小梅日記 さん プロフィール

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小梅日記さん: 小梅日記
ハンドル名小梅日記 さん
ブログタイトル小梅日記
ブログURLhttp://blog.goo.ne.jp/koume87
サイト紹介文主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解きます。
自由文旅日記や万葉集、百人一首などもあります。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供69回 / 365日(平均1.3回/週) - 参加 2016/02/16 17:16

小梅日記 さんのブログ記事

  • 七月十一日、十二日
  • 七月十一日 少々くもる。朝、遠藤一郎が頼んでいた賄い方借用のことにつき来る。またそのことで岩一郎は浅之助宅へ行く。母君は金比羅参り。七月十二日 了吉が礼に来る。57匁と一歩持参。茄子20個持って来た。酒飯を出す。野呂も来て酒を出す。夕方には主人と連れだって出て行く。楠本屋へ金2分瓶代として持参。ギヤマンの鉢鉢を一つ貰った。蔵六も居て一盃?んだ由。喜多村から手紙が来たので返事を持たせてやった。夜には母君 [続きを読む]
  • 七月十日
  • 七月十日 涼しく、天気上々。主人、早朝に遠藤へ行く。栄谷才次郎が麦を二斗持参。八十目だが二匁値引いたという。千代が胡麻油を二合ばかり持って来た。一匁渡す。内田と田中から中元祝儀を届けられる。伊勢蔵六が印を一つ持って来た。酒を出す。肴を見に行ったが三箇所とも何もなく魚を1匹持ち帰りそれで一盃だした。夕方から下条伊兵衛殿(家老)の葬送を熊五郎を連れて見立てに行った。小梅もと岩一郎やとよらと行く。おおい [続きを読む]
  • 七月八日、九日
  • 七月八日 晴天。主人は2時頃から山本督学やかけひなどへ行く。土産持参なり。藤四郎も同道で帰りに一杯飲む。その後岡野へ行く。安田市兵から手紙が来る。実家の兄が病死したので半減の服を受けさせられたゆえに稽古を休むとのこと。下条伊兵殿(家老)死去なり。七月九日 8時過ぎにパラパラと降る。ひどく蒸す。昨日、笹屋が日本外史を二冊持参。一昨日は室内膳とやらへ海防の写本1を貸す。出張の折に持参した。松九へ向かい七 [続きを読む]
  • 七月六日、七日
  • 七月六日 大いに暑い。喜多村から頼母子の申し出の手紙が来た。主人は未だに不愉快なので返事は後でと使いを帰す。伊藤から祝儀に金と肴3を送られた。安兵衞と熊がきて井戸かえ(さらい?)表と裏で3匁なり。夕方に浅之助が来て酒を出す。遠藤へ申し込みくれ候にと頼み置かれたことに返事した。七月七日 8時頃出勤する。昨夜、吉田真善方へ太市郎等会で行く。市川へも出がけに寄った。盥の桶輪入る。4時過ぎから昨日申し込まれ [続きを読む]
  • 七月五日
  • 七月五日 魚九で大きなスズキを1本12匁で買う。これを山中殿へ土用見回りに贈る。同じく4匁5分で塩ハマチ2本を求めて岡本次郎左衛門にこのほど結構なことがあったので祝いに送った。滝本源三郎が来て酒を出す。主人は学校当番なのでお城へ行く。ついでに岩橋藤助宅により滝本も同道した。4時頃帰宅し少々暑いという。酒井省安が土用見回りにきた。にゅうめんを出す。酒井は白砂糖と麦の粉を持参した。滝本へは肴切手二枚、岩 [続きを読む]
  • 七月四日
  • 七月四日  早朝に八幡さまへ参詣した。昼前に了吉がそうめんを持って見回りに来た。飯を出す。その内に富永章蔵もきて酒を出した。覚円寺もきた。菓子持参。同じく酒を出す。野上よりのアユ10串を山半が持って来た。守谷庄七から魚、土用の見回り(お中元のこと)。これを田宮に送った。手紙などを書くのに大忙し。岩橋両人からスズキ1本を添えてしゅうぎがくる。そのスズキを料理する。岩一郎が米を搗く。田中へ上下(重箱? [続きを読む]
  • 七月二日、三日
  • 七月二日 山半が蚊帳持参で来る。42匁。こちのを12匁というのでとりあえず見合わせる。主人は2時過ぎに三浦公へ行く。夕方、村井貞二?から干物を六つ届けられた。七月三日 昼前にほろほろ降りかけたが晴れた。田宮儀右衛門が礼に来た。ぶしゅかんとお茶を出す。塩を買った。小鯛7つ鈴木芳右衛門方のこの間の祝いに送る。榊原忠二郎葬送に行く前に田中善一殿の見回りに行く。いったん帰宅すると遅くなるので、田中家で上下 [続きを読む]
  • 七月朔日
  • 七月朔日 快晴。なんでもこの頃は天気が良くて作物のできがいいらしい。昼前から主人は諸木や丸山へ行くとのこと。早朝に遠藤一郎が来た。同五へ酒2升とりにやる。山半へも蚊帳のことを申しやる。夜には岩橋藤助殿がこられて酒やかつおの造りを取り寄せた。2時過ぎまで話された。岩一郎は具合が悪く寝ていた。 [続きを読む]
  • 六月二十八日、二十九日
  • 六月二十八日 風があって涼しい。4時前から主人は土用の見回りに行く。とよは提灯を返しに秋田へ行く。嶋本伝右衛門から赤飯が届く。早朝におかねが昨日の小重を返しに来た。昨日、信江が帰った。主人は夜の8時頃に帰った。岡本次郎左衛門がまた筧からの知らせの手紙がくる。六月二十九日 早朝、鈴木正五郎がアユ10、イナ9匹を持参した。主人は4時頃から出かけた。岡本次郎左衛門が朝比奈舎人跡大御番組頭を仰せつけられたので [続きを読む]
  • 六月二十五日、二十六日、二十七日
  • 六月二十五日 小梅は朝から寝ていた。とよも腹下しで起き出したものの直ぐ寝た。母君は大困り。薬屋へ行きご飯も炊き、忙しいこと。塚山が来る。主人は夕方から秋田和太郎宅へ行く。在宅で逢えたという。越後縞一反送る。これは三つ山の筈。六月二十六日 小梅の具合はかなり良くなり今日は起きた。とよも同様。主人は学校当番でお城へ行き2時前に帰宅。今晩は腹が立っておおいに怒った。六月二十七日 朝の6時から岡野の別荘で読 [続きを読む]
  • 六月二十四日
  • 六月二十四日 今日も小梅は夕方過ぎまでお腹が痛くて気分が悪い。主人は山口か秋田へ用事があって行った。鈴木芳右衛門から、昨日御勘定奉行の指図を受けご用部屋へ罷り出て相務めるようにと仰せつけられたとのこと。しかし当分の間はかかりかけてるあの本居と一緒に古文書調べの役をまずまず勤めるようにとのこと也。それにつきおみきをあげたいので来てくれよと言うので帰ると直ぐに行った。芳太郎が夕方に呼びに来たのだ。午前 [続きを読む]
  • 六月二十三日
  • 六月二十三日 昼飯を信江どのに出す。混ぜ寿司。山本彦十郎殿から使いがくる。志として30個の饅頭切手とあの書き付けを持って来た。今日はお召し状があり、知らせるところは田宮儀右衛門、浅井源兵衛、お小姓組番頭に仰せつけられる。それゆえ当家にも来いと再度使いを寄越した。しかし、断る。岩橋角助も結構是非来いとのこと、たなかも祭だから来いよというので岩一郎が行った。主人は中谷沢之助の名付けを持参。田宮へも行くは [続きを読む]
  • 六月二十一日、二十二日
  • 六月二十一日  快晴。喜多村から饅頭25を持って使いが来た。疱瘡の見舞いをしたお礼とのこと。昼過ぎに岩一郎は岡野へ行く。夕方に主人も行く。安兵衞が帯を持ってきた。代は43匁のところ1匁まけるとのこと。とりあえず置いていく。母君は夕方から喜多村に祝いと見舞いがてら行く。留守中に久右衛門殿が来て「明後日は祭なので」岩一郎に来いとのこと。六月二十二日 土用の入り。ご機嫌伺いでお城に9時くらいに出かける。途中 [続きを読む]
  • 六月十八日、十九日、二十日
  • 六月十八日 快晴。山中殿へまず行ってみる。稽古はなし。それから、川上へ祝いに行く。鈴木芳右衛門殿へ行く。酒を?む。提灯借りる。北村へも鳥(ツバメ?)が渡り寄ったとのこと。六月十九日 のちくもる。夕方から大雨。遠くで雷鳴。昨夜、信衛が病気快癒の礼にきた。小鯛2尾と貝少々を持参した。2時頃、野呂が来て酒を出し夕方前に帰った。昨日、舟乗りで小栗の養子に水をかけられて不愉快だったそうだ。和歌に居るのも厭なの [続きを読む]
  • 六月十七日
  • 六月十七日 蘭引で酒を取る。直川へとよを参らせる。金森殿の家来に手紙を寄越した。それによれば伊藤泰蔵が膈(食べ物が通らなくなる病気。胃癌、食道癌など)のようなので致し方なく秘法の鳬(けり)という鳥を黒焼きにして食べると妙薬になるそうだ。なんとも手に入らないのでどうすればいいかと申し候ところ、あちこちでいろいろ世話になったが、大坂方面までも詮索されたがとんと見つからない。捨て置けることではないけれど [続きを読む]
  • 六月十五日、十六日
  • 六月十五日 朝起きたら大雨が降っていた。4時頃から降り出したとか。8時頃にあがったが少しずつ降り続けた。山形屋太が越後帷子地を持参した。小弁慶62匁なり。是を買う。御通り丁筋へ送ることになっている。上九が肴を持って来た。代金は3匁6分で5尾。その内鯛が2尾。北村の次男が疱瘡なので見舞いに送った。夕方、田屋へ畳紙二つ持たせた。六月十六日 しぶしぶの天気だ。日高やへ酒2升を取りにやる。安兵衞が来て絹糸5分を受 [続きを読む]
  • 六月十三日、十四日
  • 六月十三日 上々の天気だ。安兵衞は庭の草取り。主人は学校当番。夕方、田屋へ画を11枚持たせてやる。夜にこいくが来てとよが片原まで送って行った。彦右衛門殿がきて先日の扇の画は出来ているかと言う。まだやってなかったので直ぐに描いてまだ有馬に居るらしいので安兵衞に稽古場まで持たせ行かせた。守之助の頼みだということだ。墨菊と墨桜を描いた。六月十四日 安兵衞が早朝に来た。2時過ぎに山本督学がお出でになる。肴 [続きを読む]
  • 六月十一日、十二日
  • 六月十一日 快晴す。昼過ぎに野呂が来る。酒を出し一盃、飲んでから主人は山本督学宅へ昨日の挨拶に行く。清吉を同道して10時前に帰宅した。喜多村進之助がくる。先日、伴右衛門は改名した。次男が疱瘡だという。六月十二日 快晴。夏のようだ。未だ蝉の声は聞こえないが4月くらいの気候なり。主人は評定所の当番ででかけた。夕方前に岡本作五郎から画の図を取りに寄越す。すぐに渡す。昨日の夜には宮本へ行った。 [続きを読む]
  • 六月十日
  • 六月十日 快晴だ。2時頃から岩一郎が斉観寺へ行く。山本先生から省太郎の遺物の袴地を一つ送られる。返事をしないで使いの者をまず帰す。半切りに竹を書いたものを取る。鈴木と村井は扇1本づつ。田中竹蔵とかいう人とは紗と木綿が当たったとか。夜、塩ハマチ片身を1匁で求めてきて皆で食べた。梅本夫婦も呼び、酒を借りた。そのうちにとよが帰り、母君と金比羅へ参る。小梅は具合が悪い。 [続きを読む]
  • 六月八日、九日
  • 六月八日 大風雨。鈴木芳右衛門より手紙が来た。本を返してくれとの由。戸田殿が手紙を持って来たのでその場で返した。こいくは昼前に帰った。六月九日 ようやく雨が上がった。主人が三浦に悔やみに行ったが、もはや昨日に葬送を終えていた。寺は坂田了望寺だという。そこで主人は山本督学とうし町の山中殿へ行った。内田へも行き宮本へ行く。光明院、楠本やなど12、3軒へ行ったとのこと。岩橋でも大いに酔い、そのほかでも、も [続きを読む]
  • 六月七日
  • 六月七日 昼頃、栗山が大きな鯖を2本持ってきた。野呂がきて酒を取り寄せ一杯だす。呉服やの安兵衞もきたので一緒に酒を出した。なら上布の帷子古手を27匁で求め、こちらの帷子を一つ渡す。これは18匁で引き取られた。小麦餅を一つ遣う。三浦から手紙が来る。伯父御の仲之助殿が霍乱(激しい下痢腹痛)で養生していたが至極悪化したとの知らせで即4時頃行く。さて、今日は学校当番のところをとんと忘れていたら御用人等が待ってい [続きを読む]
  • 六月五日、六日
  • 六月五日 大いに快晴する。何事もなし。久下馬輔来る。竹輪くずし1本持参で直ぐに帰った。しげの殿が梅本へ来られたと寄る。夜は小魚を求め了吉へ一杯出す。六月六日 天気良し。2時頃、了吉宅から小麦餅を二個持って人が来た。酒と寿司を出す。扇子2本へ画をかいて欲しいというので小梅は早速に菊の墨画と彩色した海棠を書いた。岩一郎は岡野へ行く。4時過ぎから主人も岡野へ行った。その時、千代が芭蕉の根を貰いにきた。熱 [続きを読む]
  • 六月四日 
  • 六月四日 少々雲動く昨日したの洗濯の糊貼りがせわしい。2時頃九右衛門殿が近くまで来たので寄られたがすぐに帰られた。主人は岩一郎と山本先生の逮夜(命日の前日の法要)に参った。帰りにそば屋へ寄った。岩一郎にと岸恪助からそば五膳を寄越される。岩一郎は市川へ行き、10時過ぎに大雨に濡れて帰った。傘や下駄は借りた物の役に立たないほどの雨だった。主人は雨が降る前に帰った。岩橋の会で了吉らが行ったが真善の気分が悪 [続きを読む]
  • 六月朔日、二日、三日
  • 六月朔日  鈴木忠太夫殿が読みにこられる。六月二日  お城当番で9時半頃家を出るなり。当番が済んでから方々へ行く。田中にて昼をよばれ、岩橋、山本へも行く。伊勢やへの帷子入れ替えを利八に頼む。梅本まで品物一つと40匁を渡す。6色。六月三日 おおいに快晴。洗濯に大忙し。主人は4時過ぎから伊東竹之丞宅へこの間の跡目相続のお祝いに行く。北野へ寄って夕方帰宅。その前に楽亭という画人がきた。10日に会を催すので是非 [続きを読む]
  • 五月二十九日
  • 五月二十九日 快晴す。早朝に梅本から庄兵が夜中に病死したとの知らせが来る。(下働きによく来ていた庄兵は親戚の梅本の使用人だった)昼頃にお直がきて直ぐに帰り茶菓をだしたのみ。主人は学校当番なのでお城に出かける。庄兵への香典を5匁とよに持たせて遣わす。住吉町の岸へおくりを持参して当番代わりをもらう。主人行く。一口にも足らない茄子が一つ3文づつで6つ求めた。きゅうりが1本につき8文。いずれも不出来。麦だけは [続きを読む]