EV奈良 さん プロフィール

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EV奈良さん: 日本の為に戦ってくれた英霊を忘れない
ハンドル名EV奈良 さん
ブログタイトル日本の為に戦ってくれた英霊を忘れない
ブログURLhttp://evnara.blog.fc2.com/
サイト紹介文太平洋戦争の各地戦跡に足を運んでいます。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供14回 / 365日(平均0.3回/週) - 参加 2016/02/28 11:27

EV奈良 さんのブログ記事

  • オーストラリア戦争記念館(Part5)
  • オーストラリア戦争記念館(Part4)からの続き。最終章は「 AIR CRAFT HALL 」一番見たかった展示ブースだ。▼初っ端からゼロ戦だ!(しかし、見学する人は僅か・・・日本人の私だけが一生懸命写真を撮っていた)▼エア-パーク/航空自衛隊浜松広報館と同じ飛行状態での展示だ。此の零戦21型はパプアニューギニア・二ューブリテン島 ガスマタに放置された台南航空隊所属機をオーストラリア軍が捕獲した物※ガスマタ(Gasmata)はパプ [続きを読む]
  • オーストラリア戦争記念館(Part4)
  • オーストラリア戦争記念館(Part3)からの続き。このあたりの展示はさほど興味も無い為、サラッと通っただけの様なものなので、今回の記事はほぼ写真のみで。▲ビックリしたが人形だった・・・。ここも見学者はほとんど居ない・・・。▼イギリスの植民地時代の絵かな?ま、今もイギリスの植民地みたいなもんだけどね。オーストラリアの女王は今もエリザベス女王だし・・・。今でもエリザベス女王に批判的な事を少しでも言うと、オ [続きを読む]
  • オーストラリア戦争記念館(Part3)
  • オーストラリア戦争記念館(Part2)からの続き。▼▲此の展示場の中は「ニューギニアの戦い」のブナやゴナ、そしてココダの戦場を再現している。中は薄暗かったので、まともな写真が撮れなかった・・・。連合軍と日本陸軍が戦った「ニューギニアの戦い」をどれだけの日本人が知っているのだろうか・・・。▼これもよく見る写真。(写真は「処刑時にヤスノ・チカオが部下に写真を撮らせた」と書いてある) (写真は1944年4月ホーラン [続きを読む]
  • オーストラリア戦争記念館(Part2)
  • オーストラリア戦争記念館(Part1)からの続き。1939年(昭和14年)まで進み、やっと日本が展示に出だした。昭和14年は既に満州国が建国されていて、加えて日中戦争も続いていた頃だ。ナチスドイツの展示が多い。戦争が宣言されたと書いてある。第二次世界大戦の始まりだ。いきなり戦車の展示から始まった。この戦車はギリシャ軍の??▲▼このBMW激シブ・・・ナチス時代の物とは言え、現在でもドイツ製品は世界中で高級品扱いだ。な [続きを読む]
  • オーストラリア戦争記念館(Part1)
  • オーストラリア(シドニー)旅行最終日の自由行動日、ガイドさんや同ツアーの参加者から「マジで行くの!?」と、言われながら「オーストラリア戦争記念館(Australian War Memorial)」へ行ってきた。オーストラリア戦争記念館はシドニーからはかなり離れたオーストラリアの首都「キャンベラ」にある。朝早く起きてホテルを出発。歩いてシドニー・セントラル駅(Sydney Central Station)に向かう。朝の時間帯で人が少ない駅までの道の [続きを読む]
  • シドニー
  • オーストラリア(シドニー)は観光の街。戦跡とはほぼ縁の無い大陸だが、太平洋戦争(大東亜戦争)時にはオーストラリアも連合軍として参戦していた為、日本軍はダーウィン周辺の北部都市への空爆や、特殊潜航艇でシドニー港を攻撃している。そしてニューギニア(1975年ニューギニア信託統治地域がパプアニューギニアとして独立)や、ボルネオ、沖縄戦等の広範囲で連合国として日本軍と戦い、ノルマンディー上陸作戦以降はヨーロッパ西 [続きを読む]
  • 難波グランド花月
  • 普段は通り過ぎる事の多い、大阪(難波)で寄り道して、難波グランド花月に寄ってみた。千日前通りを抜けて「難波グランド花月」を目指す。大阪は美味いものが多くて目移りしてしまう。どこも美味しそうなお店ばかりだ。▲▼ホントに安い!帰りに寄って帰ろうと思っていたのに忘れてた・・・。▲▼あっという間に難波グランド花月に到着。一度来た事があるが、リニューアルされてからは初めてだ。特にファンという訳では無いが、2階 [続きを読む]
  • 下関と門司
  • 出張で山口県を訪れたので帰りに時間を作り、「出川哲郎の充電させてもらえませんか?」を見て、以前から行きたかった下関の唐戸市場と、「海賊と呼ばれた男」を見てから是非とも行って見たかった門司へ行ってきた。▲まずは午前中に行くのがBESTの唐戸市場へGO!(昼から行っても店がほとんど閉まっている)▲下関らしく巨大なフグがお出迎え。▲土曜日だった事もあり、かなり賑わっていた。▲▼食べたい物ばかりで、ついつい取り過 [続きを読む]
  • 友ヶ島
  • 和歌山市加太に属する友ヶ島は、紀淡海峡に浮かぶ無人島群で、地ノ島、神島、沖ノ島、虎島の総称。瀬戸内海国立公園の一部となっている同島(沖ノ島/虎島)には、明治22年から外国船の大阪湾侵入に備え、砲台の建設が開始され、最大28?砲台が設置された。明治37年〜38年の日露戦争で、日本は辛くも勝利したので、ロシアなどの外国艦隊が湾内に侵入して来る事は無く、その後太平洋戦争でもほとんど使われる事無く日本は敗戦を迎えた [続きを読む]
  • 加計呂麻島
  • 宿泊先のホテルカレッタ(龍郷町)から古仁屋港までは車で約1時間半。朝早かったので道が空いていた。レンタカーを船に載せると結構高いので、天気の心配はあったがスクーター(125CC)をレンタル予約しておいた。加計呂麻島へは奄美大島(古仁屋)から船で25分程だ。朝08:10の船で加計呂麻島に向かう。125CCクラススクーターと人を合わせて1510円(往復運賃)だ。人690円/スクーター820円(往復)の内訳。08:10定刻通り出航。古仁屋港を後 [続きを読む]
  • 奄美大島と加計呂麻島
  • 鹿児島県に属する奄美大島は、佐渡島・沖縄本島などに次ぎ面積5位の島だ。奄美大島・加計呂麻島には戦時中、奄美大島と加計呂麻島に挟まれた大島海峡防備の為、海軍の奄美大島要塞が建設され、奄美大島の名瀬・古仁屋は軍港として使用され、加計呂麻島には海軍の砲台や艦船給水施設やダムが建設された。特に薩川湾は水深が深い天然の良港で、戦時中は軍港に利用され、連合艦隊の錨地として大和や武蔵を含め多くの艦艇が錨を休めた [続きを読む]
  • 終戦間もない頃のカラー写真
  • 終戦(敗戦)直後から昭和21,2年辺りまでの写真はモノクロ写真が多い。暗い戦争のイメージは、モノクロ写真が更に暗さを倍増させる。「青空など無かったのではないか?」と錯覚してしまう程だ。ここに紹介する進駐軍が撮影した写真は全てカラー写真。終戦直後の東京・名古屋・大阪・広島の風景が良く解る。個別に場所が特定出来れば、是非現在の同じ場所に行ってみたいものだ。(各写真の場所等、お解りの方はご教授頂ければと思いま [続きを読む]
  • 旧海軍 笠之原基地と串良基地
  • 笠之原飛行場の歴史は古く、大正11年8月から敗戦までの24年間に渡って旧陸海軍の飛行場として使用されてた。海軍が航空基地として使用を始めたのは太平洋戦争末期の昭和19年1月15日。昭和20年1月には第203航空隊のゼロ戦72機が配備され、神風特別攻撃隊の直掩隊(零戦)が出撃していった。昭和20年3月18日アメリカ軍による空襲で、格納庫を始めとする基地施設は消滅した。敗戦後、民有地を買収して作られた飛行場跡は、地元地区民に [続きを読む]
  • 愛南町の戦跡
  • 「 紫電改保存館」館長の取り計らいで、今回愛南町の戦跡を巡る機会を頂いた。▼▲まずはご挨拶がてら紫電改保存館へ。館長のブログ「 紫電改を伝えたい!あいなんからの祈り」▲此処は再訪となる。休日の中、飛行服で出迎えて頂いた館長と楽しい会話の時間を過ごしながら、紫電改を見学。▲翌日から愛南町の戦跡巡りに出発。▲▼まずは特殊潜航艇「蛟龍」(こうりゅう)が配備されていたという深浦基地跡を見学。この鳥居をくぐれば [続きを読む]
  • エア-パーク/航空自衛隊浜松広報館
  • エア-パーク/航空自衛隊浜松広報館に行ってきた。此処に展示されている零戦を見学したかったからだ。駐車場(無料)に車を止めて、まずは屋外展示を見学。▼▲これは鳥取県の航空自衛隊美保基地でも見た事がある。輸送機かな?屋外見学もほどほどに早速館内を見学する。思ったより広く、展示物も充実している。平和学習も大事だけど、現在進行形で続く国防も同時に勉強しなければ意味は無い。しかし、敗戦前までの旧日本軍の様な教育 [続きを読む]
  • パール・ハーバー
  • ハワイオアフ島・パールハーバー。日米開戦の舞台となったハワイ・フォード島、真珠湾攻撃・・・。真珠湾は現在も米軍基地が置かれているが、そこには第二次世界大戦に関する博物館などがある。本来、最初に訪問すべき場所ではあるが、その遠さと費用で今まで足踏みしていたが、やっと行く事ができた。▲日本から約8時間。オアフ島のダニエル・K・イノウエ国際空港(旧ホノルル国際空港)に到着。▲空港内にはダニエル・K・イノウエ [続きを読む]
  • 石見銀山
  • (角島からの続き)日本海側を海沿いに走り、最後の目的地「石見銀山跡」に向かう。▲石見銀山世界遺産センターに到着。この建物内の展示室は有料だった。▲▼此処に車を駐車してバスで石見銀山跡向かう。ここからは徒歩かレンタル自転車での散策となるが、貧乏旅なので当然徒歩を選ぶ。まずは五百羅漢(ごひゃくらかん)羅漢寺(らかんじ)から見学。早速有料だ・・・。車で来ているのにバス代を取られ、羅漢寺・石見銀山跡と何度もお金 [続きを読む]
  • 角島
  • 山口県の離島、角島。本土と角島を結ぶ角島大橋はトヨタのCMなどで使用された橋で、1度見てみたかった。今回は、前から行ってみたかった俵山温泉で前泊し、角島?元乃隅稲成神社?石見銀山に向かう計画を立てた。▲俵山温泉街の入口。車はこの辺りの旅館共同駐車場に駐車する。歩いてブラブラ見学する。猿まんじゅうが有名な様だが、何やら怪しい置物も販売している・・・価格は提示されて無く、ASKか・・・。▲ここからが旅館街の [続きを読む]
  • 大津島
  • 今日は広島に原爆が投下されて72年、まずは犠牲なった方達に黙祷です・・・。山口県周南市に属する「大津島」。戦時中ここには日本海軍の秘密基地があった。周防大島の帰り、以前から行きたかった大津島回天基地跡にやっと行く事が出来た。大津島回天基地は、昭和12年、93式酸素魚雷の発射試験場として開設され、太平洋戦争の戦局の悪化に伴い、昭和19年9月より、回天発射訓練基地として終戦まで稼働していた。昭和19年11月8日、海 [続きを読む]
  • 周防大島
  • 山口県の離島、周防大島へ行ってきた。瀬戸内の綺麗な海と景色で「日本のハワイ」と、言われていると聞いて、かなり前から行ってみたかった。そして「陸奥記念館」にも行ってみたかったのだ。▲本州と周防大島を繋ぐ「大島大橋」を渡って周防大島へはいる。▲▼南国の離島を思わせる様な、綺麗な海水と景色が出迎えてくれる。ひとまず「道の駅」サザンセトとうわに向かう。「道の駅」サザンセトとうわで、観光案内地図を確認。「真 [続きを読む]
  • 丹東(旧安東)
  • 哈爾浜から寝台特急列車で一晩走り、北朝鮮との国境の街、丹東を目指す。夜が明けた寝台特急の車窓からの景色。都会とは打って変わった田舎の農村地帯の景色が広がる。大都会や高層マンション群は見飽きていたので非常にのどかで良い風景だ。山が見え、日本でも赤煉瓦では無いが、地方へ行くと見られるのどかな風景と、どこか似ている。どこまでも続く大地とは少し違う大陸の風景。とにかく広い中国。色々な景色が堪能出来る。寝台 [続きを読む]
  • 哈爾浜③
  • 哈爾浜②からの続き。「侵華日軍第七三一部隊罪障陳列館」を見終えて陳列館の外に出ると、旧731部隊本部跡の広い敷地内に出る。▲731部隊本部の建物が見えた。▼赤印が現在地だ。▼反対側は当時南門だった方向。新しい陳列館が出来る前はここが入口だった様だ。▼▲現存する当時の南門衛兵所新しい陳列館が出来る前は、この南門衛兵所で、外国人のパスポートチェックや売店に利用されていたとの事。731部隊は独自の防衛施設を備え [続きを読む]
  • 哈爾浜②
  • 哈爾浜訪問のもう1つの目的、それは、731部隊本部跡を見学しに行く事。祖父母の軌跡巡りで長春(旧新京)で終わりにしようかと思っていたが、各地戦跡巡りで曲がりなりにも戦史に多少詳しくなっていたので、気が重い思いをするのは解っていたが、731部隊本部跡はどうしても見ておきたかった。2015年8月15日に「侵華日軍第七三一部隊罪障陳列館」という新館がオープンし、見学にあたって、外国人でもパスポートの提示義務が必要無くな [続きを読む]
  • 哈爾浜①
  • 哈爾浜は、黒竜江省の政治・経済の中心で、ここも人口約600万人の大都市である。1898年(明治31年)ロシア帝国により満洲を横断する東清鉄道建設が着手されると、交通の要衝としてロシア人を初めとする人口が急激に増加し経済の発展をみるようになった。1900年(明治33年)義和団事件が勃発し、ロシアは満州を制圧する。清朝(当時の中国)は猛反発。※日露戦争(1904年[明治37年]2月6日〜1905年[明治38年]9月5日)1905年(明治38年)10月31 [続きを読む]
  • 長春(旧新京)
  • 今回の中国東北部旅行の1番の目的地、長春は、旧満州国時代に新京と改められ、満州国の首都とされた場所である。此処で祖父母は終戦(敗戦)後の昭和21年9月まで暮らしていた。祖父は昭和12年から満鉄勤務(庶務課)だった。日露戦争でからくも勝利した日本は、長春以南の権益をロシアより獲得すると南満州鉄道株式会社を設立、明治39年(1906年)に長春駅を建設した。日本が満州国建国前から、中国東北部は満州と呼ばれ、その地域に暮ら [続きを読む]