ムベ さん プロフィール

  •  
ムベさん: 石ころ
ハンドル名ムベ さん
ブログタイトル石ころ
ブログURLhttps://blog.goo.ne.jp/bachan-no-1
サイト紹介文もろもろの支配と権威との武装を解除し、キリストにあって凱旋し、彼らをその行列に加えて、さらしものとさ
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供282回 / 365日(平均5.4回/週) - 参加 2016/04/03 00:38

ムベ さんのブログ記事

  • 証するものはみことば(ヨハネ2章)
  • ユダヤ人の過越の祭りが近づき、イエスはエルサレムに上られた。そして、宮の中に、牛や羊や鳩を売る者たちと両替人たちがすわっているのをご覧になり、細なわでむちを作って、羊も牛もみな、宮から追い出し、両替人の金を散らし、その台を倒し、また、鳩を売る者に言われた。「それをここから持って行け。わたしの父の家を商売の家としてはならない。」弟子たちは、「あなたの家を思う熱心がわたしを食い尽くす」と書いてあるのを [続きを読む]
  • 婚礼の喜びのために祈る(ヨハネ2章)
  • それから三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があって、そこにイエスの母がいた。イエスも、また弟子たちも、その婚礼に招かれた。ぶどう酒がなくなったとき、母がイエスに向かって「ぶどう酒がありません」と言った。(ヨハネ2:1〜3)ぶどう酒は人の心を喜ばせるもの、喜びの足りない結婚式は悲しい。マリヤは結婚式でぶどう酒が切れかけていることに気づいて、イエスさまに知らせた。このことは私たちの祈りを教える。キリストの [続きを読む]
  • 何を求めているのですか(ヨハネ1章)
  •  その翌日、またヨハネは、ふたりの弟子とともに立っていたが、イエスが歩いて行かれるのを見て、「見よ、神の小羊」と言った。ふたりの弟子は、彼がそう言うのを聞いて、イエスについて行った。(ヨハネ1:35〜37)バプテスマのヨハネの弟子は、「見よ。神の小羊」という言葉によって、イエスさまを見て付いて行った。彼らはヨハネの弟子として、師の言葉を真っ直ぐに受け取ったからイエスさまに行った。人に付いて行くので [続きを読む]
  • クリスマスプレゼント(ヨハネ1章)
  • 初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は、初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。(ヨハネ1:1〜3)ことばなる方とはイエスさま。すべてのものは、父なる神さまと御子イエスさまのことばによって創造された。初めに、神が天と地を創造した。地は茫漠として何もなかった。やみが大水の上にあ [続きを読む]
  • 私の主。私の神。(ルカ24章)
  • ところが使徒たちにはこの話はたわごとと思われたので、彼らは女たちを信用しなかった。〔しかしペテロは、立ち上がると走って墓へ行き、かがんでのぞき込んだところ、亜麻布だけがあった。それで、この出来事に驚いて家に帰った。〕(ルカ24:11〜12)イエスさまの墓が空であり、よみがえられたことを聞いても動かない弟子たちの中で、ペテロが走り出したのは、イエスさまとの個人的な関係に拠ることである。人を恐れてイエ [続きを読む]
  • 約束(イザヤ43章)
  • 先のことを思い出すな。昔のことどもを考えるな。見よ。わたしは新しい事をする。今、それは起ころうとしている。わたし、このわたしは、わたし自身のために、あなたのそむきの罪を拭い去り、もうあなたの罪を思い出さない。今盛りのアスパラ菜、とても元気で、次々と茎が伸び花を付け、菜っ葉好きを養ってくれます。 [続きを読む]
  • 復活のイエスさまが来てくださる(ルカ24章)
  • 週の初めの日の明け方早く、女たちは、準備しておいた香料を持って墓に着いた。見ると、石が墓からわきにころがしてあった。入って見ると、主イエスのからだはなかった。(ルカ24:1〜3)よみがえられたイエスさまは、石を取り除かなくても出て来られる。石が取りのけられていたのは墓には居られないこと、よみがえられたことを知らせるためである。女たちが途方にくれていると、見よ、まばゆいばかりの衣を着たふたりの人が、 [続きを読む]
  • 祭司の勤め (ルカ23章)
  • そのときすでに十二時ごろになっていたが、全地が暗くなって、三時まで続いた。太陽は光を失っていた。また、神殿の幕は真っ二つに裂けた。イエスは大声で叫んで、言われた。「父よ。わが霊を御手にゆだねます。」こう言って、息を引き取られた。(ルカ23:44〜46)神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた。(マルコ15:38)人と神を隔てていた至聖所への幕が、神さまによって裂かれた。十字架によって罪のあがないが完 [続きを読む]
  • パラダイスに入る条件 (ルカ23章)
  • 「どくろ」と呼ばれている所に来ると、そこで彼らは、イエスと犯罪人とを十字架につけた。犯罪人のひとりは右に、ひとりは左に。そのとき、イエスはこう言われた。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」彼らは、くじを引いて、イエスの着物を分けた。(ルカ23:33) イエスさまは犯罪人と一緒に十字架に処せられた。最後まで彼らの王とは認めない、ただの犯罪人としての扱いであ [続きを読む]
  • 十字架を負う(ルカ23章)
  • 「あなたがたは、この人を、民衆を惑わす者として、私(ピラト)のところに連れて来たけれども、私があなたがたの前で取り調べたところ、あなたがたが訴えているような罪は別に何も見つかりません。ヘロデとても同じです。彼は私たちにこの人を送り返しました。見なさい。この人は、死罪に当たることは、何一つしていません。だから私は、懲らしめたうえで、釈放します。」(ルカ23:14〜16)ピラトの結論はイエスは無罪であ [続きを読む]
  • 終わりのないクリスマス(ルカ23章)
  •  世の中でクリスマスが非常に喜ばれるように、ヘロデも、捕縛されて送られてきたイエスを喜んだ。彼らは、罪の無い方を嘲弄して楽しみ、イエスさまは何もお答えにならなかった。 イエスさまが来てくださった喜びは、毎日、毎日続いている。良い時も悪い時も、その喜びが去ることはない。私の霊は喜んで、毎日どんちゃん騒ぎをしている。語り続けられるみことばを聴いて、子牛のように跳ねている。 [続きを読む]
  • 聖霊によるのでなければイエスを主と言うことはない(ルカ22章)
  • 夜が明けると、民の長老会、それに祭司長、律法学者たちが、集まった。彼らはイエスを議会に連れ出し、こう言った。「あなたがキリストなら、そうだと言いなさい。」しかしイエスは言われた。「わたしが言っても、あなたがたは決して信じないでしょうし、わたしが尋ねても、あなたがたは決して答えないでしょう。」(ルカ22:66〜68)宗教者は救い主を必要とはしていなかった。世を生きる方便としての、神の権威が必要なだけ [続きを読む]
  • 本音と建て前の信仰 (ヨハネ11章)
  •  今まで知っているつもりだったことが、「本当にそうなのだろうか」と分からなくなることがある。それは疑いではなく主の前に正直になれたということ。「教えてください」と願ってすぐに答えが来なくても、分からないことが増えても、信仰は少しも変わらなかった。疑問があっても、主を経験したことによる平安は動かない。 マルタとマリアが、イエスさまに弟ラザロの病気を知らせた時、墓に葬られて四日も経ってからイエスさまは [続きを読む]
  • 御霊の与える剣である神のことば (ルカ22章)
  • 「しかし、今は、財布のある者は財布を持ち、同じく袋を持ち、剣のない者は着物を売って剣を買いなさい。(ルカ22:36)これからは弟子たちは成長し自分にあるすべてを用いて、みこころを行うようになる。残して置くものは何も無いのだ。そしてそのうちのある者が、大祭司のしもべに撃ってかかり、その右の耳を切り落とした。するとイエスは、「やめなさい。それまで」と言われた。そして、耳にさわって彼をいやされた。(ルカ [続きを読む]
  • 主のまなざしの中で
  • イエスさまのなまざしに居るペテロは赦しといつくしみの中で、良きご計画に守られていたのです。私もイエスさまに見つめられていますだから、これでも勇気百倍の大冒険をしています閉じこもりだけれど、臆病だけれど・・、罪も失敗も、いつも私の前にあるけれどゴール目指して走っていますペテロほどに泣いたことはないけれどペテロほどには主を知らないけれどイエスさまは、私の分を満たしてくださいますみことばを語り続けてくだ [続きを読む]
  • ゲッセマネの祈り(ルカ22章)
  • それからイエスは出て、いつものようにオリーブ山に行かれ、弟子たちも従った。いつもの場所に着いたとき、イエスは彼らに、「誘惑に陥らないように祈っていなさい」と言われた。(ルカ22:39〜40)イエスは祈り終わって立ち上がり、弟子たちのところに来て見ると、彼らは悲しみの果てに、眠り込んでしまっていた。それで、彼らに言われた。「なぜ、眠っているのか。起きて、誘惑に陥らないように祈っていなさい。」(ルカ2 [続きを読む]
  • 主の眼差しとペテロの涙(ルカ22章)
  •  シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」(ルカ22:31〜32)サタンは、神さまに弟子をふるいに掛けることを願って許された。確かにサタンは私たちをもある時ふるいに掛ける。しかし、そのことによって [続きを読む]