U.Z さん プロフィール

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U.Zさん: みことばとわかちあい
ハンドル名U.Z さん
ブログタイトルみことばとわかちあい
ブログURLhttp://mikotoba-red.jugem.jp/
サイト紹介文幼児洗礼のカトリック信者による、聖書のみことばの感想とわかちあい。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供366回 / 365日(平均7.0回/週) - 参加 2016/03/27 22:57

U.Z さんのブログ記事

  • 裁くのではなく、受け入れることによって
  • 「この人もアブラハムの子なのだから。人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。」 今日の福音(ルカ19.1-10)は、徴税人の頭であるザアカイが、イエスと出会って回心する場面が描かれています。 徴税人は支配者であるローマ帝国のために人々から税金を集める職業です。時には多めに税を徴収して自分の懐に入れるようなこともしていたようで、裕福ではあっても、人々から嫌われ、罪人、裏切り者見なされていた職 [続きを読む]
  • 全ての人の出会いを求めて
  •  今日の福音(ルカ18.35-43)では、物乞いの盲人が登場します。彼は自分の前を群衆が通っていくのに気付き、何事か尋ね、ここにイエスがやってくることを知ります。そしてこの盲人は「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と叫び続けます。周りの人々はそれをやめさせようとしますが、盲人は叫び続けます。そしてこの盲人はイエスと出会い、癒やされ、目が見えるようになるのです。 人々は、どうしてこの盲人を黙らせよ [続きを読む]
  • 誰もが輝いている
  • 「あなたがたはすべて光の子、昼の子だからです。わたしたちは、夜にも暗闇にも属していません。」 今日の第二朗読(?テサロニケ5.1-6)で、パウロはこのように書いています。光の子、昼の子とは神の愛に照らされ、自分も愛に生きる人です。 パウロが「あなたがたはすべて」と言うように、私たちは皆、光の子であり昼の子です。月が太陽の光を受けて輝くように、私たちは皆、神の愛を受けて輝いています。 満月のような人も、三日 [続きを読む]
  • 祈りをぶつける
  • イエスは、気を落とさずに絶えず祈らなければならないことを教えるために、弟子たちにたとえを話された。 今日の福音(ルカ18.1-8)にはこのように書かれています。つまりイエスは、人生には、祈る気持ちが萎えてしまうほど気落ちする、絶望することもあるのだと言っているのです。 しかし、そんな時にできることは、結局のところ、祈りしかないのです。イエスご自身も、捕らわれる前にゲツセマネで祈りました。十字架の上でも祈 [続きを読む]
  • 何という美しさ
  • 火や風や素早く動く空気、星空や激しく流れる水、天において光り輝くものなどを、宇宙の支配者、神々と見なした。その美しさに魅せられてそれらを神々と認めたなら、それらを支配する主がどれほど優れているかを知るべきだった。美の創始者がそれらを造られたからである。 今日の第一朗読(知恵13.1-9)には、このように書かれています。この世界は美しさに満ちあふれています。空に輝く太陽、月、星。地上を彩る草花。生命力に満 [続きを読む]
  • 今日、ここに神の国を
  • 「神の国は、見える形では来ない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」 今日の福音(ルカ17.20-25)で、イエスは、「神の国はいつ来るのか」と尋ねてきたファリサイ派の人にこのように答えます。このイエスの答えは、「神の国」のわかりやすい説明になっていると思います。 神の国は場所ではありません。人と人との交わり、関係性が神の国なのです。人と人との交わ [続きを読む]
  • 救いに気付く
  •  今日の福音(ルカ17.11-19)で、イエスは、十人の重い皮膚病の人を癒やします。彼らは、イエスに言われて祭司に体を見せに行く途中で、自分たちの病気が治っていることに気付くのですが(病気の治癒を宣告するのは祭司の権限です)、そのうちの一人だけが、イエスの下に戻ってきて、足下にひれ伏して感謝します。イエスはこの人に「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」と言います。重い皮膚病から癒やさ [続きを読む]
  • 愛の似姿
  • 神は人間を不滅な者として創造し、御自分の本性の似姿として造られた。 今日の第一朗読(知恵2.23-3.9)には、このように書かれています。神は愛ですから、私たちは本質的に愛の力を与えられているのです。 私たちは、自分のことを「とるに足らないもの」と思いすぎているのではないでしょうか。人から愛される価値も、人を愛する価値もないと自分を卑下してはいないでしょうか。自分には何もできないと、諦めてはいないでしょう [続きを読む]
  • 愛とは認めること  600回目の感謝を込めて
  • 「あなたがたも気をつけなさい。もし兄弟が罪を犯したら、戒めなさい。そして、悔い改めれば、赦してやりなさい。」 今日の福音(ルカ17.1-6)で、イエスは弟子たちに言います。ここでイエスはごく当たり前のことを言っているように聞こえます。しかし、この言葉を実行できている人がどのくらいいるでしょうか。 私たちは、「罪を犯しても戒めず、悔い改めても赦さない」ことが多いのではないでしょうか。戒めるにせよ、赦すにせ [続きを読む]
  • 道ばたで出会う
  • 知恵は自分にふさわしい人を求めて巡り歩き、道でその人たちに優しく姿を現し、深い思いやりの心で彼らと出会う。 今日の第一朗読(知恵6.12-16)には、このように書かれています。ここでいう知恵とは、単なる人間的な知恵、賢さのことではなく、神の知恵のことだと思います。神そのものと解釈してもいいかもしれません。 神の知恵は、道で人と出会うのです。道で出会うということは、知恵は「いかにも知恵」という姿をしていな [続きを読む]
  • よろしく
  •  今日の第一朗読(ローマ16.3-9,16,22-27)は、パウロの、ローマの教会への手紙の結びの部分です。ここでパウロは、何人もの知人の名を挙げ、「よろしく」と書いています。また、この時パウロの周りにいた人々からの「よろしく」も述べられています。 新約聖書の中にパウロの手紙は十三通収められています。そのうちいくつかは、本当にパウロが書いたものではない可能性が指摘されていますが、ローマ、コリント一・二、ガラテヤ [続きを読む]
  • 恵みのバトン
  • 「それは、わたしが神から恵みをいただいて、異邦人のためにキリスト・イエスに仕える者となり、神の福音のために祭司の役を務めているからです。」 今日の第一朗読(ローマ15.14-21)で、パウロはこのように書いています。ローマ市民権を持ち、ローマ帝国の領土にはどこにでも行くことができ、ギリシア語も話すことができたパウロは、まさに異邦人への宣教のために神から選ばれた人でした。キリスト教がユダヤ教の小グループで終 [続きを読む]
  • 神の愛の水路を引こう
  • 彼はわたしに言った。「これらの水は東の地域へ流れ、アラバに下り、海、すなわち汚れた海に入って行く。すると、その水はきれいになる。川が流れて行く所ではどこでも、群がるすべての生き物は生き返り、魚も非常に多くなる。この水が流れる所では、水がきれいになるからである。この川が流れる所では、すべてのものが生き返る。」 今日の第一朗読(エゼキエル47.1-2,8-9,12)には、預言者エゼキエルが神の使いから受けたお告げ [続きを読む]
  • 愛することによっても、愛されることによっても
  • 「皆さん、互いに愛し合うことのほかは、だれに対しても借りがあってはなりません。」 今日の第一朗読(ローマ13.8-10)で、パウロはこのように書いています。この言葉を逆に考えれば、愛し合うことに関しては借りがあってもよいと読むことができます。 そもそも、貸し借りという考え方が、愛にはなじまないのです。愛は義務ではありません。神が私たちにくださった最高の贈り物です。 誰かを愛することは「貸し」ではありませ [続きを読む]
  • 違いが愛を生む
  • 「皆さん、わたしたちは数は多いが、キリストに結ばれて一つの体を形づくっており、各自は互いに部分なのです。」 今日の福音(ローマ12.5-16a)で、パウロはこのように書いています。体の各部分は、違う形、違う機能を持っているからこそ、一つの体を作り上げることができます。頭だけ、手だけがいくら集まっても体にはならないのです。 私たちは、「違い」を否定的な意味で捉えがちです。「同じ」を好み、「違い」を避ける傾向 [続きを読む]
  • 誰でもまだまだ大丈夫
  • 「皆さん、神の賜物と招きとは取り消されないものなのです。」 今日の第一朗読(ローマ11.29-36)で、パウロはこのように書いています。神は私たちにあらゆる賜物を下さいました。私たちの命も、能力も、人との出会いも、全て、神からの賜物です。 そして、神は私たち一人ひとりに、その人だけの使命を与えています。与えた賜物を使ってこの世で働くように招いています。 それは、何があっても取り消されることはないと、パウロ [続きを読む]
  • 全ての出会いが
  • 「わたしたちは絶えず神に感謝しています。なぜなら、わたしたちから神の言葉を聞いたとき、あなたがたは、それを人の言葉としてではなく、神の言葉として受け入れたからです。」 今日の第二朗読(?テサロニケ2.7b-9,13)で、パウロはこのように書いています。神の言葉は、どこからともなく不思議に聞こえてくるようなものではありません。その代わり、私たちの周りの様々なものを通じて、神は私たちに語りかけてきます。 今日、 [続きを読む]
  • たとえ誰であっても
  •  今日の福音(ルカ14.1,7-11)で、イエスは食事のために、あるファリサイ派の議員の家に入ります。この会食には、それなりに大勢が招かれていて、イエスも招待客の一人だったようです。 「人々はイエスの様子をうかがっていた。」と書かれているように、決して「和やかな会食」という雰囲気ではなかったかもしれません。イエスを敵視している人や、イエスに論争を仕掛けようと思っている人も少なくはなかったでしょう。 もちろ [続きを読む]
  • 正義より愛を、裁きより赦しを
  • 「安息日に病気を治すことは律法で許されているか、いないか。」「あなたたちの中に、自分の息子か牛が井戸に落ちたら、安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者がいるだろうか。」 今日の福音(ルカ14.1-6)で、イエスは、安息日に病人を癒やしながら、その場にいた律法学者やファリサイ派の人々にこのような問いを投げかけます。彼らはイエスの問いに答えられず、黙っていたと書かれています。 ユダヤの律法では、安 [続きを読む]
  • 神が与えてくださった人
  • 「わたしをお遣わしになった方の御心とは、わたしに与えてくださった人を一人も失わないで、終わりの日に復活させることである。」 今日の福音(ヨハネ6.37-40)で、イエスは人々に、このように言います。「わたしをお遣わしになった方」とは神のことでしょう。では、その神がイエスに「与えてくださった人」とは誰でしょうか。 神は、特定の誰かではなく、全ての人をイエスに与えたのだと思います。「与えた」というと召使いや [続きを読む]
  • 誰もが神の子
  • 「御父がどれほどわたしたちを愛してくださるか、考えなさい。それは、わたしたちが神の子と呼ばれるほどで、事実また、そのとおりです。」 今日の第二朗読(?ヨハネ3.1-3)には、このように書かれています。私たちが「神の子」と聞いた場合、イエスお一人のことを思い浮かべると思います。もちろんイエスは神の子です。しかし、イエスだけが神の子なのではありません。私たち一人ひとりは、誰もが神の子なのです。 神は私たち [続きを読む]
  • 最初の一粒になろう
  • 「神の国は何に似ているか。何にたとえようか。それは、からし種に似ている。人がこれを取って庭に蒔くと、成長して木になり、その枝には空の鳥が巣を作る。」「神の国を何にたとえようか。パン種に似ている。女がこれを取って三サトンの粉に混ぜると、やがて全体が膨れる。」 今日の福音(ルカ13.18-21)で、イエスはこのように言います。つまり、増えること、膨らむことが神の国の特徴であると言っているのです。 「神の国」と [続きを読む]
  • 「当たり前」に囚われる
  •  今日の福音(ルカ13.10-17)で、イエスは安息日に病気の女性を癒やします。それを見た会堂長(会堂、つまりユダヤ教の教会の責任者です)は、安息日に病気を癒やしてはいけないと、イエスを非難します。安息日にはあらゆる労働が禁じられています。ユダヤの律法を厳しく解釈すれば、病人を癒やすことさえも禁じられている労働に当たるのです。 するとイエスは会堂長に対して「この女はアブラハムの娘なのに、十八年もの間サタン [続きを読む]
  • 全ての源
  • 「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」  今日の福音(マタイ22・34-40)で、イエスは律法の専門家に、このように言います。この二つの掟をまとめると「神と自分と隣人をいつも大切にしなさい。」ということになります [続きを読む]
  • 平らな所にお立ちになった
  • 「イエスは彼らと一緒に山から下りて、平らな所にお立ちになった。」 今日の福音(ルカ6.12-19)にはこのような一文があります。イエスには、人里を離れて山に入り、静かに祈る習慣があったようです。この箇所にも、山で夜通し祈り、その後弟子を呼び集めて十二使徒を任命した様子が描かれています。 しかし、イエスは必ず山を下りて人里に戻ってきます。そして町や村を渡り歩いて、出会う人と友になるのです。「平らな所にお立 [続きを読む]