経済学・哲学・温泉草稿 さん プロフィール

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経済学・哲学・温泉草稿さん: 経済学・哲学・温泉草稿
ハンドル名経済学・哲学・温泉草稿 さん
ブログタイトル経済学・哲学・温泉草稿
ブログURLhttp://blog.goo.ne.jp/clezio0
サイト紹介文本の紹介と考察をカテゴリーで分けています。息抜きに温泉巡りをします。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供218回 / 365日(平均4.2回/週) - 参加 2016/06/23 08:05

経済学・哲学・温泉草稿 さんのブログ記事

  • 『経済学の宇宙』 岩井克人著 
  • 本書は日経新聞連載に加筆されたもので、初めのうちは一応インタビュー形式となっているが、内容は自叙伝そのものである。赴任先の米国やイタリアの情景描写も豊富であり、岩井理論の発展過程が実人生とともに平易に語られていて興味深い。また以前から感じていた著者に対する疑問も、この本で概ね解消された。その疑問とは、著者は貨幣の価値を「自己循環論法」によって説明するのだが、すると価値の実体はどうなるのか、さらには [続きを読む]
  • 『三島由紀夫全集3』 三島由紀夫著
  • この全集版の『禁色』の「創作ノート」をみると、「転生譚(イギリスに先例あり)」というメモがあり、当初は五つの事件により、思想・恋愛・社会・生殖・行動の問題を扱う構想があったようだ。結末における「檜俊輔」の救済についても何種類もの筋書きが検討されていて、構想としては『豊饒の海』に通じるものを感じる。人の考えることは二十年ぐらいでは変わらないのかもしれない。この小説が奇妙であるのは、「現実の美」(美青 [続きを読む]
  • 『恐慌論』 宇野弘蔵著
  • 個別的経験は、社会的関連にまで抽象されてこそ理論化される。(本書22頁)この一文が本書の性格をよく表している。タイトルは『恐慌論』であるが、著者は現実の恐慌現象を理論的に解明しているのではない。序論で米国の1929年恐慌のデータが掲げられているので誤解しやすいのだが、著者が問題としているのは、そうした具体的データではなく、そのデータが向かっている先に想定される理論である。著者の見立てではマルクスは『資本 [続きを読む]
  • 『世界史の極意』 佐藤優著
  • 本書は世界史全体を教養として学ぶということではなく、世界中で生じている現在の紛争を理解するために世界史を踏まえるという体裁になっている。著者はそのための方法としてアナロジーを重視しているが、それは過去との類似によって現代を理解するということではなく、自分とは異質の相手に内在する論理をアナロジーで理解するということである。徹底したリアリストである著者は現代が新・帝国主義の時代であるとしているが、19世 [続きを読む]
  • 『対話でわかる 痛快明解 経済学史』 松尾匡著
  • 例えば古色蒼然たる経済学史の本を読んでいて「投下労働価値」などという言葉が出てくると、「もう終わった概念だし・・・」という気がして本気で考える意欲が生じない。本書は経済学史には珍しい会話体の入門書だが、登場人物の名前が「江古野ミク」ということで、脱力系の感じを受けるにもかかわらず、なかなかどうして深い内容であり、考えさせるものがある。以下、参考になった部分をメモしておく。○アダム・スミススミスが分 [続きを読む]
  • 『世界経済の読み方』 降旗節雄編著
  • さすが腐っても宇野理論というか、マルクス『資本論』の根本的欠陥を自ら指摘しつつ科学的に論述が進められている。本書によると、『資本論』の根本的欠陥は、その内在する論理のゆえに国家の生成を理論的に解明できないという点にある。『資本論』の論理から生じるのは資本家・労働者・地主の三大階級だけであり、国家は経済学体系からは消えてしまうのである。しかしマルクスのプランでは恐慌と世界市場の理論的解明が最終目標で [続きを読む]
  • 『いまこそ、ケインズとシュンペーターに学べ』 吉川洋著
  • 本書は評伝と理論内容の入門的紹介を兼ねたものであり、評伝に比べて理論内容の言及は少ないものの理論の発展過程がよく分かる。文献紹介も豊富であり読書欲が刺激される。以下、印象に残った部分をメモする。○効用価値説では投資財の価値を説明できない。このため、投資財を消費財の迂回生産として捉えるのだが、このとき、現在の効用と将来の効用を結合する価格である利子率がいかに決定されるかが課題となる。○シュンペーター [続きを読む]
  • 『漱石論集成』 柄谷行人著
  • 本書は漱石論として完璧であり、文章に快楽が乏しい感じもするが、そこは実際に漱石を読むことで補えばいいだろう。快楽が乏しいというのは賞賛であって、つまりこの評論は文芸評論らしくないということである。いわば漱石をマルクスのように読み解いており、作品として賞味するという姿勢ではない。著者によると言文一致とは、「言」が内心の声であり、それがそのまま「文」となることで、近代的自意識が誕生したということである [続きを読む]
  • 『アウトサイダー』 コリン・ウィルソン著 中村保男訳
  • 私のような哲学好き、正確に言えば翻訳哲学マニアは、それにしても一体何を哲学に求めているのか? まず、哲学が現実社会に何の役にも立たないのは今更いうまでもない。ならば詩や小説と同じように心を豊かにするかといえば、これも疑問である。豊かになるどころか読み過ぎると精神病になりかねない。ハイデッガーのように哲学が詩に近づくのであれば、詩を読めばいい。するとこの「役に立つ」という言葉が曲者であるとしても、社 [続きを読む]
  • 『青の物語』 ユルスナール著 吉田可南子訳
  • 『青の物語』ほとんど習作に近いものだが、ヨーロッパから来た商人達が洞窟でサファイアを得て、艱難辛苦ののちにヨーロッパへ帰り、サファイアを手放すという物語であるが、何かの長篇の下書きのようである。『初めての夜』スイスへの新婚旅行でレマン湖に近いホテルに逗留するというだけの物語だが、夫の心理描写がすべてである。風景と内心が絡み合った文章が延々と続くのだが、このスタイルは後の『ハドリアヌス帝の回想』へ発 [続きを読む]
  • 『陥没地帯/オペラ・オペラシオネル』 蓮實重彦著
  • 『陥没地帯』 蓮實重彦著この小説は他の作品の引用あるいは模倣で構成されているのかもしれない。足首にこだわるところは小川国夫の『試みの岸』、食堂の女将はサルトルの『嘔吐』など、読み進むうちに他の作品を連想してしまう。建物や川がすべて対象に配置された街が舞台になっており、砂丘と水とが垂直の時間でつながっている。こういう抽象的な舞台設定はクノーの『聖グラングラン祭』を思わせる。読みにくいかと問われれば、 [続きを読む]
  • 『言語にとって美とはなにか』 吉本隆明著(その11)
  • エエ加減終わりにしようと思っていたら、ダメ押しのように第7章があった。この「第7章 立場」もまた、それまで不明瞭だった自己表出・指示表出の概念が明確にされている。後出しもいいところだ。この第6章と第7章こそが本書の思想的中核である。したがって本書は、第6章と第7章を先に読んで、第1章から読むと分かりやすいと思う。第6章において、吉本は言語芸術においては言語表現しかなく、内容と形式は言語表現において [続きを読む]
  • 『言語にとって美とはなにか』 吉本隆明著(その10)
  • さて吉本は第5章を書き終えて、あたかもペンを置くように自問する。理論が到達しうるところはすべて達成した。なに、芸術における内容と形式だと、そんなものは過去の遺物で作家にとっても評論家にとっても何の役にも立たないではないか? そこで私もそろそろ終わりにしたいと思うのだが、この「第6章 内容と形式」を読み進むうちに、これは決して付け足しでもなければ、ヘーゲルくずれの左翼評論家批判というようなものでもな [続きを読む]
  • 『言語にとって美とはなにか』 吉本隆明著(その9)
  • 「土佐日記」「かげろふ日記」「和泉式部日記」などの日記文学について、吉本はそれらが説話物語と異なり表現者の内的世界に主題を集中させることで自己表出性を高めたとしている。そして「源氏物語」は宇津保物語によって統一された説話物語と自己表出性を高めた日記文学との総合であるとし、前半と終末の宇治十帖との色調の違いは、説話系から日記系へ移行したからだとしている。源氏物語の構成は、宇津保物語をそれほどしのぐも [続きを読む]
  • 『言語にとって美とはなにか』 吉本隆明著(その8)
  • 吉本は記紀歌謡について、土謡詩→叙景詩・叙事詩→抒情詩の知識層による発展に対し、土謡詩→儀式詩への庶民層による発展を並置するのだが、吉本が引用する抒情詩と儀式詩を比較してみると確かに儀式詩(国見歌、酒宴歌、宮廷寿歌など)の方が抒情詩と比べて無個性であり、吉本の主張は的に当たっているように思える。さらに、この二つの流れは「詩」から「物語」への発展の伏線になっている。物語の発生について吉本は諸説検討し [続きを読む]
  • 『言語にとって美とはなにか』 吉本隆明著(その7)
  • 第四章の表現転移論は概ね散文(小説)を主な対象として言語芸術が論じられてきたが、第五章は言語芸術の諸ジャンル(詩、物語、劇など)の生成発展が考察対象となっている。これもまたおそろしく深遠な議論が展開されるのだが、吉本は記紀歌謡を対象として言語芸術の起源から考察しているのである。吉本は諸ジャンルの生成発展をすべて<構成>概念によって説明しようとするのだが、この<構成>概念に吉本がいかなる意味をこめて [続きを読む]
  • 『言語にとって美とはなにか』 吉本隆明著(その6)
  • 私の解釈は、吉本のいう「意識」は自己意識と集合的無意識の複合体だとするものだが、これは私のオリジナルであるから、吉本の本来の考えとはズレているかもしれない。むしろ、無意識こそが資本主義の高度化とともに現実からの疎外として出てきた、まさに19世紀以降に出現した新しい概念であり、それを言語創成期の原始人にあてはめることは現代人の立場からみた錯覚かもしれない。(私は無意識は抽象的人間労働と同じく人間ととも [続きを読む]
  • 『言語にとって美とはなにか』 吉本隆明著(その5)
  • 第4章の「表現転移論」については、著者による引用文の読みの深さと見事さにはいつも圧倒されるのだが、昔読んだときと同様、途中で論理がすり替わったような異和感がぬぐえないのである。いわば言語理論にもとづく表出史から始まり、いつのまにか実作者の表現意識の分析へ移行しているような感がある。どうも言語基礎理論に対して言語表現理論が追加されているような気がしてならない。つまり自己表出と指示表出の二つの座標軸だ [続きを読む]
  • 『言語にとって美とはなにか』 吉本隆明著(その4)
  • 以上のような問題意識をもって読むと第4章の表現転移論が実に面白い。昔はこの章をよくできた文学史のように読んでいたのだが、やはり「1 表出史の概念」が重要である。サルトルが『弁証法的理性批判』で大騒ぎでやったことを、吉本は言語理論であっさり片付けているからだ。ここで吉本は単独者の視点を指示表出に、類的人間の視点を自己表出に対応させているのである。ひとつの作品は、(略)異質な中心をもっている。(略)言 [続きを読む]
  • 『言語にとって美とはなにか』 吉本隆明著(その3)
  • さて第3章であるが、この章は吉本の言語理論(第1・2章)と表出史(第4章)を繋ぐ鍵となっている。したがってこの章の理解が不充分であると、言語理論を基礎として文学史を表出史として捉えるという構想全体が曖昧となるのである。だが、まさに本書が難解であるのは、この章において吉本が言おうとしていることが不明瞭だからである。私は何度も読み返すのだが未だによく分からない。引用された作品の読みが見事であるにもかか [続きを読む]
  • 『言語にとって美とはないか』 吉本隆明著(その2)
  • この本のタイトルになっているのだから、「言語にとって美とはなにか」という問いの答を一応確認しておこう。答は「文学」である。だからこの本は言語芸術としての文学論なのである。その根拠は次の引用文である。言語にとっての美である文学が、マルクスのいうように「人間の本質力が対象的に展開された富」のひとつとして、かんがえられるものとすれば、言語の表現はわたしたちの本質力が現在的社会とたたかいながら創りあげてい [続きを読む]
  • 『言語にとって美とはなにか』 吉本隆明著(その1)
  • この本はフロイトの謎めいた引用から始まるのだが、吉本の言語理論にとってフロイトは無関係なのだから、なぜ冒頭でフロイトを引用しなければならなかったのかその理由がさっぱり分からないのである。ただ「発生の機構」というタイトルから類推すると、おそらくここで吉本は前言語的意識を射程に入れたのだと思う。前言語的意識がいかなるものであるかは謎である。原理的に意識はそのことを知ることはできない。しかし、それが実在 [続きを読む]
  • 『文学批判序説』 蓮實重彦著
  • 「序説」というタイトルからすると一貫した論説を予想するのだが、内容は9つの作家・作品論と文芸時評などで構成されている。論じている対象が多岐にわたり、とりとめもないのだが、それでもこの本について触れたくなったのは、吉本隆明に対して著者が示している共感である。これは意外であった。およそ著者の視点からすると、吉本隆明の『悲劇の解読』などは悲劇の矮小化・凡庸化でしかありえないと思われるのだが、そうではない [続きを読む]
  • 『失われし書庫』 ジョン・ダニング著 宮脇孝雄訳
  • 昔は何時間も読書に没頭できたものだが、現在は集中力がなくなってしまった。これは視力の衰えで疲れ易くなったのかもしれないと思い、読書の習慣を取り戻すため、あまり肩の凝らない本を読んでみることにした。などと軽い気持で選んだのだが、良く出来た小説である。最初から引き込まれてしまった。そうそう、こんな風に気がついたら半分ぐらい読んでいたというような本を昔はたくさん読んだものだ。推理作家である著者自身が古書 [続きを読む]