U.Z さん プロフィール

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U.Zさん: みことばとわかちあい
ハンドル名U.Z さん
ブログタイトルみことばとわかちあい
ブログURLhttp://mikotoba-red.jugem.jp/
サイト紹介文幼児洗礼のカトリック信者による、聖書のみことばの感想とわかちあい。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供366回 / 365日(平均7.0回/週) - 参加 2016/03/27 22:57

U.Z さんのブログ記事

  • 俺が一緒に背負うから
  •  今日の第一朗読(使徒言行録13.26-33)で、パウロは会堂で、イエスの死と復活について人々に説いています。しかし、少し前までのパウロは、そのような人々を捕らえる側の人間でした。 かつて自分が憎み、捕らえていた人々と同じことをしている。そんな自分の人生を、パウロはどのように考えていたでしょうか。 おそらくパウロは、生涯、過去の行いへの罪悪感に苦しんだと思います。多くのキリスト教徒を捕らえて、その死にも関 [続きを読む]
  • 全ての出会いを愛おしむ
  • 「はっきり言っておく。わたしの遣わす者を受け入れる人は、わたしを受け入れ、わたしを受け入れる人は、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。」 今日の福音(ヨハネ13.16-20)は最後の晩餐の一場面です。弟子達の足を洗い終えたイエスは、続いてこのように言います。 私たちにとって、イエスが遣わす人とは誰でしょうか。それは特定の誰かではないのだと思います。私たちが出会う人全ては、神が、イエスが遣わして [続きを読む]
  • 力を尽くし、心を尽くし、残りは委ねる
  • 「思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです。」 今日の第一朗読(?ペトロ5.5b-14)にはこのように書かれています。私たちが思う煩うのは、自分の力ではどうにもできないことについてでしょう。しかし、逆に考えると、自分の力ではどうにもできないことこそ、悩んでも仕方がないのです。 「何もかも神にお任せする」というのは、自分では何の努力も選択もしないという姿 [続きを読む]
  • 思いがけない形で
  •  今日の第一朗読(使徒言行録11.19-26)には、ステファノの殉教から始まった迫害のため、イエスを信じる人々がローマ帝国の各地へ逃れて行ったことが書かれています。 その中には、当時の公用語であったギリシア語が話せる人もいました。やがて、その人は異邦人にもイエスの教えを説きはじめました。迫害によって散り散りになったことにより、結果的にキリスト教徒は各地で急速に増えることになったのです。 何が善いことで、何 [続きを読む]
  • 悪は信仰心にさえ
  •  今日の第一朗読(使徒言行録11.1-1)では、割礼を受けていない者たち、つまり異邦人と食事をしたということで、ペトロがユダヤ人のキリスト教徒から非難される場面が描かれています。 「民族に関係なく全ての人が救われる」というのは、イエスの教えが、それまでのユダヤ教と決定的に違っていた部分です。初代教会では、イエスが神の子であること、イエスが復活したことを信じていていても、その救いが全ての人に及ぶということ [続きを読む]
  • 愛することによってこそ
  • 「わたしは命を、再び受けるために、捨てる。」 今日の福音(ヨハネ10.11-18)でイエスはこのように言います。この言葉は、ご自分の十字架による死と復活について言っているのでしょう。 この言葉は、イエスご自身だけでなく、私たちにも当てはまるのではないでしょうか。本当に命を投げ出さなくてもよいのです。命を捨てるほどのことではなくても、愛のために、つまり、誰かを大切にするために、あえて自分が痛みを引き受けるこ [続きを読む]
  • 助け起こされ、歩み、助け起こす
  • ペトロは方々を巡り歩き、リダに住んでいる聖なる者たちのところへも下って行った。そしてそこで、中風で八年前から床についていたアイネアという人に会った。ペトロが、「アイネア、イエス・キリストがいやしてくださる。起きなさい。自分で床を整えなさい」と言うと、アイネアはすぐ起き上がった。 今日の第一朗読(使徒言行録9.31-42)には、ペトロが宣教の旅の途中、病人を癒やす様子が描かれています。「イエスに癒やされ、 [続きを読む]
  • 「あなたが○○しているイエスである」
  • 「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。」 今日の第一朗読(使徒言行録9.1-20)には、サウロが復活したイエスと出会う場面が描かれています。キリスト教徒を捕らえるために旅をするサウロの前に現れたイエスは、上のようにサウロに名乗ります。 全ての出会いの中に、イエスとの出会いがあります。私たちが誰かに出会う時、同時にイエスにも出会っているのです。イエスは、キリスト教徒を捕らえ、迫害していたサウロには [続きを読む]
  • 俺と一緒に
  • 「わたしをお遣わしになった父が引き寄せてくださらなければ、だれもわたしのもとへ来ることはできない。」 今日の福音(ヨハネ6・44-41)で、イエスは人々にこのように言います。しかし、全ての人を罪から救うため、一人子であるイエスをこの世に遣わしてくださった神が、人間をイエスの方に引き寄せないと言うことは考えられません。 神は、全ての人を招いています。全ての人をイエスへと引き寄せているのです。ここでイエスが [続きを読む]
  • サウロがパウロになれたように
  • サウロは家から家へと押し入って教会を荒らし、男女を問わず引き出して牢に送っていた。 今日の福音(使徒言行録8.1b-8)では、エルサレムの教会で大迫害が起こった際のサウロ(後のパウロ)の行動を、このように記しています。この時のサウロは熱心なファリサイ派で、イエスとその弟子たちは神の御心に背く異端者であると信じ、正義感と信念でイエスを信じる人々を捕らえていました。 しかし、そのサウロが復活したイエスと出会 [続きを読む]
  • ステファノとパウロ
  •  今日の第一朗読(使徒言行録7.51-8.1a)には、ステファノの殉教の場面が描かれています。この場面にはサウロ、すなわち後のパウロがいます。聖書には「サウロは、ステファノの殺害に賛成していた。」と書かれています。 サウロがこの殺害にどれほど関係していたかは分かりません。しかし、この時期のサウロは、イエスの弟子たちを捕らえることに情熱を傾けていましたから、単なる傍観者、見物人以上の関わりがあった可能性は少 [続きを読む]
  • ステファノの顔
  • 最高法院の席に着いていた者は皆、ステファノに注目したが、その顔はさながら天使の顔のように見えた。 今日の第一朗読(使徒言行録6.8-15)は捕らえられたステファノが、最高法院に引き出される場面が描かれています。ステファノはここで長い説教をし、その後石打によって殉教を遂げます。 ステファノは、捕らえられ、最高法院に引き出された時点で、自分が死ぬことを覚悟していたでしょう。死への恐れが全く無かったはずもあり [続きを読む]
  • 愛、それだけが
  • 「『神を知っている』と言いながら、神の掟を守らない者は、偽り者で、その人の内には真理はありません。しかし、神の言葉を守るなら、まことにその人の内には神の愛が実現しています。」 今日の第二朗読(?ヨハネ2.1-5a)にはこのように書かれています。「神の掟を守る」とは、「神を、他人を、そして自分を愛する」というイエスの教えを守ることです。教会に通い、洗礼を受けていても、自分も他人も大切にする生き方をしていな [続きを読む]
  • 全ての人の手によって
  • 「わたしたちが、神の言葉をないがしろにして、食事の世話をするのは好ましくない。それで、兄弟たち、あなたがたの中から、?霊?と知恵に満ちた評判の良い人を七人選びなさい。彼らにその仕事を任せよう。わたしたちは、祈りと御言葉の奉仕に専念することにします。」 今日の第一朗読(使徒言行録6.1-7)には、使徒たちがステファノたち七名を自分たちの協力者として選ぶ場面が描かれています。初代教会では、信徒の数が多くなる [続きを読む]
  • 他人に思い悩まない
  • 「あの者たちから手を引きなさい。ほうっておくがよい。あの計画や行動が人間から出たものなら、自滅するだろうし、神から出たものであれば、彼らを滅ぼすことはできない。」 今日の第一朗読(使徒言行録5.34-42)では、ファリサイ派の高名な教師であるガマリエルが、このように言って、使徒たちを殺そうと企む祭司長たちをいさめる様子が書かれています。 ガマリエルはパウロの師とも言われている人です。聖書にも「民衆全体か [続きを読む]
  • 死への道、復活への道
  •  今日の第一朗読(使徒言行録5.27-33)でも、使徒たちは捕らえられ、最高法院で尋問を受けています。使徒たちの宣教は逮捕の連続でもあります。ユダヤの祭司長たちもローマ帝国も、イエスの教えを説くことを禁止していますから、それに逆らって宣教していれば捕らえられるのは当たり前です。 イエスの教えを信じる人は爆発的に増え続けるので、その住民感情を考えると、権力者といえども、使徒たちを簡単に処刑することはできま [続きを読む]
  • 負の感情に支配され
  •  今日の第一朗読(使徒言行録5.17-26)は使徒たちが祭司長やサドカイ派に捕らえられながらも、それに屈せず宣教を続ける様子が描かれています。 この箇所を読むと、祭司長たちは、一貫して負の感情に取り付かれていることが分かります。 祭司長たちがが使徒たちを捕らえたのは、人々の支持を集める彼らに対して「ねたみに燃えた」からです。 しかし、自分たちが捕らえたはずの使徒たちが天使の業によって牢から出され、また人 [続きを読む]
  • 共に生き、歩む共同体
  • 信じた人々の群れは心も思いも一つにし、一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく、すべてを共有していた。使徒たちは、大いなる力をもって主イエスの復活を証しし、皆、人々から非常に好意を持たれていた。信者の中には、一人も貧しい人がいなかった。土地や家を持っている人が皆、それを売っては代金を持ち寄り、使徒たちの足もとに置き、その金は必要に応じて、おのおのに分配されたからである。 今日の第一朗読(使徒言 [続きを読む]
  • ただ一度の救い、永遠の救い
  • 「ただ一度イエス・キリストの体が献げられたことにより、わたしたちは聖なる者とされたのです。」 今日の第二朗読(ヘブライ10.4-10)にはこのように書かれています。この「ただ一度」という言葉は決定的に重要です。 イエスが十字架で全ての人の罪を背負って死に、その後復活した。この「ただ一度」の出来事によって、私たちは永遠に救われているのです。 イエスの十字架と復活がただ一度なのは、その一度永遠にして完全だか [続きを読む]
  • 愛の命に生きる者
  •  今日の福音(ヨハネ20.19-31)で、復活したイエスは、弟子たちの前に現れ、「あなた方に平和があるように」と言って、彼らに息を吹きかけます。 息を吹きかけるという行為は、命を与えることと結びついています。神がアダムを創造された時、土をこねて形を作り、そこにご自分の息を吹き込んで命を与えたのです。 神の息吹によって命を与えられた人間は、復活したイエスの息吹によって、もう一度命を与えられました。この時にイ [続きを読む]
  • 赦された喜び
  •  今日の第一朗読(使徒言行録4.13-21)では、ペトロとヨハネが祭司長たちによって捕らえられ、議員たちから尋問された際の態度が描かれています。 議員たちは、ペトロとヨハネに、イエスの名によって人々何も語らないことを厳しく命じますが、二人は全く屈せず、「わたしたちは、見たことや聞いたことを話さないではいられないのです。」と言い返します。 イエスが捕らえられた時に逃げ出し、イエスのことを三度も「あの人のこ [続きを読む]
  • 変わらぬ食事
  •  今日の福音(ヨハネ21.1-14)では、復活したイエスと弟子たちの三度目の出会いが描かれています。初め、弟子たちは自分たちの目の前にいる人がイエスだとは気付きません。気付かないまま、その人の言われるがままに湖に船を出して漁をします。漁の途中でその人がイエスだと気付いた弟子たちは、岸に戻ってイエスと朝食を食べます。 イエスは火をおこして弟子たちを待っています。その火で獲れたての魚を焼き、パンと一緒に弟子 [続きを読む]
  • いつでもどこでも
  •  今日の福音(ルカ24.35-48)では、復活したイエスが弟子たちの前に現れる様子が描かれています。 復活したイエスは、もはや人間の肉体に囚われてはいないので、どこにでも現れ、また消えていきます。しかし、幽霊や幻ではないので、弟子たちに触れたり(弟子たちに触れさせたり)、食べ物を食べてみせたりもします。 これもまた、イエスの死と復活の大きな意味であると思います。人間の肉体を持って生きているイエスに会いたか [続きを読む]
  • 心が燃えるような
  •  今日の福音(ルカ24.13-35)では、イエスの二人の弟子がエマオという村へ歩いています。旅路の途中、二人は復活したイエスと出会いますが、二人はその人がイエスだとは気付きません。イエスは共に歩きながら、聖書について二人に語り始めます。 エマオに着いた時、二人はイエスを引き留めて、共に食事をしてくれるよう頼みます。食卓に尽き、イエスが祈りを唱えてパンを割き、二人に渡した時、彼らはようやくこの人がイエスだと [続きを読む]
  • 神の子を殺し、神の子に救われた
  • 「あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです。」 今日の第一朗読(使徒言行録2.36-41)でペトロは、ユダヤ人たちにこのように言います。メシアとは救い主のことです。つまり、この言葉は「あなたがたがイエスを殺したが、そのイエスによってあなたがたは救われた」という意味にもなります。 私たちは、神に忠実だから、善い行いをするから救われるのではありません。神の愛によって一 [続きを読む]