聖泉キリスト教会 さん プロフィール

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聖泉キリスト教会さん: 教会日記
ハンドル名聖泉キリスト教会 さん
ブログタイトル教会日記
ブログURLhttps://blogs.yahoo.co.jp/seisen_kawaguchi
サイト紹介文川口市朝日にあるキリスト教会です。日曜学校や礼拝はじめ、交流のイベントをしています。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供68回 / 365日(平均1.3回/週) - 参加 2016/02/16 12:51

聖泉キリスト教会 さんのブログ記事

  • あかし「夏のうなぎ 心の栄養」 S姉妹より
  • いつも礼拝などで日常の素敵なあかしをしてくださる姉妹よりいただいたあかしです。「すっかり季節外れになって今更と思う、春の日のこと。川越のうなぎを食べにつれていっていただきました。その店は、まったく飾り気のない田舎のそのままの農家の家をお店にしたように素朴なほっこりとした落ち着きにひたれる感じのお店。心に残る言葉が書かれていました。それは、トイレの壁に・・・。20代は美しい30代は強くて美しい40代 [続きを読む]
  • 祈祷会10/11「主の戦い」ヨシュア記10:1〜43
  • イスラエルの民の所にいろいろな王達がやって来て、連鎖的に戦いを交えました。そしてヨシュア達イスラエルが連戦連破であったのは、主がイスラエルのために戦われたからです。霊の戦いにおいても、私達は主が戦ってくださることを忘れてはいけません。私達がヨシュアのように優柔不断になることなく、ただ一途に主が言われたことをことごとく行っていくのであれば、必ず主が戦ってくださいます。私たちのうちにおられる方は、悪い [続きを読む]
  • 祈祷会10/4「致命的な失敗」ヨシュア記9:1〜27
  • 14節にヨシュアとイスラエルの族長達の致命的な失敗が書かれています。「主の指示を仰がなかった」というところです。前回アイを攻め取る時にイスラエルが主からの命令を仰がなかったことを見ました。スパイをアイに送って、自分たちで2〜3千人の兵で十分だと判断しました。自分が見るところに頼って、主の指示を仰がなかったのです。箴言には「人の目にはまっすぐ見える道がある。その道の終わりは死の道である(14章12節)と [続きを読む]
  • 10/7 10月第一礼拝「希望は失望に終わらない」ローマ人への手紙5章1節〜11節
  • 私達の今の状態は明け方のようなものです。朝の太陽の光が注がれ始めている。美しく整理された家にも、汚い家にも太陽の光は入ってきます。心さえ開けば太陽の光は私の所にも入ってきます。私達は窓を開いて、御霊の注ぎを受け取っていくことに努力すべきであります。その時、私たちの心に神に愛がじんわりと注がれてきます。神の愛が私のような者にも注がれていることを思い、その神を喜ぶことが信仰生活です。今週の霊想句この希 [続きを読む]
  • 9月第五礼拝「勝利の道は一つ」第一サムエル記17章1節〜58節
  • ダビデとゴリヤテの話は、信仰における極端な対比がその根底にあります。ダビデは羊飼いの少年であり、ゴリヤテは戦いに慣れた身長3m以上もある軍人です。ゴリヤテのイスラエル人への蔑みの言葉に、誰もが怯えていましたが、イスラエルには神が共におられるという確信を持っていたダビデだけが立ち上がります。しかしサウル王は、」信仰よりも武具に信頼をおきダビデにもその武具を着させますが、それはダビデには大きすぎました [続きを読む]
  • 祈祷会9/27「神のことばによって」ヨシュア記8:1〜35
  • ヨシュア率いるイスラエルの人々はエリコとアイの二つの町を攻略しましたが、アイの町の方が小さいのに失敗してしまったったのは興味深いです。これは、私たちの肉の力ではなく、主に拠り頼む信仰が大切であることを教えてくれます。そして、罪は、勝利を妨げる最大の要因です。内側から罪を取り除き、きよめていただき、そして自分で何かを行うのではなく、神が命じられるとおりに、御霊に導かれながら歩みます。 [https://philos [続きを読む]
  • 祈祷会9/20「罪の除去」ヨシュア記7:1〜26
  • エリコの町は確かにアイの町より大きく、難攻不落の町と言えたでしょう。人間的に考えれば、アイの町には兵力をそんなに多く投入しなくてもよいでしょう。けれども、主にあっては、それは、間違っています。主は私達の能力ではなく心を見ておられます。イスラエルの民がすべて戦いに出るという「全き心」が求められているのであって、中途半端な心であれば、どんなに力があっても必ず負けてしまいます。イエス様は「心を尽くし、思 [続きを読む]
  • 9月第3礼拝「信仰の足跡に従って」ローマ人への手紙4章1節〜15節
  • 聖書では、ただ神の恵みにより、信仰によってのみ救われると教えられています。その一つの例がアブラハムです。「すべて人は、罪を犯したので神からの栄誉を受けることができず、ただ神の恵みにより、イエス・キリストの贖いゆえに、価なしに義と認められるのです」(3章23〜24節)とパウロが語ると、ユダヤ人のある人たちから、「そんなことはない。アブラハムは行いによって義と認められたではないか」という疑問が起こりました [続きを読む]
  • 9月13日祈祷会「無言の行進」ヨシュア記6章1節〜27節
  • エリコ制服物語は、主の約束の地カナンの最初の土地取得は主ご自身が「軍の将軍」として勝利を導かれ、主の導きに信頼する礼拝者に与えられる主の救いであることを示しています。主の民として大切なことは、歴史を支配し、歴史の中でご自分の民を導かれるお方に信頼を寄せてひたすら服従するものに与えられる恵みの絶大さと、そのことを信じて従うものに、主は恵みを与えられることを、エリコの物語は告げているのです。この物語は [続きを読む]
  • 9月6日祈祷会「信仰は勝利」ヨシュア記5章1節〜15節
  • ギルガルというのは、「転がす」という意味です。何を転がしたかと言いますと「エジプトのそしり」です。エジプトのそしりとは、主の声に聞き従わなかったために、イスラエルが荒野で屍を晒すことになった、あのそしりです。今、割礼を受けることによってそのそしりが取り除かれます。ですから、ギルガルこそ「自分に死ぬ」所です。みじめな自分の中に留まるのではなく、もうそしりは転がし退けられたとしてこれから御霊に導かれて [続きを読む]
  • 8月30日祈祷会「ただ主が命じた」ヨシュア記4章1節〜21節
  • イスラエルの民がすべてヨルダン川を渡り終わった時、乾いた川底から12の石をとり、それを宿営に据えて、永久に記念とするようにと、神はヨシュアに命じました。ヨシュアはその命令に、「あらかじめ用意しておいた12人の者を召し出し」応じています。既にヨシュアは神にその命を受けていましたが、それがいつ実行するかわかっていたわけではありませんでしたが「ただ主が命じた」というので事前に12人を選ぶように勧めていまし [続きを読む]
  • 星野富弘さん展覧会のご案内
  • 10月に川口市立アートギャラリーアトリア(アリオ川口そば)にて星野富弘氏の詩画集カレンダー花と詩のアート展が開催されます。口に筆をくわえて描かれる絵と詩は心動かされます。クリスチャンでも星野さんは、聖書からの切り取りがあったり、根底にある聖書の考え方をわかりやすく教えてくれる作品もあります。お時間ありましたら、ぜひ足をお運びください。 [続きを読む]
  • 夏季聖会の恵み 正子先生の証③
  • 聖会6 信じることが扉を開く  ルカによる福音書8章40〜42 49〜56ヤイロの娘のいやしヤイロという会堂司、特別な人・集会所の責任者・パリサイ派の律法学者(イエスの反対派の人)でした。イエスにお願いするために前に出ていくのは勇気がいること、そんな人がイエスの前に来ました。一大決心をもって主の前にきたのです。ヤイロの気持ち、なぜ、誰がさわったかなんて言って立ち止まるのかというイエスへの苛立ち、イエスは触れ [続きを読む]
  • 祈祷会8/23「心の健康診断」ヨシュア記3章1〜17節
  • 身をきよめるとは、祭司の振りかける清めの水を受けるとか、着物を洗う等の実際の行為を意味しますが内面的に言えば自分の心を見つめ、自分の中に罪がないか、悪い動機がないか、謙虚な心があるかを調べることです。これは心の健康診断です。今、私達も身をきよめましょう。「ごめんね」と言えていますか。穏やかですか。ゆとりがありますか。人を思いやることができますか。前向きですか。自分の問題的が見えていますか。自分が最 [続きを読む]
  • 8月第四礼拝「心の割礼」ローマ人への手紙2章17節から29節
  •  第2コリントの手紙5章17節に「誰でもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られたものです」という御言葉があります。この「誰でもキリストのうちにありなら」という言葉を、モファットという聖書学者は、「だれでもキリストに信頼するなら」と訳しています。つまり、たとえクリスチャンであってもキリストに信頼しないなら、キリストに信頼することを忘れていたら、新しく造られたものとしての人生を歩むことはできないの [続きを読む]
  • 夏のBBQ inときがわ🍖
  • 25日ときがわ町の木の村キャンプ場で壮年会主催で交流バーベキューを行いました。猛暑の日ではありましたが、河原にふく風は涼しく、川の水はさらに冷たく、しばし暑さを忘れ、楽しいひと時を持つことができました。初めての場所でしたが、バーベキューを楽しみ、子どもも大人も川遊びをし、上流の滝からマイナスイオンを浴びたり、良い交わりの時が持てたことに感謝の一日を過ごすことができました。次の機会は、さらに多くの方々 [続きを読む]
  • 夏季聖会の恵み 正子先生の証②
  • 聖会(3)「主イエスに触れられるならきよめられる。」 ルカ8章40〜28節群衆が求めていたイエス様は、ガリラヤ湖を渡ってゲラサ人の地方へ行ってしまった。でも群衆はいた。またイエス様が帰ってくると待っていた。押し追ってきた。多くの群衆のために窒息させられるという言葉をルカは使っていた。もみくしゃ状態。そさくさにまぎれどさくさにまぎれ一人の女がイエスの衣のふさに触った。この女が苦しんでた12年間、失われた1 [続きを読む]
  • 夏季聖会の恵み
  • 三浦正子先生の夏季聖会の証です。長いので何回かに分けて載せさせていただきます。貴重なお話に感謝いたします。毎年夏にもたれます夏季聖会に今年も参加することができまして、感謝でした。今回の講師は栃木県小山市で伝道されておられます石田学先生でした。先生がこの聖会でメッセージとして用いられました聖書の箇所はルカによる福音書八章26節から56節です。聖会(2)「主イエスのきよめ、宣教えと道示す」宣教は究極的には神 [続きを読む]
  • 8月第三礼拝「神の愛があなたを導く」ローマ人への手紙2章1〜16節
  • 一章後半部分で、人はすべて罪人であることを語り、二章でユダヤ人の罪を指摘します。神様はユダヤ人に律法を与えられました。律法は何よりもそれを守ろうとして守れない自分の罪に気づき神の恵みによりイエス様の贖いによって備えられた、信仰によって受けるべき救いを求めるように導いてくれます。しかし、”ユダヤ人は神から律法を与えられたことを誇り、真剣に律法と取り組み、それを守ろうとして守れない自分の罪には気づかず [続きを読む]
  • 祈祷会8/16エリコを探る斥侯とラハブ ヨシュア記2章1〜24
  • ヨシュアの命によって2人の斥候が忍び込んだことが、エリコの王にかぎつかれますが、遊女ラハブの気転と知恵によって、王の追跡からうまく逃れることができるこの体験は、ラハブとその一族が、イスラエルの侵入によって重大な危機が訪れたことを覚悟し、その侵入により滅ぼしつくされることを免れるためのものであることを強調しています。ラハブは、この土地の将来に下される決定を認識しています。この神の決定に従わないことは [続きを読む]
  • 夏季聖会に参加して①
  • 7/31〜8/2に岡山県において夏季聖会がもたれました。教会から参加された方のあかしをご案内いたします。このあかしが祝福され、また多くの方々に伝えられますことをお祈りいたします。朝日鮮やかにサンロード吉備路を照らすさわやかな所で、みことばをいただいて参りました。「きよめ」とは、イエス様を信じ続けながら天への望みを持ち続ける旅人だと教わりました。感謝[https://philosophy.blogmura.com/protestant/ranking.html [続きを読む]