hanari さん プロフィール

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hanariさん: 母のラストラン
ハンドル名hanari さん
ブログタイトル母のラストラン
ブログURLhttp://mothermama.blog.jp/
サイト紹介文嫌いだった母が肺癌になった。告知から5カ月、最後まで母親として走り続けたお母さん、ありがとう。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供0回 / 365日(平均0.0回/週) - 参加 2016/05/19 23:41

hanari さんのブログ記事

  • 皆様へ・・。
  • 読んで下さった皆様、本当にありがとうございました。母が亡くなってから、どう気持ちの整理をつけていいかわからず、でも、このまま、自分の中にだけしまっておくことも出来ず・・ブログに書かせて頂きました。父や妹、私はそれぞれを同じ思いをし、またそれぞれを心配し、... [続きを読む]
  • 延命治療
  • このブログを書いてふれなかったこと・・。今、NHKでしている、延命治療の事・・母は結局延命治療はしなかった。食べれなくなっても、胃瘻はせず、最後も人工呼吸はしなかった。「延命治療は出来ません。」主治医の先生も、救急で運ばれた先生もそうおっしゃった。母の希... [続きを読む]
  • これから
  • 朝が来た。母のいない朝が来た。息もせず穏やな顔で眠ってる母・・。その顔は少し微笑んでいるように見え安らかに旅立ってくれたのだと私たちを安心させてくれた。レース編みが好きだった母の手は白く冷たくもうその手に、かぎ針を持つことはない・・。すぐ上の姉である伯母... [続きを読む]
  • 青い空の日に
  • その日が熊本地震の本震と知ったのは、母の葬儀の日だった。多くの方が犠牲になられ、避難先での不自由な生活と、必死の救助活動・・。熊本の皆様には、心を運ぶことが出来ずに、本当に申し訳ございません・・。4月16日は、ほんとうに雲一つない、まるで秋の空を思わせる... [続きを読む]
  • 前日
  • その日は予定があったけれど、キャンセルして母の元に行った。昨日はアイスクリームをよく食べていたのでハーゲンダッツを買って行った。部屋のドアを開けると、今日もやはり、目を閉じたままだった。いつものように、温かいタオルで顔を温め、手のマッサージをして・・。着... [続きを読む]
  • 主治医
  • 去年の10月頃からの、激痛に苦しんでいる時を思えば痛みは薬で抑えることも出来ていて今は穏やかな毎日と言えるかもしれない。癌の薬の副作用も出ていない。ご飯はやはり食べられなくて、ラコール中心で訪問看護師さんが、アイスクリームがカロリーが高くていいよと、バニ... [続きを読む]
  • 最後の診察
  • 母は2階に寝ていて、病院に行くたびに壁伝いだったり、座り込んで一段ずつ下りたり、時間をかけて、何とかして階下に辿り着いていた。でも、もうそれもできなくなって、体が少し大きい妹が母をおんぶをして階段を上り下りしてくれた。最後の内科診察日もそうだった。前日か... [続きを読む]
  • もう、ええ・・
  • 退院してからご飯を食べようとする事、たくさんの薬を飲む事、着替え・・母が自分で体を動かせるのは「手」だけで、全てに介助が必要になっていた。心だけは自由でいられるように、優しい音楽、母が好きな音楽を流し続けた。もう世間では、お花見の話題で、今日はどこが満開... [続きを読む]
  • 帰りたい
  • 母は海の近くで育った。養殖業で生計を立てている地域で、近所付き合いの濃い玄関を開けて、靴のあるなしで、留守かどうかがわかるような・・。穏やかで、何でも笑い飛ばしてしまうような明るい気質の人たち。2人の姉のいる母の故郷・・。「四国に帰りたい・・。」放射線治... [続きを読む]
  • 2月も終わりになると、吹く風が変わり季節が動き出す。3月になると、草花も芽吹きだし、土の下でしっかり育っていたのがわかる。「夜中にな、お母さんブツブツ話すんや。何言うとんかわからんのやけどなぁ。」父が話してくれた。もう、どの時が本当の母かわからなかった。... [続きを読む]
  • 母との一日
  • 母が退院した2月末はそれほど寒くなかった。部屋のドアを開けると、母はほとんど目を閉じていた。朝の薬を飲んだか確認して、まだの時は、一緒に飲む。もう、固形の食べ物は、飲み込みにくくなり、病院から出してもらった「ラコール」という栄養素がバランスよく配合されてい... [続きを読む]
  • 寄り添う
  • 癌の薬は中止になった。お腹を下しそれがたび重なり、処理が追いつかず、尿路感染症を起こしてしまったという事だった。それが引き金になったかはわからないが腸閉塞になってしまった。母は腸閉塞を過去に2回罹っていた。この頃の母はおかしなことをよく言っていた。孫の名... [続きを読む]
  • リハビリ
  • 部屋のドアを開けると母がいる。病院から戻ってきた。癌の薬が効いているのか穏やかだった。でも食事がだんだんとれなくなっていった。うどんでも3分の1、食べれたらいい方だった。この頃は、時々おかしなことを言うけれどまだ、会話が成立していた。義母の事を話すと「私... [続きを読む]
  • 母と義母
  • 年明けに入院した母は、状態も落ち着いていて癌の薬の効果が期待された。1週間しない間に退院の話が出て、先生からの経過説明の日時が決まった。薬が効いていますように・・・。私は主人の両親と同居している。主人と結婚する半年前、義母は脳内出血で倒れ、左半身麻痺にな... [続きを読む]
  • 日記
  • もう、その場で泣き崩れて、息苦しいくらいに泣いた。母の日記を見つけた。年度毎の手帳で3冊あった。毎日3行、4行ずつ、お母さんの字・・。母が入院するようになって、必要な物を探すためタンスや本棚や、押し入れの中を見ることが多かった。どこもきれいに整頓されてい... [続きを読む]
  • 平成28年 2016年
  • 母は父と2人で、平成28年を2016年を迎えた。最後の年末年始・・と聞いたけれどいつもと同じ・・昨日と同じ日常を過ごした。母に会いに実家に通う。脳に転移しているせいなのか母の記憶が断片的に危なくなってきた。昨日電話したとか、しないとか薬を飲んだとか飲まな... [続きを読む]
  • 癌という病気
  • 癌という病気は母と私たち家族の人生を大きく変えた。終わってみてわかったことはこんなにお互いを思いあった日々はない。母は私たちに教えてくれた。言葉ではなく、身体で。母が教えてくれたことは私が生きている限り残るそして、子供たちに伝えることができる。母の闘病が... [続きを読む]
  • 父の伴走
  • そんなに仲が良いわけではなかった父と母。というか、悪かった。喋らないから、喧嘩にもならない。母から「喋ると怒られるから・・。」と聞いたことがある。生活の為に一緒にいる、そういう感じだった。それでも、妹と私が嫁いだ後は、仲良くではないけれどなんとか、二人で... [続きを読む]
  • 2人の姉
  • 「私が見送ることになるの・・?。」すぐ上の伯母は、母が骨転移しているとわかった時、こう言った。伯母は、義理の妹を肺癌で亡くしていた。母は姉妹の末っ子だった。自分が見送らなければ・・そう思っていただろう。伯母たちは四国にいて、母だけが関西に嫁いだ。台風や地... [続きを読む]
  • 退院まで
  • 家で母が寝ていた部屋は、昔の土壁で暗い。天井は板で一層部屋は暗く、昼間でも電気をつけていた。こんな部屋に母を帰すわけにはいかない。かといって、リフォームを頼む時間がない。ペンキと漆喰の材料を買い込んで、天井に白いペンキを壁には漆喰を、妹と交代で、主人も一... [続きを読む]
  • 母の声
  • 若い頃から接客業をしていた母の声は高く明るく、そして大きい。母を嫌になりだした頃から、声も気になるようになってきていた。特に電話の声。母も高齢になった分、身近で話す人に耳の遠くなった 人もいて大きな声で話すことが多くなったのか、電話の声が大きい。「お母さん... [続きを読む]
  • 余命
  • 骨転移への放射線治療は10日間。入院予定は2週間だった。その間、母はいくつかの検査をした。気管支鏡、CT、MRI、超音波検査・・。歩けなくなった母の為に、ソーシャルワーカーの方が介護認定の話やケアマネージャーの紹介もして下さり、退院後の準備も始まっていた。でも、2... [続きを読む]
  • 戦友
  • 2015年の冬を寒いと思った覚えがない。厚手のコートは、病室では邪魔になるから、薄手のジャケットにスヌードにブーツ・・・。いつもそんな感じだった。車から降りると、スヌードに顔をうずめて、病院玄関までの坂道を速足で歩いた。母は入院前、同じ部屋になる人の事を気に... [続きを読む]