卑弥呼様は天照大神 さん プロフィール

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卑弥呼様は天照大神さん: 邪馬台国探訪
ハンドル名卑弥呼様は天照大神 さん
ブログタイトル邪馬台国探訪
ブログURLhttps://ameblo.jp/makoto-kodama/
サイト紹介文邪馬台国論争はもう三百年も続いている。いい加減決着をつけねば、日本の古代史研究が全然進まないゾ!
自由文卑弥呼時代の倭国は九州北部の小国三十国の連合国であり、邪馬台国は倭女王卑弥呼が定めた倭国の首都である。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供40回 / 365日(平均0.8回/週) - 参加 2015/12/21 18:53

卑弥呼様は天照大神 さんのブログ記事

  • 【卑弥呼】の没年齢と【神武東征】年の関係
  • 『魏志倭人伝』によると、卑弥呼は正始八年(AD247)に亡くなっています。では、この時の卑弥呼の没年齢はいったい何歳だったのでしょうか?建中校射悌儁が倭国の首都・邪馬台国を訪問した正始元年(AD240)の記事で、卑弥呼については「年已に長大なる」とあるので、正始元年の段階で、卑弥呼は既に高齢だったが、それから更に七年の年月が経過しているわけです。卑弥呼は倭王に共立された時期が解ることから、年齢がある程度推 [続きを読む]
  • 倭の五王又は六王?或いは七王?
  • 『晋書』『宋書』『梁書』等に記される倭の五王=讃(賛)・珍(彌・弥)・済(斎)・興・武のうち、興=安康天皇、武=雄略天皇の二人はほぼ定説になっていますが、讃(賛)は応神、仁徳、履中説、珍(彌・弥)と済(斎)に関しては履中、反正、允恭説などが錯綜しています。今回はこの問題にスポットを当ててみましょう。 上図; 倭の五王についてじっくり検証するスレより借用させて頂きました。 先ず、実際に中国史書『晋 [続きを読む]
  • 倭人のルーツ
  • 山口県下関市豊北町土井ヶ浜の博物館に展示される弥生渡来人の白骨死体砂地に300体を超える弥生渡来人の遺体が埋められ、その顔は全員故郷と思われる西を向いていた。 遺骨は、渡来人の特徴である、面長、細面、長身を呈する。 魚豢(ぎょかん)の書いた『魏略』には、「聞其旧語、自謂太伯之後」、即ち、「其の旧語(昔話)を聞くに、自ら大伯の後(胤)と謂う」とあります。 これは魏に貢献してきた倭使の難升米・都市牛利等の [続きを読む]
  • 【新放射説私案②】
  • 帯方郡使による倭国訪問記(その五) 榎一雄の放射説を下に図示する。伊都国を起点に奴国、不彌国、邪馬台国、投馬国に何れも放射状に至るとしている。 しかし、私は今回【新放射説私案】を提言し、下図に示す。その違いは、伊都国を起点として放射状に至るのは、投馬国へ至る水行二十日と邪馬台国へ至る水行十日及び陸行一月であり、奴国と不彌国は、邪馬台国へ至る陸行一月の途中に有るとするものである。 その理由は、景初 [続きを読む]
  • 【新放射説私案】 帯方郡使による倭国訪問記(その四)
  • 現在の博多駅前に建つ、【博多住吉神社】 2017年9月16日(土)午後、私、兒玉 眞は、台風の影響で小雨の降りしきる中、東京三田「いきいきプラザ」で行われた『全国邪馬台国連絡協議会』「討論型・研究発表会」に出席し、熱弁を奮ってきました。今回のテーマは、「水行十日陸行一月と里程の解釈について」であり、その中で私は自説である【新放射説私案】を語りましたが、会場からのかなりの手ごたえを感じました。聴講してくれ [続きを読む]
  • 『全国邪馬台国連絡協議会』の第四回「討論型・研究発表会」出演決定
  • 『全国邪馬台国連絡協議会』の三月に行われた第一回「討論型・研究発表会」出演に続いて、私、兒玉 眞は、この度9月16日に開かれる第四回「討論型・研究発表会」の講演者に選出されました。其処で、このブログで発信していた邪馬台国に至る道程「南水行十日陸行一月」の私見について、全国邪馬台国連絡協議会の伊藤雅文氏、丸地三郎氏と、思い切り討論をすることになっています。私はこのブログでも散々書いたとおり、【新放 [続きを読む]
  • 帯方郡使による倭国訪問記(その三)
  • ①帯方郡使の書いた【倭国報告書】 『魏志倭人伝』によると、正始元年・帯方太守弓遵は建中校射悌儁等を遣わし、証書・印綬を奉じて倭国に詣り、倭王に拜假、並びに証を齎し、金・帛・銀罽(ギンケイ)・刀・鏡・彩物を賜う。と記される。即ち、帯方郡使たちはこの時明らかに倭国の首都・邪馬台国を訪問している。この文の存在により、【放射説】の唱える、帯方郡使が伊都国に留まり、邪馬台国へは行っていないとする説の根拠は確 [続きを読む]
  • 帯方郡使による倭国訪問記(その二)
  • ①榎一雄の 【放射説】の登場。 京都帝国大学教授・内藤湖南の唱える【邪馬台国畿内大和説】と東京帝国大学教授・白鳥倉吉の唱える【邪馬台国九州山門説】による全面対決、『邪馬台国論争』で盛り上がっていた大正期〜大戦をはさんで昭和中期になると、その頃登場したのが、東京帝国大学・白鳥教室出身の榎一雄でした。 榎は自らが纏めた【放射説】を用いて、邪馬台国九州説を展開しました。即ち、伊都国以降の東南奴国に至る百 [続きを読む]
  • 帯方郡使による倭国訪問記(その一)
  • 『魏志倭人伝』の記す邪馬台国へ至る道程とは? 私は今迄あえて邪馬台国へ至る道程の問題を前面に出さずにきました。その理由は、卑弥呼時代の日本の歴史は、倭国の首都・邪馬台国一国だけでなく、倭国=女王国連合全体として考えることが大事だと思うからであります。 しかしながら、古代史ファンの一番の関心はやはり、『魏志倭人伝』の記す、帯方郡から邪馬台国へ至る帯方郡使たちの旅の道程を辿ることでしょう。嘗て私もそう [続きを読む]
  • 首都邪馬台国と其の余の旁国を併せて、倭国=女王国連合を構成する三十国
  • 【反時計回り連続説】(その17=最終回) 前回までに連続する二十一国のすべてを比定完了しましたが、まだ倭国=女王国連合の全体像は完全には解明されていません。 残るは首都・邪馬台国で、私は(やまと)国と読み、既に筑後山門に比定しています。しかし、肥後山門もあります。弥生時代に筑後と肥後の区別は無かったはずで、筑後と肥後の二つの山門(やまと)国は両方共に【邪馬台国】の領域と考えられます。 これで連続する [続きを読む]
  • ⑩蘇奴國⑪呼邑國⑫華奴蘇奴國⑭為吾國
  • 【反時計回り連続説】(その16) 今回は最後まで残った、⑩蘇奴國⑪呼邑國⑫華奴蘇奴國⑭為吾國の四国です。この四国を比定し終りますと、連続する二十一国が全て比定完了となります。但し、残された四国は国名の類似からの比定が難しく、今回も【反時計回り連続説】を最大限活用し、既に比定を終えた国の間にこの四国を順番に当て嵌めていきたいと思います。そこで今回も又、前回までに比定完了した15国を挿入した倭国地図を [続きを読む]
  • ③伊邪国⑤彌奴国⑥好古都国⑦不呼国
  • 【反時計回り連続説】(その15) 今回は③伊邪国⑤彌奴国⑥好古都国⑦不呼国の四国です。 此れ迄に【反時計回り連続説】を用いて、連続する二十一国中13国を比定完了しましたが、残り8国は地名の類似から比定することが、次第に困難となってきました。しかし、ここからが【反時計回り連続説】の真価がいよいよ発揮されるときです。今後は、既に埋めた国の隙間に残りの国を当て嵌めていく作業を始めねばなりません。そこでも [続きを読む]
  • 二つの鬼國 ⑬鬼(き)國と⑮鬼奴(きな)國
  • 【反時計回り連続説】(その14) 連続する二十一国も半分位比定が終了し、残るは比定困難な国ばかりとなってきました。しかし、ここからが【反時計回り連続説】の真価の見せどころです。 前回比定された⑧姐奴(さな)国と⑨対蘇(とす)国を加えた倭国地図。 連続して記される二十一国も、既に11国が比定完了し、残るは10か国だけです。主に北方の国から比定が終了し、残るは南方の国ばかりとなりました。 ところで、『魏 [続きを読む]
  • 【吉野ケ里遺跡】と⑧姐奴国と⑨対蘇国
  • 【反時計回り連続説】(その13) 今回は⑧姐奴(さな)国と⑨対蘇(とそ)国です。実は私、この二国は比較的比定しやすい国だと思っています。ところで、唐突ですが、その前に吉野ケ里遺跡について考察したいと思います。何故ならば、吉野ケ里遺跡はまさしく、これ等の国に存在する邑だと考えるからです。 古代史ファンに人気の高い吉野ケ里遺跡は「邪馬台国の遺跡」と謳われています。その理由として『魏志倭人伝』に卑弥呼の [続きを読む]
  • ⑰躬臣國、⑱巴利國、⑲支惟國、⑳烏奴國の比定
  • 【反時計回り連続説】(その11) 前回比定した、①斯馬(しま)国、?奴(な)国(比定率ほぼ100%)、⑯邪馬(やば)国(比定率70%)の次に比定し易いと思われる小国が、⑰躬臣(くす)國、⑱巴利(はり)國、⑲支惟(きい)國及び⑳烏奴(うな)國であります。 これ等の小国は順序とは逆に後ろから辿った方が解り易いでしょう。さて、⑳の烏奴國は後回しにして、先ずは非常に地名の残存度が高い国、⑲の支惟(きい [続きを読む]
  • 安本美典氏による連続する二十一国の比定
  • 【反時計回り連続説】(その9) 連続する二十一国は邪馬台国九州説派の第一人者、安本美典氏も比定しておられます。 実を云うと私は以前、安本美典氏に話を聞いていただく機会がありまして、喜んで【反時計回り連続説】を紹介させてもらったのですが、安本氏は碌に話を聞き終わらないうちにみるみる不機嫌となり、『私の書いた本を読んで出直して来い』!と “一喝” されてしまいました。 その時安本氏が言っ [続きを読む]
  • 「橋本増吉」による二十一国の比定地
  • 【反時計回り連続説】(その8) 前回は邪馬台国畿内説派の重鎮、京都大学派の「内藤湖南」による連続する二十一国の比定国を検証してみましたが、今回は邪馬台国九州説を採る、東京大学派の「橋本増吉」による連続する二十一国の地名比定国を検証してみたいと思います。 「橋本増吉」は「内藤湖南」の比定に習って、連続する二十一国を比定したようですが、その場合、平安時代の承平年間(931年 - 938年)に作られたと [続きを読む]
  • 女王国の北の二十一国の過去の考察
  • 【反時計回り連続説】(その七) それでは過去の研究者は連続する二十一国をどのような国に比定してきたのでしょうか? 【邪馬台国畿内説派】重鎮で京都大学派の内藤湖南教授は、『日本書紀』の示唆する卑弥呼=神宮皇后説を江戸時代中期に唱えた松下見林、新井白石以来久々に【邪馬台国畿内説】に立ち返ると、新たな説として、卑弥呼を第11代垂仁天皇の皇女倭姫命に比定し、新井白石に習って帯方郡から邪馬台国へ至る [続きを読む]
  • 女王国以北の二十一国の読み
  • 【反時計回り連続説】(その6) 中国語の発音表邪馬台国研究においては、『魏志倭人伝』に出てくる漢字の読み方には中古代音が使われていると云う、極めて尤もらしい説があり、この説を語る人は、中古代音の母音には甲音と乙音が有ったなどと、さも『魏志倭人伝』の漢字の発音が解っているようなことを言います。ところが私は昔、中国残留孤児帰国者の方に一頃中国語を習っていましたが、熟達する前に投げ出してしまった [続きを読む]
  • 連続する二十一国の合理的解釈=反時計回り連続説
  • 【反時計回り連続説】(その5) さて、前回范曄の考える『倭国像』が、現実には成り立たないことが証明されました。それでは、范曄の考え=過去の多くの研究者の考えである、「女王国=邪馬台国以北の戸数・道理が略裁可能な国は対馬国〜投馬国迄の七か国で、連続する二十一国とは女王国より南に有る其の余の旁国である」が成り立たないならば、問題の文、女王国以北は其の戸数・道理を略載可なれども、其の余の旁国は遠絶 [続きを読む]
  • 【反時計回り連続説】(その四)
  • 混一疆理歴代国都之図(こんいつきょうり れきだい こくとのず)龍谷大学大宮図書館所蔵図 范曄の考えに近い倭国地図である混一疆理歴代国都之図は明時代(十五世紀:1402年)に李氏朝鮮において作られた歴史上の首都の一覧図であります。だが、五世紀に生きていた范曄が、この地図を参考に『後漢書東夷伝』を書けるはずもなく、この地図が弥生時代の倭国についての中国人思想を反映しているわけでもありません [続きを読む]
  • 【反時計回り連続説】(その三)
  • それでは問題の文、女王国以北は其の戸数・道里を略載可なれども其の余の旁国は遠絶にて詳らかにし得ずはどう訳すべきでしょうか?  過去の研究者によるこの文の解釈では、女王国=邪馬台国より北の戸数・道里が略載可能な国とは、この文の前に帯方郡から邪馬台国迄、郡使の行程に従って、順繰りに列記してある道程上の国、即ち、対馬国、壱岐国、末蘆国、伊都国、奴国、不彌国、投馬国、の七か国のみに実際、戸数・ [続きを読む]
  • 【反時計回り連続説】(その二)
  • さて、『魏志倭人伝』は帯方郡から邪馬台国へ至る道程を、対馬国、壱岐国、末蘆国、伊都国、奴国、不彌国、投馬国、邪馬台国、と郡使の行程に従って、順繰りに列記した後に問題の文、女王国以北は、其の戸数・道里を略載可なれど、其の余の旁国は遠絶にて詳らかにしえず。と断わると、次に斯馬國有り、次に己百支國有り、次に伊邪國有り、次に郡支國有り、次に彌奴國有り、次に好古都國有り、次に不呼國有り、次に姐奴國有 [続きを読む]