相撲史研究者・田中 健 さん プロフィール

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相撲史研究者・田中 健さん: 相撲史に関心・興味のある方どうぞ
ハンドル名相撲史研究者・田中 健 さん
ブログタイトル相撲史に関心・興味のある方どうぞ
ブログURLhttps://blog.goo.ne.jp/k3tanaka_1948
サイト紹介文江戸勧進相撲以来の相撲史を中心に関聯事項 に対する私見・愚考を発表しています。
自由文 去る十月、訪問者数が延べ30万人を
突破いたしました。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供741回 / 365日(平均14.2回/週) - 参加 2015/12/21 09:32

相撲史研究者・田中 健 さんのブログ記事

  • “入れ掛け”は「休数」から除外
  • ※昨日の閲覧…831・訪問…201トータル訪問者数 457,418 彦山光三の還暦記念出版『横綱傳」━その「列伝」には、各々横綱力士の「幕内本場所成績」ならびに「同時代大関成績表」が載っているが、遺憾ながら100%正確とは言い難い。それには「休数」も書いてあるが……。 例えば、横綱雲龍久吉の幕内綜合成績で休数を24としてきたが、このほどの「初日」入れ掛け判明によって、23が正確━改訂せねばらぬ。 尚、入れ掛けの他、 [続きを読む]
  • 2場所連続の“入れ掛け”
  •  我国最高の相撲文献とされる『日本相撲史』━「上巻」記事の疎漏さが明らかになった。 同書369頁、萬延元年冬場所の記述━。…五日目は雨天のため、中入後の勝負は中止… 問題はその翌場所、萬延二(1861)年春場所である。 初日は、雲龍・境川の両大関はじめ、14人の幕内力士星取表に「や」印がつけられている。〔全休の錦木と引退の大嶽を除く〕 この度、…博物館より当場所の幕内取組順を照会し、回答を得た。 翌二日目以 [続きを読む]
  • 江戸期に「天竜」はいなかった
  • ※昨日の閲覧…1,242・訪問…207トータル訪問者数 457,217 江戸時代の神風・玉ノ海に続いては、民放の相撲解説で好評を博した「天竜」。 『江戸……名鑑』に拠れば、同名皆無で天龍山綱右エ門が寛政期の幕下に…。 その“一桁”まで上っていないので、果して幕内力士と対戦したか・どうか…。 尚、現協会の流れを汲む大日本相撲協會番附ではすべて「天竜三郎」と書かれており、“亜流”の関西…協會の「天龍…」は採らない。 [続きを読む]
  • 強くなったやついない
  •  信頼性100%に程遠い『江戸時代相撲名鑑』に拠れば、玉ノ海8人━。玉ノ海権次 江戸の幕下 寛政〜文化?欄外記載はほんとに幕下格なのか。幕下→序二段→三段目→序二段→序ノ口この経歴に疑問の余地は……?玉ノ海幸松 江戸の序二段 文化期?本当に2場所で消えたのか。玉ノ海次太郎 江戸序二段 文政期?在位5場所で三段目へ上れず…?玉ノ海秀吉?巡業番附だからカットしたい。玉ノ海玉八 江戸の幕下 嘉永〜安政?本場 [続きを読む]
  • 全敗が消えた星 その289
  • ※昨日の閲覧…1,240・訪問…235トータル訪問者数 457,010 昭和四十六年九州場所、初日から五日目までの星取表を真っ黒に塗り潰したのは、元関脇栃東と、“あんこ”義ノ花だった。 翌六日目、両力士とも白星で連敗脱出━幕内全敗が消えている。 当場所、「三賞」選考に“異変”が…。殊勲・敢闘・技能…各1人〔もしくは「該当なし」〕計3名〔以内〕受賞だったのに、輪島・富士櫻の両者が敢闘賞に。 この頃から、選考基 [続きを読む]
  • 江戸に…神風2人・玉ノ海8人
  •  「相生」から始る『江戸時代 相撲名鑑』で、著名力士と同字・同名を鳥渡ばかり…。 「神風…」 幕末の関脇に2人いたそうな。ところが“巡業番附”なので、通常の力士と同列にあつかうわけにはいかないのだ。 その理由は、大関・関脇・小結を東西に各々1名欠くことができず、下位の“無名”力士をもってくる。 だから、精々セミプロ級の大関だって…。昔の看板大関よりも駄目なやつが…。 兎に角、正規の本場所と巡業とを [続きを読む]
  • 「一門意識」消滅せず…
  • ※昨日の閲覧…1,069・訪問…233トータル訪問者数 456,775 「貴乃花一門」の名称が話題になっているが、最後の「取締」役だった二所ノ関勝巳理事(大鵬の師匠=元大関佐賀ノ花)が昭和五十年三月急逝後、元関脇金剛正裕が総帥即理事就任まで実に30年余「二所ノ関理事」不在にも拘らず、「二所ノ関一門」と称していたのを合点しなかった。 自由民主党派閥の如く、「旧二所ノ関一門」との呼称が穏当だと愚考していた。 佐賀ノ花は、 [続きを読む]
  • 三役陣の出欠情況 その128
  •  文政十一(1828)年冬場所の三役陣。大関〔横綱〕阿武松 8日間を出場西大関   稲 妻 5日間を出場東関脇   岩戸山 七日目から休場西関脇   緋 縅 8日間を出場東小結   荒 馬 楽日のみ不出場西小結   鳴 滝 2日間のみ出場西方小結格 秋津風 楽日のみ不出場 当場所、三日目に緋縅は幕尻春日山に休まれた〔現代なら不戦勝〕と思える。 横綱2場所めの阿武松も六日目は小結鳴滝に休まれたのかも知れな [続きを読む]
  • 明治34年 3字名>2字名
  • ※昨日の閲覧…1,052・訪問…296トータル訪問者数 456,542 さきに明治六年春〜二三年夏の35場所は全て3字名力士優勢の旨、既述した。 明治三十年夏から同四十一年春までの22場所間も3字名が2字名を上回っている。 なかでも顕著だったのは、明治三十四年の春・夏両場所である。 いずれも、3字名は26人なのに対して2字名は各11人━。 春場所横綱 小錦大関 朝汐 〃 大砲関脇 荒岩小結 鳳凰平幕 逆鉾 〃 稲川  [続きを読む]
  • 連続35場所 2字名<3字名
  •  明治本場所大相撲は、「3字名」力士が主流━これを端的に表現した記録発見。 雷電の醜名が番附最上段に登場した明治六年春から、「横綱」の文字が初記載の同二十三年夏までの35場所連続して、3字名が幕内力士の多数派だった。 就中、明治十六年春場所は、3字名が17人に対して、2字名は━。大関 楯山平幕 大達 〃 緋縅 〃 浦風 〃 柏戸 〃 井筒 3字名が2字名の3倍弱というわけだ。 [続きを読む]
  • 大関「互助会」常設化…?
  • ※昨日の閲覧…992・訪問…247トータル訪問者数 456,246 昭和六十一年九州場所における8勝7敗の幕内力士→翌年初…の地位検証。大関 北勝海→論外 〃 朝 潮→ 〃 〃 若嶋津→ 〃前四 栃 司→小結同八 巨 砲→前三 〃 闘 竜→ 〃同九 陣 岳→前五 〃 孝乃富士→〃同十 栃 剣→前八同十三 ?望山→前九 当場所、惜しくも負越しの7勝…は小結旭富士(後横綱=現伊勢ヶ濱)ら3人が記録。 前場所につ [続きを読む]
  • なんで「不詳」谷風が“2代め”なの?
  •  『大相撲人物大事典』と同じ頃発刊の『江戸時代 相撲名鑑』の出鱈目もひどい。 895ページに「二代 谷風梶之助 不詳」とあり、横綱谷風が「三代……」とあるのは到底納得できない。 前者の記事は次の如く説明している━。『相撲大全』の「近世之部」に「越前衆」とあるが番付面で未見、詳細不詳。 名前が書いてあったって、肝腎の番附で発見されず、殆んど履歴がわからないものを「2代」と決めつけ、従前から「2代」とされ [続きを読む]
  • 谷風…9・雷電…11人
  • ※昨日の閲覧…688・訪問…211トータル訪問者数 455,999 あまり信頼できる資料じゃぁないが、『江戸時代 相撲名鑑』に拠れば、谷風…と名乗った力士が9人、雷電…の醜名は実に11人もいる。〔但し、偽番附記載を除く。〕 雷電の場合は、明治の大関雷電震右エ門(←兜山・→阿武松)が含まれている。  「谷風の前に谷風なく、谷風の後に谷風なし」なんて言葉があり、同書に誤謬と思える箇所のひとつ━。 『広辞苑』なんかにも、 [続きを読む]
  • 幕内最多勝利数の軌跡 その14
  •  明和五(1768)年九月場所終了時点で、①越ノ海57 ②関ノ戸56 ③雪見山53がベストスリーだったが…。 明和五年十一月場所 越ノ海は、四日目に関ノ戸を破って61勝めをあげたが、翌五日目は雪見山に黒星を喫す。でも、六、七日目連勝で通算63勝を記録。 雪見山は、越ノ海を破り58勝めをあげ、六日目に59勝でストップ。 一方、関ノ戸は越ノ海に敗れたが、五日目60勝に達した。更に、七日目白星で61勝。 結果、越ノ海・関ノ戸 [続きを読む]
  • “混同”された雷電…
  • ※昨日の閲覧…1,268・訪問…212トータル訪問者数 455,788 また『?訂武江年表』のいい加減な出鱈目記事をみつけた。 ?明和七年 庚寅 六月閏〇十一月市谷長延寺にて、雲州釋迦嶽雲右衞門大關と成り、雷電爲右衞門一世一度の相撲興行 これは、高名な…爲右エ門に非ず、あっと驚く雷電爲五郎である。時代も何十年かちがう。 「雷電」を名乗ったのは1人や2人じゃぁなく、明治初期だって強剛大関の雷電震右エ門がいた。 けれ [続きを読む]
  • No.88 進捗状況報告その3
  •  1〜3ページ 予定〇しこ名の文字数<補遺篇> ●基礎データ調査は終ったが、分析・検証が不充分のため未だ執筆に至らず。 4〜6ページ〇天保六年冬場所 ●星取表以外、原稿清書完了 7〜9ページ〇大正二年の合併相撲<最終回> ●原稿清書完了。 10ページ〇出島場所、対戦相手・決り手つき星取表 ●現在、鋭意作成中。 折込み片面〔おもて〕〇大関秋津風の相手地位つき詳細星取表 ●原稿清書完了。 折込み裏面?N氏 [続きを読む]
  • 全敗が消えた星 その288
  • ※昨日の閲覧…1,249・訪問…209 昭和四十六年秋場所、初日から五日目までの星取表を真っ黒に塗り潰したのは、小結?見山と、大雪の両力士だった。 翌六日目、両者とも白星を得て連敗脱出━幕内全敗が消えている。 元横綱Aが「?見山は大関になれる」と、某誌へ寄稿していたが、見事に外れた。 大体成績“不安定”なもので、平幕・三役のエレベーター的往復を繰返した。 その取口も“単細胞”と酷評したくなり、野球に譬えれ [続きを読む]
  • 一理ある協会の言分
  •  日本相撲協会が、女児を土俵へ…を「遠慮」して慾しい旨、通達。その理由として、怪我した場合は大変なことに…云々。 吾輩、法律に詳しいわけじゃぁないが、例えば、女性の顔面に負傷させて、傷痕が残った場合なんか、同年齢の男性の同じ箇所に傷つけたときと、慰謝料等々損害賠償は決して“同額”にはならず、屹度女性の方が高い相場となる━判例があったはずだ。やっぱり、法的にもジェンダーが根底にある。 だから、土俵上 [続きを読む]
  • 三役陣の出欠情況 その127
  • ※昨日の閲覧…765・訪問…203トータル訪問者数 455,367 小野川以来、凡そ30年ぶりの新横綱阿武松━誕生の文政十一(1828)年春場所の三役陣。東大関〔横綱〕阿武松 八日目まで出場西大関    四賀峰 〔場所前 引退〕東関脇    岩戸山 4日間を出場西関脇    荒 馬 5日間を出場東小結    越ヶ濱 楽日のみ不出場西小結    ? 砂 〔場所前 引退〕 阿武松は、横綱“初陣”の土俵を白星で飾れなかった。 [続きを読む]
  • ジェンダーを無視するな
  •  貴乃花理事〔当時〕を擁護していた石原もと都知事曰く━。 男と女は同等であっても、同質ではあり得ない。男女の区別なくして、……家庭・社会も成り立たないのは自明の理…。 「腕白相撲」は男の子に限って当然だ。女の子は別途國技館以外で「御転婆相撲」と称してやればいい。“男女混合”は相撲競技としては御法度とすべきだ。 それにしても、去る昭和三十九年の東京五輪━柔道が阿蘭陀選手に敗北。その頃、女子が「格闘技 [続きを読む]
  • 東2字名、西3字名の三役陣が…
  • ※昨日までのトータル訪問者数 455,164IP 番附に「勧進大相撲」と記載された最後の明治七年春〔但し、「勧進元」は後に復活〕における三役陣は━。 東方大関 境 川関脇 雷 電小結 大 纒 西方大関 綾瀬川関脇 朝日嶽小結 鯱の海 この顔触れが、明治九年春までの5場所間まったく変らなかったのである。 明治維新の「文明開化」で、角界への“逆風”をじっと忍耐づよく辛抱していた━敢えて番附を異動させなか [続きを読む]
  • てんで お粗末…?
  •  本日づけS紙の「…逍遥」を読んで…。 力士の醜名で「辻」は、『江戸……名鑑』に拠れば、偽番附の辻風雷五郎と、天保期の三段目に辻風石之助━たった2人しかいない。 尤も、平成30年間には、序二段乃至三段目あたりに「辻」姓をその侭名乗ったやつが…。 角界を去ってタトーを施した布哇出身元…のことなんか俎上に載せる気にもならん。 月光仮面はよく知ってるが、仮面ライダーなんて全然みたことない。芸能人藤岡弘は、 [続きを読む]
  • 大関「互助会」機能…?
  • ※昨日の閲覧…928・訪問…211トータル訪問者数 454,987 昭和六十一年秋場所における8勝7敗の幕内力士→九州…の地位検証。大関 大乃国→論 外 〃 若嶋津→ 〃 〃 北天佑→ 〃関脇 琴ヶ梅→据置き小結 逆 鉾→ 〃前二 旭富士→小結同七 大 徹→前一 〃 太寿山→前二同九 佐田の海→前三同十 港 龍→前四同十一 薩洲洋→前六 当場所、惜しくも負越しの7勝…は平幕の4人が記録。 5大関のうち3人が勝越 [続きを読む]
  • 最後の土俵「●横綱」は珍記録?
  •  千年川音松→鉄生山珪吉⇒秋津風→沖右エ門→音右エ門27場所星取表を作成して感じたことが少なくない。〔尚、うち4場所は番附に載っていないので、『…百傑傳』の如く「や」印を記入しない。〕 一つ。全場所を西方に列した。そのため同じ西横綱の稲妻とは対戦なし。 一つ。数え22歳で入幕し、引退が36歳━と云うことは、当時の力士としては所謂「早熟・早老」タイプに思えてくる。 一つ。平幕から一躍関脇へ…。でも、3場所 [続きを読む]
  • 明石…の証し?
  • ※昨日の閲覧…975・訪問…225トータル訪問者数 454,776 『?訂武江年表』より注目記事。 ?寛永元年 甲子 〇明石志賀之助寄相撲と號し、四ツ谷鹽町にて晴天六日興行す、江戸勸進角力の始めなるよし、古今相撲大全に見ゆ、筠庭云、相撲大全誤り多し、取用ひがたし、明石志賀之助がときは、寛永にはあるべからず、其の故は延寶中の一枚摺の繪に、これが相撲の圖あり、又此ものと丸山仁太夫、京都にてすまふ取れる由物語りあり、 [続きを読む]