iohe さん プロフィール

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ioheさん: 添乗員森田世界の旅
ハンドル名iohe さん
ブログタイトル添乗員森田世界の旅
ブログURLhttps://ameblo.jp/iohe/
サイト紹介文添乗員として行く海外情報を書いています。 かわいい娘たちとおっかない妻との記録も書いています。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供402回 / 365日(平均7.7回/週) - 参加 2016/01/02 05:53

iohe さんのブログ記事

  • 3回目で最後の、ヘルシンキでネタ探しノート。
  • 8月3日、ヘルシンキで朝。 世界のホリディインで1番の朝食はヘルシンキだろう、世界のスタンダードホテルでも1番はフィンランド、いや北欧全域の朝ゴハンは充実している、窓越しのさりげないインテリア、白樺のランプ傘に白樺の樹皮を編んだバスケット。この夏1回目の北欧でお客様がステキですねと、呟いたモノ、誰も気がつかない様なモノの素敵さをお客様が教えてくれた。そう、3回目で昨年から数えると6回目のマンネリブログに [続きを読む]
  • この夏3回目の北欧、スカンジナビア航空にて。
  • 8月2日、成田空港。 7時20分京成スカイライナーの始発にて無事の到着、出発3時間前の8時10分カウンターオープンに向けチャチャっと準備にとりかかる。 寝坊せずにここまでこれれば仕事の9割は成功したようなものだ、昨年5年ぶりに北欧の添乗が、それも3本立て続けに入り僕は北欧添乗が好きになった。行き先を選べぬ立場ゆえもうそんな事は5年位ないだろうと思っていたら、この夏も3本の北欧添乗が入る。北欧も様々なツアーが企画 [続きを読む]
  • 夏休み、あと少し。
  • 7月、8月某日、雨が止んだのでアパートを出てビールを買いに行く、ビーチサンダルをはいて空を見上げ階段を降りたら体が宙に浮いた、いよいよ俺も麻原彰晃か、と空中浮遊から仰向けに階段のジグザグに背中を打ち付けた、盛りのついた犬の様に、または麻原彰晃の様にうーーうーー、うーーうーーと1分ほど空を見上げて息をつきコンビニへ行った。肩甲骨に背骨、腰の肉が痛い、、翌日アイ子と友達、キコと親戚の子を連れて、深谷市の [続きを読む]
  • 夏休み、リフレッシュ。
  • 7月某日、成田空港のトイレでズボンを足首まで下ろそうとすると太ももの汗でズボンのポケットが全てひっくり返った。顔面から大粒の汗をかきながら用を足し、ウォッシュレットをする。トランクスなのに紐パンの様にクルクルになったクルクルを元に戻しながらパンツを腰に戻した。 暑いぜ、10日ぶりの汗とウォッシュレットに帰国した事を実感する。子供達は夏休みだ、次の北欧添乗まで残された時間は少ない、早く帰ってどこかに行 [続きを読む]
  • コペンハーゲン、
  • 7月27日、コペンハーゲンの朝。 デンマーク、コペンハーゲンの運河にたたずむ人魚姫。アンデルセンの人魚姫は1913年に王立劇場でバレエ化され、それに感動したカールスバーグビールの社長により作成される事に。1794年クリスチャンボー城の火災により貴族の屋敷に移り住んだ。仮住まいのはずが、こちらが現在まで王家が住まうアマリエンボー宮殿に。昨日のノルウェー、ベルゲンのハンザ同盟都市時代の木造家屋はここコペンハーゲ [続きを読む]
  • ノルウェーの終わりに、
  • 7月26日、バレストランドで朝。 早朝5時45分、昨日乗った渡しフェリーに乗り再びソグネフィヨルドの南側へ。そして再び山の上を走る、昨日見とれた景色があった、早朝の空と空気は昨日以上に透明だった、山を下るとき気になった滝でバスを止める、 今日は雨のベルゲンに向かうと言うのに、ベルゲンは晴れの予報、相当良い天気と言うことだ。350?先のベルゲンを目指す。再びハダンゲルフィヨルド沿いをドライブし、ベルゲンへ向け [続きを読む]
  • ハダンゲルフィヨルドからソグネフィヨルドへ。
  • 7月25日、ウルヴィックで朝。 ウルヴィック、1850年建造のホテルブラカネスにて気持ち良い朝を迎える。なぜ僕はこんなにハダンゲルフィヨルドが好きなのだろうか、その答えは旅行社のパンフレットにあった、全長170?で雪をかぶった山々や丘陵地帯の美しい風景が展開するのどかなフィヨルド、、優しさに包まれた女性的なフィヨルドです、、、と、ホテルを出てすぐ2013年開通のハダンゲル大橋は山の中から山の中へ、完成により西と [続きを読む]
  • 青の世界、
  • 7月24日、ブリクスダール氷河へ。ゲイランゲルから1時間、フィヨルドの眺めはヘレシルトの村で終わる。そして87?先にあるブリクスダール氷河を目指す、一山越えるとヨーロッパ一深い湖ホルニンダール湖、そしてノールフォヨルドが見えて来るとその先に、これら全ての地形を形成したヨステダール氷河が見える。この青く神秘的なオルデン湖の生みの親もまたヨステダール、横たわる480平方?のヨステダール氷河からは26の懸垂氷河が [続きを読む]
  • ゲイランゲルフィヨルド、
  • 7月24日、朝はゲイランゲル。朝、ゲイランゲルホテルのバルコニーから、1000mを越える深い谷の高い峰に朝日が当たる、7時半、フェリーボートに乗りフィヨルドクルーズへ、振り返ると昨日素晴らしい景色が見られたダレスニッパの山が眺められる。ゲイランゲルの町は外海から120?、この狭く険しく美しい世界遺産区間であるヘルシルトまでの20?をクルーズする。船が動き出すとまず右手にイーグルスロード、11のカーブが峠624mま [続きを読む]
  • 絶景つづく。
  • 7月23日、ゲイランゲルへ。ノルウェーの魅力は少しの緯度が高いため高低差で景色がガラッと変わること、先程のツンドラの900mから10分8?山を降りると緑と雪解け水が躍動する世界、ここはグードブランツユーヴェ展望台。この地域ではイハウスでないイチゴが今収穫期、駐車場でかった不揃いなイチゴがとても美味しかった。15?山を下ると、海だ、フィヨルドだ、ゲイランゲルフィヨルドだ。外海から130?以上内陸に切れ込んだゲイ [続きを読む]
  • 緊張のノルウェー絶景へ再び、絶景が見たい。
  • 7月23日、出ハマール。今シーズンから宿泊地となったハーマルを出る、オスロの北より始まるミョーサ湖は南北に100?の細長い湖。ハマールはその中間に位置する。ミョーサ湖の北端の町リレハンメルを通りすぎると川に沿ってまだ浅いが谷間を北上する、トイレに立ち寄るが本日400?近いドライブでは、一定時間バスを止め運転手さんに休んでもらう時間でもある。ハマールから200?程北上しようやく山に谷に険しさが出てきた所でルー [続きを読む]
  • オスロで人生を、、いつも考えさせられる。
  • 7月22日、オスロ。オスロ市ではないガルデモンという市内から50?離れた町にオスロの飛行場がある、日曜日の空いている道を50分、市内に向け走ると市中心部の3?手前に開けるのが、フログネル公園、左右に菩提樹の並木が配置されフランス式庭園風の公園、人造湖に架かる途中100mの橋を中央にした850mの一本道、左右グスタフヴィーゲラン(1869〜1943年)の彫刻作品650体以上が並ぶ。 橋の欄干に人生の様々な状態を彫った老若男女 [続きを読む]
  • オーバーブッキング、人生を語り合う。
  • 7月21日、ストックホルムの空港。 16時40分発スカンジナビア航空867便の搭乗を待っていると、二人のお客様の名前が呼ばれた。私のお客様でもあるので後ろで話を聞いていると、オーバーブッキングのため6時間後のフライトに乗ってくれ、とまさかの会話。 250ユーロを払い夕食クーポンを出すので、どなたか6時間後のフライトに代わってくれないか、アナウンスが続くが誰も現れなかった、お客様を残すことはできない、オスロに着けば日 [続きを読む]
  • ストックホルム、ハイライト。
  • 7月21日、ストックホルム到着。9時半一晩過ごしたシリアラインを下船する、長く北欧の歴史に君臨し、スウェーデンのみならず北欧の首都との言い方もあるという。首都行政の中心にストックホルム市庁舎、1923年スウェーデン人建築家ラグナルはレンガを用いてゴシック、ルネッサンス、装飾にビサンチンなどを混ぜ込んだ存在感ある市庁舎を建設した。レンガにブルーの色をかぶせる予定だった事からブルーホールと呼ばれる間では毎年1 [続きを読む]
  • ヘルシンキは雨、
  • 7月20日、雨のヘルシンキ。雨が降った。今年の夏は異常気象でずっと雨が降らなかったヘルシンキに雨が降った、地球上どこへ行ってもどの季節もどこのガイドさんもこの数年異常気象と言う言葉を使う、この異常と言う言葉が局地的でなく世界的ならば、日本だけの問題ではない、地球的だ。 傘がない、ヤッケを羽織る。フィンランドで一番有名な作曲家シベリウスの名のつくシベリウス公園、難しい顔をして病弱なのに長生きをして、素 [続きを読む]
  • フィンランドへ、あの時の東郷平八郎。
  • 7月19日、成田からフィンランドへ。子供を起こし家へ送り、駅に着いたのは始発ぎりぎりだった、5時20分の始発に乗ると成田には7時20分に着く、8時10分今回ご参加のお客様がカウンターにぽつぽつとお越しになる。11時10分スカンジナビア航空984便は定刻に離陸、遅れることが多いのだが、ほっとする。前回の北欧はコペンハーゲンでの乗り継ぎ時間が5時間だったが今回は1時間半、11時間20分のフライト後しっかりと乗り継ぎ便に乗れた [続きを読む]
  • 熊谷の隣、夏のひと時。
  • 夏が来た、顔面から吹き出る汗が気持ち良い。その汗は足の小指まで滴れ、北欧で見た落差600mの滝には敵わないが、落差179?程のちょっとした滝となる。顔面からの汗がハンパない、ちょうどいいブスと言う言葉が流行ったが、ちょうどいいハゲの僕の前髪から汗が滴りそれが少し出た腹に落ちる、熊谷の隣を歩いていると肩にポタポタと雨を感じたので傘をさしたら自分の汗だった。夏が来たぜ! 自転車のタイヤに画鋲が刺さっていた、 [続きを読む]
  • ルーティーン、ルーティーン、
  • 7月15日に帰国した、家についたのは夜の9時過ぎ、今日は子供に家で寝るように伝えている。夜中に少し気になることがあった、そうワールドカップの決勝だ、帰アパート後整理をしながらソワソワと、午前1時フラフラと歩き出す、田舎の駅回りは暗い、一軒だけ赤ちょうちんに明かりが付いていた、残りの45分を見ながら4年に一度の夏の終わりを感じる。 それ程見ていないが、ワールドカップロスを感じトイレでズボンを足首まで下ろすと [続きを読む]
  • 最後のマドリッドドライブ、そして帰国へ。
  • 7月14日、マドリッドの午後。casa de Valencia、初日バルセロナで食べたパエリアを最後にまた頂く、今日は魚貝のではなく、肉とイカスミを。食後にフルーツの砂糖漬けと干し葡萄で造るマデイラワイン。スペインにはスペイン広場が沢山あるが、マドリッドのスペイン広場で、ドンキホーテとセルバンテスを今一度回想する。ハプスブルク時代の王宮は焼け18世紀ブルボン王朝1代目が完成させるフランス式バロックな王宮、その向かいに [続きを読む]
  • そしてゲルニカ、ソフィア王妃芸術センター。
  • 7月14日、スペイン最終日マドリッドにて。楽しかった(自分で言ってはいけない)スペイン旅行も帰国日となった。新設された羽田空港からのエールフランススペイン行きは夜枠だったが、もちろん帰りも夜便で19時35分まで観光的有余があった。 頂いたスペイン旅行のキーワードに音楽、ドンキホーテ、そしてゲルニカがあった、お客様が1000ある興味の3つを言われたのは知っている、ゲルニカ何て言うと反戦活動家か、左翼か、、ものすご [続きを読む]
  • 絶望悲恋、ランメルモールのルチア。発狂感動、
  • 7月13日、夜の王立劇場にて。19時のマドリッド王宮前広場、近くのカフェでピンチョスをつまむ、カフェオペラ、El Cafe de la Operaテアトロレアル、国立劇場。1850年ドニゼッティの殉教者でこけら落としとある。今夜ここでイタリアオペラ、ドニゼッティのランメルモールのルチアが上演される。お客様がオペラをお好きなのは知っていた、バルセロナやマドリッドで探すも、7月半ばのバカンス時期に応えが一番最後になってしまったが [続きを読む]
  • ローマの水道橋の下で、子豚の丸焼き。
  • 7月13日、セゴビアにて。マドリッドの北、セゴビアの南に2428mの峰を持つグアダラマ山脈、ふもとに湧き出る雪解け水がマドリッドで飲む美味しい水道水の源であり、セゴビアの町、遠くに見えてきた2000年前水道橋を流れた水の源だ。上の水路の長さは17?、水源と町の高低差に距離をはかり勾配をつけながら引いていく導水路は山があれば穴を掘り谷があれば橋を組む、丘陵続く地形に山の上のローマの町に引いた水路は、ゴールまで81 [続きを読む]
  • 2回目の半日に、セゴビアへ行く。
  • 7月13日、日帰りセゴビア。マドリッドで半日ヒマがあったらトレドへ行け、と言うらしいが、もう半日ヒマがあればその時はセゴビアへ、と言うらしい。トレドには行ったので、そうだセゴビアへ行こう。 マドリッドから北へ87?、平均海抜600mのカスティーリャラマンチャ州からグアダラマ山脈に貫通する長いトンネルを抜けるとカスティーリャイレオン州に入る。そしてセゴビア、ディズニー映画白雪姫の城のモデルと言うアルカサール [続きを読む]
  • プラド美術館、王立植物園、マドリッドを散策する。
  • 7月12日、マドリッドプラド美術館。トレドを出て、この旅最終の地マドリッドへ行く。 プラド美術館が面白すぎる、学生のころ美術なんぞこれっぽちもかじった事がなかったが、添乗員を始めてそしてプラドに来て絵画鑑賞が好きになった、ここで解説をするガイドさん達に好きにさせられてしまったのだ。他も観てはいるのだが、あちこちからの寄せ集めでなく全てはスペイン王家のコレクションというのも良い、スペイン絵画史はレコン [続きを読む]
  • 世界遺産トレド、グレコの三大名画。
  • 7月11日、トレド。トレドのパラドールに昼食をとりにやって来た、アスパラの前菜と、イベリコ豚のステーキを、この景色の中でいただく。3方をタホ川に囲まれた丘に広がるトレドの町は狩猟の時代から立地に優れ人々が暮らしてきた。ローマが去りゲルマン民族が移動して来ると560年には彼ら西ゴート王国の首都となり、イベリア半島全体の首座大司教座にもなった。711年アラブ人により町は征服されるも1085年カスティーリャ王アルフ [続きを読む]