺尼信如 [続きを読む]
  • 天寿国繍帳の銘文を内部から読む 其の四
  • (承前)「孔部間人」の意味 アナホベノハシヒトさんは、アナホベノハシヒトというからには、穴に穂が入っていて端っこにいる人というイメージが浮かぶ。穴に穂を入れて端っこに人がいる様子とは、鳥を捕まえるために罠を張って待っている人というニュアンスがある。それは古代、鳥取部(ととりべ)、鳥飼部(とりかひべ)と呼ばれた職掌の人たちがしていた。穴を掘ってそこへ餌を置いてよび込み、蓋して出られなくして捕まえる方 [続きを読む]
  • 天寿国繍帳の銘文を内部から読む 其の三
  • (承前)「遊」=ユク そして、「遊」はユクと訓む。紀では、「遊行」に多く敬語のイデマスを当てるなか、 天孫(あめみま)の前(みさき)に立ちて、遊行(ゆ)き降来(くだ)り、……(神代紀第九段一書第四)とある。白川、前掲書に、「ゆく〔行・去・往(徃)〕 四段。目的のところに向かって進行する。歳月などが過ぎゆくことをもいう。持続的に経過してゆく意。死ぬことをいうことがある」(776頁)とある。万葉仮名で、 [続きを読む]
  • 天寿国繍帳の銘文を内部から読む 其の二
  • (承前)「天寿国」=テムジクニ 「天寿国」的な考え方について、飛鳥時代にそのような考え方があったのか議論されている。太子にそういう信仰があったかどうかも突き詰められている。亡くなった人が再度生きるところとして考えられるのは、「世間虚仮 唯仏是真」などとあるから仏教の教えであって浄土ということになり、阿弥陀仏による西方(さいほう)極楽浄土、弥勒菩薩による兜率天(とそつてん)浄土、釈迦による霊山(りょ [続きを読む]
  • 天寿国繍帳の銘文を内部から読む 其の一
  • (サマリー) 天寿国繍帳の銘文は、飛鳥時代、ヤマトコトバによって記されたもっとも古い文献記録の一つである。事は、聖徳太子の死去に伴い、夫人の橘大女郎がノイローゼに罹って、推古女帝に嘆願したことに始まる。太子が行ったと妄想する「天寿国」はテムジクニ(「天竺」に)と訛った語、「母王」と糸を撚るように相次いで亡くなっていることから、それを捉え返して撚り糸を使って刺繍を施した。干支の「癸酉(みづのととり) [続きを読む]
  • 鎌倉時代の鎌倉
  •  鎌倉へ行って、鎌倉時代の鎌倉の雰囲気はなかなかつかめません。お寺はお寺ですから生活感がわかず、それは古墳というお墓を見て古墳時代をわかれと言われて困るのと同じです。そんな事情を一気に私費でわかるようにしてしまったところが、「北条小町邸跡(M'sArk KAMAKURA)」(鶴岡八幡宮前から徒歩2分、見学無料、常識的な時間帯に開いていると思います)です。発掘調査からして文化財保護法によって私費とのことです。その印 [続きを読む]
  • 一言主大神について 其の二
  • (承前) 記では、最終的に、一言主大神は「打手受其捧物」ている。狼が手を打つかどうか知らないが、オオカミを家畜化したイヌを見ていると、「お手」をする。飼い主との間の究極の主従関係を示している。しつけの進化形である。ここで、一言主大神が「打レ手」をしている。拍手(かしはで)を打っているらしい。その音は、パチ、ないし、バチであろう。上代に書記するなら、ハチである。ハチは鉢、托鉢のハチである。仏者同様の [続きを読む]
  • 一言主大神について 其の一
  •  雄略天皇時代に、葛城の一言主神の逸話がある。 又、一時(あるとき)に、天皇の葛城山(かづらきやま)に登り幸(いでま)しし時、百官(もものつかさ)の人等(ひとら)、悉く紅の紐を著けし青摺(あをずり)の衣を給はり服(き)き。彼(そ)の時に、其の向へる山の尾より、山の上に登る人有り。既に天皇の鹵簿(みゆきのつら)に等しく、亦、其の装束(よそひ)の状(さま)と人衆(ひとかず)、相(あひ)似(の)りて傾( [続きを読む]
  • ヤマトタケルノミコト論 其の三
  • (承前)(注1)津田左右吉『津田左右吉全集 第一巻 日本古典の研究 上』(岩波書店、昭和38年)に、「クマソタケルがヤマトタケルの名を命に上つたといふのも、また説話であつて、ヤマトタケルといふ語はクマソタケル、また古事記の此の物語のすぐ後に出てゐるイヅモタケルと、同様ないひ表はし方である。即ちクマソの勇者イヅモの勇者に対してヤマトの勇者といふ意義である。それがヤマトの物語作者によつて案出せられたものであ [続きを読む]
  • ヤマトタケルノミコト論 其の二
  • (承前) 日本書紀では熊襲討伐の話の初めから、「日本武尊」という名で登場している。古事記では命名譚らしく、話の最後に「倭建命」として書き表わされている。これをヤマトタケルノミコトと言ったか、ヤマトタケノミコトと言ったかが目下の課題である。語幹にタケ(ケは甲類)とする語は、形容詞のタケシ、動詞のタケブ、タケル、名詞のタケルがある。丈・竹・茸・岳・高などのタケはケが乙類なので別語である。  勇みたる  [続きを読む]
  • ヤマトタケルノミコト論 其の一
  •  記紀の説話に、ヤマトタケルという有名人が登場する。 是に天皇、其の御子の建(たけ)く荒き情(こころ)を惶(おそ)りて詔(のりたま)はく、「西方(にしのかた)に熊曽建(くまそたける)二人有り。是れ伏(まつろ)はず礼(ゐや)無き人等(ひとども)ぞ。故、其の人等を取れ」とのりたまひて、遣はしき。此の時に当りて、其の御髪を額に結ひき。爾に、小碓命(をうすのみこと)、其の姨(をば)倭比売命(やまとひめのみ [続きを読む]
  • 力士余話
  •  拙稿「相撲と力士 其の一」以下に詳論したとおり、ヤマトに自然発生した相撲(すまひ)の強力者(ちからびと)は、仏教の中国化した金剛力士を、観念の上で受容する際に基盤となった(注1)。大陸の思想に、力士には辟邪の気持ちが込められている。つまり、金剛力士とは、相撲を取るほどに強い門衛の人として捉えられた。本邦の金剛力士像としては、法隆寺中門金剛力士像や長谷寺法華説相図が古い。それ以前のものとして参照さ [続きを読む]
  • 犬の遠吠え
  •  人間の言葉に、擬態語、擬音語、擬声語と呼ばれる分野がある。オノマトペとして一括されることもある。 人が人の声を写すことは、それほど難しくないかもしれないが、動物の鳴き声を言葉に写すことは、かなり、文化的な恣意性を持っていると思われる。ニワトリの鳴き声が、現在の日本人は「コケコッコー」と表現することが多いが、江戸時代では「トウテンコウ(東天紅)」と表していた。英語では「クックドゥードゥルドゥー(Co [続きを読む]
  • 相撲と力士 其の四
  • (承前)(注7)地名説にはいくつかある。最近のものとしては、井上さやか「「池神の力士舞」再考」『万葉古代学研究年報』第13号(奈良県立万葉文学館、2015年3月)に、「奈良県磯城郡田原本町法貴寺の「池坐朝霧黄幡比売神社」である蓋然性が高い」(13頁)とする。伎楽が頻繁に行われていたところとの考えが通用していたとしても、歌の作者が、別のところではなく、わざわざ「池神」を選んで用いていることの配慮について検討し [続きを読む]
  • 相撲と力士 其の三
  • (承前)頓智の塊としてのヤマトコトバ 樋の導管が丸いから、水の栓に丸い円座・藁蓋(わらうだ、わらふた)が譬えられている。和名抄に、「円座 孫愐に曰く、?〈徒口反、上声之重、俗に円座と云ふ、一に和良布太(わらふた)と云ふ〉は円き草の褥也といふ。」とある。藁でできた縄をまるく巻くようにして結いつけ、座布団状にしたものである。大阪府大阪狭山市の狭山池からは、さまざまな時代の樋の口の遺構が出土している(注 [続きを読む]
  • 相撲と力士 其の二
  • (承前)スマヒ(相撲)とは何か スマヒという語は、動詞スマフ(拒)の連用形名詞であろう(注10)。和名抄に、「相撲 漢武故事に角觝〈丁礼反、訓突と同じ〉は今の相撲なり。王隠晋書に云はく、相撲〈撲音、蒲角反、須末比(すまひ)、本朝相撲記に占手・垂髪・総角・最手等の名の別有り、亦立合相撲長有る也〉は下伎也といふ。」とある。相手の攻撃をふせぐことを、拒絶する意、スマフという語によって表現している。スマヒは [続きを読む]
  • 相撲と力士 其の一
  •  ヤマトコトバに相撲(すまひ、ヒは甲類)は、犢鼻(たふさき)を腰にまわして互いに引きつけあって舞うようにした力比べである。力士(ちからびと)同士の取り組みで、頭髪の一部を剃っていて、アオサギの風情を醸し出している。万3831番歌にある力士舞の歌とは、従来説かれてきた伎楽にばかり由縁を求めても理解しえない歌で、本邦の相撲文化の上に歌われた歌である。民俗に竿灯の桙として伝わっている。本稿は、雄略紀の女相撲 [続きを読む]
  • 允恭天皇即位固辞のわけ 其の二
  • (承前) 古事記で、大国主神の国譲りの話のなかで、事代主神に「十掬剣(とつかのつるぎ)」を見せつけて応諾させた後、建御名方神(たけみなかたのかみ)というもうひとりの子にも聞くことになっている。 故、其[建御雷神]の御手を取らしむれば、即ち立氷(たつひ)に取り成し、亦、剣の刃に取り成しき。故、爾くして、懼(を)じて退き居りき。(記上) 建御名方神が建御雷神の手を取る場面で、建御雷神あるいは十掬剣は「 [続きを読む]
  • 允恭天皇即位固辞のわけ 其の一
  •  允恭天皇(雄朝津間稚子宿禰天皇(をあさづまわくごのすくねのすめらみこと))は、仁徳天皇と、嫉妬深い皇后、磐之媛命(いはのひめのみこと)との間に生まれた第四子である。同母の兄には、去来穂別天皇(いざほわけのすめらみこと)(履中天皇)、住吉仲皇子(すみのえのなかつみこ)、瑞歯別天皇(みつはわけのすめらみこと)(反正天皇)がいる。異母兄弟に、大草香皇子(おほくさかのみこ)と幡梭皇女(はたびのひめみこ) [続きを読む]
  • 十握剣(とつかのつるぎ)を逆(さかしま)に立てる事
  •  十握剣(十掬剣)(とつかのつるぎ)が「逆(さかしま)」に立つ例は、次の3例である。はじめに、今日、ほぼ定訓とされている形で示す。 二(ふたはしら)の神、是に、出雲国の五十田狭(いたさ)の小汀(をはま)に降到(あまくだ)りて、則ち十握剣(とつかのつるぎ)を抜きて、倒(さかしま)に地(つち)に植(つきた)てて、其の鋒端(さき)に踞(うちあぐみにゐ)て、大己貴神(おほあなむちのかみ)に問ひて曰はく、… [続きを読む]
  • 剣大刀(つるぎたち)について
  •  万葉集のなかで、ツルギタチの語があるのは、次の22例である。ツルギの字には、釼(13例)、剱(1例)、??(3例)、劔(2例)、また、仮名書きで、都流伎(2例)、都流藝(1例)と用いられている。枕詞とされている「剣大刀(つるぎたち)」として万葉集中に、それがかかる語は、(a)「身に添(副)ふ」(万194・217・2637・3485)、(b)「磨(と)ぐ」(万3326・4467)、(c)「斎(いは)ふ」(万3227)、(d)「名(な)」(万616 [続きを読む]
  • 「族(うがら)負けじ」について 其の二
  • (承前) また、天秤棒の場合も、両側が釣り合うように荷や錘をかけている。荷を担ぐに際しては真ん中に人の肩がくる。鵜飼いの場合も、鵜籠を前と後ろに掛け、それぞれの籠に多ければ4羽ずつ鵜を入れて鵜舟へ運んでいる。この場合、必ず天秤棒の前と後ろに籠を掛ける。2羽だけ運ぶ場合にも、前籠、後籠に1羽ずつ入れて運ぶ。バランスがとれていなければ天秤棒は担げない。釣り合いのないチギリはあり得ない。「婚姻は、両性の合 [続きを読む]
  • 「族(うがら)負けじ」について 其の一
  •  族(うがら)という語は、親族の内でも限られた範囲を指すとされている。同じ「族」という字を用いても、ヤカラはかなり範囲の広い一族郎党のことを指す。では、ウガラという語はどのような結び付きを表しているのであろうか。 家族や一族があるのは、もとより婚姻によって子供ができて家族の成員が増えていくことに依る。子どものいない独身の高齢者は、親族に含まれることはあっても自ら親族を構成していくことはほとんどない [続きを読む]
  • 井戸への呪詛話
  •  雄略紀に、井戸(注1)を呪詛する話が載る。 是月、御馬皇子(みまのみこ)、曾(いむさき)より三輪君身狭(みわのきみむさ)に善(うるは)しかりしを以ての故に、慮(みこころ)遣(や)らむと思欲(おもほ)して往(い)でます。不意(おもひのほか)に、道に邀軍(たふるいくさ)に逢ひて、三輪の磐井(いはゐ)の側(ほとり)にして逆(あひ)戦ふ。久(ひさ)にあらずして捉はる。刑(つみ)せらるるに臨みて井を指して [続きを読む]