武蔵宮 さん プロフィール

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武蔵宮さん: JNR-M
ハンドル名武蔵宮 さん
ブログタイトルJNR-M
ブログURLhttp://jnr-m.sblo.jp/
サイト紹介文北海道から九州まで、旅先で目にしてきた国鉄型機関車などの写真や、線路のある風景を載せております。
自由文国鉄時代の残り香を求めて、時に歩き、時に自転車をこぎ、何だかんだで北へ南へ。現役車両だけでなく、保存車両を探し、廃線跡を眺めて幾星霜。ちょっとした暇つぶしや旅のご参考になれば幸いです。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供366回 / 365日(平均7.0回/週) - 参加 2016/02/01 19:50

武蔵宮 さんのブログ記事

  • 常闇の鉄条8
  • どこから持ってきたのか線路の端には砂利で車止めが造られて、その先は壁。半蔵門線の住吉駅は上下2段式で、それぞれ半蔵門線ホームの反対にある線路は途切れています。有楽町線で分岐した線路は、ここへ接続する計画でした。 [続きを読む]
  • 常闇の鉄条7
  • トンネルの途中で途切れる線路。有楽町線の豊洲駅では半蔵門線へ分岐する計画でした。本線はホーム外側の線路で新木場駅へ向かっており、中央の分岐用は臨時折り返しのみ。この先に電車が通る日は来るのでしょうか。 [続きを読む]
  • 夜型
  • 朝6時過ぎ。海底トンネルをくぐってきた寝台急行が終点へ到着。この日に7号車となっていたのはスハフ14-501。東北新幹線開業で北海道へ移動した14系耐寒改造車は、寝台急行廃止で一部が本州へ回帰。のちに東武鉄道で使われる客車は、いつもと同じように夜の仕事を終えた所でした。 [続きを読む]
  • 静かな朝
  • DD51-1100が引く青い編成。自分が乗った寝台急行「はまなす」を自分で撮ってみた時のもの。札幌駅到着後、すぐに隣のホームから出る普通列車で桑園駅へ移動すると、10分ちょっとで札幌運転所へ向かう回送列車を見る事が出来ました。当時まだ廃止という話はなく、静かな朝でした。 [続きを読む]
  • 1世紀の重み
  • 南大夕張駅で保存されているセキ1とセキ2。奥のセキ1はちょうど100年前に24t積石炭車を30t積にかさ上げ改造したセキ1の生き残りで、側開き構造は現在の石灰石ホッパ車まで100年も受け継がれてきました。手前のセキ2は最初から30t積で造られたセキ600の改造車セキ1000で、こちらも数少ない戦前製。積み荷の影響で石炭車の老朽化は早く、国鉄では早くから淘汰されており、民間に渡った事で長い年月を生き抜いた北海道の工業遺産とい [続きを読む]
  • ストーブ列車
  • 南大夕張駅で保存されているスハニ6。戦後の国鉄客車スハフ42に似た車体ですが、1913年大宮工場製の木造車を戦後に民間で鋼製車体へ更新したもの。車体は戦後の雰囲気ながら、床下に木造車特有のトラス棒が残る珍車。ホームのスキ間から斜めの細い棒が見えてますが、これが車体中央の突起を台車側に引っ張り上げ、脆弱な台枠中央を支える古典的な構造です。こちらからだと見えませんが、台車は旧型優等車の名残で巨大な3軸台車。さ [続きを読む]
  • 自然へ還る
  • 石炭需要の低下で各地の炭鉱は閉山に向かいましたが、オイルショックで持ち直した事で南大夕張炭鉱は継続。周辺には住宅も並んで典型的な鉱山の賑わいがありましたが、1987年の爆発事故で閉山し、急速に街は衰退しました。右側にバスが見えますが、これは中古の保存車。この辺りへバスで行けるような情報も見受けられますが、私は自転車で夕張国道を数キロ走る途中、保存車以外に1度もバスを見ませんでした。国道沿いとは言え、清 [続きを読む]
  • 運炭
  • 石勝線の支線となった夕張線清水沢駅から東へ。雨と霧の中を自転車で進んだ先に現れた保存車両。ここは三菱石炭鉱業線の廃線跡で、夕張で最後の石炭積み出しを行っていた南大夕張駅の跡。機関車は保存当初からなく、先頭は除雪車キ1。国鉄の中古が多い中、1940年に造られた珍しい独自車が目印になっています。 [続きを読む]
  • N-DMF11HZA
  • 札幌駅で出発を待つ特急「スーパーおおぞら」のキハ283系。北海道における高速化の象徴であり、財政難のきっかけとなった車両でもありました。従来より低い高さ1.9mを中心に6度傾ける振子車は画期的で、曲線に追従する複雑な操舵台車も採用。281系が十分な試験に基づいた四国の2000系を踏襲したのに比べると、機器類も配置も独自性が強くなりました。そして、いつしか複雑な車両は運用体制の限界を超えてしまう事に。高速化を追求 [続きを読む]
  • 寝台急行
  • いつかの夜。人の少ない静かな札幌駅を寝台急行「はまなす」が出発。東北では寝台特急を補完する長距離の寝台急行が主体でしたが、他では距離の短いものがほとんどでした。門司港・西鹿児島間「かいもん」や大阪・大社間「だいせん」のような地域列車、走行距離わずか200kmの上野・長野間「妙高」も存在。北海道は札幌発着のみで、函館・札幌間では青函連絡船接続の関係で夜行が想定されていませんでした。青函トンネル開通で夜行 [続きを読む]
  • 札幌駅の午後。札幌運転所からDD51-1137+DD51-1095が寝台特急「トワイライトエクスプレス」を引いて到着。大阪とは逆の始発駅。初めて見たのも、多く見たのも、北海道でした。 [続きを読む]
  • 王道
  • EF65-2037がコキ50473を従えて。どちらも1970年代前半に造られた同世代。国鉄生まれの車両が駆け抜ける、当たり前だった光景。1000番台初期型の意匠が残るEF65も、全国を駆け抜けたコキ50000も、過去の出来事に。 [続きを読む]
  • 小さな車体に大きなドラマ
  • 地元の東大宮駅で見かけたDE10-1704。DE10が電車の合間を縫って通過。民営化後に尾久客車区などの入換用となった機関車ですが、実は寒冷地仕様。元は北海道の北見機関区へ配置されていたものです。北海道で1970年代に蒸気機関車が廃止された際、地方貨物用にDE10が大量投入されました。普通列車はディーゼルカーになっていたので、蒸気発生装置のない貨物用1500番台がほとんど。ただ、地方の貨物列車廃止や路線自体の廃止で、真新 [続きを読む]
  • ヴァーミリオンの記憶
  • ついこの間まで普通に見られたコキ50000。製造数3276両ながら番号がコキ53408なのは、編入車が存在するためでした。民営化後に引き継がれなかったコキ10000を補うため、緩急車コキフ50000をコキ50000へ編入。コキ53408も右のデッキ側にコンテナ1個分の車掌室ユニットが載っていたわけですね。 [続きを読む]
  • 50000
  • 稲沢駅へやってきたEF65-2063。機関車も国鉄生まれですが、後ろのコンテナ車・コキ50000も国鉄生まれ。高価な高速貨車10000系を見直し、速度を95km/hに抑えて構造を単純化した50000系。民営化後も長らく使われてきましたが、コキ107の増備で全て引退したようです。民営化からしばらくの時を経て、一つの時代が終わりを告げました。 [続きを読む]