新イタリアの誘惑 さん プロフィール

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新イタリアの誘惑さん: 新イタリアの誘惑
ハンドル名新イタリアの誘惑 さん
ブログタイトル新イタリアの誘惑
ブログURLhttps://blog.goo.ne.jp/gloriosa-jun
サイト紹介文ヨーロッパ・イタリアを中心とした芸術、風景。時々日本。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供98回 / 365日(平均1.9回/週) - 参加 2016/06/03 21:18

新イタリアの誘惑 さんのブログ記事

  • 会津への旅 上  建築巡り 野口英世が手術を受けた病院は今喫茶店に。
  •  先日久しぶりに会津若松に行き、満開の桜を見てきました。 会津は生まれ育った故郷。でも大学から上京してしまったため、実際には郷里の歴史などほとんど学ばないままに今日まで来てしまった。 それで、少しだけ学習を兼ねての街歩きを実践してみた。 まずは七日町通りの建築散歩。ここは高校時代親友の家があったため、しょっちゅう遊びに行き来したところだが、当時とは大きく様変わりしてしまっていた。でも、昔からの老舗 [続きを読む]
  • 隅田川? 隅田川唯一の歩道橋・桜橋には二羽のツルが飛んでいる 
  •  川岸に戻って、上流に進む。前方に見えてくるのが桜橋だ。 隅田川に架かる橋の中で唯一の歩行者専用橋となっている。 ここも1985年完成と、比較的新しい橋。 橋の両端が2つに分かれ、中央部で交わるX型をしていることでも特徴的だ。 端から見ると、2つの橋が中央でドッキングしているかのように見える。 第二次世界大戦末期、1945年3月10日の東京大空襲の際、この辺りで逃げ遅れた多くの人達が溺れ死んだとい [続きを読む]
  • 隅田川? 花々が咲きほころぶ滝廉太郎の「花」碑、池波正太郎の生誕地
  •  言問橋の西岸を川岸に沿って歩く。 ちょっとした公園になっていていろいろな花々が咲いていた。 本当にほっこりとした気持ちにさせる優しい散歩道だ。 ほどなく、一つの碑が見つかった。「花」の碑。タイトルだけだとピンとこなかったが、歌詞を見るとすぐにメロディが浮かんできた。 「春のうららの隅田川 上り下りの舟人が・・・」 そう滝廉太郎作曲のあの歌。早逝の歌人だったが、1900年彼が21歳の時の作品だ。  [続きを読む]
  • 隅田川? 言問団子に続いて長命寺桜餅をほおばる
  •  言問団子の店から墨堤通りの道を横断すると、 これも有名な長命寺桜餅の店がある。長命寺に仕えた山本新六が墨堤の桜の葉を塩漬けにし、餅をくるんで売り出したところ評判を呼び、名物になったという。 餅は3枚の葉に包まれており、葉の香りがプーンと香って評判通りの味に満足。わざわざ3枚で包むのは香りづけと乾燥防止との二重の意味があるのだという。 田山花袋は「東京近郊一日の行楽」で「長命寺の桜餅は今でも盛んで [続きを読む]
  • 隅田川? 浅草を散策する。「風の神 雷門に 居候」 雷門の正式名称は?
  •  さあ、浅草の街を少し歩いてみよう。吾妻橋の西詰には、東武鉄道浅草駅が入る駅ビルが建つ。地上7階地下1階のアールデコ様式のこのビルは、かつての鉄道省初代建築課長、久野節が設計し、1931年に完成したもの。上階には松屋デパートが入り、東京初のターミナルデパートになった。 歩き出すとすぐに「神谷バー」の看板。ここは日本初のバーで、明治期以来多くの文学者に愛されてきた。 右に曲がると、もう雷門が見えてく [続きを読む]
  • 隅田川⑳ 江戸時代最後の橋・吾妻橋 今では現代東京を象徴する景観が・・・
  •  吾妻橋。この橋の西詰から眺める「リバーピア吾妻橋」と呼ばれる風景は、一種現代の東京を代表するものといえる。 赤で統一された橋桁の向こうに東京スカイツリー、墨田区役所、アサヒビール本社ビルと金色の炎を表すオブジェ(フィリップ・スタルク作)が見える。 かつてこの周辺で隅田川の両岸をつなぐのは「竹橋の渡し」だけだったが、対岸の本所方面の開発が進むとともに江戸最大に繁華街となった浅草界隈の大火避難対策も [続きを読む]
  • 隅田川⑲ 関東大震災が、駒形橋建設など隅田川の橋再開発の契機となった
  •  厩橋を過ぎると駒形橋が見えて来る。橋越しに、もう東京スカイツリーは目の前にそびえて見える。 名前の由来は、橋の西詰のお堂からきている。 この堂は駒形堂。浅草寺縁起によると、平安初期の942年、安房守平公雅が浅草寺観音堂を建てた時ここにちいさな堂を造り、浅草寺の本尊・聖観音像を最初に奉安したところだった。 今の駒形堂は2004年に建て直されたので、新しい。 歌川広重の絵「駒形堂あづま橋」では、左端 [続きを読む]
  • 隅田川⑰ 花柳界の名残を残す柳橋 赤と青のかんざしがきらめく
  •  柳橋は、神田川が隅田川に注ぎ込む河口に架かる橋だ。江戸時代は、この界隈は花柳界として栄え、 幾つもの料亭が軒を連ねていた。 今では、その1つ「亀清楼」がビルとなって残っているが、他はほぼ姿を消してしまった。 とはいえ、船宿と佃煮屋を兼ねた「小松屋」が今もあり、江戸の風情を伝える。 橋下には屋形船が停泊していた。当時は吉原へ向かうのに、ここから船で出発するため猪牙船(ちょきぶね)と呼ばれる船が常駐 [続きを読む]
  • 隅田川⑮ 両国橋の岸辺で、葛飾北斎と勝海舟は何を語らったのか!?
  •  両国橋を渡って回向院のある京葉道路(国道14号線)を東に進むと、芥川龍之介生育の碑が立っている。 築地編で見た通り龍之介は生後間もなく実母が亡くなり、築地から両国にある芥川家に養子となり、大人になるまで現両国3丁目のこの地で育った。 通った両国小学校には作品「杜子春」の一節を記した文学碑があった。 龍之介はこの生育の地とそこを流れる隅田川(当時は大川と呼んだ)に限りない愛情を抱いていた。「東京の [続きを読む]