小梅日記 さん プロフィール

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小梅日記さん: 小梅日記
ハンドル名小梅日記 さん
ブログタイトル小梅日記
ブログURLhttps://blog.goo.ne.jp/koume87
サイト紹介文主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解きます。
自由文旅日記や万葉集、百人一首などもあります。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供94回 / 365日(平均1.8回/週) - 参加 2016/02/16 17:16

小梅日記 さんのブログ記事

  • 二月十三日
  • 二月十三日  雨は昼頃に上がった。今年初めての学校(藩校)当番。市川斎は熊野から帰ったと土産に田辺製の栃の木の短冊10枚とカブラ骨(鯨の軟骨)を一袋送って寄越した。2時過ぎに主人が帰宅。岩橋で酒を?んだそうだ。 [続きを読む]
  • 二月十二日
  • 二月十二日 今日も快晴。安兵衞が庭仕事に来る。母君は寺参りがてら出口の田中に行く。供のいさは先に返すはずなのに夕方まで帰らない。塩路嘉一郎が凍り豆腐百持参して来る。文選2冊貸した。主人は二時頃から三浦へ行って留守。江戸から水野殿の弟と留め役がくるそうだ。どんな趣意かわからない。権七もくる。主人は東大介を連れて八時頃に帰った。酒を出したが、東はかなり酔っていたので飲まずにしばらくして帰った。その後、 [続きを読む]
  • 二月十日、十一日
  • 二月十日  おおいに快晴する。清吉がきて酒を出す。夕方、出口より彼岸の餅二重寄越した。千代は先に帰り、後から喜助の倅がきた。久野と民江も迎えに来る。二月十一日 おおいに快晴。風が少しある。小笠原のために手桶をだす。何事か未だ知らない。今日より本読みに来る。三浦内の鈴木左衛門より、明日十二日から稽古はじめるので来るようにと手紙がくる。即、返事を書く。 [続きを読む]
  • 二月八日、九日
  • 二月八日 天気よし。廻状がきた。中将様の忌が朔日にとけたので、普請鳴り物が禁止されていたが最早その儀に及ばずとのこと。主人は板原へ行き薬を10袋貰って帰る。雄輔は疝癪(胸や腹がさしこむ病)らしい。二月九日 今日は総登城だが主人は出かけず。二時頃に楠本屋和夫がくる。酒を出し夕方まで話す。酒は昨日同五から二升持って来たもの。グチを二つ八百屋から取ってくる。夜、松下彦左衛門殿がきて加判のことを頼まれた。あ [続きを読む]
  • 二月七日
  • 二月七日 今日は初午だ。天気良し。4時前、母君は出口の隠居や子供等と観音へお詣りする。その内に出口の千代が迎えにきて隠居(久野)は夕方に帰った。主人は昼前に板原に行く。安兵衞が昼前にきて肴2尾、鯛、貝を三つくれた。それらは夕方に雄輔が板原へ持って行った。夜、廻状がくる。ご法事済みの謁で九日は総登城とのこと。野口玄長が病死の知らせがくる。 [続きを読む]
  • 二月四日、五日、六日
  • 二月四日 夜の八時頃に喜助等が老母の久野を迎えに来た。一杯だし、12時前に帰った。久野は残る。二月五日 雨が降る。出口の母が泊まっている。雨が降っているので退屈だ。夕方、善之助が迎えにこられたが道が悪いので今夜も泊めた。山本弘太郎から稽古(学習塾)はいつ頃から始まるかとの使いがきた。若菜ひと束寄越された。二月六日 快晴にはほど遠い。安兵衞がきたので酒を取りにやる。お目付衆から廻状がくる。10日過ぎたの [続きを読む]
  • 二月朔日、二日、三日
  • 二月朔日 大いに快晴なり。雄輔は千太郎と八幡へ参詣する。みなで御神酒一杯?む。小梅はからかみ貼り。山半がきて蒲団をひとつ買う。馬継常野へ書状一通頼む。二月二日 夕方に直七が手紙を書いてくれときて十時まで話す。その後いさにも頼まれて書く。二月三日 快晴。絵の具屋が来る。十一匁あまり払う。胡粉、筆、絹など。いさが出口へ久野を迎えに行く。 [続きを読む]
  • 一月二十八日、二十九日
  • 一月二十八日 今日はご機嫌伺いの謁見があるらしいが出て行かず。張り物をする。いさは松江を連れて出口へ行く。夕方過ぎに混ぜ寿司一重と辛子味噌を貰って持ち帰る。一月二十九日 昼まで降る。主人は野呂清吉宅へ行く。正月十五日に男子が生まれ、昴太郎と命名。藤助どのがつけたとのこと。金二朱とかんぴょうを贈る。雨が降りそうなので傘は持参したが、下駄を借りて帰って来た。おおいに酔っている。 [続きを読む]
  • 一月二十七日
  • 一月二十七日 雨が昨夜から降り続いている。今日は一位様のご遺体が藤白坂をお通りになるそうだ。泥道なのでお供の方々は難儀しているらしい。昨日からの雨で泥道になり仕方ないことだ。※藤白坂和歌山市海南市。熊野古道の一部。紀州徳川家の菩提寺である長保寺への途中にある。大化の改新後に十九才で謀反の疑いで有間皇子が処刑された場所。万葉集に残る有名な辞世の和歌の歌碑がある。磐代の浜松が枝を引き結び ま幸くあらば [続きを読む]
  • 一月二十六日
  • 一月二十六日 朝、六時頃に起きて準備する。8時前に西浜御殿に(一位様の)お見送りに行く。供は安兵衞。雄輔は鉄助宅へ誘いに行く。岡野の横で見奉る。事前から凄まじい人出だろうとの廻状があったが、大勢の女達も見物に出ているとのこと。お行列(葬送の)は凡そ7丁も続き、お先導は和合院で長柄輿の上で真っ白なお顔をされていた。日頃のお行列通りだそうだ。御西浜の御庭内で主人は拝した。白装束の女中が36人。そのほか常か [続きを読む]
  • 一月二十二日、二十三日
  • 一月二十二日 暖かい。世間はひっそりとして声もない。夜前から町々の門を宵から閉める。このようなことは今までに無い。一位様がお出かけ遊ばされお留守の時にも門はあけてはいたが、この度から夜は十時までで門を閉めるとのこと。灯し油を雄輔が買いに行く。一月二十三日 晴暖和なり。今日も中将様へご機嫌伺いに伺候する予定だったがとりやめた。権七を買い物にやる。松下へ手形書きし礼に牡蠣を送るつもりだったが牡蠣売りが [続きを読む]
  • 一月二十一日
  • 一月二十一日 雨十時日過ぎから降る。喪中につきご機嫌伺い(通夜?)に登城する。昼頃に相済みお目見えは以上。市川で傘を借りる。昨日四時過ぎに塩路嘉一郎がきて身分のことを話した。茶のみをだした。長坂から鍾馗(五月人形にあるしょうき)を板に描いてくれよと言ってくる。玉置縫が水ばかりを飲んで死去したという。伊達は十七万両引き下げらたそうだ。宮崎伴右衛門は頭取ゆえにこの節なのでお調べの最中なのに出勤に及ばず [続きを読む]
  • 一月二十日
  • 一月二十日 のどかなる天気なり。今日は一位様のご容体がかなりお悪いご様子なのでご機嫌伺いの謁見有りとの廻状がきたので出かける用意をしていたら、岸恪助が廻状を持って来た。仰せられることあり登城すべしとのこと。廻状を岩橋に回し主人は直ちに出かけた。浅橘がきて出がけなれど酒一つだす。肴は残り物。眼鏡屋がきて古いのを下取りに出し一歩二百文で買い換えた。千太郎に襖の切りはめを頼む。一位様、お加減が悪かったと [続きを読む]
  • 一月十九日
  • 一月十九日 大いに寒し。安兵衞が襖を買ってくると来る。二朱渡す。しかし、それはもう売れてしまっていて一反か選って出直す。真菜を抜いてひと包みを出口へ持参。日高やえも行って鞍掛(この場合は踏み台?)を持ち帰る。酒二升取る。学校当番に出る。いかのたたきを岩橋に持参して酒を?み箸箱を買って帰る。千代が久野を迎えに来る。寿司や赤飯の二重と取口など送られた。小梅は出かけようと湯浴びをしたがやめにして行く筈だ [続きを読む]
  • 一月十八日
  • 一月十八日 ご機嫌伺いに出る。四時揃い。今日は塾の日だがご機嫌伺いのために御殿に行く。夏目が来る。沼野が用事有りと断ってくる。十五日ひ鈴木久三郎から使いが来た。年玉として裏つき一足、菓子一箱持たせ寄越す。返事は後からと使いを帰した。秋月重三郎が来る。主人は留守だったが帰り道で会ったと連れだって帰り一盃だす。塩路嘉一郎の身上のことを頼まれる。夜、鷺の森へ皆で参るが小梅だけは留守番した。安兵衞が土掘り [続きを読む]
  • 一月十七日
  • 一月十七日 天気よし。今日は学校の初稽古なので揃って八時頃に出て行った。四時頃出口のご新造が、後から千代がきた。湯川ノブが娘を連れてくる。あり合わせで酒を出す10時前に帰る。雄輔が送って行く。また酒を出されたそうだ。二時頃に廻状が届く。一位様(十代藩主・徳川治宝。隠居ながら藩のトップ)のお加減が悪いのでご機嫌伺いの件。明日四時揃いのこと。 [続きを読む]
  • 一月十五日、十六日
  • 一月十五日 おおいに寒し。今晩も料理をしかねて居ると田中の家内が礼に来るというので少々拵えた。菜っ葉を摘むのもおおいに冷える。4時過ぎに内田の岩を着替えと酒券、鰹節を持たせ田中から寄越し、今晩参るとのこと。暮れ方に隠居のひさ代が千代を連れてきて10時過ぎまで話す。岩一郎(雄輔)が千代を送って行き一時間ほどで帰るという。12時頃なり。今晩からひさ代が泊まる。一昨日、伊達五郎が追放となった。十里の外。一月 [続きを読む]
  • 一月十四日
  • 一月十四日 暖和なり。安兵衞がくる。伊達の養子の五郎という人が※改易の由。玉置の倅も同様。伊達の家来衆荷物しるべの方へ持ち運ぶのに長持ち一さおが一貫匁づつとか。それさえ思うように人がいない。常々出入りの者等も一向に取り合わないらしい。江戸から止め役衆二人がきている由。彼らは二十里ばかりの所へ送られるそうだ。※改易 武士から身分を剥奪し所領と城・屋敷を没収すること。 [続きを読む]
  • 一月十二日、十三日
  • 一月十二日 天気良し。洗濯。2時頃、主人は高柳へ祝いに行く。その前、高柳が肴を持って礼に来た。ちぬ、さざえ、数七つに酒券三枚。主人は高柳から金森へ行き田中へも行った。酒に酔う。小梅は壁を貼った。一月十三日 快晴。温かい。梅本から赤飯が届いた。千太郎の誕生日だ。らんびきの箱、燭台の箱、掛け物の箱、ギヤマン箱、にしきて鉢の箱、太平箱の蓋付け、茶ほうじ九品を千太郎に頼んでいたのが今日出来てきた。喜多村か [続きを読む]
  • 一月十日、十一日
  • 一月十日 おおいに晴れた。が、朝はおおいに冷えた。風呂を焚く。斉藤彦助に昨冬に送ったぶしゅかん酒を入れた徳利を返しに来た。中に酒を入れて、寿司1本に手紙が添えられていた。千太郎にギヤマンの菓子鉢の箱を拵えてもらう。浅之助と善之助両人に酒を出し話して居るときに、高柳主馬の倅が明日呼び出されていることの知らせがきた。8時前に主人が帰ってきた。一月十一日 四時頃に高柳楠之助が礼に来た。稽古料(私塾の月謝) [続きを読む]
  • 一月九日 3
  • 一月九日 3向笠の伊勢道中は芸者風の三味線弾きを連れてのことで、夜毎、宿や膳食べるときは傍で三味線や唄が盛んで街道の者らの請けも良かった。五十両も持参していたのだという。和歌山を出立の時は芸技が六人も八軒やまで見送りにきて、三人ほどはそこから帰った。残る三人は橋本まで送ったそうだ。向笠は見送りにきた芸妓等に三両づつ与えたとか。出迎えの庄屋らへも盛んに酒肴でもてなし、みんなへも遺してくれよとの振る舞 [続きを読む]
  • 一月九日 2
  • 一月九日  2また、向笠三之丞も諸職人に何かさせたり買ったりの支払額が夥しいのを捨て置いて伊勢へ旅立っていったそうな。旅立つ前夜にはお金お払いくだされときた十九人を上に上げ一室にとどめ、酒を出し「今、客人ゆえに帰られるまで待たれよ」と言われて町人たちが酒を?んでいる内に0時頃に向笠は旅立ってしまった。皆々はあまりに遅いので取次人に事情を話してどうぞ「なんとかお払い下さい」と頼んだら、訳を知らない取 [続きを読む]
  • 一月九日 雨  1
  • 一月九日 雨 1朝の六時過ぎに地震で揺れた。最近は伊達と玉置のもめごとも静かになった。玉置の子は宝祥院へ預けられることになってメツホウ谷に居るとのこと。伊達の男子らから指し料(自分が差す刀)にと大小か脇差しなど12本の鐺(こじり=刀の鞘の末端の部分)を金にして12本で五貫五百目で請け負った鞘師が毎日毎日催促されてようやくできあがったので持参しようとした。ところが巷の風聞で虎の川へやられたなど聞き届ける [続きを読む]
  • 明日から三月
  • 何とか無事に帰宅しました。最後は大学時代の友人と三人で熱海で合流。熱海の泉質は好評でとても暖まります。翌日は満開の梅園へ行きました。おかげで宿は満室。「小梅さん」はどんな梅だったのだろうかとじっくりと散策。中山晋平記念館や瀧もありました。そうそう足湯もあって梅を眺めながら体の芯まで温まります。帰りの新幹線では久々に富士山が見られました。春から何か良いことがあるといいな。 [続きを読む]