よなたん さん プロフィール

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よなたんさん: いちじくの木の下で
ハンドル名よなたん さん
ブログタイトルいちじくの木の下で
ブログURLhttps://blogs.yahoo.co.jp/under_the_figtree
サイト紹介文聖書を読んで感じたことを書いています。興味を持った方は順に読んでみてください
自由文10年も毎日読み続けるなんてよっぽど聖書が好きなんでしょうね。だいたい1章読むのに2時間は必要です。なお、聖書は新共同訳を使っています。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供361回 / 365日(平均6.9回/週) - 参加 2016/05/14 11:16

よなたん さんのブログ記事

  • ギタンジャリ2②
  • もう一度、ことばを足しながら、詩を追いかけてみます。「わたし」=作者、「あなた」=主です。主は歌い手である「わたし」に歌をうたうことを命じました。主が息を吹き込まれることによって歌うのですから、わたしにとってこれ以上の喜びはありません。命令されたことを誇らしく思います。心は張り裂けそうなほどです。「わたし」は驚いて、歌うことを命じた主の顔を見上げます。「わたし」は顔をあげているのにうれしさのあまり [続きを読む]
  • ギタンジャリ2
  • 以前ギタンジャリの第1篇をご紹介しましたので、今回は第2篇です。あなたが歌えと命じてくださったので、わたしの心は誇らしさのあまり、張り裂けそうになります。わたしは驚いて、命令するあなたの顔を見上げました。そんなわたしの眼から涙があふれます。わたしの人生で荒々しく不協和音を奏でていたすべてのものがあなたの優しいハーモニーの中に一つとなって、溶け込んでいきます。わたしの賛美は海を越えて故郷に戻る鳥のよ [続きを読む]
  • 12⑥立派な奉仕者(Ⅰテモテ4:6)
  • キリスト者であれば、まず神さまを信じること、イエスさまを信じることから始まります。そして、神さまと、イエスさまの言葉を通して、実現したいことを知る必要があります。神さまは、平和な国の到来を望んでいますが、神さまの力によって、人を操り人形にして達成したいのではありません。自由意志を持った人が集まって、自分たちの意志で平和な国を作りたいと考えています。その社会を構成している一人として心の平和を実現する [続きを読む]
  • 12⑤立派な奉仕者(Ⅰテモテ4:6)
  • この世の中は神さまがつくられました。そして、その中に人間を作られました。決して人間を中心に世の中を動かしているのではなく、自分が社会の中心にいるわけでもありません。そう言われれば、そのような気もしますし、当然だとも思えるのですが、実際の行動は、自分の価値が基準になっています。しかし本当は、皆平等に神さまの周りで暮らしています。それを理解している人たちと共に、御国を作り上げることが、わたしたちに課せ [続きを読む]
  • 12④立派な奉仕者(Ⅰテモテ4:6)
  • そこで、キリスト者としての奉仕を考えてみることにしましょう。イエスさまはこの世に教会をつくられました。そこに集う人たちはイエスさまの目的を達成するために奉仕しているのです。それではイエスさまは何を望んでいるのでしょう。教会は何のために造られたのでしょう。「独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネ3:16)とあるように、魂に救いを与えるために教会があるのだと思えば、教会の [続きを読む]
  • 12③立派な奉仕者(Ⅰテモテ4:6)
  • 奉仕する人と奉仕される人は同じ価値観を持ち、同じ達成感を共有することになります。そして、奉仕する人は奉仕される人に奉仕をするのですから、奉仕する人は相手の価値観を理解しなければならないのです。そうしなければ、それは奉仕者の仕事ではなく、自分の仕事になってしまうのです。奉仕者の価値観で奉仕をしてはいけないのです。ブログ村「聖書・聖句」カテゴリー [https://philosophy.blogmura.com/bible/ranking.html ] [続きを読む]
  • 12②立派な奉仕者(Ⅰテモテ4:6)
  • 誰かが自分でやろうと思っていることを、「私は奉仕をする人です」と名乗り、その人の仕事を取り上げて勝手なやり方で始めたら、「それはお節介だ」といって、そこから追い出されるかもしれません。大きな目標に向かって進んでいる人は、それを達成するためには自分ひとりの力で到達することが難しいことを知っています。そして目標に到達するためには目的を理解してくれる奉仕者が必要だということを感じています。困っている人の [続きを読む]
  • 12①立派な奉仕者(Ⅰテモテ4:6)
  • パウロはテモテに「立派な奉仕者になりなさい」と言います。教会でも奉仕という言葉がよく使われます。さて、奉仕とはいったい何でしょう。いったい何のために奉仕をするのでしょう。自分が救われたいからでしょうか。自分がすっきりするために誰かを手伝おうとしているのでしょうか。これは本当に奉仕の心を持っていると言えるのでしょうか。相手のことがよくわからないまま、手伝って欲しいと言われたから手を貸したことは本当に [続きを読む]
  • 10⑦みことば(ヨハネ1)
  • 声を聴くということは、その想いを受け止めることだったのです。それなら、みことばを聴くことは神さまの想いをちゃんと受け止めて実践するということになるはずです。わたしたちがイエスの声を聞こうとしているのであれば、イエスの想いをちゃんと受け止めねばなりません。ペトロが言う通り、イエスは「永遠の命の言葉」を持っているのです。その永遠の命の言葉を心の底から受け入れられる人になりたいと願います。ブログ村「聖書 [続きを読む]
  • 10⑥みことば(ヨハネ1)
  • ニコデモは神を頼ってイエスのもとに来たのだと思いますが、自分の知識を頼るばかりにイエスのことばを理解することができませんでした。サマリアの女は最初のうちこそ理解できませんでしたが、ことばを信じて、イエスを信じることができ、救いを得ることができました。役人やベトサタの病人はイエスのことばをそのまま受け入れることができたので癒されたのです。ブログ村「聖書・聖句」カテゴリー [https://philosophy.blogmura [続きを読む]
  • 10⑤みことば(ヨハネ1)
  • それは今のわたしたちだけではなく、ファリサイ派の人たちもそうであったのかも知れません。律法に文字として書かれていることをどうやって文字通り守るかということが大事になってしまい、神がどんな思いで告げられたかを理解することも、考えることもできなくなってしまったような気がします。ブログ村「聖書・聖句」カテゴリー [https://philosophy.blogmura.com/bible/ranking.html ] [続きを読む]
  • 10④みことば(ヨハネ1)
  • もともと、コミュニケーションを取る時、論理的に理解できる範囲を超えて、人間は感性というものを使って理解し合うことができたはずですが、限られた知識だけで、頭の中で論理的に理解できることだけを受け入れ、感情的なものや目に見えないものは除外して考えるようになっていないでしょうか。ブログ村「聖書・聖句」カテゴリー [https://philosophy.blogmura.com/bible/ranking.html ] [続きを読む]
  • 10③みことば(ヨハネ1)
  • 本来、人は豊かな感情を持っており、その感情によって豊かなコミュニケーションができるように造られていたはずですが、いつの頃からか、その豊かな感情によるコミュニケーションを放棄し、その感情を理解しないようになってしまいました。電話が普及して顔を見ずに話すようになり、メールが使えるようになり自分の手で文字を書かなくなり、声すらも使わずにコミュニケーションを取るようになってしまったのです。その結果、人間は [続きを読む]
  • 10②みことば(ヨハネ1)
  • わたしたちにとって、ことばは思いを伝える手段としてしか残っていませんが、それでもことばにはその思いが確かなものとなり、現実のものとなる力を秘めています。ことばには、単なる音以上の力があるのだと思います。ことばを発したり、受け止めたりするときには、単に音声信号が伝わっているのではなく、その人の持っている強さや、優しさ、感情なども一緒に伝わっているように思えます。ブログ村「聖書・聖句」カテゴリー [htt [続きを読む]
  • 10①みことば(ヨハネ1)
  • ヨハネによる福音書は印象的な文章が並んでいます。でもなかなか理解するところまで至りません。覚えるほど読んでいるのですが、読めば読むほど考えさせられるところが湧きあがってきます。神はことばによって、この世を創られました。すべてのものが神のことばによって創られました。そして、その言葉はわたしたちの間に宿られました。聖書だと知らずにこの箇所を読んだ人は魔法のようなものを想像するかもしれません。ことばがそ [続きを読む]
  • 9⑦祈ること
  • 祈りが表面的で自己中心的なら、神さまがその願いを聞き入れてくださるとは思えません。いや、神さまはその願いを聞き届けた上で、その人が永遠のいのちを受けるために一番良い答えを与えて下さっているのです。神さまは私たちの願いを何も聞いて下さらないと思っているかもしれませんが表面的に願っているわたしたちの心の奥底にあるものを調べた上で、すべて叶えてくださっているのです。今、目の前に起こっていることをしっかり [続きを読む]
  • 9⑥祈ること
  • イエスさまはどうだったのでしょう。イエスさまは祈るとき、何もない場所へ行きました。弟子たちも遠ざけてただ一人で静かに祈りました。自分の心の中に奥深くまで入っていき、自分の本当の願いを確かめて、さらにその奥におられる神にみこころを確認しながら、「御心のままに行ってください(ルカ22:42)」と祈られたのです。ブログ村「聖書・聖句」カテゴリー [https://philosophy.blogmura.com/bible/ranking.html ] [続きを読む]
  • 9⑤祈ること
  • 地位、権力、富、財産を願う時、それによって達成できることは何なのでしょう。そこに神さまの思いがひとかけらでも入っているでしょうか。賜物を願う時はどうでしょう。自分が台の上でスポットライトを浴びて賞賛されている姿を考えていないでしょうか。他人のことを祈るとき、その人がわたしに対して親切にしてくれるようにとか、わたしに対して感謝してくれるようにと考えていないでしょうか。ブログ村「聖書・聖句」カテゴリー [続きを読む]
  • 9④祈ること
  • 苦しい時、この苦しみを今すぐ取り除いて下さいと願いますが、なぜこの苦しみがもたらされたのかとはあまり考えません。罪の償いのためもたらされたものかもしれませんし、心の中を整理するために与えられた苦しみかもしれません。別の出来事を導くためかも知れませんし、新しい世界に招くためかもしれません。ブログ村「聖書・聖句」カテゴリー [https://philosophy.blogmura.com/bible/ranking.html ] [続きを読む]
  • 9③祈ること
  • 祈るとき、何もないところで自分の心を見つめることがなかなかできません。何か効能を期待するので、頼るものが欲しいのです。どんなものでもいいので、神と崇められるものが目の前にあれば、そこにすがりついて、自分の欲望をかなえられるようにと祈ります。自分の明るい未来だけを創造し、その物体の前に自分の希望を並べてしまうのです。でも、偶像を目の前にして自分の心の中を見つめることはできず、心の表面にあるものだけを [続きを読む]
  • 9②祈ること
  • 人間は自分の心の中を見つめることがあまり得意ではないようです。自分の心の中は自分が一番よくしっていると思っていますが、心の中を掘り下げて調べてみようとはあまり思っていません。知らない自分の姿を見るのがいやだったりします。また、掘り下げているうちに以前できた傷にふれて痛い思いをするのが嫌なのです。ブログ村「聖書・聖句」カテゴリー [https://philosophy.blogmura.com/bible/ranking.html ] [続きを読む]
  • 9①祈ること
  • 今週は祈ることについて少し考えてみることにしましょう。人は短気で、祈っている時も即効性を求めています。しかも今からやろうとしていることが順調にいくように、今すぐにこの苦しみを取り除いてくださるようにと、すぐに効果が出ることを期待して祈ります。この祈りの中に、みこころはあるのでしょうか。その祈りによって、神の国を作ろうという意志が働いているでしょうか。そもそも祈りの中でみこころを気にしたことがあるの [続きを読む]
  • 8⑦この言葉は、今日、実現した(ルカ4:21)
  • さて、聖書を読んでいながらもわたしは、どう考えているのだろうと悩んでしまいます。イエス・キリストの言葉だと分かって、そのみ言葉に出会っているのです。それにも関わらず、ユダヤ人と同じように、この言葉を否定してしまっているのではないでしょうか。遠い昔の愚かな人々のために向けられた言葉なのだとどこかで思っていたりしないでしょうか。わたしの中で何が実現したのか考えてみる必要がありそうです。ブログ村「聖書・ [続きを読む]
  • 8⑥この言葉は、今日、実現した(ルカ4:21)
  • わたしたちはイエス・キリストを信じたのです。イエス・キリストは、貧しいわたしたちに福音を告げ知らせてくれています。イエスを信じることによって、この霊的に束縛されている悩みから解放されたはずです。目が見えるようになって、人の心がわかるようになります。人の心に住んでいる神さまが見えるようになります。自分自身が縛り付けている霊を解放させることができるようになり、自由に人と心を通わせることができるようにな [続きを読む]
  • 8⑤この言葉は、今日、実現した(ルカ4:21)
  • この世では捕らわれているわけではありませんが、霊が何かの呪縛によって動けなくなっているということはないでしょうか。霊的な視力はあるでしょうか。霊は圧迫されて苦しんでいないでしょうか。霊が永続的なものであることが分かれば、肉体的な問題や悩みはとても短い期間のことであることも分かります。短いことを知っていても、肉体的な苦しみからは逃れたいと考えています。精神的な苦しみからは解放して欲しいと考えています [続きを読む]