御朱印curator さん プロフィール

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御朱印curatorさん: 御朱印ミュージアム〜御朱印・御朱印帳の収集展示
ハンドル名御朱印curator さん
ブログタイトル御朱印ミュージアム〜御朱印・御朱印帳の収集展示
ブログURLhttp://gosyuinmuseum.blog.fc2.com/
サイト紹介文御朱印ミュージアムへようこそ! 御朱印巡りでいただいた、御朱印や御朱印帳を紹介しています。
自由文これから御朱印巡りをはじめる方にも参考になればと思います。
ぜひご覧ください。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供243回 / 365日(平均4.7回/週) - 参加 2015/12/29 18:09

御朱印curator さんのブログ記事

  • 西林寺
  •   天平13年(741年)行基が聖武天皇の勅願を受け、伊予国国司越智宿禰玉純と共に堂宇を建立、本尊の十一面観世音菩薩を刻んで開基したといわれています。  大同2年(807年)空海が四国の霊跡を巡礼した際にこの寺に逗留し、国司の越智実勝公と協議して、寺を現在地に移して四国霊場と定め、国家の安泰を祈願する道場としました。写真は大師堂と阿弥陀堂です。このころ村は大旱魃で苦しんでおり、空海は村人を救うた [続きを読む]
  • 地蔵院
  •   推古天皇4年(596年)聖徳太子が道後温泉に行啓した際に、お供の葛城氏、恵聡法師とともに太子に同行した恵明法師が、太子の命により横谷の山中に建立した寺院が起源とされています。伊予十三仏札所の地蔵菩薩が祀られているお堂です。お寺は四国八十八ヵ所第51番札所石出寺の参道にならぶ露店の一角にあります。平日訪れたのでほとんどのお店は閉まっていました。伊予十三仏第5番の御朱印です。住所:愛媛県 [続きを読む]
  • 大蓮寺
  •   江戸時代から東方村、中野村、小村の総祈祷所となっていました。明治時代には東方町の中心部にあったため町役場となっていた時期もあったそうです。本尊は十一面観音です。  境内にある大師像と弘法大師聖誕1200年記念碑です。伊予十三仏第1番の御朱印です。住所:愛媛県松山市東方町甲902-1 [続きを読む]
  • 法華寺
  •   天平13年(741年)聖武天皇と光明皇后の勅願によって建立された伊予国の国分尼寺です。開基は南部の証繭大厄公で、 本尊は行基作の十―面観世音菩薩です。光明皇后のお姿を写したと伝えられています。   創立時は、華厳宗東大寺に属していましたが、弘仁6年(815年)空海が来訪した際に真言の教えを説かれ、真言宗に改めたと伝えられています。さらに建治元年(1275年)後宇多天皇の勅命により、西日本の国分寺、国 [続きを読む]
  • 睍壽院
  •   奈良時代(910〜794年)行基菩薩の開創で、行基が当地を行脚の際に一宇の草庵を結び陶磁器の製法を広め民衆を修繕教化した旧跡と伝えられています。  享和2年(1802年)京都大覚寺の直末となり、天保12年(1841年)大覚寺塔中、常住金剛院の室永兼帯睍壽院と公認されて栄え現在に至っています。写真は本堂両脇にある子育て地蔵尊と不動尊像です。四国三十六不動第25番の御朱印です。住所:愛媛県四国中央市 [続きを読む]
  • 隆徳寺
  •   文亀2年(1502年)の創建で、隣接する浦渡神社の別当寺として浦渡寺と称し、神社とともに栄えました。天正の陣の兵火で焼失しまいたが、明治43年(1910年)に近くの正光寺と合併して隆徳寺と改めました。  お寺の入り口には大きな石造りの仁王門があります。仁王像も石造りでした。写真は本堂と四国三十六不動札所の不動堂です。四国三十六不動第24番の御朱印です。住所:愛媛県新居浜市外山町7-9 [続きを読む]
  • 極楽寺
  •   大化8年(680年)役の行者が石鎚山を仰ぎ見ることのできる龍王山に籠り、霊気を感得し、阿弥陀三尊と三体の石鎚権現を本尊とする天河寺として開基しました。写真は蔵王堂で、三体の石鎚蔵王権現を本尊とし、中尊は護摩焚きの時に数分間だけ幕が上がり現れます。右脇陣に米持権現と、左脇陣に四国三十六不動霊場の本尊の不動明王が祀られています。また、お堂の上部には天狗のお面がありました。  室町時代末期の正 [続きを読む]
  • 満願寺
  •   天平6年(734年)道慈律師が遣唐使として中国に渡り三論の法を学び、帰国後、南海道を巡錫中に当寺に立ち寄り、本尊開眼法要の導師を務め開創したと伝わっています。  四国三十六不動札所の護摩堂とその隣に安置されている水掛不動尊像です。  英霊堂と、石段を上がって上り詰めた境内の一番奥に位置する金比羅堂です。  絵馬堂と斎藤実盛公供養塔です。斎藤実盛は源義朝に仕え、保元・平治の乱に出 [続きを読む]
  • 光林寺
  •   大宝元年(701年)徳蔵上人が文武天皇の勅命を受け開創しました。大同元年(806年)唐から帰国途中の空海が光林寺に立ち寄り、法相宗から真言宗に改宗したと伝わっています。石垣に囲まれたお城のような外観でした。  天長3年(826年)空海の奏聞により、淳和天皇の勅願により七堂伽藍が完成し、49院の根本道場となりました。写真は本堂と大師堂です。  写真左は阿弥陀堂飛燕閣で1階には阿弥陀三尊が祀られ [続きを読む]
  • 玉蔵院
  •   空海が大和信貴山(奈良県生駒郡)での修行の際に一刀三礼にて謹刻された不動尊を本尊である毘沙門天王と共に分霊し、この地に松山別院として祀られたのが始まりとされています。不動明王は一願不動尊とも呼ばれ一願一度の功力が得られると伝わっています。  お迎え童子像と大師像です。大通りから少し入った住宅街に立地するこじんまりとしたお寺でした。四国三十六不動第19番の御朱印です。住所:愛媛県松 [続きを読む]
  • 香川県の御朱印・御朱印帳展示室
  • 香川県内の御朱印・御朱印帳をいただいた寺社を行政区別に紹介しています。★の寺社にはオリジナル御朱印帳があります。 行政区寺社名寺社名寺社名綾歌郡郷照寺嶋田寺-観音寺市神恵院観音寺萩原寺観音寺市延命寺--木田郡浄土寺--坂出市天皇寺白峯寺清道寺坂出市薬師院--さぬき市志度寺長尾寺大窪寺さぬき市繁昌院--善通寺市讃岐宮--善通寺市曼荼羅寺出釈迦寺甲山寺善通寺市善通寺金倉寺-高松市田村神社--高松市国分寺根香寺一宮寺 [続きを読む]
  • 浄土寺
  •   文永11年(1274年)一遍上人が伊予国主越智通秀の寄進により承久の乱で戦死した武将たちの霊を慰めるために創建しました。天正3年(1575年)時宗から真言宗に改宗し身代わり不動尊を迎え、災難除け・病気平癒・万民豊楽などの祈願寺として今日に至っています。本堂には弘法大師のお告げで刻まれたという日本唯一の延命長寿ほっこり往生の老楽観音が祀られています。  四国三十六不動の不動明王石像とお迎え童子像 [続きを読む]
  • 雷電神社
  •   推古天皇6年(598年)聖徳太子が天の神の声を聞いて、伊奈良の沼に浮かぶ小島に祠を設け、天の神を祀ったのがはじまりといわれています。  板倉の地は古くから雷の被害が多く、また暴れ川で度々流路を変えた渡良瀬川と利根川との間にあって度々火災や水害に見舞われましたが、延宝2年(1674年)当地を治めていた館林藩主の徳川綱吉(のちの第5代将軍)が本社社殿を再建しました。現在の本社社殿は天保6年(1835年 [続きを読む]
  • 西福寺
  •   花蓮の寺と呼ばれ、たくさんのハスの花が咲くお寺として地元では有名な観光スポットにもなっているようです。珍しい三度栗の大きな木があることでも有名で、空海のお手植えともいわれています。  境内に祀られている六地蔵像と四国三十三観音札所の観音像です。  四国三十三観音第25番、百八観音第65番の御朱印です。住所:愛媛県四国中央市土居町上野954-2 [続きを読む]
  • 宝蓮寺
  •   延暦年間(782〜806年)空海が入唐の際に玉津船屋の浜辺にて順風を待っていた時、空海の徳を慕う者達が一行の世話をし別れを惜しみました。空海はその人達の為に浜辺近くの丘に小さな庵を結び、自ら彫刻された十一面観世音菩薩の御尊像を祀られ残して行かれたと伝わっています。  それから十地山清浄光院として西条市内四軒町一帯の地に七堂伽藍を備えていましたが、天正の兵火にによって焼失し、その後、四軒町小 [続きを読む]
  • 無量寺
  •   白鳳年間(650〜654年)斉明天皇の伊予行幸の際のお供の僧であった無量上人により車無寺の地に開創されました。本尊の阿弥陀如来は聖徳太子の作と伝えられています。  天正年間(1573〜1593年)宥実上人により龍門山城主武田信勝の外護を得て現在の地に移転しました。写真は四国三十三観音札所の観音堂と観音像です。山間ののどかな畑が広がる中にあるお寺でした。  四国三十三観音第23番、百八観音第63番 [続きを読む]
  • 今治別院
  •   前身は蔵敷八幡宮境内にあった須弥山妙観院正福寺で、慶長7年(1674年)今治城築城のために蔵敷八幡宮が遷座した際に別当寺として創建されました。その後明治の神仏分離で廃寺になりますが、明治16年(1883年)高野山総本山より宗祖弘法大師の御尊像を勧請し、高野山出張所として開創しました。  当時は今治市中浜町4丁目に所在しましたが、大正2年(1913年)檀信徒の寄付により現在地に移転し、10年の歳月をも [続きを読む]
  • 儀光寺
  •   天平年間(729〜749年)儀光上人が行基菩薩作の十一面観音菩薩を背負つて由利島に渡り、一草庵を結んだのが開基と伝わっており、もとは伊予灘に浮かぶ孤島の由利島に所在しました。  弘安年間(1278〜1287年)地震津波のために島は壊滅状態となり、島民は寺と共に島を離れて当地に移り住んだといわれています。写真は大師像と四国三十三観音札所の観音像です。当寺は百八観音の2つの札所にもなっています。 [続きを読む]
  • 大師寺
  •   奈良の大本山東大寺末寺で、本尊は大日如来です。19番札所の圓福寺で聞いていた通り、無人になっていて、本堂はかなり傷んでおり、入り口から中に入るとカビ臭いにおいで充満していました。鐘楼が本堂の向かい側にありましたが、長く鐘をついた人がいなかったのか、クモの巣が張っていました。  本堂裏手にある四国三十三観音札所の観音像と不動明王像です。境内も管理されていないためか、かなり荒れていました。 [続きを読む]
  • 圓福寺
  •   本尊の延命地蔵菩薩は空海が、この地で修行された時の作との伝わっています。寛永年間(1624〜1645年)大尖災に遭い、伽藍・史料・文献を焼失しました。お寺の大きな入り口はちょっとかわっていて本堂の真裏にあります。  寛文2年(1662年)本山嵯峨大覚寺から派遣された宥正上人が、伽藍を再建し中興しました。写真は境内にある大師像と四国三十三観音札所の観音像です。なお、お寺の方から次の20番札所大師寺は [続きを読む]
  • 法通寺
  •   養老元年(717年)の開創で、当初は薬師如来を本尊として薬王寺と称していました。文正2年(1467年)に炎上し、本尊は焼失を免れましたが、一切の記録は焼失しました。 天正5年(1577年)丸岡城主有馬右兵衛佐藤原義通の外護により伽藍が再興されました。  本堂と大師像です。お寺は国道197号の丸岡トンネルを出てすぐ左の道を曲がったところにありますが、車のナビではうまく案内されず周囲を20分くらい探し回ってよ [続きを読む]
  • 永昌寺
  •   河後森城跡の一角にお寺はあります。石段を登っていくと山門が見えてきます。お寺の裏山には広大な城跡が広がっています。  本尊は薬師如来で、愛媛県内では他にない体内仏をもつ貴重なものだそうです。訪れた時はお寺の方は不在でしたが、御朱印は参拝者が持っていけるように用意されていました。  四国三十三観音札所の観音像です。当寺は城主の居館があった場所に所在しているといわれており、周囲が見 [続きを読む]
  • 臨江寺
  •   享保2年(1717年)宇和島龍華山より関龍和尚を勧請し、開山としました。本尊は薬師如来です。  閻魔堂と延命地蔵堂です。  境内にある七福神像と四国三十三観音札所の観音像です。  四国三十三観音第15番、百八観音第54番の御朱印です。住所:愛媛県宇和島市津島町岩松830 [続きを読む]
  • 八坂寺
  •   役行者小角の開基と伝えられることから、1,300年以上の歴史ある古寺です。当寺は山の中腹にあり、大宝元年(701年)文武天皇の勅願により伊予の国司越智玉興が堂塔を建立したといわれています。写真は山門で屋根付き橋のようになった単層小型の門となっていて、天井には22の菩薩と阿弥陀如来が描かれています。  弘仁6年(815年)空海が荒廃した寺を再興して霊場と定めました。本尊の阿弥陀如来坐像は、浄土教の論理 [続きを読む]
  • 浄瑠璃寺
  •   和銅元年(708年)行基菩薩が奈良の大仏開眼に先だち、布教のためにこの地を訪れ、仏法を修行する適地として伽藍を建立しました。また、白檀の木で薬師如来像を彫って本尊とし、脇侍に日光・月光菩薩と、眷属として十二神将を彫造して安置し開基したと伝わっています。  大同2年(807年)空海が荒廃していた伽藍を修復し、四国霊場の一寺としたといわれています。写真は大師堂とその中にある”だっこ大師誕生仏”で [続きを読む]