リターンライダー2 さん プロフィール

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リターンライダー2さん: 歴史の窓
ハンドル名リターンライダー2 さん
ブログタイトル歴史の窓
ブログURLhttp://blog.livedoor.jp/streettripler-rekisinomado/
サイト紹介文おやじの好き勝手な歴史解釈です。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供3回 / 365日(平均0.1回/週) - 参加 2016/01/05 06:44

リターンライダー2 さんのブログ記事

  • 過去の記事 …
  • ユネスコ世界遺産だらけの街
  • 家族揃ってカジノが目当てで澳門に来たのだが、一応人並みの観光もした。それぞれに本当に世界遺産としての価値があるかどうかの議論は別にして、30もの世界遺産がとても小さなエリアに集中しているので、その内の幾つかは見て置こうと思った。世界遺産 聖ポール天主堂跡。1935年に木造の教会は消失して、正面の石造りのファサードだけが残った。じっくり観察したら漢字の文字もあった。マリアさまに踏んづけられている悪魔なのだ [続きを読む]
  • 平家と平氏
  • かみさんとこの間出掛けた湯西川温泉のことを思い出している。雪が少し降っていたので朝は宿の図書室で本を読んでいたのだけれど、やがて止んだ。宿の前から湯西川温泉行きや鬼怒川温泉行きのバスが出ていたが、前の晩に夕食を少し食べ過ぎたこともあり、温泉郷の終わるまでの数キロを散歩して、先の停留所でバスに乗ることにした。僕らの泊まった「本家伴久」は、平家の子孫が江戸時代になって創業したという触れ込みになっている [続きを読む]
  • 龍門石窟
  • 北京往きのフライトまで時間があったので、龍門石窟に立ち寄った。龍門石窟は山の中ではなく、黄河の支流である渭水の畔にある。渭水流域の盆地は関中と呼ばれ、古来多くの王朝が都を置いた。龍門石窟は渭水の東岸と西岸に拡がる。現在は両岸を幾つもの立派な橋が繋いでいる。時間があまりなかったので奉先寺のある西岸側(西山石窟)だけを見学した。渭水の対岸には香山寺が見える。重機もない時代によくもまあ掘ったものだなと感 [続きを読む]
  • そして大谷資料館
  • 大谷寺から大谷資料館もとても近い。道の途中にも大谷石の岩壁がそそり立っていた。目的地の大谷資料館に到着した。こちらは完全な観光地だ。駐車場から資料館の入口に向かう途中に、石の搬出用に使われた昔のトラックが置いてあったりする。良い建材となる大谷石を採掘する為、かきね掘りと平掘りを繰り返した結果、この巨大な地下空間が出来上がったらしい。立派に見える柱が実はミソと呼ばれる建材としては使えない茶色い大谷石 [続きを読む]
  • 佐渡金山
  • 佐渡に渡った以上は、行かなければならない場所がある。お約束の観光地である佐渡金山跡を訪れた。実際には佐渡金山の範囲はとても広く、金山遺跡の内、相川鉱山関係遺跡が佐渡金山遺跡として国の史跡に指定され見ることが出来るらしい。1989年に閉山(操業停止)されるまでに、産出された金の量は78tだが、採掘技術の低い江戸時代に既にその内の41tが採掘された。人間が蟻のように地下に穴を掘って(しかも硬い岩盤だ。)金を採掘 [続きを読む]
  • 辿り着くとそこには川が流れていた
  • 越前朝倉氏の本拠地のあった一乗谷を訪れた。越前朝倉氏は南北朝時代には斯波氏に仕え、斯波氏が越前守護となるとともに越前に来た。室町時代になると、越前朝倉氏は織田氏とともに守護代に任じられるようになった。室町時代後期には守護代 甲斐氏とともに主家である斯波義敏と対立して長禄合戦を引き起こし、足利将軍家の家督争いなどから発展した応仁の乱では細川勝元率いる東軍に属し、越前から甲斐氏を追た。朝倉孝景の時に守 [続きを読む]
  • 丸岡城
  • 江戸時代末期までは全国に数え切れない程の城と、その天守閣があったが、明治維新以降に多くが取り壊され、その後戦争で焼けたものも有り、現存する天守閣は僅か十二を数えるのみとなった。十二天守以外は復興天守閣や模擬天守閣と呼ばれるものだ。現存と言っているが、造られた当初の姿そのままのものに限定すれば、十二という数も危うくなる。明治以後に地震で倒壊して建て直されたものもある。元々の建材を再利用して忠実に再現 [続きを読む]
  • 碓氷第三橋梁 めがね橋
  • 横川から軽井沢に抜ける方法は2通りある。上信越自動車道を通るという方法も入れれば3通りなんだろうが、碓氷軽井沢ICは軽井沢から離れ過ぎているし、横川から松井田妙義ICまで戻るのも面倒だ。だから、通常は国道18号線の旧道で碓氷峠を越えるか、碓氷バイパスを通る。碓氷バイパスは快走路なので大抵はこちらを通るのだけれど、偶にめがね橋を見たくなると旧道を通る。国道18号線で横川駅の南側を通過した後、暫くすると横川駅か [続きを読む]
  • 九份の街
  • 丘の斜面に拡がる九份の街へは、台鐡 宜蘭線の瑞芳駅から公車(バス)か、計程車(タクシー、台湾ではタクシーを的士とは言わない。)で行く。瑞芳駅前下から上がって行っても良かったのだが、運転手さんが年寄りに気を遣ってくれて、街の上で降ろしてくれた。ゆっくりと道の両脇に並ぶ店を冷やかしながら、九份の街を下って来た。この街は「千と千尋の神隠し」に登場する街のモデルになったとか言われるのだけれど、街が丘や小さ [続きを読む]
  • 西山本門寺、北山本門寺、大石寺
  • 仏教のことは良く分からない。日本の代表的な13宗派位は挙げられるが、各宗派の正確な違いが分からない。13宗派は以下の通りだ。奈良仏教系の法相宗、律宗、華厳宗密教系の真言宗密教と法華が合わさった天台宗法華系の日蓮宗浄土系の浄土宗、浄土真宗、融通念仏宗、時宗禅系の臨済宗、曹洞宗、黄檗宗経典は何だとか、念仏を唱える仏教なのか座禅を組む仏教なのかなど、おぼろげなことは分かるのだけれど、正確な違いは分からない。 [続きを読む]
  • 名こそ惜しけれ
  • ツーリング中に二つの城址を訪問した。二本松市の霞ケ城址(二本松城址)と、白石市の益岡城址(白石城址)だ。霞ケ城址には往時の広い縄張りの跡が残っているが、天守閣は復元を含めて存在しない。こじんまりとした縄張りの益岡城址には復元天守閣が建っている。晴れたり雨が降ったりのツーリングだったが、二つの城址を訪問した時は、悲しいぐらいの晴天だった。知識は足りないが、奥羽越列藩同盟とは何だったのかを城址を見学しな [続きを読む]
  • 名こそ惜しけれ
  • ツーリング中に二つの城址を訪問した。二本松市の霞ケ城址(二本松城址)と、白石市の益岡城址(白石城址)だ。霞ケ城址には往時の広い縄張りの跡が残っているが、天守閣は復元を含めて存在しない。こじんまりとした縄張りの益岡城址には復元天守閣が建っている。晴れたり雨が降ったりのツーリングだったが、二つの城址を訪問した時は、悲しいぐらいの晴天だった。知識は足りないが、奥羽越列藩同盟とは何だったのかを城址を見学しな [続きを読む]
  • 流人の地
  • 流罪とは刑罰の一つで、罪人を辺境や島に送る追放刑のことだ。流刑、配流とも言う。流刑地が島の場合には島流しとも呼ばれる。流罪は、少なくとも先進国と呼ばれる国々では、罪刑法定主義(罪とされる行為の内容及びそれに対して科される刑罰を予め明確に規定しておかなければならないとする原則)の見地より禁止されている。過去には、さまざま国でさまざまな場所と形で流罪が存在した。罪人というが、人間として本当に罪を犯した [続きを読む]
  • 赤坂氷川神社
  • 赤坂2丁目や3丁目、5丁目は賑やかな繁華街だが、同じ赤坂でも6丁目あたりは静かな住宅街だ。住宅街と言っても戸建の家は殆ど無く、集合住宅ばかりではある。そんな集合住宅に取り囲まれた丘の上に、赤坂氷川神社はある。午後から永田町で会議があるのだが、ランチタイム前に少し早めに会社を出た。銀座線の赤坂見附が最寄駅だが、銀座線には乗らずに千代田線の赤坂駅で下りて少し散歩をすることにした。赤坂6丁目にある氷川神社に [続きを読む]
  • 高倉観音
  • 木更津市矢那にある高倉観音の正式名称は「平野山 高蔵寺」、坂東三十番霊場だ。仲間と遅い昼食を食べた後、思うところがあってこの寺を訪問した。先に帰る仲間とは国道297号線で別れた。二人は市原鶴舞ICから圏央道に入るだろう。日暮れ前に高倉観音に到着したい。長生郡の長南町から木更津市の矢那まで、県道171号線、県道81号線、県道160号線、県道23号線と地道を急ぐのだが、西に向かって走っている為夕日が真横から来て時 [続きを読む]
  • 湯河原 五所神社
  • 湯河原から椿ラインで大観山まで駆け上がる時に、椿ラインの入り口まで行くルートは二つある。一つは県道75号線をまっすぐ進むルートだ。県道75号線は温泉街の中を抜けて行くのでスピードは出せない。その代わりにすぐ脇の千歳川の流れを楽しめるし、温泉街の風情も楽しめる。(もっと温泉街の風情を楽しみたければ、更に南の県道102号線を途中まで走る手もある。) こちらは”谷の道”と僕は読んでいる。この辺りは昔からの観光地 [続きを読む]
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