秋葉 奈津子 さん プロフィール

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秋葉 奈津子さん: 奈津子の徒然雑記帳
ハンドル名秋葉 奈津子 さん
ブログタイトル奈津子の徒然雑記帳
ブログURLhttp://415100.blog50.fc2.com/
サイト紹介文世界史の話題を中心に正史、時には外史を交えてエピソードを紹介しています。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供28回 / 365日(平均0.5回/週) - 参加 2016/01/05 20:26

秋葉 奈津子 さんのブログ記事

  • 歴史を歩く200
  • 6東南アジアの独立・改革運動① ヴェトナムホー・チ・ミン(胡志明, 1890年5月19日 - 1969年9月2日) 欧米列強の植民地支配下に置かれていた東南アジア諸地域でも第一次世界大戦後、独立運動や民族運動が高揚しはじめます。フランスの植民地であったヴェトナムで民族運動の中心となった人物がホー・チ・ミンです。 ホー・チ・ミン(胡志明、1890年〜1969年、本名はグェン・タトゥ・タン、一時はグェン・アイ・クォク(阮愛国)と [続きを読む]
  • 思い出の場所を訪ねて
  • 社を訪ねてジロくんが旅立って、来月1日で49日を迎えます。私に取って、早い様な、長い様な不思議な感覚の7週間です。11月中旬、以前ジロくんと一緒に訪問した社を改めて、お参りして来ました。今回、一緒に参りしたマスコットのジロくんです。福岡県鞍手郡鞍手町八剣神社福岡県の遠賀川沿いには、日本武尊を祀る剣神社、八剣神社が数多くあります。鞍手地域は物部氏の本貫地で、日本武尊は熊襲征伐の折りに、軍事的援助を目的に [続きを読む]
  • ジロくんと歩いた風景
  • ジロくんの60日ジロくんが旅立って、3週間余りが過ぎました。ジロくんが、何時も居た場所には、先に記事にも載せた、八剣神社での姿を遺影として残しています。今回、僅かな間ですが、晩年のジロくんと散歩した風景を紹介します。季節が前後しますが、ご容赦下さい。クンクンタイム散歩のスタート毎に確認とマーキング作業は怠りません。自宅前の坂道これからゆっくりとこの坂道を下ります。見にくいですが、前方の横断歩道手前が [続きを読む]
  • お知らせ
  • ジロくんが旅立って行きましたジロくんは、10月13日土曜日午前10時30分、旅立っていきました。12歳8か月8日、病気も一切無く、頑張ってくれました。以前より時折このブロクで近況をお知らせしていましたが、ジロくんに沢山の応援、励ましをありがとうございました。改めて心より感謝申し上げます。ジロくん(2018年6月16日・福岡県鞍手郡鞍手町八剱神社境内にて)2代目ジロくんを胆のう障害で失い、約8か月のブランクを経て、春の [続きを読む]
  • 歴史を歩く199
  • 42アジアの情勢⑥5インドの独立運動ローラット委員会 (Rowlatt Committee) の長、シドニー・ローラット (Sydney Rowlatt) 第一次世界大戦が勃発すると、イギリスはインドに戦後の自治を約束し(1917年8月にインド担当相モンタギューが行った)、インドの協力を求め、インドに住む人々はその約束を信じ、120万の兵員を動員し、物資を供給してイギリスに協力しました。しかし、1919年に公布されたインド統治法では州自治の一部が与 [続きを読む]
  • 散歩道の思い出
  • 散歩道の四季城野町から引越しをして1ヶ月が過ぎました。荷解きも8割程は、終わりましたが、未だに発掘出来ない品物も在り、こちらは気長に探していきます。前回の「さようなら城野町」で紹介した、ジロくんと歩いた散歩道の季節を変えてご紹介します。写真①午後の陽に照らされる足立山です。小学生、中学生時代の下校時に毎日眺めた、記憶に一番残っている風景です。この風景を見ると、「今日も終わったな」と思ったものです。こ [続きを読む]
  • さようなら、城野町
  • ジロくんの散歩道物心が付いて約50年。そんな私の50年間を見守ってくれた、小倉南区城野町を8月6日に後にしました。歴代ジロくんと毎日歩いた、城野、春ケ丘、若園、重住を記憶い留めたいと思います。転居当日の早朝撮影なので、少々写真が暗いですが・・・。写真①写真①、自宅前の光景、前方に見える山は足立山、ゆるい坂道が続きます。足立山は、母校の校歌にも「朝日射す足立の山に、若人の歌はこだまし」と歌われた山。写真の [続きを読む]
  • 応援をいただいている皆様にご連絡致します。
  • 何時も私の記事に多数の応援を頂戴し感謝しております。私事になりますが、8月6日月曜日に引越しをする事になりました。約50年近くの歳月を共にした家から、やっと見つけた身の丈に合った小さな家に引越します。既に今月は、転居準備を進めていますが、今週は本格的な家財、ゴミも搬出もあります。この様な状況ですので、皆さんのブロクへの応援が、時間的に困難となります。更に、インターネットの移設工事が、既に依頼しています [続きを読む]
  • 歴史を歩く198
  • 42アジアの情勢⑤4国共の合作と分離(その2)蒋介石 孫文の死後、国民党内で指導権を握った人物が蒋介石です。蒋介石(1887年〜1975年)は、浙江省出身、保定軍官学校を卒業後、日本の陸軍士官学校に留学し(1908年〜10年)、辛亥革命に呼応して帰国、一時上海で株の仲買人となった後、広東軍政府に参加し(1922年)、孫文の信任を得てソ連に留学、帰国後黄埔軍官学校の初代校長に就任します(1924年)。国民党内で左右の対立が深 [続きを読む]
  • 歴史を歩く197
  • 42アジアの情勢④4国共の合作と分離(その1)レフ・ミハイロヴィッチ・カラハン(Лев Михайлович Карахан、1889年1月20日 - 1937年9月20日) 五・四運動を出発点として反日・反帝国主義運動が広まる中、ソヴィエト政府は外務人民委員代理カラハン(1889年〜1937年)の名で、帝政ロシア時代の対中国不平等条約を破棄するというカラハン宣言を発し(1919年7月)、同宣言は中国国民から熱狂的な歓迎を受け、各界 [続きを読む]
  • 歴史を歩く196
  • 42アジアの情勢③3朝鮮の三・一運動朝鮮総督府 日本は朝鮮を併合(1910年8月)した後、京城(現ソウル)に朝鮮総督府を置いて武断政治を行い、憲兵警察制度の下で朝鮮を厳しい監視・統制の下に置きました。朝鮮人は武断政治の下で次々に政治的・経済的権利を奪われ、 朝鮮人には参政権は勿論、集会・結社・言論の自由も認められず、併合直後から進められた土地調査事業によって多くの農民が土地を奪われ、小作人になるか、日本や [続きを読む]
  • 歴史を歩く195
  • 42アジアの情勢2文学革命と五・四運動、モンゴルの独立孫文大元帥 中国では、袁世凱の死後(1916年6月)、軍閥が政権をめぐって抗争を続け、軍閥政権(1916年〜28年)が続き、これに対して南の広州には孫文を中心とする広東軍政府が設立されました(1917年)。資料・近世資本主義発展史 第一次世界大戦によってヨーロッパ列強が中国から一時手を引いたことから、中国では民族資本が成長し、紡績・製粉・マッチ等の軽工業の分野で [続きを読む]
  • 歴史を歩く194
  • 42アジアの情勢1日本の動向青島要塞を砲撃する四五式二十糎榴弾砲 日本は、第一次世界大戦が始まると日英同盟に基づき、ドイツに宣戦を布告し(1914年8月)、中国に於けるドイツ租借地膠州湾を攻撃し、ドイツ東洋艦隊の根拠地であった青島を占領(1914年11月)、又太平洋上の赤道以北のドイツ領南洋諸島を占領します(1914年10月)。大戦景気の日本 上野公園観桜之光景 大正7年 日本は連合国へ物資を供給し、戦争で途絶えたヨ [続きを読む]
  • 歴史を歩く193
  • 41ヴェルサイユ体制下の欧米⑧8ソ連ウラジーミル・イリイチ・レーニン(Влади?мир Ильи?ч Ле?нин、1870年4月22日 ? 1924年1月21日) 1922年に成立したソヴィエト社会主義共和国連邦(ソ連)では、1924年にレーニンが死去すると後継者と社会主義建設の路線を廻って政争が起こります。レフ・ダヴィードヴィチ・トロツキー(Лев Давидович Троцкий、1879年10月26日 - 1940年8月21日) 革 [続きを読む]
  • 歴史を歩く192
  • 41ヴェルサイユ体制下の欧米⑦7東・南欧諸国の情勢1924年時のヨーロッパ 第一次世界大戦後、東・南欧には民族自決の原則に従ってポーランド・チェコスロヴァキア・ハンガリー・セルブ=クロアート=スロヴェーン王国と多くの新興国が誕生しました。ユゼフ・ピウスツキ(Józef Klemens Piłsudski、 1867年12月5日 - 1935年5月12日) ポーランドは、1918年11月にポーランド共和国として独立を宣言し、それまで独立のために戦って [続きを読む]
  • 歴史を歩く191
  • 41ヴェルサイユ体制下の欧米⑥6ドイツ共和国民衆を前に演説するローザ・ルクセンブルク 帝政が崩壊して共和国となったドイツでは、社会民主党を中心とする臨時政府が政権を掌握しますが、社会主義革命を目ざす独立社会民主党やスパルタクス団との対立が激しくなっており、独立社会民主党は1917年に社会民主党内の反戦派が結成した革命政党で、スパルタクス団は社会民主党最左派のカール・リープクネヒト(1871年〜1919年)、ロー [続きを読む]
  • 歴史を歩く190
  • 41ヴェルサイユ体制下の欧米⑤5フランスの政情ポン=タ=ムッソン − ドイツ軍の到着前に爆破された橋 フランスは第一次世界大戦で国土が戦場と成り、戦争の被害が最も大きく、戦勝国にもかかわらず戦後経済的・社会的苦難に直面しました。その為、戦後のフランスではドイツに対する報復姿勢が強く、パリ講和会議ではドイツへの制裁を強く要求し、出来る限り重い賠償義務を課そうとします。ジョルジュ・バンジャマン・クレマンソー [続きを読む]
  • 歴史を歩く189
  • 41ヴェルサイユ体制下の欧米④4戦後のイギリス第一世界大戦時、イギリスで男性職場に進出した女性左上:応急看護部隊・右上:ウーマンズ・ランド・アーミー(女性農場労働団体)左下:イギリス陸軍航空隊伝令・右下:ボイラー石炭補充員 第一次世界大戦後のイギリスは戦勝国ですが、戦争による損害も大きく、戦前の国際的に優越した地位を失っていました。イギリスは戦争を通じてアメリカの債務国となり、戦後のヨーロッパの購買 [続きを読む]
  • 3アメリカ合衆国の繁栄 アメリカは第一次世界大戦中、連合国に軍需物資を供給し、借款を行って莫大な利益をおさめ、戦前の約35億ドルの債務を返済し、戦後は逆に約125億ドルの世界最大の債権国となりました。又金の保有量も増加し、戦前の約19億ドルから戦後数年で約46億ドルとなり、世界の金の半数近くを保有する様になり、之と共にアメリカは世界の経済・金融を支配し、世界経済の中心はロンドンからニューヨークのウォール街へ [続きを読む]
  • 歴史を歩く187
  • 41ヴェルサイユ体制下の欧米②2国際協調の高まりと軍備制限の進展イズミル奪還後、コナク広場に入るトルコ軍首脳 ヴェルサイユ体制の下でも小規模な国際紛争は続発しました。ギリシア・トルコ戦争(1919年〜22年)・イタリアによるフィウメ占領(1919年)・ソヴィエト・ポーランド戦争(1920年)等が起こり、1923年1月にはフランス・ベルギーがドイツの賠償支払い遅延を理由に重工業地帯のルール地方を占領する出来事(ルール占領 [続きを読む]
  • 歴史を歩く186
  • 41ヴェルサイユ体制下の欧米1ヴェルサイユ体制の成立パリ講和会議に於ける各国要人(鏡の間にて) 1919年1月18日、第一次世界大戦の講和会議であるパリ講和会議が、32カ国の参加のもとに開催されました。パリ講和会議の基礎となった原則は、アメリカ大統領ウィルソンが大戦中に発表した十四カ条(十四カ条の平和原則)であり、この十四カ条はソヴィエト政権の「平和に関する布告」や秘密外交文書の暴露に対処する形で1918年1月に [続きを読む]
  • 歴史を歩く185
  • 40 第一次世界大戦とロシア革命⑥6戦時共産主義と新経済政策農民と語るレーニン ソヴィエト政権は、革命後土地を無償で没収して国有地として農民に分配し、労働者の工場管理と大工業の国有化を進め、銀行・外国貿易を国営としました。更にソヴィエト政権は、対ソ干渉戦争と反革命軍との内戦の危機に対処する為に、1918年11月には「全てを戦場に」のスローガンの下で、中小工場を国有化し、商業も国営化して個人売買を総て禁止し [続きを読む]
  • 歴史を歩く184
  • 40 第一次世界大戦とロシア革命⑤5ソヴィエト政権の成立と干渉戦争革命を指揮 十一月革命で成立した新政権(以下ソヴィエト政権と表記)は「平和に関する布告」で即時・無併合・無賠償の講和を全交戦国に呼びかけ、又「土地に関する布告」で地主所有の土地の無償没収を含む土地私有権の廃止を布告しました(1917年11月8日)。1917年11月には憲法制定議会選挙が行われますが(1917年11月25日)、その結果は社会革命党が413議席を [続きを読む]
  • 歴史を歩く183
  • 40 第一次世界大戦とロシア革命④4ロシア革命1914年当時のモスクワ、赤の広場 ツァーリズム(専制政治)のもとで近代化が遅れていたロシアは、1914年末には早くも軍需品の不足に陥り、1915年8月にはロシア領ポーランド全体がドイツ軍に占領され、ロシア軍は本国へ敗走し、その後東部戦線が膠着する中で、長期の塹壕生活を送る兵士達の士気は著しく衰え、兵士達の間には厭戦気分が広まって行きました。又1916年夏には、中央アジア [続きを読む]