ムベ さん プロフィール

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ムベさん: 石ころ
ハンドル名ムベ さん
ブログタイトル石ころ
ブログURLhttp://blog.goo.ne.jp/bachan-no-1
サイト紹介文もろもろの支配と権威との武装を解除し、キリストにあって凱旋し、彼らをその行列に加えて、さらしものとさ
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供167回 / 365日(平均3.2回/週) - 参加 2016/04/03 00:38

ムベ さんのブログ記事

  • 明日のための心配は無用です(マタイ6章)
  • あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。(マタイ6:34)私たちの明日は主の中に準備されているものであり、明日を心配してくださるのは主である。また、その日の労苦は主が蒔かれたマナを拾うだけ・・たったそれだけ。老後の心配をすることは、今日の主を信頼しないことであり、今朝のマナに感動や感謝がないことから出て来る。信じていないものが備えられることはな [続きを読む]
  • 世の光 (マタイ5章)
  •  あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れる事ができません。また、あかりをつけて、それを枡の下に置く者はありません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいる人々全部を照らします。(マタイ5:14〜15)キリスト者の光はみことばであり、それは世を生きる時の足の灯火、道の光である。イエスさまに出会ってみことばの御力を経験した者はその喜びを隠すことができず、世に高く掲げて希望の在りかを知らせるよ [続きを読む]
  • 冬ごもり
  •  昨夜から降っているようだったけれど今朝はけっこう積もっていた・・と言ってもたかが5?ほどだけれど・・。なにしろテレビで連日ものすごい映像を見ているので、こう言うのも気が引けるのだ。雪国の方々には「本当にほんとうにお疲れさま」と心からねぎらってあげたい。カーテンを引くと、窓の外の庭木がすっぽり綿帽子を被って・・ちょっと重そうに見えた。主人の長靴を履いて、雪を注意深く踏みしめて橋を渡りゴミを出した。 [続きを読む]
  • 地の塩(マタイ5章)
  •  あなたがたは、地の塩です。もし塩が塩けをなくしたら、何によって塩けをつけるのでしょう。もう何の役にも立たず、外に捨てられて、人々に踏みつけられるだけです。(マタイ5:13)塩は沢山の砂糖の中に混ぜ込んでも、その味を少しも変えることなく砂糖の甘みを生かす。塩が砂糖に同化して甘くなっては何の役にも立たない。また、酢に入れても少量で酸味をまろやかにして旨味を増す。酢に同化しては何の役にも立たない。多く [続きを読む]
  • わたしを離れては何もできない(マタイ5章)
  • あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるから。(マタイ5:7) あわれみはイエスさまに頂いたものである。憐れみをイエスさまから受けた私たちは、他者に対しても単なる思いや感情から、いのちに至るための真に必要なあわれみの力を持っており、それを行うことができるようになるのである。心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るから。(マタイ5:8)きよさは十字架の血で洗って頂いたたまものである [続きを読む]
  • 「神の義」への飢え渇き(マタイ5章)
  • 義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるから。(マタイ5:6)律法という養育係によって、神の義を真に知らなければ渇きも生まれず、十字架の救いを求めることもないだろう。律法は私たちをキリストへ導くための私たちの養育係となりました。私たちが信仰によって義と認められるためなのです。(ガラテヤ3:24)神の義はそれを知って自分も行おうとするときに、激しい飢え渇きを覚えさせる。それは「昨日よりも今日 [続きを読む]
  • 心貧しき主
  • 心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。(マタイ5:3)イエスさまは究極の心の貧しい方だった。ご自分から出てくるものに拠らず、ただすべて御父から出ることを語り行われたとある。何処を切っても金太郎飴のようにイエスさまのことしか出てこないのは、ずいぶんつまらないことのようだけれど・・心の中にイエスさまのことしかないのは、それこそすでに天の御国に居る状態なのだと思う。天の御国には他の価 [続きを読む]
  • 会話
  • 「主よ。相応しくない恵みが私は恐ろしいです。」と言った時即座に示されたみことば。私は、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりひとりに言います。だれでも、思うべき限度を越えて思い上がってはいけません。いや、むしろ、神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深い考え方をしなさい。(ローマ12:3)続くみことばは「体には多くの器官があり・・」だから、「一つの器官として与えられた分 [続きを読む]
  • 神の子なら(2)
  •  さて、イエスは、悪魔の試みを受けるため、御霊に導かれて荒野に上って行かれた。(マタイ4:1)イエスさまを悪魔の試みに連れて行ったのは御霊である。悪魔が主人公のようであるけれど、結果として私たちへのメッセージのために利用されたに過ぎない。 そして、四十日四十夜断食したあとで、空腹を覚えられた。すると、試みる者が近づいて来て言った。「あなたが神の子なら、この石がパンになるように、命じなさい。」イエス [続きを読む]
  • 神の子なら
  • 試みる者が近づいて来て言った。「あなたが神の子なら、この石がパンになるように、命じなさい。」(マタイ4:3)「あなたが神の子なら、下に身を投げてみなさい。『神は御使いたちに命じて、その手にあなたをささえさせ、あなたの足が石に打ち当たることのないようにされる』と書いてありますから。」(マタイ4:6) サタンは荒野でイエスさまに、神の子であることを証明せよと言った。イエスさまは人の子として地に来てくだ [続きを読む]
  • 経験による感覚の訓練
  • しかし、堅い食物はおとなの物であって、経験によって良い物と悪い物とを見分ける感覚を訓練された人たちの物です。(ヘブル5:14) 通読箇所によって、主から受けた一つの訓練を思い出した。主は人の助けを受けたからと言って責められないけれど、祈っていながら主を待たずに人に頼って道を開いた結果、それまでのすべてを否定され続ける三年間を過ごしたことがあった。失敗の中で主の御足元に黙って座り続けた日々は、不毛と [続きを読む]
  • 夢のメモ
  • 真っ赤な金魚が、長いひれをヒラヒラさせて棚の上の籠に居た。そう、金魚が籠の上で小さな缶を転がして遊んで居た。ヒラヒラと長いひれで転がしていた。水も無いのにとても自由に泳いでいた。少しすると・・、小鳥がちょんちょんと其処に居た。もう少しすると、イタチのような小さな動物もちょろりと見えた。そうして、金魚はそれらの中に混じって少し見えるだけになった。あまりに綺麗な金魚だったので、今も目に焼き付いている。 [続きを読む]
  • 昔は・・
  •  最近の朝の室温0度。冷蔵庫を開けると温かい空気がフワッと出て来る。取り出したトマトジュースの方が水よりも温かい。調べると、食品を凍らさないために冷蔵庫を使うことが常識な所もあるとのこと。所変わればである。保温機能もあるのかなぁ・・と調べたけれどなんかあいまいで良く分からなかった。 主人が居た頃は、起きる前に温風ヒーターで部屋を温めておいたものだった。彼は高血圧だったので朝が寒いのは命に関わること [続きを読む]
  • 「その水を私にください」
  • 「わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」女はイエスに言った。「先生。私が渇くことがなく、もうここまでくみに来なくてもよいように、その水を私に下さい。」(ヨハネ4:13〜15)人のさげすみの中に居たサマリヤの女が、即座にイエスさまにいのちの水を求めたことは驚きである。それは簡単な事ではないのだ。イ [続きを読む]
  • 御名を呼び求める者は、だれでも救われる
  •  危急の時に近付いてくださったイエスさまに、「なんと祈ればよいのだろうか」と心配することは無い。イエスさまを思い出したということは、すでにすべてをご存じで来てくださったからである。聖書はこう言っています。「彼に信頼する者は、失望させられることがない。」ユダヤ人とギリシヤ人との区別はありません。同じ主が、すべての人の主であり、主を呼び求めるすべての人に対して恵み深くあられるからです。「主の御名を呼 [続きを読む]
  • 主が来てくださる(ヨハネ21章)
  • その日、すなわち週の初めの日の夕方のことであった。弟子たちがいた所では、ユダヤ人を恐れて戸がしめてあったが、イエスが来られ、彼らの中に立って言われた。「平安があなたがたにあるように。」こう言ってイエスは、その手とわき腹を彼らに示された。弟子たちは、主を見て喜んだ。(ヨハネ20:19〜20)弟子たちは、肉体を持ってよみがえられたイエスさまをすぐに認識することができなかった。これは不思議なことである。 [続きを読む]
  • 冬晴れ
  • 喜寿の婆さんが、日の光を見ると飛び出して行くのは、まったく徘徊のようなもの・・ふふふほめてくださった方があったけれどちょっと違うと思いつつ・・頭を下げた。干からびたカラスウリを横目に見てカサカサと落ち葉踏み踏み柔らかな冬日の下を歩けば心の中から腹の底まで光が差し込むから思いの臓腑をぶっちゃけて、腹の虫まで引きずり出して日干しにしたさ冬の太陽を見上げて歩き、まなこの奥までさらけ出し脳みそまでぶっちゃ [続きを読む]
  • 愛のことば (ヨハネ20章)
  •  十字架の死から甦ったばかりのイエスさまは、マグダラのマリヤに「すがりついていてはいけない」とおっしゃった。この時、彼女は自分たちと同じ体のイエスさましか知らなかったのだ。このことはすべての弟子たちに共通することであった。彼らは神のキリストと信じて着いて来た方を、言い聞かされていても理解できない十字架刑によって失い、墓では御体を見失ったのだ。それはどれほどの戸惑いと混乱であったことだろう。彼らは聖 [続きを読む]
  • 平凡なドラマ
  • ほっこりとした冬日を準備されて、ほら。行け!と・・エンジンが掛かったタタタタタ・・バイクに乗って少し傷ついたヘルメットを頭に乗っけてふわり銀髪なびかせる青空ときらきら光る大川の流れの間を少しどきどきしながら・・少しわくわくしながら・・駆け抜ける大漁旗のように大根と人参と蜜柑、醤油とポッキーを前籠に積みカイロと椿油は後ろに積んで、タタタタタ・・帰りは凱旋気分少し怖いから、ドラマになる少し弱いから、イ [続きを読む]
  • キリストのからだとして一つ (ヨハネ17章)
  • わたしはもう世にいなくなります。彼らは世におりますが、わたしはあなたのみもとにまいります。聖なる父。あなたがわたしに下さっているあなたの御名の中に、彼らを保ってください。それはわたしたちと同様に、彼らが一つとなるためです。(ヨハネ17:11)十字架を前にしたイエスさまの祈りは、私たちが御父と御子のように一つに保たれる守りが込められてあった。神の御名の中に在って、御父と御子のつながりと同様の一つとな [続きを読む]
  • 雪の朝
  • 目覚めて、ぼんやりと廊下に出ると、あらま!玄関の高窓から真っ白な椿の木が覗いてたカーテン開けたリビングが輝いているホ〜タ〜ルのひ〜かぁ〜り まぁど〜のゆ〜ぅき〜本当だ・・サザンカが重そうに傾いで、赤い花はすっぽり雪の中葉っぱの天蓋に守られて、未だうつらうつらと雪の中午前はちらちら・・ちらちらちらちら粉雪まぶし午後は雲間に お日さまの光が差し込んで遅れて届いた年賀状、返信もって橋を渡るぬかるみに足取 [続きを読む]
  • イエスが愛しておられた者 (ヨハネ13章)
  •  ヨハネ13章には、三人の弟子の三様の愛が書かれている。 ユダは、イエスさまと一緒に居ながらイエスさまの愛には無関心であって、自分の愛する金のために夜の闇に去って行った。 弟子のひとりで、イエスが愛しておられた者が、イエスの右側で席に着いていた。(ヨハネ13:23)ヨハネは「イエスが愛しておられた者」と自称している。これは事実であるけれど・・。イエスさまはすべての人を愛して、ご自分のいのちと引き替え [続きを読む]
  • 互いに足を洗い合うべきです (ヨハネ13章)
  • 主であり師であるこのわたしが、あなたがたの足を洗ったのですから、あなたがたもまた互いに足を洗い合うべきです。(ヨハネ13:14)  7年前にこの箇所から明確な答えを見つけられなくて、疑問を残したままだった。「あなたがたも互いに足を洗い合うべきです。」とは、今私には何を言われているのだろうと思いながら読んだ。この言葉は、弟子に向かって言われたのである。しかし、今、主の弟子は完全に十字架の血によってきよ [続きを読む]
  • ゴールに立って明日を振り返る者
  •  新しい年に、どのような事が待っているのだろうと思う時・・、キリスト者のゴールが天の御国であることを思った。それはイエス・キリストの御わざによって、信仰に拠ればすでに立っている所である。年々の良い事においても、悪いと思えることにおいても、それをゴールに立って振り返る時には、すべてが懐かしいものとなるだろう。 経て来た日々をゴールで見るとき、御使いは「あの時は、足が石に打ち当たることがないように受け [続きを読む]