KITAYOKOU さん プロフィール

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KITAYOKOUさん: KITAYOKOUのブログ
ハンドル名KITAYOKOU さん
ブログタイトルKITAYOKOUのブログ
ブログURLhttps://blogs.yahoo.co.jp/kitayoukou
サイト紹介文古い町並み、城跡などに癒されます。風景や鉄道の写真も撮ります。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供121回 / 365日(平均2.3回/週) - 参加 2016/04/26 18:47

KITAYOKOU さんのブログ記事

  • 岩槻・街歩き
  • わざわざ岩槻に行く、ということは今までなかった。手軽に街歩き出来そうな所、ということで今回は岩槻を選んだ。駅中に観光案内所があるらしいので、先ずはそこを訪れた。渡された地図は、2色刷りの文字だらけの地図で、どんな場所なのか、どのくらいの距離なのかは分からない。係りの人に尋ねようかと思ったが、地図上白抜きになっている場所が目に入ったので、とりあえずそこを目指すことにした。歩くことが目的だし、少し歩い [続きを読む]
  • 常総市・一言主
  • 常総市の街なかを散策した後、あらかじめ写真を見て目星をつけていた建物がある場所に向かう。まず、五木宗レンガ蔵。かつて反映した水海道河岸の豪商の蔵なのだそうだ。道路の反対側に小さな公園があり、その先に鬼怒川の流れが見える。地図には、この上流に決壊地点の文字がある。何年か前、鬼怒川決壊がテレビの画面に映し出され、衝撃をうけた。この辺りも被害を受けたのだろうか。市街地から鬼怒川を渡り、だいぶ離れたところ [続きを読む]
  • 水海道・街歩き
  • 水海道の存在を知ったのは、社会科の地図帳を眺めた時からだから、だいぶ昔のことになる。何と読むか分からなかったので印象に残っている。それからずっと、水海道とは何の縁もないまま、時が過ぎていた。あまり遠くないところで、街歩きをしようと思って、検索した中から、その水海道を選んだ。ただ、水海道は今の地図には載っていなかった。合併して、常総市に変わっていたからだ。水海道に行ってみようと思った理由の一つが、こ [続きを読む]
  • 結城散策
  • 散策中に見かけた何となく懐かしい佇まい。地方都市でよく見かけるが、商店街がシャッター街となってしまった中で、制服を商う店が今も生き残っているというのは、おそらく全国共通の光景なのではないだろうか。街角に昭和を連想する店、古い見世蔵、味わいのある風景だ。そしてこれもあちこちで見かける佇まい。酒造。やはり写真に撮っておきたい風景だ。この建物を見て、似てると思った。何に似てるかというと、永井路子氏の生家 [続きを読む]
  • 結城市・秀康ゆかりの寺
  • 稱名寺を出て通りを渡ると、孝顕寺の参道があった。庭園のような参道を進んでいくと、本堂と山門の間に出た。孝顕寺をここに再建したのは、結城秀康だそうだ。秀吉と家康から名前をもらった武将が、何か身近になったような気がしてきた。山門の奥に見えるのが本堂だが、解体修理中だった。孝顕寺から通りに戻り北に向かうと、いかにも城下町らしい升形に出た。そこを左に折れたところに、弘経寺(ぐぎょうじ)があった。結城秀康が [続きを読む]
  • 結城・寺巡り
  • 見世蔵造りが点在する通りを抜け、さて次はどこへ行こうかと地図を見ると、結城家初代朝光の墓、という文字が目に入った。結城朝光は、歴史小説に時々登場する。母は源頼朝の乳母で、頼朝に重用され、北条の謀略にもかからずに家を存続させた人物なので、世渡りに長け、気配りができる武将だったのだろう。その墓所があるというのなら、訪れてみようと思った。稱名寺の表示がある門。見るからに長い間風雪に耐えてきた感じがする。 [続きを読む]
  • 結城・街歩き
  • この店舗も結城紬の問屋なのだろうか。それらしい名が刻まれている。写真には、解説板らしいものが写っているが、おなじような建物が点在していたので、そちらに目移りして、その時は気づかなかった。朽ちかけた建物もあった。長い歳月を経て、維持していくのも大変なことだろう。所々にある駐車場のいくつかには、かつて同じような建物があったのかもしれない。維持していく困難さから、解体されてしまったものもあるのだろう。せ [続きを読む]
  • 結城といえば・・・
  • 茨城県結城市を車で通り抜けたことは何度もあるので、ところどころに古い建物があることは知っていた。古くからの街なので、寺社や老舗を見ることができるかもしれないと、その結城市を歩いてみようと思った。先ずは白壁の建物。地図上では、結城蔵美館と書いてある。今日は休館らしい。その前を通って右折すると、問屋街の通りに出た。御覧の通り今は人通りがほとんどない。手前から3軒目につむぎの館の表示があったので、入って [続きを読む]
  • 野田市散策
  • こちらはキノエネ醤油の工場。明治時代の建物だそうだ。野田はキッコウマンだけではないのだ。何か懐かしい気がするのは、こんな感じの建物が、かつてはあっちこっちにあったような記憶があるからか。こちらは正門と社屋、その横は創業者の住居か。最後に訪れたのは、野田市市民会館。市民会館というと頭に浮かぶのは、舞台と客席がある建物だが、ここはそのイメージからはだいぶかけ離れている。大正末期の建物で国の文化財になっ [続きを読む]
  • 野田の街歩き
  • 地図を片手に本町通りに。車は通るが、人通りはそれ程多くない。すぐに興風会館が見つかった。何の建物かは確かめなかったが、国の文化財に指定されている昭和初期の建物だそうだ。通りを北にむかう。地図では大正期の旧薬局の店舗があるはずだが、見当たらない。更地があったので、あるいは解体してしまったのだろうか。その更地の向かい側にある千秋社社屋。陸屋根、鉄筋コンクリート2階建。元は野田商誘銀行で大正末期の建物だ [続きを読む]
  • 野田といえば・・・
  • 地図を頼りに茂木本家住宅を目指す。すぐにその一郭が見えた。豪邸の中に立派な蔵がある。角を曲がると正面に出た。地図ではキッコーマン本社の敷地内になっている。前を通る道路は公道のようだが、歩道は社有地なのだろうか。郵便ポストも敷地内に立っている感じだ。こちらはキッコーマンの旧正門。門内に建物はなく、社員用の駐車場になっているらしい。奥に神社が見えるが、社有地の中だ。この蔵は、キッコーマン稲荷蔵というの [続きを読む]
  • 野田へぶらり
  • 9月に入って歩数が激減した。どこかの街を歩こうと思って、あまり遠くないところを思いつくまま検索した。千葉県野田市に趣のある散策コースがあるようなので、出かけることにした。まず市役所に立ち寄った。合併後はかなり広域になったので、旧市内のマップをリクエストすると、手ごろのものを選んでくれた。建物散策の地図だ。これを頼りに、先ず初めに探したのは、金福宝龍。地図がなければ通り過ぎてしまいそうな児童公園の片 [続きを読む]
  • 神田明神へ
  • 手持ちの観光マップは大雑把な絵地図で、道路際にあった案内板を見落とすと通り過ぎるところだった。案内板のある道に入ると公園があった。その先が神田明神らしい。何か大がかりな工事現場を通り抜けると、参道に出た。別に意図している訳ではないのだが、参拝に行くと横から入ることが多く、参道を正面から入って参拝した記憶があまりない。神田明神は、小説などからイメージしていた社殿とは全く異なり、赤を基調とした神社だっ [続きを読む]
  • 清水門から田安門へ
  • 清水門を出て田安門に向かう。写真は清水門を出て、振り返った構図。清水門も田安門も、その名は御三卿の清水家、田安家に由来しているものと思っていたが、清水門は寺、田安門は神社があったことでその名がつけられたという。全く人影がない清水門を出ると、遠く4人連れがこちらに歩いてくるのが見えた。外国人の2組のカップルだ。誰もいないこんなところまで外国人観光客が足を延ばすとは、やはりその広がりを実感する。田安門を [続きを読む]
  • 山あげ祭・還御見送り
  • 還御の儀式を終えると、神輿は八雲神社の鳥居前に向かう。その後を子供みこしや屋台が続く。子供みこしや屋台は、鳥居前で神輿を見送り、その後それぞれの町内に帰る。屋台は旧6町の6台だが、子供みこしは現在の町名でまとまっているらしく、その数は屋台の倍以上になっている。少子化を反映してか、大人が担ぎ手を補っている。神輿は鳥居前でお飾りをはずす。担ぎ手が腰をおとして、お飾りをはずしているところ。お飾りをはずす [続きを読む]
  • 山あげ祭・還御
  • 一連の儀式を経て、祭りの間、神様は神輿に遷霊している。山あげ祭は、その神様へ奉納する余興なので、主役は神が宿っている神輿ということになり、神輿の動向が最優先になる。祭りの最終日の午後5時。お仮屋に出御していた神輿が、神社に戻る還御が始まる。祭りの喧噪が一斉に止み、静寂の中、厳かな儀式が始まる。お囃子が鳴り響いていた同じ場所とは思えないほどの静粛さで、緊張感さえ湧いてくる。祝詞が終わり、これから各町 [続きを読む]
  • 江戸城清水門へ
  • 半蔵門から来た道を戻り、北の丸公園に向かう。土塁の上の道に出ると、コンクリート製の円筒形がいくつも並んでいた。ベンチには適さないので、何かの痕跡の感じだ。もしかしたらと、帰ってから確かめると、砲台跡と表記されていた。高射砲の台座だったらしい。 北の丸公園が間近になると、工芸館が見えてきた。正面から見た感じは、思ったより小ぶりだった。元々は、近衛師団司令部の建物だったらしい。中も見学できるのだが、今 [続きを読む]
  • 半蔵門まで
  • 千鳥ヶ淵の南端まで来て少し迷った。北の丸公園に行くにはここを左に曲がるのが順路だし、半蔵門まで足を延ばすと、同じ道をまたここまで戻って来ることになる。労力に見合う満足が得られるか、という迷いだ。わざわざ半蔵門に来ることは多分もうないだろうし、行かないで後悔するよりはと、もう少し内堀通りに沿って進むことにした。 半蔵門の正面手前には、派出所があって門には近づけないようになっていた。服部半蔵の知名度か [続きを読む]
  • 千鳥ヶ淵を行く
  • 靖国神社を出て千鳥ヶ淵緑道に入る。右手にインド大使館があった。千鳥ヶ淵は、桜の季節にはすごい人出になるのだろうが、今は時々人とすれちがう程度だ。しばらく歩くと、千鳥ヶ淵戦没者墓苑に着いた。靖国神社と違って人の出入りはなく、お参りしている人が一人いるだけだった。献花して戻ると右手に慰霊碑が2基あった。1つは、ソ連に連れて行かれ強制労働に従事中亡くなった6万人の軍人軍属の慰霊碑、もう1つは、終戦に伴い [続きを読む]
  • 市谷から靖国神社へ
  • 市ヶ谷駅から歩いたので、南門から入るわき道からの参拝になった。中門鳥居をくぐるとすぐ拝殿になる。夏休み期間とはいえ、平日の炎天下さすがに混雑はしていないが、それでも次々に参拝者が訪れる。団体はいないが、意外に若者が多い。思い入れがあっての参拝なのか、鳥居の前できちんと礼をして拝殿に向かう光景も意外だった。拝殿は混んでいるというほどではないが、几帳面な2列が長くなったり短くなったりしても、解消される [続きを読む]
  • 山あげ祭・大屋台集合
  • ここのところ、我ながらしつこいと感じるほど、山あげの屋台をテーマにブログを引きずってきた。その裏事情の一つが、今年の夏の空模様だ。19日連続の雨とか。天気が良ければ出かけようと思っていたすべてを諦めた。手元にあるのは、7月の山あげの写真だけとなった。今年はユネスコ登録を記念して、当番町以外も大屋台を出したので、その写真が多くなってしまった。そんな訳で、今回も屋台の写真になる。 ブンヌキの会場になる十字 [続きを読む]
  • わが命月明に燃ゆ
  • 終戦の日の今日、朝日新聞の戦死に向き合うというシリーズに林尹夫の名があった。林氏の遺稿をまとめた手記が「わが命月明に燃ゆ」だ。今は絶版になっているらしい。 敗戦直前の夏、7月。恩師の教授から「恐ろしく優秀」と感嘆された林尹夫は、四国沖で20年の生涯を閉じた。京大文学部の学生だった彼は、1943年学徒動員により海軍に入営。その前後に書きつづられた日記は、友人らによって密かに保存され、20数年を経て「わがいのち [続きを読む]
  • 山あげ祭2017・夜の舞台
  • 山あげ祭は、たいてい昼間は灼熱の太陽にさらされ、夕方は雷雨にみまわれることが多い。珍しくこの日は、曇天の小雨交じりで、屋台もビニールシートで覆われた。今年の夏は、天候がかなり不順の感じだ。屋台の後方に山が揚がっている。夜の公演では、滝の水を表現して花火が使われる。昔は、米が使われたこともあったらしい。そのシーンを撮ったのだが、コンデジではムリだった。かなり後方から撮ったので、大幅にトリミングしてム [続きを読む]
  • 山あげ祭・裏方
  • 山あげ祭の表舞台。その裏で、設営・撤収に奔走する150人の若衆がいる。裏方の作業の中でも、山を揚げたりおろしたりするシーンや大道具を地車を曳いて運ぶシーンは、もう一方の主役ともいえる華やかさがある。その光景は以前にブログに掲載したことがあるし、他のブログなどにも載っているので、今回はたまたま出くわした地味なシーンを載せてみた。舞台と大道具の館をつなぐ通路の撤収風景だ。祭りの3日間で、十数回の公演がある [続きを読む]
  • 山あげ祭・裏方の若衆
  • 山あげ祭の表舞台。その裏で、設営・撤収に奔走する150人の若衆がいる。裏方の作業の中でも、山を揚げたりおろしたりするシーンや大道具を地車を曳いて運ぶシーンは、もう一方の主役ともいえる華やかさがある。その光景は以前にブログに掲載したことがあるし、他のブログなどにも載っているので、今回はたまたま出くわした地味なシーンを載せてみた。舞台と大道具の館をつなぐ通路の撤収風景だ。祭りの3日間で、十数回の公演がある [続きを読む]