ムベ さん プロフィール

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ムベさん: 石ころ
ハンドル名ムベ さん
ブログタイトル石ころ
ブログURLhttps://blog.goo.ne.jp/bachan-no-1
サイト紹介文もろもろの支配と権威との武装を解除し、キリストにあって凱旋し、彼らをその行列に加えて、さらしものとさ
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供202回 / 365日(平均3.9回/週) - 参加 2016/04/03 00:38

ムベ さんのブログ記事

  • 「友よ」(マタイ26章)
  • 確かに、人の子は、自分について書いてあるとおりに、去って行きます。しかし、人の子を裏切るような人間はわざわいです。そういう人は生まれなかったほうがよかったのです。」すると、イエスを裏切ろうとしていたユダが答えて言った。「先生。まさか私のことではないでしょう。」イエスは彼に、「いや、そうだ」と言われた。(マタイ26:24〜25)「生まれてこなかった方が良かった」と言われたのはユダにだけである。その言 [続きを読む]
  • 不安と虚勢 (マタイ26章)
  • みなが食事をしているとき、イエスは言われた。「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたのうちひとりが、わたしを裏切ります。」すると、弟子たちは非常に悲しんで、「主よ。まさか私のことではないでしょう」とかわるがわるイエスに言った。(マタイ26:21〜22)「まさか私ではないでしょう」と言ったことで、弟子はみな内に同じ不安を持っていたことがわかる。イエスさまを「裏切るかも・・」という不安であろう。イ [続きを読む]
  • 負うべきリスク
  • アメリカンフットボール選手が謝罪する痛々しいテレビを見た。昨日のテレビはそればかりだったから・・。彼は必死で責任を取ろうとしており、その姿は好意的に報じられている。ただ、最も大切なことが論じられていないと思った。質問も反論も出来ない環境に置かれて、「それまで好きだったフットボールが好きではなくなった。」という言葉に、「それならなぜ?」という疑問を感じた。大学で大きな違和感を感じたのに、方向変換でき [続きを読む]
  • 価値 (マタイ26章)
  • そのころ、祭司長、民の長老たちは、カヤパという大祭司の家の庭に集まり、イエスをだまして捕らえ、殺そうと相談した。しかし、彼らは、「祭りの間はいけない。民衆の騒ぎが起こるといけないから」と話していた。(マタイ26:3〜5)何度イエスさまのわざを見ても、宗教者や指導者たちは自らの不都合の故に、事実に堅く目を閉じ、神を知ろうとはしなかった。イエスさまをベルゼブルと言うのは、神とサタンを見分けることもでき [続きを読む]
  • 今朝の賛美 (詩編8章.9章)
  • 私たちの主、主よ。あなたの御名は全地にわたり、なんと力強いことでしょう。あなたのご威光は天でたたえられています。あなたは幼子と乳飲み子たちの口によって、力を打ち建てられました。それは、あなたに敵対する者のため、敵と復讐する者とをしずめるためでした。あなたの指のわざである天を見、あなたが整えられた月や星を見ますのに、人とは何者なのでしょう。あなたがこれを顧みられるとは。あなたは、人を、神よりもいくら [続きを読む]
  • 主よ。来てください③ (マタイ25章)
  • 人の子が、その栄光を帯びて、すべての御使いたちを伴って来るとき、人の子はその栄光の位に着きます。そして、すべての国々の民が、その御前に集められます。彼は、羊飼いが羊と山羊とを分けるように、彼らをより分け、羊を自分の右に、山羊を左に置きます。(マタイ25:31〜33) 羊はみことばによって永遠の救いを語り、山羊は人の言い伝えを語って滅びをもたらす。羊と山羊の違いは主の必要を満たすことにある。「まこと [続きを読む]
  • 2018年5月16日
  •  ここの所の暑さで、トマトの種まきセットに蒔いた種から1?程の芽が出て、1?程になり小さな本葉が覗いた。何時もいつも見つめているから、恥ずかしがり屋さんは出てこられないのか・・と思うほどゆっくりペース・・こればかりはひたすら待つしかないのだ。「おいしい野菜の土」を二袋も買ってスタンバイしているのに・・。 初ホトトギスの声を聞いた。暑さに胸苦しくて体はだるく・・身の置き所がないときがあるのに、ホトト [続きを読む]
  • 「主よ。来てください。」② (マタイ25章)
  •  天の御国は、しもべたちを呼んで、自分の財産を預け、旅に出て行く人のようです。彼は、おのおのその能力に応じて、ひとりには五タラント、ひとりには二タラント、もうひとりには一タラントを渡し、それから旅に出かけた。(マタイ25:14〜15) タラントは能力に応じて与えられるとある。能力は造り主が備えられたものであり、人がその多少を問われることはない。主はその個性にある弱さに対しては、信頼関係のうちに助け [続きを読む]
  • 主よ。来てください ① (マタイ25章)
  •  そこで、天の御国は、たとえて言えば、それぞれがともしびを持って、花婿を出迎える十人の娘のようです。花婿が来るのが遅れたので、みな、うとうとして眠り始めた。(マタイ25:1.5) 花婿の来るのが遅れるのは祈りに拠ることである。イエスさまは再び来てくださる。「主よ。来てください」という祈りは、「主よ。もう少し待ってください」という言葉と共にある。共に御救いに預かりたい人があるのだ。だから・・もう少し [続きを読む]
  • この天地は滅び去ります(マタイ24章)
  •  この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。(マタイ24:35)滅びの時のしるしは偽キリストが現れ人の心を惑わし、世界に戦争や戦争のうわさ、民族紛争や飢饉や地震が起こるが、それは産みの苦しみのはじめだと書かれてあり、非常に困難な時代となる。そのときには、世の初めから、今に至るまで、いまだかつてなかったような、またこれからもないような、ひどい苦難があるからです。( [続きを読む]
  • 2018年5月10日
  •  雨の日々は緑濃くなった山裾に、白糸ような途切れぬ雨をガラス越しに眺めてはため息していた。雨が降ります 雨が降る遊びに行きたし 傘はなし紅緒のかっこの緒も切れたあ〜あ・・つぶやくように歌ったり、声を上げて歌ったり・・すると、遠い日の雨を思い出した。あの頃は、子供が差して遊びに行くような余分な傘はなかった。それも重い番傘で、コウモリ傘などは子供のものではなく・・。下駄も盆正月に買ってもらうくらいで余 [続きを読む]
  • 兄弟にある教会の守り (マタイ23章)
  • あなたがたは先生と呼ばれてはいけません。あなたがたの教師はただひとりしかなく、あなたがたはみな兄弟だからです。(マタイ23:8)一方的に語る役割から解き放つみことばであり、そこに発生する不足を満たす備えのためである。キリストを頭とする交わりによって、みことばを分かち合い主の備えの中で語るようになるなら、どれほどにか豊かに、また危険からも守られることであろうに。聞く耳がなければ、主が兄弟の間に備えら [続きを読む]
  • やり繰り(マタイ22章)
  •  そのころ、パリサイ人たちは出て来て、どのようにイエスをことばのわなにかけようかと相談した。彼らはその弟子たちを、ヘロデ党の者たちといっしょにイエスのもとにやって、こう言わせた。(マタイ22:15〜16)ことばによって天地を創造された方を、言葉の罠にかけようとしたのは「神も神の力も知らない」宗教者たちであった。初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は、初めに神 [続きを読む]
  • 今朝の賛美 詩編139
  • 主よ。あなたは私を探り、私を知っておられます。あなたこそは私のすわるのも、立つのも知っておられ、私の思いを遠くから読み取られます。あなたは私の歩みと私の伏すのを見守り、私の道をことごとく知っておられます。ことばが私の舌にのぼる前に、なんと主よ、あなたはそれをことごとく知っておられます。あなたは前からうしろから私を取り囲み、御手を私の上に置かれました。そのような知識は私にとってあまりにも不思議、あま [続きを読む]
  • カラス
  • バッサッ大きな羽音がしたと思ったら、目の前のガードレールにカッツンと鉄がぶつかるような音をたててカラスが降り立った。2メートル足らずの距離で向き合ったとき「大きいなぁ!」と思った。そのままじっと・・物言いたげに見ているので「何か知らせたいのか」と聞いて見た。しゃべれればさぞかし楽しかろうと・・。しばらく向き合っていたけれど結局「カァ」と鳴くでもなく、くるりと回って飛んで行ってしまった。あれはこの前 [続きを読む]
  • 石の上に落ちる者 (マタイ21章)
  • だから、わたしはあなたがたに言います。神の国はあなたがたから取り去られ、神の国の実を結ぶ国民に与えられます。(マタイ21:43)選ばれた者でありながら、 旧約聖書に書いてあるように幼子たちが「ホサナ」と賛美する方を見ても、また数々の御わざを目の当たりにしても、いちじくの木がたちまち枯れても、宗教の専門家たちはイエスさまを恐れることを学ばなかった。人を恐れていながら自分たちの権威を主張することを止め [続きを読む]
  • 「この目をあけていただきたいのです。」(マタイ20章)
  • 道ばたにすわっていたふたりの盲人が、イエスが通られると聞いて、叫んで言った。「主よ。私たちをあわれんでください。ダビデの子よ。」そこで、群衆は彼らを黙らせようとして、たしなめたが、彼らはますます、「主よ。私たちをあわれんでください。ダビデの子よ」と叫び立てた。(マタイ20:30〜31) 彼らはイエスさまを見たくて叫んだ。見えるようになったとき他の何を見る間もなく、真っ直ぐにイエスさまに付いて行った [続きを読む]