ムベ さん プロフィール

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ムベさん: 石ころ
ハンドル名ムベ さん
ブログタイトル石ころ
ブログURLhttps://blog.goo.ne.jp/bachan-no-1
サイト紹介文もろもろの支配と権威との武装を解除し、キリストにあって凱旋し、彼らをその行列に加えて、さらしものとさ
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供203回 / 365日(平均3.9回/週) - 参加 2016/04/03 00:38

ムベ さんのブログ記事

  • 天の父が完全なように、完全でありなさい。
  •  地震と蛇は私のもっとも怖いもの。先日の地震の前夜、千葉県に住んで居る主人の姪のために「怖い思いをすることがありませんように」と祈っていた。昨朝ウォーキングの時、蛇が出るかもしれないと感じた。その数時間後に、玄関の門扉に巻き付いていて、鎌首をこちらに向けていた。「あっちへ行け」と命じたら、するするっと姿を消したけれど、実はドキドキしていて庭を歩くのが怖くなっていた。単なるシマヘビなのに・・。 主は [続きを読む]
  • 喜びの食卓(マルコ2章)②
  • ヨハネの弟子たちとパリサイ人たちは断食をしていた。そして、イエスのもとに来て言った。「ヨハネの弟子たちやパリサイ人の弟子たちは断食するのに、あなたの弟子たちはなぜ断食しないのですか。」(マルコ2:18)イエスさまと共にある食卓は祝い膳である。罪を赦す権威ある神を喜ぶ祝いの席である。断食も聖日も約束事でなく主との関係によることである。何が良い事で何が悪いことなのか、今何をするべきで何をするべきでない [続きを読む]
  • 喜びの食卓(マルコ2章)①
  • 取税人のマタイを見て、イエスさまは声を掛けられた。「わたしについて来なさい」彼は立ち上がって従った。とてもシンプル。イエスさまのお言葉には何も差し挟まず、ただ立っち上がって従うことは、聖さに拠ることであり、神の選びから発することである。それから、イエスは、彼の家で食卓に着かれた。取税人や罪人たちも大ぜい、イエスや弟子たちといっしょに食卓に着いていた。こういう人たちが大ぜいいて、イエスに従っていたの [続きを読む]
  • 朝の地震にびっくり!
  • グラグラと揺れる中で、お風呂場のブーツを履いたまま玄関の鍵を開けて出口を確保。外に出て「此処が安全か?」と自問自答した。たぶんこの地に「安全という所は無い」と思いながら・・。すぐに思い浮かんだのは阪神大震災の恐怖。あの時と同じ震度4を感じ、朝ということもあったたので恐怖が増した。千葉県沖のスロースリップとか・・聞いていたが、何処で起こっても不思議ではない時代だと昨夜考えていたばかりだった。阪神大震 [続きを読む]
  • 戦い
  • 少し気落ちして・・疲れて・・そんな時、自分自身に語っている言葉。不信仰なことばを口にしてはならない。それは本音とかではなく、告白となるからである。主は、私たちの心をすべて知っておられるけれど、それらを引きづり出すことはなさらない。イエスさまの十字架を通して見ていてくださり、口から出た言葉だけを聞いていてくださる。また、サタンが吠えたける獅子のように探し回っているものは、キリスト者の不信仰な言葉であ [続きを読む]
  • イエスさまに運ぶために(マルコ2章)
  • そのとき、ひとりの中風の人が四人の人にかつがれて、みもとに連れて来られた。群衆のためにイエスに近づくことができなかったので、その人々はイエスのおられるあたりの屋根をはがし、穴をあけて、中風の人を寝かせたままその床をつり降ろした。(マルコ2:3〜4)動けなくなっている人を、イエスさまに運ぶには4人必要であった。同じ信仰を持つ勇敢な人が4人いた。私はショックを受けた、ものすごく難しいことのように思えた [続きを読む]
  • 証しするのは聖霊による(マルコ1章)
  • イエスさまは人となって、ヨハネのバプテスマを受られ、御霊が下って力を受けられると、御霊はイエスさまを荒野に導き40日間、サタンの誘惑を受けられた。バプテスマのヨハネが死んだ後、イエスさまは神の福音を宣べて言われた。「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい。」(マルコ1:15) すると、すぐにまた、その会堂に汚れた霊につかれた人がいて、叫んで言った。「ナザレの人イエス。いったい私た [続きを読む]
  • 弟子の召命(マルコ1章)
  • ガリラヤ湖のほとりを通られると、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのをご覧になった。彼らは漁師であった。イエスは彼らに言われた。「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう。」すると、すぐに、彼らは網を捨て置いて従った。(マルコ1:16〜18)「人間をとる漁師にしてあげよう」この時のペテロ(シモン)とアンデレに意味がわかったとは思えないが・・。あなたがたがわたしを選んだので [続きを読む]
  • 「おはよう」(マタイ28章)
  • イエスさまが十字架から下ろされ、ヨセフによって墓に葬られたとき、そこにはマグダラのマリヤとほかのマリヤとが墓のほうを向いてすわっていた。(マタイ27:61)ただ、呆然と座っているマリアたちの様子が浮かぶ・・。彼女たちがずっと十字架の側を離れなかったのは、望みがあったからである。死者さえも生き返らせた方なのだから。しかし・・、イエスさまは死んで葬られ墓だけが残された。安息日が終わって、マグダラのマリ [続きを読む]
  • カエル
  • 庭で、いつも足元からピョンと飛び出して横切るものに驚く・・。小さなカエルだとわかってからも、いつも同じ場所にいるのに・・驚く。今日は、立ち止りこちらを見たので、「いくら狭い庭でも、通路に居なくてもいいでしょ」文句を言ってみたが・・「わかっているのだから、覚えていろよ」「踏まれたら死ぬよ」「婆さんに踏まれるほどのろまじゃないよ」「頑固だね」「お前もな」座敷から、ホームポジションを掴もうとよく見てみた [続きを読む]
  • イエスは尋ねる者には答え、訴える者には沈黙される。(マタイ27章)②
  • 彼は神により頼んでいる。もし神のお気に入りなら、いま救っていただくがいい。「わたしは神の子だ」と言っているのだから。(マタイ27:43)イエスさまへの非難は、神の子とされたキリスト者に対するサタンの妬みの言葉と重なる。救われる人々へのサタンの叫び・・。そうして、正に神は十字架で救いを完成し、拠り頼む者をお気に入りとし、「神の子」として永遠に救い出してくださった。サタンは狡賢いが、勝ち誇った所で滅び [続きを読む]
  • イエスは尋ねる者には答え、訴える者には沈黙される。(マタイ27章)①
  • さて、イエスは総督の前に立たれた。すると、総督はイエスに「あなたは、ユダヤ人の王ですか」と尋ねた。イエスは彼に「そのとおりです」と言われた。しかし、祭司長、長老たちから訴えがなされたときは、何もお答えにならなかった。(マタイ27:11〜12)イエスさまは、尋ねるピラトにはご自身を示して答えられた。ユダヤ人を救うために来られた王であることを・・。しかし、訴え、非難する言葉に対しては口を開かれなかった [続きを読む]
  • 神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた(マタイ27章)
  • そのとき、イエスはもう一度大声で叫んで、息を引き取られた。すると、見よ。神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた。そして、地が揺れ動き、岩が裂けた。(マタイ27:50〜51) 祭司のひとりだけが、年に一度神さまと出会う至聖所。神と人を隔てるのは至聖所の垂れ幕。入る祭司の足には紐が括り付けられていたという、打たれて死んだ時に引き出すためである。至聖所はそれほどに恐ろしく聖い場所。その隔てがイエスさまの [続きを読む]
  • 十字架の愛(マタイ27章)
  •  イエスさまは、罪なき方であることを知っていたピラトによって、十字架刑に定めら、イエスさまは、救うために来られた民によって十字架で殺された。すべては御父に従順してくださった、キリストの愛によることである。「彼は自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足する」(イザヤ53章)責め言葉もほめ言葉も、いかなる評価もイエスさまと共に聞く身には、ただ静寂に守られて、ふと淋しさに「イエスさま」と呼ぶ時、御愛 [続きを読む]
  • 「友よ」(マタイ26章)
  • 確かに、人の子は、自分について書いてあるとおりに、去って行きます。しかし、人の子を裏切るような人間はわざわいです。そういう人は生まれなかったほうがよかったのです。」すると、イエスを裏切ろうとしていたユダが答えて言った。「先生。まさか私のことではないでしょう。」イエスは彼に、「いや、そうだ」と言われた。(マタイ26:24〜25)「生まれてこなかった方が良かった」と言われたのはユダにだけである。その言 [続きを読む]
  • 不安と虚勢 (マタイ26章)
  • みなが食事をしているとき、イエスは言われた。「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたのうちひとりが、わたしを裏切ります。」すると、弟子たちは非常に悲しんで、「主よ。まさか私のことではないでしょう」とかわるがわるイエスに言った。(マタイ26:21〜22)「まさか私ではないでしょう」と言ったことで、弟子はみな内に同じ不安を持っていたことがわかる。イエスさまを「裏切るかも・・」という不安であろう。イ [続きを読む]