じゃがいもピザ さん プロフィール

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じゃがいもピザさん: 二人のユダ
ハンドル名じゃがいもピザ さん
ブログタイトル二人のユダ
ブログURLhttps://blog.goo.ne.jp/jagaimopiza
サイト紹介文一人は革命家のユダ。一人は乞食に売られたユダ。ともにイエスの弟子となった二人のユダの絶望と裏切り。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供67回 / 57日(平均8.2回/週) - 参加 2016/02/19 08:16

じゃがいもピザ さんのブログ記事

  • 第8章 Qは再びマリヤに神の在否を質問する。
  • 「この間、せっかく『神の在否』を教えて貰ったんですけど、自分は頭が悪いから良く解らなくて・・・・・・。それで頭が悪いなりに考えたんですけど、自分は先生を“神の子”と信じ、それを通じて神の存在も信じようと思うんですが・・・・・・」「頭が悪いからじゃなくて、考えるのが面倒だからなんでしょ? きちんと考えれば誰でも理解できることよ」「いえ、本当に自分は・・・・・・」「どちらにしても、それじゃ駄目よ」「だ、駄目なんですか? [続きを読む]
  • 第8章 横顔  Qはヨハネの“視える”力が羨ましい。その2
  • 「これは生まれつきですからね〜」布教の旅を続ける道すがら、Qはふいに声をかけられた。声の主はヨハネ。(自分にもヨハネさんのように先生のオーラが視えたら、もう迷ったりしなくなるのにな〜)と、Qが思った時のことだった。繰り返すが、思っただけで、声に出してはいない。しかしQは「やっぱり駄目なんですかね〜」と、いつの間にか隣を歩いていたヨハネに普通に返答していた。もう慣れたというか、諦めていた。ヨハネの円 [続きを読む]
  • 第8章 横顔  Qはヨハネの“視える”力が羨ましい。その1
  • 私が来たのは地に平和をもたらすためだと思ってはなりません。私は平和をもたらすために来たのではなく、剣をもたらすために来たのです。なぜなら私は人をその父に、娘をその母に、嫁をその姑に逆らわせるために来たからです。さらに、家族の者がその人の敵となります。私よりも父や母を愛する者は、私にふさわしい者ではありません。             マタイ伝 第10章隣人愛を説かれたと思えば、すぐにこんなことを説か [続きを読む]
  • 第8章 横顔  ペテロは神の子に質問をする。その3
  • 「先生も死んでしまうんですか!?」ペテロは思わず尋ねた。イエスが自分の死後のことを話し始めたからである。「もちろんだ」「・・・・・・」「おそらく私はあなた方より早く死ぬだろう」「・・・・・・なんと・・・・・・」ペテロは首を振った。「・・・・・・先生は決して死ぬことなく、いつまでも私たちを指導して下さるものだとばかり思っていました」「それは出来ないことなのだよ」「父なる神に頼んで、先生の命を永遠にして貰うわけにはいかないの [続きを読む]
  • 第8章 横顔  ペテロは神の子に質問をする。その2
  • 別の日、ペテロはまたイエスに質問をした。「先生はいつメシヤ(救世主)になられたのか?」と。ペテロはヨハネのように“視える”質(たち)ではなく、その黄金に輝くオーラとやらは視えなかったが、それでもイエスが尋常な方でないのは良くわかっていた。たとえ“熱”は目に視えなくても、焚火に手をかざせば“熱”を感じ取ることができるようなものだが、イエスのそれは誰もが驚いて振り返ってしまうほどのものだったのである。 [続きを読む]
  • 第8章 横顔  ペテロは神の子に質問をする。その1
  • その日、ペテロはイエスに質問した。「先生、あなたは“神の子”ですか?」と。イエスは逆に尋ねられた。「あなたはどう思っているのだろうか?」「私は先生を“神の子”だと思っています。けれども私は先生の口から聞きたいのです」イエスは首を振られた。「私が真実を言っても、あなたはきっと納得しないだろう」「そんなことはありません」「いや、あなたがラクダを背負うことが出来ないように、あなたは私の答えに納得すること [続きを読む]
  • 第7章 病院のエレベーターに乗ったイエスキリスト 最終
  • 「耳のある者は聞きなさい」イエスを見る目が恐怖で真円になっている夫妻に向け、凛然としてイエスは説かれた。父なる神と人間との関係を、猟師とその子供になぞらえて??獣の通り道と獣の獲り方と、そして捕らえた獣からは直ちに血抜きをすることを猟師は子供に教えた。「血を食べてはならない」と。親子は仲良く猟に励んだ。けれども猟師の子供が山を下り、事故に巻き込まれて輸血が必要になったとき、その子供は「父親の言いつ [続きを読む]
  • 第7章 病院のエレベーターに乗ったイエスキリスト その5
  • イエスによって整然と語られた神の愛に、母親も言葉を失くし、夫妻は不安げに顔を見合わせた。先ほどまでの、これこそ神への信仰が試される時とばかりに輸血を拒んでいた頑なさが消えている。集中治療室に詰めていた医者や看護師たちは、これで漸く輸血の同意書にサインを貰えるだろうと期待したのだが、しかしそのとき、扉を開ける者があった。紺のスーツで痩身を固めた、黒縁の眼鏡が神経質そうな印象を与える男だった。「先生! [続きを読む]
  • 第7章 病院のエレベーターに乗ったイエスキリスト その4
  • 私は神の言葉を伝えに来たのではありません。私は神の愛を伝えに来たのです。父なる神は人間を愛し、時には耳に痛い箴言も人間を愛するがゆえのことでした。けれども神を敬愛するあまり、そしてまた職業的宗教家の権威のため、神の言葉は権威付けられ、人間のためにあった神の言葉がいつしか神の言葉のために人間があるようになってしまったのです。それは先ほど私が紹介した『安息日に穂を摘むエピソード』に如実に物語られていま [続きを読む]
  • 第7章 病院のエレベーターに乗ったイエスキリスト その3
  • 「そ、それは違います! 息子が生け贄だなんて!」「いくらイエス様の言葉でもあんまりです!」父親は抗議し、母親もそれに唱和したが、イエスは一歩も譲られることはなかった。「神の名のもとに命を奪われようとしているこの少年が、生け贄ではなくてなんだというのですか!?」「息子も望んだことです!」「その通りです。息子も??会の敬虔な信者で、日頃から『自分に万一のことがあっても輸血は決してしないように』とわたし [続きを読む]
  • 第7章 病院のエレベーターに乗ったイエスキリスト その2
  • 「『人の子は安息日の主です』と私が語ったことから、あなた方は何を学んだのでしょうか?」「どういうことでしょうか? イエス様」血を食べてはならないという箴言とその罰を旧約聖書からあげつらう夫婦を遮ってイエスは言われたが、夫婦は怪訝そうな顔をするだけだった。「弟子たちが安息日に穂を摘んだことをパリサイ人に非難された時のことです」「・・・・・・」顔を見合わせ、こそこそ話を交わした後で夫婦は答えた。「いえ、わた [続きを読む]
  • 第7章 病院のエレベーターに乗ったイエスキリスト その1
  • とある街でのことだった。Qは一組の夫婦にイエスに会わせてほしいと頼まれた。子供を助けてほしいのだと。異国の服を着た初老の夫婦だった。イエスのもとへ連れて行き、その旨を伝えると、イエスは快く引き受けた。夫婦に導かれて、角を曲がるたびに風景の変わる街をしばらく行くと、一行は雲をつくような白亜の建物にたどり着いた。ここは病院のため、申し訳ないが他のお連れ様はどうかご遠慮ねがいたいと、夫婦に地べたにつくほ [続きを読む]
  • 第6章 びっこのユダと娼婦のマリヤ 最終
  • あれから、ベッサイダの街に滞在していた三日間、Qはずっと自己嫌悪の殻に閉じこもっていた。このまま消えてしまいたかった。誰の顔も見ず、誰にも顔を見られたくなかった。ペテロが心配して声をかけてくれたが「大丈夫です」「なんでもないです」と目を見ないままで押し通した。人の心が“視える”ヨハネからは逃げ回った。あのとき??ユダとマリヤが睨み合っている間に呼び込まれたあのとき、Qは泣いてしまったのだ。子供のよ [続きを読む]
  • 第6章 びっこのユダと娼婦のマリヤ その5
  • 「反省してるわ!」いちじくの木の下に腰を下ろして革袋の酒をあおるユダに、マグダラのマリヤは言い募った。「悪かったと思ってる。悔い改めたいと思ってる。生まれ変わりたいと思ってる。そしてそれだけじゃなく、そのために努力だってしてる。先生のお力に少しでもなりたいと思ってる。私なりに一生懸命頑張っている!」でもあなたは何!?とマリヤは両手を腰に当てた前傾姿勢をさらに深めた。「なんにもしていない。ただ酒を呑 [続きを読む]
  • 第6章 びっこのユダと娼婦のマリヤ その4
  • そうしてユダもまたQにとって特別な存在になっていたのである。あの夜、「貧乏人の気持ちは貧乏人にしか解らないよな〜」とQの屈託を正しく言い当てられて、以来、Qはユダのことが何とはなしに気になるようになった。ユダがびっこの足を引きずっていく背中を目で追うようになった。誰かと話していれば、用事がある振りをして近づいて盗み聞きするようになった。するとユダはQの有能な代弁者であることが解ったのだった。「貧し [続きを読む]
  • 第6章 びっこのユダと娼婦のマリヤ その3
  • 「好きで娼婦をやってたわけじゃないわ・・・・・・」マリヤの声がQのところまで重苦しく響いた。「へえ、そうかい」「あんたなんかに何が解るのよ」「けっこう解ってるかもしれないぜ? ヒック」「どおゆう意味よ」「噂ってのはさ・・・・・・警戒しないんだろうな・・・・・・俺みたいに人様に見下されるびっこの所にはよく集まってくるってことさ」「だから何を言いたいのよっ」「ローマ兵士にマワされたあげく、結納金をとり損ねた糞親父に『妹 [続きを読む]
  • 第6章 びっこのユダと娼婦のマリヤ その2
  • 一行の中で、ユダだけがマリヤの前身にこだわっていた。マリヤを指して「娼婦」あるいは「娼婦のマリヤ」と呼ぶのを常としていた。一方、他のメンバーにはマリヤは他の弟子たちと同様、もしくはそれ以上の存在だった。イエスの教えをよく聞き、よく質問し“神の愛”を自分の言葉で話せるまでになり、しかし自分のようなものが表立つのはやはりイエスに迷惑がかかると、今は裏方に徹して、一行の宿を調達するために奔走しているマリ [続きを読む]
  • 第6章 びっこのユダと娼婦のマリヤ その1
  • ベッサイダの街に滞在していた頃のこと??日が沈みかけた通りの向こうから男女のいさかう声が聞こえてきた。そのどちらの声にも聞き覚えがあったQは、物陰からそっと覗いた。やっぱりであり、またかでもあった。イスカリオテのユダとマグダラのマリヤが言い争いをしているのだった。いちじくの木に背を預けて腰を下ろしたユダの、その股ぐらには茶色い革袋が挟まれている。十中八九中身は酒であり、マリヤはそれを咎めているのだ [続きを読む]
  • 第5章 奇跡 その4
  • こんな奇跡もありました。するとイエスは群衆に地面に座るようにおっしゃった。それから七つのパンをとり、人々に配るように弟子たちに与えられた。また、魚が少しばかりあったので、これも配るように言われた。人々は食べて満足した。そして余りのパン切れを七つのかごに拾い集めた。人々はおよそ四千人であった。                      マルコ伝 第8章でもこれって少し微妙なんですよね。「神格化」にし [続きを読む]
  • 第5章 奇跡 その3
  • もっとも治癒だけがイエスの奇跡として伝えられるものではありません。とある日、イエスは嵐を鎮めたことがあります。向こう岸に渡ろうとして、イエスと一行は舟を出したのですが、途中激しい突風が起こり、舟は波をかぶって今にも沈みそうになったのでした。ところがイエスだけは、ともの方で枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして言った。「先生、私たちが溺れて死にそうでも、なんとも思われないのですか?」イエ [続きを読む]
  • 第5章 奇跡 その2
  • ときに、12年の間長血をわずらった女がいた。誰にも治して貰えなかったこの女は、イエスの後ろに近寄って、イエスの着物のふさに触った。すると、たちどころに出血が止まった。イエスは「私に触った者は誰ですか?」と言われた。みな自分ではないと言ったので、ペテロは「先生、この大勢の人が、ひしめき合って押しているのです」と言った。しかしイエスは「誰かが私に触ったのです。私から力が出て行くのを感じたのだから」と言わ [続きを読む]
  • 第5章 奇跡 その1
  • それからイエスはガリラヤ湖の岸を行き、山に登って、そこに座っておられた。すると、大勢の人の群れが、足なえ、不具者、盲人、唖(おし)たちを連れてきた。イエスは彼らを癒された。唖がものを言い、不具者が治り、足なえが歩き、盲人が見えるようになった。群衆は驚き、イスラエルの神を崇めた。                    マタイ伝 第15章イエス・キリストを語る時に欠かせないのがこうした治癒の奇跡であるが [続きを読む]
  • 第4章 貧しき者は幸いなりや その4
  • Qはイエスが大好きだった。イエスといると、いつも幸せな気持ちになれた。イエスの眼差しの中は、いつも暖かいものであふれていた。Qはいつまでもイエスと一緒にいたかった。イエスをずっと信じていたかった。しかしイエスという“恋人”はしばしばQの理解の範疇を越えて、Qを迷わせ、苦しめるのだった。「貧しき者は幸いなり」山上でそう垂訓を示し、貧しさの中で妹を亡くしたQを迷わせたイエスは、またある時は、「汝の敵を [続きを読む]
  • 第4章 貧しき者は幸いなりや その3
  • そんな夜のこと??どうにも居心地が悪くて宿を出たQは街を当てもなく歩いた。満月だった。故郷に帰ろうかとも思った。イエスに見捨てられたように感じていた。「よう兄弟」溜息ばかりついていたQを呼び止める者があり、驚いて声がした方を見ると、それはイスカリオテのユダだった。路地に座り込んで、何やら革袋を抱えているユダが月明りに見えた。「こ、こんばんわ、ユダさん」「散歩かい?」「まあ、そうです。ところでその袋 [続きを読む]
  • 第4章 貧しき者は幸いなりや その2
  • 信仰とは“恋”である。神に捧げられた全身全霊の“恋”である。ために信仰は揺らぐ。吊り橋の真ん中で出逢い「この人こそ運命の人」と心臓を矢で深く射されても、揺らぎ、迷う日が来るように??「この人こそ神の子だ」と感動の涙を流しても、いつか迷う日がくる。どんな誓いを立てても。たとえ毎朝水垢離をして邪念を払い落としても。人の心を鎖で縛ることは出来ないのだから、迷う日が来るのは避けられない。なぜ『貧しき者は幸 [続きを読む]