聖泉キリスト教会 さん プロフィール

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聖泉キリスト教会さん: 教会日記
ハンドル名聖泉キリスト教会 さん
ブログタイトル教会日記
ブログURLhttps://blogs.yahoo.co.jp/seisen_kawaguchi
サイト紹介文川口市朝日にあるキリスト教会です。日曜学校や礼拝はじめ、交流のイベントをしています。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供23回 / 365日(平均0.4回/週) - 参加 2016/02/16 12:51

聖泉キリスト教会 さんのブログ記事

  • ゴロゴロの小さな祈り🎵きみはあいされるために生まれた
  • ゴロゴロです親子礼拝の時は大人の礼拝に子どもたちも参加し、ともに子ども賛美を歌います。厳かに歌う聖歌や賛美歌も心洗われますが、歌詞がダイレクトな子ども賛美も強く胸に迫るものがありゴロゴロは好きです。その中に『きみは愛されるために生まれた』という歌があります。イエス様による愛があふれている歌です。ぜひネットで検索いただければと思います。ゴロゴロはある事件を知ってからこの歌を思い、心を痛めています。誰 [続きを読む]
  • 6月第三礼拝「神のみわざに目を留めよ」伝道の書7章1〜29節
  • 私達の人生には順境の日と逆境の日の繰り返しが必ずあります。そのときに、「なぜ」という意味での「反省」をするのではなく、「これもあれも神のなさること」と、現実をそのまま受け止め、そこで神様から問われていること、今、対処すべきことに心を集中すべきでしょう。しかも、そのように見てくると、どんな災いの中にも、神がそれに合わせて数多くの恵みを与えていてくださることがわかります。今週の霊想句すべての訓練は、そ [続きを読む]
  • 祈祷会6月7日「クリスチャンの特権」
  • 出エジプト32:15〜35約束の土地は与えられるけれども主の臨在がない、という状態をみなさんはどう思われるでしょうか?この神のご発言にどう反応するかによって信仰者としての態度が問われます。なぜなら、主の臨在がないことに強い衝撃を受けないのであれば、自分が神の祝福を求めているけれども、神ご自身を求めているわけではないということが明らかにされるからです。クリスチャンがクリスチャンである特権は、主がともにおら [続きを読む]
  • 6月の賛美〜その大きな愛ゆえに〜
  • 礼拝では毎月1曲聖歌隊が練習した賛美を捧げます。これからはそれも紹介していきたいと思います。その大きな愛ゆえに主イエスの愛 いま受けます 罪人のため あなたは来られ十字架により いのちささげられ永遠の赦し 与えられた主イエスの愛 いま受けます私のために あなたは来られ十字架により いのちささげられ永遠の赦し 与えられたイエスの十字架見上げ あなたをほめたたえますただ恵みによって救われたその大きな愛ゆえに主イ [続きを読む]
  • 6月第一礼拝「何が人のために善か」伝道の書6章
  • 人間にとって最大のむなしさは、見通しの悪さです。人生について将来の見通しを立てられる者はいないからです。これから先の人生、何年も遊んで暮らそうと富を蓄え、病に冒されるという見通しの悪さ。大きな理想と夢に燃えて乗り出した事柄が、ただのけ幻想で終わってしまう見通しの悪さ。あらゆるむなしさは人間の見通しの悪さにあるのです。となればやはり私達は人間の限界をはっきりと認めて、神様に見通しを与えていただく必要 [続きを読む]
  • 5/31祈祷会「立ち直りの道」出エジプト来32章15〜35節
  • モーセは怒り狂いました。神の怒りを表しています。あかしの板を砕いてしまいましたが、それは彼らが十戒をやぶったことを象徴しています。そして、金の子牛を焼いて砕いて水にまき、イスラエルの人達に飲ませました。聖書が語っている憐れみは、私達が日本で耳にする「慈悲」とは全く性質の別ものです。神の憐れみは、その懲らしめや訓練の中にも現れます。私達が罪を犯さないように、私達を滅ぼす罪から離れることができるように [続きを読む]
  • 生ける泉より〜巻頭寄稿「聖霊の賜物」 
  • 当教会の牧師であります三浦愛先生が連合の機関誌に寄稿されましたので掲載いたします。 聖泉キリスト教会 三浦愛使徒行伝二章は、弟子たち一同が集まっているところに聖霊が与えられて主イエスの福音を大胆に語り出し、伝道する教会が誕生したことが記されています。「突然」と書かれています。つまり人間が計画したことではないということです。人間が企画し、人間が用意周到に準備して実現したことではないのです。 [続きを読む]
  • 5月第四礼拝「神が心に喜びを満たす」伝道の書5:1〜20
  • 満足する秘訣はものを得ることではないです。主に信頼するなら満足できる。主をあなたの喜びにするなら満足できる。すべての物よりも 主を求めるなら満足できます。そして金持ちでまろ貧乏でも、たくさんのものを持っても、あまり持っていなくても幸せになります。どの状況になっても、あなたは喜びと平和を得ることができます。そうだったら、何を持っていても、いなくても、満たされた人生を送ることができます。今週の霊想句私 [続きを読む]
  • 祈祷会「執り成しの模範」出エジプト32:1〜14 5月24日
  • 神はモーセの執り成しさえ導かれていたのですが、これは、私達の執り成しの模範であります。私達は神の恵みに拠頼むときに、主の祝福があります。私達の行ないや功績ではなく、神の栄誉や御業を前面に出した祈りが必要です。主が私達にしてくださったこと、つまり私達の罪のために十字架につけられ、義と認められるためによみがえってくださったゆえにお赦しください、と祈ることができるのです。私達は祈りの中で、このような神中 [続きを読む]
  • 日の入り
  • ゴロゴロです。 だいぶ日の入りが遅くなり、仕事からの帰り時間に、仕事場を出る時はまだ薄暗いのですが、徐々に暗くなり、月がはっきりしだし、家に着くころにはしっかりと夜空となるようになりました。 1:5神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。第一日である。 そんな光景を感じながらふと、創世記の一節が浮かびました。ああこの時間も神様が守り支配し続けているのだと感謝を感じます。普 [続きを読む]
  • 祈祷会「天国の模型」出エジプト25:1〜40 5月17日
  • 神様は幕屋を通して、より多くのことを私達に教えたいのです。神様はこれからモーセに、幕屋に必要な材料、その用具の形や寸法、必要な数などを伝えていきます。そして一つの事柄を伝えられるごとに、「わたしがあなたに示すのと、全く同じように作らなければならない」と言われています。神様はなぜそこまで正確さを求めるのでしょう。ヘブル9:24に、「キリストは、本物の模型にすぎない、手で造られた聖所に入られたのではなく天 [続きを読む]
  • 5月第三礼拝「孤独からの解放」
  • 伝道の書4章1節〜16節現在の日本社会は小家族の時代になっています。「三つの撚り糸」を持ちにくい、孤独な人が増えているのです。ここに教会の役割があります。「二人でも三人でも、私の名において集まる所には、私もその中いるからです」(マタイ18:20)2人がいるところには、新たな一本が生まれます。希望や信念という支柱となる一本ができます。そこに二人が祈り合うことによって強くなることが出来るのです。私達にはイエス・キ [続きを読む]
  • 教会の入り口で。
  • ゴロゴロです教会にいく楽しみの一つに玄関で迎えてくれる花々があります。今は紫の可愛い花がとてもきれいです。 [https://philosophy.blogmura.com/protestant/ranking.html ][https://localkantou.blogmura.com/ranking.html↑ブログランキング参加中。 アドレスをワン お願します。 [続きを読む]
  • 5月第二礼拝 5/13
  • 伝道者の書 3:1〜2(旧約:口語訳p923、 新改訳p1104)人は自分がつらい時には物事の一側面しか見ることができないものです。そして物事を悪く考え、自分はこの暗闇から抜け出せないかのように思ってしまうことがある。しかし、「生まれるのに時があり、死ぬのに時がある」 人間には喜びの時もあるし悲しみの時もある。いつでも悲しみに沈んでいるわけではないし、いつでも喜びに満ちているわけでもない。変化の中 [続きを読む]
  • 5月10日祈祷会
  • *祈祷会〜「主の栄光」 出エジプト24:1〜18  神様はご自身の夢を、わずかな人に告げられる。神の声を丁寧に聴き、神の民を神の民として育て導く働き人にそれを告げられるのである。神に一人近づき、匿われて、さらに自ら神に近づき、神と語り合う。それは、神秘的なことではなく、神が託された聖書を、真摯に読み解いていくことに他ならない。だがその一事を守る人は、山に登るようにわずかです。神のことばである聖書を [続きを読む]
  • 祈祷会5月3日「正義心の勧め」
  • 出エジプト 23章1〜26節 私達が神様に従っていく時に、神様が私達の味方となってくださる。また神様が私達の生活と健康を保障してくださる。更には、神様が私達の住む所を備えてくださいます。キリスト教信仰はご利益ではないが、ある意味で日本人が毎年、神社仏閣で祈願するようなことについて、きちんとした保障をしてくださっているのです。聖書の神様は天地創造の神であり、石や木で刻んだ像とは違います。誠に恐れるべ [続きを読む]
  • 週報より「風を追う」5月第一礼拝
  • 伝道者の書 2:18〜23 神様を抜きにした楽しみは、単なる快楽、娯楽であり余興に過ぎません。しかし、人が神に立ち返り、神に与えられたものを楽しむなら、それは感謝と賛美を備えた豊かな楽しみとなるのです。人は与えられた多くのものを手放し、整理し分け与えて、感謝とともに神の元へと帰ることができる。人間は楽しみだけに生きていくことはできない。神を覚えればこそ人生に意義を見いだすこともできるのです(1コリ [続きを読む]
  • 寒い夜に
  • ご無沙汰しています。ブログ管理犬ゴロゴロです。昨日、今日は季節がわからなくなるなるほど寒いですね。😵暑いのも寒いのも苦手なゴロゴロですが、季節外れのこんな寒さも神様のご計画なのかなとふと思い、次の御言葉が浮かびました。「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています」(ローマ8・28)季節の移り変わりを [続きを読む]
  • 2018年 四月第五礼拝
  • 『聖書の歴史を学ぶ』第1ヨハネ 1:7〜10(新約:口語訳p376、 新改訳p465)死海文書の著者が誰であるかについては諸説あるが、現在に至るまでもっともよく知られ、広く支持されてきた学説は、死海文書の著者をクムラン教団の人々と考え、クムラン教団を古代ユダヤ教のグループであるエッセネ派の共同体とみなす説である。この説によれば、クムランに拠っていたエッセネ派の共同体によって死海文書が記され、ユダヤ [続きを読む]
  • 礼拝の帰り道
  • 先日の礼拝の帰り道、かわいい花を見つけました。寒かったのもいつのまにか歩くのには気持ちよくなり、(むしろもう暑い(^-^;)?)、道端にも季節の移ろいを感じます。歩かなければ気づかない場所にも美しい花を備えてくださる。神様の恵みに感謝です。生物に疎いゴロゴロがyahoo!先生にお聞きしたところチェリーセージというお花のようです。 [続きを読む]
  • 祈祷会:主に任された管理 4月26日
  • 出エジプト21:1〜2  22章は、今の日本の法規則に通じる内容があることも理解されますが、その行間に、愛の神の民として生きる、という基本姿勢が定められていることを思わされます。私達が聖書のみ言葉を守るのは、私達の信じる神様が聖であり、愛の方であることを知っているからであって、聖さと愛が人間にとっては根本的な価値であると信じるが故です。私達が主にある者としての自覚を失わずに歩ませていただきたいもの [続きを読む]
  • 四月第五礼拝 週報より
  • 『聖書の歴史を学ぶ』 第1ヨハネ 1:7〜10 (新約:口語訳p376、 新改訳p465)死海文書の著者が誰であるかについては諸説あるが、現在に至るまでもっともよく知られ、広く支持されてきた学説は、死海文書の著者をクムラン教団の人々と考え、クムラン教団を古代ユダヤ教のグループであるエッセネ派の共同体とみなす説である。この説によれば、クムランに拠っていたエッセネ派の共同体によって死海文書が記され [続きを読む]
  • 近況
  • またしても更新が滞ってしまいました教会の近況です。3月にプレハブを解体し駐車場になりました。だいぶ印象がかわりました。五月の爽やかな風とともに新しい出会いがありますように。皆様のご来会を心よりお待ちしています。 [続きを読む]