井藤マサカツ さん プロフィール

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井藤マサカツさん: キテレツ諸子百家〜論語と孔子と、ときどき墨子〜
ハンドル名井藤マサカツ さん
ブログタイトルキテレツ諸子百家〜論語と孔子と、ときどき墨子〜
ブログURLhttps://ameblo.jp/tetsujin110/
サイト紹介文大手予備校の元漢文講師である私が「諸子百家」について、徒然なるままに語る部屋です。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供152回 / 365日(平均2.9回/週) - 参加 2016/03/30 10:47

井藤マサカツ さんのブログ記事

  • 論語漫歩 235     歴史の父 10
  • 楽書 2 前回我々は、史記の八書の第二「楽書」の総論を引用した。今回から、しばらくその解説を試みたい。 先ず第一は、音楽の持つ力について。「楽書」は言う。    天下がよく治まると、礼楽が興る   道が深まるにつれて、徳の完成度が増す  『左伝』襄公29年B・Ⅽ 544年に、天下の賢人として名高い呉国の王子季札の音楽評が記されている。 中国4000年で、天下が最もよく治まった時の、「舜」の音楽に対する、季札の [続きを読む]
  • 論語漫歩 234     歴史の父 9
  • 楽書 前回我々は、「八書」の第一「礼書」について見た。今回からは、「八書」の第二「楽書」について見ていこう。「八書」の第一と第二とをならべてみよう。    礼書第一   楽書第二 ところで、「礼」と「楽」とは、昔から併称されてきた。すなわち    儒教と言えば  礼楽   礼楽と言えば  儒教 と。さて、今回は「楽書」の第一回、音楽の「総論」である。    太史公(司馬遷)が言う。   私は『書経』の [続きを読む]
  • 論語漫歩 233 歴史の父 8
  • 前回、やっと「年表」が終わった。今回から、「八書」が始まる。八書の第一は「礼書」である。「礼書第一」は、「礼の起源」を次のように説明する。    礼は人間に起源をもつ。   人間には生まれつき「欲」がある。   欲しい物が手に入らないと、争いが生じる。   争いが生じると、乱が起きる。   先王は乱を憎み、「礼儀」を制定して、人々が互いに平和裏に欲望を充足できるよう    にした。これが「礼の起源 [続きを読む]
  • 論語漫歩 232    歴史の父 7
  • 史記には10種類の年表がある。と言っても、項羽と劉邦の抗争の時代は、記事が多いため、年表ではなく、「月表」となっている。すなわち「秦楚之際月表」第4である。 「年表」すべてに言及する余裕はない。そこで、「十表」の名と、第十表に関する、司馬遷の言葉を史記下(昭46野口定男訳 平凡社 352頁 )から引用するにとどめよう。    三代世表        第一  堯舜夏殷西周   十二諸侯年表      第二  [続きを読む]
  • 論語漫歩 231   司馬遷とヘロドトス 6
  • 我々はヘロドトスの『歴史』と司馬遷の『史記』を比較中である。  ヘロドトスの『歴史』は、歴史書であるにもかかわらず、ただの1度も年代が登場しない。これに対し、『史記』には、年代どころか、年月日まで記されている。その上、「年表」まで出でてくるのである。しかも、その「年表」が古代から現代まで10種類も作成され、まとめて、「十表」と呼ばれている。 史記の「年表」には、いろいろの特色があるが、1つだけ取り上げ [続きを読む]
  • 論語漫歩 230    歴史の父 5
  • 我々は今、「歴史の父」の称号にふさわしいのは      ヘロドトス  か   司馬遷    か の検討中である。今回は    日蝕 について、両者を比較したい。 ヘロドトスの『歴史』は、「日蝕」については、ただ1度だけ、タレスの予言について言及している。しかし、残念なことに、日蝕の起きた日付については記録していないのである。『歴史』上昭46岩波文庫61頁を引用しよう。    リュディアとメディアの間に戦争 [続きを読む]
  • 論語漫歩 229   歴史の父 4
  • 前々回、我々はヘロドトスの『歴史』の中に、次の3か所だけ年代らしきものを見出した。    12神の一人ヘラクレスからエジプトのアマシス王の時代まで1.7万年が経過してい   る。   エジプトの初代の王から最後の王ヘパイストスに至るまで341世代、3世代が100   年であるから、11340年となる。   ディオニュソス神からエジプトのアマシス王の時代まで1.5万年と数えられる。  ヘロドトスは、エジプト人の記録を「確 [続きを読む]
  • 論語漫歩 228  歴史の父 3
  • 前回我々は、   「歴史の父」という称号が与えられるべきは    ヘロドトス か    司馬遷   かの検証を開始し、検証第1回目にして、早くも後者に軍配を上げた。その根拠は、ヘロドトスの『歴史』には、ただの1度も「年号」が登場していないのに、『史記』には、年号どころか、「年月日」までが記録されていたからである。 今回から、史記に記載された「日付」、「年月日」がいかに正確か、またなぜそうなったかを [続きを読む]
  • 論語漫歩 227  歴史の父 2
  •  これまで、ヘロドトスが、「歴史の父」と呼ばれてきた。彼の著書『歴史』により、そう呼ばれてきたのである。しかし、それは正当なことであろうか。これから、その検証を始めよう。真の「歴史の父」は    ヘロドトス か   司馬遷   か  今回は、その検証の第1回目である。歴史の書であるにもかかわらず、ヘロドトスの『歴史』には、ただの1度も年号が出てこない。年代らしいものが、3度出て来るだけである。『歴史』 [続きを読む]
  • 論語漫歩 226  歴史の父 1
  • 我々は以前、仁徳天皇が論語の影響で生まれ、世界最大の仁徳陵も論語の教えによって生まれたことを発見し、それを    論語漫歩144「論語 仁徳天皇を産む」   論語漫歩145「論語 仁徳陵を造る」 に述べた。又、山川出版の日本史の教科書『詳説日本史』1993年P34は、聖徳太子の十七条憲法について、儒教の影響には一切触れず    仏教を敬うこと と、仏教の影響のみを記す。しかし、仏教の影響は、十七条中の第二条    [続きを読む]
  • 論語漫歩 225  宋襄の仁
  • 前回、われわれは、太子の位にありながら、庶兄の子魚に太子の位を譲ろうとして、兄の子魚に    国を譲ることができる、これ以上の「仁」はありません と絶賛され、父の死後、宋国の王位を継いだ「仁者」襄公について見た。さて、今回はその襄公についてである。春秋時代には、5人の覇者が出た。「覇者」とは、軍事力で天下を統一し、天下を治めた者のことである。 春秋時代には5人の覇者、いわゆる「春秋の五覇」が出た。し [続きを読む]
  • 論語漫歩 224  仁と譲
  • 前回、我々は国を譲った伯夷を、孔子が「仁者」とほめたたえるのを見た。「仁」と「国を譲ること」の関係について、平岡武夫氏は『論語』昭55集英社P191で、次のように説明される。    国を譲ることを仁ということは、孔子より前に先例がある。『春秋左氏伝』僖公8年の条に見える。  以下、平岡氏のお教えにある『左伝』僖公8年、B・Ⅽ 652年を引用しよう。    宋の桓公が病気になった。   太子茲父が懇願する。   [続きを読む]
  • 論語漫歩 223  再び伯夷・叔斉
  • 前回、我々は伯夷・叔斉の兄弟が、互いに国王の位を譲り合い、孔子に称賛されるのを見た。 我々は既に論語漫歩99至徳「譲」で、「譲」こそが人間最高の徳、すなわち「至徳」であり、人間同士、国同士の間でいかに重要であるかを見た。 学而篇第10章に明言されているように、孔子その人の特徴が、「譲」であり、そのことは論語の至る所で見られる。 また、『十八史略』春秋・魯は、名前こそ「魯国の歴史」であるが、その実体は [続きを読む]
  • 論語漫歩 222  何ぞ怨みん
  •  前回、我々はついにシリーズ「子路の最期」の完結を見た。子路を惨殺した、荘公も非業の最期をとげたのである。 さて、話は少しさかのぼる。B・Ⅽ497年に孔子が衛国に行き、その4年後に衛の霊公が卒した。B・Ⅽ493年4月のことである。『左伝』によると、同月、晋の趙鞅が軍を率いて衛の亡命太子を、衛国内の巨大城壁都市戚にいれた。 一方、衛国は亡命太子の子を立てて、出公とし、ここに父と子がにらみあうこととなった。 [続きを読む]
  • 論語漫歩 221  荘公の最期 2
  • 子路の最期 45 史記衛康叔世家によると、荘公は即位元年B・Ⅽ480年に大臣たちに言った。    わしが国外で16年も、艱難辛苦をなめている間、卿らはだれ一人として迎えにこなかった。今度はそなたらが辛酸をなめる番だ と、次々に大臣たちを国外に追放した。手引きをしてくれた姉の伯姫も、その子で衛国1の実力者である孔悝(こうかい)も例外ではなかった。また、『左伝』哀公17年B・Ⅽ 478年に記す。    晋国第1の実力者 [続きを読む]
  • 論語漫歩 220  荘公の最期
  • 子路の最期 44 前々回、我々は英雄子路の壮絶な最期を見た。亡命太子が、その亡命の16年の間、その苦節の16年の間、その苦難の16年の間、この日のために養ってきた、天下の剣士二人に子路を惨殺させ、即位して荘公となった。今回と次回は、「忠臣子路」を虐殺した衛の荘公の最期についてである。 B・C 481年、息子の出公を国外に追い出し、翌B・C 480年に衛国の王位についた荘公は、『左伝』によると、哀公17年、B・C 478年のあ [続きを読む]
  • 論語漫歩 219  渾良夫の最期
  • 子路の最期 43 今回はやや横道にそれる。亡命太子の手引きをした渾良夫についてである。 渾良夫は、太子の姉で、恐らくは淫乱南子の娘の伯姫と密通していた。彼は大使の姉の召使であったが、彼女の使者として、太子のたてこもる城壁都市戚にやって来た時、太子が懇願した。    もし手助けしてくれて、私が国王になれたら、3つの願いをかなえよう。1 都市を与えて、大夫にする2 姉の伯姫と正式に結婚させる3 [続きを読む]
  • 論語漫歩 218  由(子路)や死せん
  • 子路の最期 42 我々の「子路の最期」も、やっと終着に近付いた。 B・C 497年、魯国の改革があと一歩で挫折し、孔子が衛国にやってきた。翌年、衛の霊公の太子が、衛国の恥じである、母の南子を殺そうとして失敗し、魯国に亡命。その3年後に霊公が薨じ、太子の子が即位した。これが出公である。 出公の12年、B・Ⅽ 481年に衛国の大黒柱孔文子がなくなった。彼は魯国の季氏に相当する、衛国一の実力者であった。彼の妻は国王霊公 [続きを読む]
  • 論語漫歩 217 顔淵の葬儀に参列
  • 子路の最期 41 前回、我々は「柴・参・師・由」の4人が登場する先進篇第18章の場面は、孔子69歳帰魯後のことであることをつきとめた。ではなぜ衛国の大夫を務めている、子路と子羔がこの時、魯に居たのか。その解明が今回のテーマである。(ちなみに子羔は衛国出身である。)この問題を解く鍵は、論語における著しい特徴である、隣接する章と章との間の緊密な関係とグループの存在である。先進篇における、関連する章を抜き出し [続きを読む]
  • 論語漫歩 216  子路と子羔
  • 子路の最期 40 前回、我々は子路と子羔がそれぞれ衛国の大夫となっていることを知った。実はここに我々を長年悩ませてきた疑問が存在するのである。それはなにか。 それは今我々が分析中の先進篇第18章にある。この章の登場人物は、    柴、参、師、由 の4人であった。もし、この場面が、孔子が外遊に出発する、56歳以前のことだとすると、それぞれの年齢は次のようになる。    柴(子羔) 26歳   参(曾子) 12歳  [続きを読む]
  • 論語漫歩 215  子路 蒲を治む
  • 子路の最期 39 先進章第12章の「季路」は、2000年以上もの間、孔門十哲の一人「子路」と思われてきた。それを疑った人はいなかったのである。 どうやら 我々は、それが顔淵の父「顔路」らしいことをつきとめた。さてその次は、第12章の次章である第13章の持つ意味の発掘である。今回はその下準備。 史記仲尼弟子列伝に子路のことが記されている。これにもとづいて書かれた、中島敦の『弟子』の方がやや詳しいので、それを引用 [続きを読む]
  • 論語漫歩 214  二人の季路 4
  • 子路の最期 38 我々は今 先進篇第12章の   季路 鬼神に仕へんことを問ふの「季路」が、十哲の一人の「子路」ではなく、顔淵の父「顔路」を指すのではないか、と探究中である。 前回までに、「顔路説」の根拠らしきものを2つほど発見した。   1つが、グループの存在   2つが、超現実的な子路の性格  子路は、「死」とは何か、というような形而上学的問いを発するタイプではない。彼の性格は極めて「現実的」なのであ [続きを読む]
  • 論語漫歩213  二人の季路 3
  • 子路の最期 37 前回、我々は先進篇第12章の    季路 鬼神につかへんことを問ふ の「季路」が、顔淵の父「顔路」である可能性を、論語の至る所に存在する「グループ」という視点を根拠にしてさぐってみた。 今回は十哲の「子路」の性格を手がかりとして、第2の根拠を探究してみたい。先進篇第12章は    死者と神と死 という極めて「形而上学的」な問題を提起している。これに対し、十哲の子路の性格は、至って「現実的」 [続きを読む]
  • 論語漫歩212  二人の季路 2
  • 子路の最期 36 前回、我々は「二人の季路」の出現を見た。十哲の一人の「子路」と顔淵の父の「顔路」の二人である。 先進篇第12章の「季路」は、果して二人のうちのどちらであろうか。それが今回のテーマである。 我々は一応、後者に軍配をあげる。その根拠は3つ。第一の根拠は、「グループ」である。先進篇第7章で、孔子は顔回が    短命で死んだ ことを痛惜し、続く4章はすべて    顔淵死す で始まる。特に先頭の第8章 [続きを読む]
  • 論語漫歩211  二人の季路 1
  • 子路の最期 35 論語は一見バラバラの章から成り立っているように見える。しかし、よく見ると、多くのグループが存在していることに気付く。これに気付いたのは、論語の隣接する章にしばしば密接な関係が見られたからである。 前回、我々は先進篇第7・8・9・10・11の五章が、「顔淵の死」をテーマにグループを作っていることを見出した。そして、そのことに気付いた時、我々は続く第12章の中のこれまで2000年間だれ一人として気 [続きを読む]