blackcat さん プロフィール

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blackcatさん: 日本国有鉄道 労働運動史
ハンドル名blackcat さん
ブログタイトル日本国有鉄道 労働運動史
ブログURLhttp://whitecat-kat.hatenablog.com/
サイト紹介文国鉄における労働組合史を底本に、国鉄が解体されて行ったプロセスについて検証していきます。
自由文blackcatの思索帳と銘打って、国鉄労働組合やその他組合の主張等を参照しながら国鉄とはどんな組織だったのかをしゃかいげく的側面から検証してみるblogです。
内容が内容だけに難しいのですが、私なりに解釈を加えて解説しています。
不定期更新です。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供21回 / 365日(平均0.4回/週) - 参加 2016/04/03 12:09

blackcat さんのブログ記事

  • 国鉄労働組合史詳細解説 94
  • 本日も国鉄労働運動史を底本として、昭和59年2月以降の労働運動について見ていきたいと思います。構造的な余剰人員【過員】問題過員の問題は、昭和58年頃から顕著になってきたようで、運転職場などでは一足先に昭和57年頃から、発生していたと思われますが、国鉄部内誌、国鉄線 昭和60年1月号の記事によりますと、天王寺鉄道管理局では昭和58年12月21日に実施された、CTCの使用開始に伴い、余剰人員が発生したと記述されています [続きを読む]
  • 国鉄労働組合史詳細解説 93
  • 過員の発生と組合運動国労の資料だけで見ていると見えてこない部分も多いのですが、「職務内容は地方で交渉して決めるよう要求したのに対し、国鉄当局は過員の運用は管理運営権の問題だとして、交渉に進展はなかった。」と書かれていますが、大原社会問題研究所の「日本労働年鑑 第55集 1985年版」を参照しますと、国労主流派であった民同左派が、昭和58年8月19日から23日まで開催された、定期大会では下記のような発言をしたと [続きを読む]
  • 国鉄労働組合史詳細解説 92
  • 本日も、国労運動史を底本として、検証を深めたいと思います。任期途中で交代した高木総裁仁杉総裁は、第8代高木総裁の後任として昭和58年12月2日に就任しています。その背景には、高木総裁が、臨調の分割民営化に対して、批判的であったこともその要員と言われています。当時の高木総裁の考え方では、国鉄は公共財であると言う考え方が根底にあり、国鉄を処分することに対して非常に批判的でした。その辺が当時の中曽根首相には [続きを読む]
  • 国鉄労働組合史詳細解説 91-2
  • 今回は、労働運動視点というよりも、国鉄の再建計画と臨調と言う視点に立って考えていきたいと思います。第2臨調が始まったのは昭和56年3月であり、財政再建を旗印に掲げたものでした。当時は3k赤字(国鉄・米・国民健康保険)と呼ばれる赤字補?が問題視されていました。特に、国鉄の赤字額は増大で、利子を払うために新たな借金をすると言う自転車操業に追われている状況となっていましたが、その多くは本来であれば国が整備すべ [続きを読む]
  • 国鉄労働組合史詳細解説 91
  • 当局に押しきられる形となった国労国労は、貨物輸送の縮小に反対するとして、積極的に反対運動を行ったと書かれています。国労としては、全日本交通運輸労働組合との連携を図ったと書かれています。また、国労は、下記のように総括していますが、施策自体は、臨調の後ろ盾というよりも、分割民営化を阻止したい当局側の組織防衛出会ったと考える方が素直であり、「臨調の後ろ盾」と言うよりも、「国鉄当局自体が背水の陣を敷かざ [続きを読む]
  • 国鉄労働組合史詳細解説 90-2
  • 貨物事業縮小の陳情に対する当局の態度再び当時の国鉄の資料を参照しますと、国鉄としては陳情に対して、下記のような対応策で応じていきたいと回答しています。少し長いですが、全文引用させていただきます四、陳情と対応策陳情内容をいろいろな角度から述べましたが、陳情に対して私どもがどう対応しているか述べてみたいと思います。貨物取扱駅存続460駅体制は、物流のまとまりを考えて組んだものであり、この駅体制と直行シス [続きを読む]
  • 国鉄労働組合史詳細解説 90
  • 当局の輸送改変の不当性を訴え、荷主の要望を集約する運動に出た国労国鉄が、昭和59年2月の改正に向けて行った輸送改変に対して、組合としては、「国鉄問題を赤字や黒字という財政面からだけとらえるのではなく、公共交通・総合交通体系の視点から社会的に論議できるようになるか否かが、この闘いの重要なポイントとなる」として、「荷主訪問運動を全国的に展開し、当局計画の不当性を訴え国鉄貨物輸送に対する要望・意見を集約す [続きを読む]
  • 国鉄労働組合史詳細解説 89
  • 地方都市圏で導入された「都市型ダイヤ」国鉄は、昭和59年の大幅な輸送改善、【システムチェンジ】を提案してきましたが、最も大きな点は地方都市に於ける都市型ダイヤの導入でした。59年2月の改正で、ヤード系輸送の廃止ばかりが目立ちますが、昭和57年11月の改正で広島地区のダイヤを列車形ダイヤから都市型ダイヤに変更して試行した結果顕著な結果でがでたことから、全国的に地方都市圏でも広島方式が検討されることになりまし [続きを読む]
  • 国鉄労働組合史詳細解説 88
  • 貨物合理化で職場を奪われる組合員今回は、「新しい鉄道貨物営業について」と題する貨物合理化が計画について、国鉄当局側に資料などを参照しながらお話を進めたいと思います。今回の貨物輸送合理化により、機関区、貨車区等の保守基地の再編成を行う」ことで2万人強の要員減となるころから、動労としては既に、労使対決から協調路線にその軸足を移していましたのでさほど大きな反対運動にはならなかったのでは無いかと推測してい [続きを読む]
  • 国鉄労働組合史詳細解説 87
  • 今回は少し視点を変えて今回は、労働組合視点ではなく国鉄当局視点で、国鉄改革をどのように受け止めていたのか見ていきたいと思います。国鉄改革に関しては、急進派もいれば慎重派【守旧派】もいたわけで、国鉄の中でもその辺りは微妙な温度差はあったと思われます。国鉄と言う組織が政治の介入を受けやすく、かつ民業圧迫の名の下関連事業などを制限された状況の中で、道路整備は特別会計による国策で整備され、国有鉄道は国鉄自 [続きを読む]
  • 国鉄労働組合史詳細解説 86
  • 久々に更新させていただこうと思います。今回も、国労の資料を底本として、他の資料等を参照しながら見ていきます。国鉄主導では無く、自民党主導で進められる国鉄改革国鉄改革は、自民党ベースで進められることとなり、それは国鉄当局にとっても、内心忸怩たる思いもあったかと思います。特に、今回の再建監理委員会の権限は単なる諮問機関では無く実行力を伴うということで、その拘束力は大きなものがありました。民営化反対 [続きを読む]
  • 国鉄労働組合史詳細解説 85
  • 久々に更新させていただきます。今回は、国労の記事と言うよりも、当局の話を中心にさせていただきます。再建監理員会の発足と緊急提言に関するお話の続きとなります。国鉄当局としても、臨調の答申は、当初予想していた以上に厳しいものでした。国鉄に対する国民の評価が決め手電電公社【現・NTT】が積極的に真藤総裁以下民営化に進んだのとは対照的であり、電電公社は積極的に民営化に動くことで実質的に分割を免れ組織温存出 [続きを読む]
  • 国鉄労働組合史詳細解説 84
  • 皆様長らく更新できませんでしたが、久々に更新させていただきます。本日も国鉄改革について書かせていただきます。強大な権限を持つ再建監理委員会第九八国会で審議に入り、八三年五月一三日に可決・成立した。国鉄再建監理委員会(以下、監理委員会と略す)は、単なる研究報告的な委員会では無く、行政委員会という位置づけがなされ、再建のための諸政策の執行機関としての性格が打ち出されていました、運輸省としては運輸省組織 [続きを読む]
  • 国鉄労働組合史詳細解説 83
  • 本当に久々の更新でございます、本日は、鈴木・中曽根両首相により進められた、臨時行財政改革【略称、第2臨調】に関するお話をさせていただこうと思います。鈴木首相の政策の目玉にしたかった臨時行政調査会鈴木首相誕生の背景は、言葉は悪いが棚ぼた的なものであり、大平首相急逝に伴う自民党内の派閥の軋轢から生まれたと言ってもよく、目玉になる政策などもありませんでした。最終的には、中曽根内閣が鈴木首相が取り組んだ臨 [続きを読む]
  • 国鉄労働組合史詳細解説 82
  • またしばらく間が空いてしまいましたが、更新させていただきます。今回も、国鉄労働運動史を底本として、解説を加えさせていただきます。入浴に関する国労の主張と当局の見解昭和57年3月から始まったの職場総点検では、今までの慣行がいよいよ明らかにされたことは既に述べてきたことですが、是正は強力に進められ、昭和57年12月の総点検では、入浴問題は概ね是正され、3月の点検で時間内入浴が行われていた職場が1677 [続きを読む]
  • 国鉄労働組合史詳細解説 81
  • 本日も、国鉄労働組合運動史から抜粋した内容に解説を加えながらアップさせていただきます。法令から見る勤務時間内入浴についての可否について今回は、昭和57年のブルトレヤミ手当事件を端緒とした、職場規律総点検(特別監査)により、多くの悪慣行が存在したとして、「勤務時間内入浴」が大きくクローズアップされることになりました。国労の見解とに対する当局の行動とそれに対抗する国労の闘いが描かれています。この点につ [続きを読む]
  • 国鉄労働組合史詳細解説 80
  • 国鉄当局は「緊急11項目」の一環として「乗車証制度の改正」に着手する動きを見せていたが、82年10月15日に初めてその改定を明らかにし、理由を明示しないまま10月22日をタイムリミットに設定してきた。すでに国労は、当局のこうした動きに対し、臨調答申に屈して改悪すべき制度ではないとの立場から、乗車証制度は職責の重要な雇用・労働条件である点を重視して、「国鉄110年の中で確立された制度であり、就職の際 [続きを読む]
  • 国鉄労働組合史詳細解説 79-2
  • 皆様こんにちは、再び議員兼職の問題について私なりに当時の資料などを調べて処からお話をさせていただこうと思います。衆議院と参議院で意見が分かれた兼職議員問題地方議員の兼職は、昭和26年6月からですが、当時の議論の経緯を見てみますと、衆議院は町村議員まで認める、参議院は市会議員まで認めるべきという意見で双方で意見が分かれていたようです、原則は町村議会議員までしか認めないが、今回当選した市議会議員につい [続きを読む]
  • 国鉄労働組合史詳細解説 79
  • 国鉄改革との組合の動き様々昭和57年頃から国労と動労の動きには、明確な違いが見えてきました。特に昭和57年の大幅な減量ダイヤは、動労には衝撃でした。貨物輸送ダイヤの減便は、同時に機関車の大量余剰に繋がるからです。駅業務等と異なり、機関車乗務員の場合は列車の削減=乗務員の削減となるため。乗務員の削減=組合員の減少につながります。より現実的な選択をした動労に対して、国労は反発を強めることになります。動労は [続きを読む]
  • 国鉄労働組合史詳細解説 78
  • 皆様こんにちは、久々に投稿させていただきます。本日は、国労の資料から少し離れて、国鉄改革時に禁止となった兼職議員についてその歴史を探ってみたいと思います。国鉄時代には兼職議員というのは、実はごく一般的な存在でしたがその根拠はどこにあったのでしょうか?早速ひも解いてみたいと思います。国鉄職員の兼職が認められたのは昭和26年6月からその経緯を探ってみますと、元々国鉄では議員の兼職は認められていませんでし [続きを読む]
  • 国鉄労働組合史詳細解説 77
  • 政府のバックアップを受けて改革に進む当局国鉄に対して、時の政府はどちらかというと放任主義というか自由に任せるところが有り、どちらかと言えば金のなる木として扱ったきた傾向が昭和30年代にはあったのですが、昭和30年代から潜在的に存在していた赤字問題が大きくなり、3K赤字(国民健康保険・コメ・国鉄)ということでむしろお荷物になってきた国鉄に対して抜本的な改革を行う必要がありました。そこで、国鉄としては、現 [続きを読む]
  • 国鉄労働組合史詳細解説 76
  • 皆さまこんばんは、しばらく間が空いてしまいましたが国鉄改革の歩みと言うことで、本日も綴らせていただきたいと思います。昭和57年のマスコミによるブルトレ手当問題(ヤミ手当問題)に端を発した国鉄問題は、臨調の答申もあって国鉄当局が変わるきっかけを作っていくことになりました。さらには、昭和57年のダイヤ改正は国鉄にとっても初めての減量ダイヤであり、この交渉に際して、従来の方針を変更し、現場協議制を本来の姿に [続きを読む]
  • 国鉄労働組合史詳細解説 75
  • 昭和57年時刻改正当時の国鉄当局国鉄改革の問題が表面化する前、国鉄も少しづつ変わりつつありました。特に昭和57年11月は東北新幹線開業もあり、新幹線シフトさせつつも大幅な旅客並びに貨物列車を減少させることとなり、運用の合理化、ヤードの集約と言った大規模な合理化が引き続き続けられることとなりました。お客様本位を始めた国鉄当局特に、57年11月の改正では、貨物輸送課長 矢山恒夫氏の説明によりますと、「将来とも生 [続きを読む]
  • 国鉄労働組合史詳細解説 74
  • 皆様こんにちは、久々に更新させていただきます。本日は、昭和58年度の運輸白書を参照しながら、お話を綴らせて頂こうと思います。減少する旅客及び貨物輸送運輸省 昭和58年度運輸白書から引用上記の図を見ていただくとよくわかるのですが、国鉄の旅客輸送は昭和50年頃までは右肩上がりで増加しており、昭和51年から輸送キロは緩やかに増加しつつも旅客数が減り続けました。昭和25年当時と比べると1/10シェアとなっ [続きを読む]
  • 国鉄労働組合史詳細解説 73
  • みなさま、おはようございます。今回は、国労の労働運動史を底本とせず、昭和57年当時の国鉄当局の動きを大原社会問題研究所の労働年鑑を参照しながら私なりに解説を加えさせていただこうと思います。はじめに昭和56年末のブルトレ闇手当問題に端を発するマスコミによる告発キャンペーン、更には、翌年3月の名古屋駅における特急紀伊衝突事件は、機関士が酒に酔って運転していたこともあり、世間から非難を浴びることとなりまし [続きを読む]