秋葉 奈津子 さん プロフィール

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秋葉 奈津子さん: 奈津子の徒然雑記帳
ハンドル名秋葉 奈津子 さん
ブログタイトル奈津子の徒然雑記帳
ブログURLhttp://415100.blog50.fc2.com/
サイト紹介文世界史の話題を中心に正史、時には外史を交えてエピソードを紹介しています。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供39回 / 365日(平均0.7回/週) - 参加 2016/01/05 20:26

秋葉 奈津子 さんのブログ記事

  • 応援をいただいている皆様にご連絡致します。
  • 何時も私の記事に多数の応援を頂戴し感謝しております。私事になりますが、8月6日月曜日に引越しをする事になりました。約50年近くの歳月を共にした家から、やっと見つけた身の丈に合った小さな家に引越します。既に今月は、転居準備を進めていますが、今週は本格的な家財、ゴミも搬出もあります。この様な状況ですので、皆さんのブロクへの応援が、時間的に困難となります。更に、インターネットの移設工事が、既に依頼しています [続きを読む]
  • 歴史を歩く198
  • 42アジアの情勢⑤4国共の合作と分離(その2)蒋介石 孫文の死後、国民党内で指導権を握った人物が蒋介石です。蒋介石(1887年〜1975年)は、浙江省出身、保定軍官学校を卒業後、日本の陸軍士官学校に留学し(1908年〜10年)、辛亥革命に呼応して帰国、一時上海で株の仲買人となった後、広東軍政府に参加し(1922年)、孫文の信任を得てソ連に留学、帰国後黄埔軍官学校の初代校長に就任します(1924年)。国民党内で左右の対立が深 [続きを読む]
  • 歴史を歩く197
  • 42アジアの情勢④4国共の合作と分離(その1)レフ・ミハイロヴィッチ・カラハン(Лев Михайлович Карахан、1889年1月20日 - 1937年9月20日) 五・四運動を出発点として反日・反帝国主義運動が広まる中、ソヴィエト政府は外務人民委員代理カラハン(1889年〜1937年)の名で、帝政ロシア時代の対中国不平等条約を破棄するというカラハン宣言を発し(1919年7月)、同宣言は中国国民から熱狂的な歓迎を受け、各界 [続きを読む]
  • 歴史を歩く196
  • 42アジアの情勢③3朝鮮の三・一運動朝鮮総督府 日本は朝鮮を併合(1910年8月)した後、京城(現ソウル)に朝鮮総督府を置いて武断政治を行い、憲兵警察制度の下で朝鮮を厳しい監視・統制の下に置きました。朝鮮人は武断政治の下で次々に政治的・経済的権利を奪われ、 朝鮮人には参政権は勿論、集会・結社・言論の自由も認められず、併合直後から進められた土地調査事業によって多くの農民が土地を奪われ、小作人になるか、日本や [続きを読む]
  • 歴史を歩く195
  • 42アジアの情勢2文学革命と五・四運動、モンゴルの独立孫文大元帥 中国では、袁世凱の死後(1916年6月)、軍閥が政権をめぐって抗争を続け、軍閥政権(1916年〜28年)が続き、これに対して南の広州には孫文を中心とする広東軍政府が設立されました(1917年)。資料・近世資本主義発展史 第一次世界大戦によってヨーロッパ列強が中国から一時手を引いたことから、中国では民族資本が成長し、紡績・製粉・マッチ等の軽工業の分野で [続きを読む]
  • 歴史を歩く194
  • 42アジアの情勢1日本の動向青島要塞を砲撃する四五式二十糎榴弾砲 日本は、第一次世界大戦が始まると日英同盟に基づき、ドイツに宣戦を布告し(1914年8月)、中国に於けるドイツ租借地膠州湾を攻撃し、ドイツ東洋艦隊の根拠地であった青島を占領(1914年11月)、又太平洋上の赤道以北のドイツ領南洋諸島を占領します(1914年10月)。大戦景気の日本 上野公園観桜之光景 大正7年 日本は連合国へ物資を供給し、戦争で途絶えたヨ [続きを読む]
  • 歴史を歩く193
  • 41ヴェルサイユ体制下の欧米⑧8ソ連ウラジーミル・イリイチ・レーニン(Влади?мир Ильи?ч Ле?нин、1870年4月22日 ? 1924年1月21日) 1922年に成立したソヴィエト社会主義共和国連邦(ソ連)では、1924年にレーニンが死去すると後継者と社会主義建設の路線を廻って政争が起こります。レフ・ダヴィードヴィチ・トロツキー(Лев Давидович Троцкий、1879年10月26日 - 1940年8月21日) 革 [続きを読む]
  • 歴史を歩く192
  • 41ヴェルサイユ体制下の欧米⑦7東・南欧諸国の情勢1924年時のヨーロッパ 第一次世界大戦後、東・南欧には民族自決の原則に従ってポーランド・チェコスロヴァキア・ハンガリー・セルブ=クロアート=スロヴェーン王国と多くの新興国が誕生しました。ユゼフ・ピウスツキ(Józef Klemens Piłsudski、 1867年12月5日 - 1935年5月12日) ポーランドは、1918年11月にポーランド共和国として独立を宣言し、それまで独立のために戦って [続きを読む]
  • 歴史を歩く191
  • 41ヴェルサイユ体制下の欧米⑥6ドイツ共和国民衆を前に演説するローザ・ルクセンブルク 帝政が崩壊して共和国となったドイツでは、社会民主党を中心とする臨時政府が政権を掌握しますが、社会主義革命を目ざす独立社会民主党やスパルタクス団との対立が激しくなっており、独立社会民主党は1917年に社会民主党内の反戦派が結成した革命政党で、スパルタクス団は社会民主党最左派のカール・リープクネヒト(1871年〜1919年)、ロー [続きを読む]
  • 歴史を歩く190
  • 41ヴェルサイユ体制下の欧米⑤5フランスの政情ポン=タ=ムッソン − ドイツ軍の到着前に爆破された橋 フランスは第一次世界大戦で国土が戦場と成り、戦争の被害が最も大きく、戦勝国にもかかわらず戦後経済的・社会的苦難に直面しました。その為、戦後のフランスではドイツに対する報復姿勢が強く、パリ講和会議ではドイツへの制裁を強く要求し、出来る限り重い賠償義務を課そうとします。ジョルジュ・バンジャマン・クレマンソー [続きを読む]
  • 歴史を歩く189
  • 41ヴェルサイユ体制下の欧米④4戦後のイギリス第一世界大戦時、イギリスで男性職場に進出した女性左上:応急看護部隊・右上:ウーマンズ・ランド・アーミー(女性農場労働団体)左下:イギリス陸軍航空隊伝令・右下:ボイラー石炭補充員 第一次世界大戦後のイギリスは戦勝国ですが、戦争による損害も大きく、戦前の国際的に優越した地位を失っていました。イギリスは戦争を通じてアメリカの債務国となり、戦後のヨーロッパの購買 [続きを読む]
  • 3アメリカ合衆国の繁栄 アメリカは第一次世界大戦中、連合国に軍需物資を供給し、借款を行って莫大な利益をおさめ、戦前の約35億ドルの債務を返済し、戦後は逆に約125億ドルの世界最大の債権国となりました。又金の保有量も増加し、戦前の約19億ドルから戦後数年で約46億ドルとなり、世界の金の半数近くを保有する様になり、之と共にアメリカは世界の経済・金融を支配し、世界経済の中心はロンドンからニューヨークのウォール街へ [続きを読む]
  • 歴史を歩く187
  • 41ヴェルサイユ体制下の欧米②2国際協調の高まりと軍備制限の進展イズミル奪還後、コナク広場に入るトルコ軍首脳 ヴェルサイユ体制の下でも小規模な国際紛争は続発しました。ギリシア・トルコ戦争(1919年〜22年)・イタリアによるフィウメ占領(1919年)・ソヴィエト・ポーランド戦争(1920年)等が起こり、1923年1月にはフランス・ベルギーがドイツの賠償支払い遅延を理由に重工業地帯のルール地方を占領する出来事(ルール占領 [続きを読む]
  • 歴史を歩く186
  • 41ヴェルサイユ体制下の欧米1ヴェルサイユ体制の成立パリ講和会議に於ける各国要人(鏡の間にて) 1919年1月18日、第一次世界大戦の講和会議であるパリ講和会議が、32カ国の参加のもとに開催されました。パリ講和会議の基礎となった原則は、アメリカ大統領ウィルソンが大戦中に発表した十四カ条(十四カ条の平和原則)であり、この十四カ条はソヴィエト政権の「平和に関する布告」や秘密外交文書の暴露に対処する形で1918年1月に [続きを読む]
  • 歴史を歩く185
  • 40 第一次世界大戦とロシア革命⑥6戦時共産主義と新経済政策農民と語るレーニン ソヴィエト政権は、革命後土地を無償で没収して国有地として農民に分配し、労働者の工場管理と大工業の国有化を進め、銀行・外国貿易を国営としました。更にソヴィエト政権は、対ソ干渉戦争と反革命軍との内戦の危機に対処する為に、1918年11月には「全てを戦場に」のスローガンの下で、中小工場を国有化し、商業も国営化して個人売買を総て禁止し [続きを読む]
  • 歴史を歩く184
  • 40 第一次世界大戦とロシア革命⑤5ソヴィエト政権の成立と干渉戦争革命を指揮 十一月革命で成立した新政権(以下ソヴィエト政権と表記)は「平和に関する布告」で即時・無併合・無賠償の講和を全交戦国に呼びかけ、又「土地に関する布告」で地主所有の土地の無償没収を含む土地私有権の廃止を布告しました(1917年11月8日)。1917年11月には憲法制定議会選挙が行われますが(1917年11月25日)、その結果は社会革命党が413議席を [続きを読む]
  • 歴史を歩く183
  • 40 第一次世界大戦とロシア革命④4ロシア革命1914年当時のモスクワ、赤の広場 ツァーリズム(専制政治)のもとで近代化が遅れていたロシアは、1914年末には早くも軍需品の不足に陥り、1915年8月にはロシア領ポーランド全体がドイツ軍に占領され、ロシア軍は本国へ敗走し、その後東部戦線が膠着する中で、長期の塹壕生活を送る兵士達の士気は著しく衰え、兵士達の間には厭戦気分が広まって行きました。又1916年夏には、中央アジア [続きを読む]
  • 歴史を歩く182
  • 3第一次世界大戦(その2)第一次世界大戦時のアメリカ兵を描いたポスター 1917年は、二つの出来事によって第一次世界大戦の転機となる重要な年でした。一つはアメリカの参戦であり、もう一つはロシア革命です。 この二つの出来事は大戦の性格を変え、特にアメリカの参戦によって第一次世界大戦は世界規模の戦争、正に世界大戦となり、又アメリカとソ連の登場によってヨーロッパ列強を中心とした国際体制は大きく揺らぎ始めます。 [続きを読む]
  • 歴史を歩く181
  • 2第一次世界大戦(その1)サラエヴォ市内に向かう皇太子夫妻を乗せたベンツ540 1914年6月28日、陸軍大演習統監の為、ボスニアのサライェヴォを訪れたオーストリア帝位継承者フランツ・フェルディナント(1864年〜1914年、オーストリア皇帝フランツ・ヨゼフ1世の甥)夫妻が、大セルビア主義を唱える秘密結社に属していた、セルビア青年プリンチップによって暗殺されました。プリンチップによる狙撃を描いた新聞イラスト セルビア [続きを読む]
  • 歴史を歩く180
  • 40第一次世界大戦とロシア革命①1国際対立の激化ビスマルク辞職を描いた挿絵「水先案内人の下船」 1890年、ドイツでビスマルクが引退し、ヴィルヘルム2世(在位1888年〜1918年)はロシアとの再保障条約の更新を拒否しました。其の為、ドイツから離れたロシアは、ビスマルク外交によって孤立していたフランスに接近して露仏同盟(1891年〜94年に成立)を締結し、この露仏同盟成立によって、ビスマルクが最も恐れていたドイツが、 [続きを読む]
  • 歴史を歩く179
  • 39アジア諸国の変革と民族運動⑨8西アジアの民族運動と立憲運動アブデュル・ハミト2世(II. Abdülhamid, 1842年9月21日 - 1918年2月10日) オスマン・トルコでは、1876年に最初の憲法であるミドハト憲法が制定されましたが、アブデュル・ハミト2世(在位1876年〜1909年)は露土戦争(1877年〜78年)の勃発を口実に、1878年にミドハト憲法を停止して専制政治を復活させます。青年トルコ(党)の示威行動 これを不満とする人々は [続きを読む]
  • 歴史を歩く178
  • 39アジア諸国の変革と民族運動⑧7東南アジアの民族運動右・ファン・ボイ・チャウ、左・阮朝皇族クォン・デ王子 1883年以来、フランスの保護国とされていたヴェトナムでは、日露戦争に刺激されてファン・ボイ・チャウ(1867年〜1940年)等によって反仏独立の秘密結社である維新会を結成されます(1904年)。ファン・ボイ・チャウは、日本に武器援助を要請する為に来日しますが(1905年4月)、武装蜂起の考え方を批判され、人材育成 [続きを読む]
  • 歴史を歩く177
  • 39アジア諸国の変革と民族運動⑦6インドの民族運動インド帝国の地方行政区画(1909年) インド帝国成立(1877年)以後、イギリスはインドで帝国主義的な植民地政策を推進し、茶のプランテーションや鉄道建設へ資本を投下してインドの富を搾取して行きます。 その頃、インドではイギリスの植民地支配の下で育った官吏・弁護士・医師・教師・ジャーナリスト等の知識人層が増加し、彼等の間に自由主義・民主主義等の近代ヨーロッパ [続きを読む]