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アレクサンドロス大王 (Alexandros?)
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2016/06/20

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  • アレクサンドロス大王を理解するうえで

    もしも、アレクサンドロス大王が存在しなかったなら、我々の住む世界は今とは大きく異なっていた可能性がある。なぜなら、アレクサンドロス大王がギリシア世界からアジアに持ち込んだものには、文化的な価値観や感性そして美意識といったものも含まれていたからである。アレクサンドロス大王は超がつくほど短期間のうちにアケメネス朝ペルシアを打倒し、広大な領土を自らの帝国の支配下に置き、その偉大さがゆえに、アレクサンドロス大王の死後、残された帝国の継承者を巡って有力諸将による勢力争い(ディアドコイ戦争)の影が極端に薄いが、その二転三転する展開は興味深く面白い。アレクサンドロス大王の時代にはギリシアという一つの国は存在していない。ギリシア世界という概念の中に、アテナイ、スパルタ、テーバイなどの都市国家がギリシア世界の中に存在していた。マ...アレクサンドロス大王を理解するうえで

  • 10.後継者争いを生き残った者

    アンティゴノスに対抗するうえで、背後の安定を考えたセレウコスは、かつてアレクサンドロス大王が侵攻したインドへ後継者として遠征すると、その頃インドで成立したばかりのマウリヤ朝の王チャンドラグプタが率いる大軍と遭遇する。そこでセレウコスは、チャンドラグプタにインドに近いセレウコスの支配地域を譲り、さらにセレウコスの娘をチャンドラグプタの息子に嫁がせた。その見返りにチャンドラグプタはセレウコスに500頭の象を渡した。その後、セレウコス、プトレマイオス、カッサンドロス、リュシマコスは、アレクサンドロス帝国の統一を強攻に進めようとする最大勢力アンティゴノスに対抗するために同盟を組んだ。紀元前301年、セレウコスはリュシマコスと共に、イプソス(現トルコ中西部)でアンティゴノスとの決戦に挑む。アレクサンドロス大王の後継者争い...10.後継者争いを生き残った者

  • 9.王位を宣言する者達

    アンティゴノスとバビロン太守セレウコスは、ポリュペルコンとカッサンドロスの対立では共にカッサンドロスの側につきて協力関係にあった。しかし、エウメネスが死ぬと、アンティゴノスは若く勢いのあるセレウコスを警戒するようになる。紀元前315年、アンティゴノスはセレウコスの領土を奪う。セレウコスはアンティゴノスにバビロンを追われるとエジプトのプトレマイオスを頼る。「ガザの戦い」今度はセレウコスがプトレマイオスの協力を得て、「ガザの戦い」でアンティゴノスの息子デメトリオスからバビロンを奪還する。バビロンを奪回したセレウコスは、この時、プトレマイオスから譲り受けた僅かな兵しか率いていなかった。しかし、セレウコスが以前にバビロン太守として善政をしいていたので、バビロンの住民はセレウコスを歓迎し、セレウコスによるバビロンの再興に...9.王位を宣言する者達

  • 8.アンティパトロスの時代

    ペルディッカスの死により、帝国の領土と地位の再分配がなされ、アンティパトロスが帝国摂政としてトップに座り、アンティゴノスが全軍総司令官となり、ペルディッカスを殺したセレウコスはバビロン太守に出世する。アンティパトロスはアレクサンドロス3世の父ピリッポス2世のもとでは、ギリシア諸国との外交や行政面で働いていた。アレクサンドロス大王が王位を継ぎ、東方遠征に乗り出すと、この時すでに60歳を過ぎていた老臣アンティパトロスは、マケドニア本国の統治を任された。アンティパトロスの持ち前のバランス感覚と政治力により、後継者争いはここでしばしの落ち着きをみせるが、すでに老齢だったアンティパトロスが死去すると、再び後継者争いは激化する。アンティパトロスが遺言で、後継者にポリュペルコンを指名する。見事な国家管理運営の能力と老獪な政治...8.アンティパトロスの時代

  • 7.ペルディッカスの時代

    紀元前323年6月10日アレクサンドロス大王死去昏睡状態のアレクサンドロス大王は印綬の指輪をペルディッカスに託した。ペルディッカスは、まだ生まれぬロクサネの子(アレクサンドロス4世)の暫定的な後見人となり、帝国の実質的なトップの座に就く。アレクサンドロス大王の死後、当初はこのようにその一族を担ぐ動きがあったが、担がれた者や担がれる可能性のある者はことごとく殺され、徐々に後継者争いは純粋な勢力争いとなっていく。その後、ペルディッカスはアレクサンドロス3世の異母兄弟アリダイオスを推すメレアグロスを殺害し、エウメネスと共にカッパトギアの王アリアラテス1世を倒し、自らの発言力と存在感を高めていった。ペルディッカスは有能かつ豪胆で、アレクサンドロス3世の信頼が特に厚い人物であった。ペルディッカスの豪胆さを表す逸話として、...7.ペルディッカスの時代

  • 6.大王の最期

    スーサでの合同結婚式と同時に、アレクサンドロス3世は親友ヘファイスティオンを帝国宰相に任命する。ギリシア神話の英雄アキレウスは、親友パトロクロスをトロイヤ戦争で殺したヘクトルを生きたまま馬車で引きまわして全身ズタボロにして殺した。自身をアキレウスの生まれかわりと信じていたアレクサンドロス3世は、幼い頃から、ヘファイスティオンに「オマエはパトロクロスだ。」と言っては、互いの友情をかみしめあっていた。しかし、それから間もなくして、ヘファイスティオンが病死する。唯一の友人ともいえるヘファイスティオンを失ったアレクサンドロス3世の悲しみは深く、これを機にその行動は精彩さと冷静さを欠いたものが増えていく。バビロンに帰還したアレクサンドロス3世は、さらにギリシアとペルシアの融合を進めるため、ペルシア風礼式や行政制度を取り入...6.大王の最期

  • 5.インド侵攻

    紀元前326年、ペルシア帝国を滅ぼしたアレクサンドロス3世はインダス川を渡ってインドに侵攻する。ヘファイスティオン、ペルディッカスを別働隊として先回りさせながら諸部族をくまなく平定しインド中央部に侵攻しようとした。「ヒュダスペス河畔の戦い(大王にとって最大にして最後の試練)」マケドニア軍約40000はヒュダスペス川(現ジェーラム川)にて、現代のパンジャーブ地方一帯の領主パウラヴァ族の首長であったポロス率いる約34000と衝突。両軍合わせて2万人ほどの戦死者をうむ厳しい戦闘をマケドニア軍は勝利する。オケアノスを目指すアレクサンドロス3世は、さらなる進軍を目指ししていたが、その先に待ち構えるインド軍が20万を超える大軍と6千頭もの象を用意しているという情報が入る。さらに「ヒュダスペス河畔の戦い」の損害が大きく、兵士...5.インド侵攻

  • 4.ペルシア帝国滅亡

    ペルシアの中枢に侵入したマケドニア軍は、バビロン(現イラク・バグダッド)やスーサ(現イラン南西部フーゼスターン)やペルセポリス(現イラン・ファールス)といった大都市で略奪の限りを尽くす。こうした行為は、ペルシア戦争(この時代の100年ほど前)時に、ペルシアがギリシア世界の誇りであるアテナイのアクロポリスを焼き払ったことへの怨念からであった。栄光あるギリシア世界に傷をつけた野蛮なペルシアに神の鉄槌を振り落とす。それは、ヘーラクレースの血を引くアレクサンドロス3世にとって悲願であった。しかしながら、アレクサンドロス3世は、ペルシアの文明の高さを目の当たりにして心境に変化が出始める。そして、これだけの大帝国を治め、民衆からも慕われていたダレイオス3世という人物に尊敬の念を抱くようになった。偉大な人物を失墜させてペルシ...4.ペルシア帝国滅亡

  • 3.天下分け目「ガウガメラの戦い 」

    アレクサンドロス3世は、軍事の天才ぶりをいかんなく発揮しながら、さらにペルシアの支配下にあったエジプトを征服する。紀元前332年、エジプトの人々に王の称号ファラオとして認められ、アメン神殿に像を造られ祭られた。その後ナイルデルタの西端に都市を建設し、これが現在のアレキサンドリアの起源となる。エジプトで将兵達に充分な休養を与えると、アレクサンドロス3世はペルシアの奥深くを目指して遠征を再開する。「ガウガメラの戦い(ペルシア滅亡の始まり)」紀元前331年、「イッソスの戦い」でマケドニア軍の脅威を身を持って知ったダレイオス3世は、諸説あるが15万ともいわれる大軍を準備した(100万を超えるという伝承もあるが、それは現実的ではなく、むしろそれだけ総力を挙げたという解釈が妥当である)。マケドニア軍47000は、チグリス川...3.天下分け目「ガウガメラの戦い」

  • 2.ペルシアへの侵入

    ギリシア世界の覇権を握ったアレクサンドロス3世は、マケドニア本国の留守を重臣アンティパトロスに任せると、ギリシア人の威信をかけて東方遠征へと乗り出す。こうしてアレクサンドロス3世はギリシア世界の威厳を脅かす、当時世界最先端の文明と圧倒的な国力を誇るペルシアへと侵入する。「グラニコス川の戦い(ペルシアとの最初の戦い)」紀元前334年、ペルシアに侵入したマケドニア軍38000が、ペルシア連合軍40000とアナトリア地方(現トルコ領内)のグラニコス川(現ビガ川)で対峙する。この戦闘では、マケドニア軍の主力である長さ5.5m重さ6kgにもなる槍を抱えた長槍部隊が川に阻まれ機能しなかった。アレクサンドロス3世は、意を決して自らが先頭になって突撃する。人目をひく派手な装飾の鎧をまとうアレクサンドロス3世は先頭になって突撃し...2.ペルシアへの侵入

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