卑弥呼様は天照大神 さん プロフィール

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卑弥呼様は天照大神さん: 邪馬台国探訪
ハンドル名卑弥呼様は天照大神 さん
ブログタイトル邪馬台国探訪
ブログURLhttps://ameblo.jp/makoto-kodama/
サイト紹介文邪馬台国論争はもう三百年も続いている。いい加減決着をつけねば、日本の古代史研究が全然進まないゾ!
自由文卑弥呼時代の倭国は九州北部の小国三十国の連合国であり、邪馬台国は倭女王卑弥呼が定めた倭国の首都である。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供31回 / 365日(平均0.6回/週) - 参加 2015/12/21 18:53

卑弥呼様は天照大神 さんのブログ記事

  • 『神武東征物語』(その五)
  • さて神武はいよいよ奈良県宇陀市の宇陀の穿(菟田野宇賀志・ウダノウガシ)に至り、この後東征軍は畿内を守る長脛彦命方の軍団と一連の対戦となるのですが、この神武東征軍と長脛彦軍との戦いの状況はいま一つ記載からは解り難いようです。その理由は『古事記』と『日本書紀』で畿内軍団の名称や戦う順番などが微妙に異なっており、更に後半の戦いは【久米歌】などで観念的に表現されることが多くなるからです。 そんなわけで今 [続きを読む]
  • 神武東征物語(その四)
  • 神武東征軍が天磐盾(摂社神倉神社)から八咫烏に案内されて辿ったルートは、新宮川沿いに作られた熊野古道を辿り、熊野本宮大社辺りから紀伊山地を越え、吉野川の川尻(此処では源流部のこと)の十津川流域辺りに至ったと思われる。そこで神武は鵜を使って鮎を採っていた阿陀の鵜養(うだのうかい)に出会う。 鵜飼のルーツは中国南部のミャオ族の居住地辺りに在ると思われ、現在でも行われている。(?写真)中国雲南省、桂林 [続きを読む]
  • 【神武東征物語(その三)】
  • 天磐盾(現在の熊野高倉神社)にて、高倉下(天香具山命)が齎した布津御霊剣を得て、勢いに乗った神武東征軍は、高見夢巣日神から遣わされ、天から飛び降りてきた?という八咫烏を道案内にして、進軍を再開しました。そして熊野古道沿いに紀伊山地を越えて吉野川の源流部に出ると、長脛彦の支配下にある地元豪族を次々に倒しながら、快進撃を続けていきます。 ところでこの八咫烏(ヤタガラス)ですが、三本足のカラスとされて [続きを読む]
  • 【神武東征物語(その二)】
  • 神武東征軍の経路  ● ー 東征船団の経路  ● ー 東征軍陸路 神武東征船団は『日本書紀』では岡水門(福岡県遠賀郡芦屋町)に立ち寄っただけだが、『古事記』では岡水門に一年間滞在したとされています。すると前回指摘したように、当時二代目・天照大御神の台与(壱与)が、邪馬台国(筑後山門)に坐して、倭女王として在位中でありますから、『古事記』を信じるならば、東征軍将軍の神倭磐余彦命と五瀬命の二人は、東 [続きを読む]
  • 【神武東征物語(その一)】
  • 神武東征船団が船出したとされる日向市美々津港に有る日本海軍発祥の地の碑 日向国(宮崎)には神武東征軍が辿った足跡の伝承・遺跡が数多く残っています。例えば、『古事記』『日本書紀』に記載はないが、日向国の伝承では神武=神倭磐余彦命と兄の五瀬命は日向国の美々津海岸から東征の船出をしたと伝えられます。 先ずは、日向市美々津大橋下には『立磐神社』があり、神武天皇と住吉三神(上筒男、中筒男、底筒男)が祀られ [続きを読む]
  • 高天原=倭国=九州北部の小国三十国が連携する女王国連合
  • この度は『古事記』『日本書紀』の記載を『魏志倭人伝』を参考にして独自に解釈し、現実の歴史にある卑弥呼=天照大御神の時代を論理的に考察してみました。これから書くストーリーが一点の矛盾も無く成立すれば、【邪馬台国九州説】及び【邪馬台国東遷説】が正しいことの根拠になると思われます。 過去の歴史学者や邪馬台国研究者は、これらの文献に出てくる話を、まるで何処か他所の国の話の如く、現実味の無い解釈を繰り返し [続きを読む]
  • 大和朝廷成立前後の天皇家と豪族の祖の系図
  • 古代天皇家と豪族の祖の系譜・系図につきましては今迄にも、『古事記』『日本書紀』『先代旧事本記』『勘注系図』『新撰姓氏録』等の記載を基に数多く制作されてきましたが、未だに決定版とされる系図はないようです。 その理由としては、やはり各文献ごとに系譜の相違があり、特に『古事記』『日本書紀』は皇室に都合の悪い系譜を隠蔽、改竄しているらしく、原文のままでは歴史人物の世代間の繋がりに顕著な矛盾があるので、どう [続きを読む]
  • 【神武東征】後の跡継ぎ問題
  • 隼人族の盾を手に持つ隼人の舞 (京都府京田辺市伝統芸能)この地には古代に大和朝廷に帰順した隼人族を住まわせたらしい。 初代神武天皇の後を継いだ第二代綏靖天皇の倭風諡号は神沼河耳命と云います。神沼河耳命には二人の兄が居て、『古事記』によると神八井耳命と日子八井耳命です。この三人の母親は『古事記』では比売多多良伊須気余理比売(ヒメタタライスケヨリヒメ)、『日本書紀』では媛蹈鞴五十鈴媛(ヒメタタライスズヒ [続きを読む]
  • 大物主神は物部氏の神か?
  • 大国主命等による【豊芦原中国】の国造りが完成に差し掛かった頃、 共に国造りに取り組んできた少彦名命が粟の茎に弾かれ、常世の国に旅立たれました。 嘆き悲しむ大国主命は故郷の出雲に帰り着くと、独り海岸に佇みました。 そして、 『この豊芦原中国は私が作った。今、豊芦原中国を治めるのは私だけだ』 と呟いていました。 すると、・・・・・・ 海の彼方から光を放ちながら飛来した神がありました。 光る神は大国主命に向 [続きを読む]
  • 【卑弥呼】の没年齢と【神武東征】年の関係
  • 『魏志倭人伝』によると、卑弥呼は正始八年(AD247)に亡くなっています。では、この時の卑弥呼の没年齢はいったい何歳だったのでしょうか?建中校射悌儁が倭国の首都・邪馬台国を訪問した正始元年(AD240)の記事で、卑弥呼については「年已に長大なる」とあるので、正始元年の段階で、卑弥呼は既に高齢だったが、それから更に七年の年月が経過しているわけです。卑弥呼は倭王に共立された時期が解ることから、年齢がある程度推 [続きを読む]
  • 倭の五王又は六王?或いは七王?
  • 『晋書』『宋書』『梁書』等に記される倭の五王=讃(賛)・珍(彌・弥)・済(斎)・興・武のうち、興=安康天皇、武=雄略天皇の二人はほぼ定説になっていますが、讃(賛)は応神、仁徳、履中説、珍(彌・弥)と済(斎)に関しては履中、反正、允恭説などが錯綜しています。今回はこの問題にスポットを当ててみましょう。 上図; 倭の五王についてじっくり検証するスレより借用させて頂きました。 先ず、実際に中国史書『晋 [続きを読む]
  • 倭人のルーツ
  • 山口県下関市豊北町土井ヶ浜の博物館に展示される弥生渡来人の白骨死体砂地に300体を超える弥生渡来人の遺体が埋められ、その顔は全員故郷と思われる西を向いていた。 遺骨は、渡来人の特徴である、面長、細面、長身を呈する。 魚豢(ぎょかん)の書いた『魏略』には、「聞其旧語、自謂太伯之後」、即ち、「其の旧語(昔話)を聞くに、自ら大伯の後(胤)と謂う」とあります。 これは魏に貢献してきた倭使の難升米・都市牛利等の [続きを読む]
  • 【新放射説私案②】
  • 帯方郡使による倭国訪問記(その五) 榎一雄の放射説を下に図示する。伊都国を起点に奴国、不彌国、邪馬台国、投馬国に何れも放射状に至るとしている。 しかし、私は今回【新放射説私案】を提言し、下図に示す。その違いは、伊都国を起点として放射状に至るのは、投馬国へ至る水行二十日と邪馬台国へ至る水行十日及び陸行一月であり、奴国と不彌国は、邪馬台国へ至る陸行一月の途中に有るとするものである。 その理由は、景初 [続きを読む]
  • 【新放射説私案】 帯方郡使による倭国訪問記(その四)
  • 現在の博多駅前に建つ、【博多住吉神社】 2017年9月16日(土)午後、私、兒玉 眞は、台風の影響で小雨の降りしきる中、東京三田「いきいきプラザ」で行われた『全国邪馬台国連絡協議会』「討論型・研究発表会」に出席し、熱弁を奮ってきました。今回のテーマは、「水行十日陸行一月と里程の解釈について」であり、その中で私は自説である【新放射説私案】を語りましたが、会場からのかなりの手ごたえを感じました。聴講してくれ [続きを読む]
  • 『全国邪馬台国連絡協議会』の第四回「討論型・研究発表会」出演決定
  • 『全国邪馬台国連絡協議会』の三月に行われた第一回「討論型・研究発表会」出演に続いて、私、兒玉 眞は、この度9月16日に開かれる第四回「討論型・研究発表会」の講演者に選出されました。其処で、このブログで発信していた邪馬台国に至る道程「南水行十日陸行一月」の私見について、全国邪馬台国連絡協議会の伊藤雅文氏、丸地三郎氏と、思い切り討論をすることになっています。私はこのブログでも散々書いたとおり、【新放 [続きを読む]
  • 帯方郡使による倭国訪問記(その三)
  • ①帯方郡使の書いた【倭国報告書】 『魏志倭人伝』によると、正始元年・帯方太守弓遵は建中校射悌儁等を遣わし、証書・印綬を奉じて倭国に詣り、倭王に拜假、並びに証を齎し、金・帛・銀罽(ギンケイ)・刀・鏡・彩物を賜う。と記される。即ち、帯方郡使たちはこの時明らかに倭国の首都・邪馬台国を訪問している。この文の存在により、【放射説】の唱える、帯方郡使が伊都国に留まり、邪馬台国へは行っていないとする説の根拠は確 [続きを読む]
  • 帯方郡使による倭国訪問記(その二)
  • ①榎一雄の 【放射説】の登場。 京都帝国大学教授・内藤湖南の唱える【邪馬台国畿内大和説】と東京帝国大学教授・白鳥倉吉の唱える【邪馬台国九州山門説】による全面対決、『邪馬台国論争』で盛り上がっていた大正期〜大戦をはさんで昭和中期になると、その頃登場したのが、東京帝国大学・白鳥教室出身の榎一雄でした。 榎は自らが纏めた【放射説】を用いて、邪馬台国九州説を展開しました。即ち、伊都国以降の東南奴国に至る百 [続きを読む]
  • 帯方郡使による倭国訪問記(その一)
  • 『魏志倭人伝』の記す邪馬台国へ至る道程とは? 私は今迄あえて邪馬台国へ至る道程の問題を前面に出さずにきました。その理由は、卑弥呼時代の日本の歴史は、倭国の首都・邪馬台国一国だけでなく、倭国=女王国連合全体として考えることが大事だと思うからであります。 しかしながら、古代史ファンの一番の関心はやはり、『魏志倭人伝』の記す、帯方郡から邪馬台国へ至る帯方郡使たちの旅の道程を辿ることでしょう。嘗て私もそう [続きを読む]
  • 首都邪馬台国と其の余の旁国を併せて、倭国=女王国連合を構成する三十国
  • 【反時計回り連続説】(その17=最終回) 前回までに連続する二十一国のすべてを比定完了しましたが、まだ倭国=女王国連合の全体像は完全には解明されていません。 残るは首都・邪馬台国で、私は(やまと)国と読み、既に筑後山門に比定しています。しかし、肥後山門もあります。弥生時代に筑後と肥後の区別は無かったはずで、筑後と肥後の二つの山門(やまと)国は両方共に【邪馬台国】の領域と考えられます。 これで連続する [続きを読む]
  • ⑩蘇奴國⑪呼邑國⑫華奴蘇奴國⑭為吾國
  • 【反時計回り連続説】(その16) 今回は最後まで残った、⑩蘇奴國⑪呼邑國⑫華奴蘇奴國⑭為吾國の四国です。この四国を比定し終りますと、連続する二十一国が全て比定完了となります。但し、残された四国は国名の類似からの比定が難しく、今回も【反時計回り連続説】を最大限活用し、既に比定を終えた国の間にこの四国を順番に当て嵌めていきたいと思います。そこで今回も又、前回までに比定完了した15国を挿入した倭国地図を [続きを読む]
  • ③伊邪国⑤彌奴国⑥好古都国⑦不呼国
  • 【反時計回り連続説】(その15) 今回は③伊邪国⑤彌奴国⑥好古都国⑦不呼国の四国です。 此れ迄に【反時計回り連続説】を用いて、連続する二十一国中13国を比定完了しましたが、残り8国は地名の類似から比定することが、次第に困難となってきました。しかし、ここからが【反時計回り連続説】の真価がいよいよ発揮されるときです。今後は、既に埋めた国の隙間に残りの国を当て嵌めていく作業を始めねばなりません。そこでも [続きを読む]
  • 二つの鬼國 ⑬鬼(き)國と⑮鬼奴(きな)國
  • 【反時計回り連続説】(その14) 連続する二十一国も半分位比定が終了し、残るは比定困難な国ばかりとなってきました。しかし、ここからが【反時計回り連続説】の真価の見せどころです。 前回比定された⑧姐奴(さな)国と⑨対蘇(とす)国を加えた倭国地図。 連続して記される二十一国も、既に11国が比定完了し、残るは10か国だけです。主に北方の国から比定が終了し、残るは南方の国ばかりとなりました。 ところで、『魏 [続きを読む]
  • 【吉野ケ里遺跡】と⑧姐奴国と⑨対蘇国
  • 【反時計回り連続説】(その13) 今回は⑧姐奴(さな)国と⑨対蘇(とそ)国です。実は私、この二国は比較的比定しやすい国だと思っています。ところで、唐突ですが、その前に吉野ケ里遺跡について考察したいと思います。何故ならば、吉野ケ里遺跡はまさしく、これ等の国に存在する邑だと考えるからです。 古代史ファンに人気の高い吉野ケ里遺跡は「邪馬台国の遺跡」と謳われています。その理由として『魏志倭人伝』に卑弥呼の [続きを読む]
  • ⑰躬臣國、⑱巴利國、⑲支惟國、⑳烏奴國の比定
  • 【反時計回り連続説】(その11) 前回比定した、①斯馬(しま)国、?奴(な)国(比定率ほぼ100%)、⑯邪馬(やば)国(比定率70%)の次に比定し易いと思われる小国が、⑰躬臣(くす)國、⑱巴利(はり)國、⑲支惟(きい)國及び⑳烏奴(うな)國であります。 これ等の小国は順序とは逆に後ろから辿った方が解り易いでしょう。さて、⑳の烏奴國は後回しにして、先ずは非常に地名の残存度が高い国、⑲の支惟(きい [続きを読む]