U.Z さん プロフィール

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U.Zさん: みことばとわかちあい
ハンドル名U.Z さん
ブログタイトルみことばとわかちあい
ブログURLhttp://mikotoba-red.jugem.jp/
サイト紹介文幼児洗礼のカトリック信者による、聖書のみことばの感想とわかちあい。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供366回 / 365日(平均7.0回/週) - 参加 2016/03/27 22:57

U.Z さんのブログ記事

  • 愛だけを
  • 「御言葉に付け加えようとするな。責められて偽る者と断罪されることのないように。」 今日の第一朗読(箴言30.5-9)にはこのように書かれています。御言葉とは何でしょうか。それは愛です。神を愛し、人を愛し、自分を愛する。神であるイエスが私たちに語ったことはこれ以外にありません。 自分も含め、全ての人を大切にする、尊重する。この教えにだけ従えば、全てのことはうまくいくのです。この社会に神の国は実現するのです [続きを読む]
  • 見えにくい高慢
  • 「高慢なまなざし、傲慢な心は神に逆らう者の灯、罪。」 今日の第一朗読(箴言21.1-6,10-13)には、このように書かれています。高慢、傲慢とは、自分が他者より優れていると思う、他者を見下す心のことです。どんな心、どんな行いが高慢、傲慢なのか、私たちは本当に理解しているのでしょうか。 あからさまに自分の能力を鼻にかけたり、他人を見下した態度をとることが高慢、傲慢であることはよく分かります。しかし、それだけで [続きを読む]
  • 今ある力で、今あるもので
  • 「わが子よ、施すべき相手に善行を拒むな。あなたの手にその力があるなら。『出直してくれ、明日あげよう』と友に言うな。あなたが今持っているなら。」 今日の第一朗読(箴言3.27-34)にはこのように書かれています。では、力がない人は人に善行を行わなくてもいいのでしょうか。何も持っていない人は、友を追い返してもいいのでしょうか。 聖書が語っているのは、そのようなことではないと思います。何もできない人、何も持っ [続きを読む]
  • その笑顔、その腕
  • (イエスは)一人の子供の手を取って彼らの真ん中に立たせ、抱き上げて言われた。「わたしの名のためにこのような子供の一人を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。」 今日の福音(マルコ9.30-37)には、イエスが、自分たちの中で誰が一番偉いのか議論していた弟子たちを諭す場面が、このように描かれています。この具体的な描写を読むと、イエスの動き、イエスのまなざしが目に浮かぶようです。 イエスが無言で子ども [続きを読む]
  • 信じる心が心を耕す
  • 「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。蒔いている間に、ある種は道端に落ち、人に踏みつけられ、空の鳥が食べてしまった。ほかの種は石地に落ち、芽は出たが、水気がないので枯れてしまった。ほかの種は茨の中に落ち、茨も一緒に伸びて、押しかぶさってしまった。また、ほかの種は良い土地に落ち、生え出て、百倍の実を結んだ。」 今日の福音(ルカ8.4-15)で、イエスは、人々にこのようなたとえ話をします。この「種蒔く人のたとえ [続きを読む]
  • イエスに手を伸ばすために
  • 「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」 今日の福音(マタイ9.9-13)で、イエスはファリサイ派の人々にこのように言います。この言葉に従えば、イエスに招かれるためには、正しい人ではなく、罪人でなければなりません。しかし、あえて正しいことをせず、進んで罪を犯すことも、イエスは喜ばれないでしょう。イエスに招いていただくには、どのようにすればよいのでしょうか。 完全な人間は誰 [続きを読む]
  • イエスを体験する
  • 「最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。」 今日の第一朗読(?コリント15.1-11)で、パウロはこのように書いています。「私も受けたもの」とは、イエスが全ての人の罪を背負って十字架に架けられて死に、三日後に復活したことです。 パウロが「わたしも受けた」というのは、単に情報として人から聞いたということではなく、自分もイエスの死と復活を信じた、さらに言えば、体験したとい [続きを読む]
  • 最高の道
  • 「あなたがたは、もっと大きな賜物を受けるよう熱心に努めなさい。そこで、わたしはあなたがたに最高の道を教えます。」「信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。」 今日の第一朗読(?コリント12.31-13.13)で、パウロはこのように書いています。この三つは、日本語では「信望愛」と書かれることもあります。イエスへの信仰に生涯を捧げたパウロが「最も大いなるものは愛」と言 [続きを読む]
  • 洗礼は交わりの中で
  • 「一つの霊によって、わたしたちは、ユダヤ人であろうとギリシア人であろうと、奴隷であろうと自由な身分の者であろうと、皆一つの体となるために洗礼を受け、皆一つの霊をのませてもらったのです。体は、一つの部分ではなく、多くの部分から成っています。」「あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。」 今日の第一朗読(?コリント12.12-14,27-31a)で、パウロはこのように書いています。洗礼を受けると [続きを読む]
  • 違いと一致
  • 「次のことを指示するにあたって、わたしはあなたがたをほめるわけにはいきません。あなたがたの集まりが、良い結果よりは、むしろ悪い結果を招いているからです。まず第一に、あなたがたが教会で集まる際、お互いの間に仲間割れがあると聞いています。わたしもある程度そういうことがあろうかと思います。あなたがたの間で、だれが適格者かはっきりするためには、仲間争いも避けられないかもしれません。それでは、一緒に集まって [続きを読む]
  • 自分の十字架
  • 「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」 今日の福音(マルコ8.27-35)でイエスは、弟子たちと群衆にこのように言います。イエスに従うには十字架を背負わなければならない。こう言われると尻込みしてしまう人も多いのではないでしょうか。 ここで大切なのは「自分の十字架を背負って」という表現だと思います。イエスの十字架とは、文字通り、全ての人の罪を背負って十字架に [続きを読む]
  • 委ねるために
  • 「キリストは、肉において生きておられたとき、激しい叫び声をあげ、涙を流しながら、御自分を死から救う力のある方に、祈りと願いとをささげ、その畏れ敬う態度のゆえに聞き入れられました。」 今日の第一朗読(ヘブライ5.7-9)には、このように書かれています。「恐れ敬う態度」とは、行儀よく、礼儀正しい態度のことではありません。ゲツセマネの園で、そして十字架の上でイエスがそうしたように、叫び声をあげ、涙を流して、 [続きを読む]
  • 愛を、希望を、そして喜びを
  • 「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。」 今日の福音(ヨハネ3.13-17)でイエスは、ファリサイ派の議員であるニコデモに、このように言います。このイエスの言葉には、私たちの信仰の源があります。私たちが信じ、述べ伝えるべきことの全てが含ま [続きを読む]
  • まず、私が愛された
  • 「わたしの言葉を聞いているあなたがたに言っておく。敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。」「いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、情け深いからである。あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい。」 今日の福音(ルカ6.27-38)で、イエスは弟子たちにこのように言います。「敵を愛しなさい」は、イエ [続きを読む]
  • この世界で生きていく
  • 「世の事にかかわっている人は、かかわりのない人のようにすべきです。この世の有様は過ぎ去るからです。」 今日の第一朗読(?コリント7.25-31)で、パウロはこのように書いています。パウロは、イエスの地上への再臨、すなわち、最後の審判の時は遠くないと考えていました。自分が生きているうちに起こることだと信じていたようです。そのため、まもなく終わるこの世界のことに気を取られてはならないと考えていたようです。 し [続きを読む]
  • 祈りが歩みを照らす
  • そのころ、イエスは祈るために山に行き、神に祈って夜を明かされた。朝になると弟子たちを呼び集め、その中から十二人を選んで使徒と名付けられた。 今日の福音(ルカ6.12-19)には、このようなイエスの様子が書かれています。聖書によれば、イエスは度々、人里を離れて、静かに神に祈っていたようです。この時も、弟子の中から十二使徒を選ぶという、大きな決断をする前に、深く祈り、丁寧に父である神の声を聴いたのでしょう。 [続きを読む]
  • 善いパン種
  • 「わずかなパン種が練り粉全体を膨らませることを、知らないのですか。いつも新しい練り粉のままでいられるように、古いパン種をきれいに取り除きなさい。現に、あなたがたはパン種の入っていない者なのです。キリストが、わたしたちの過越の小羊として屠られたからです。だから、古いパン種や悪意と邪悪のパン種を用いないで、パン種の入っていない、純粋で真実のパンで過越祭を祝おうではありませんか。」 今日の第一朗読(?コ [続きを読む]
  • 分け隔てとは ー900回目の感謝ー
  • 「わたしの兄弟たち、栄光に満ちた、わたしたちの主イエス・キリストを信じながら、人を分け隔てしてはなりません。」 今日の第二朗読(ヤコブ2.1-5)にはこのように書かれています。「神を愛すること」「自分のように他人を愛すること」を説いたイエスを救い主であると信じることと、人を分け隔てすることは、本質的に相容れないのです。 しかし、全ての人を完全に平等に扱うというのは難しいことです。誰にでも、特別に好きな [続きを読む]
  • 息吹に気付き、息吹を受ける
  • 「皆さん、?霊?が、神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」 今日の第一朗読(ローマ8.28-30)で、パウロはこのように書いています。神は、全ての人にその人だけの、その人にしかできない使命を与えています。私たちは誰もが「御計画に従って召された者たち」なのです。 つまり、聖霊は、全ての人に対して「万事が益となるように [続きを読む]
  • 裁きとは囚われ
  • 「わたしにとっては、あなたがたから裁かれようと、人間の法廷で裁かれようと、少しも問題ではありません。わたしは、自分で自分を裁くことすらしません。自分には何もやましいところはないが、それでわたしが義とされているわけではありません。わたしを裁くのは主なのです。ですから、主が来られるまでは、先走って何も裁いてはいけません。」 今日の第一朗読(?コリント4.1-5)で、パウロはこのように書いています。パウロはこ [続きを読む]
  • 全ての人は全ての人のもの
  • 「すべては、あなたがたのものです。パウロもアポロもケファも、世界も生も死も、今起こっていることも将来起こることも。一切はあなたがたのもの、あなたがたはキリストのもの、キリストは神のものなのです。」 今日の第一朗読(?コリント3.18-23)で、パウロはこのように書いています。この言葉を、全ての人に向けられたものだと考えるならば、「全ての人は、全ての人のものである」ということになります。 私たちは、愛するた [続きを読む]
  • アポロ、そして、無名の宣教者たち
  • 「ある人が『わたしはパウロにつく』と言い、他の人が『わたしはアポロに』などと言っているとすれば、あなたがたは、ただの人にすぎないではありませんか。アポロとは何者か。また、パウロとは何者か。この二人は、あなたがたを信仰に導くためにそれぞれ主がお与えになった分に応じて仕えた者です。わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。」 今日の第一朗読(?コリント3.1-9)で、パウロは [続きを読む]
  • 癒やしとは交わり
  • 会堂に、汚れた悪霊に取りつかれた男がいて、大声で叫んだ。「ああ、ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ。」イエスが、「黙れ。この人から出て行け」とお叱りになると、悪霊はその男を人々の中に投げ倒し、何の傷も負わせずに出て行った。 今日の福音(ルカ4.31-37)には、このように書かれています。この場面で、「悪霊に取りつかれた」というのが、どのような状態を指 [続きを読む]
  • 委ねる勇気
  • 「そちらに行ったとき、わたしは衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安でした。わたしの言葉もわたしの宣教も、知恵にあふれた言葉によらず、?霊?と力の証明によるものでした。それは、あなたがたが人の知恵によってではなく、神の力によって信じるようになるためでした。」 今日の第一朗読(?コリント2.1-15)で、パウロは、コリントの教会に宛てた手紙の中でこのように書いています。使徒言行録によれば、パウロは一年半 [続きを読む]
  • 悩みながら、迷いながら
  • 「心に植え付けられた御言葉を受け入れなさい。この御言葉は、あなたがたの魂を救うことができます。御言葉を行う人になりなさい。自分を欺いて、聞くだけで終わる者になってはいけません。」 今日の第二朗読(ヤコブ1.17-18,21b-22,27)には、このように書かれています。誰の心にも、その人だけに向けられた、神からの言葉が響く時があるでしょう。特別な神秘体験ではなく、当たり前の日常生活の中にこそ、神の言葉との出会いは [続きを読む]